はてなキーワード: アッピーとは
別におつたかさんだったかおっとっとさんだったかの話ではない。店の予約の話である。
昔、電話が苦手だったので、店の予約は極力しなかった。インターネットで検索、店直行である。人数が多い場合はさすがに電話して確保するが、コースの話とかされてもテンパるので、基本は直行である。四人以下なら予約なしである。
が、いろいろあって最近はちゃんとするようになった。というか予約なしで行くことがかなり減った。特に友達と、とかデートで、とかそういう場合は確実に予約をしていく。
なぜか。
ダメな大人とダメでない大人にたくさん出会い経験値がたまったからである。
あと、年食っていろいろとめんどくさくなった。辛抱たまらんこともふえた。要するにわがままになった。歩くのめんどくさいし、期待してたものが手に入らないと疲れる。新しく店を探す気力もない。歳である。歳は取りたくないものである。だが歳を取れば知恵がつく。経験値が上がる。どうにでも、切り抜けられるようになる。それが年をとるということである。
だめな大人は予約をしない。年末の新宿で、宴会に使われそうな店でも予約をしない。木曜日だから大丈夫だよね? などと同意を求めさえする。だめだろと思うが、そこはグッと我慢の子である。入れなかったら、まぁしょうがないですよね、また次回リベンジしましょう!(はーと)とフォローするのが女子力である。若いころはそれだけでよい。しかし、三十路も近づく八十八夜ともなれば、そういえば知り合いがいいって言ってた隠れ家的な店が近くに…などと検索能力をアッピールせねばならない。これは大人力である。面倒である。大人は面倒なのである。そのうえ自分は怠惰な人間であるがために、女子力上げさえも放棄している。むしろ女子だったかどうかも怪しい始末である。どちらかといえば男子である。肉と酒がありゃいいんだろ、ガツンとだ、ガツンと! という気持ちである。ただし、胃袋だけは女子である。むしろ年寄りである。三十路ともなれば胃は弱るのだ。肉は食えない。
閑話休題。
だめでない大人は予約をする。だめそうでだめでないやばい大人は予約をせず、バックアップが本命である。めんどくさくねーのかなと喪女は引く。だが、泣く腹と地酒には勝てないのである。さっくり店に入れるとそれだけで満足してしまう。良い店であれば少し気分がいい。しかし相手と気が合うか否かはまた別問題である。楽しい食事になるかどうかは資質である。滑舌である。頭の回転の速さである……三十路は全て藪の中である。
スタートアップ系男子とは、要するに起業とかそういうのをしたがるタイプの男子であり、ライフハックとか自己啓発とか好きな男子のこと。最近はTwitterやFacebook、ブログなどで、こういう男子をちらほら見かけるようになりました。オタクを落としている場合じゃないです。彼らは下の意味で買い時です。
前にも誰かが言っていたんだけど、「かわいい子がたくさんいる世界」よりも、「男だけの世界」のほうが競争率が少ない。例えば、大学でも工学部など、男子の比率が凄く偏っているところは、女性というだけでちやほやされるという事例が多い。なんだかんだいって、IT業界というのは、男子のほうが多いし、ホモソーシャルで精液臭い世界であるので、おっぱいを触らせるくらい抵抗がないというビッチに関しては、競争率も少なく、ちやほやしてもらえ、なおかつ女の子というだけで「カワイソー」という同上を一定層から引き出すことができます。
どんなに綺麗事を言っていても、あの子たちはチンコを持った動物であり、一皮向けば中小企業のおっさんと変わりません。
彼らの言うことはいい事が多いですよね。
詐欺師の話として、「自分は絶対騙されない」と考えている人ほど、騙されたときにドツボに入りやすいと聞きます。要するに、自分がいい人だと思っている人ほど、自分がチンコによって振り回されていることを知らずに、それが善意であるとか、そういうことを信じやすいということは言えるでしょう。なので、ちょっと性欲を刺激してあげればドツボに入ります。
まあ、ドツボに入りすぎてストーカー化するという男子もいるとは思いますし、割と自己愛気質だったりするので、自分の思い通りにならないと、すぐDVっぽいことをするかもしれません。そこは自分の見る目で補いましょう。あと、割と人の話を聞かなかったりするので、ただ相談したかっただけなのに、なんかよくわからない精神論を説教されるということもあるかもしれませんが、「この人バカだなー」と思ってニヤニヤしましょう。
あと、割と自分の綺麗事と折り合いをつけるために、綺麗事をやりたがる傾向にもあります。それを自分に向けられたら占めたものです。彼らは「新しいことをしていたら応援したがる」という単純な考えの持ち主ですので、あなたがやりたいことを勝手にやれば、すぐにそれを応援してくれるでしょう。
なぜポジティブに考えるのか。
それはネガティヴに考えると、そのドツボにハマるから。むしろその男子は不安が多いタイプの人間です。不安が多いからこそ、いいことを言ったり、何も考えないでガムシャラに働くということで、自制心を保っています。だから、そういう不安につけこむといいでしょう。新興宗教も、病院の待合室で勧誘するという話があるくらいじゃないですか。女子力というよりかは、お母さん力です。
とくに、Twitterでやたらナイーヴなことを呟きはじめたら占めたものです。「あなたみたいな人でも、不安なことがあるんですね」とアッピールすればいいわけです。そうするとコロっといってしまいます。必要なのは「あなたの事は私だけがわかっているわ」というオーラを出すことです。別に本心は「キンモー☆」と思っていても、それはそれです。
えげつなくいきましょう。別にあなたのことで、チームが険悪な気分になったり、いいサービスがおじゃんになったりしても気にしないで参りましょう。ただ、あんまり変なことをすると、同業エンジニアから嫌なことを言われたりすることがあるので(あの人たちは女性より一次元のコードのほうが好きなので)、そこは自分は悪くない!と開き直りましょう。もしかしたら、開き直ることすら必要ないかもしれません。ほっときゃ周りの人が勝手にフォローしてくれます。
いまスタートアップ系男子は買い時です。お姫様としてチヤホヤされるなら、これほどいい場所はありません。とはいえ、美人であるとか、ちょっとビッチであるとか、そういう条件は必要ですけど、そういうのに抵抗がないならば、おすすめです。
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
ブルマというのはオナニー業界において一大ジャンルを形成してます。
でも、平成生まれからいって、その未来が明るいとはとても思えません。思えないんです。
はっきりいうと、ゆとり世代とか現在若者であるところの人々は、ブルマに対してそこまでの魅力を感じていないと思う。
皆さんご存知で、多くのブルマニアが憤慨しているように、いまや三次元学校におけるブルマーとゆうのは絶滅危惧種というかもはや天然記念物レベルです。
ぼくが小学校に入ったとき、たしかうちの姉とか上級生の一部はブルマをはいていたような気がするんですが、まあぼくにとってのブルマの記憶なんて言うのはその程度です。
つまるところ、ぼくらの世代には生のブルマという経験がありません。
ブルマと聞いて思い浮かべられるのが姉のはいてる風景だなんて、こんなに夢のないことはありません。
生でブルマを見た知った経験がほとんどないということがどのようなことを意味するかというと、それはすなわち「実感のなさ」、あるいは「背景のなさ」につながります。
たとえば、すく水のことを考えてみてほしいんですけど、すく水っていうとどうですか。
やっぱりまずイメージするものとしては、カルキの匂いとか、女の子が教室の隅っこでこそこそ着替えてる姿だとか、頬を赤らめてトイレに行く女の子だとか、まあこれはぼくがおしっこ大好きだからなんですけど、そんなところじゃないですか。
二次元ですく水という時も、これらの甘酸っぱいイメージを念頭に置いて女の子を見ることになります。
たとえばイラストですく水といっしょにタップタオルが描かれていたとする。
それを見たぼくたちは、下地、背景として(あるいは無意識のうちに)女の子がいっしょうけんめいお着替えしてるとことかをイメージするわけです。すごいドキドキしますよね。
もちろんすく水の魅力がそういう背景に留まらず、紺色からはみ出たまっしろなお尻であるとか太股にもあることは百も承知です。
だけど、そういうものをエロいと感じる根底には、先ほどあげたようなイメージが下地として深くかかわっていると思います。
そうじゃなきゃラップタオルなんてただ中国製タオルと大差ないわけです。
逆の例を挙げるなら、チャイナ服があるでしょう。
あれも太股が強調されて大変えっちなんですけど、一般的に言ってお世辞にも絶大な人気があるとは言えないですよね。
せいぜいコスプレ要素として一瞬出てきてふーんそうかーと思うくらいです。
で、なんで人気ないかというと、チャイナ服には下地というものが無くて、完全にセックスのための服でしかないからじゃないでしょうか。
もちろんチャイナ服が登場するようなリアルもあると思うんですけど、横浜中華街に住んでいるのでもない限りたいていのひとはそういうリアルを持ってないわけで、というかそもそも横浜中華街でもああいう服が使われているのか分からないんですけど、まあやっぱり「ハレ」の服であることには違いないと思います。
ちなみに、バニーガールにもそういうきらいがある。
あれもうさぎさんぴょんぴょんしてて大変えっちなんですけど、そこからぼくらがイメージするものというとせいぜいドラクエのカジノくらいであって、ふつうはこれが出てきた瞬間「セックス! セックス・アッピール!」みたいなムードになりますよね。
まあうさぎさんというのはヒトと同じく哺乳類の中では珍しく「発情期」というものを持たず、常に生殖可能であるそうで、それを考えると、ハルヒに代表されるように恥ずかしがり屋さんに着せちゃうのもまた一興だなーと思います。
関係ない話をしましたが、ぼくらの世代、少なくともぼくにとってはブルマーはチャイナ服と同じレベルに非日常のものです。
小学生くらいのころにブルセラブームに遭遇したため、その印象が強いというのもあるかもしれません。
で、こういう言い方をすると、リアルでの経験なんていらないぜ二次元ブルマーは全く別物だぜ!と主張したい人が出てくると思う。
そういう人は、ロリコンの赤以外のランドセルバッシングのことを考えてみてほしい。
あの今はやりの24色ランドセルだか何だかいうのは、いまや防犯ベルとならんで現代小学生の必須アイテムだとおもうんですけど、ぼくが小学校高学年くらいのころがちょうど出はじめでした。クラスに一人二人持ってる人がいて、それがその人のチャームポイントになりうる、というような。
たぶん今ロリコンやってるような世代には、本当に縁のないアイテムだと思います。
ロリコンのカラフルランドセルバッシングも、こういうところに起因するのではないでしょうか。
まあぼくもカラフルランドセルは幼さを不必要なまでに強調しているような感じがして嫌いなんですけど、たぶんぼくより下の世代になると、あれに興奮する人も出てくるんじゃないかな。
ブルマの代用品として登場したハーパンってわりと評判悪いですけど、ぼくはそこそこエロいと思います。
そんなわけで何が言いたいかというと、下地を失ったブルマは今後ゆとり世代(あるいはそれより下の世代)のオナニー業界参入によって市場を大幅に縮めていくだろうということです。
ブルマ大好きの人は早いとこブルマ関連商品を一生分集めた方が良いと思います。たぶん。
あと、こんなことを言ってますが、ぼくはブルマがそこまで嫌いというわけではないです。そこまで好きでもないですが。
ぼくの時代のブルマというと下履き的な要素が大きいわけなんですけど、そのためか下履きのブルマというテーマには大きな魅力を感じます。邪道だったらごめんなさい。
下履きブルマってけっこう未開拓ジャンルだと思うんですけどどうですか。だれかやりませんか。
最後に、ブルマゲーでおすすめあったら教えてください。今調べた感じ「マーブル★ブルマ」って抜けそうな感じするんですけど、どうですか?
ちょびっと追記とかした。
この流れに水ぶっかけるつもりは全くないし、むしろ諸氏の働きには大いに期待。
# Rubyは以前からドメイン持ってたのをハブサイトにしたのね。
# 個人的に1番面白いのはhttp://ruby-users.jp/の文言だと思うよ!
# そして個人的には今後http://ruby-users.jp/を応援するよ!
# そのためだけにRubyはじめてみるよ!
ただ、こういうのはどうせならwikiとかにしたほうがいいと思うよ。
# よくよく見たらSVN使ってたり既にwikiだったりしたところもあった。失礼。
1人で管理する形だと、もしその人が忙しくなったり体調崩したり情熱が冷めたりしたらどうすんだろうなと。
# ドメイン管理とかその辺はまあ必要だとして、サイトのコンテンツ自体の話ね。
最近ゲームとかのまとめでwikiが多用されてるのは、コンテンツ管理を皆で行えるのがとても大きい。
プログラム関係なら有名無名問わず情熱持ってる人は多いんだから、その情熱を1人で吸収する必要は全く無いと思う。
と言うか、管理人体制を採用したハブサイトはどっかで廃れるんじゃないかな。
あと個人的に、ハブサイトと聞くとハブられているサイト(仲間外れにされているサイト)っぽくて正直ピンとこない。
ポータルじゃだめなんだろうか。
なんとなくMichael Schwernにみんな踊らされすぎだと思う。
別にそこで無理にグローバルスタンダードに合わせなくてもいいんじゃないかなあ。
とか言う時点で時代遅れなんすかね。
ちなみにhttp://www.java-users.jp/は以前から存在してたんだけど、ハブサイトになれてるかどうかと言うと正直微妙。
カップルに限った話ではないが、秋葉原に来たグループの中でオタク度に開きがあると、よりオタク度が高い側(つまりガイド役の側)がイキった発言を連発しやすい傾向がある。
「お前ら××見たことないだろ」
こういう発言を、一緒に来ている人に対してしてしまいがちってことね。自分も見たことないくせに、より古参であることをアッピールするために「○○かぁ??、懐かしいんだぜ!!」とか言ってみたり。そういうのに限って声がやたらでかいので非常にうっとうしい。
カップルの場合、彼女が頼んでもいないのに「秋葉原を案内するっぜ!」とか言って半ば無理に連れてきたような、空気読めない彼氏がそういう事をする傾向があるから一まとめに「カップル来るな」って言ってるんだと思う。
あなた達カップルの間にそういうパワーの差がなければ誰も気にしない。
「友達と秋葉原に来てる奴全員うぜえ」っていうコミュ力のないオタクの僻みと解釈してもらっても一向にかまわんとだけ先に書いておこう。ただし、大声でのイキりまくった発言は後に思い出してあああああああああってなるのは間違いないからな、これは僻みではなく警告だ。
いいハナシだなあ。
一見長所をあげているように見えるけど、よく読むとオタク男子が普遍的に持っている弱点ともなる特性を述べているに過ぎないので、これは対象のオトコ云々ではなく元増田がデキた目を持っているということだとおもう。
減点法でみたらダメダメなトコを、加点法でみてくれている的な。増えろナイス男女。
あと、本当はそう思ってなかったり、服飾の知識がないのに無理に「誉めよう」とするとボロが出るので、
服装とか髪型とかは、誉めるまでもなく「気が付いてますよ」ってアッピールするだけでモテ度は違ってくると思う。
要は下心で誉めないことだオタク仲間よ。