はてなキーワード: 脚本家とは
「攻撃したかったわけではなくて」って原作者の言葉があるにもかかわらず、攻撃してたやつがいつまでも責任を認めたくなくて、脚本家のせいにしたがってるんだよな
そもそも◯◯のせい、ってそもそも論をするなら、契約を結んでいなかったり、原作者と脚本家の意向をすり合わせなかったりの不手際があった日テレや小学館の責任の追及をすれば良さそうなのに、それもしないでひたすら脚本家叩きをするのも「自分たちの行動は間違ってない」って思い込みたいからだね
原作の改変が問題で、実写とマンガと同じには作れない、だから改変致し方なし。
この「改変」とはなんだろう?なぜ、改変が起こるのか?というところに、日テレは踏み込むべきだったのだ。
いろいろな諸事情があるとは思われるが、大きな理由は、そのほうが実写化においてベターだからだ。
そのベターのひとつに売れてる役者を起用したいからというのがある。
ここがバカにならない。プロダクション側の思惑もある、アイドルを起用しているとファンが目当てに見てくれるから、原作を改変しても役者の出番を創造する。
また、そのアイドルのイメージが悪くなるのを防ぐために原作のセリフや設定を改変する、なんでも、セクシー田中さんの脚本家とチーフプロデューサーはそれが得意だそう。
日本だけではないと思うが原作者を蔑ろにしても「そっち」を優先している方ではないか。
かくいう私もピエール瀧が出演してると知るとつい見たくなる。ただ、そんなことしてるからセクシー田中さん事件は起こったのだし、これから起こるのだ。
日テレ、小学館、双方の報告書を読んで、なんとなく想像できてしまったので吐き出しておく。
亡くなる直前に残した言葉「攻撃したかったわけじゃなく…ごめんなさい」がヒント。
これは誰に対する攻撃なのか? 誰に対し謝っているのか?
日テレ、小学館の報告書を読むと、芦原さんの謝罪対象は「本件脚本家」だと推測できる。
つまりこれは、自分の怒りの矛先が間違っていたことを謝っているのではないだろうか?
芦原さんが、プロットや脚本修正のラリーの中で「脚本家が悪い」という思いを募らせていったことが報告書からわかる。
堪忍袋の緒が切れ、9話10話の脚本を自分で書くとした。クレジット表記も許さなかった。それで一時は矛を収めた。
ところが、本件脚本家のInstagram投稿でその怒りが再燃してしまった。自分の知る経緯を公開せずにはいられなくなってしまった。
ところが、ブログを公開して炎上したあと、脚本家には実はさまざまなことが伝えられていなかった事実に気づいた。
怒りの矛先を本件脚本家“だけ”に向けていたことは、間違いだった。
SNSで本件脚本家を擁護する声が、実はそれほど理不尽なものでもないことにも気づいてしまった。
つらい。
「セクシー田中さん」の原作者が亡くなられたことに関して強い言葉で色々発言しはてなでも大絶賛されていた漫画家さんについて。
男性ボーカルグループのイラストを2次元イラストにするプロジェクトに参加しグループの一人のイラストを担当していたのだが、その際のインタビューの内容がこれだった。
----
私は、2次元は3次元に絶対「負けちゃならねえ」と思ってるんです。どんなにファンの方に「顔が違う」「実際はこんなことしない」などと言われても、やっぱり「◯◯(漫画家の名前)が描いた方がカッコいい」って言われないと、それは負けだと思ってる。3次元は良きライバルだし、そういう点では今回のイラストもある意味“リスペクト禁止”と思ってやりました。
----
リスペクト禁止、と仰る。他にも、そのメンバーが普段やらないポーズを取らせたとも言っている。
顔も特徴を掴んでいないし、服もポーズもそのメンバーとはかけ離れている。
そのメンバーのファンからは「何故その漫画家に描かせたのか」と不満の声が上がっていた。
あれだけドラマ化アニメ化に関して漫画家が尊重されていない、と批判していたのに、リスペクト禁止で描いたと自分で言っている。自分のほうがかっこよく出来る!と言いたいがために。
ドラマにせよイラスト化にせよ、やはり二次創作する側としては好きなようにやりたいものだし、原作への配慮より自分の表現が大事!になるものなのだろう、と脚本家たちが設定改変をやりたがる理由は納得できた。
(勿論、原作側が許容してるかどうかが大切で、今回のイラスト化に関しては所属事務所が受け入れているからそこは問題ない。ファンには評判がよろしくないようだが。
原作者「これだけ加筆したんだから8話脚本としてクレジット入れて」(各種修正以外に追加エピソード複数加筆)
原作者「仕方ないからそこは折れるけど9、10話はまじめにやってね」
脚本家「9、10話脚本クレジット入れなきゃ差し止める」(一切書いてない)
日テレ「最終話オールスタッフクレジットの先頭に入れます原作者よりも大きい扱いにします」
どうしてこんな異常すぎる力関係に
脚本家→日テレルートで小学館に「あのブログは相沢への攻撃だ、削除させないと法的措置を取る」と法的脅迫してきたのかなと思ってたけど日テレの報告書を見ると脚本家が弁護士立てて芦原さんに直接攻撃してきた可能性も考えないといけない気がしてきた
原作者は鬼介入したうえで、”脚本家の手柄にされるのが納得がいかない”旨の発言があるな(日テレ報告書)
手柄にされるのが気に食わないほどの評判があったってことだから、出来上がりに一定の満足はしていたんだろう
①8~10話のやりとり ②クレジット問題 ③脚本家SNSの問題
日テレと違って、ここの部分に関して雄弁に記載していないところが、小学館の報告書はズルい
恐らく、意図的に端折ってるんだろうけど
で、こっからは邪推なんだが、原作者がすべて介入した8~10話の受けが意外と悪く
くだんの脚本家SNSへの同情とか”それで後半はチグハグだったんですね(意訳)"みたいな意見を耳にしてしまって
自分のこだわりが、チームの作品を汚してしまったって考えから思いつめちゃったんじゃないかなあ
セクシー田中さん 原作 until:2023-11-30 - 検索 / X
セクシー田中さんの原作読んでたらドラマ化に関する作者コメントで細かくチェックして直しを入れてもらっていると書いてあったから期待してみたらマジでほぼほぼ原作通りで本当にすごかったしよかった。お忙しい中なんだろうけど本当にありがとうという気持ち— きんにくみん (@mojitoka_kakuwa) November 13, 2023
セクシー田中さんは明日見よう!!原作も全部読んじゃったんだけど、ドラマの作りのうまさに感動する…!— ひふみ (@hifuu123) November 19, 2023
セクシー田中さん見た!原作はそのままに役者が過剰になりすぎずに演じてくれてるからしっかりと受け止められる。そして泣く。特に小西役の前田さんすごすぎません……??こんなのみんな恋に落ちちゃうよ。毎熊さんのダラブッカ演奏も一本調子なリズムと表情が良かったしほんとに最高。今期1好き。— サクラ (@same_to_otenki) November 27, 2023
セクシー田中さん、原作の好きなところ全部ちゃんと入ってて楽しんでるけど、愛子先生役できる俳優さまいる?愛子先生のとこまでやらないのか?てハラハラしてたけど、いた!!!!!!!て気持ち……たのしみ〜〜〜〜— ミナップ (@minap) November 11, 2023
セクシー田中さん、原作ではわりとバラつきあるキャラの出番を原作を変えない程度に話変えたり組み替えたりして、うまく全員が出る仕組みになってる。特に固定ファンが多い壱馬さんの配置も上手い。脚本家誰かと思ったら、ミステリと言う勿れとかさんかく窓の人‼️ああ~納得︎︎— byngc224 (@byNGC224) November 13, 2023
それは今回の問題点を、ドラマ制作サイドの意図が原作者に充分伝わっていなかった、つまり「説明不足」に求めているところ。
本打ちメンバーが当該原作の設定を変えようと試みたことには、それ相応の議論と積極的な理由があった。しかしながら、本件原作者の上記返信内容をみる限り、本打ちメンバーで議論した内容・意図が十分伝わっているとは思えない状況であったことがうかがえる。
いや、そうじゃないんだよ。原作が何を大切にしているかプロデューサーや脚本家を含めた制作サイドがまったく理解していない改変を繰り返すことが原因なんだよ。だから原作者が誤っている箇所とその理由を事細かに指摘し、それを繰り返しても一向に直ならない状況に絶望し、心身を疲弊させていく羽目になったんだよ。
以下なんてまさにその無理解を露呈してるよね。
原作では朱里が短大に進学した設定があるが、本打ちでは、同設定に関して、「短大に進学するよりも専門学校に進学する方が近時の10代、20代としてはリアリティがあるのではないか」、(短大進学の原因となっている)「父親のリストラはドラマとしては重すぎるのではないか」等の議論を経て、高校受験の際に、父親が勤める会社が不景気になり、母親から「高校は公立でいいんじゃない?」と言われて本当は友達と一緒に制服がかわいい私立校に行きたかったけど、「うん、そうだね」と笑って受け入れたという設定に変更する旨のプロット案を送信した。(中略)上記プロット案に対する本件原作者の返事として、かわいい制服の私立高校に行けなくなったことなどは「心底どうでもいい」ことである、原作のジェンダー要素も逃げずに書いて欲しい、制作サイドは短大での設定を避けているのか?といった趣旨の記載がなされた文章が送信された。
日テレの報告書は、調査にあたった外部有識者(弁護士)が、本件以外取引がなく、独立性・中立性が担保されているとわざわざ冒頭に記しているが、上記を見れば外部有識者が日テレの側に立っていることは明らかだ。日テレも外部有識者もこれで騙くらかせると思ったんだろうか。舐めすぎじゃないかね。
再発防止策を本気で練るなら以下以外にありえない。
日テレ側は当初(3月9日あるいは29日打ち合わせ)で「本件原作者の意見を無視するような改変はしない、リスペクトをもって取り組むという趣旨の話をした」と日テレ報告書にあるが、それがなかったのは上記からも明らかである。
リスペクトとは何か。それは原作が、畢竟原作者がその作品で大事にしていることを同じように大事にするということであろう。
原作者は一切の改変を許さないというスタンスではなく、むしろ当初は上手く料理されることを願っていた節さえある。
芦原氏は、監修者として漫画とドラマは媒体が違うので、ドラマ用に上手にアレンジするのがベストであることは理解している。全てお任せして「ああなるほどそうくるのか!面白い!」と思える脚本が読めるなら、一番良いが、「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」がされるなら、しっかり、原作通りの物を作ってほしい。脚本で 100 点を目指すのはもう無理だと思うので、演技や演出力で、なんとか80~90点に、引き上げて欲しい。ベストは無理だと判断したので、限りなく全力でベターを目指して欲しい。と一層の努力を求め、原作者として「作品の根底に流れる大切なテーマを汲み取れない様な、キャラを破綻させる様な、安易な改変」は、作家を傷つけることをしっかり自覚して欲しいと要請しつつ、役者スタッフ等多数人の労苦に感謝しており、「闇雲に原作を変えるな!と主張しているわけではなく、よりよいドラマになるように、自分を守るために、現段階でできるベストを尽くしているつもり」と結んで本件脚本家の理解を期待した。
上記は小学館側の記載だが、原作者の当初の期待とそれが失われていった様を如実に表した一文であろう。
両報告書を読んで最も強く感じたのは原作者の孤独と絶望である。原作者は小学館を間に挟んでドラマ制作サイドと戦っている感覚だったのではなかろうか。
本来なら原作者と同じスタンスで原作によりそい、ともにドラマを作り上げていく仲間であるはずの制作サイドが敵となってしまったのは、本事件における最大の不幸である。
なぜそんな不幸が生まれたのか、制作サイドが真剣に反省し再発防止策を明文化し、プロデューサーからADに至るまでそれを徹底的に学び、実行しなければこの悲劇は繰り返される。
のではあるが…
●今回のことを受けて
・これで怖がっちゃいけない。安全にドラマを作る方法なんてない。それはみんな意見が違うし考え方が違う。その中で人間の生き方みたいなものを提示していかなければいけない。意見の食い違いもケンカもいろんなことがあって、プロデューサーが代表して、こういうドラマを世に問うんだと原作者、脚本家をまとめやっていかなきゃいけない。それを怖がっていたら面白いモノが出来なくなってしまう。そういう危険は今後もはらんでいるだろうけれども、だからこそ話し合ってコミュニケーションをとってやっていくしかない。
・放送局としてはまず第一に社員を守ることが仕事。社員を守るために早く結論を出すとか、その原作に係るトラブルの際に早く赤信号みたいなものをキャッチし、社員ができるだけクリエイティブに物を作る環境を整えるのが会社の仕事。
・若手プロデューサーの起用については、(トラブルになりやすいというのは)正直言ってあるとは思うが、それを恐れていたら駄目。失敗しないと学ばないからこそ、失敗してもフォローが出来る体制を作っていく方が大事。
見どころはココだろ
社員 A は、芦原氏が自分の作品を大切にする方であり、作品の世界観を守るために細かな指示をする所謂「難しい作家」であるから、原作に忠実で原作を大事にする脚本家でないと難しいと伝えた。
テレビ局は視聴率のため、スポンサー集め(金集め)のために働いている(最近は動画配信で儲けるためにも)
出版社も本を売るために働いている
一方原作者は金儲けとは少し違う論理で働いている(可能性がある)
原作をしっかり守ることが最優先事項になるのは基本原作者だけだ
その最優先事項を守るために一切折れない"厄介な"原作者の場合、原作が守られなかったら企画が流れても良いと考えるかもしれない
ちなみにドラマ視聴者も別に原作に忠実かどうかなんてあまり興味はない
ワンピースやドラゴンボールみたいに国民的漫画なら話は別だが、国民的漫画でなければ原作を知らない人のほうが多いから
ビジネスを進める人たちからしたらそんな金にもならないことで金になる仕事を潰そうとしてくるのだから厄介者扱いされるのは当然だ
脚本家だって芸術家気質で言うこと聞かないことだってあるじゃないかと思うだろう
仮に脚本家が芸術家気質でもドラマを作り上げたいという目的は共有できていてテレビ局と出版社と同じ方向を向いている
たとえ原作者と同じめんどくさい芸術家気質の人間でもそこに差が生まれる
そうなるとテレビ局や出版社もやめたがる原作者より落としどころを見つけようとする脚本家の方を味方だと認識する
結局原作者だけが金儲けやドラマ作りより優先したいものを持っており、それを目的としているからドラマ制作関係者たちから煙たがられる存在になってしまうのだと思う
個人的には好きなことだけやれる同人的な世界から資本主義化された出版業界に飛び込んだのは原作者自身なのだから(そしてそのおかげで金儲けもできているのだから)、金儲けを第一に考えて漫画家も働けば良いんじゃないのとは思ってしまう
9話の脚本は5稿まで書いていて、脚本家はその際のアイディアが使われていると主張してます。
実際どうなのかは然るべき場で係争する事案でしょう。少なくとも一方が判定するようなことではない。
少なくとも5稿まで書いた事実は両社の報告書で明記されてますし、その労働の対価としてクレジットすることは何も不自然ではない。(実際脚本料は日テレは支払っている)
脚本家の主張としてはそうですね。
まず結論を書いておく。
「電話で社外の人と合意を取り付けたら、合意内容を、関係者をccに入れて相手にメールしろ」
言いたいのは、それだけだ。(当然だと思った人もいるだろう)
以下、具体的な状況を見ていく。
ドラマ「セクシー田中さん」の製作過程で問題が生じた大きな原因が、原作者が求めた条件「(ドラマオリジナルとなる終盤では)原作者があらすじからセリフまで用意する」「用意したものは原則変更しない」「場合によっては、原作者が脚本を執筆する可能性もある」が十分に履行されなかったことなのは、衆目の一致するところだろう。
日テレ報告書では、この条件について、「許諾の条件として伝えられていたとの事実は確認できなかった」としている。つまり、「言った言わない」論争が発生している。
この"条件"を主導したのが、小学館の社員B氏である(小学館報告書での呼称。以下同じ)。B氏は、映像化関連の部署に所属している。この部署が長いのか、日テレX氏(担当者Y氏の上司)とも8年程度の面識があった。
そこで4月25日、社員Bは、小学館社内で芦原氏に面談し、ドラマオリジナル部分についてはできるだけセリフを多く入れたロングプロットを書いてそれを脚本家に脚本化してもらうこと、それでもうまく脚本にできない場合はご自分で書く場合もあるが良いかと尋ね、その覚悟があることを確認した。社員Bが、できるだけキャラクターのセリフを多めに書くことで、脚本家が芦原氏のつくるキャラクターのセリフを替えることができなくなると説明したところ、同氏はすぐに理解した。
そして、B氏は、日テレX氏にこれを伝える。
社員Bは(6月)9日、日本テレビ社員X氏に電話で改めて、ドラマのオリジナル部分は芦原氏が詳細プロットを書き、これを受けて脚本家が起こした脚本を了承しない場合は脚本を自ら書く方法を提案し、脚本家に失礼にならないよう了承を取ることを求めた。
これに対して日本テレビ社員 X 氏は、芦原氏に書いてもらうことはありがたいと賛同し、脚本家にもうまく話しておくと回答した。
なお日本テレビ社員 X 氏は、「もし脚本が芦原先生の意図を十分汲まず、芦原先生の承諾を得られないときは、芦原先生に脚本も書いてもらうこともある」と言われた記憶はないと否定している
おそらく、日テレ側は「脚本」「詳細プロット」という言葉を、提供されるフォーマットについての言葉として理解しており、原作者やB氏の意図する「原則変更しない」という意図では捉えていない。
実際、この後の日テレ担当Y氏のメールでは「具体的に頂けるほうが良いと思います」と言っており、「詳細プロットや脚本=具体的な表現方法での提示」として捉えている。さらに続けて、「こちらからもそのご提案を受けて、案だしもさせて頂ければと思います」と「原則変更しない」を認識していない発言を続けている。
(なお、このメールを受けた小学館の担当者A氏も、「案だし」を咎めず、また、自分のメールでも「脚本もしくは詳細プロットの体裁でご提案」とフォーマットとして書いているので、同じ捉え方をしていた可能性がある)
ここから伺えるのは、小学館B氏が日テレX氏に電話で伝えた意図が日テレ側に正しく伝わらなかったこと(もしかすると、小学館A氏にも伝わっていない)。
そして、その連絡が、2人の電話でしかないため、2人の記憶違いが生じたら、どうしようもなくなることである。
もし、B氏が電話で合意した(と認識していた)内容を、A氏をCCに入れて日テレ側にメールしていれば、「原則変更しない」という点についての双方の認識の齟齬にもっと早く気づけ、悲劇は防げたのではないだろうか。
もちろん、他にも多くの問題点はあったし、日テレ側にも問題もあった。しかし、一番の問題点として感じたのは、肝心の所で、「言った言わない」が生じていることであり、その原因となったのはB氏の仕事の仕方である。
なお、社員Bが電話ですべてを終わらせていた問題については、小学館の報告書にも書かれている。
しかし、同報告書は「日本テレビ側が原作者の意向を代弁した小学館の依頼を素直に受け入れなかったことが第一の問題」と主張するために書かれており、小学館側のコミュニケーションの問題とはしていないことから、論点をずらしている。
社員Bは大抵、日本テレビ社員X氏と電話で交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。本委員会において認定根拠としえたのは、社員AへのLINEメッセージである。日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。 しかし交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。
多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。
しかし、小学館の社員A氏(芦原氏の担当編集者)の立場からすると、他部門の管理職(と思われる)B氏が、頭越しに漫画家に進め方を提案し、テレビ局とも勝手に交渉し、口頭でしか共有してくれない…なんて、たまったもんじゃないよな…。