はてなキーワード: エントリーとは
「・・・刻々と高まる下腹部の便意を抑えきれないようだな・・・?」
「所詮、ブクマム人は我々とは違い劣等民族だからな。彼らには少々重湯がすぎたということだ。」
「薬で人体を縛り付ける、そうした西洋医学のやり方に問題がある、・・・そうは思わないのか?」
「縛り付けた覚えなどないな。彼らは薬でコントロールされることを望んだのだ。」
「望んだだと?」
「そうだ。・・・世の中を見渡してみろ。どれだけの人間が自分だけの肉体で排便を成し遂げるというのだ?
自らの手を汚し、リスクを背負い、そして自分の足だけで埋めていく・・・。
そんな奴がどれだけこの世の中にいるというのだ?」
「・・・・・・・・・。」
「・・・貴公らの活動を思い出してみよ。貴公らがエントリーを流し、名声を懸けて守ったブクマ民はどうだ?
自分の身を安全な場所におきながら勝手なことばかり言っていたのではないのか?」
「彼らは自分の生活を維持するだけで精一杯だったのだ・・・。」
「いや、違う。傍観者でいるほうが楽なのだ。弱者だから不平を言うのではない。
うんこをこぼしたくないからこそ傍観者の立場に身を置くのだ。彼らは望んで『傍観者』になるのだよ。」
「ばかな・・・。人には自分の排便を決定する権利がある。自由があるのだ!」
「わからぬか!本当の排便とは誰かに与えてもらうものではない。
自分で勝ち取るものだ。しかしブクマ民は自分以外にそれを求める。
漏らした増田の登場を今か、今かと待っているくせに、自分がその漏らした増田になろうとはしない。
それがブクマ民だっ!」
「人はそこまで怠惰な動物じゃない。ただ、我々ほど括約筋が緩くないだけだ。」
「・・・聖騎士増田よ、貴公は純粋すぎる。はてな民に自分の夢を求めてはならない。生産者は与えるだけでよい。」
「何を与えるというのだ?」
「ばかなことを!」
「人は生まれながらにして深い業を背負った生き物だ。
より楽な排泄を望み、そのためなら人を締め出すことだっていとわない。
しかし、そうした者でも罪悪感を感じることはできる。彼らは思う・・・、これは自分のせいじゃない。
生理現象のせいだ、と。
ならば、我々が乱れた生理を正そうではないか。秩序ある腸内環境にしてやろう。
スターをむさぼることしかできぬ愚民にはふさわしい役目を与えてやろう。
すべては我々が管理するのだ!」
「しいたけているのではない。
我々は病におかされた腸内環境からその病因を取り除こうとしているにすぎん。
他組織に影響を及ぼす前に悪質な繊毛運動は排除されねばならぬのだ!」
「社会に自浄作用が備わっているように大腸にもそれを正そうという働きはある!」
「それを待つというのか?ふふふ・・・貴公は人という動物を信用しすぎている。
はてな民はより力のある方へ、より安全なほうへ身を寄せるものだ。
そのためならブクマページを非表示にすることもできる・・・。増田!」
「ま、増田・・・!なぜ、君がここに・・・?」
「ああ、アンタにどうでもいいことウダウダいわれさえしなけりゃ楽しいんだけどな!」と返したくてしかたなかった。
先日の誰かのエントリーと同じ、「身の丈に合った程々の生活」ができればいいので仕事も程々、報酬も程々、でよくてそんな情熱かけるものでもないしな。
http://anond.hatelabo.jp/20161112010850とhttp://anond.hatelabo.jp/20161112023559が同一人物である前提で書くが
増田で自ら同一人物宣言する意味は希薄で馬鹿げてると思いますが、その前提は正しいです。同一人物であり、それは私です。
まず「10本の指で数えた場合、10進法じゃなくて、11進法になるからな。」って何言ってるんだよ。意味不明だよ現に人類は10進法使ってるだろ。
というのは、元増田の
と
10進法の半端な感じマジ酷いよ
という主張が同一観点に基づくものと判断したからこそのツッコミ(あるいはボケ)であり、あなたの「人類は元来10進法を使用して云々」という指摘もまた仰る通りです。
また、私のエントリーにある
9本だったり11本だったりすると、なかなか便利になるかもしれない。
これについては「ネタとして不快」以外の論法で非難なされるのは、「ネタ」であるがゆえに、ですが、あまり意味を成しません。
あなたのエントリーに対して唯一揚げ足を取るとするならば「ネタにマジレスしてどうすんの?」くらいですが、何かそれを言ったら私の負けな気がします。
以上、意味不明という発議、かつ説明を要求されたことに対する答えです。御査収下さい。
納得できなかったら反論してください。
余談ながら、「文章破綻」「ノータリン」というのは、私のエントリー自体を読めばその通りなので、仮に上記説明で納得し詫びたいなどと思ったとしても詫びる必要がありません。そういう系のトラバは不要です。
あるある。
「こいつすげえ笑える。馬鹿じゃね?」と思ってブクマしたエントリーは大抵3年前の自分。
バカには主旨が理解できないようだからそこは解説してあげよう。
「海外で仕事する上で、Rya, Ryu, Ryo のローマ字表記が相手の言語圏では発音しにくいので、自分の名前を正確に呼んでもらえないこと。だから『Rya, Ryu, Ryoの表記以外で正しく読んでもらうにはどうすればいいか』」だ。
(俺は元増田じゃないけど、主旨は極めて平易に書かれていると思うぞ。それと、後は考察とトラバへのレスで、それを読み取れずに単に全否定するなら、あんたはやっぱり生産性のないバカだ。)
日本人以外で、ロシア語をネイティブに話せる人を対象にしたエントリーじゃないので、そもそもロシア語がどうとか全く関係ない。
貴方の意見よりも、「発声記号で統一すれば?」って意見の方が、まだ生産的で建設的だ。
あと「主旨の前提となる認識」って何を指して言っているのか全く分からんので、そこは俺を馬鹿扱いしても良いので、きちんと説明してみてください。よろしく。
http://anond.hatelabo.jp/20151017231411
がそこそこ好評だったので、改めてタイトルを追加してみようと思って書いてみます。
http://morning.moae.jp/lineup/121
主人公・テツローはフィギュアの造形師を目指す主夫だが、数年間くすぶっている。
ほぼ作者の実体験にもとづいて描かれており、自分の夢に向かいながら生きることの難しさや不安と真摯に向き合った作品だと思います。
テツローと嫁の掛け合いがたまらなくいいです。というか嫁がかわいくて強い。
初めて父親になるシーンはとても美しいです。
http://shonengahosha.net/works/baransupor_001.html
『EAT-MAN』『地球の放課後』の吉富昭仁による、トランスセクシャルフィクション。
女性の出生率の減少した世界で、国の要請で子供を産むために性転換した少年と周囲の関係性を描く。
・HaHa(1巻完結)
『ハイスコアガール』の押切先生が騒動の最中に始めた、自分のルーツと向き合う物語。
裏表紙にある
目の前にいる母の歴史は何も知らない。
母の事をもっと聞いておけばと
後悔の念で涙するのは嫌だ。
僕は思う。
親の半生に関心を持ち敬意を持って
自分のルーツとしての母親の半生をたどるという試みを面白く、感動的に描いている作品です。
・雲出づるところ(2巻完結)
http://kc.kodansha.co.jp/product?isbn=9784063002416
駅で拾った子供を育てながら幸せに暮らし、やがて出水は妊娠する。
癌を患いながら出産を決意した出水と十一の、闘いの日々を描く。
生きていくことの不条理さを詰め込んだ作品で、希望があるのかどうかすらわかりませんが、
それが著者が人間の生死というものに徹底的に向き合った結果なのだと思います。
・名づけそむ(1巻完結)
http://shodensha.tameshiyo.me/9784396766740
誰もが持つ、「名前」にまつわるエピソードを集めたオムニバス。
日常の意外な瞬間に、ありふれた名前を通して、ささやかな喜びや希望、そして胸が締め付けられるような切なさや痛みを感じる人々の姿を全10編で描く。
上にある試し読みのように、短編でこれだけ描写の重さを乗せられるのはすごいなと思いました。
・闇夜に遊ぶな子供たち(1巻完結)
http://renta.papy.co.jp/renta/sc/frm/item/6274/
『死人の声をきくがよい』のひよどり祥子の、うぐいす祥子名義の作品。
霊感が強く、よからぬものが近づくと体調を崩す少女・マコとその兄・トシオに降りかかる災難の数々。
私の中では『度胸星』『預言者ピッピ』に並んで続きが出て欲しい作品。誰か。
・木版漫画集 或る押入れ頭男の話(1巻完結)
(試し読みがありませんでした)
あとがきで「私は、二冊の木版漫画集を刊行する為だけに、私の人生、10年間をそっくり使い果してしまった。
それが良かったのか、わるかったのか、今は判らない。」というぐらい寡作な藤宮史先生の作品。
人間不信から内向的になり、大学にも通わずアパートの一室に引きこもった青年が、何もかも捨てていっそのこと押入で暮らしたい、いや押入そのものになってしまいたいと思っていたら、
ある日男の顔は本当に小さな押入れ然となっていた。家を追い出されその日暮らしをする中で、彼はどこに辿り着くのか。
木版ならではの重厚さとストーリーの重苦しさがマッチしていて、これまで味わったことのないような読み口の作品でした。
・こども・おとな(1巻完結)
http://www.s-manga.net/omf/omf_978-4-08-890409-2.html
http://sokuyomi.jp/product/ningyoouzi_002/CO/1/
なども良かったです。
最近漫画の読み方が保守的になってきているので、自分にムチを入れる意味も込めて書いてみました。
みなさんのオススメも教えてください。
ただしすべてものの90%はクズである。ご存知スタージョンの法則である。
「邦画はクソ!」というあなたに見て欲しい日本映画黄金期の名作 - シロッコ手習鑑
http://sirocco.hatenablog.com/entry/Japanese-Movie
1行で要約すると
「邦画はクソ、つまらない」という人は日本映画黄金期の名作見てないんじゃないの?「七人の侍」おすすめ。
通常であれば、うんうん「七人の侍」いいよね。黒澤映画の基本だよね。で済ませていたところだが、
>面白いという保証のない現代映画をみるなら映画黄金期の名作を見るのをオススメします。
という一文がどうにもひっかかったのでここにキーボードを執った次第。
邦画について検索すると「邦画はクソ」という結果が出てくるらしく、その一例として示されたまとめサイトの
でも現代人が「邦画クソ」という場合、この前見に行った邦画がつまらなかった、ハリウッド大作と比べると
どうしても全米が泣けない、原作改変しすぎて新規ファンの流入もないし原作ファン激おこだし誰得なの?
マンガ実写化に文句言うのはカッコ悪いってカッコつけるために言ってるんじゃねえよこちとらカッコ気に
してられないほど必死なんだよ。
みたいな文脈だと思うんだよね。もっと良い新作邦画を作ってくれよ、の裏返しの邦画クソ。
まずいものを食べてまずかった、という生の声。味噌汁がしょっぱいので盛り上がらなかった、とかね。
そこへ評価が確定している過去の名作を見ればいいのに、とアントワネットばりにケーキを薦められても違くない?
オールタイムベストにランクインしている名作を見るランキング型消費では、「君の名は。」「シン・ゴジラ」が
ブームだからと見に行くのと大差ない、いやむしろ悪いんじゃないか。
新作を見て評価するのは、きさんがやらねば誰がやる?
>面白いという保証のない現代映画をみるなら映画黄金期の名作を見るのをオススメします。
新作映画は見てみるまで面白いかどうかわからない。評判はあっても時間の審級を経てはいない。
それでも、新作を見る人がいるからこそ映画は作り続けられる。回転資金がなくなれば味噌汁さえも作れなくなり作品数は減る。
最初のスタージョンの法則に戻る。名作は幾多の駄作の屍の山の上にわずかに咲く花だ。
山が小さくなれば名作のド壌も枯れてしまう。
新作見るより過去の名作を見ればいいのには、映画興行の否定だ。
邦画の良さを紹介するために邦画を殺したら本末転倒ではないか。
1.で大体言いたいことは終わった。あとは重箱の隅です。
当時の娯楽の王様である映画作品が数多く作られていた50年代60年代が日本映画黄金期なのには異論はない。
しかし、その後テレビの隆盛、レンタルビデオの登場など、作品数・入場者数が減っていくには理由があり
単に数が下だから今は暗黒期、だから黄金期のを見ようという論は雑である。
物価の上昇はあるが、観客動員数や映画館の数は最盛期より減っているにもかかわらず興行収入上位には
現代の作品ばかり並んでいる。現代だって捨てたもんじゃないよ。上位=名作とは言わない。
では黄金期に多く作られた中でどれほどの作品が今に伝えられているのか。直木三十五の作品は読み継がれているだろうか。
名作とされるものしか今に至るまで残らないから黄金期はより素晴らしく見え、洋画もヒットが見込める
現代邦画は、ダメなものも全部さらけだされているから相対的に90%クズ感が増してしまう。
上澄みと生データを比べたら勝ち目無いよね。観る側向けにはこの点クギをさしたい。
だが、過去の名作を踏まえた上で今映画を作っている方々には、なんで見えてる地雷そびえ立つクソを作りあげてしまうのか。
味噌汁のミソとクソを間違えてはいないか。映画評論してきた経験は製作の現場には役立てられないのか。
金と時間が許せば名画座に毎日入り浸って映画漬けの日々を送り何百本のノルマを果たして蓮見ゼミに潜り込むんだ。
という夢の前提条件も今ではhuluなりNetflixなりで自宅に居ながらにして叶えられる。
しかし大スクリーンで一時停止も巻き戻しもなく集中して見る体験は映画館でしか味わえない。
「七人の侍」が公開された1954年、「ゴジラ」と「君の名は」も公開されていた。
奇しくも今年、その系譜を継ぐ「シン・ゴジラ」「君の名は。」が、それぞれ好評を得ながらヒットしている。
「シン・ゴジラ」「君の名は。」が新作としてかかるのは今しかない。
1968年の五月革命のパリが舞台。パリ留学中のアメリカ人青年マシューは
シネマテーク抗議デモを通じて知り合ったテオとイザベルの家に転がり込み……。
邦画でなくてすまんね。