この二つはまあどちらも他作品の印象的な一場面を笑いどころにしている萌えアニメ。
らきすたは他作品の要素をただ出しているだけというか、ただらきすたに他作品の一場面やキャラを混ぜただけのような感じがしてならない。
対してもえたんはそこで笑わせるためにコメディとしてのパロディとして受け取れる。
言ってしまえば、らきすたはミックスジュースの混ぜ物に他作品を使い、もえたんは料理の味付けとして他作品を使ってるような感じ。
表面的には兔に角、実態としてはあんまり人間界に近くないように感じるよ。
あと、別に人間界に近くなくてもいいんじゃないかな。ある程度計算機に近い方が、CPUに優しいコードを書きやすいと思うんだ。だったら、混乱しない範囲内で低レベルなコードに落としていった方が、コンピュータ内部の状態も把握できるし、わかりやすいと思うんだ。業務とかでやむない場合なら兔に角、誰かが作ったブラックボックスなライブラリ使って、表面ばっかりのプログラミングなんて詰まらない。
なんで関数型プログラミングを使うのか知らん奴がまだ居るのには驚きだ。
関数型プログラミングにするのはものすごく単純な理由であって、その方がシンプルに記述ができるから、につきる。
値が主語、関数は動詞。主語と動詞があれば、文が作れる。人間の言葉ってそうなってる。
ちょっとでかけてきます。麻布ではないです。
http://anond.hatelabo.jp/20070820224720
尻軽のツケがまわってきたということだ。積極的にリスクを回避するどころか、みずから離婚する方向へ持っていっているのに何が「離婚させられるところまでいきそう」だ。誰に原因があると思っているんだい?
以前からネット上である男に言い寄られていた。悪い人じゃない。むしろいつも精神的に支えてくれた人。最初は友達としてメール交換していたのだけど、告白された。でもそれを受けるわけにはいかなかった。だって私は人妻だったから。友達としてはとてもいい人なので切り捨てたくはなかったんだけど、このままでは離婚させられるところまでいきそう。でも、ストーカーになりそうで怖い。
オブジェクトは目的語です。foobar.doThat() というのは、foobarオブジェクトにdoThatメッセージを送信してるんです。foobarがdoThatするんじゃないんです。
と、Wikipedia見ながら受け売りしてみたけど、実際のところどうなんだろ。プログラミング言語や設計言語によって意味が変わったりするの?実際のところfoobarがdoThatするっていうのが常識なの?
別にオブジェクト指向自体が有用なのは同意だけど、主語述語という主張は全く同意できない。
foo.doSomething()
はfoo「が」何かをしますで、
foo.setValue(value)
はfoo「に」値をセットするになる。主語はfooではない。スレッドとか実行コンテキストとか、まぁなんでもいいんだけど。
そういう意味では非オブジェクト指向では主語は全てスレッドで、述語は関数ということでむしろ大変わかりやすいと言えなくもないんじゃないか?
”水”族館。