はてなキーワード: 木村花とは
お前頭が「自/他」二分法なせいで会話が成立してないんだよ。そんで理由を「自か他が間違うから」と解釈してる。人が後天的に身につける物をやらずに来てるよ。
会話が成立しないのを私のせいにしてますよね?
無理なんですよ、自分のせいにするなんて。
それで自分を責める。
ああ俺って馬鹿なんだなって。
あんなに大量に否定されたら、心が強くなければ、折れる人がいても不思議ではありません。
折れる、とは本気にしてしまう、ってことです。
だったらそうする。
で、死んじゃったんですよ。
僕はそうはなりません。
そんな風に否定的に言葉を投げつけるのが多くの人の現実と知っているからです。
それは仕方ないのです。責めているわけではありません。
証明って、何を?
私はあなたの政治スタンスやフェミニズムに対する態度姿勢などに全く関係がなく、この人とは仲良くなりたくないなと思ったんだよ?
そもそもSNSでの人付き合いとは主義主張の合う・合わないで形成されるコミュニティばかりではありません。趣味や同業種の集いなどで形成されるコミュニティが多いことはわかるでしょ。
そのような場で、例えば政治スタンスが異なっていても朗らかに談笑し、情報交換をする間柄なんて珍しくなんてありませんよ。
極端に言ってるだけなのに、ああ極端な話をしているのだな、とはあなたは思わないわけじゃないですか。
そういう傾向のある人もいるのだな、とあなたは思わないわけです。
つまり僕の言うことを認めないと、結局否定しています。だから証明されたと言ったのです。
どうしてあなたは僕のようなそういう人もいると認めないんですか?
僕はあたなのような人もいると認めます。
人は自分の考え方を否定されると、結局その人を排除するしかなくなるのです。自分が否定されるからです。
だから、木村花さんを誹謗中傷した人は、逃げたんですよ。排除されたんです。
僕のことはどうでもいいので、そういう事を原理的に考えてみて欲しい。
安倍が悪い、野党が悪い、小池都知事が悪い、共産党が悪い、トランプが悪い、・・・・・
何故かと言うと、僕はおそらく、「共感」しない人間だからだろう。
感情がないわけじゃない。むしろ、喜怒哀楽に弱い人間で、感動ポルノに号泣してしまうくらい幼稚な感受性の持ち主だ。
要するに、あの人気のある人がこう言っているから、とか、これこれで有名な人がそう言っているからという理由などお構いなしなのである。
だからネトウヨであろうがはてサであろうが、ツイフェミであろうが、イケハヤであろうが、はぁちゅうであろうが、そんな名刺には一切拘らない。
そうは言っても流されそうにはなる。名刺で判断したほうが楽だから。
でも、大抵はそうした大勢から叩かれるような人の意見でも、「ほんとに間違ってるのかな?」と何処かで疑問を持つ。
Twitterは党派性の塊があちこちに存在し、フォロー・フォロワー、或いはRTやいいねで曖昧に支持しあっている。
だから、「あんな人をフォローしたりRTしたりしてるんだ」と思われると、極端な場合はブロックするという行為が頻繁に行われている。
絡んだことすらない、言及もしたこともないような、まったく知らない人からブロックされることは日常茶飯事だ。
僕はそんなの気にしない。僕は意見を支持したり反対することはあっても、人それ自身を支持したり反対することはない。まぁ余りに自分にとって迷惑そうならブロックはする。
はっきり言って無茶苦茶。特にフォロワーは、完全に対立する人からフォローされていたりすることもしばしばある。
そして、不用意にその対立する人へ対立するツイートを流すと、しばしばブロックされるのである。
これが地味に困る。その人からの情報が遮断されてしまうからだ。
他にも、僕はそうした「名刺」に拘らないから、例えばアンチフェミに賛同するようなことをあっちで言い、そっちでは和やかにツイフェミと話したり、酷いことを言うオタクに批判したり、矛盾したことを言うツイフェミに疑問を投げかけたり、そういう人から見ると全く矛盾したことをするので、どんどん孤立してゆく。
僕の意見自体もそうした党派性を帯びない。フェミの表現規制に共感を示すようなことを言いながら、表現の自由に対する侵害だ、だんなて平気で言う。
最近では、割と親しかったツイフェミの人に、女性専用車両に無理に乗り込む男性の団体は酷いなー、と言いながら、女性専用車両はやめるべき、だなんて言うもんだから、ブロックはされないものの口も聞いてくれなくなった。
自分自身が党派性を示さないということは、党派性の人達から見ると排除するしかない人になっていくのである。
当たり前の話だ。人で判断しないというのは、自分も人として判断してはもらえないということになる。
僕は人と繋がれないのである。
人と繋がれない人はSNSには不要である。そんな仕組みなのだ。
だから、極端に言えば敵対関係と個別の仲良しな党派があるだけになる。
僕はそのどちらにも属することは出来ない。
長いことネットをやってきて、やっとこの自分がSNSに向かないということの理由が見えてきた。
なのにどういうわけか寂しいと思わない。
僕にはそういう共感性がまったくない。
多分、あまりにも素直過ぎるのかも知れない。
ある会社にいた時、そこの社長からよく言われた、君は素直すぎると。
「これが正しい」と言われたら、何も考えずに受け入れてきた。
あちらに、戦争反対の狼煙が上がれば、それが正しいのだと盲目的にそう思い
こちらで、自分の親父がそんな事を言うサヨクはけしからんというと、そんなもんなのかなーと思い
全く相反する矛盾した考え方を、どういうわけだか自分の中に許容してしまったのだろう。
世の中には相反する考え方が無尽蔵にある。
そんなのを素直に受けいている間に、自分で気づかないうちに、自分が社会に相反する人間になってしまった。
でも繰り返すけど、寂しくはない。
社会には従うけど、人には従わない、それだけだ。
木村花や伊藤詩織事件と絡めてブスを誹謗中傷するなと堂々と主張できるチャンスじゃん
誹謗中傷されない権利は美人だけのものじゃないと盾で身を守りながらいつ主張するの
伊藤や木村は美人だったりアイドルだから誹謗中傷されない特権があるだけでブスだったら中傷していいのかと容姿差別と絡めて主張できる
すごくやりやすくなった
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https://twitter.com/5roume/status/1270739639758778369
木村花さんが亡くなったときは長文で誹謗中傷について綺麗事語ってたくせに、
「木村花さんは理由なく叩かれてたけどアンジャッシュ渡部さんは理由があるから叩いていい」みたいな考え方
そもそも木村花さんを叩いていた人たちだって理由なく叩いていた訳じゃない
具体的に木村花の死の原因が自分たちのバッシングであることに言及しつつ石田純一に「死ね」と言ってるアカウントを数えてみろよ。それが100万人以上いたならおまえの言い分を認めるわ。
木村花さんの事件で今後、「インターネット誹謗中傷対策法」みたいなのができる流れ。
もしデマ流して具体的な不都合をうけた「団体や個人」をつくることができて法にうったえても発言削除と女性保護団体への損害賠償=寄付させられるくらいが関の山じゃない?
もしそれが通るなら過激派女性権利活動者も訴えられる。安倍氏にあることないこといってる人も訴えられる。
個人的にはスッキリ万々歳だけどそううまく「事実」と「デマ」、「あること」と「ないこと」の区別がつくもんか、
とはおもってるね。
「養育費はじめ育児負担を全く男性に無視されてシェルターにすまざるを得なくされている離婚子連れ女性」
がいるだろう
けどそういう女性は生きるのに必死でだれかを訴えるどころではないんじゃないか
訴える余裕があるにしても養育費を悪意で踏み倒す離婚男性が第一であって
すももや女性差別主義者は直接的な実害がない以上最後にまわされるべき
つまり、生きられる以上どこかで悪口いわれててもほっておくしかないってのが今までの世間の立場だよね
ただインターネット運営者責任法のような小細工は今までもあったけど運営方針次第ってことであまり有効ではなかった
養育費不払い男性にネット上で入れ知恵したすももを巻き添えで訴えることができるのならなんとかってとこかな
それもすもも氏に重大なやむをえない事情(たとえば精神障害があるとか母親にめっちゃ放置や虐待されてた恨みで心底そういう嘘を信じるようになったとか)があればノーカンだろう。
つまりあの罠はまともな人なら最初から見えないような罠。普通なら引っかからない子供だましの罠。裸の王様に差し出された「見えない服」だからうっかりそれを着た人が一番悪い。
フールペナルティな世の中、詐欺師がバカだけひっかかる罠を設置していい世の中ってことだ。
かといって安全レベルをどんどん上げ、風刺やジョークまで規制するようになったら中国検閲ネット(プーさんも言えない)になる。
人一人の発言を法的に封じるってのは容易ではない。
https://not-miso-inside.netlify.app/blog/better-stop-watching-vtuber/
これとか、
https://note.com/wasasula/n/n569e015f6f81
これとか、それぞれのブコメとか、
で、Vtuberはリアリティーショーだと言ってみたり、それに反論したり、Vtuberなんてキャバ嬢だと言ったり、馬鹿な女をおもちゃにして楽しむコンテンツと言ったり、それに反論したり、してるわけだけど、、、
えっと、まともに考えると、「Vtuberもリアリティーショーと同じだ」という危惧は、Vtuberで木村花さんみたいなことが起こってほしくない、ということのはず、だよね?
つまりVtuberが傷付いたり、それによって自殺を選んだりすることを危惧している訳だ(でなければリアリティショーと同じ構造を持っていることは悪い意味を持ちえないし、それを危惧することも論理的にできない)
しかし、一方で、そう言う危惧を伝えるための文章やそれへの反応で、「キャバ嬢」や、「馬鹿な女」という言葉選びをする。
えっと、、、、良く分からないんだけど、君らは彼ら彼女らに傷付いて欲しいの?傷付いて欲しくないの?死んでほしいの?死んでほしくないの?
いやもちろん人それぞれだと思う、傷付いて欲しい人もいれば傷付いて欲しくない人も居るだろう、
ただ、傷付いて欲しくないと言い(リアリティーショー化を危惧し)ながら、傷付ける為の言葉をわざわざ選んでいる人は、一体何がしたいんだ?
俺がアホだから、またはVtuberに詳しくないから分からんのだと思うんだけど、
例えば、あなたの言葉を見てVtuberが傷付く事はあり得ない事なんだろうか?そういった傷付きが蓄積して(勿論同じような事を言ってるのはあなただけではない)最終的に死を選ぶことは本当にあり得ない事だろうか?
俺は、全然あり得ない事ではないと思うよ。
木村花さんの件の様な事が起こることを危惧しながら、それが起こることに加担する行動を取る、というのは俺には理解ができん。
あなたの言葉でVtuberが傷付かないとあなたが思ってるとしたら、それはどういう理由からだろうか?
Vtuberの中の人は心が強いから?(5000人以上いるらしいけど全員が?)
心が強くないVtuberはVtuberで居るべきでないから自分の言動は正当化される?(マジで言ってる?例えそうでも傷付けることは正当化されないのでは?)
自分の批判対象は悪いVtuberだから問題無い?(悪いVtuberとは?どういう行為が、傷付けられることも正当化されるような悪なんだろうか?)
自分は事実を言ってるだけ?(事実かどうかと傷付くかどうかは別問題では?また、事実なら傷付けてもいいという前提の中で木村花さんの件を十分に批判し得るだろうか?)
事実を言われて傷付く方が悪い?(同上)
自分の批判対象は自分の嫌いなVtuberだけだから大丈夫?(嫌いだからって傷付けてはいけないのでは?また、そのような前提で木村花さんの件を十分に批判し得る?)
自分は現在のVtuber業界の構造を危惧している?(で、その為にその過程でVtuberを傷付けることは正当化される?またわざわざ傷付ける言葉を選ぶ意味は?)
お前はVtuberを人質にして言論を封殺してるだけ?(俺がそうだとして、そう言う理由であなたがVtuberを傷付ける行為を正当化できるの?俺の行為の倫理的評価とあなたの行為の倫理的評価は別個に下されるべきでは?)
全ての回答を事前に予想する事は出来ないけど、俺の根本的な疑問はこうだ。「あなたはどのような条件を満たせば、誰かを傷付ける行為を正当化できると思っているの?」
最初に挙げた2つ目のリンク先では、1つ目のリンク先は「自傷行為」だと言われてた訳だけど、
恐らく「自傷行為」だけには還元できない、他にもいろんな動機があると思う、そこは見逃されるべきじゃない、ただ、
それが自傷行為という要素を一切持たないかどうかは考えてみて欲しい、それで、あなたは傷付いたにせよ、その自傷行為にVtuberを巻き込んで一緒に傷付けてしまう事をあなたはあなた自身に対して許すのか、考えてみて欲しい。
(または1つ目のリンク先のタイトルが「オタクも」と、オタクを批判しあるいは傷付ける事を目的としているように見える点も気になる、その場合も同じ、その行為にVtuberを巻き込んで一緒に傷付けてしまう事をあなたはあなた自身に対して許すのか)
上の?の連続を書いていて思ったのは、あなた達はもしかしたら、Vtuberを考える上で自分自身を透明化していないか?という事だ。
あなたは他者の行動や業界の構造の是非を問う事が出来る、でも、その是非を問う言動やその為の文章それ自体が倫理的な是非を問われる側にもいる、という事を忘れてしまっていないか?
あなたは透明ではない。従って、あなたの言葉は誰かを(つまりVtuberを)傷つけ得るし、その事の倫理的な是非を問われる立場にもいる。その事を忘れるべきじゃない。
あなたはあなたの行為をあなた自身に対して許すのかを考えるべきだ。
自分の数少ないVtuber視聴体験だけでも、例えばVtuber達がFPSや麻雀で素人の俺では到底敵わないプレイスキルを見せていることを知っている。分かりやすい授業をネット上に公開し、プロ顔負けのオリジナルのラップ楽曲をリリースし、視聴者のセクハラに声を挙げ、男性が女性になり、リアルに嘔吐し、大喜利をし、動画を編集し、膨大な悪意に直面し、虫を食べ、彼氏バレを越え、世界観を考察させ、常人ではちょっと発想も出来ないサイコな映像で海外にもバズった事を知っている。そう言う全てを「キャバ嬢」「ガワを被った生主」「馬鹿な女」という言葉に還元して「無かったこと」にしてしまう、無に帰すことをあなたは自分自身に許すのか、それが倫理的に問題が無いのか、考えてみるべきだ。
(勿論、自分はVtuberを追えていると言えるほど追えていないので、そう言う言葉に還元して無かったことにするべきでない事は他にも恐らく一杯ある)
かなり長くなってしまったが、他にも拾えていない論点は一杯有る。例えば、あなたが木村花さんの件の再発を危惧しているのだとして(でなければリアリティーショー的であるとの指摘は論理的に批判たりえないのだが)、それがリアリティーショー的である物へ危惧に繋がるのだとしても、同じく根本的な原因であろう「特定の人物を傷付けてもいい」理由の作出という問題については存続することを許容しているのではないか(でなければ、あなたがVtuberを傷つけ得る言葉選びをしていることを正当化できないのではないか)という点はかなり根本的な問題であるように思う。
あなたがVtuberを傷付ける事をあなた自身に許す以上、そこには「特定の人物を傷付けてもいい」理由が無ければならない、しかしそのような理由の作出こそが木村花さんの件を招いたのだとしたら、木村花さんの件の再発を危惧しつつその発生に寄与した現象を自分で再演することには大きな矛盾が有るのではないか?
また、全然別の論点として、そもそもこのような、キャラクター(と、ここでは敢えて表現するが)に対する言動の倫理的な是非をここまで切迫して問われる、という経験自体、生の人間がキャラクターを突き破って来るというVtuber体験に特有の物ではないか、というのもある。
確かにフェミニズム的な観点からこれまでも問題化されることは有ったにせよ、比較的自由にキャラクターに対して接していたオタク達が、同じやり方でVtuberに接したとき、セクハラだとして声を挙げられたり、苦言を呈されることがある(正直に言って、十分に起こっているとは言えないし、セクハラに対してはもっと同じ反応が有るべきだが)。
それもまた「生の人間」の発現である訳だが、それに対し、Vtuberの生が出る事を忌避し、キャラクターやロールを演じることを称揚する方向が、セクハラの糾弾(という「生」の発現)への抑圧にならないか、という論点はもっと語られるべきだろう。
果たして、一人の人間を、非人間的な役またはキャラクターのままでいる事を要求する態度と、その者の役やキャラクターから逸脱する人間の側面の現出を許容する態度と、どちらがリアリティーショーや、木村花さんに誹謗を浴びせた人達に近いだろうか?
その他様々な論点が置き去りになっては居るが、それはともかく、
最後に問わねばならないのは、この文章を書く俺自身もまた透明では無いし、従ってこの文章やそれをここに書く行為そのものも、俺が自分自身に許すか問わなければならないという事だ。
今一度読み直してみて、俺は許す。
あなた達を過剰に馬鹿にする言葉選びはしなかったつもりだ。そもそも俺はあなた達を馬鹿だとも根本的に悪だとも思っていない。自分の行為を透明化せずに自分に許すかどうか問う、という事をしさえすれば、他人を不当に傷つけないように振舞う事が出来る人達だと信じているし、だからこそこれを書く。