はてなキーワード: コスプレとは
なんでウマ娘のルールは守って、フェミニストのクレームには反発するのかって?
そんなこと馬鹿でもわかるだろうが
ウマ娘や宇崎ちゃん作者は自身の作品に対する権利を保有しているからやめろと言ったらそりゃまともなやつは守るだろうしライン超えたやつは法的措置取られて負けるだろうよ
お前らフェミニストはこれまでクレームつけてきた作品に対して権利持ってたのか? お前の作品だったのか?お前自身が二次創作でもされたか?
まさかすべての「女性表象」は女性である私たちがジャッジし、取り締まる権利があるとでも思ってんのか?
それも女性さんのお得意な”共感”っつーやつがなせる技ですか?
まぁ本気で思ってるなら裁判にでもすればいいんじゃねーの
>cha9 ウマ娘の件では表現の自由戦士というのは表現の自由じゃなくダブスタの自由戦士だっていう馬脚を現したよな、ウマだけに。
RRD 表現の自由戦士なら戦えよ…
cinefuk コスプレしている幼児の写真に「ハイエースしたいwww」と親のアカウントに送っていたオタクいたけれど「あなた(の子供)を性的な目線で見ている」というメッセージが暴力だと、ようやく彼らも理解してくれたか 性犯罪 オタク
quick_past あー偉い人に怒られるからやめようねムーブか。。反撃されないような弱い相手ならやってもいいんだと。
cha9 ウマ娘の件では表現の自由戦士というのは表現の自由じゃなくダブスタの自由戦士だっていう馬脚を現したよな、ウマだけに。
RRD 表現の自由戦士なら戦えよ…
cinefuk コスプレしている幼児の写真に「ハイエースしたいwww」と親のアカウントに送っていたオタクいたけれど「あなた(の子供)を性的な目線で見ている」というメッセージが暴力だと、ようやく彼らも理解してくれたか 性犯罪 オタク
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/m_tobermory/status/1371773686873686018
RRD 表現の自由戦士なら戦えよ…
cinefuk コスプレしている幼児の写真に「ハイエースしたいwww」と親のアカウントに送っていたオタクいたけれど「あなた(の子供)を性的な目線で見ている」というメッセージが暴力だと、ようやく彼らも理解してくれたか 性犯罪 オタク
今回は「記憶」や「情報」よりも「推測」と「考察」がメインです。
前『映画秘宝』編集長・岩田和明が退社した後、のん(能年玲奈)さんが同誌で持っていた連載が、素っ気無い告知と共に終了しました。これに関して私は、投稿番号(10)において「実はのんさんも内心では、自分とは無関係な『ワンダーウーマン』のコスプレとかさせられて、着せ替え人形のような扱いを受けるのが嫌だったのではないか?」との推測を述べました。
この私の推測は、あくまでも推測、つまり「可能性としての理由」の一つにすぎず、他の可能性も考えられます。結局のところ「真相」について外部の者が知ることはほぼ不可能でしょう。したがって、ここでの本題は連載終了の「真相」を明らかにすることではありません。
私の述べた「のんさんの連載終了の理由に対する推測」に寄せられたブコメには「のんさんの連載が終了したのは岩田和明が退社したからだ」と云うものがありました。この『説明』だけで「それで『理由』としては『十分』である」と簡単に受け入れる人が存在することに対して、私が覚えた『違和感』が今回の本題となります。
さて、まずは「岩田和明が辞めたから」と云う意見に沿って考えた「のんさんの連載が終了した理由」の仮説を幾つか例として挙げて、その後に「私が考える問題点」について述べます。
(1)理由その1:出版業界では―――近年は徐々に改善されつつあるものの―――編集部と書き手の間に交わされる契約や業務引き継ぎなどが「イイ加減」な状態で放置されていた―――或いは、されている―――ケースが多々あることは、よく知られています。例えば、漫画家志望者が原稿の持ち込みに行き、原稿を預けて帰ったはいいものの、その後はナシのつぶて状態なので痺れを切らして編集部に問い合わせたら、原稿を預かった編集者が既に退社しており、持ち込みに来た漫画家志望者の存在も連絡先も編集部内で情報が共有されておらず、肝心の原稿はロッカーや引き出しの中に人知れず放置されて誰も存在を知らなかった…。こんな話を目や耳にした経験がある人もいるのではないでしょうか。これと同様に、ひょっとしたら、岩田が退社した『映画秘宝』編集部では、のんさんの事務所へ連絡する時の宛先を書いたメモ等が不明となり、コンタクトが取れなくなったのかも知れません。
(2)理由その2:誌面出演者や書き手が「雑誌」や「出版社」や「編集部」ではなく「担当編集者個人」を気に入ったので、その雑誌での仕事を引き受けたというケースもあるでしょう。ひょっとしたら、のんさんも「岩田和明個人」を気に入っていたから『映画秘宝』の仕事をしていて、岩田和明個人が居なくなった『映画秘宝』が相手では仕事をする気が失せたのかも知れません。
(3)理由その3:2ちゃんねる等では「会社を辞める時に『復讐』として、自分が居なくなったら仕事が回らなくなるように仕掛けを施してから退職した。ザマーミロ」と云った類いの、真偽が不明の武勇伝的な話を目にすることがあります。ひょっとしたら、岩田が退社する際に腹いせとして、のんさんの連載が継続できないように工作したのかも知れません。
(4)理由その4:岩田和明個人が独断でのんさんの連載の開始を決定したが、実は他の編集者や双葉社は始めからずっと連載に反対し続けていたので、岩田が退職したのを幸いに連載を打ち切ったのかも知れません。しかし、のんさんのような人気芸能人に連載を引き受けてもらえれば、双葉社としても編集部としても読者を獲得する良い販促材料になるはずなので、それを考えるとこの仮説は可能性として低いような気もします。しかし、人気芸能人にオファーするとそれなりの金額の報酬を支払わねばならず、それならば予算面での圧迫があって連載を切りたくなる動機が生じると云う可能性も、有るといえば有りそうです。
(5)理由その5:さらに可能性は低いですが、のんさんへの報酬を岩田個人のポケットマネーから捻出していたので、岩田が居なくなったら支払えなくなったとか、或いはのんさんへの報酬を名目に会社の会計処理をゴニョゴニョしていたのが発覚して、岩田の退職に伴い不明朗な会計処理が是正されたとか…。流石にこれらは無いとは思いますが、こんな可能性だって、無理やり捻り出そうと思えば捻り出すことだけは出来ると云う例として書きました。別に、私が本気でそう思っている訳ではありません。ただし、過去に集英社で「漫画家が出席していない編集者だけの飲酒会合を『漫画家との打ち合わせ』の名目で『必要経費』として申告していたら、それがバレてガッツリ追徴課税を課された」と云うケースがありましたから、金銭処理がイイ加減な出版社や編集部というものは『映画秘宝』がそれに該当するか否かは別にして、業界に存在はするようです。
以上で取り敢えず、仮説例を挙げるのはこれぐらいにしておきます。
さて、出版業界周辺において上で述べた(1)〜(5)と「似たり寄ったりの話」を見たり聞いたりした経験をお持ちの方からすれば「岩田が退職したから、のんさんの連載も終了したんだろう」と言われれば、その説明でもう『十分』であり『納得』するのが謂わば『当たり前』なのかもしれません。しかし、私は「それを『当たり前』の事として放置し続けても良いのか?」「それを『当たり前』として済ませる感覚に対して、そろそろ『疑問』を持つべきではないのか?」と、そう言いたいのです。
のんさんが如何なる動機や理由で『映画秘宝』の連載を引き受けて継続していたのか、そして何故連載を終了したのかに関する真相は、外部の人間である我々には分かりません。
しかし本来、契約をして報酬を出すのは『会社』のはずです。つまりは「会社としての正当な業務」の一環です。その「会社としての正当な業務」が、いくら編集長や担当編集者であったとはいえ、高々「社員の一人」に過ぎない岩田和明が去っただけで業務の引き継ぎもままならず、契約も煙のように消え失せ、仕事も打ち切りになってしまうのでは、これは「会社」としてはハッキリ言えば「恥ずべきこと」であり「異常事態」です。
考えてもみて下さい。思考実験として、仮に「岩田和明が今回の恫喝DM事件を仕出かすような人間ではなく、不祥事で退職する出来事も起きなかった」と云うような『並行世界』がイワタバースの一つとして別次元に存在したとします。その並行世界に暮らす岩田が、もしも不慮の事故や病気などのアクシデントで亡くなったとして、その場合のんさんの『映画秘宝』での連載が簡単に終了するでしょうか?「まっとうな会社」ならば「緊急事態に他の社員が対応出来るように引き継ぎが可能な状態にしておく」でしょう。「まっとうな会社」ならば、です。
「岩田和明個人が退職したから、のんさんの連載も終了した」と云う説明だけで、それで十分な『理由』として受け入れてしまう人は、要するに「『映画秘宝』とのんさんとの間でオファー及び契約を交わして成立していた『会社としての正当な業務』を、岩田和明が個人の一存でどうにでも左右できるように『私物化』していた」と言っているのに等しいのではないでしょうか?
でも、それは端的に言って「異常」だとは思いませんか?
繰り返しますが、私は何も別に「これが『真相』だ」と言いたい訳ではありません。ただ、もしも「出版業界では編集者が業務を『私物化』するのは『当たり前』のことだ」と、何の違和感も疑問も抱かずに考える人が編集者や読者に少なからず存在するならば、私は「そのような考え方は、最終的には雑誌そのものを腐らせて、破滅に導いてしまうのではないか?」と、そう言いたいのです。
ここで本筋からは少々逸れますが、のんさんの芸能人としての立場を考えると「編集者との『個人的な関係』を動機として、のんさんは連載の仕事を続けていた」と世間に思われてしまえば、他の芸能マスコミから「男女の関係?!」等と面白おかしく報じられる虞れがあります。したがって、仮に『映画秘宝』や双葉社の側に「連載を終了させたい」と云う何らかの理由が有ったにしても、のんさんに迷惑を掛けないように彼女の立場に配慮するならば、むしろ連載終了のタイミングは岩田の退社直後にならないようにタイムラグを設け、あらぬ世間の誤解を避けるべきだったのではないかと私は思います。
もしくは、連載終了の告知時に「のんさん及び彼女の事務所は、岩田和明がしたことについては『許されないこと/悪いこと』と考えている」と、誌面で明確に告知するべきだったと思います。それが無いまま「連載を終了したのは単に岩田和明が辞めたからだ」と世間の考えを放置してしまえば「もしかして、のんさんは岩田のした事を『悪いこと、間違ったこと』とは思っていないのではないか?」と世間の人々にあらぬ疑いを持たれかねません。
それとも、岩田和明がのんさんの連載を終了するにあたって「素っ気無い告知」だけで済ませたのは、暗に「のんさんは俺(=岩田)の事を批判してないぞ」とアピールする狙いが有ったのでしょうか?
或いは、連載を終了させることで「自分(=岩田)とのんさんの間には『特別な結び付き』が有るんだぞ」と(それが「事実」であるか否かは別として)、世間にアピールして信じ込ませる狙いが有ったのでしょうか?
このような可能性をついつい私が考えてしまうのは、既に述べたように『映画秘宝』のライターや編集者は「普通とは違うオレたち」をアピールすることが大好きだからです。
可能性の話は置いておくとして、岩田和明が編集長になる前から既に、雑誌『映画秘宝』の内部では「業務の『私物化』」は起きていました。そして、それは結局のところ、彼ら『映画秘宝』がホモソーシャル集団内部だけで通用する価値観を盲信して、女性を含めた「他者」に対して甘えると云う幼稚な精神の持ち主だったことに起因するのだと私は思います。
予想外に長くなりましたので、今回は一先ずここまでとします。
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さすがにジョークとしても時代遅れすぎて今時タランティーノですら使わんセリフだと思う anond:20210310151807 | ただの庵野じゃん anond:20210310152222 |
だから露出多いキャラデザだとコミケに露出多めのコスプレしにいったりギリギリ乳首や具が見えない写真集出してるような性格だと思ってるのに「素朴で引っ込み思案な女の子」みたいな設定だと脳がバグる
https://anond.hatelabo.jp/20210305071103
これの追記として書いておく。
「ただエロ目線でしか見れないのはオタクではなくヤンキーではないか」ということをメインで言ったが、ついでに、
「作品を考察・評論し社会への影響などを考えるようでなければオタクにあらず!」というが、あなた方左翼の掲げる多様性というか、個人主義というか、それはどこ行った?
自由に楽しむということは許されないのか?これはこれで排外的では?というのが気になっている。
また、ものすごく失礼なことを承知でいうし、理解が乏しいかもしれないし、関係ないかもしれないし、いろいろ申し訳ないのだが、コスプレについても気になっている。
基本的にはアニメのキャラになりきることが目的のもの。おそらく社会への影響だとかそういうことは関係がないはず。
「エッチなコスプレだ…」というのはまたヤンキーと一緒だが、「アニメのキャラになりきってみたい!」「ああいう服を着てみたい!」といった女性の欲求も「オタクにあらず!」否定されるものなのか?
ほぼ毎月!? そんなに頻繁にやってたとは知らなかった。私はうっかり母と行っちゃった一回こっきりしか行けなかった。中学生から大人まで幅広い年齢層の人達がいて、同人誌はほとんどコピー本で、グッズはグラデ便箋とラミカ、縫製してない布を身体に巻き付けただけのようなコスプレとか、ハンドメイド感すごくて自分にも背伸びすれば手が届きそうな間口の広そうな世界ですっげー! 私もやってみたい! ってなった。親同伴とかメンタルがチキン過ぎて、友達にはハブられてしまったけど……。
最近では開催中止にするか、もしくは、
国内の観客だけ受け入れて開催するか、やっぱり、
ちゃんとした形で、外国の観客も受け入れて開催するか、その選択が組織委員会に迫られている。
でも、何だろう。開催するにせよしないにせよ、この東京オリンピックに感じる変な感じ、変な虚無感は。
2014年、東京オリンピック開催が決定した時、日本は歓喜に包まれた。
そして、2016年リオオリンピックの閉会式、安倍首相が土管の中からマリオのコスプレをして飛び出して来た時、東京オリンピックに対する確かな希望と未来を感じたものだ。
しかし、今となってはどうだろう。
このゴタゴタの中で、東京オリンピックに対して感じていた希望と未来が、確かなものじゃなくなり、
日本人にとってこの東京オリンピック開催という事が、何か、変な虚無感に包まれてはいないだろうか。
もしそういう「変な虚無感」があるとすれば、
もう完全な形で開催されないという事実が挫折と絶望を生み出し、
町で美人とすれ違うと悲しくなる。テレビで美人芸人を見ると悲しくなる。美人のコスプレ画像とか見ても悲しくなる。以前は目の保養だなとむしろ楽しめたのに。俺は童貞の22歳だが、これから一生美人と縁が無いのだと思うと悲しくなる。美人を見る度にこの悲しい現実を突きつけられて悲しくなる。もちろん、美人や彼女らを抱いているイケメンに非はないのは分かっている。俺はえり好みなんか出来る身分じゃないし、ブサイクでも彼女が出来たらありがたいと思わないと行けないのだろう。それでも悲しくて仕方ない。美醜の概念を知ったときから、テレビや町で美人を見る度に「いい~」なんて思ってきたのに、それと一切縁が無いまま一生を終えるって嫌じゃないか?美人を得ることが幸福の必須条件とは思わないし、俺は一人でものんびり楽しく生きていく覚悟をきめた。むしろ、そっちの方が性に合っているだろう。それでも、俺が指をくわえて美人を見ているだけなのに、どこかの誰かさんを美人をゲットして、毎日ヤッていると思うと気が狂いそうになる。それと俺が悩んでいるのは性欲ではない。そんなのシコっとけば解決だからな。俺が苦しんでいるのは劣等感だ。もし万が一の幸運がおきて、顔はイマイチだが、性格のいい彼女ができたらどうなるんだろうか。もう顔のことなんかどうでも良くなるんだろうか。それとも、「世の中にはあんな美人がいるのに、俺はこいつで妥協しないといけないのか。俺の人生は一体何だったんだ」なんて思いながら生き続けるんだろうか。そしたら、確実にそんなゲスな考えをしている自分を客観視して自己嫌悪に陥るんだろうな