はてなキーワード: 象限とは
陽キャが魅力的な人で、陰キャがそうじゃない人、みたいな風潮あるけど
実際はそうなってないよね
陰キャでもネットでは人気とか、陽キャでも中身スカスカで上辺だけの人とか、色々居る
a.陽キャ 魅力度高い
b.陽キャ 魅力度低い
c.陰キャ 魅力度高い
d.陰キャ 魅力度低い
の4象限に分けるか、もしくは魅力度で語ったほうがいい場合があると思う
例えばモテる/モテないで言えば陰陽より、魅力度で語ったほうがいいと思う
俺は基本的に陰の者だけど、陽のフリも一応出来る
でも魅力度が低いから、陰陽限らず、同性からも異性からもモテない空気君だ
俺が一番羨ましいと思うのは、陽の魅力的な者より、陰の魅力的な者の方だ
↓包括
[くだもの(みかん){(りんご)][(消防車)}(パトカー)くるま]
↓簡略
象限ⅠⅡⅢⅣ
[x>0],{y>0}
↓
[Ⅳ{Ⅰ]Ⅱ}Ⅲ
↓? 補集合の表現が分かり難い?
【[Ⅳ{Ⅰ]Ⅱ}Ⅲ】
[x][y]{プラス}
↓
[Ⅳ{Ⅰ][Ⅲ}Ⅳ]
用例>
↓
ネトウヨと形容される一群は保守を自称しがちだが左翼的価値観を振り回す事が多く、
彼らが攻撃対象として選ぶサヨクと批判される対象は、左翼的価値観に添わない部分が主に攻撃されてる(利権、弱肉強食、エリート、格差欺瞞etc)。
↓
真性保守と呼ばれる対象も、漸進的保守ではないので保守に含まない方が良いか?
その行いは革新右翼に近い。
↓
[右翼{真性保守][維新}中庸保守{ネトウヨ][サヨク}左翼]
…既に、パット見で分かり難い。
なんかもう、その分解能がもう辛くてさ。
世の中は「コミュニケーション能力がある(そしてとってる)」と「コミュニケーション能力がない(そしてとってない)」の二象限じゃないでしょ。
目下ほんとうの意味で問題になってるのは「コミュニケーション能力はあるしその気になれば男女ともに業務上私生活を通してそれなりにコミュニケーションを取れるし、実際過去そうやって生活してきたけれど、別にコミュニケーションそのものが楽しいわけでもないしそれなりにコストも感じているんで、何らかの対象や対象層(たとえば職場の女性)を設定して、そこのコミュニケーションから撤退する」みたいな人々なんだよ。
だから件のまとめやそのコメに対して「おめぇ、その言いぐさはコミュ障だな?」なんて批判は意味がない。突き詰めていけば「社外に彼女いるしちゃんと付き合ってるけど、社内の女性と口聞くのは避けてる」みたいな人もいるわけで。
キレポイントって人それぞれだし、それって自分が何を守りたいと思うかってところから来てると思うから、自分が守りたいと思うものを守ろうとするのは全然おかしくない事だと思う。
怒るのは自由だし、クロちゃんのドッキリに対しても同じように怒れとは言わないけどでも、水曜日のダウンタウンを毎週楽しみに見ているっていう時点でまともじゃないっていう自覚だけは持っていて欲しいんだよね。
ガキの使いもそう。年末に紅白じゃなくてガキの使い見ておっさんが尻たたかれるのを見て笑ってる時点で性根が腐ってるという自覚をもってほしい。異常者だって事に気づいて。
自分をグラフの原点だと思わないで、第三象限にいるって事をちゃんと理解してほしい。
以上。
http://sakidatsumono.ifdef.jp/draft3.html
設問や評点方法にはどうやっても恣意性が入り込むから、結果はまあ参考程度として。
なんでこんなこと言い出したのかというと、
この二軸で政治的立場を判断する方法(ノーラン・チャート)がすごく捗ると思うから。
現状のネットの議論って「リベラル」とか「ネオリベ」とか「右翼」とか「保守」とか、言葉の定義が(人によっては恣意的に)メチャクチャで、全然生産的じゃないよね。
(煽りとか思想誘導したい人は別として)真面目に政治の議論をしたい人にとってみれば、政治的立場とは関係なく、この状況ってマイナスだと思う訳よ。
しまいにはリベサヨとか、訳の分からない言葉まで創作しだすしさ……。
みたいに各象限が分類されてるけど、この「リベラル」とか「保守」って用語自体がもう定義から汚染されまくっている(例えば、どう見ても大きい政府なのに保守を標榜する政党とか)ので、この際、用語自体を破棄した方がみんなのためだと思うんだ。
そもそも2つの軸があるのに、それを1語で表そうなんて横着をするから、混乱が起きるんだ。
手間を惜しまず、2語で表現すれば、もっと議論が建設的になるんじゃないかな。
「私は『大きい政府』で『個人の自由』を支持します」とか、「あの政党は『小さい政府』で『社会の秩序』を志向している」とかいう表現を使えば、紛れが無くなるでしょ。
一言でいうと、「100年経っても日本人に人権概念は根付いていない」
2. 犯罪男性(無罪)が被害女性を生み、ストレスが蓄積される。
※昔は男尊女卑の亭主関白が絶対的価値観だったので、犯罪行為が黙認されてたみたいな感じで女性のストレス溜まっていった。まあそれはそれである意味では安定していた社会のシステムではあったが、ひずみが蓄積されていたのだろう。ガス抜きがなかったという点では欠陥システムと言える。また、男性のほうにも生き方の自由がなかった。社会的責任が男性にだけ押し付けられた。
3. 昭和の戦後に社会システムが変化していき、女性の権利が増え、犯罪男性(無罪)は有罪とされるようになっていく。このため、これ以降の教育を受けた男性の意識も少しずつ変わっていく。
4. 過去の被害女性が蓄積されたストレスによりヒステリー女性へと変化する。
5. ヒステリー女性による「犯罪男性への警戒」が度を越して「無条件の男性迫害」へと進化し、その行為は司法・立法・行政の全面的に無罪化される。(痴漢裁判なんか見ていればお分かりだと思います)
6. 女性が発言力を駆使して社会進出して労働(自己実現?)し始める。
7. バブル後のずっと続く不況、アイドルや2次元の進化、お見合い結婚の縮小と恋愛や結婚の市場化によって結婚しなく・できなくなる。
8. 女性の社会進出によって育児と仕事の両立どうすんだ問題と、男性の給料も下がりまくってますます結婚できなくなる。
9. ますます事態がややこしくなり、なぜかヒステリー女性が2次元表現まで叩き始める。(そこ叩いても誰も得しないと思うが)
10. 5や9のヒステリー女性(無罪)の蛮行がヒステリー男性を生んで行く。1~2の明治世代を生きておらず3以降の認識で生きてきた男性にとっては意味不明であり、理不尽な攻撃にしか見えない。
11. LGBTという第三勢力が登場し主張の声を増やしている。
・女性の権利は増えて責任は減ったが、男性の権利は減って責任はあまり変わっていない。
・ヒステリー女性の中には、男性とつるんで痴漢冤罪などの犯罪行為に及ぶものも出現し、ヒステリー男性の生産を加速させている。
・冷静さを欠いたヒステリー男性は、ヒステリー女性と同じレベルの言動や主張をし始めた。
ざっくり分けて4象限ある。
(ヒステリーと冷静が同居する人も多く居るため、分類は難しいが)
C,冷静男性
D,冷静女性
ヒステリー者は、ほかの全ての象限者から批判される存在である。つまり、
Aの行いを見て、B,C,Dが批判する。
Bの行いを見て、A,C,Dが批判する。
ただ、同性間だと批判の手が緩い感じもする。それは仕方ないか。
それなりに客観性と理知性を持った冷静な男女もいるが、ひとたびヒステリーの被害を受けるとヒステリーにならざるを得ないんじゃないのかな。
男から女へのセクハラもあるし、女から男へのセクハラもある。それを被るリスクは冷静かヒステリーかは無関係で、環境によるものが大きい。だが、社会の男女は「女性から男性へのセクハラ」に無関心である。被害者本人までも。
そして、ここにLGBTという第三勢力も登場した。いままではあまり可視化されず、おおきく活動もしてこなかったが、海外での認知の広まりに呼応してか活動が増えてきた。これはこれでまったく別の問題なのだが、性に関するものなので無関係ではなく相互に影響を及ぼす。主旨は「混乱が増えて迷惑」ではなく、ヘテロセクシャルの男女間ですら許容力、冷静さ、知識が足りていない大混乱状況なので、ますます混乱が増えるというのは残念ながら事実でしょうということです。
米国:トイレ使用「望む性で」 LGBT権利擁護の狙い - 毎日新聞 http://mainichi.jp/articles/20160514/k00/00e/030/200000c
歴史的経緯も含んでいて、例えるならまるでパレスチナ問題みたいな泥沼の様相を呈している。
こういった状況を総括した文献とか論文とかって何かあるのだろうか。
総括に基づいて、指針を打ち出し、学校の義務教育で教えたほうがいいと思います。社会人にも再教育。
こういった状況を理解できないでいると視野が狭くなってしまい、目の前のなぜか敵意をむき出しにしてくる良く分からない相手から身を守るために無意味な反発や明後日の主張をすることしかできず、泥沼化を進めてしまうだけです。
筋肉には速筋と遅筋がある.
速筋は瞬発的に力を出すために必要な筋肉.重量挙げは速筋が必要だ.
遅筋は持久力を引き出すために筋肉.マラソン選手は遅筋が必要になる.
で,最近分かったのは心にも速筋と遅筋があるということだ.
上司に怒られてケロっとしているやつは速筋が発達しているマッチョマン.
少しダメ出しされただけで泣いちゃうやつはガリガリ野郎って感じだ.
問題なのは本当の筋肉と違って心の方は他の人から見えないから,
ガリガリ野郎に対して重量挙げのような高負荷な仕事をさせてしまう上司が結構いる.
そして速筋が少ない人間に負荷の高いことをさせると命にかかわる.
「慣れれば鍛えられる」
心当たりがある人は今度から相手の速筋量を考えて仕事を任せるようにした方がいいと思う.
「あの人,いつもニコニコしてるね」っていう人はマラソンランナー.
「あの人,沸点低いね」っていう人は汗だくのデブ男って感じだ.
遅筋が強い人は単純に怒らないから遅筋が多いということがすぐに分かる.
ただ,限界量はやっぱり分からないし,本人にも分かってないのでストレスが限界量を超えると大変なことになることが多い.
マラソン選手がいきなり疲労骨折して現役引退,みたいなことが割と起こる.
ちなみに遅筋が少ない人間はすぐにストレス発散に走るため,大体が周りにグチグチ言ったりすぐ怒ったりするのでやっぱりすぐ分かる.
この2つの軸を直交していると見做して,各象限にプロットすると人間は4種類に分けられる.
1.速筋が少なく,遅筋も少ない(ヒキニート)
当たり前だがヒキニートは社会ではあまり見かけることがなく,ほぼ仕事することができない.
学校や家庭でも少しのことですぐに怒ってすぐにギャーギャーと騒ぎ立てるので,大体が腫れ物扱い.
とはいえ,対人関係以外の世界に籠もりがちなので研究者や芸術家に多い.あと,アイドルにはまる.
ガミガミ怒られても特になんとも感じていないが,ストレス発散の飲み会を開いてあげないとだんだん機嫌が悪くなる.
飲み会の場ではいろいろ愚痴を言うが,実は本人は大してストレスを感じていないのでおもしろおかしく自虐ネタとして披露する.
上司になるとどーでもいいようなことをネチネチとイヤミを言ってストレス発散している.
突然仕事を辞めたりする.
なんとなく,営業に多いように思う.
3.速筋が少なく,遅筋が多い(ガリランナー)
怒られたりしたら凹んだり泣いたりするが,「あれは私が悪い」みたいな感じで次の日には平然としてる.
ストレス発散とかに興味がないので,飲みに誘っても乗ってこないし意味不明な趣味を持ってたりする.
いきなり疲労骨折するかのように長期休養したりもする.
怒られてもケロっとしてるし,次の日にも平然としている.
「ポジティブに行こうぜ!」みたいなことを常日頃口にしている.
要するにただの馬鹿.ネジが外れてるっていうよりそもそもネジ穴が無い.
他人も自分と同じだと思ってるらしく,「考え方を変えれば人間は変わる」という当たり前のことを蕩々と諭してくる.
仕事は賃金で選んでいるので,他に良い仕事が見つかればすぐに辞めるし,大抵の仕事は辞めない.
割とおおざっぱな分類だが当たってるだろうか.
少なくとも自分の周辺は大体これで4分類出来た.
まぁ,速筋と遅筋を意識する目的は職種にあった筋肉を鍛えるためだ.マラソンランナーを目指すのに速筋を鍛えてもあんまり意味が無い.
「合理性」という概念について誤解してるらしきブコメがいくつかあるので追記。
合理性は個人の感情や欲求と相反するものではなく、むしろそれを前提にしている。「なぜそうするのか、そうあるべきなのか」という問いに対して、最終的に「自分の感情や目的がしかじかだから」と答えることはまったく合理的だ。合理性にもとづけば、前提(欲求)がちがえばちがう帰結(どうあるべきか)が出てくるのは当然である。だからこそ、お互い求めるものがちがいますね、じゃあどうしましょうねという話ができる。
たとえば、伝統を大事にしたい人が「伝統に即さないものを見ると自分の感情を害されるから、伝統を大事にすべきだ」と主張するのはまったく合理的だし正当なものでもある。リベラルな立場からすれば、それを認めたうえで、その個人的な欲求が、ほかの人の欲求と照らし合わせたときに押し通すことができるものなのかどうかという話になる。
しかし、保守的な思考をする人は、そういうしかたで自分の主張の理由づけをしない。端的に「これが現状だから」「過去こうだったから」という説明しかしない。それではリベラルは納得しないが、保守はむしろそれで納得するのだろうという話。
あとついでにいうと、現代の日本(のネット)において「保守/リベラル」「右翼/左翼」とラベリングされているものには関心がない。もっと根本的なレベルでの考えかたのちがいの話をしている。そして、そのちがいは、従来「保守」と「リベラル」と呼ばれてきた政治的対立の根底にあるものだろうと。
「保守/リベラル」というラベルは、たとえば幕末期の「尊王/佐幕」とか「攘夷/開国」と同じように、多様な対立軸をごっちゃにしたかたちでつかわれていて、もはや有意味な内容をもっていないかもしれない。その意味で、このラベルを持ち出したのは失敗だったかもしれない。たぶんノーランチャートのような2軸4象限あるタイプのスペクトラムを持ち出したほうがよかった。