はてなキーワード: 東大卒とは
当然そうだが、ホワイトカラーの通常の仕事と結果と比べてほしい。
配属の運や、たまたま任せられた仕事、誰に気に入られたか、など、通常の仕事のアウトプットは非常にコントロールしにくい。
何かで判断しなくてはならないとき、「比較的」平等な条件下で行われた「受験競争」は十分に素質を一定程度見極める条件になる。
別にすべての東大生が優秀だとか、すべてのF欄が無能だとかそういう話ではない。
比較的受験競争の勝者のほうが、優秀な人間が多く、無能な人間が少ないというだけだ。
そしてそういう指標は少ないから「学歴」は能力を測る重要な一つの材料だということだ。
ただ、何度か上がったように、受験戦争に参加することが貧困により許されなかったレベルの高卒の人はかわいそうだと思う。
だからこそ、そういう人のためにより一層の高校の学費の低価格化、学生向け奨学金の充実は必須だとおもう。
君がほんとうに恨むべきは、東大のようなかなり平等な競争で国公立に入った東大卒ではなく、
親のお金で慶應や早稲田の付属高校、付属中学、付属小学校などでエスカレーターで上がった人のほうじゃないか?
あるいは、国公立ではなくお金のかかる私立大学に親に補助してもらって進学して、高卒や短大卒や専門学校卒を馬鹿にする人たちなんじゃないか?
手軽に他のクラスタと交流したいのなら、「のってこ」というライドシェアで、数時間一緒に他クラスタの人と交流するのがおススメ。
自分は実家関西なので、何回か「のってこ」を使ったが、同乗相手は大体が高卒だったり、フリーターだったりで、自分の知らない世界の人が多くて、結構刺激だったな。
どうしても数時間は同じ車内になるから、ある程度の会話はしなきゃならないシチュエーションだし。
本当ならシェアハウス辺りがおススメだが、いきなりシェアハウスも大変だろうから、それよりはハードルが低いライドシェアをおススメする。
うちの会社は、利益の過半は都心部ビル賃貸事業だが、同時に注文住宅事業とかリフォーム事業とかもやっているから、
で、東大卒が○○支店長という肩書で、棟梁連中と慰労会で酒を混み交わしたり、部内旅行とか行ったりする。
仕方なくIT→ベンチャー→引き抜きで今のところに入って30後半でIT管理部門を任されてる
まだ学生だから想像もつかないと思うけど勉強が役に立つのは面接時の履歴書と思考の2つだけだよ
仕事で役に立つのは後者の思考だけで、それも人それぞれの環境によって大きく異なる
例えば2年前に入社してきた東大卒とその他大学の子がいたけど圧倒的に東大の方が使えなかった
勉強は役に立たたないなんて言わないし俺には言える立場じゃ無いけど
勉強ができれば必ずしも仕事ができるというわけではないから夢は見ない方がいいよ
確かに、社会に出ると、似たような学歴の人たちとしか会わないね。
官僚は「東大卒じゃない人間って要る^H^H居るの?」と思ってるんじゃないかな?
俺の周りも博士号取得者ばかりだし。
正直そこまで東大卒ばかりというわけじゃない。
そいつ曰く、同期は専門卒ばかりで内心焦ってるだとか。
恐らくグリーとかDeNAみたいなソーシャルネットワークサービス(通称SNS)系の新興ベンチャー企業じゃないかなと思う。
少なくともカプコンはそうでないみたいだし、他には任天堂も子会社含めて第三者から見ておかしいなっていう基準で以って
採用活動をしていると聞いた。
あるいは、そういう会社に入れない人のやっかみかもしれない。
逆に入ってみたはいいが理想と現実のギャップに驚いて辞めてしまうのかもしれない。
そういった人達が2ちゃんねるやら増田やらに書き込んでいるのだとすると、
でも東大卒に限らず高学歴の人達が入社する事によるゲーム業界のメリットはどうなんだろうとは思う。
かつてとあるゲーム業界の重鎮であったある人曰く、「面白いゲームを作ろうという人が減った事が直接の原因ではないか」と思われる。
蓋を開けてみれば、昨今は課金商法やお馴染み未完成商法(改良版を同年中に発売する、劣化リメイクを作る等)が業界を賑わせているのを見ると
ファンが買い支えてきたという根底にある心情を蔑ろにしたかのような、プロとして一ゲームファンとしてあってはならないような作品を出して
一番問題なのは、当のゲーム製作者というのがその事実に全くもって無関心な事だ。
それを東大卒ないし高学歴がゲーム業界に進出したのが原因なのだと断定してしまうのは些か性急ではないか。
むしろ高学歴が入社しているにも拘らず、グローバル化や多様化に対応できなくなっている事の方がゲーム業界が廃れたのだと感じてしまう。
この話は結構されつくされた感あるが、最近インターネットで無料で講義が受けられるみたいじゃないか。
これなら貧乏でも東大いけるな!!!しかも講師も東大卒、京大卒とかだし!!!!そのへんの予備校よりもいいかもな!!!
でもそんなことはないんだわな
教育格差は同じとこでループしてる。貧乏な家庭では生活環境が悪いことが多い。
親の仕事も低所得な場合が多い。そうなってくると親も高卒であることが多い。
高卒の親が子どもを東大に入れようとするか?しないだろう。もちろん中学受験もしないまま公立の中学へいきそこで躓いで低偏差値の高校へ進学→就職→親になり・・・
ループしている。逆も同じだ。
勉強にとって環境というのは悪いと話にならない。だから学校で勉強する。(環境というのは勉強を教えてくれる人も含む)
家庭の環境がよくないとまず勉強へのモチベーションをどこでもてばいいのかわからなくなる。
塾へいけば少しはましになるが、勉強っていうのは本人が理解しようとして成り立つ。モチベーションをもてないような家庭ではこうした取り組みに参加しようとはしないだろう
親が全てというところもあるかもしれない。
てか、研究文化なんて研究室単位とかじゃないの?隣の研究室でどんな体制でやってたかなんて仲良い友達とかいないと知らないで終わるよーな。そもそも小保方さんの指導教員は東大卒な時点で国立と私大で違うとか論理破綻してるよなー。
時々、東大卒の有名人が首席を名乗る場合がある。伝記の類でその手の記述がされることもある。一般人でも自称する場合がある(先日は取引先の部長が、自分の息子が東大首席だと言っていた)。そんなものはない。15年ほど前の自分のまわり(文学部)しか知らないのでひょっとしたら違っているかもしれない。
前期の教養課程を終える段階で、成績の平均評点がでて、文学部・工学部などではそれによって進学先が決定される。我々の時はシンフリと呼んでいた。客観的に示される学業の総合指標というのものは、この平均評点しかなかったように思う。この平均評点は、あくまでシンフリ用のものなので、成績表にも載せられていないし、第一、学年で順位が付けられたりだとか、優秀者の実名のリストが掲示板で公開されたりだとかそういうものではない。平均評点が1位がだれなのかはわからないし、通常誰も興味がない。
卒業式の総代、というものがある。あれは確かに、1名のみが選ばれて、かつ、同学年のものも誰が総代なのかを認識可能ではある。しかし、総代は成績によって選ばれるものなのか、また、成績優秀な学生は総代に選ばれることを目標に学業に励むのか、といった点に関しては私は知らない。おそらく私以外の大多数も知らないはずだ。
あとは、学部や学科ごとにどのような評価・表彰をしているのかという話になる。例えば、ある学科では毎年一人の学生に返済不要の奨学金を付与していたので、その学科においては奨学生=最優等生ということになる。しかし、特定の学科の優等生と首席を同一と考えることはできない。
ちなみに海外の大学では、優等の卒業を示す公式な資格・呼称のほか、平均評点としてのGPAがあり、Web上で公開されている研究者や大学院生の履歴書を見ると、その手の記述が書かれている場合が多い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Latin_honors
http://en.wikipedia.org/wiki/Honor_society
http://ja.wikipedia.org/wiki/GPA
※追記(3/17)
総代は成績・卒論等によって選出がされる、というツッコミをいただきました。内的にそのような基準があるにせよ、在校生一般にはそうした選出過程が知れ渡っているわけではなく、また総代=首席とみなされているわけでもない。ゆえに仮に総代であっても、「首席と自称しちゃうのはカッコ悪い」というのが私の認識です。
「あの人は○○だから、頭が良い」という言説は果たして成り立つのか。例えば、「あの人は東大卒だから、頭が良い」というのは一般的にかなり思われている様だが、これはどこまで正しいのか。一般に、大学は入るのが難しく、卒業するときはそれほど難しくないという。(もちろん、入学に要する労力に比べてという話であって、卒業研究等、大変な困難を伴うのは当然である。)すると、「東大卒だから頭が良い」という言説は正確でないように思われ、東大入学試験時(当日)に、東大入試相当の問題(国、数、英、理、社)を解ける知識を有していた、ということが少なくとも言える程度だと思う。けして、東大卒業したからといって未来永劫の頭脳を持ち続けるわけではない。仮に、年老いて東大の問題が解けたとしても、京大の問題は解けないかもしれない。(極端な話)
ここで起こっていることは、一種の逆転である。別に、東大でも頭の悪い奴がいるとか、僻んでいるとか、そんな類の話がしたいわけではない。ラベルと中身の倒錯を問題にしたいのである。
科学が進展して、今まで分からなかった事が種々の法則で解析して説明できるようになってきた。でも時々、解析結果と実際の現象が一致しないことがある。法則が上手く現象を説明しない時、人は現象に問題があると考える。実験系が法則の様な理想的な条件にないのだと。本来は反対で、まず現象が先にあって、解析結果がそれに一致しないのは、我々の持っている法則が完全でないためである。そこで、法則は特殊な結果を説明できる様、書き換えられ、さらに普遍的な理論(統一理論)へと近づいていく。それが科学分野において真のあるべき姿だと思う。
話を戻すと、「東大卒だから、頭が良い」のではなく、「頭が良いから、東大に入れた」のである。更に言えば、東大入試でテストされる知性(頭の働き)を持っていたから東大に入れたのである。短い時間で幅広い分野の知識を試され、どれが落としてはいけない大問で、どれが捨てから見極める。応用よりは基本を押さえた問題設計。集中力、判断力、記憶力に特化した知性を東大は求め、それに応えた人々が赤門をくぐっていく。それ以上でも以下でもないのではないのだろうか。
社会に出ると東大は使えない。高学歴ほど仕事ができない。こういった言説は前述の倒錯に憑りつかれている。知性とは、もっと伸びやかでフレキシブルなものである。アメーバの様にその形を変えながら、様々な知的能力に特化しているものである。それが人々に多様な個性を与えている。画一的な試験で評価、定量化できるのは知性の一部に過ぎない。
知性に対するラベリングという状況は大変残念だが、人間の認識の限界もあって致し方ないという向きもある。そこで、知性からのささやかな「反撃」というのはどうだろう。つまり、東大卒くらい頭が良くなるのではなく、あなたの頭脳(知性)ならばどうすれば東大に受かるかを考えるのである。東大入試で求められているもの、集中力、記憶力、判断力…。今あるポテンシャルを活かして、アメーバの触手をどう伸ばしていくか、それを考えてみる。「頭の悪い」あなたは、似たような作業で単純なミスばかりするのではない。あなたの知性がその作業を苦手としているので、「頭が悪い」というラベリングをされているだけである。あなたの知性を使って、次のミスをどう防ぐか、その時こそ知性が試されている。
http://anond.hatelabo.jp/20140227153437
学歴コンプレックスがなくなったのはよかったけど、「東大のやつなんて全然ダメだ」みたいな、逆の変な一般化にもならないようにしてほしいな。(そういうこと言う人も結構いるじゃん)
アットホームどころか、俺にとってはここが家なわけだが。
まあそこは本題じゃない。
業界の風向き次第で吹けば飛ぶような我が社だが、去年ついに東大卒を採用した。
幹部候補生としてしっかり育てようとか、俺も東大生を顎で使えるようになったかとか、
年甲斐もなくわくわくしていたのだが、こいつがどうしようもなく使えない。
仕事は雑だしやり方を教えても覚えないし、むしろ我流の効率の悪い方法を押し通そうとする。
とにかく気位が高い。
そのくせ地頭もとりわけいいというわけではない。
もちろん東大に入っておきながら民間企業に落ちてくるような人材なんて、相対的に落ちこぼれであるとは分かっていたが。
最低限、最難関入試を突破するだけの要領の良さは持っているはずではないのだろうか。
だが俺は東大ブランドのまばゆさに目をくらませて、持ち前の鼻の良さを活かしきれなかった。
「ベンチャーに魅力を感じる」という見え見えのおべっかを真に受けてしまった。
自分の心の深い所に根強く残っていた学歴コンプレックスが払拭されたように感じた。
こいつ一人のために社内(というよりチーム)の空気は乱れ業務に支障をきたすようになってきた。
今ならなんとか取り返せる。
なんとか自己都合で退職してもらえないものかと、胃をキリキリさせている毎日だ。
お前のことだよお前の。