はてなキーワード: 社畜とは
あぁ、まただ。
休日だというのに問答無用で社長がSlackで仕事を頼んでくる。
弊社は社員10人程度の小さなITベンチャー、すでに億単位の資金調達をすませて上場を目指している。
大手企業で働いていた私はこの会社への転職によって年収が500万下がったが、
ストックオプションによって莫大な富を得ることを期待して転職してきた。
しかし、時がたつにつれてそういうモチベーションは薄まってしまった。
一方で社長は前々から「経営者のつもりで働いてほしい」とみんなにしきりに話している。
経営者のつもりで働いてほしいなら株をよこせ。
あなたは自分が大株主だから、24時間365日仕事をしたくなるのは当然でしょ。
会社が成功すれば自分やVCどもに莫大なリターンが入るんだから。
ベンチャーだからと安い給料で働かされ、生株は当然のように全く分けてもらえない。
ストックオプションを配ると話しているが、まだ誰ももらってない。
ってかそれ以前に最終面接で、社長が持っている生株を少し分けてくれるって話してくれたよね。
なのになんだこれwww
こんな状況でも、経営者のつもりになって働けって?
生株もストックオプションも渡さずに、いいように安い給料でこきつかってるだけでしょ。
なんて都合の良い話なんだ。
ベンチャーだからこれが当たり前って社長は思ってるのかもしれないけど、
その話が通用するのは生株やある程度の量のストックオプションをもっている幹部や、
上場準備を始めてたりして上場の可能性が高い会社でのメンバーに限ってだと思う。
よくもそんなことが言えたもんだ。
あんたらの会社の社員をあんたらに都合がよい社畜にしないように強く要望する。
もし社員に経営者のつもりで働いてほしいなら、それに見合うもの(株なのか給料なのか何なのかは考えてほしいが)、
社員にはきちんと差し出すべきだ。それがなければ、私は現在の報酬に見合う仕事しかしない。土日に仕事なんてまっぴらだ。
逆にそれに見合うなにかをもらえるなら、私は24時間365日仕事をし、よき社畜となろう。
ちなみに私は平日は仕事をさっさときりあげ、平日の夜は土日は着々と転職の準備を進めている。
搾取子、フリーター、都合のいい女、ブラック社畜、飼い殺し派遣を経て
私はただ運が良かった。
それはもうありがたいし嬉しいのだけど
ボーナスもなく働いてきた今までなんだったのだろうと、悔しく虚しい気持ちにもなります。
私はもう子供も望めない年齢なので、彼に結婚を提案する勇気はありません。
このまま流れに身を任せたらきっと私は、兄弟の中でもそういう役回りなので
両親の介護を引き受けて、時間もお金も気持ちの余裕も失って彼とも別れ
いつか介護が終わったら、私自身は誰にも介護される事なく世の中を憎みながら一人で死ぬでしょう。
老後の為に貯金したいけど、いくらあっても安心できるとは思えませんし
ここから貯金すごく頑張っても、もし自立できない状態で長生きしてしまったら…
学畜(ガリ勉)やガリ勤(社畜)のような「苦痛を生きがいにする」いわゆる「マゾヒスト系」って、RPGの「アンデッド・モンスター」みたいなものなので、彼らには「いじめ」「搾取」って、攻撃魔法が一切効かない。
ホテルはキャンセルできるから飛行機代だけなんだけど、飛行機はホテルと一緒にキャンセルしても変わらないから少し考えます。
行き先を変えて旅行しようかなと思ってるよ。仕事結構無理な時期に休み取ったんで、あとは日程を変えようかとも。
モラトリアムという言葉がある。若気の至りで職につかず、フリーターや学生、旅行者として自由を満喫する期間とでも訳せばいいのだろうか。
この言葉は仕事での成功や結婚、育児などそのあとの生活があることを前提とした言葉だと思う。いわゆる大人としての生活だ。
仕事での成功は大学入学時点で90%くらい決まってる気がするし、次世代に負担を残し続けがちな人間という生き物による社会に我が子を残すのは忍びない。
また、日本では出稼ぎ外国人や社畜らがコンビニを始めとした各職場で奴隷ともとれる労働力を提供してくれているので、恵まれた、次世代を残すべきような教育を受けてきた20代の間では結婚しなくても幸せな社会という雰囲気ができつつある。特に女性を中心に。
「故人サイト」という本がある。
慣れ親しんだブログやサイトが突然更新されなくなっても、多くの場合は理由など分からないが、その本に出てくるサイトは、タイトル通り、管理人の死去によって「故人サイト」になったものばかりである。
例えば主が病没した場合も家族などがその旨を報告すれば、読者は悲しいけれどブログ主との別れを受容することになる。
刑事事件や不慮の事故、海外旅行先の病気などで命を落とされても、報道された人物と、ブログに綴られた情報とのシンクロに誰かが気づくことによって、多くの読者がブログ終焉の理由を知るに至るケースもある。
まさか、私が最も長い期間読んでいたブログが、これ以上ない衝撃的な形で、NHKのトップニュースになるような(6/26朝)経緯で、「故人サイト」の仲間入りをしてしまうなんて。
6月25日朝7時、いつものように「Hagex-day.Info」をチェック。更新されていない。予約投稿であろう「本日の一曲」もない。
いつだったか、数日単位で更新がなかったときは、「Hagexを心配する人の声まとめ」みたいなのもできる位マメに、精力的に更新されていたブログなのだが、朝イチでは更新されていないことは時にあるので、この時点ではいつもの朝だった。
25日の朝9時前、Twitterのトレンドに「hagex」を発見し、「へ~、何で?」と見に行ってみたら、とても信じられない、悪夢のような文字が。字は読める、意味は分かるのだが頭が理解しなかった。
確かに、地元の福岡で24日夜に勉強会をする旨を彼は告知していたが、まさか。
Twitterで「この被害者はHagexさんでは」という書き込みを読み進め、「福岡でセミナー講師が刺された」「講師とはHagexさんだったらしい」ということは飲み込めたが、「刺殺」ってなんだ。もう生きてないのか、死んじゃったのか。
どうしても飲み込めなかった。とてもじゃないが咀嚼できる情報じゃなかった。
刺された人がいたとしても、「人違いでした」というオチが絶対にあると思っていた(”ロング・グッドバイ”みたいに、仕組まれた替え玉じゃないか…と。代わりに死ぬ人がいなければ成立しない、酷い願望なのに本気で考えた)。
タブレットに表示されたHagexさんのお顔、お名前、知りたくなかった。知る必要なんてなかった。Hagexさんが自ら開示されるならともかく、いったい誰が、こんな形で彼の素顔を知りたいと考えるだろうか。
25日は他の事が手につかなかった。たまたま仕事を休んでいたのは幸いだった。26日の朝も、目覚めてすぐに「あれは夢だったのでは?」と思った。
夢ではなかった。
私が読み始めたのはいつ頃だっけ?と、記憶に残る最も古い記事を検索してみたら05年のこれ。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/20050813/p1
この少し前から読み始めていると思うので、約14年間の「Hagex-day.Info」の歴史のうち、約13年間、ほぼ毎日読み続けていたことになる。
その頃よく発言小町を読んでいたのだけど、Hagexさんやトピシュさんの言うところの「もやもや」を抱くことが多い。
「いや、これ創作でしょ」「これ、トピ主が変でしょ」等々、突っ込みを入れて楽しみたかった私が見つけたのが「Hagex-day.Info」だったのだ。
その他、発言小町のまとめサイトも複数あったのだけど、小町の運営会社から抗議があったらしく、ある時期に全てなくなってしまった。
Hagexさんも、「小町の運営会社からはてなに削除依頼があったが、削除依頼があってもきちんとユーザーサイドの意見を聞いてくれるのは大変嬉しかった。」と仰っていた。
その後、ブログで批判したサイトの運営会社から「名誉毀損、信用毀損」を理由に削除要請があった際も、即削除することなく、ユーザーの意見を聞いてくれたはてなに対し、「ユーザーに対して誠実な対応をしてくれた、はてなに感謝!」と綴られている。
それらを読んでいたので、私も「はてな」には良い印象を持っていた。
Hagexさんのブログ、ごく初期は普通の日記、その後は発言小町からの抜粋、発言小町からの転載が禁じられて以降は2ちゃんねるからのコピペが多くの割合を占める。
事件で初めてHagexさんのブログを訪れた人は、「ただのまとめサイト管理人じゃん。何を騒ぐことがあるのか」と思ったりするのだろうか。
そういう方(はてなにそんな人はいないか…)は、是非右側の「人気記事」に並ぶエントリーをクリックしてほしい。特に「Facebookはバカばかり」とか。
私は、2ちゃんからの転載も別に嫌いじゃないし、読み物として読んでいた。面白いと思ったものはブックマークもした。
しばらくの間は、「Hagexさんは、時折投入する渾身のエントリーをより多くの人に読んでもらうために、せっせとまとめサイト的な投稿をしてるのだろう」と思っていたのだけど、「三度の飯よりインターネットが大好き」な彼は、まとめ的投稿も結構楽しんでいるのだろう、と考えるようになった。
でも、Hagexさんの真骨頂は、やはり時折アップされる舌鋒鋭いネット批評。
Hagexさんのお蔭で、仕事と子育てに追われる私も、「デマは怖い。デマは、面倒でも火消ししなければすぐに広がってしまう」とか、「これ、掘って行ったらココと繋がるのか。やばいよね」等、ネットと、それに連なる世間の怖さを垣間見ることができた気がする。
あるいは、TwitterでRTされてきて、「何これ、こんな安い話によく食いつくよね」と鼻白む思いで見たサイトが、Hagexさんによってコテンパンに貶されているのを読んでスッキリしたり。
「“落としどころ”なんて言葉はオレの辞書にはない」と言わんばかりの、どこまでもしつこく、容赦ない筆致に、「これ、食いつかれたら大変だわ…」と嘆息することもしばしばだった。
一方、Hagexさんの映画や音楽評は実にユーモラスで、「観て(聴いて)みようかな」と思わせるものだった。Hagexさんのエントリーが切っ掛けで観た映画は少なくない。
その中でも最も素晴らしく、紹介してくれたHagexさんに感謝しているのは「ザ・フォール 落下の王国」である。
ハゲ子の社畜ぶりを自嘲するエントリーや最近飼い始めた「猫先生」を含む、Hagexさんの身辺雑記も楽しかった。
そういえば、「古本屋さんで買った本にかなり昔の写真が入っていた。アップしたら持ち主が見つかるかな?」というエントリーを写真とともにアップされていたこともあった。「写真、アップしちゃって大丈夫?」と思う一方、「Hagexさんロマンチストなのかな」と微笑ましく感じたエピソードだった。
Hagexさんは福岡出身で、貶しながらもこよなく故郷と博多弁を愛していること、タバコが大嫌いなこと、小児を性の対象にする行為を断じて許さないこと(当たり前の事ではあるけど、これに関しては殊に強いHagexさんの意思を感じた。)など、ブログを通じてHagexさんの人となりが、断片的にだけど見えてきたような気もしていた。
そんなHagexさんが、故郷で開催する初めての勉強会、その終了直後に問答無用で殺されてしまうなんて。
あれほどネット上の戦いに精通し、危機管理に自信を持っていたように見えた彼が、理不尽な暴力の前にはあまりにも無力だった(というか、誰だって無力だ)。
Hagexさんは、容疑者とされる人物が、自分と同郷だということを知っていたのだろうか。
酷すぎて、酷すぎて。
使い古された言葉だけど、これまでの人生で使う機会もなかった言葉だけど、「神も仏もないものか」という叫びが、私の中で暴れ続けている。
心中で叫ぶだけでは、やりきれなくて辛いので、心の赴くままにだらだらと綴ったのがこのエントリーです。
東京で行われた一回目の勉強会、結構本気で行きたかったのだが、幼い子を持つ身なので諦めていた。「これから勉強会を定例化するのであれば、いつか行く機会もあるだろう」と思っていたが、その機会はもう訪れない。私はHagexさんに会えない。
「落下の王国、素晴らしくてソフトも買っちゃいました!」と、なぜコメントを入れなかったのか。
明日も明後日も、ずっと続くはずの日常は、いとも簡単に、あっけなく断ち切られるものでもある。その理不尽さに、恥ずかしながらこの歳になって初めて接した気がする。
十数年の間、ブログへのアクセスが毎朝の日課だったので、今朝もついアクセスしてしまった。「注目記事」のトップにある記事のタイトルにまた悲しい気持ちになる。
「お前は一体彼の何だからこんなに湿っぽい記事をアップするのだ」と問われれば、「スミマセン、コメントも1~2度つけただけの一読者です」としか言えないのだけど、「それなのに、どうしてこんなに辛いのかな、悲しいのかな。」と自問自答しながら、べそべそと泣きながら、Hagexさんにこの駄文を捧げます。
日常どころか人生を、あっという間に断ち切られてしまったHagexさんはどれほど無念だろう。「安らかに」なんて白々しく言える心境じゃない…と思いつつも、それでもHagexさんの眠りが安らかであることを祈らずにはいられない。
「長い間、本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください」