真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
とある親戚は今なおテレビっ子で、その人は私が反応しない部分でもテレビを観てよく笑うほどゲラなのだが、少なくともその親戚にとってテレビは面白いのだ。
当然、ここで個人のケースを挙げることにさして意味はないことは重々理解している。
少なくとも近年のデータを見るだけなら、観る人が減っているのは確かだろう。
まあ、テレビを観る人が減っていることが面白くないこととイコールかは断言しかねるが。
これまでも、さまざまな要因が挙げられてきた。
色々説はあるが、コンテンツの多様化というのが主な要因とされている。
それで終わらせてもいいが、せっかくだからそれっぽいことを答えようじゃないか。
さて、肝心のテレビが面白くないかどうかだが、そのものの内容が面白いかどうか判断することはとても難しい。
個人の感受性によるところも大きいし、数多ある番組を一括りにして語るわけにもいかない。
ただ、「テレビを観ている人が少なくなってきている」という論調なら多少は語りやすくなるか。
まあテレビを観ていない事をファッションとしつつ議論に参加する人間もいるが、そのパターンは置いておこう。
さまざまだが、番組の視聴率を時間ごとに区切り、その番組で視聴率が高かったときの映像を観て分析するというのが基本だろう。
そして、そのときの映像に含まれた要素が、「最も視聴率のとれる可能性のある要素」だということだ(と作り手は考えている)。
面白くない番組の要素として既視感のある、クリエティブさに欠けた演出などを槍玉に挙げられるが、作り手にとっては合理的理由なわけだな。
ただ、このやり方の致命的な弱点は、今ある分母の中の、分子しか考慮していない点だ。
分子を増やすか減らさないようにするだけのやり方では、分母を増やすことは難しいだろう。
こうしてテレビを観る人のための番組を作り、テレビを観ない人はますます観なくなるわけだ。
それは一見すれば間違っていない構図だが、受け手がついてきてくれたコンテンツではなくなりつつあるのだから先細りする。
この現状に対しての大雑把なアンサーは「テレビを面白いと思っていない人が、面白いと思う番組作りをすること」だ。
今回はピックアップ関連。 真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。 Q.あなたよりも多く知っていて、あなたよりも深く知っている人間いるならば、それで...