はてなキーワード: 棋士とは
藤井聡太の圧倒的な才能の前にひれ伏すことになった棋士たちは皆同じ思いを共有する仲間だよ。
真に孤独となるのはこの若さで敵なしになってしまいそうな藤井聡太。
孤独ではなくそれは孤高なのだと言い換えることもできるかもしれないが、孤高の存在もまた辛かろう。
奮起して高からずとも壁となれ。
> しかし、この発言は私にとっては結構な衝撃であった。渡辺明は、羽生の次は藤井の時代だ、自分は時代を作る棋士ではない、そう言ったのである。
> 渡辺明は、本音をはっきりと口にするタイプで、お世辞で人を持ち上げるようなことはしない。
> いいものはいい、ダメなものはダメと、はっきりと言う。
書いている通り元々そういう人でしょ。
豊島程度と一緒にされては困る、谷川くらいの実績はあるみたいな発言してたし、彼の頭脳なら自分がどのポジションにいるかくらい客観的に分析できる。
羽生や藤井は将棋ファン以外に知られているけど渡辺は一般的に知られていない。
街を歩いていれば自分は時代を作る棋士ではないと感じるのは極めて冷静な分析である。
羽生と死闘を繰り広げた谷川の様に、これから時代を作っていく藤井の壁になれるか、単なる通過点で終わってしまうかが彼の存在を左右するだろう。
国語の問題なんだけど、元の増田が渡辺氏について「孤独な戦い」と評したのは、私生活に対してではないだろう。
羽生と、藤井という巨壁の間の世代であること。そして、その世代の筆頭として先輩たちとしのぎを削ってきたこと。同世代に同様の棋士がいないこと。
元増田はこうしたところを「孤独な戦い」と評したのであって、枝増田一行目からの私生活の充実からの批判は、野球で言えばボール球である。
(もちろん、野球においてもボール球が意味を十分に持つように、議論においてもボール球が役に立つことはある。だが今回はすっぽ抜けのような気がするのだ)
豊島氏の位置付けを世代論的に評してこそ、元増田に対するトラバとしての意義が十全に発揮されるのではないだろうか。
これと同じく、三浦九段の将棋ソフト不正使用疑惑騒動にからめた言及も散見されるが、これも元増田の世代論を語る上での趣旨とはやや遊離する。
当然元増田もこれについては書きたいこともあるだろう。ただ、趣旨とは外れる。だから捨象した。
きっと、世代論的な観点に絡めて将棋ソフト不正使用疑惑騒動についてブコメなどで言及できれば、噛み合った議論になるのだろうと思う。
年齢 | 棋士 |
---|---|
50 | 佐藤康光 |
49 | 羽生善治・丸山忠久・郷田真隆 |
48 | 深浦康市 |
47 | 木村一基 |
46 | 三浦弘行 |
45 | |
44 | 久保利明 |
43 | |
42 | |
41 | |
40 | |
39 | |
38 | |
37 | |
36 | 渡辺明 |
35 | |
34 | |
33 | 広瀬章人 |
32 | 佐藤天彦 |
31 | 糸谷哲郎・稲葉陽 |
30 | 豊島将之 |
29 | |
28 | 菅井竜也 |
27 | 永瀬拓矢・斎藤慎太郎・大橋貴洸 |
26 | 千田翔太 |
25 | 佐々木大地・佐々木勇気 |
24 | |
23 | |
22 | |
21 | |
20 | |
19 | |
18 | |
17 | 藤井聡太 |
現在の四強。
タイトル戦もほぼこの四人で回している。
藤井は既に大山康晴・中原誠・羽生善治といった「時代の支配者」の系譜に連なることが確定している感がある。
30代後半から40代前半にかけてが大きく空白になっているあたり、羽生世代による長きに渡る支配の爪痕がうかがえる。
羽生世代に対して孤軍奮闘していた渡辺を筆頭に、現在キャリアのピークを迎えた脂の乗った棋士たち。
天彦・広瀬・糸谷らは「平成のチャイルドブランド」と呼ばれた世代(もともと「チャイルドブランド」と呼ばれたのは羽生世代である)。
これまでは羽生世代に押さえ込まれ、ようやく自分たちの出番だと思ったら下から藤井が登場。
次代を担うであろう若手グループ。といってもほとんど20代後半である。
いまのところ永瀬が頭一つ抜けた感があるが、今後はまだ分からない。
20代前半の有力棋士を挙げるなら増田康宏・近藤誠也・本田奎といったあたりだが、現時点で藤井に対抗できている感じはしない。
渡辺が告発者だっていうのもちょっと違って、告発者は別にいたけど、渡辺が棋界を代表する「竜王」として声明を出しただけだよな。
もちろん渡辺も疑ってたからそういう行動を取ったんだろうが、もともと将棋界は棋士の自治に任せるようなところがあるわけで、渡辺が出しゃばったことをしたわけでもない。
連盟としたら、後からでも不正が確定すればその時点で竜王戦はおしまいなんだから、疑惑が「グレー」に留まっていても出場させるわけにいかない。
スポンサー様に向かって「不正疑惑のある棋士が竜王になりましたが今後不正が確定してもスポンサーを降りないでね」なんて言えるか?
たらればを言うなら、ソフト>棋士が確定した時点で、迅速に不正対策を構築すべきだった。
それまでの将棋界がおおらかすぎたというところに尽きる。
渡辺明は19歳で結婚して奥さんと息子と暮らすリア充。フットサル・競馬・ぬいぐるみetc.とやたら多趣味で交友関係も広い。
真に孤独な戦いを貫いているのは豊島将之竜王・名人。コロナ前から他の棋士との研究会もほとんど行わず、自宅で専らコンピュータを用いて将棋の研究をしていると言われている。
中2で三段になるものの渡辺や藤井と違って中学生棋士にはなれず16歳でプロ入り。強い強いと言われながらタイトル挑戦に4度連続で失敗して5度目の挑戦で初獲得。
「豊島?強いよね」でネット民にネタにされ、つけられたあだ名は「きゅん」。
コーヒーをこぼされたりカメラの前で一時間正座させられたりと不幸なアクシデントのエピソードも多い。
はてブでも渡辺とは格が違うなるコメントに100以上も星をつけられてしまった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/95a8141405ad0b4e8953b10cc23abaa4
それでも彼は今、谷川(羽生の前の天才)・羽生・森内(羽生最大のライバル)と並ぶ最強の称号、竜王・名人をもって将棋界の頂点に君臨している。
けれど、ここでは、番勝負で敗れた渡辺明二冠の話をさせてください。
いつものようにニヒルな笑いを浮かべて、彼はあっけらかんとこのようなことを言った。
しかし、この発言は私にとっては結構な衝撃であった。渡辺明は、羽生の次は藤井の時代だ、自分は時代を作る棋士ではない、そう言ったのである。
中学生で棋士になり、20歳で将棋界の最高タイトル、竜王を獲得する。
玉を堅く囲い、針の穴に糸を通すような細い攻めを見事に通す。理路整然としたその将棋は、美しく、絶品である。
2008年には、羽生善治との頂上決戦を3連敗4連勝という劇的な結末の末制し、初代永世竜王の座を手にする。
こうやって書くと、渡辺の棋士人生は栄華に満ちているようである。しかし、そうではない。彼の棋士人生は、常に孤独との闘いであった。
渡辺の同世代で、彼と同じレベルでトップを張り合える棋士はいなかった。渡辺は、若い頃から、一回り以上も上の羽生世代と「たった一人で」しのぎを削り続けた。
羽生世代は、底知れぬ力を持った将棋の怪物たちである。渡辺は、たった一人で怪物たちと剣を交え、互角以上の戦いを続けてきた。
最強の羽生世代と争ってきた彼は、これまで年下の棋士にタイトルで敗れたことがない。はっきりいうと、「格」が違うのである。踏んできた場数も、積んできた経験も、何もかもが違う。孤独と闘ってきたものだけが持つ、底知れぬ「凄み」のようなもので、彼は年下の棋士たちを蹴散らしてきた。
2017年度には、大きく勝率を下げ、プロ入り後初の負け越しを喫する。「衰え」がきたのか-そう思った人もいたかもしれない。
しかし、渡辺は死ななかった。自らの将棋を大きく改造し、再び上昇気流に乗る。鬱憤を晴らすように勝ちまくり、再び三冠の座に上り詰めた。
そんな渡辺明という天才が、当時まだタイトルを獲得していない棋士を、タイトル99期の羽生の次だと言った。自分を飛ばして、である。
渡辺明は、本音をはっきりと口にするタイプで、お世辞で人を持ち上げるようなことはしない。
「羽生と藤井の間」との発言も、率直な彼の実感なのだろうと思った。そう思うと同時に、私は恐ろしくなった。
藤井聡太とは、いったいどれほどの棋士なのか。どこまで行く棋士なのか。
天才にしか、見えない世界があるのだろう。言わば藤井聡太は、「天才から見た天才」。雲の上の、そのまた雲の上にあるような世界は、想像も及ばなかった。
想像も及ばないから、見てみたいと思った。渡辺明と、藤井聡太によるタイトル戦。その舞台を、心待ちにした。
待ち望んだ舞台は、時を経ずに実現する。2020年6月。渡辺が保持していた棋聖のタイトルに名乗りを上げたのは、藤井だった。
「なるべくなら藤井と当たりたくない」そう言って笑っていた渡辺だったが、藤井聡太にとって初のタイトル戦を待ち受けることになるのは、自分だった。
このあたりは、強者の宿命である。あるいは、将棋の神様が、渡辺に課している試練なのかもしれない。
渡辺明は、自らが「時代を作る棋士」と評した最強の挑戦者と、盤を挟むことになった。これまで蹴散らしてきた年下の挑戦者たちとは違う。そのことは、渡辺自身が、始まる前から一番分かっていただろう。
第1局、矢倉を選択した藤井は、凄まじい、人間離れした踏み込みで渡辺を圧倒する。1三の地点に、飛車と角が次々に飛び込む。鮮烈な寄せ。驚異の見切り。
第2局。この将棋に関しては、今も冷静に振り返ることができない。これまで見てきた将棋の中で、一番の衝撃だった。
先手番で矢倉を選択した渡辺。将棋は、基本的には先手が主導権を握ることのできるゲームで、特に渡辺の先手番は抜群に強い。用意周到な作戦で一局を支配する、それが渡辺である。
その渡辺が、何もさせてもらえなかった。王手すら、かけることができなかった。藤井が放つ異筋の手が、渡辺の矢倉を破壊した。観戦しながら、頭が割れるような、足元が崩れ落ちるような感覚に陥った。こんなことは、もう後にも先にも訪れないかもしれない。
「いつ不利になったのか分からないまま、気が付いたら敗勢」。渡辺はブログでそう回顧した。理路整然とした彼の口から出たことが信じられない言葉だった。
2連敗。これまでタイトル戦でストレート負けをしたことのない渡辺が、あっという間の土俵際である。羽生の次は藤井の時代だといった渡辺の言葉は、残酷にも証明されようとしていた。私は茫然とした。最強の渡辺明が、手も足も出ない。自分が見ているものは、悪夢だと思いたかった。羽生世代という怪物たちと剣を交えてきた渡辺。その渡辺の、剣先すら届かない。こんなことがあるのか。私は叫び出したい気持ちだった。
2020年7月9日、棋聖戦第3局。私は仕事を休んでこの将棋を観戦した。藤井聡太の初タイトルを見るためではない。渡辺明の「意地」を見るために、仕事を休んだ。このまま終わる渡辺ではない。そう自分に言い聞かせながら、食い入るように盤面を見つめた。
第3局、渡辺は角換わり腰掛け銀で、90手目のあたりまで想定していたという、圧倒的な研究を投入する。研究の多さと深さは棋界随一の渡辺だが、今回投入したのは、とっておきの中でもとっておきの研究だったと思う。藤井聡太から白星を挙げる。たった一点の至上命題を果たすため、渡辺はついに、極限まで研ぎ澄ました剣を抜いた。序盤から中盤、ほとんど時間を使わない渡辺。研究範囲は時間を使わずに指す、この徹底的な合理主義も渡辺の特徴だ。用意周到な研究でリードを奪い、抜群のゲームメイクで、渡辺は一局を支配し、離さない。藤井の追撃も凄まじかったが、序盤を飛ばして残しておいた時間が最後に物をいう。渡辺、腰を落とし、崩れない。そして、ついに藤井が頭を下げる。
渡辺明、藤井聡太に初勝利。「これが渡辺明だよ!」今度は、本当に叫んでいた。もし、渡辺が何もできないまま3連敗していたら、私はしばらく将棋を見られなくなったかもしれない。しかし、3連敗する渡辺ではなかった。3連敗など、するはずがなかった。
この勝利は、たんなる1勝ではない。もはや渡辺明の「凄み」としか言いようがない。盤を挟んだ目の前にいる棋士は、まさに今、次の時代を切り拓こうとしている。渡辺にとって、その「圧」は凄まじかったと思う。自らを飲み込もうとする圧倒的な濁流に、渡辺は自らの強みである「研究」で立ち向かい、そして振り払った。あの舞台でこんなことができる棋士は、渡辺明以外にいない。大舞台で、濁流に抗う。孤高の棋士、渡辺明が報いた、最強の「一矢」だった。
棋聖戦第4局。先手番となった渡辺は、第2局で完敗した急戦矢倉の作戦を再び用いた。胸が熱くなった。「気付いたら敗勢」そう振り返った、渡辺にとって悪夢のような将棋である。負けたら終わりの一戦で、再びこの作戦を選択することには相当な勇気がいる。しかし、渡辺は悪夢を悪夢のまま終わらせておく男ではなかった。自身が完敗した将棋を徹底的に研究し、改良手順を藤井にぶつけたのである。妥協を許さない、トッププロとしての威信をかけた将棋だった。
渡辺の研究は功を奏し、互角からやや渡辺有利の形勢で局面は進行する。しかし、藤井は全く崩れずに渡辺のすぐ後ろをひた走る。紙一重の攻防の中で、渡辺に盲点の一手があった。藤井の攻め駒が、気付けば渡辺の玉を左右から包囲していた。「負け」。渡辺は、このあたりで覚悟を決めたという。
ピンと背筋を伸ばした渡辺が、「負けました」と声を発する。渡辺明の棋聖戦が終わり、史上最年少タイトルホルダー、藤井聡太棋聖が誕生した瞬間である。
激闘を終えた当日の深夜、渡辺は自身のブログを更新した。そして、自身の将棋を、淡々と、それでいて的確に分析する。信じられないような完敗を喫した第2局の後も、タイトルを失った第4局の後も、その姿勢は全く変わらなかった。目を覆いたくなるような将棋を、淡々と振り返る。それも、当日の夜に。普通の人間なら、抜け殻のようになっていてもおかしくない。すぐに敗局の分析をする。これもまた、渡辺の「凄み」である。
「負け方がどれも想像を超えてるので、もうなんなんだろうね、という感じです」
渡辺はそう述懐した。藤井聡太と初めてタイトル戦を闘った男の、偽らざる本音なのだろうと思った。棋界のトップを走り続ける男が、「想像を超えている」と述べた。その意味は果てしなく重い。
渡辺はトッププロとしての矜持を胸に、全力で闘い抜いた。第1局、第2局では、昼食に高額なうな重を連投した。これは、藤井聡太が昼食の値段を気にせず、好きなものを頼めるようにした配慮だと言われている。藤井聡太が残り時間3分の場面でトイレに走った時、渡辺は次の手を指さなかった。そこですぐに指せば、藤井の持ち時間を減らし、追い詰めることもできた。しかし、渡辺は藤井が戻るのを待ってから盤上に手を伸ばした。藤井を戸惑わせるような「盤外戦術」はいらない。時代が動くか動かないかというこの戦いにおいて、そんなものは「邪道」でしかない。渡辺は、藤井が全力を出せるように環境を整え、「将棋」で真正面から勝負した。
結果は、1勝3敗での敗退。「羽生の次は藤井の時代」という渡辺の言葉が、現実のものになろうとしているのかもしれない。藤井聡太の時代が、今まさに幕を開けたのかもしれない。
しかし、渡辺は抗う。自らが発した言葉に抗い続ける。そう信じている。
「次の機会までに考えます」渡辺はそうブログを締めくくった。渡辺は、もうすでに「次の機会」を見据えている。ここからまた、渡辺明の闘いは続く。
三浦だって大人だから観戦記者に対しては猛批判して、同僚棋士に表立って文句は言わなかったけど
実際腹の中でどう思ってるのかなんて分からんよな
「42歳の当時までタイトル経験は1回だけ」、「3年ぶりのタイトル挑戦、しかも将棋界の最高位」、「渡辺には3連勝中」、「その渡辺が主導者の一人となって挑戦権剥奪」、「自分が挑戦者決定戦で下した丸山忠久が代わりに出て3勝4敗」、「疑惑が晴れた後も竜王の座に居座り続ける渡辺」、「その後三浦はタイトル挑戦なし」
俺だったら正直死ぬまで許せないと思うよ
私は将棋ウォーズで初段程度の中途半端な実力の持ち主なので苦情は一切受け付けない。
詰将棋の強さはお墨付きであり、プロもアマチュアも参加する詰将棋選手権で中学生の頃から現在まで5連覇中だ。
つまりプロも含めて藤井七段は詰将棋界では、はるか昔から日本最強であり人類最強だった。
私の直感ではこれが藤井七段の強さの全てなんじゃないかと思っている。
プロデビュー直後、藤井七段が僕の棋士たちと戦い脅威の詰ませ方に驚いた人も多いだろう。
こっちの手はどうだろうかというベテラン棋士の問いかけに、 こっちに打てば詰みますといったふうに完全に読み切っていた。
すでに終盤力では圧倒的力だったということだ。
また、誰よりも詰将棋が読めるということは、相手を詰ますという技術に長けてるだけではなく
相手から詰まされないという技術に長けているということである。
現に藤井七段は詰まされている場面から逆転していることが度々ある。
これは、相手にとって一番紛れの多い難しい手を選択できるということだ。
詰みのある状況なら絶対に間違えない。
以前から疑問に思っていたのが、藤井聡太氏のファンは、彼がどのように指したかではなく、誰に勝ったかや昼食に何を食べたにしか興味を持ってないように見えることだ。
ニュース番組に出てくるようなファンしか観測していないからかもしれないが。
しかしニュースで放映されるような野球選手ファンであっても、打法・投法・走力・守備力など、選手がどのように優れているかを理解したうえでファンをしているようには見える。
であるなら棋士、藤井聡太氏のファンになるのであれば、氏がどのような指し方でどのように勝利しているのか理解してファンになるのが自然と思える。
しかし氏のファンのいったい何割が氏の棋譜が他の棋士と比べてどのような特色を持ち、どのように優れているのか理解したうえでファンになっているのだろうか?
もちろんその原因には数値で棋力というものの価値が明確化しづらい・スポーツや芸能と違って一目で善し悪しがわからないという要素はあるだろう。
それにしたって明確に理解できない力量や能力を好きになるということが果たしてできるだろうか。
異星人ンニュポロカラは100ナータルを359リッペスで走破することができます!と聞いて賞賛や感嘆の念を持つことができるだろうか。わたしはできない。
では、藤井聡太氏のファンは氏の個人的魅力に惹かれてファンをしているのだろうか。
しかしながら将棋強者であるということを抜きにして、氏が容貌や話術に社会的評価を受けることのできる魅力を備えているとは思えない(まことに失礼だが)
となると氏のファンは氏のどこに価値を見いだしているのだろうか。
私が思うには勝利である。氏が勝利者であるというところに支持・愛好の念を持っているのである。
藤井聡太氏個人が好きなのでもなく、藤井聡太氏の力量が好きなのではなく、藤井聡太氏の納めた勝利そのものが好きなのだ。
勝利者を、ただ勝利者であるということを根拠に賞賛したいのだ。勝負を理解できずとも。
まる。
いや元から苛烈な性格だし人間将棋みたいなイベントでも全く空気を読んだりしない人ではあるんだけど、藤井聡太を過剰に持ち上げたり加藤一二三自身を褒めたツイートをエゴサしていいねしたりリツイートしたりリプライしたりし続けてるのを見てるとやっぱ疲労しますね。藤井聡太好きなのでなおさらきつい。
だいたい加藤一二三名人の頃に生まれて、小学生の頃に加藤一二三監修の入門書で将棋を覚えて、60歳くらいまでA級にいたすごい棋士で、ファンだったんだけど。
Twitterも結構おもしろくてフォローして見てたんだけど、藤井聡太がタイトル戦に出るようになってからなんか過激化している気がしてつらくなって外してしまった。
いや元から苛烈な性格だし人間将棋みたいなイベントでも全く空気を読んだりしない人ではあるんだけど、藤井聡太を過剰に持ち上げたり加藤一二三自身を褒めたツイートをエゴサしていいねしたりリツイートしたりリプライしたりし続けてるのを見てるとやっぱ疲労しますね。藤井聡太好きなのでなおさらきつい。
思えば、2020年7月9日が、この鬱屈とした時代の始まりだったのだ。
平成から、令和に変わって17歳の新星が次々とタイトルを獲得していく。そう、最初の頃は、皆んな新しいスターの誕生に湧き立っていた。
しかし、それが20年、30年と続いたらどうだろう。タイトル戦を注目して見る価値があるだろうか?
藤井8冠と言えども勝率10割ではない。だが、いったい誰があの藤井8冠相手に番勝負で、勝ち越すことができるのだろうか。
思えば、平成の時代のタイトル戦が羨ましい。タイトルを1人ずつで分け合っていたなど、今からは、想像もつかない。
藤井8冠の絶対覇権が続いてから将棋人気の凋落が著しい。 恐らく、彼も年齢からくる衰えには、勝つことはできないだろう。数年後には、タイトルを返上して引退するだろう。しかし、それは彼が誰がに負け続けて引退するわけではない。単純に年齢からくる体力の衰えが原因なのだ。
今後、新しいタイトルを取った棋士が、現れたとしても、彼を超えたことにはならない。
これがすべてで、他の話(でルール説明以外の部分)は将棋知らない人向けだとしてもあんまりしっくりこないかな。
書かれている通り、棋士はセオリーとか大局観とか手の流れとかによって、「読み」の量を減らしたりとか
読みきれないときに、直感的に選択することを実現しているわけだけど、
31銀は、いわゆる流れとか大局観としてはややアンチパターン。
ただ、攻めの手順とか、ここまでの流れ的にこう指すかなぁっていう手順の先をかなりの量読んだ結果、
「あまり良くなる順が見えない」「激しくなって制御しにくくなる」ということから
残った手を指した。
膨大な変化手順があり、プロでも大局観や直感、流れ、などを駆使して指す中盤に対し
「読む」という、その量とスピード、それをやろうとする精神力が唯一無二なんだと思う。
もともと能力が天才的なことに加えて明らかに中盤に時間を使っているというのもそれを裏付けるというか、興味深いところ。
つまりコンピューターがやるように(もちろん実際のコンピューターよりは遥かに「ありえる手」を限定しているが)、
これを実現してるのは、読みの量とスピード。
藤井七段の棋聖戦第2局の聞き手 山根ことみ女流二段 が かわいいと話題のようだ。
にわかファンがつべこべ言っててムカつくので「かわいい」「強く美しい」な女流棋士と「だいしゅき」をここに書き留める。
かわいいの筆頭は香川愛生女流三段だ。これが絶対だ。過去に触れてはいけないところも魅力だ。
竹俣紅さんも可愛かった。ただ棋士感がなく萌えなかったな。辞めちゃったし。
強く美しいのは
加藤桃子女流3段は男勝りな感じの棋風でとてもかっこいい。ゴリゴリの居飛車党。ラオウ。
西山朋佳奨励会3段は柳のようにしなやかな印象。柔軟な振り飛車党。トキ。
西山3段はもう少しで女流プロじゃなく本当のプロに成れそうなほど強い。(女性ではまだ0人)
どちらも一手指す毎に悶絶出来る。