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デューデリジェンスはやめた方がいい。違う。買収監査ってなんですか?ここで言うDDとは誰でも大好きというアレである。
というわけで、推し増しはいいことですとかいう説があるが普通に愚策なのでやめた方がいい。
2022年の夏ごろからちょっとハマりだした某声優がいたんだけど、それまで名前と顔だけ知ってる程度だったのがひょんなことから本格的に追うようになって、番組見たりしてた。まだイベントとかそんな出る人じゃなかったから、ボケーっと眺めながら手紙を送ろうとした矢先に事務所を退所してしまった。
えー送り先消滅しちゃったやん・・・と思ってたら数週間後にどでかい発表があった。バチクソ超大手事務所に移籍した。
お~仕事増えるやん!実際移籍した瞬間鬼のように仕事が増えた。普通に深夜アニメのレギュラーはバンバン決まり、イベントにもガンガン出て、ありえんくらいコンテンツに所属してなんかユニットめっちゃ組み始めた。
ここで俺はある答えにたどり着いてしまった。時間と金が足りないことに・・・
DDをやっていると、どうしても愛の大きさに優劣をつけることになる。イベントが被った場合、どうしても金の工面がこれ以上できない場合、単純に行く気があるかないかは、「今まで推してきた時間」が決め手になるか、「とにかく今好きな子への愛」が決め手になるか、まあそんなとこである。
一応好きな女性声優数名のところには平等に行けるように調整してこの子のイベントとか舞台にも行ってたつもりではあるんだけど、どこかで破綻するのはもう時間の問題であった。
そして2024年に入り、また新たなコンテンツに所属したり映画の声優まで務めるようになった。アニメの先行上映会とかコンテンツのリリイベとか、とにかく安価で時間の拘束も短い現場に行ったりしてたんだけど、そのコンテンツのライブへ行くに至るまではできず(履修にとてつもない労力を要すため)徐々に「置いて行かれてる感」が出始めた。
そもそも女性声優への応援行為にタイパだのコスパだのを求めだしたら終わりである。俺は間違っている。皆はマネしないように。
一方その頃ほかの声優とは関係値をさらに深めており、この子に対してだけ「俺は何のために追っている?」「この子のためになれているのか?」という状態が続いた。
番組を見てても最近のライブとか舞台挨拶の話だし、疎外感を感じており(行ってないのが悪いのだが・・・)、メールも半年以上採用なくなっちゃたし、このまままたリリイベでも行こうもんなら「ライブとかには来ないくせに接近戦だけ来る典型的なイナゴ」認定を受けるのがオチであり、しんどくなってきた。
ここまで大風呂敷が広がると、もはや他の声優を追っているようじゃすべてを追うのは不可能なのだ。この子一人にすべてを捧げる相応の覚悟が必要なターンに入るくらい売れた。
推しの仕事が増えるのは良いことであるが、自分は結局、自分のボーダーラインスレスレで仕事をし続ける女性声優のような何かを応援したかっただけなのかもしれない、と最近思う。
なんか売れた瞬間身を引く人っているよね。あれの気持ちがちょっとわかり始めたかもしれない。じゃあ仕事がないやつを追ってろって話だ。なんやこいつ。人間収入と支出には限界があるし、土日は48時間しかない。優先順位をつけたときに、無意識に「下」に落とす声優はどうしても出てきてしまう。
ので、他の女に時間と金を割くのは良くない。一人と真摯に向き合うべきである。DDはやめた方がいい。
中途半端に応援するって最終的に自分の首を絞めることになると思う。「この子は好きだけどあのイベントには行かない」みたいな確固たる信念を持っているならいいと思うし(現に自分もそういうのあるので)、ここで一区切りついたかなっていう具体的な節目があってそこで身を引くのもいいと思う。そういうのが自分の中で作れないと、いつまでもゾンビみたいになってしまう。
ところで他のコンテンツの履修がだるいので俺はいつまでたってもアイマス声優という呪縛から逃げられずにアイマス声優に収束してしまうのかもしれない。怖くなってきた。アイマスから逃げたい。
最近、話題になっていた例の件を流し見してた時、そういえば子供のころコロンブスのアニメ見たことあるなあと思い出して、テキトーに検索してみたら出てきた。
ほとんど内容覚えてなかったから久々に観てみたけど、大人になってから視聴するには色々とキツいものがあった。
話の流れ自体はコロンブスの新大陸発見をやってるんだけど、作風というかノリが如何にも子供騙しって感じ。
タイトルにもなってるピコっていうオリジナルキャラがいる時点で十分だろうに、コロンブスも狂気に近いレベルでコメディリリーフに徹する。
そんなコロンブスの変人っぷりに船員たちが不信感を持って、彼を殺そうとするシーンとか一応シリアスなんだけど失笑してしまった。
航海中のストレスで船長が殺されるっていうのは実際ある話だったらしいけど、散々ふざけたノリやっといてそんな殺伐としたことやるんだっていう。
で、新大陸でインディジョーンズもどきみたいなことやってて、史実に詳しくない俺から見ても「やってんなあ」って展開の連続。
ラストで、コロンブスが新大陸にアメリカ都市が建つのを夢想するシーンとかあるんだけど、見てて思わず「おいおい……」って言っちゃったよ。
アメリカの切っても切れない歴史、それをアク抜きしたアニメをドイツが作って、それを日本で見てる俺。
上手く言語化できんが、なんか変な感じ。
優しくなければ生きてはいけない
の根拠は何?
スティーブ・ジョブズもイーロンも特に優しくないけど大金持ちだ
ポリコレはいい加減に他国の文化にまで口出しすんのやめろ。黒人のことはなーんにも思ってないけど、ポリコレは迫害してこの世から消したくなってきてる。
そんなに日本のゲームアニメが嫌いなら、お前らの世界から日本の情報シャットアウトして、日本を除く世界の中でポリコレバトルしてろよ。
男子は20歳くらい。普通。かっこ悪くはない。垢抜けないファッション。
大人しくて真面目そう。知らないアニメのコスプレに参加したて。
起きて話してる女子。20歳くらい。頑張って下手なお化粧しておばさんみたいな顔。
おとなしいぶりっ子みたいなコスプレ調の服装。白のうすーいストッキング。
解散した尼神インターの聖子みたいに話してる。まあいい子なんだろう。だけど20年後の姿が浮き出てる。
西日暮里で降車。またねー。ばいばーい。
そしてその男子にずっと頭を支えられて寝ていた子豚。
最初、男子に頭をもたげて寝てる女の子可愛い演技だと思ってたけど、
二人になったら窓ガラスに後頭部を押し当てて、口を開けて上を向いて寝てた。
余計ブスに見えるだろうが。女友達を送っていくのは偉いなーと思ってたら、
青年、悲しいなあ。その女の子に悪気はないだろうが、女子は悪気をかくしてこそぞよ。
初めての彼女かもしれないけど、横の顔を見てみろ。可愛くないぞ。
でも性格良かったらそんな寝顔にはならない。
向かいの男子の彼女がブスだったって書こうと思ったけど、そんな話じゃないな。
眉間にシワ寄せてどうしたらいいんだと大問題意識の中で電車に乗ってほしい。
そうしたらワイも「そうだろうそうだろう、頑張れよ」未来の青年にエールを送れるのだ。
合コンでブスの「ねえ、二人で抜け出さい?」って誘いに乗ると、
ガロウは気づかなかったな、自己評価のあたりがピンとこなかったのかも?
・充分な能力はあるが、自分はヒーローではないことを自覚している
なにがだめなのかお気持ち抜きで言ってみろよ
クリエイターが苦労して作り上げた選挙ポスターを焼いたら次は漫画やアニメが焼かれるぞ
一つでも焼くことを許したら全てが焼け野原になる
おもしろすぎて観るのを中断、完結後しばらくしてから一気観することがある。
火狩りの王 完了後一気見
異世界おじさん 中断中
キングダム5期 中断中
葬送のフリーレン 中断中
魔女と野獣 中断中
おーいトンボ 中断中
ザ・ファブル 中断中
週末トレインどこへゆく 中断中
狼と香辛料 中断
私も、アニメの女の子とか美少女が出てくるコンテンツや、いわゆる萌えを愛好する男性オタクがルッキズムに染まってるのかは、気になってた。
もし現在パートナーがいたとしても、目の前に巨乳美少女が現れて告白してきたら、
たまにフィクションと現実を切り分けろ、なんて言われてるけどさ。
心の奥底では望んでるんじゃないかと疑ってる。
もしそうだとすると、理想化された女性の登場するコンテンツの男性オタクという情報だけでは、その人を差別主義者と見ていい、って事になるけど………。
何の問題があるんだろう?
日本のゲームとかアニメとかの強みって、美女とか美少女を出してるからだよね。
ルッキズムに迎合してリアルな人間からかけ離れた、消費に都合のいい道具としてキャラを使役してるから。
ルッキズムやミソジニーと一蓮托生なコンテンツって、全然持続可能じゃないと思う。
ツイッターでアニメで女の子を足から頭までネットリとカメラを回すシーンが嫌らしいとして話題になった。某特撮も不要なセクハラシーンが鼻に付くとして炎上してた。
増田ちゃん、わたしも最初、おしり探偵のキャラ設定に驚いたっす。
幼児向けアニメとはいえ、おしりの形をしたキャラクターが主役って、確かに異例っすよね。
フェミニスト的な視点から見ると、ジェンダーや体を使ったギャグがどう受け取られるかは議論の余地があると思うっす。
ただ、おしり探偵は基本的に暴力的な要素や性的なニュアンスが少なく、むしろユーモアと教育的要素を重視してるっす。
物語の中で問題解決のプロセスを描いたり、友達や仲間との協力の大切さを学んだりする点は評価できるっす。
確かに下ネタ的な要素があるけど、その程度はおそらく許容範囲内なんだと思うっす。
もっとも、個々の感受性や視点による違いもあるので、一概に「良い」「悪い」とは言い切れないっすね。
つまり、結論としては、フェミニスト的な視点でも許容範囲内に収まっているからこそ、NHKが鉄のように成立させてるんじゃないか、って感じっすね。
アニメなどの創作物は『こころ』で観るものなので、むしろ単純に機械的なクオリティを担保しようとしてAIを使うより、創り手という人間に寄り添っていく方が在るべき姿な気がするがね。個人的には。