はてなキーワード: 正論とは
これらの不満は全て正論で、特にオーサー云々と、飲み会での発言は処分を喰らう可能性があってもおかしくないとは思いますが、
その他については同業からすると同情してしまいますね(念のため言いいますが、同情しているだけで正しいとは全く思っていないです)。
まあ、冒頭に自分で書いてるけど、金集めるので精一杯なんですよ、ここはお金あるほうだと思いますよ。ないところはもっと悲惨。
ちなみに教授が有名すぎる研究室はやめとけってのは同意です。そういうところは、先生が研究はできるけどマネジメントがダメなケースが多いので。
皆様は @mt25pot というTwitterアカウントをご存知だろうか?
現在は「 🙃@飲みサー画像売って下さい」というハンドルネームで運営しているこのアカウント、アカウントの名前通り飲みサー画像の”買い取り”をしている人である。
私が彼に初めて遭遇したのは昨年(2018年)の夏〜秋頃、丁度彼が飲みサー画像を買い取り始めた頃である。
当時より彼は「SEX経験者」に対する糾弾と「陽キャの異常性」について熱く語っていたことを鮮明に覚えている。
彼の実態についてはTwitterアカウント (https://twitter.com/mt25pot) を参照するのが最も早いだろう。
彼の呟きの数々は不思議と人を寄せ付ける魅力がある。かく言う私も彼に魅せられし者の一人なのだ。
では、本題に移ろう。
「ブロックチェーン」と「ビットコイン」というバズワードからこの記事を見に来た方々、何やねんコレは?と思わず是非最後までご覧頂きたい。ここからが本質である。
ブロックチェーンやビットコイン(ブロックチェーンはビットコインの中核をなす技術である)について詳しくない読者の方々(@mt25pot氏のファン層)に向けて説明すると、
ビットコインが生まれた動機とは『権威からの解放』である。かのビットコインが初め発展途上国を中心に流行りはじめたのも『自分たちの国の指導者が信頼できない』からである。
『権威が信頼出来ない』から『集権的な信頼を必要としない分散型システムによる統治』を望んだのであり、それを実現したのがビットコインだったのだ。
では @mt25pot 氏が飲みサー画像を集めたキッカケは何か。それについては彼の note によるとこう述べられている。
> 最初のキッカケとしては、どうしても抑えられない負の感情を抑える事が主目的。更に結果として、嫉妬や嫌悪感がズバズバとエロに変換されてった興奮を覚えている
(引用元:https://note.mu/mt25pot/n/nd179303f789e)
負の感情=陽キャさん達に対する不信感が飲みサー画像の公開要求に繋がったと言い換えてもよいだろう。
彼の中でこの負の感情を性欲変換するプロセスの発現はまさにパラダイム・シフトであったに違いない。
これはビットコインが生まれた理由である『社会的強者への不信感』が『透明性の高い分散型システム』を生み出したパラダイム・シフトと完全に一致する。
ビットコインは『相互監視による透明で匿名なトラストレスな社会』を実現させた。彼らは通貨の交換、取引の履歴を全て『公開』することで高い信頼性と公共性を実現したのだ。
一方で @mt25pot 氏の『透明性』についての主張は非常にこれにシンパシーを感じる。例えば以下の主張を見てみよう。
「今回の住友商事の一連騒動で、”より一層”飲みサー及びそれに準ずる行為集団は、イカれた日常を公開(最低でも欲しがる人に提供)すべきというワレの主張の『正論レベル』が上がった件。どこまで極まってしまうのか……」
(引用元:https://twitter.com/mt25pot/status/1110882509359902720)
A.普段全くリア垢を稼働させてない飲みサー所属の女さんが、嵐解散に関するツイートをわざわざ行ってる光景。滅茶苦茶モヤモヤする。
嵐解散に関する貴女の一感想なんかより、貴女が歩んでる異次元人生を世に公開していくべきじゃん………」
(引用元:https://twitter.com/mt25pot/status/1090587050779103232)
「陽キャさんのクソな所
・異性への肩組み・握手はボディータッチに含まれないwと思ってる
・イカた日常の数々を隠しに隠した上で、のうのうと生きてる(⇦犯罪者と同じ)
・そして綺麗事を連発する
・私生活と仕事での顔を分けれてる事を『素晴らしい事』だと思ってる
(引用元:https://twitter.com/mt25pot/status/1110118424217174016)
一見ネタ(明確な笑いどころを作っている)かのようにも見えるこの一連のツイートにはそれ以上に確かな彼の主義主張を含んでいることが分かる。
特に最後の「イカれた日常の数々を隠しに隠した上で、のうのうと生きてる(⇦犯罪者と同じ)」「そして綺麗事を連発する」は政府への不信感を爆発させてビットコインの初出論文を匿名で公開すること至った「Satoshi Nakamoto」の思想そのものと言えよう。
政治的な『裏の根回し』『賄賂』『利権』などのイカれた汚行を隠した上で、のうのうと『国民のため』と綺麗事を連発する現代国家に対する憂いと同値なのだ。
そして、それを解決するための策としてビットコインは全ての取引を全世界の誰もが監視できるシステムを作り上げた。
無論、そこにはプライバシーが存在する。故にビットコインでは匿名のアドレスを用いて取引を行っている。本人とこのアドレスを紐付けなければプライバシーは保たれると言ってもよいだろう。
しかし、そこに『本人であることの信頼』が必要とされた時はどうするか。
ブロックチェーン技術の応用先として金融機関のKYC(顧客の身元確認を行う仕組み)があげられているが、その実現には『本人』と『匿名のアドレス』の紐づけが不可欠である。
つまり、『社会的信頼を得る』には『常にオープンな取引を強制させられる』社会の実現こそが彼らの真の目的といえよう。
そう、これは @mt25pot 氏が提唱する『社会的強者である陽キャさん達』は『己のイカれた日常を全公開しろ』という主張と完全に一致する。
人類の平等を求める行為は人類に進化をもたらすために存在する個体差という矛盾との戦いだ。
だが、この矛盾に真っ向から立ち向かい解決する主張こそが @mt25pot 氏の主張でありブロックチェーンを用いて実現しようとしている社会なのだ。
最後に我々が目指すべき社会は何かについて述べよう。といっても “あたりまえ” のことを今から書くだけだが…。
社会的成功とプライバシーはトレードオフになるべきであり、これこそが陽キャへの抑止力にもなる。これが原則である。
“仮に” 陰キャである我々の『シコって寝る』日常を公開したところで何のデメリットにもならない。故にこの原則が試行されたとしても困らないのだ。
彼らが己のイカれた日常を隠しておきながら表立ってのうのうと意見を言っていることにこそが社会の理不尽/不条理の顕現なのだ。
それらを解決する技術の一つとして我々はブロックチェーンを提唱する。
『中央集権的第三者の信頼に頼らず』『公開された情報を相互監視することで』『在るべき社会』を実現することが可能になる。
技術の発展は常に人類の在り方を変え続けた。新たなるパラダイム・シフトは陰陽の概念そのものを破壊することを願う。私からは以上である。
P.S これを見て少しでも “理解” していただいた飲み会画像保持者は @mt25pot までご連絡いただければ幸いです。
卓球はそれでいいのかもしれないけど、
マスメディアのワイドショーやその司会連中がそれだとまずいのではないかな
電気グルーヴについては、石野卓球さんが某漫画家のことをTwitterで「阪急無礼ブス」と言ったということぐらいしか知らないんだけど、その騒動の時は、「卓球はそういうやつなんだからしょうがない」という意見が電気グルーヴファンの間では多かったように見えた。
それなのに現在、バイキングでの坂上忍さんや出演者の発言を正論で批判している人を多く見かける。なぜここで電気グルーヴファンは「ワイドショーだからしょうがない」とか「坂上忍はそういうやつだからしょうがない」とか言わないのか不思議。
電気グルーヴだって「そういうやつなんだから」で許されたんだから、ワイドショーだって坂上忍だって「そういうやつなんだから」で許していこうよ!
「どちらが正しいわけでもなく、別の考え方をしているだけ。相手のような考え方もあって当然」
と捉えられるが、教養がない人は自分の中での正論以外の価値観の存在を知らないため、考え方が食い違った時に絶対に折れることはない。
頭が悪い人の気持ちがわからない程度の人の事を頭がいいと言うのか知識がありすぎて知識のない人のことがわからないという事はその有り余る知識の中にあたまのわるい人のサンプルはないのか知らないけど
あたまがわるくて知恵がないから怒るというところまでの一連の流れに近い位置にいるなら、もっといえばその怒りの結果まで見届けることができる位置にいるならどうしていいのかわからなかったりどうしてなのかを考察できないわけではないから知識は蓄積し解決方法は熟成されていくんじゃないの?
それを理解しようとしていない原因は「妻のあたまがわるい」という評価が結論になって結果から考察し手段を選択し取り組むがなされていない、レッテルはる作業完了したら僕の作業は終わりだと言ってる所なのではないかと感じるんだけど
妻と同じ目線にたって妻の視野から見た世界では障害物がとんでもなく大きく迂回ができずだれかに大声で訴えないとその障害を乗り越えられないと思い込んでいると分かれば迂回路を教えられるんじゃないの?
上から見て左だ左にまわれいいからそこからみえてなくてもこっちからみていればみえるから左に迂回しろいいからだまって考えずにとりあえず従え、といったようなアドバイスが壁しかみえていない妻にとどくと
壁をみつめてるこっちの気持ちもわかれよ人の話をきけよ左とか行けねえんだよだまって助けろ思いやれ、と思ったりしてるかもしれないじゃん?正論述べて正解教えただけで解決しそうかどうか妻視点と視野でみないとわかんないじゃん?
それを対面でおまえがとかこっちがあわせてやるしかとか対処って形で寄り添うことがなければもうだめじゃない?
あたまのいい人ってバカの使い方を知ってるわけじゃなくてバカの思考回路をバーチャルで組み立ててそれになって見てその再現がリアルだからその先を一度ためして先回りして誘導できるところなんじゃないの?
すごいわかる。ネットでは叩かれまくっってた。主に2chや支部。
Pixivから腐女子を隔離しろという主張がまるで正論であるかのように議論され出した時は驚いた。あれ2010年あたり?
今でも「Pixiv 腐女子 隔離」で検索すると出てくるけどそれはごく一部。当時の腐女子叩きの嵐みたいなものは体感してないとわからないと思う。
イラスト晒されたり最低の評価点つけて回ったり、コミケのブースまで来て粘着されたり、あまり活動してなかった自分ですら体験している。
ところが反面、オフ会などリアルで会う美少女アニメ好きな男オタクの方々は腐女子だからと見下すようなことは絶対になかった。今でも「クソフェミ」などとはリアルではもちろんSNSであっても絶対言わないし、碧志摩メグの時も「あの乳袋で自治体公認キャラはちょっと」のうりんの時は「よりによってなぜあのポーズ、あの表情をポスターにしちゃったのか」と(規制への危機感は別にして)何が問題がきちんと理解してた。ネットやSNSで女性やフェミニストを叩いている層の言説って実は現実世界ではほとんどお目にかからない。
自分の周囲に限った話なので一般化はできないとわかっているんだけど、こういう経験してるとどうしても、今ネットでフェミや女性を叩いてる男オタクの方々と、昔腐女子叩きしていたネットでしか出会わない男オタとが重なってしまうんだよね。攻撃的な口調で、論破してマウント取りたがる特性も似ている気がしてしまう。
人には悩みの1つや2つあると思う。
私の悩みは「人の名前を覚えられないこと」
何度聞いても覚えられなかったり、1ヶ月以上かかったりすることもあった。
大学時代は3人覚えるのに3ヶ月かかった。(イントネーションが似てた)
「人の名前が覚えられない」という話をすると
決まって「大体そんなもんだ」「俺も覚えられない」と言われた。
でも、その先輩達はすぐに名前を覚えてる。比べると、やっぱり自分はダメだった。
正論や、今まで散々言われてきたアドバイスと同じことを言われたりしてきたけど
結局は違った。
友達に「覚えられないってどの程度なの?」と聞かれた。
程度を聞かれたのは初めてだった。
状況を説明すると、「あー、そんくらい大丈夫だ」と言われたので
「俺は2年一緒に居る人の名前を覚えていない」
そういわれた。確かにそうだった。
「人の名前を覚えるには、会話に何度も名前を挟みましょう。なんども呼びましょう」
そういわれてた。
だから、名前を思い出し、呼び続けなければいけないのかと思ってた。
でも、違った。
少し自分が許されたような気がした。
今後似たように悩みを抱える人がいたら
友達と同じように、状況をしっかり掘り下げて聞いて行きたいと思う。
しっかり知った上で、自分はどんな状況かとか話していきたい。
オタ男全員がそうだとは思わないが、反論してきた増田は少なくともそんな感じはあるね>切り離しをしない
大多数が「あの連中」がやっている事は正しいと思っているからなんだろうか。
あんまりそうは思わないかな。むしろ正しくないことを否定されるのがムカつくというか、お母さんに正論で怒られてふてくされてるみたいに私には感じる。
あとどちらかというと、一般社会におけるヒエラルキーでは最下層にいるストレスの発散というか。「一般社会と隔絶されたオタク社会の中でなら強者としてふるまえるんじゃ」的な幻想に取りつかれてる感じもちょっとするんだよなぁ。
この手の主張をする人って、自分が差別されやすい側にいるのにもかかわらず、なぜか一般社会に存在するヒエラルキーに従順な人が多くて不思議に思ってたのだけど、それって要するに、性差ヒエラルキーの存在を認めないと、オタ社会序列で性差別が出来ないからかなぁとか。まぁ邪推ですが。
ここから更に邪推を重ねるが、そういうタイプのオタ男の中にカーストがあるというか・・・
一般・勝ち組男>一般・負け組男>>>一般・女>|壁|>オタ男>|壁|>>>>>オタ女、みたいな序列が頭にありそうな気がしてる。
一般人男には物理で勝てないと尻尾を丸めちゃってるのかもしれないけど、女全般への呪詛も強かったりするし。
殴れる相手(オタ女)を壁で囲って殴ってる感というか、ミソジニーのうちの何割かは、「女にいじめられた経験」だけじゃなく、優位に立てるはずなのにイマイチ立てないジレンマもあるのかなぁとか。
まとまってなくてすまん。
いやさ、twitterやはてな界隈に限らず、ネット界隈全般って
みたいにとかく切り捨てがちじゃないっすか。
以前は俺もそっち寄りの考えだったんだけどさ、
わりと和やかな職場に上記みたいな態度取るオタク(年上)が一人居るのよ。
そいつは、必然的に俺に瑕疵が在った場合しか接触してこないわけ。
俺が悪いんだということは頭では十二分に理解しているのだけど、
どうしてもそいつの存在そのものが癪に触り、疎ましく感じてくる。
褒めて伸ばしてくれ、なんて甘えたことが言いたいわけではなくて
常日頃、ある程度の適切なコミュニケーションをしておかないと、
指摘・注意される側は、たとえその指摘・注意がぐうの音も出ない正論でも
「普段ろくに口も聞かないくせに、いざ口を開けば
重箱の隅を突くようにこちらの悪い点ばかりあげつらいやがって。」
っていう逆恨みマインドになってしまうんだよな。信頼関係が構築できてないからね。
自戒の念も込めて書き残し。