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はてなキーワード: カトリック教会とは

2022-01-24

幸せな人も増えたんだろうけど

15世紀欧州はとにかくカトリック教会領地を持っており、そこでコロンブス新大陸発見

ハプスブルク新大陸司教領必要か?現地人から搾取しないと身内に負けるだろう」そこで証券取引所設立プロテスタントが蜂起

16世紀ヴェストファーレン条約カトリック協会からやや独立した国がいくつかできる

17世紀新大陸は各国のプロテスタントがほぼ占領ハプスブルクオランダユトレヒト司教領占領江戸カトリック弾圧

19世紀には学者派のイェーリングが嘘による搾取犯罪化したが、20世紀植民地解放大戦争時代を経て

21世紀証券取引所は当然まだあるし詐欺もなくなってない

2021-04-24

anond:20210424135312

Missionary Positionという言葉があってだな。

セックスにおいての日本語で言う正常位のことで、Missionaryから察せるようにカトリック教会が定めた正しい性交渉体位を指している。

西洋社会規範キリスト教ベースなので、おそらくポリコレではMissionary Positionが社会的に正しいと思うぞ。

2021-02-13

本と図書館になぜ価値が認められているのか

https://anond.hatelabo.jp/20210212190921

https://anond.hatelabo.jp/20210212214154

これらの問いに対して、人類が歩んできた歴史視点からの回答が無いので、記しておきます

 

お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない?それにしてもお前らの「本を大事しろ!本を傷つけるな!」的な反応は過敏で異常だよ。宗教なの?

それは「図書館」っていうシステムが原因だと思う。なんで本だけ特別視されて、自治体無料で貸出しなくてはいけないのか本当に謎。

 

これは人類が、本そして情報を手に入れる為に、血みどろの歴史を歩んできたから。

その歴史の教訓によって培われた共通認識を ”宗教” と呼ぶならば、そうかもしれないが。とりあえずは、なぜこうなったのかを紐解いてみましょう。

 

古来、文字書物(パピルス木簡など)は特権階級軍人貴族宗教のものでした。なぜ特権階級が独占していたかというと、文字を記す為のパピルス木簡製造コストが高かった事や、地図軍事情報など機密に関する内容が記されていたなどが理由です。庶民識字率も低く、市民文字を使うとしても帳簿や資産管理としての利用が長年続きます

しか15世紀グーテンベルク活版印刷機の発明により状況が激変します。書物が大量複製できるようになり、庶民知識が行き渡るのです。

これまでの世界において、知識文化とは、口伝継承によって高いコストをかけて伝承されていく特権階級のものだったのが、複製された本を手に入れることでも誰でも知にアクセスできる時代が到来しました。

当時の特権階級宗教家達の心情を記した言葉が残されています

教皇知識印刷術を廃止しなければならない。さもなくば、印刷術が最終的には教皇廃位に追い込むことになろう。

From the Days of Great Dedications - John Fox's Book of Martyrs

 

その予言現実のものとなります

印刷術による本の普及により、知が民衆化した。それにより特権階級だったカトリック教会の力が弱まる。

そしてゆくゆくは18世紀ヨーロッパ市民革命に繋がり、ついに貴族統治する時代終焉し、民主主義が産声を上がった。

それまで特権階級が保存していた、価値ある美術品や博物品は、市民の手により Museum として共有される事になりました。(英語Museum博物館美術館の両方の意味を備えるのは、貴族から奪った貴重品をいっしょくたに展示した為、美術品や史物の区別をつけなかった事が定着したからとも言われている) 一方、図書館革命時代より一足はやくに制度化が進んでいたため、 Library という名前で普及していく事になります

 

概ね図書館および本という存在が、市民の地道な活動により普及し、普及した成果がさらなる民衆活動を促した。という見方ができるといえます

日本図書館協会の「図書館について - 図書館を支える理念」を引用します。これこそが、図書書籍歴史を端的にあらわしています

図書館は、それを生み出す社会の特徴や条件を色濃く反映してきました。戦時下では国家思想を広める役割を果たすこともありましたし、一方では社会マイノリティーの権利を守るために働くこともありました。社会の変化の中で、図書館はさまざまな状況におかれてきましたが、いくつもの波にもまれながら、いかなる状況の下でも、すべての人たちに情報提供するのが「図書館自由」(Intellectual freedom of libraries)なのだという理念を獲得するに至りますアメリカでは「図書館権利宣言」(Library bill of rights、1948年採択)、日本では「図書館自由に関する宣言」(1954年採択)です。これはあらゆる種類の図書館が守るべき自律的規範として、広く支持を得てきました。また、この原則を守るための専門職の行動規範として、「図書館員の倫理綱領」(Code of ethics for librarians)があります

図書館について

 

私のシンプル記述だと物足りず不満に思う人もいると思います。興味がある人の為に、図書館歴史近代ヨーロッパの歩みについての書籍を紹介するので、それで理解を深めてください(と逃げさせて頂く)

ヨーロッパ近代史 (ちくま新書) (日本語) 新書

書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで

本の歴史 (「知の再発見」双書) (日本語) 単行本

 

 

まあ総括して言える事は、本が重要だと長い歴史の中で認められてきた為、今の扱いの重さに至ってるって事ですね。

同じ理屈で、他の疑問にも答えられる。

米とかもそういう節がある気がする(平均的な食品大事にされ方を遥かに超越して大事にされてる)けど、どういう心情からそれが発生するわけ?

お米は長らく税として徴収されてきた歴史がある。つまりお金と同じ価値でした。

宗教なの?

同じ理屈で返すなら、あなたの財布に入っている一万円札。これはただの紙切れなはずですが、破いて捨てないのはどうしてですか。社会的・歴史的に一万円札価値と通念が形成されてるから、大切に扱うわけでしょう。ただの紙切れなのに。

それも宗教というのならば、宗教かもしれませんね。

本も、米も、お金も、同じことです。

図書館基準で考えるなら、体育館施設利用自体無料にしてほしい。図書館法律がそうだからというのは理解している。それなら体育館もそうすればいいのにってこと。オリンピック的な勢いでそうならないかなぁ。運動する人のことも考えてほしい。

図書館にも有料のものも多くありますが、まあ置いておくとして。この理屈は分からなくはありません。

しか図書館と同じように、社会必要とされる意味合いが重くなるなら、きっと体育館無料になるでしょう。

実は歴史の上でも先例が多数ありますオリンピック繋がりでスパルタの例を紹介しましょう。

古代オリンピック発祥の地にも近い、ギリシアスパルタ。7歳になった子供スパルタ国家の寮で生活し、毎日運動がさせられます費用はもちろんスパルタ国家が全部負担してくれます無料です。立派な運動教育のすえ、子供は屈強な戦士としてスパルタ国を守る存在となりました。めでたしめでたし

これはスパルタ教育という言葉現代にも伝わっていますね。大げさな例を出しましたが、このように社会必要とされ価値が認められれば、無料になる例には事欠かないと言えます

日本高齢化社会が進んでいますし、健康寿命を気にした予算投入も珍しくありません。スパルタ国ほどオーバーな例はないにしても、無料になるところは今後増えると思いますよ。社会必要とされていますから

2020-09-02

児童性的虐待調査結果がヤバい

被害者の年齢は、10歳以下が2割、1114歳が5割、15〜17歳が3割。

・報告の件数は、2002年から2003年の間に出されたものが全体の3分の1を占める。

・報告は、4分の1が事件から10年以内になされ、半数が10から30年後、残りの4分の1が30年以上経ってからなされている。

加害者は、6割が1回だけ、それ以外が2回以上の嫌疑を受けている。

加害者の年齢は、初回の報告時点で半数が35歳以下。

加害者自身過去に何らかの虐待被害者だった例は7%以下。

加害者の2割はアルコールか薬物の乱用者だが、事件が起きたとき使用していたのは1割。

嫌疑を受けた加害者のうち、警察被害届けが提出されたのは4人に1人。あとはすでに死去しているなどの理由で取り調べもされなかった。

・取り調べを受けた千人ほどのうち、384人が起訴され、100人が収監され

セックスドール所有者でしょうか?

いいえ、カトリック教会です。

2020-08-18

山川世界史

教科書に良い表現があったので残しておく。

近世ヨーロッパでは、カトリック教会神聖ローマ帝国がかつてもっていた普遍的権威が動揺した。諸国自国の利害を求めて戦争妥協をくりかえし、恒常的な緊張状態にあった。しか戦争は長期化・大規模化し、軍事技術進歩していた。増大する兵員軍事費調達のために、各国は徴税機構を中心に官僚制を備えた行政組織を整備し、国内統一支配を強める必要があった。

2020-06-23

私と信仰

深夜に変なスピリチュアル広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。

乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。

これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレート大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。

私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。

そこで思うことがあった。宗教信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分気持ちに整理をつけることができた。

この記事はそんな私の20ちょっと人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。

私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。

からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。

幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関マリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。

ああそう、あとメダイちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会神父だ。園長って呼んでいたけど)から新年度になるたびに名札につけてもらっていた。

そんな幼稚園キリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。

卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。

既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。

当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵インパクトは強烈だった。

洪水翻弄されるノアの方舟モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。

それから数年経って、小学校卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。

西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。

そこでもう一度聖書ストーリー絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。

この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃん勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。

こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。

父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるとき仏壇の前に座ることがある。

お盆お彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。

から私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的日本人宗教なのだけど、困ったことに、私はとある宗教3世にあたる血筋でもある。

名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗

ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。

この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。

から、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏著作が置いてあった。

自身学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。

から3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。

実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。

祖父が亡くなった後、葬儀四十九日法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。

違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族祖母が参加した七回忌の法要だ。

いわゆる法事から自分認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族食事をする」というものだった。事実父方の祖父法事はお坊さんを呼んでいる。

だが、母方の祖父の七回忌法要は様子が違った。

まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。

いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。

「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。

どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員法要読経をするということを知ったのは、さらそれから2年ほど経った頃だ。

ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。

母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。

昔はよく祖母の家にお盆正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。

同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由祖母の家にあった新聞書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。

祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。

別にこの記事批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。

「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。

いま色々な宗教の事を学び、宗教社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉同意したい。

信仰自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。

そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。

母方の祖母我が家の仲はいい。祖母はい一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。

けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。

少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。

大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。

大学の最寄駅前には某証人人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘そもそも来たりした。迷惑から帰れ、と総スルーかましたが。

去年なんか、右翼おっさん一般人に絡んで暴行しかけた事件証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。

彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。

スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。

思ってしまうだけで、それを思いっきネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。

何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。

ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章から、大した感想も求めていないのだ。

ここまで読んでくれた奇特な方には、こんな感じで生活を送ってきた学生が一人居るというのを知ってもらえれば幸いだ。

2020-04-16

暗いと不平を言うよりもすすんで明かりをつけましょう

さいころ多分バブル崩壊前後だったかと思うんだけど、日曜朝のCMでよく流れていて(テレ東かな?)、

こわいなこわいなと思いながら見ていたんだけれども、情報伝達が速い時代に起きた困難に

不平しか言わないツイッタラーブクマカが闇を広げるにつれ、あの蝋燭の炎が思い出されて、

明かりをつけなきゃつけなきゃと思うんだけど、自分一人の明かりなんて何の役にもたたない。

やすものを忘れてしまった人、奪われてしまった人、失くしてしまった人。そんなの

ばっかりでつらいわ。

みんなも明かりをつけてください。

https://youtu.be/h2E9XfBs-_Q

まぁ、カトリック教会プロパガンダだけど。

2020-02-15

フェミはいい加減海外ガーと言うのやめた方が良いよ

そのオーストラリア実態(笑)

ヴァチカン高官、児童性的虐待で6年の禁錮刑 オーストラリア

https://www.bbc.com/japanese/47550018

児童性的虐待で有罪ヴァチカン元高官、控訴棄却

https://www.bbc.com/japanese/49416825

カトリック教会性的虐待事件

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%80%A7%E7%9A%84%E8%99%90%E5%BE%85%E4%BA%8B%E4%BB%B6

最も規制に熱心なキリスト教が実際はこう言う訳だけど(笑)

オーストラリア聖職者の1割近いんだっけ?

そもそもオーストラリアに限らず、イギリスでも規制が厳しすぎた国は日本よりも遥かにこの手の犯罪が多かったりするんだけどね(笑)

フィリピン白人が買いに行く話もあるくらいだし。

当時からだけど、この手のフェミ仕草の連中って本当にオーストラリア好きだよねと思う。

捕鯨しろ環境保護しろいつもこの国出てくるからな。

ある意味国連の連中とも仕草が被っている印象すらある。

何にしろ当時指摘されていた厳しすぎる意味のない規制は寄り犯罪悪化を招く事を実証たから、これからどんどん彼等の言い分は潰れていく段階に入っていくと考える。

そもそもこいつら実在児童保護蔑ろにして、児童ポルノを盾に創作物規制ネット規制など関係ない所ばかりしていたのが本当に気に入らん。

2019-11-03

学知と異端

17世紀コペルニクス地動説を支持したガリレオ・ガリレイカトリック教会から裁判にかけられて2回有罪となり、今後地動説を唱えないことを約束させられ、著書は出版できなくなった。しかし後世の検証ではどちらが正しくどちらが誤っていたかは明らかである

このように、大勢人間が唱えるからと言って、それが学説として本当に正しいのかどうかはあとになってみないとわからないことで、この世は溢れている。それなのに現代の人々も自説とは異なる主張をする人々を愚か者呼ばわりし、罵倒する。

近年、GOSMIAではなくGSOMIAの方が正しいと高をくくって冷笑的態度を決め込む人々も、後世から裁かれる側の人間に属していることに気づかない。

誰がどのように騒ごうとも真理は変わらない。

GSOMIA誤記であり、正しくはGOSMIAである

2019-11-01

anond:20191101123323

聖人祝日ともいう。キリスト教においてすべての聖人を崇敬する祝日。この祝日においては,個々の聖人の崇敬よりも天国のすべての聖人の集いと地上における教会とが一つの神の教会に属するとの信仰の表明が重要である東方教会では4世紀以来聖霊降臨祭後の最初日曜日にすべての殉教者を祭る習慣があったが,西方教会ではボニファチウス4世が 609年5月 13日にローマパンテオンキリスト教聖堂にかえて以来,この日を全殉教者祝日とした。すべての死者を祝う習慣はアイルランドから入ったが,837年グレゴリウス4世はこの習慣を認め,11月1日万聖節と定めた。現在この日に万聖節を祝うのは,カトリック教会イギリス国教会である

しろ節度があるんだよ。

俺たちが祝っては失礼に当たるってね

2018-04-23

anond:20180422233623

「すべてのセクハラパワハラ」って言った人がおってな。

まりセクハラってのは、相手が逆らえん力関係が前提にあったうえで、意に沿わない性的関係を迫ることな

これ、男にとっても他人事やないんやで。

先ごろ角界でも行司ホモセクハラが発覚したけど、カトリック教会じゃ定期的に聖職者性的虐待スキャンダルが起きてるな。

帝国海軍でも男ばっかりで軍艦乗ってるからホモセクハラ日常茶飯事だったって証言がある(東映映画の『日本海海戦 海ゆかば』にはそれが暗示されてる)

その手のホモセクハラで、少年おっさん性的被害を加えた話ってあるか?

おっさんが年少で同性の部下に手を出すパターンばっかりじゃねえか!!

つか、運動部でもその手の話は絶えない(薄めの野獣先輩ごろごろいる)

……いやだからホモの話がしたいんじゃなくて、逆らえない力関係を前提に、意に沿わない性的関係を迫るられるのは、男にとってもイヤだって

からセクハラって充分そんなに重大な問題だと思うよ

とりあえず俺は、仮にお前が職場上司だったとして、俺の同意なく俺の金玉を触ってきたらイヤだ、すげーイヤだ

2018-02-09

ガンダム教養」で本当にいいのか?

https://twitter.com/nakatsu_s/status/961229701162283008

https://twitter.com/Beriya/status/961753995403345920

その昔、ローマ帝国ではキリスト教徒がボロカス軽蔑され弾圧されていた。ところが数百年後、ローマ貴族がみんなキリスト教徒になり、さらに数世紀が過ぎるとカトリック教会異端ボコボコいじめるようになった。

俺が20代のころ(1990年代当時)、自分らは高級車とか高級ブランド品とかゴルフとか料亭とか興味なく、漫画アニメゲーム教養で、実際にゴルフとか料亭とか面白くもなんとも思えないけど、本当にそれでよいのか? と、ばくぜんとした疑問があった。

ゴルフとか料亭とかを「好きになる」必要はないんだろうけど、上の世代と付き合うための基礎教養って身につけてないと大人としてダメなんじゃないかという不安

上記ツイート見ると、若いころの俺みたいな不安必要なくなったみたいだけど、自分世代の方が抑圧者になってしまった、この居心地の悪さは何なのだろうか。

俺は今、中世ヨーロッパキリスト教への改宗拒否してゲルマンの神やケルトの神を拝んでいた連中の気持ちがわかるような気がしてる。

2017-11-08

anond:20171108201928

トラバ増田です

kash06 プロテスタント場合信徒のいない地域でも、開拓伝道をするための伝道所として始めるケースも多いです。規模が望めないのがわかっていつつ、教会のない地域を少しでも減らしたい情熱で始める事も多いと思います

ありがとうございます

以前遠いカトリック教会に行ってみようと思ったけど「巡回教会」ってやつで日曜しか開いてなくて断念しました

興味はまだあるので近くのプロテスタント教会に行ってみようかな・・・

ただ日曜仕事だと長続きしないかもねって知り合いに言われたか心配

2017-08-30

反脆い戦略こそが正しいのか?

 情報は反脆い。情報を広める努力よりも、情報を壊す努力のほうが、情報にとっては糧になる。たとえば、自分の名声を守ろうとするばっかりに、かえって名声に傷をつけてしまう人は多い。

 

 賢いヴェネツィア人は、秘密だと偽って情報を広めるすべを知っていた。あなたも噂を広めるとき、こんな実験をしてみるといい。誰かに秘密を教える。そして、それが秘密であることを知らしめるために、「誰にも言わないでね」と釘を刺すのだ。秘密にするよう頼めば頼むほど、噂は広まるだろう。

 

 誰でも若いころに気づくように、本や思想は反脆く、批判を糧にする。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスストア哲学実践する作家のひとり)の言葉を借りれば、「火は障害物を糧とする」のだ。

 

 禁書には独特の魅力がある。禁書禁止命令に対して反脆いのだ。私が子どものころに初めて読んだグレアム・グリーンの本は、『権力栄光』だった。その本を選んだ理由はほかでもなく、カトリック教会禁書目録に載っていたからだった。10代になると、国外在住のアメリカ人ヘンリー・ミラーの本をむさぼり読んだ。彼の主要作が23州で発禁になると、1年で100万部が売れた。『ボヴァリー夫人』や『チャタレイ夫人の恋人』にも同じことがいえる。

 

 本に対する批判は、紛れもない正真正銘の注目の証であり、その本が退屈でない証拠でもある。本にとって最悪なのは退屈なことだ。アイン・ランド現象を考えてみてほしい。彼女の著書『肩をすくめるアトラス』や『水源』は、残酷なくらい辛辣批評や、彼女を貶めようという画策にもかかわらず(いや、むしろそのおかげで)半世紀以上にもわたって数百万、数千万人に読まれつづけている。いちばん大事情報は、批判の激しさであって、内容じゃない。評論家がその本を他人に読ませないためにどれだけ必死になるか。人生全般でいえば、相手こき下ろすのにどれだけ必死になるかだ。だから、誰かに本を読ませたければ、怒りを込めて「評価されすぎだね」と言えばいい(「評価されなすぎだね」と言えばその逆になる)。

(「反脆弱性」より)

 

脆弱性・歩く・マネーマーケット|新・山形月報!|山形浩生cakesケイクス)

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/cakes.mu/posts/17337

 

よって、個人的には、上記の山形氏およびブクマ家諸氏のコメントは全く評価していない(と書けば、反脆さが発揮されるか(笑)?)

2017-04-12

教会に行きたいけど

どうすりゃいいのか分からない。讃美歌歌えとか言われたら死ぬ聖書は買ってぼちぼち読んでる。ぐぐったらカトリック教会の方がいろいろ良いらしい。どうしよう。

2017-03-18

既得権益者の逆ギレと、日和見菌パラサイト

安倍以来、激鬱で生活行動すらまともにやれていないので、ましてや書くことも辛くて、思考はいくらでも自動的に出てくるのだが書けないという日々が続いている。だから論理的にちゃんとしたことを書く気力がないので、跳躍的に短絡に書く。

近年の現象は、既得権益者の逆ギレと、社会の既成構造に馴れ合う人々のパラサイトで生まれている。そうやって、プーチン安倍トランプも生み出されている。

自然界の多くは、普段は役に立たない日和見でできている。人体の細胞のかなりの割合は、役に立っていない。人体に棲む細菌の大多数は日和見菌であり、「勝ち馬に乗ろう」とする。生きていくためには多少のことは辛抱するというそこそこ恵まれ人間が、人数としては多い。こいつらは日和見である

残念ながら、弱くて卑怯な奴は日和見をするし、組織論理で行動する。自分の命が惜しかったり、部下や親類や友人のしがらみの社会では、日和見で行動する。本当に正しく善い人でいるためには、ときには人間関係を絶たねばならない。だから友達(笑)である。妻や恋愛友情なんかでは、保身のエゴイスティックな行動を取るという生存欲求という意味で強くなれるだけであり、そこには正も善もない。あるのは、人間社会利己主義に基づいた正義だ。そういう意味で「強い」のであって、正しいかどうかは別の問題だ。

既得権益者は、贅沢な地位民主党政権時代抑制され、被害妄想に陥った。恵まれ身分を奪われたら、「差別されている」とすら思い違いもする。もはやコント漫才かのような笑い話だが、困ったことにフィクションではないから困る(笑)。例えば、このオッサン社会なのに、男が差別されるようになったとすら思い込んでいたりする(笑)所得があって恵まれているのに、俺のカネを無駄遣いするなと言って税金ケチらせようとし、社会保障費は貧困者に負担させようとする。

逆ギレである

ちょ、おま(笑 である。面倒くさいからその一言だけでもいいと思う(笑)

けど実害が甚大だから困る。物凄く困る

社会の既成構造政体があって、そのなかで権力権利をもっている階級身分っていうのが未だにある。封建。カースト制のようなものだ。そうして、そのカーストに基づいて人生を過ごしている人間には、その身分に基づいて生きたがるのも居る。沢山居る。世襲政治家のイエというのは贅沢な身分でもあるが、ときには針のむしろであり、人生牢獄である。けれどもおそらくは多くの人から羨ましがられている。

同様に人生牢獄だが羨ましがられるとは限らないものに、夫にパラサイトする女という「孟母三遷」的な封建的人生をえらびたがる人々がある。男尊女卑差別されているのは明白なのにもかかわらず、男にパラサイトして人生を終えたがる人というのは残念ながらかなり多い。そして実際、ひとりのちからではこの社会構造を変えることはおよそ不可能みえるし、異論の声を上げるだけでも既成社会で生きていくにはデメリットでもあり、そしてついには、既成社会適応して疑うどころか心底賛同するという社会適格者化すら起こる。

残念ながら、とにかく実際、女に生まれたら、結婚しないで生きていくのは困難な社会であろう。

男が外でカネ稼いで、女がそのサポートをするという、そういう武家社会かなんかの慣習が拡大再生産され相続されて、今に至っていて、未だにある。

保守」というのは、「古来を守っている」のではない。決して、ない。単に、既成構造を死守しているということ。奴らの言う「古来」は、既成事実封建制度。この封建制度ってのも、たかだか近世のもので、古くはない。古来の古代のものではない。とき儒教封建であったり。カトリック教会封建であったりするかもしれないが、そういうカースト社会構造。そして、そうした構造奴隷にわざわざなりたがる人はかなり多いってこと。たとえば、解放をいやがる奴隷だって沢山いたくらいだし。おそらく今でもインドに行けば、客が自らセルフサービスでやったら、俺の仕事奪ってくれるなと言うカーストの下層者が残っているだろうと思う。

こうした遺物洞察して反省して革新しないと、いつまでたっても人類はクソ未満なんだろうと思う。

2017-03-03

「第九」歓喜意味

ベトヴェンの「第九」日本人にやたらと人気があり欧米かぶれの一種信仰みたいになっています

何に歓喜しているかって、ようやく解放されたこと。つまり中世封建社会から解放という意味です。そういうと大概の人は思い違いをして、単に一般庶民農奴身分から解放されたことであるかのように思うでしょうね。

誰が何から解放されたのか? それは、賢い人が、既成社会体制に利用されるという「権力の犬」の身分から解放されたということ。

中世では、社会体制を疑う能力のあるような人は、普通に暮らしていてはならなかったわけです。社会体制を変える素養のある人が居てはならなかった。普通に定住して大手を振って暮らすことは許されなかった。

例えば、クラシック音楽というのは、教会音楽です。カトリック教会布教教化に用いられる技術で、つまり社会統治体制を保つための技術です。ですから、その技術のタネを知っている音楽家というのは、世間普通に暮らしていては困るわけですよ。

例えば建築家もそうです。教会カテドラルの建て方を知っているような技術者が、その辺に居てネタバラシをしたら困るわけです。

こういう技術者達は、旅芸人の一座みたいに各地を転々とし、当地権力者に利用されることで食っていたんです。これを「フリーメイソン」といいます

それが、社会体制が変わり誰もが政治に携わる社会になって、社会体制を疑うことがタブーではなく、むしろ疑い批判することが必要時代になりました。技術特定身分の人しかもってはならないものではなく、ネタバラシをすることもタブーではなくなりました。

賢い人は、世を忍んで一生を終えた時代から普通に暮らしていい時代になり、ようやく日を浴びて大手を振って歩ける時代になったわけです。

中世は、知恵のある人は権力構造に組み込まれなければ生きていることを許されなかった。迫害の世の中でした。ヘイトされまくり権力者は、都合の悪い人間を干して、地元庶民をそそのかして嫌悪させていました。未だに、ユダヤ人嫌悪されているのも、フリーメイソン理解されないのも、もとはそういう経緯です。

賢い人がうっかり権力に都合の悪いことをしてしまうと、世の中から消されます。生きていることすら許されず、人間として扱われなくなりました。例えばマルティン・ルターもそうやって社会から消されて、カトリック教会支配を嫌うとある領主にかくまってもらって何とか生き延びました。

ユダヤ人であれ、ピューリタンであれ、既成の社会体制に都合の悪い人々はヘイトされ、その中からアメリカ大陸に渡って生き延びようとした人も出てきたわけです。USAというのはもともとそういう国です。

それに比べて、日本人は、革命を知りません。デモクラシーリベラリズムを知りません。

それどころかそもそも未だに、賢い人間社会体制に組み込まねばならず、「踏み絵」に応じないような人は叩き潰されます。利用価値のある人間でなければならないわけです。

例えば起業家であれ、既存社会体制に逆らってはならず、革命を起こしてはならないわけです。

芸能人なんか、社会体制に利用されることで食っていく職業です。うっかり真実を語ってしまってはならないわけです。山本太郎にしても、どこぞの資本家に拾ってもらって生き延びて、「民主主義」の時代からうまく国会議員にはなりましたが、だからって結局はおそらく日本社会を変えられずに終わるんじゃないかという気がします。

会社従業員にせよ、会社の存続と体制維持のためには、おかしなこともさせられますね。放送局権力にシッポを振り、人気を利用し流行捏造して売上を出し、生き延びるのに必死です。近年の安倍体制のもとでは、放送局も、そこの従業員も、平気でおかしなことをし、せねばなりません。そうして「美人女子アナ」でさえも平気でえげつないことを言ったりしますよね。

さて例えば、亀渕というニッポン放送社長にまでなった元アナウンサーがいますが、村上世彰と戦わされたとき社長です。株主総会でも社長として矢面に立ち、フジサンケイの日枝体制を維持するためにメチャクチャな総会運営をしてまで逃げ切っていました。そのときの彼の姿を私は忘れられません。かわいそうでしたね。会社従業員正社員管理職生え抜きによる支配体制を保つために、修羅にでもならなくちゃいけない。社長を退任してただの一介の批評家みたいな立場になってからは嬉々として活き活きしているようにみえます

そして、社会革命分子であったところの村上世彰にせよ堀江貴文にせよ、叩き潰されましたね。堀江貴文に関しては、ムショを出てからは、中途半端しか目立たないところに居て、社会体制に逆らわずしろ組み込まれるような感じで活動するようになってしまいましたね。

日本社会というのは未だにそういうところです。

愚かな人は自分の才能の無さを憂うのでしょう。けれど、実際に才能をもって賢く生まれたらもう、正しく生きていくことは不可能です。

悲惨な国です。そして、社会体制に組み込まれる人々と、ホイホイ釣られる愚民構成される日本人というものは、実に卑しいですね。

2016-12-13

[] エスコラピオス修道会

エスコラピオス修道会エスコラピオスしゅうどうかい、羅: Ordo Clericorum Regularium pauperum Matris Dei Scholarum Piarum、

略称: S.P.、西: Escolapios)は、キリスト教 カトリック教会男子修道会。総本部ローマ

  

青少年人間的・キリスト教的な教育を通して、社会刷新を図ることが目的創始者ヨセフ・カラサンスは「幼い頃から教育」が

重要であるとした為、活動の重点は基礎的な教育およびキリスト教要理の教育目的とした小・中学校に置かれている。

  

広く哲学神学の分野にも着目し、ガリレオ・ガリレイトマソ・カンパネッラを認める等、各々の時代における革新的な面に大いに

貢献して、神学校指導中央ヨーロッパでの反宗教改革運動にも加わり実績を残している。

  

日本には、1950年10月に同会の司祭2名が横浜来日

以来、多数の修道会会員が来日しており、青少年教育や、小教区司牧等に携わっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%A9%E3%83%94%E3%82%AA%E3%82%B9%E4%BF%AE%E9%81%93%E4%BC%9A

2016-04-17

カトリックカレンダーから削除されているバレンタインデー

現在カトリック聖人カレンダーバレンタインデーという日はない。ローマカトリック教会バレンタイン司教実在しない人物として聖人認定を取り消したからだ。この事実日本に広まる事はあるのだろうか?

日本カトリック教会バレンタインデーがすでに存在しない事実広報することに対しひどく及び腰である

年間数千億と言われる経済効果信仰心すら曲げるようだ。

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