2015-03-06

バレリーナ

僕はその日も活字拾いの仕事を終えて家に帰るところだった。

沢山の活字を拾ってチカチカした目を休めるべく遠くを見ながら

自転車ペダルを踏みしめる。そして、トンネルの中を潜る。

するとそこにひとりの少女が立っていることに気がついた。

僕は自転車を停める。


「どうかしたの?」と僕は彼女に尋ねる。「道に迷ったの?」

「違うの」と彼女は言った。「ここ、幽霊が出るって噂があるでしょ」

そう言われてみればそんな話を職場の同僚と話した記憶がある。

少女が中で車に轢かれたのだ。僕も献花を行ったことを思い出す。

申し訳ないけれど、出口まで送って貰えないかしら」


僕はふたつ返事でその彼女を後部座席に乗せて自転車を漕ぐ。

僕はそれほど脚力はない。だけれど、自転車はすいすい進む。

やがてトンネルを出た。「どう?」と僕は尋ねた。「帰れそう?」

彼女は深々と礼をして言った。「時間はある? 見せたいものがあるの」と。

「私、バレリーナ志望だったのよ。踊りを見て欲しいの」


それで僕らは近くにある公園に行って、彼女は噴水の前に立った。

地面にしゃがみ込む僕を見下ろして言った。「今から踊るわ」

そして彼女は、何の伴奏もない状況でバレエを踊った。

指先や足先をピンと立たせて、優雅に泳ぐように彼女は踊った。

僕はその踊りに魅了されてしまった。言葉も出なかったんだ。


彼女はひと通り踊り終えると、「私の踊りどうだった?」と訊いて来た。

「素晴らしいよ」と僕は言った。「とっても上手だった」

「そうなのかしら」と彼女は言った。「私には才能がないから

「才能なんてどうだっていいことだと思うよ」と僕は言った。

「少なくとも僕にしてみれば、君の踊りは素晴らしかったんだから


そう言うと、彼女は笑って言った。

「ありがとう」と。


「君、こんなところで何してるんだね」と僕は突然後ろから呼ばれた。

僕はトンネルの真ん中に座っていた。後ろで迷惑そうにトラックの運転手が

僕を見つめている。声を掛けたのは警官だった。「危ないじゃないか」

「ごめんなさい」と僕が謝ると警官は言った。

「何が起こったのか分からないけれど、命は大事にしなさい」


それから少しして、トンネルの中で少女幽霊を見たという

噂は途絶えてしまったことを知った。その理由は流石に僕にも分かる。

今でも僕は思い出すんだ。彼女の凛々しい踊りのことを。

そして相変わらず、僕は活字拾いの仕事を続けている。

今日仕事が終わったらまた献花をするつもりなんだ。彼女へのお礼に。


BGM:たま「オリオンビールの歌」

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