はてなキーワード: 推して知るべしとは
年末年始バタバタだし1/4の監査結果公表まではなにも投稿するつもりなかったけどこれだけは触れたかったので。
日本維新の会政調会長の音喜多駿参院議員がColaboについて以下のような寄稿をされています。
私自身かつて都議職時代にcolaboの事業を支援していた過去があり、その際には「(公金をもらってしまうと)行政から求められる事務作業が煩雑すぎる」という陳情を受け、東京都側にもっと柔軟な対応ができないのか問い合わせたこともあります。
その私の対応が、結果として今日明らかになった公金の不当使用につながった可能性があり、自らの行動を深く反省しております。誠に申し訳ありませんでした。
確かに反省して謝ることができるのは評価すべきです。君子豹変すとも言いますしね。
ただ、それでも役人的には「そりゃないっすよ音喜多先生」と言いたくなりそうな御発言です。
役所には様々な議員から様々な申し入れ・依頼・陳情等々が入ります。
すべて実現することは法的にも物理的にも到底できませんが、役所はそれなりに重く受け止めます。
それなりというのは、与党幹部なら非常に重く、野党の1年生議員なら取り敢えず聞き置くか、という感じですね。
(もちろん内容に寄ります。施策と大まかな方向性が合っていれば泡沫の野党議員だったとしても全面的に協力したりしますし)
役所のやりたい施策を実施するには、議会に法律(条例)、予算、場合によっては人事も認めてもらう必要がある、と言うのが教科書的な回答です。
それはもちろん間違いではないのですが、もう少し生々しい話をすると、
からですね。だから野党議員にも弱いですし、「○○党の機関紙買ってよね。買わないと()」などの暗黙のプレッシャーが通用してしまいます。
本件申し入れがいつ頃なされたものか、音喜多議員が都議会与党の都ファ幹事長時代なのか、それとも離党後なのかは分かりません。仮に前者だとしたら、役所的には「どーすんだよ何かお土産(言い分を叶える材料)探さんとあかんわ」ですし、後者なら「んー知名度も発信力もあるしゼロ回答はあかんかな…」くらいでしょうか。
あと、音喜多議員だけでなく、例えば何人もの他党議員から同様の申し入れがなされた場合も、実現の度合いは高くなるでしょう。
暇空茜さんは「共産党と強い繋がりがある」とされていますが、音喜多議員を見ても分かるように共産党に限らず人脈は広そうですね。
確かに強制されている状態でもない(いっそのこと声を潜めていても良い)のに反省し、謝罪できることは評価すべきなんですよ。
でも、当時の都庁職員からすると、「…えぇ今更あんたがいうんかよ!?」と感じるはずです。
いや、本来は今後の音喜多議員の言動を見ていくべきなんですよ、もちろんそれは分かるんですが感情的な問題として、ね。
どうも、Colaboのモデル事業の初期の段階では、都はまともな監理を行っていた形跡が見られます。
音喜多議員の寄稿もそうですし、他ならぬ仁藤さんのツイートでもそのような話が出てきます。
どのような議員からどのような申し入れがあり、その結果どうなったか(監理が甘くなったのか、もしくは担当者がかわったのか、など)は確実に検証すべきだと考えます。
これをしないと都庁職員は都議の申し入れに弱腰(というか言われるがまま)にならざるをえませんよ。
✕捕捉⇒○補足(ありがとうございます!)
少なくとも、仁藤さんの過去のツイートを見ると「多少…融通」には思えないですし、都庁担当者も同様に感じたのではないでしょうか。
これはあくまで個人的な評価なんですが、音喜多議員は自身の影響力を過小評価するような無能議員ではないと思うんですよね。
経験も実績も十分にある方ですので。
ただ、申し入れが音喜多議員だけでなく、想定を越えて広がってしまった可能性はあります。
悪いんだけど、圧力に負けて手心加えて法をねじ曲げた運用したなら「おまえは何のために給料をもらってるんだ?」としか言いようがない。法を曲げる執行官など要らんわ/制度的に透明化するしかないんじゃないの?
もちろん、通常であれば役所の裁量の範囲内での融通なんですよ。
今回こんなことになってしまったのはよく分からない(だから検証をしてほしい)んですよね。
音喜多議員だけでなく、様々なルートで申し入れがあり、抗いがたい状況になったのでは?と疑っています。
日々あるような雑多な陳情だと例えばこんな感じです。
1/5正午の5分くらい前
パターン①
役人⇒議員「先生、以前御相談のあった○○の申請の件、無事承認されまして、これからwebに掲載されます!」
議員⇒依頼者「例の件、まだ未公表ですが、通ったそうですよ、これからも何でも相談してくださいね。」
パターン②
役人⇒議員「先生、以前相談のあった○○の申請の件、尽力したんですが…」
議員⇒依頼者「例の件、まだ未公表ですが内々にということで、厳しかったと受けております。残念ですが、今後も何でも相談してくださいね。」
議員も取り扱いを変えて貰えないことは理解しながら、役所に顔が利くことを誇示する、と。
通常はこの程度なんですよね。
もちろん、議員の力や申し入れの内容で対応は変わりますが、それでも今回のことが異様に映ります。
Jのユースより高校サッカー部のほうが指導者の質が高いケースが出始めてるね
Jのユース指導者はトップチームコーチや監督への昇格を見据えた経験の浅い人(高確率でチームOB。アオアシのユース監督もこれに該当)が担当したり、逆にトップチームで結果が出なかった人の天下りがやることが多い。そして成果はあまり求められない。つまり質は推して知るべし。今年プレミアから降格することになったセレッソ大阪ユースは後者のパターン。
一方部活のほうは構造的に天下り指導者が有り得ないし、成果を出さないと学校側だけでなく生徒の親やOBからも責められてクビが寒くなる。
つまり指導者の成果に対するモチベーションは部活>>>ユースになるし、緩すぎる現場には質が高い指導者は来ない。
あと、斜めからの考察になるが「社会構造の変化による核家族化と主婦層の減少」がユースから部活回帰に繋がっている可能性もある。ユースの場合、寮がある一部チームを除くと放課後に帰宅→ユース練習場に親が送迎というパターンが多いが、主婦が減ると送迎する人が居なくなる。部活はそういうことは起きづらい。欧州だとユースはだいたい寮とセットだから送迎問題は起きないが日本だと寮があるユースは片手で数えるくらいしかないからな。
https://anond.hatelabo.jp/20221105115632
ぼく勉と五等分、かぐや様とではクオリティに差があるのだから、パラレルストーリーが悪いのではなくぼく勉が悪いのだという説が散見される。
これはぼく勉の話がつまらなかったから盛り下がったのだという趣旨で一理あるように見える。
しかしあえてぼく勉ではなくパラレルストーリー自体が悪いのだと私は主張する。
まずメディアミックスであるがぼく勉より単行本売り上げが低かったゆらぎ荘の幽奈さんですらゲーム化している。
単に人気が低いというだけではゲームより遥かにコストが低いボイスドラマが打ち切られる理由にはならないだろう。
またそもそもジャンプで2年以上連載していた作家に対してお前がうまく出来なかったから悪い、もっとうまくやれたはずだと言うこと自体傲慢極まりないと一蹴しても良いだろう。
そもそもの話として、ぼく勉に話の良さは求められていたのだろうか。
ぼく勉は元々1話完結を繰り返す構成であり、長編と言われるものでも4話程度の連続した話しかない。その中ですら粗が目立った。
そして本編終盤の強引さを鑑みればその後のパラレルストーリーの出来についても推して知るべしであったが、そのような中でも多くのファンはパラレルストーリーを歓迎していた。
同じ作者が描くのだから、話のクオリティが急に上がるわけがないのは誰しもがわかっていたはずだ。
つまりぼく勉は話の良さなど期待されていなかった。強引でもいいから自分の好きなキャラの思いが成就することだけが望まれていたのであり、実際にそれは叶った。
読者の求めていたことを叶えて、それでも盛り下がってしまったのだからこれはぼく勉が悪いわけではないだろう。
まとめると
ぼく勉に話の良さを期待していたファンなどほとんどいなかったのだから、話の出来が悪かったから盛り下がったのだという主張は失当である。
となる。
ぼく勉はキャラの可愛さで人気を獲得し、長編の話作りが下手であることもわかった上でパラレルストーリーが歓迎されていたのだから、ファンが望んでいたのもキャラの可愛さだけのはずだ。話の出来の良し悪しは関係ない。
作者は今まで通りキャラの可愛さを引き出していたのだから、十分にうまくやったと言えるだろう。(理珠ルートはキャラが出なかったのでまあうん)
もっともこれはぼく勉は話を期待されていない漫画だから、話の出来が悪いのが悪いという批判は成り立たないということに過ぎず、話を期待されている漫画であれば話が良ければ受け入れられたのかという課題が残る。
そこでぼく勉が仮にストーリー面も期待されていたものと仮定して、以下にパラレルストーリー自体の問題点を上げていくことにする。
読者が自分の推しキャラが終わった時点で満足して読まなくなることは想像に難くなく、読者が減るのも当然である。
ぼく勉の場合、頭3つほど抜けた人気のあった真冬がヒロインであった最後のルートですら大した盛り上がりを見せず(事実単行本売り上げが他より上回っているわけでもない)、最終回でもトレンド入りすらしなかった。
トレンド入り自体はジャンプの打ち切りになるレベルの漫画(例:レッドフード)でもすることがあるものであり決して高いハードルではない。アニメ化していない作品ですら円満終了なら最終回のトレンド入りは定番となっているので、ジャンプ連載作品ではむしろしないほうが珍しいと言って良いだろう。
読者が減少するということはすなわち作品が連載中であるにも関わらず、話が進むごとにどんどん盛り上がりが減っていくということになり、活気の減った漫画は余計に見向きがされなくなるという悪循環を生んでしまう。これはぼく勉に限った問題ではなく普遍的な課題だろう。
五等分の花嫁やかぐや様では作中の描写がどうだ、ここの描写がああだと言った考察が盛り上がっていたが、ぼく勉はパラレルストーリーが始まった時点でこれまでの描写が語られることがほぼなくなり、考察ブログも更新を停止することが目立った。
これはパラレルストーリーが本編の描写と連続するものでない以上、何がきっかけで彼を好きになったのか、何がきっかけで彼女を好きになったのか。そういったことを本編の描写から考察することが出来ないのだから当然だろう。したところで意味は無い。話を期待されていたのであれば、なおのこと虚しくなるだろう。
個別ルートは本編の描写と繋がっていない。であれば推しキャラを持つファンは本編の描写を語ることが虚しくなるだろう。それが個別ルートまでの間にあった出来事なのかどうかわからないのだから。
全く語らないことはないだろうが、以前までと同じ熱を持って語ることは出来ない。同じキャラを推すファン同士であれば個別ルートの話題で盛り上がれるだろうが、違うキャラを推すファンとはそれで盛り上がることは難しい。無意識にどこかで俺の好きなキャラのルートではその出来事はなかったという冷めた目線が生まれてしまう。
SNS時代の今、語られなくなることは作品にとって致命的である。パラレルストーリーは二次創作需要の先食いですらなく、ファン交流の土壌ごと奪っていることに等しい。
これは恋と嘘のように最初からマルチエンドにすると決めていた作品であれば回避できる問題ではあるが、現実的には難しいだろう。週間少年漫画誌で人気と伏線を両立させることは困難であり、ぼく勉のように途中でなんとなく決まることが大半のはずだ。
最後にたとえパラレルストーリーをやったとしても各キャラのファンを満足させることは難しいという最大の問題がある。
パラレルストーリーに対する各キャラのファンの主な反応はこうだ。
- うるか派 とにかく発表方法やその他の扱いにキレている。※
- 理珠派 ほぼ関城さんがメインで理珠がサブ扱いなので不満の声が目立つ。
- 文乃派 話自体にはそれなりに満足しているがパラレルがなければ本来は文乃が勝っていたはずだという幻想に縋って不満が渦巻いている。
- あすみ派 とりあえずやってくれたことに満足している。
- 真冬派 圧倒的な人気なのになぜか先生と生徒じゃなく先生と先生の恋愛になるという扱いにキレている。
※参考
作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい
https://anond.hatelabo.jp/20200724234926
【追記】作者に嫌われているキャラを好きになったら特典でも冷遇されてつらい
https://anond.hatelabo.jp/20210308181806
【替え歌】作者に嫌われている。
このように手放しに満足しているのはあすみ派だけだ。
なぜ満足しているのかといえば、登場が遅く人気も低いためエンドヒロインになる芽が一切なかったのに、奇跡的にヒロインになる姿を見ることが出来たから満足しているのだ。
この点真冬も同じく設定的にエンドヒロインになる芽が一切なかった。ではなぜこちらはキレているのかと言えば、パラレルストーリーをやること自体が真冬の圧倒的な人気を背景に生まれたものだと信じられているからである。
つまりパラレルストーリーをやるきっかけが真冬の人気によるものなのだから、当然話のクオリティも素晴らしいものであるはずだという期待があったのに、その期待が裏切られたから不満を持たれているのだ。
このように元々芽がなかったキャラのルートをやったにも関わらず、そのルートの出来が良くなければ恨まれてしまう。
芽があったキャラであれば、話が良くても悪くても本来は勝っていたはずなのに二番手以降に追いやられたという逆恨みをされてしまう。
元々なければ諦めがつくが、中途半端に与えられると足りないものが目についてしまう。半端な救済は逆に恨みを買ってしまうという、社会問題でもよく見られる現象と同じことだ。
結局のところ満足ができるのは元々芽のなかった不人気キャラのファンだけであり、人気キャラのファンは余計に不満を持ってしまうのである。
本来ルートがなければないであるもので満足できる。五等分の花嫁を見ればわかりやすい。
一花のあの思い出だけは嘘じゃないんだよの泣き顔で切なくなれるし、二乃のあんたを好きって言ったのよという告白で痺れることができる。三玖の私は私を好きになれたんだという独白に感動できるし、四葉が私の分の仕事をお願いしますという台詞をようやく言えたことも胸を打つ。五月の私は私の意思で母を目指しますという宣言が嫌いな人間はいないだろう。
(各キャラの台詞は筆者の趣味でピックアップしたものであり、あくまで例である)
結ばれようが結ばれなかろうがそれぞれのキャラに素晴らしいシーンは存在していて、通常キャラのファンはいいところを見つけて満足できる。満足出来ないファンもこういうルートがあればよかったと理想を追える。
パラレルがある場合それは出来ない。各キャラのファンが見たいのは結ばれるところであり個別ルートである。
すなわちそれまでの話にいくらいいシーンがあったとしても、個別ルートの出来が良くなければ満足されないのである。
そして一度公式に提示された以上、それは違うこれが正しいと自分の理想を追える気概のあるファンは少ないから、ファン活動のハードルもパラレルの有無で段違いになってしまう。
自分の好きなキャラの思いが成就する場面をやるのであれば、誰だって自分の中の理想の形で成就することを想像する。当たり前だが多くの場合理想通りに行くはずはない。
漫画である以上、あまり長い話数は出来ないのだからなおさらだ。
普通であれば期待外れに終わるのは一度だけ、一人のキャラのファンだけだが、ぼく勉のようにした場合はヒロインの数だけ期待外れに終わることになる。
作者に対する失望が増えるほど作品に対する興味も冷めていく。当たり前のことであってぼく勉に限った話ではない。
失望されなければいいというのは一つの理想ではあるが、それは全教科満点取れば入試に受かると言っているようなものだろう。
仮に話のクオリティが期待されていたとしても、パラレルストーリーを連載する以上
というパラレル自体の問題点があり、仮に万が一クオリティが高かったとしても盛り下がっていたと考えられる。
よってぼく勉が特別うまくやれなかったのではなく、パラレルストーリーという形式がそもそも悪いのだ。
なおパラレルストーリーという形式をぼく勉が選んだ事自体が悪いというのはそのとおりだろう。
ただその場合の批判は、作品ではなくそれを選んだ作者に及ぶべきではないかと考える。
これがまさにパラレルストーリーをやったことの弊害ではないだろうか。
作品の内容を評価される手前、パラレルをやった意義で評価されてしまうのだ。
この話題がぼく勉である意味は何もない。内容について踏み込まれないから作品の理解を深めることは出来ない。
国の中央と沖縄を利害を共にしない別個の主体であるとすると、沖縄にとって不都合で中央にとって都合がいい選択がなされるのは、それが中央にとってコスパがいいからである。利害を共にするなら、沖縄にとって不都合なことは中央にとっても不都合なのだから、なされないはずである。しかるになされているのだから、利害を共にしないとの前提は、正しいものとして議論を進めても差し支えない。
利害を共にしないことが事態の根元にあるのだから、このふざけた盤面をひっくり返すには、利害を共にせざるを得ない泥沼に引きずり込んでやればいい。究極的には、中国の傘下に入ることだ。なあに、島津の侵略以前は中国のみの属国だったのだから、伝統的にはむしろその方が自然だ。香港を見ろ、ひどいことになるぞって? 香港がぞんざいに扱われるようになったのは、上海を筆頭に中国経済が発展し、相対的に香港の価値が下がったが故。日本が中国に膝を屈しない限り、対日本最前線の地政学的価値は下がらんよ。沖縄にとって中国が気前のいいパトロンであり続けるよう、せいぜい頑張って中国に張り合い続けてくれたまえ。すなわち、日本が栄えれば沖縄も栄え、日本が没落すれば沖縄も没落する。ほら、両者の利害が一致したw
実際のところ、中国陣営入りは実現しなくてもいい。現時点において、安保のコストを沖縄に偏重させることのコスパがよいのは、どんなにひどい扱いをしても沖縄が中国側に鞍替えすることはない、とナメくさっているからだ。俗に言う、釣った魚には餌をやらない、ってやつだね。餌代がいらないw それが、あまりひどい扱いをすると中国側に走りかねないとの可能性が僅かではあっても頭をよぎれば、餌をやらざるを得ない。
沖縄に中国陸海空軍が駐屯すれば、九州に今の規模をはるかに上回る即応力を置き、エネルギ源輸入海路防衛に多大な労力を割き、西太平洋に散らばる戦略原潜を監視し、とそのコストは防衛費対GDP3%なり5%なりといったレベルに達し、2%に増やすどころの騒ぎではないだろう。台湾への外交支援も桁違いに増やす必要が出てくるだろうし。それを思えば、今の沖縄予算を2倍や3倍に増やしても安いもの。それを中央の連中に思い出させるためにも、「ナメられたら殺す!!」覚悟をかためないとね。
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ってなことへの想像力を、小渕元総理@沖縄サミット開催決定ぐらいまでの政治家は持っていたと思うんですよ。カネもあるけど、それ以上に、19世紀以来の国民国家というフィクションを守るためのナラティブといいますか。太田中将や島田元知事の顕彰が代表例だけど、沖縄の人々も同胞=利害を共にするんだって。沖縄返還も、本音での認識はさておき、アメリカ軍政に苦しむ(令和の世の基地問題ですらアレなのだから、当時のそれは推して知るべし)同胞を包摂するとの建前は大事にしていた。それが、中国がさほどの国ではなかった頃には受け継がれ、中国が少なからぬ面において日本を上回る今において忘れ去られつつあるのは、何と皮肉な話でしょう。
こんな駄文をしたためているのは、例のひろゆき騒動がトリガーなんだけど、昭和世代の保守じじいとしては、ああいった沖縄の人々とそれ以外の日本人を切断する言葉(とりわけ、沖縄の人たちのしゃべり方を揶揄するもの。宗教的絆帯のない日本にとって、言語の一体感が果たす役割は極めて大きいはず)は許しちゃイカンと思うのですよ。キレイゴトであることは百も承知で、沖縄に米軍基地が偏重していることは、将来において解決すべき課題だと非沖縄在住日本人も認識を同じくしているのだ、という看板は、守り続けなきゃいかんのですよ。打算的に。
もちろん金持ちなことは前提。
このうちハイパーカーは何億もする上に生産台数希少につき、買うのは非現実的すぎるので除外。
となると、消去法でアストンマーチン乗るやつなんて、自分のこだわり以外に興味のない人間くらいじゃね?と思うわけ。
というか、アストンほどキモオタが似合うスーパーカーも他にないよなって感じるわ。
実際、ファンやマニアの間で今なお最高のアストンと言わしめるヴァンテージやヴォランテを見れば推して知るべしだろう。
この、若い頃のビル・ゲイツ(≒ヒッピーになりきれないオタクお坊っちゃま)とかが乗ってそうな雰囲気。
ぶっちゃけキモオタ陰キャの身なりであればあるほど似合いそう。
もちろん基本はソロで乗る。
万が一誰か助手席に乗せるにしても、それが奥さんや彼女であることは絶対になくて、まあ同好の士であるキモオタか、オーナー似でこれまた陰キャの兄弟くらい?
投資におけるレバレッジとは他者の資金を利用して自己資金以上の投資を行うことだ
信用取引やFX、ローンを組んだ不動産投資なんかがメジャーだが、ナスダック100指数の2倍に連動する「レバナス」と呼ばれる投資信託が最近特に人気を博していた
まあ去年までのナスダックはバブルもいいところだったので、そういうハイリスクハイリターンの投資商品が人気になるのは世の常ではあるが
もちろん「リスク高すぎだろ! 止めとけ止めとけ」という声も同時に盛り上がりを見せ、ネット上ではレバナス肯定派と否定派の激しい論争が繰り広げられていた
◇ ■ ◇ ■ ◇
ここで否定派の急先鋒だったのが のっち @nocchi0820 だ
こいつはインデックス投資激推し(というかそれ以外の投資法にいちいち喧嘩を売る)だけあって、その手の投資法でよく見られるシミュレーション結果を持ち出してきた
(1年のリターンが○%でリスクが▲%だと、30年後の平均リターンは○○%、50%の確率で××%を上回る…みたいなやつ)
ずばり、「レバレッジはリターンの平均値を上げるだけで中央値を下げるから悪!」という結果である
◇ ■ ◇ ■ ◇
平均値というのは外れ値に弱く、例えば平均年収だったら一部の金持ち連中が平均値を引上げてしまうので
一般的な年収より数字が高めに出てしまう。そこでよりよく全体を代表する数字として出てくるのが中央値であり
中央値とは全体の半分がここより下、半分がここより上という数字である
更に付け加えるなら、これは統計での説明なので投資のように確率の話であれば
中央値とは半分の確率でここより下、半分の確率でここより上という数字である
◇ ■ ◇ ■ ◇
話を戻そう。レバレッジをかけるほどそれに比例してリターンの平均値は上がるが、
これは高いリターンをあげる一部のパターンが平均値を引上げてるのであり、
レバレッジが大きすぎるとむしろ中央値が下がると確率計算で導くことができる
詳しい計算方法の説明はネットにいくらでも転がっているので、↓のようなサイトを参照されたし
【衝撃】レバレッジはリターンの中央値を下げる。3倍レバレッジが危険な理由を定量的に説明。 | 社畜がインデックス投資で資産を築く
つまりは、いくら平均値が上がっても運が良いときにやたらハイリターンになるだけで
さて、上で自分は「レバレッジが大きすぎると」と書いた。何故か?
それは適切なレバレッジはむしろリターンの中央値を向上するからだ
◇ ■ ◇ ■ ◇
レバレッジを横軸、リターンの中央値を縦軸に取るとグラフは山の形をしている
つまり、レバレッジが低いとレバレッジが高まるほどに中央値も上昇し
一定のレバレッジで中央値がピークとなり、その後はレバレッジを上げるほど中央値も下がる
というわけで、このピークの部分を目指すのであればむしろレバレッジは中央値を上げるのだ
なんだレバナスのレバレッジ2倍ってそんなに悪くないじゃん!!
◇ ■ ◇ ■ ◇
ここで問題なのは、レバレッジの最適値を求めるにはリターンとリスクの値を推定する必要があることだ
リスクはともかくリターンは時期によって違いが大きいことが知られており、
過去30年の平均リターンがそれより前の30年と違うので今後30年も推して知るべしという状況である
なので一般的な回答としては色々な推定値で検討した結果を参考にしつつ、
何だか曖昧な結論になってしまうが、自分の資産のどこまで投資するかとか
資産のうち何割を株で何割を債券に投資すべきか というような資産運用上根本的に重要な問題も昔から同様の結論である
(というか、前者はレバレッジをどれくらいにするべきか(ただしレバレッジは1倍以下)という話なので当然同じ結論になる)
◇ ■ ◇ ■ ◇
なのだが、レバレッジ否定派には「レバレッジは中央値を下げるから悪!」「リスクが取れるなら株式100%が最良!」といった論調も根強い
そもそもリスクの自乗がリターンを上回った場合の最適レバレッジは1倍以下になるので
◇ ■ ◇ ■ ◇
ちなみに証拠金取引を利用すればいくらレバレッジをかけても中央値が低下しないことも可能であり
既に↓のように話題になっている
GMOクリックのレバCFDをレバ指数ETFと比較する - FIer: 投資でセミリタイアする九条日記
この場合、含み損益が生じることでレバレッジが当初の値からずれるのが特徴であり、
件の急先鋒はこれを評して「資産に対して借金が膨らむので危険!」と否定しているのだが安心してほしい
資産に対する比率が膨らむことがあるだけで借金の総額はどうあがいても一定である
(恐らくアセットアロケーション(資産全体に対する株や債券など、種類の異なる資産の割合)が将来のリターンを決めるという
https://diamond.jp/articles/-/304914 そんな中、公務員の減給状況が書かれた投稿が突然、中国国内のSNSで拡散された。その内容は、「上海市の公務員で、処長級の年俸は、35万元(約698万円)から約20万元(約399万円)」とか「北京や天津などの大都市では20%近く給与がカットされた上に、さまざまな手当も廃止された」「全国で最も裕福といわれる浙江省、広東省の公務員所得も約25%カット」など具体的な内容だった。
公務員の減給実態についての中国政府側の公式報道はないので、投稿内容の真偽は定かではない。インターネットに流れたこうした投稿は削除されてしまったが、中国政府はその内容について否定してはいない。数字の正確さはさておき、どうやら都合の悪い事実としては確かに存在しているのではないか。
例えば、広東省の一部地域の公務員に対する手当支給が遅れていて、公務員の手当は2カ月、教員は1カ月猶予されたりしているという。広東省・深セン市では、数年前に導入された大卒への定住手当1万5000元(約30万円)、修士課程卒への定住手当2万5000元(約50万円)が廃止された。深セン市は中国で最も財政的に豊かな地域として知られるのだから、他の都市は推して知るべしだ。
こうした減給は公務員に限ったものではなく、民間企業ではより広く見られる。しかも、今年に入ってオミクロン株が感染拡大してからより深刻化している。企業は生き残りをかけて、従業員に自主減給申請書の提出などを求めたりして、人件費を減らそうと躍起になっている。
なかには50%もの大幅な「自主」減給を強硬に求める企業もあれば、「退職したときに給与の減額分を返す」と約束する企業もある。減給額が多い従業員のポストは守るが、減給に積極的に応じない従業員は「自主辞職」を求められてしまう。50%の減給を受け入れない従業員に対しては、会社を去ってもらう作戦を展開している企業もかなりある。
北京のインターネット会社に勤務する女性の暁暁さん(31歳)は、基本給+成果給で月に1万5000元(約30万円)もらっていた。5月に入ってから在宅勤務をしていたが、5月中旬に、突然、給与を50%下げると会社からメールが送られてきた。
大幅な給与削減作戦に不満をもつ同僚は、会社と交渉してみたが、結局、交渉が失敗して「自主辞職」という形で会社を去った。それを見た暁暁さんとほかの社員はやむを得ず給与の50%カットという条件をのんだ。しかし、わずか1カ月後の6月上旬に、投資者からの資金投入がなくなり、会社が経営困難に陥ったという理由でリストラされた。
なんかフィクション?らしいよ
世は情報化社会である。嘗て分割され知る事のなかった世間を垣間見、ルサンチマンの増殖する気色の悪い社会である。解脱より他に道はない
この気味の悪い隊列のひとパーツを成していた。いや、現在に至るまでもほとほと嫌気がさしたのみで飲み込まれたままとも言える。私は世間の若者と同じく何者かになりたい、正確に言えば既に「何者」かであると思い込もうとしていた。確かに将来に対する希望を持っていた、自分の力で切り拓ける何かがあると信じ、曖昧なまま先へ進もうとした。
小学生であった。H学園では中学入試の過去問すら解けず足切りの点数を宣言されて立ち上がったままの知人を「そういった」カテゴライズを内々に行い、性欲よりも先に歪な承認欲求を覚えた。もとより学校の人間は推して知るべしと言ったところである。
中学生となった。勿論合格した。Twitterを覚えた。これだと思った。学問という何やらクールな物に興味を抱き大学という何やらクールな物の範囲を進める人間へ憧れを抱いた。お受験を終えてお受験へと走り出す医学部志望のサイボーグは命の重みを考えたことが無く、心から見下していた。
高校生に上がった。全国大会へ進んだ。AクラスだのSAクラスだの音声を発しているサイボーグ達が霞んで見えた。学校としての成績は下位を取り続けていたがそもそも興味がなかった。取り柄のない人間のジャパニーズドリームだと思っていた。
日本代表候補になり損ねた。親の代から同じ事をしている人間がいた。ivyに行くのという人間がいた。彼らは資本主義の顔をしていた。美しく寒気のする顔だった。家も学校も港区?にあると言った。
大学に落ちた。勿論日本の大学だった。何もない人間がいた。激しく悔やんだ結果を自己主張としてレイプしぐちゃぐちゃになった精神を持って私大に拾われた私がいた。小学生の頃の知らない同級生と出会った。指定校?で入って来たらしい。頑張って良い大学に入れて満足だと、高校の三年間を頑張って良かったと笑顔で語った。
彼は彼のゲームをプレイした。彼女は彼女のゲームをプレイした。知らぬ間にデバッグでしかないものを行なっていた
久々にInstagramを開いた。珍しく気分の良い日だった。窓から差し込む日の光が綺麗で反射する置いたままの黒いゴミ袋は凪いだ海の様で繁茂した海藻の匂いは気にならなかった。私の散らかって行く人生と違い進んで行く彼らの物語がそこに並んでいた。
結婚式を挙げていた。合コンの愚痴を載せていた。シャンパンを空けていた。白木屋で呑んでいた。資金調達を行なっていた。彼らはゲームを続けていた。半端な脳味噌で博士課程に進みアカハラで見通しが立ち消え、どこの会社にも拾われなかった人間にこのゲームは向いていなかった様だった。しかしながら、彼らなりのヒエラルキーの中で生きてるのに十五秒で忘れられて行く物語は少しばかり滑稽で可笑しかった。私も十五秒で忘れられる。
式を挙げたのかは定かでない。陽は暮れていた
@cnntnst
この漫画は女性蔑視表現が少ないので安心して読める、と女性読者が言う時それは「ご飯に砂が混じってないから食べやすい」という”余計なストレスが無い”ニュアンスなんだけど、この作品の面白さはそこじゃないんだが?!と怒り出す輩がいる。
いや勿論 面白さの軸はそこじゃないよ。そんなの分かるわ。
@cnntnst
このヒステリーの背景には「自分の好きな作品までがポリコレを意識しているなんて認めたくない」というポリコレ恐怖症があるんだろうね。
ポリコレ恐怖症なオタクは大変ですな。ポリコレなんて”作品のリアリティレベルを正す”程度の概念なんだから、そんな怖がらずにさっさと認識を改めた方が楽だぞ。
一つ目のツイートだけなら「金カムはポリコレとか言われるけどそういう話ではなく単純に女性蔑視の表現が少ないから安心して読める」
という率直な感想とも受け取れるが、続きのツイでポリコレって単語を出すのかよ。
ゴールデンカムイには男体イジり(谷垣ニシパ推し)やゲイ弄り(若山親分と姫)という
ジェンダーの話題においてポリティカルコレクトネスを無視した描写がそこそこにある
(よく言われる殺人強盗獣姦はジェンダー関係ないので今は置いておきます)
それらに言及せずに「金カムはポリコレ」とも取れる言い方をしたら
「私はポリコレは重視しますが男体イジりやゲイ弄りは看過します」と言ってるようなものだろうがよ
ポリティカルコレクトネスってのは男体やゲイ弄りにも適用されるようなフェアなものなんじゃないのか?
あんたの言うポリコレって手前勝手な家父長制2.0じゃないのか?
ということが反発を生んでいる原因だってことに思い至らないのだろうか。
「障害者のバリアフリー整備のために運賃上げます」さえも通らなかったくらいだし。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000213594.html
伊是名さんの味方っぽい立場の人でもめちゃくちゃ丁寧にコスト割り勘論を避けて「JRが自腹を切れ」に拘っていたし、実際に運賃上げるとか匂わせた瞬間にこうなった。
で、ゴミ箱撤去しますっつったら「ポイ捨てしまくって抗議だ!」みたいなのが湧いた。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/lawkus/status/1483048981739364354
この人なんかも、普段は良識ぶって、キモイオタクは人間として未熟なオコチャマだから大人の男である俺がTPOを教えてやるぞってノリで繰り出して来る系の人なんだけど、そういう人がここまで醜く豹変して、内に秘めた思春期ヤンキー丸出しのクソガキ世界観をお漏らしして「舐められてたまるか💢」とかやり出してしまった。
(ってやると晒して個人攻撃になっちゃうのは恐縮だけど、あくまで例示で、別にこの人に限らず類型は多数いた)
人権や社会問題に意識高い自認のインターネット連中ですら、こういう「口先だけの綺麗事はノーコストだから大好きだけど、実際に自分の財布から出て行く金は1円足りとも見逃さねえ!」って銭ゲバ根性を恥じも隠しもしない。その他大勢の一般大衆なんか推して知るべし。
そんな中で鉄道会社側が取れる手段なんか「テロ対策とかいうクソ浅い建前で誤魔化してゴリ押しする」以外に無いんよな。
で、そういう「浅い建前」を問題視する姿勢もまあ分かるんだけど。他ならぬ俺ら自身がそういう浅い建前を誘導し、支持し、温存している当事者の群れを構成する一匹であるという自覚持って生きて行こうな。