はてなキーワード: アウトプットとは
うん、Googleがやってる(もうこれも怪しいらしいが)20%ルールてのはエンジニアからしてみたらスラバシイことのように見えるね
うんうんわかるよ、今の職場でもそういうことをやったらまるでGoogle社員になれたかのような気持ちに浸れるもんね
それに仕事でやらされる面白くないタスク作業じゃない好き勝手なアウトプットの求められない仕事()はいいよねーわかるわかる
けどね、ここはGoogleでもなければ君はGoogle社員でもないんだ。今この会社の状況的に20%も社員に自由時間を与えれるほどの余力もないんだ。
そういうことをしたいのであれば、申し訳ないけど業務外の時間に好きにやってもらうか、そういうのが許されるぐらいの体力のある会社に行って欲しい。
ここはそういうんじゃないんだ。そういう好き勝手なことをする前にまずは第一歩をなんとか社会に対して刻みつけようという場なんだ・・・
「1」と「2」のあいだにカードを挿入したい場合は、「1/1」「1/2」「1/3」といった具合に識別子をつけます
はてブトップに来ているこの記事のなかで紹介されてる番号付け方法。
会社で扱ってる資料でもこの方法で管理しているところがちょこちょこあって、ほとんどの場合うまくいっている。
だが、ごくまれに「1」と「2」の間に「1/1」を追加した後、「1」と「1/1」の間にさらに追加したい場合が発生する(性質上「1/1」の後ろに追加できない)。
こういう場合にどうしたらいいのかがいつも悩んでる。
先月のクレジットカードの支払総額は4万8000円だった。私はほとんどの支払いをクレカで済ませているため、これに家賃と奨学金の返済額を加えて9万9000円。先月はだいたい9万9000円が私の口座からおさらばしていった。月によって上下はすれど、だいたい毎月の出費額は同じぐらいだ。それでも貯金とは程遠い生活を送っている。何故か。私の労働意欲が低いからか。月に2、3回、私は仕事を休む。なんとなく、メンタル的に行きたくなくなる。ので休む。時給制なので休めば収入は減る。働けど働けど猶、というほど働いてもないし働く気もないが、お金に不自由するのはそれなりに応えたりもする。交通費抜きにすれば月8000円浮くのになぁといつも思う。いつもだ。今気がついたが毎日思っている。毎日思っていたのか私は。驚いた。元々お金を使う性格ではないのだが、やはりもう少しお金があればと思うことは多い。気になっているお店で一度食事をしてみたいだとか、ニンテンドースイッチがほしいだとか、昼食にサラダをつけたいだとか、小旅行したいだとか、新しい本棚が、掃除機が、布団が、服が欲しいだとか。欲しいものが多いな私は。書き出してみて驚いた。欲しいものが多かったのだな私は。書くと気づきがある。アウトプットは大事らしい。さて晩飯の支度をするか。
元増田は、引きこもる前からなのかもしれないけれど、引きこもっている14年間の間にたくさんインプットして、感受性も磨いて、その結果こんな文章を書いたんだね。アウトプットの技術も上手だ。
これからも何を感じたのか、何をしたのか、或いは何をしなかったのか、些細なことから大きなことまで発信して欲しいな。Twitterでも良いし、ブログでもいい。
呪詛の言葉や呪いや恨みの言葉を並べ立てるのでなくて(勿論それをしていけないわけではない)こういう気持ちのいい言葉だからまた読みたい。
無理して欲しいわけじゃないけど、前向きに検討して欲しい。
ちなみに自分は37歳、中学1年2学期から不登校になり中卒、学歴職歴なし、逮捕歴ありの引きこもり、現在社会復帰訓練中の人間だ。
他人と比較して優越感や安心感を得るのは良くない。だけど、それでも一時的な励ましになるかもしれない等と言い訳をさせて欲しい。元増田はまだまだ全く健全だ。だから胸を張ってのんびりリラックスしてお散歩日記を綴って、できれば読ませてほしい
みんな千差万別に違うものあげてるそのお互いを見てこういうこと思ったりしないのかな。お前はそのゲームどういう経緯で知ったんだって。
今流行りのひとり出版社とか独立系出版社に所属してる人の漫画とかさ。
読者数十人が作品買うお金で出版社の運営回してるようなところがあったとして、その数十人になれるような人間で、リアルでは職場の知り合いとか親戚といった関係を何も持ってなかったような人はどうやってその漫画家の存在を知り得たのかなと思う。(さすがに誰にも認知されない期間が長期間続いたら廃業するだろうしそんなんで廃業しちゃうような出版社の漫画には俺も価値を見出さんわ。)
漫画通にはそういう認知度が数十人クラスの漫画家の一人や二人知ってる人もいそうだわ。
人による何を知るかという偶然性の違いによって俺の知らないものを知ってるだけならいいが、何かコツがあっていくらかでも意識的にそういう漫画家を発見するように自分を仕向けてるならそのコツを漠然とでもいいから言語化してほしいものだわ。そのコツを俺も会得してより自分好みの漫画を探し出す武器としたい。
ブコメで知識そのものを得るよりブコメの賢者が知識を得たその方法の方に興味があるわ。
方法からアウトプットされたものだけをいくら吸収しても応用は効かないからな。
dorawiiより
絵を描くの好きでpixivにアップしたりツイッターにアップしたりしてて、ありがたいことにrtやいいねもいただくことがある。
同人誌も興味あるし、本出さないんですか?と言ってくださることもあるけど、本をつくりたいけどつくりたくない。
正直、絵を描くのは好きだけど自分の絵はうまいとも思ってないし好きでもないし、
本として物理で存在するものにしてしまったら売り切るまで否が応でも目にしなくてはいけないのが辛すぎる。
料理と違って食べたら消えることもない、わざわざ捨てないといけない。
考えたものを吐き出すために描いてるだけで、他人が同じもの描いてくれるならそれにこしたことはない。
誰も描いてくれないから描いてるだけで、「描いた(アウトプットした)」という経験が得られたら満足なので見返さないし見たくもない。
下手すぎて恥ずかしくて死ぬ
本にするという経験はしたいけどその本は所持していたくない。
判断基準は性交の有無だみたいに表現したのは雑だったかもしれない。
つまり18禁漫画はおそらく必ず「挿入」か「射精」か「(特にレズものなら)イくシーン」のいずれかを盛り込んでいる。
18禁漫画はエロでなければならない、エロとして読者が抜くにはそれらがなければ出来ないという二重の固定観念が編集側にあることによるのだと思う。
性器を克明に描写しているところ以外はストーリーなどは一般向けのそれという漫画は成立し得るはずだ。
ヌードデッサンモデルを客体する視点の主たる主人公等がそれを見ることに対して興奮しているような描写、台詞は一切ない。
ただその世界観において是とされる「より性器を美しく見せるにはどうすればいいか」という苦悩を描くうえでさまざまな性器をあらわにした姿勢をとったモデルが要所要所で描かれる。
それに読者が興奮するのは勝手だ。ただしあくまで書き手の目的はエロとは独立したところにあるストーリーを楽しませるところにある。
雑誌にグラビアアイドルを載せる人は、それを抜くのを目的として買っていく人も想定しているかもしれないが、目的自体は射精とは無縁の鑑賞をさせることにあるだろう。
このような漫画は前のブコメにもあった天原の常識改変シリーズに一見通じるところがあるように見えるかもしれないが、天原のそれはメタ的に抜いてもらうことを目的としたうえでの作者に都合のいい世界観の構築を図ったものであり、ストーリーの要請上でキャラに恥じらいなく性器を見せてもらうこととは作者のスタンスが異なっている。
ちなみに天原の作品で私が好きなのは大人のお姉さんに謎ビームを照射してロリに変身させたのち本人の意思に反して髪型を三つ編みにしてカボチャパンツを履かせるというイラストで、これもまた性器の描写はないものの抜き目的で描かれたものであることは明らかだろう。これと同じ題材でも違った目的で描けばまた違ったテイストの作品になるものだと思う。
とにかく一見同じような動機でも、スタンスが異なっていればアウトプットは異なるものであると私は信じている。また、性器の描写をなくしてはもはやストーリーが破綻してしまうような微妙なバランスの上に成り立ち得る作品も実現可能なのだと私は信じている。
ちょっとたとえとして適切ではないかもしれないがでこまん事件で裁判ではわいせつ物と認定されてしまったあの作品にしても、あれは人を欲情させることが主題ではないのにも関わらずそれでいて性器が作品のコンセプトの核になっているわけで、裁判の判決通り性器の型を無くしてしまったら、それは作品やそのコンセプトを成立させる核の一つをなくしてしまうということになるわけで、もはや本来の作品としては成立してしなくなってしまうだろう。
それと同じだ。
こういう例示に対して、所詮漫画は芸術とは異なり多少こだわりに対して手を抜いても読者に全く同じ認識や考えをもたらす作品になる、みたいな理屈も無しに芸術に対して漫画(の媒体としての繊細さ)を軽んじる考え方を私は信じないのである。
ギャグ漫画のように性器の部分に象を描いたり、弓月光のシンデレラエクスプレスのように性器に顔を描くような手法があるが、このような安易かつ強引な一般向けへの適合化を図れば作品の持ち味を壊してしまうような微妙なバランスが有り得るということだ。
かりに、そのどうにもならないはずのことを作者の最大限の工夫で上手い具合にごまかせたとしても、やはり作者が当初想定していたものとは趣が完全に同一とはなり得ないことは確かである。
なので結局作者が想定する通りのそのような漫画は一般向けにおいて居場所がないのである。
一方で18禁漫画の世界でも、性器を描いただけの漫画というのは通用しないのだ。
前述の通り、誰かしらが挿入する/されるか、絶頂するか、射精するようにしろと編集側が制約を課しているかのようだ。俳句における季語のようなものか。
なのでまんこ拓をとって生計を立てる女の気丈なヒューマンドラマなんて企画は通らないわけである。
18禁という場で描きたいなら上記のいずれかの要素を盛り込めと編集者は迫ってくるのだろう。
しかし描きたいのはヒューマンドラマであって、その小道具として今回は性器の描写が必要なのであって、いくら要請があるからといって作品にそれらの要素を盛り込んでは作品の趣というものが自分が想定していたものからどうやっても変質してしまうというということもありえないことはないだろう。
だがそんな意見をしようものなら多分「お前は18禁には向かない」と言われて追放されるのがオチだ。
かくしてこのような漫画を描きたい人はどこにも居場所がない、このような漫画はたとえ構想があっても構想段階で破棄され、日の目を見ることがないということがいえるのだ。
論理的に漫画全体を切り分ければ世の中には4種類の漫画があるといえる。
性器の描写がなく性行為(やそれに関連する前戯や自慰等)がない漫画、性器の描写がなく性行為がある漫画、性器の描写があって性行為がない漫画、性器の描写があって性行為がある漫画の4つだ。
上記でその存在が危ぶまれるとつらつら語ってきたのはすなわち三番目の「性器の描写があって性行為がない漫画(やそれに関連する前戯や自慰等)」のことなのである。
現状は有り得る4種類の漫画のうちの1つの存在を否定するものであり、それだけ本来世に送り出されるはずだった表現の幅を狭めていることになるのだ。
ストーリー重視という点では一般向けが相応しいだろうが、法や倫理上の問題からそこはどうしても難しいところがあると思う。
だから18禁という分野がこのような漫画に居場所を与えるべきだと私は思う。
冒頭で少し触れたことだが、18禁だからエロでなければならないというのは固定観念であり誤謬に過ぎない。
18禁というのはなんらかの事情で一般向けでは公開できない要素が一つでも含まれるような作品全てが当てはまるはずの概念だろう。
性器が克明に描かれている漫画は一般向けとしては出せないという状況は今のところは容易には覆し得ないことなのだから、18禁がその居場所を与えてやるべきなのである。
既存の雑誌はエロを銘打っている雑誌が多いのでそこでの掲載というのは難しいかもしれない。
なので私の提案としては18禁というだけでテーマは問わない新たな雑誌を作れということである。
新たに費用がかかるので難しいところもあるだろうが、それでも法改正よりはよほど簡単なことであり、またこういうときこそ18禁というものの寛大さを見せてほしいものであると思う。
とりあえず無料系のところでpythonだったりjavascript,html/cssを最後までやった(なぜその言語か→目についたからで特に意味はない)
一日5時間ぐらいIT系の勉強をしてたが、最近はやることがなくなってきて情報収集という名のネットサーフィンに時間が浪費されている。このままだと勉強のモチベーションが下がってしまうのでどうにかしたい。
こっから先どうすればいいのか。
N予備校など、有料系のところに入って進めるのが良いとは思う。
日本にいると「アイデアなんてものは誰だって思いつく。それを形に出来るかどうかが重要であって、アイデアなんてものには価値はない」といった言説によく出会うけど、仕事をしているとそれって本当なのかな?と思うことも多い。
確かに日本の企業は似たり寄ったりのアイデアを似たり寄ったりのアウトプットにしていることが多いと感じるし、そんな状況下ではアイデアなんて特に価値を持たないもののように感じられるけれど、昨今はそんな状況を覆す画期的な「アイデア」が黒船のようにやって来て、日本企業のちまちまとした努力を無意味にしていくことも多いのでは。
イノベーションが始まるのって、なんだかんだでやっぱり「アイデア」の力だと思うのだけれど、なぜ日本にはアイデアを馬鹿にする人が多いのだろう。“アイデアが溢れているけれど形に出来ていない”という企業が多い状況であればそのような態度を取ってもいいと思うけれど、そもそも日本の企業にはまともなアイデアすら存在していないことが殆どなんじゃないかと思う。
やたらとアイデアを馬鹿にするのは、リアリスト気取りで冷笑することが大好きな日本の国民性に関係しているのかもなーと思ったりしている。
元増田です。
自分は、どちらかというと自分の興味のある分野の、大量にあって飽きない英語教材という点を重視しているな。(普通の英語教材だとすぐに飽きてしまうので。)
(それに、Courceraでは、例えば、NPTELの「Database Design」に相当するようなコースは見つけきれなかった。全くないよりは、どんな形でもあった方が良いと思っている。)
ただ、確かに質という面ではCourceraの方が良いのかも。(Courceraのコースを取ったことが無いからエアプだけど、確かに課題があるのはとても大事だ。アウトプットが重要だし。)
まあ、このNPTELの方も、東京で試験が受けられるのであれば、ある程度は「わかった気になる」という課題は解消できるんじゃないかなと思ってる。
(もちろん、試験では、ある程度難易度の高い課題を解く事で得られるような経験にはかなわないと思うけどね。)
課題とは別に、講義自体の質という意味では、オペレーティングシステムに関する授業をNPTELとジョージア工科大で見比べて見た感じだと、(若干ジョージア工科大の方が分かりやすかったが)そこまで変わらないという印象を受けた。NPTELも難関のインド工科大の教授の授業みたいだし、質は良いんじゃないかな。(あんまりインド事情は知らないけど。)