はてなキーワード: テレビっ子とは
「ほら、俺とか昔アニメ好きだったし、林原めぐみがやったキャラとか50人くらい言えるよ」
「じゃあ言ってみてよ」
「まずねリナ・インバース」
「いきなり、一番有名じゃん」
「ああ、そういやビバップ好きだったね~」
「ええと、ほら、コナンのこまっしゃくれた……」
「え、もう詰まるの?」
「灰原だ。それからディディ・コング。ドンキー・コングは山ちゃんだった。そんでムサシね。ポケモンの」
「いいペースじゃん」
「えっと、ほら、エヴァの……綾波ね、そんでお母さんと最初のラジオも」
「それ、数えるのはずるくない?」
「ううん、まあいいけど。次は?」
「…………」
「おしまい? まだ十人もいってないよ」
「じゃりン子チエの……誰か」
「なにそれ」
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
とある親戚は今なおテレビっ子で、その人は私が反応しない部分でもテレビを観てよく笑うほどゲラなのだが、少なくともその親戚にとってテレビは面白いのだ。
当然、ここで個人のケースを挙げることにさして意味はないことは重々理解している。
少なくとも近年のデータを見るだけなら、観る人が減っているのは確かだろう。
まあ、テレビを観る人が減っていることが面白くないこととイコールかは断言しかねるが。
これまでも、さまざまな要因が挙げられてきた。
色々説はあるが、コンテンツの多様化というのが主な要因とされている。
それで終わらせてもいいが、せっかくだからそれっぽいことを答えようじゃないか。
さて、肝心のテレビが面白くないかどうかだが、そのものの内容が面白いかどうか判断することはとても難しい。
個人の感受性によるところも大きいし、数多ある番組を一括りにして語るわけにもいかない。
ただ、「テレビを観ている人が少なくなってきている」という論調なら多少は語りやすくなるか。
まあテレビを観ていない事をファッションとしつつ議論に参加する人間もいるが、そのパターンは置いておこう。
さまざまだが、番組の視聴率を時間ごとに区切り、その番組で視聴率が高かったときの映像を観て分析するというのが基本だろう。
そして、そのときの映像に含まれた要素が、「最も視聴率のとれる可能性のある要素」だということだ(と作り手は考えている)。
面白くない番組の要素として既視感のある、クリエティブさに欠けた演出などを槍玉に挙げられるが、作り手にとっては合理的理由なわけだな。
ただ、このやり方の致命的な弱点は、今ある分母の中の、分子しか考慮していない点だ。
分子を増やすか減らさないようにするだけのやり方では、分母を増やすことは難しいだろう。
こうしてテレビを観る人のための番組を作り、テレビを観ない人はますます観なくなるわけだ。
それは一見すれば間違っていない構図だが、受け手がついてきてくれたコンテンツではなくなりつつあるのだから先細りする。
この現状に対しての大雑把なアンサーは「テレビを面白いと思っていない人が、面白いと思う番組作りをすること」だ。
〇〇の●●が好きと言っても分かる人はいないし、
テレビ好きな人が深夜ドラマや深夜バラエティーの話題を出しても
それなのにアニメサークルだとラブライブとかアニマスとかのグッズがやたら集まってて
逆の意味で近寄りがたいんだよね。
アニメ好きっていう割に最近のアニメで、古いアニメが通じる人が
殆ど居ないから古参のアニメオタクには中々入れない空間だと思う。
漫画サークルとかゲームサークルも古い作品や少しニッチな作品も分からない人が
中心になってやってたりするから、中々これと言える雰囲気もなくて
リア充がリアル充実してるのを確認するためのサークルと化してて
何となくアニメにしろ何にしろ、サークルで扱えるのはリアル満喫できそうなモノしかないと思えてきた。
集団的自衛権に関してを閣議の解釈改憲を済まし、国民の理解が深まっていないなか採決を半ば強引に通した賛成派にも賛同できない。
かといって維新以外まともに対案も出せず、「強行」採決と声を荒げ、採決前には委員会のメンバー以外が乱入してもプラカードを掲げ採決を妨害した反対派にも僕は一切賛同できない。
だから僕はこの問題に関してはなるべきようになればいいと思う。
でもただ一つ許せないのがNHKだ。
何のためのテレビだ。
何のための公共放送だ。
民放各社はスポンサーとの兼ね合いや番組編成上、地上波で特別報道番組を急遽差し込むのは難しいだろう。
何のための公共放送だ。
何のための受信料だ。
今日の国会の動きは日本の今後を大きく変えかねない出来事だったと思う。
何故NHKは中継をしない。
高校野球のためだけか?
ただただ残念でならない。
すまん。長い。
さんざん電子書籍とかないわーとか言ってたんだけど、本屋に日常的に通って本を物色する時間がなくなってきたこと、生活パターンが夜昼ひっくりかえってることなんかも含めて、電子書籍的ななにかを導入しないと不便だよなーと思った。あとブックオフ通いしてるヒマないしそもそも最寄りのブックオフまで車で最短でも50分かかるし……。でも、ウォークマン全盛時代にあえてアイワとかケンウッドで十代を過ごした俺としては、キンドル買ったらなんか負けのような気がする。負けのような気がしたんだけど、ほかの電子書籍サービスをいろいろ使った結果「 使 え ね え !!!」とかなってギィィィィって変な声出しながらキンドルぽちった。
さて、そんでキンドル届いた。最初から自分のアカウントが登録されていて、Wi-Fiの設定だけすればいきなり使えるようになってた。こういう手の届きかたって賛否両論な部分あるんだろうけど、俺みたいな「なんでもいいから楽なほうがいい」っていうくらい怠惰な人間にはこれはありがたかった。
さて、そんで品揃えであるが、別にキンドルだからすべての書籍が電子化されてるとかそういうことはなかった。けどやっぱり充実はしてる。ひとまずその面でのストレスは解消された。
新しい道具ってのは、それを通じて「なにか新しいライフスタイル」が見えたときにとてもすばらしいものだと感じられると思っている。俺にとってはウォークマン(の類似のアイワの製品)の登場がそうだったし、ワープロ専用機がそうだったし、もちろんその後のインターネットもそうだった(PCそのものではなくインターネットだった)。
まったく期待してなかったんだけど、キンドルには確実にそれがあった。
これは自分が活字中毒であることも関係してるんだが、いちばんすばらしいことは「読むものを切らす」という可能性がゼロに近くなったことだ。俺は便所でも風呂でも、どうかすると歩いていても本を読んでるタイプの人間で、とにかく空き時間があるとなんか読んでる。それがおもしろいか、有意義かとかそういうことは優先順位としてはかなり低い。まず「なんか読んでる」ことが重要なのだ。そういう人間なので、外出のときもかならず本は持っていくのだが、あたりまえだが、重い。それに、いざ本を切らしたときに近くに書店があるとは限らない。その点、キンドルならそもそも1000冊の単位でぶちこんでおけるので、切れる心配がない。
この「桁外れの物量」という点では別の感慨があった。いま俺のキンドルには、青空文庫から仕入れてきた半七捕物帳全巻だとか、吉川版三国志全巻、柳田国男や折口信夫のほぼ全著作が入ってる。青空文庫経由だから無料か、まとめてあるやつでも100円とかだ。無料っていう点では図書館もあったわけだが、重要なのは、その「全巻」「全集」の単位を常に持ち歩けるということだ。安いのはもちろんすばらしいことだが、金に糸目をつけなければ、そして電書化さえされていれば「自分好みの図書館」を持ち歩けるにひとしい。習慣的に読書をしない人、「読むものがなくなるのでは」と恐れるようなことをしない人にとっては、この事実に対する感動はいまひとつわからんとは思う。こんなことは、実際にキンドルを入手しなくても理屈でわかりそうなもんなんだが、手のなかに実際にこの道具があって、そしてこの道具のなかにいつまでも読んでいられるものがある、そう実感してはじめて「すごい」と思える。そういうのってある。
細かい点では「ページをめくる」という作業がないのがとても快適だ。具体的には電車のなかで楽。あと寝ながら本読むときにうつぶせだとすごい腰痛になって泣きたくなるので横向きに読むのだが、横向きだと右ページと左ページを読むときで微妙に工夫がいるのでちょっとだるい。あとバックライトあるので暗闇でも本読める。なぜわざわざ暗闇で。
とまあ、こんな感じだ。
それと、副次的に思ったことなんだけど、本ってのはコンテンツなわけだ。情報としてパッケージが完結している。キンドルを入手する前は、もちろん本も読むものの、わずかな時間の隙間に読むものといったら、常時PCつけっぱの環境もあって、インターネット経由のものが多かった。それで、あらためて両者の違いについて思う。
本はコンテンツとして完成度と完結度が両方高い。印象でいえば「ひとつの世界」を提示するものが本だ。ページを開くということは、著者が見た「自分の見た世界とは違う世界」を覗くことだと思う。ネットにある文章は、もちろん数多くの例外があるのを承知したうえで、やはり「いまリアルに動いてる世界」の断面図という側面が強いと思う。本質的なところでコミュニケーションのツールとして機能している。
俺にとって活字を読むことは、テレビを見ることと近い。やることがなければテレビをつける。なんかやってる。なんなら「音がないとさびしい」という理由でテレビをつけるのでもかまわない。それがぬるいバラエティーでもなんでもいい。ぬるいバラエティーに意義だとか完成度だとかを要求する人はあまりいない。ただなんとなくひまがつぶせて、ちょっとでも笑えればいい。気に入られなければチャンネルを変えればいいだけだ。
この比喩でいうと、ネットってものは街頭に設置してある常設カメラの映像をそのまま流しているような印象だ。重要なのはカメラの設置場所と種類のほう。あと、設置した人。本は番組だと思う。キンドルがあるいまとなっては、本屋に行くという行為に「映画を見にいく」のと同等の敷居の高さを感じる。だから、キンドルを入手したということは、俺にとって「自宅にテレビが来た」というのと近いインパクトがある。そしてこの比喩でいうなら、キンドルを入手する前から俺はテレビっ子だったわけだ。
……というわけで、いままでは活字の本ばっか買ってたわけですけど、そんじゃマンガもこれからはキンドルだけでいいですよねーと思ってハナヤマタの原作1巻買ってみたんだけど、マンガはものすごく読みづらくてびっくりしました。だめだこりゃ。しょうがないので、なるがトイレに入ってるシーンをくぱぁって拡大したりして喜びました。というわけで今季のアニメはハナヤマタでガンギマリだと思います。あとこれでようやくシロクマ先生のキンドルだけで出てた著作を読めます……。
1、 出不精で週末・連休一歩も出ないのが普通。ネットすら出不精になりほぼ2chのみに
2、 部屋が汚い。片づけ方が分からない
3、 一日中カーテンを閉めてるので埃がすぐに溜まり掃除を諦めた
5、 本棚は触らないから綺麗だが、ラインナップが15年以上変化がなく色落ち埃まみれ
7、 なので清潔かと思われ過去に友人を自分の家に入れて幻滅されたことがある
9、 自慰でティッシュを使うのすら面倒でそのまま下着に出す(男性のみ)
10、服はタンスに入れず、母親が置いていった洗濯物から無限ループ
11、家に帰ると即効色落ち虫食いTシャツ等、完全家用の処分服に着替える
12、ヘアバンド等で前髪も癖がついた状態で、服装含め急な来客に既に対応できない
13、ギリギリまでやらない。それで冷や汗をかいたのに直せない
14、トラブルがあるとすぐ謝る。外では絶対に自分の不機嫌な感情を見せない。言われる一方
15、自分のプライベートを話せない。恋愛や卑猥な会話が一切無理
16、常に気を遣い真面目でいい人と思われている。でも実際は唯の無気力で怠け者
17、元々はテレビっ子だったが最近ニュース以外ほぼ見なくなった
19、育ちは保守的で品が良く、酒・煙草・パチンコ・性風俗等を嫌う。飲み会・カラオケが怖い。要は子供
20、店員や他人のちょっとした品のない行動、キツい態度にすぐ傷つき人間不信になる
21、友達がいなかったために飛行機の乗り方旅行の仕方、冠婚葬祭マナー、携帯等常識を知らない。それを知られるのが怖い
22、楽しいと感じることがなく趣味がない。ゲームやアニメももうやる気力が無い
23、服のセンスはあるのに自分でそのセンスを実現する能力がない
25、手帳に予定を書くなんて信じられない。想像しただけで疲れる
26、美容院にいけない。自分で切るか行けて無言10分1000円カット
ステータス:既婚、子持ち、定職者。
たまにご飯もつくるし、子供が眠るまでは自分の時間より子供とのコミュニケーションを優先している。
体質的に夜遅くまで起きるのがしんどいので、朝早く起きてから自分の時間を取るようにしている。
読書や、ジョギング、ゲームなどは朝の早く起きた時間にやるようにした。
読書・ジョギングに関して寛容な妻ではあるが、ことゲームに関しては異常なほど毛嫌いしており、やたらと怒る。
ゲームをしたあとは、ぼーっとしていることが多い、とか、ゲームは一番無駄な時間の過ごし方とか、なにかと理由を付けてくる。それじゃあARASHIのDVDを観る時間は無駄じゃないの?といいたい。
読書をするために本を買ってきたときも、本なんて1回読んだら読み返すことなんかないから、買うのはもったいない。とか。じゃあ、セールで1回しか着ないような服を買うのはもったいなくないの?といいたい。
結局のところ、自分の思い通りにならないことはすべて不満なんじゃないかという結論にいたった。
妻はぼくにゲーム売れば?といった。
もしゲームを売ったら、本も全部売って、テレビも売って、HDDレコーダも売って、それでイーブン。
テレビなんて要らないよ。
なんでテレビっ子は非難されずに、ゲームっ子ばかり非難されるのか?
同じだろ!同じだろ!同じだろ!
よし、今日帰ったらゲームを売る話をして、テレビも売ろうと言おう。
それで妻がなんていうか楽しみだな。
それなりに美食だったりするから、多分まずくはないはず。
あふれる肉汁に、とろける脂身。
レストランなら食べる順番に
前菜2
と、出していけばいいんだけど
家庭料理だから、いっせーの、せ! で出さなきゃいけなくて
料理を出してね。
スープもアツアツ
メインもアツアツ
前菜もあったかいものはアツアツで出したわけです。
結構大変ですよ、この計算。
(さすがにパスタまでアツアツ無理だった。
アルデンテで茹で上げたやつにオリーブオイルなじませて準備だけして
あったかいジェノベーゼソースを絡めるぐらいまでは善処したけど)
それはともかく
「いただきます」でみんなで食べて
「おいしー!」って言ってくれれば
料理人としては嬉しいわけです。
5タスクぐらい同時進行しなきゃいけないけど
それを乗り越えて同時に料理をバンと出してね
全部おいしいタイミングで食べられるの。
すごいでしょ。
少なくとも、私はすごくおいしかったし
娘(2歳)もパクパク食べてくれたから
おいしかったんだと思う。
テレビ見ながらもぐもぐするかな、うちの旦那は。
「おなかに入ればみんな一緒」
「味は良かった」
とかたまに聞く言葉だけど
素人から見れば、豚肉を焼いただけですよ。
せいぜい、「ロース肉のステーキw」ぐらいしか認識はないと思う。
そこに表面を高温で一気に焼いて肉汁を閉じ込めたあとじっくりと脂身まで
火が通るようにオーブンで焼き上げ、うっすらと肉にピンク色が残る程度に
仕上げたとかね、そういう目はないわけです。
もちろん、そこまで読んでいただかなくて結構(笑)
おいしいか、おいしくないか?
そこだけなんです。
味だけじゃなくてね、見た目や香りとかも全部含めて料理ですから
全身で味わってもらいたいんです。
テレビを見ながらもぐもぐして、本当に美味しいのかなって疑問に思う。
コンビニ弁当をもぐもぐしながらパソコンでwebページ見るのと
レベルが一緒でしょと。
スペシャルなディナーだったし、すごい計算の上で作られた料理だったから
一口食べて「うまいっ!」って言って欲しかったのが正直な気持ち。
もぐもぐしながらテレビ見てる旦那に
「どう? お肉おいしい?」
ってわざわざ聞かないと「おいしいよ」って言ってもらえないって
すごくやる気がなくなります。
市販のお漬物でも出してやることにしましょう。
ああ、なんて簡単な晩御飯。
昨日2時間かけて作ったディナーとは程遠い手軽さだわ。
昨年行われたらしい、
BPO青少年委員会公開シンポジウム「"デジタルネイティブ"がテレビを変える!」
http://www.bpo.gr.jp/youth/research/y_sympo09.html
個人的にテレビに対していろいろ思うところがあったところだったので興味深く見せてもらった。
・アンケート結果を受けての識者によるテレビのこれからについてのディスカッション
超ざっくりなディスカッションの内容は、「TV視聴時間は携帯等に時間を奪われているけど、情報発信の第一ソース、コミュニティの中心としてのTVは失われていないみたいだから頑張ろうぜ。」的な流れ。
最後に「テレビは今後変わっていくか?」のアンケート結果が「変わる」「変わらない」「どちらとも言えない」がきれいに3等分されたところで、これはTVのあり方が曲がり角であることの現れなので放送側の生き残りを模索していかなくてはいけないという締めだった。
・ディスカッションの構成がテレビ側の人、教育者の人、客観的な評論家(荻上チキ氏) といううまいバランスが取れていて見ていて気持ちよかった。
・メディアクリエイター(TV番組コンテンツ制作者)としてのTVと、居間にドンと構えられているハードとしてのTVを別けて討論されていない。
・録画メディア(HDレコーダー等)についてまったく触れられていなかった。
以下、個人的なTVへの思いなど。
というわけで、HDRはすごい便利なので持ってない人は損してるかもしれないですよ!
でも逆に見る番組が偏ってる僕の方が損してるかもしれない。
元増田です。
たくさんのトラバ、ありがとうございます。
(これでたくさん?と思われるかもしれませんが、最近増田を始めたので、これでもたくさんなのです)
様々なご意見、目から鱗が落ちる思いで拝見させて頂きました。
就寝の前にPSPブラウザで確認したら、思いの外トラバがたくさん来ていたものだから、
ポメラを引っ張りだして、コメント頂いて、感じたこと、考えたことを書き連ねていこうと思います。
●友人は本当に「友人」なのか
まず、友人と私の簡単なステータスを上げると以下のようになります。
A:テレビっ子。オタク趣味はないが、少女漫画は好き。地方在住。
D:テレビも見るしネットもそこそこする。ややオタク傾向あり?東京在住。
出会い、というか、この集団で固まった要因は、何となく話が合うから、だと思います。
私が女子大時代に所属していた学部は、ギャルな方々がとても多かったのです。
私のように、明らかにオタク趣味のある人は他に一人もいませんでした。
A,B,C,Dの4人は、オタクではなかったけれども、それ以外では話の合う人たちです。
彼女らがいなければ、私の大学時代はとても寂しいものになっていたと思います。
よくご飯を一緒に食べに行ったり、カラオケに行くなどもしてましたし。学内での行動は大体一緒だったし。
……ただ、大学時代、趣味の話で一番盛り上がる相手は、ゼミの教授だったわけですが。
自作PCの話でよく盛り上がったものです。……と話が逸れました。
しかし、教授とPCの話は出来ても、月9ドラマの話はテレビを見ないからさっぱり分からなかった。
彼女らは、大学時代に仲のよかった人たち、という言い方が一番正しいのかもしれません。
4年間も一緒で、喧嘩も全然しなかったので、この人たちは私を知っている「友達」なのだ!と壮大な勘違いをしていたのかも。
全く仰せの通りです。
こればっかりは私の性格が悪いのです。
内弁慶なものですから、増田では言えても面と向かっては言えないのです。
疲れたとか、他のところに行きたい、と言うと、誰かに迷惑がかかるんじゃないと思い、文句は言えませんでした。
いつからか、他人の顔色ばかり気にして、行動するようになったから、今回の旅行でこういうことになったのだと思います。
自分の言いたいことは言えるように、もっと色んなことをたくさん話せる出来るようになりたい。
小さいときはやかましい性格だったのに、その反動か何かで今ではすっかり人見知り。
色々頭の中で考えて、口には出せないこの性格をどうにかこうにかしないと、次に行っても二の舞でしょうね。
はっきり言えればすっきりするけれど、その後関係が壊れるのが嫌で今まで何も言わなかった。
友人の定義って何なのかよく分かりませんけど、言いたいことが言えないのなら、友人じゃないのかなあ。
この集団の外での出来事の相談には何度も乗ってもらったけれど、この集団内での不満や愚痴を言ったことはそういえばない。
今回の旅行のことも、私以外はみんな楽しそうだったし、頭が冷え始めた今ではこれでよかったのだ、と思い始めています。
自分がこの集団ではマイノリティに属するのだから、不満があっても堪えればそれでうまくいく。
そういう考えが染み付いているから、被害者妄想と不満が爆発してああいう愚痴だらけの日記を書いてしまいました。
●プラン立てて行動しろよ、単独行動すればいいじゃん。
これも仰せの通りです。
とりあえず東京組に任せればオッケーかな、と思いこんだ結果がこれです。
大体行きたいところを決めて、行き当たりばったりな旅でした。
それと、東京組にとっては最早東京は珍しいところではないから、
(前項目の話になりますが、皇居と国会議事堂は、プランを立てたし、意地でも行きました。
プラン通りに進んだのはそこまでだったか)
単独行動は思いつきもしなかった。5人一緒で行動するのが、見えない原則としてありました。
また前項目の話になりますが、この集団の中では私の意見がマイノリティとなるから、言いたくても言えない、
他の子たちに合わせなくちゃ、という意識が、大学時代から根底にずっとあったのだと思います。
今回の件と、頂いたトラバが、大学時代の交友関係を考えさせられるひとつのきっかけとなりました。
次に行く機会があれば、そもそも行く必要があるのか、というところから考えてみたいと思います。
どうもありがとうございました。
昨晩、彼女から電話が来た。すっごいイライラしている様子だった。
女「すっごい腹立ったんだけど!」 俺「どうしたの?」 女「9時またぎで行列そのままやってそれでゴールするみたい! 欽ちゃんずっと歩いてるし、すっごいムカツク!投書してやりたい!」 俺「お前んち、読売新聞だよね。のらないんじゃん?」 女「あと500mとかいってるんだから、行列までには絶対つくじゃん!ヤラセ?これヤラレ?ネットとかなんていってる?」 俺「欽ちゃんの24時間チャリティーウォーキングって書いてある。」
まあそんな会話はされていたわけ。
24時間テレビなんてそんなもんだよいつも、とか。
今回は70kmだったらしいから、大体3,4km/hで歩けばつくとか・・・
彼女はテレビっ子ではあるけどネットはからっきし。mixiすらやらないってくらいのデジタルデバイドなんだけど
それでも今回の演出には辟易してる。
こんなんでも大丈夫なのかな?日本テレビは・・って思ったよ。
視聴率至上主義がいけないよ!っていうのは簡単なんだけどさ、物事をうがった見方している人じゃなくても
まっとうな判断力さえあれば不快に感じるような番組構成やって視聴率をとっても、広告の単価が下がるだけなんじゃないの?
って心配してみたけど、そもそもそういった価値基準がないんだってことに気づいた。
スポンサーも、不愉快なテレビ番組やヤラセなテレビ番組はある程度避けたいだろうけど
そもそも、ほとんどのテレビ視聴者にむかつく番組を放映させているスポンサーがむかつく!なんていう
心理にはたどり着かないで、出ている出演者がむかつく!っていう程度に収まる。
これじゃあ視聴率至上主義って仕方ないよな。ってところにたどり着いたりする。
テレビほとんどみねーし、見るとしてもニコニコ動画かYoutubeで事足りてるってひとがどんどこ増えると
どうなるんだろう・・。
だってそうでしょ?視聴率×1億が概算の視聴者であってCMを見る人なんていう計算が
ほとんど成り立たなくなってくると・・・
そのテレビ離れって今回みたいな24時間テレビみたいのが引き起こすんじゃないのかなぁ。
でもそれって視聴率っていうわかりやすい数字に出ない。
セカンドライフのマスコミ過熱、モバゲータウンのテレビ広告幻想の焦り / ボーグのソーシャルネットワーキング解説
http://echoo.yubitoma.or.jp/weblog/h-yamazaki/eid/427474
この記事の「◆ モバゲータウンのテレビ幻想の理由」という項を読んで驚いた。
突っ込みどころがありすぎる。
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次にモバゲータウンですが、彼らの経営者はマッキーンゼーの出身者です。中々ビジネスはお上手のようですが、モバゲータウンにテレビ広告と言うには如何なものでしょうか。まずモバゲータウンに興味を持っている10代はテレビっ子だとは考えられません。20代や30代を取り込むにしても彼らは既にテレビから離れ始めています。
ちょっとマスコミ離れのデータを探して見ましたが、新聞があったので紹介します。
注)新聞の購読者の推移
20代 30代
1985年 90??100% 90??100%
1995年 80??90% 90%
2005年 50??60% 70??80%
「モバゲータウンに興味を持っている10代はテレビっ子だとは考えられません」というならそのデータを示せ。
「20代や30代を取り込むにしても彼らは既にテレビから離れ始めています」をいうにしても、テレビのデータでないと話にならない。
モバゲータウンの主要ユーザーである高校生は、テレビを見ることも多い。
何故なら彼らは時間を持て余しているし、PCの能力を持たない。その上大学生に比してコミュニティが狭いから皆で共有できる話題を求めている。
そんなことは高校生と2,3時間話せば分かる。
20代や30代を取り込むのならばいっそ、YouTube当たりにプロモーションビデオでもバンバン流した方が余程、安上がりでイメージが良く効果的と思うのですが。
そうだろうか。
YouTubeというのは、web上の動線を確保して初めて媒体として意味を成すものだ。
無闇やたらと流しておくTVとはワケが違う。
それと、モバゲータウンであればさほど問題無いと思うが、普通の日本の企業であればYouTubeを使うとイメージが良いとはまず考えないだろう。
はっきり言ってモバゲータウンのテレビ広告は時代錯誤の焦りと言う気がします。
まあ話題作りには良いかも知れませんが、お金をどぶに捨てていると言ったイメージです。
Mixiとの勝負を焦る気持ちは判りますが、テレビで広告する位ならば、どうせ大した事は無いMixiビデオと携帯電話上で勝負しては如何でしょうか。其の方が余程、センスが良く前向きです。口コミのモバゲータウンがマスコミで勝負するなんて、ちょっと疑問です。
「テレビで広告する位ならば、どうせ大した事は無いMixiビデオと携帯電話上で勝負しては如何でしょうか」の部分に及んでは、最早何が言いたいのかよく分からない。
この人モバゲータウンやったことあるんだろうか。
さらに言うと、口コミVSマスコミという二項対立でモノを考える方がよほど時代錯誤だと思う。
マスメディアにしろネットにしろ、「いかに使うか」が大事であり、対立軸で考えてはいけない。
匿名で色々突っ込みましたが、いずれにせよモバゲータウンのCMはいただけないと思う。内容が。
忘れられないことは間違いないが。悪い意味で。