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はてなキーワード: 憂鬱とは

2022-04-02

マジの社会不適合者にしかからない事

この時期の入社式ニュース入社式を終えた新社会人を見ると、当時の入社式自分労働意欲が薄い社交不安だったので、ストレスを感じる閾値が低くて、感じるストレスが激大だった)を思い出し芋づる式で色んな嫌な記憶を思い出し、酷く憂鬱な気分になる。

2022-03-28

憂鬱だなあ。

PMきじゃないし、下まわりなんてやりたくないし。

2022-03-24

俺の乗った電車の1本後で人身事故が起きて、俺の電車は無事会社の最寄駅に到着

その後大規模遅延になってるっぽくて朝から憂鬱すぎる。

どうせなら戻って遅刻しようかと思ったけど当たり前だけど電車動いてないし

俺も会社遅刻たかった。テンション下がる

2022-03-23

anond:20220323121412

そうなんですよ。

部署から来た人なんですが「上の決定を無視して自分の考えを押し付ける。通らないと拗ねる」「人を見下す感じで話すので衝突が多い」

とか注意点を何点か言われましたね。首にしろよと。

これでスケジュールに対して責任持てって言われても辛過ぎる。

15歳くらい上なんですよ。毎日憂鬱

2022-03-22

月一で機嫌悪くなるのやめてください

普段は至って普通なんだけどたまに暴君でも憑依したのかって

レベルで触るもの全部傷付けるくらい荒れ狂う女同僚が居る。

入社当初は自分が何かとんでもない地雷でも踏んだのかと思って、

不服ながら平謝りしてたけど、やがて月1の周期性に気付いた。

数日後に恥じらいながらバツが悪そうに謝罪してくれるけど、

正直言わせて貰えばこれを毎月は真面目に勘弁してほしい。

ちゃんもこのタイプで幼少期に苦しめられた記憶が思い出される。

狭い観測範囲でも数人に1人くらいの割合女性ってこんな感じだよな。

家族彼女ならまあ許せるけど、同僚とかだと流石にキツイ

その間は理不尽権化で怒鳴る・無視する・物に当たる。

キモいけど周期を勝手に逆算して、その日の前後は毎回有給取りたい。

ペア組む仕事で逃げ場ないので、本当に憂鬱な気分になる。

こんな理由配置転換希望なぞしたら、それこそ俺の首が飛ぶしなぁ。

なにか女性側で対策とか打てないもんなんでしょうか。

2022-03-21

anond:20210803121003

これ舞台プロデューサー一緒だったんだな

自分は.5の方は惰性で見てたから実写も憂鬱しかない

2022-03-20

新聞の購読を辞めたいんだけど

月々4,000円。

自分にとって結構金額で、正直何度もやめようかと思っている。

それでもやめないでいるのは、会社新聞を読んでない群があまりにも何も知らないから。

コロナ感染者数なんて当然知らないし、「今また増えてきてるよね」とか言うと「えっ、コロナまだ流行ってるの?(目を丸くする)」的なリアクションが返ってくる。

そういう姿を見るたびに、ああ、やっぱりYahooニュースとかLINEニュースだけじゃダメなんだと思う。

ウクライナのことだって知らないんだろうな。

テレビニュースもあるけどニュースのためだけにテレビなんて見ないし、コメンテーターの話が偏ってるんじゃないかとか思えるのも新聞があるから

新聞取らなくなったら自分もあの中の仲間入りだと思うと憂鬱だ。

書評映画評もエッセイ面白い

渾身のルポに心動かされる時もある。

やっぱりもう少し続けてみようかな。

朝刊だけ2000円とか有ればいいのに。

再来週から配属される作業作業内容と上司が嫌すぎて今から憂鬱

来月の新入社員歓迎会憂鬱

職場キモいおっさんがいる。そのキモいおっさん自分キモいことを素直に受け入れられないっぽくて、誰も話を振ってないのに勝手に話し出す。場の空気は冷えてるのに分からないっぽい

来月新入社員歓迎会があって、そのキモいおっさんとは多少なりとも関わることは避けられなさそうなのでとても憂鬱

2022-03-14

30代中盤、初めての花粉症を味わう。

恐らく今年から発症した。

今まで三十余年、春を憂鬱に感じたことは無かったが、

こんなにも目が痒く、鼻がつまり呼吸しずらく、鼻をかんでも無限に鼻水が出てくるものなのか。

花粉症って大変なんだな…。


接し方が分からねぇよ。

結局病院受診して薬をもらうしか対策はねぇのか。

2022-03-13

anond:20220313191005

Windowsの大型アップデート?流石に月次は自動でかかるよね。

Windows11のことを考えると憂鬱だね。VDIに移行しようぜ

クレカ作ってから借金まみれ

リボ払い30万

分割払い70万

休んでいる場合ではないのに働くのが大嫌いで衝動的に休みたくなるし仕事の前だけ限定的に不眠気味になる

行ってしまえば憂鬱ではあるものの行く前ほどのよくわからない絶望不安感は薄れるのに毎回逃げ出したくなる

こんな状態から週5勤務がどうしてもできず日数も少ない

がんばろうとして何度も衝動的にサボってしまたことが過去にある

人と話したくないしあまりにも働きたくないものから無職間中に働くのを先延ばしにするため借金ごまかしたりしてしまたことさえある

いっそのこと精神科に行きたいが国保を滞納してるので病院にも行けない

毎月数万の返済に追われているのでちょっとした出費なんかもいちいち分割払いにしてしま

数万の返済がなければ普通に払えるような金額なのに

無駄遣いしてる場合じゃないのにほしいけど我慢すればすむいらないグッズを買ってしまったりソシャゲ課金したり外食お金を使ってしま

今の仕事を辞めずに今くらいのシフトで続けられていれば年内に自転車操業状態は脱せてかなり借金は減る計算だけどどうなるかわからない

からは怠けてるとしか思われないような水準でしか動けてないのに異常にしんどい

毎日が辛い

2022-03-11

専門医がいる矯正歯科歯列矯正始めたんだけど

担当医が専門医じゃなくて研修医マジで顔青ざめた

もう料金支払っちゃったし、すごい憂鬱……。半年ぐらい通ったけど、5回に一度ぐらい専門医が見るぐらいで、ブラケット取り付けるのも調整するのも研修医

大学病院ならまだしも流石に酷くない……?こんなもんなの……?

相場より1.3倍ぐらい高いから通う度に憂鬱になってくる。

ダイエット中なんだけど基礎代謝以下の摂取カロリーしか取ってないはずなのに毎日体重体脂肪が増える。毎日増えてるだけに見えてるけど、直近一番痩せてた日の体重おかしかっただけなのかも。

運動しなきゃいけないのはわかってるけども運動はできる日にちょっとやるだけで、とりあえず食事から始めようと思って、軽い糖質制限しつつ野菜たんぱく質多めで1200kcalくらいに留めてる。家の体組成計では基礎代謝は1400kcalくらい。今生理中なので身体の水分量が単純に増えてるだけなのかもしれないけども一生このまま太った人なのかなーと思うと憂鬱になってきた。

2022-03-10

どうでもいいことが億劫に感じるものだなあと

今は近所から聞こえる子供たちのキャッキャ騒ぐ声が憂鬱

なんでだろうと考える

場所がない、自分がそういう子供が遊ぶ場に登場して、混ざれなさを感じる気がして怖い

普通ににこやかに挨拶して出かければ良いだけの話だろうに

2022-03-09

anond:20220309215059

予約ならどうにか。電話だけだし。それより当日を迎えることのほうが何億倍も憂鬱。でもレスをもらえて多少楽になった。

虫歯な気がするけど歯医者はいきたくない人って案外多いと思うんだ

歯医者嫌いをどうにか克服したい。

今年の初め当たりに大きな虫歯が見つかって、その治療をしている時期にコロナ罹患。以来2か月ほど歯医者をバックレている。

そうこうしていると他の歯も虫歯っぽい感じになってきた。

痛みこそないが、奥歯が欠けている気がするし、はるか昔に入れた詰め物がないような気もする。

とりあえず明日歯医者に予約の電話だけ入れて、行くか行かないかは予約当日にまた自分判断かな。

こんな些細なことなのに、歯医者に行く憂鬱を考えただけで、いっそ死んで楽になってしまいたいとすら思う私は異常か?

2022-03-08

小説が苦手になった

要約

小説を読むのは好きだ。私は小説を読む時、主人公感情移入して読んでいる。そして、本を読み終わった後も本の中の主人公思考から抜け出せない。そのため読了後、本の中の憧れの世界と、自分のどうしようもない生活との落差に驚かされて憂鬱になってしまう。皆さんはこの落差と、思うようにならないことも多い現実に、どう向き合っているのだろう?

要約終わり

小説を読むのが、苦手というか、嫌いになった。

ちょっとまでは、めちゃめちゃ小説を読んでた。

小学生の頃は、学校図書館にある本とか地域図書館の本をかなり読んだ。

中学生の頃は、学校図書館の本だけでは飽き足らず、友達からラノベを中心に本を借りて読んだ。

高校の頃は、「国語勉強」と言い訳して読書受験勉強を1対1ぐらいでしていた。

でも大学に入って、小説を読むのが苦手になった。

小説を読んでいるとき楽しい

登場人物気持ちに思いっき感情移入して話を読み進めるのにはワクワクする。

とっても綺麗な情景描写を見つけたときは、まるで自分が本当に綺麗な景色を見てるみたいでとっても感動する。

悲しい話だったら心が締め付けられるし、いい話だったら心がぽかぽかする。

ハッピーエンドで本が終わった時には、感動して涙が出そうになる。

でも、小説を読み終わった後が嫌いだ。

小説を読み終えると、小説世界現実との違いに驚く。

頭の中は小説世界でいっぱいで、私は主人公になったみたいに心が揺れ動いている。

でも現実はそうじゃない。

今は春休みから勉強ぐらいしかすることがない。

友達と遊ぼうにも、あまりにも突然すぎて誰も乗ってくれないと思う。

悩みや困っていることを真剣相談できる友達はいない。

逆に相談してくれるような友達もいない。

頭がぐらぐらする

本の中と現実が違いすぎて、その落差に頭がついていけない。

本の中では、楽しいことと、辛いことがバランスよく混ぜ合わされて出てくる。

そしてその出来事を、確かに主人公自分経験にできている。

主人公の行動が、周りに影響を及ぼしている。

そして何より、物語は都合がいいとこしか書かれてない。

高校生が主人公小説なら、雨の日の通学が面倒な様子とか、あんまり書かれていない。

友達と何を話していいかからずに悶々とする様子とか、あんまり書かれていない。

自分のいないところで友達が楽しそうに遊んでる様子とか、あんまり書かれていない。

現実はそうじゃない。

楽しいことも辛いこともある。

でもそれと同じぐらい、面倒なこともあるし、どうしようもないこともある。

本と違って現実は決して都合のいいところで終わらない。

いつまでも終わりが見えない道が続いてく。

本を読み終えると、まず現実との以外に驚く。

そして、もっとこうしていたらと自分の今までの生活を責めてしまう。

もっと友達と遊んでいたら。

面倒くさがらず行事とか習い事かにいっていたら。

後悔というよりは、諦めだ。

どうしようもない。分かってる。

その時の自分にできる最善の選択だった。分かってる。

でも現実は本の中と違って退屈だし、私は本の中の主人公と違い、空虚人間だ。

でもその事実に、どう向き合えばいいかからない。

今後どう振る舞えばいいかすら分からない。

結局憂鬱になって終わっちゃうだけだ。

その感覚とどう向き合っていけばいいかからない。

今日は重松さんの「一人っ子同盟」を読んだ。

小学生の男女の幼馴染が、お互いの家庭環境の悩みを共有しつつ成長していく話だ。

男の子は近所に引っ越してきたみなしごとの関わり方に悩み、女の子はお母さんの再婚相手とそのことどう関わっていけばよいか悩んでいる。

物語が進むにつれだんだんとお互いに秘密を共有しだし、仲が深まってきた中で、突然に女の子引っ越しが決まり卒業式を迎える。

最後に二人で一緒に夕焼けを見て感傷に浸って、物語は終わる。

きれいな景色を見ていると、いろんなこと、もう、どうでも良くなっちゃうね。」

本の中で女の子はいう。

本当にそうだと思う。きれいな景色を見たり、きれいな本を読んでいると、いろんなことがどうでも良くなってしまう。

でも、本の中では男の子がこうつづけている。

「そうだといい。でも、きっとそうではない。どうにもならないことって、ある。けっこうたくさんある。」

この本を読みながら、私は小学校の頃を思い出した。

幼馴染はいなかった。本当はいたのかも知れない。

でも、私は幼馴染になるほど人と関わる努力をしていなかった。

本の中と違って、現実はどうにもならない。

どう受け入れていけばいいのだろう。どう向き合っていけばいいのだろう。

私は本の中から、その答えを読み取れなかった。

皆さんはどうやって、簡単に変えることができない現実と向き合ってますか?

2022-03-05

先生に出さなかった年賀状の思い出

今は個人情報問題があって難しいと思うが、私が子供の頃は、担任先生から必ず年賀状が来ていた。

よく考えたら、年賀状代はおそらく私費なんだろうし、40人分近く印刷するのだって、それなりに手間がかかる。

そんなふうに、プライベート費用と手間まで費して、教員というのは本当に大変な職業だと思う。

その点ではむしろ教員が生徒に向けて年賀状を出す習慣というのは、無くなった方が平和なのかもしれない。

さて、年賀状は来たら基本的に返信するものである。私も担任先生に返信していた。

そして、担任から外れた次の年からは、感謝なのか慣習からなのか、年賀状自分から出すようになった。

すると、いつ辞めるかが問題になる。私の場合大学生になってようやく辞めた。

逆に言うと、大学生になるまで、担任だった先生への年賀状を延々と出し続けていたのだ。

初めてもらった年賀状幼稚園先生からだった。なので、一番長先生だと10年以上やりとりを続けていたことになる。

そんなに長くやりとりが続いて、微笑ましいことだって

いや、その事実は私にとって結構トラウマだ。

なぜなら、担任先生年賀状を送るのは、おそらく「学級通信」の延長みたいなもので、

担任としてのコミュニケーションを円滑にするためであろう。そうであるならば、担任と生徒の関係が終わったあとは、

こんなに長く年賀状をやりとりするなんて望んでいなかったんじゃないかと思うのだ。

端的に言うと、迷惑だったんじゃないかと思うのだ。

年賀状しか接点の無い単なる一生徒から10年以上も年賀状を送り続けられて、果たしてしかったのだろうか。

なにしろ、送った相手教員なのだ

「○○高校に行きました」と報告されても、多数居る教え子の一例でしかないのだ。

そんな多数の中の一情報に「嬉しい」と感じられるものなんだろうか。私が教員なら無理だと思う。

それに、この件で何が一番たちが悪いかというと、私自身の対応の仕方だ。

大学生になるまで担任だった人に年賀状を出し続けるというのは、そもそも私の本意ではなかったのだ。

他人年賀状をやり取りできる嬉しさで、10年以上も会っていない人に年賀状を出し続けたわけではなかった。

しろ、怒られるのが怖くて年賀状を出し続けていた。

具体的には、「担任だった先生年賀状を出さないなんて礼儀を失している」と親に怒られるんじゃないかと思っていた。

担任先生を想ってではなく、親に怒られるのが怖いという一心で、出したくもない年賀状を出していたのだ。

先生年賀状を作るのは手間だったろうが、当時子供だった私には、年賀状作りなんて冬休み憂鬱になるほど面倒な作業だった。

30代を終えようとしている私が子供の頃は、PCなんて普及していなかった。

そのため、自分干支イラストをクーピーで書き、「高校では○○部に入り、云々」みたいな近況を知らせる文面を考え、

ペン書きなので、書き損じにならないよう(つまり無駄になったと親に怒られないよう)、必死に気を使って書き付ける。

そんな、夏休み工作みたいなことを大学生になるまで毎年繰り返していた。

ということは、高校生のときももちろんそうしていた。

高校3年生の受験シーズンでも、受験時のナーバスな時期だからこそ、親に怒られるなんて絶対に嫌だと思って、

干支の絵をお絵描きしていた。そしてそれを、例えば幼稚園とき先生に送っていたのだ。

こうして、改めて今になってよく考えると、本当に頭のおかしいことをしてたんじゃないかと思う。

高校生になっただろう相手男性)が、小学生みたいな干支イラストで毎年年賀状を送りつけてくる。

それも、10年近く会ってない相手から

きっと、なんでこんな稚拙な絵を延々と送り続けてくるのか、新年早々の疑問になっていただろう。

しろ、恐怖を与えてしまっていたかもしれない。

などと客観的に考え出すと、我ながら恥ずかしいことをしてきたと、枕に顔を押し付け叫びたくなるほど後悔する。

受験勉強をセーブしてまで、やりたくも無いお絵描き10枚近く、きっと存在しなかった親の怒りを恐怖するために書き続けていた。

そう、この恥ずかしい行動の原動力は「親への恐怖」だったのだ。ここがいまだに、自分ことながら意味がわからない。

どうして、そこまで親に恐怖していたのだろう。別にそこまで仲が悪いわけでも無かったのに。

12月になると、特に希望もしていないのに、親から毎年無地の年賀状10枚渡されて、

それを無駄にすると怒られると思ったから?それにしたって、「もう高校生だから」と断ればよかったのだ。

本当に、私は頭のおかしなことをしてたと思う。「親への恐怖」という妄想で、かつて担任だった人々に迷惑をかけた。

自分ことながら、一種心理ホラーにさえ思える。

まあそれでも、大学生ときには、担任だった先生への年賀状を辞めることができた。

大学生になったので、塾のバイトを始めて給料が手に入り、年賀状くらい自分で買えるようになる。

当然、親から年賀状をもらう必要も無い。「年賀状自分で買うから」と、ようやく断ることができたのだ。

そして、自費で年賀状を買う段になって気づいた。気づいたことは2つある。

まずは、それなりの額を出せば、イラストが付いた年賀状が買えるのだということだ。

それまで、イラスト挨拶が書かれた年賀状は、大人業者に頼んで大量注文しないと手に入らないものだと思っていた。

それが、大学生協に並んでいたのだ。これは、本当に救われた!という気分になった。

そんなの、コンビニスーパーにも並んでるから大学生にならなくとも気づくだろ、と思われるかもしれない。

しかし、私は大学生になるまで、ろくにコンビニに入ったことが無かったのだ。

その理由は、私の家ではお小遣い制度が無かった(金銭必要とき必要なだけもらえる)というのが大きい。

学級帰りにコンビニに立ち寄ってパンでも買って帰ってくる、みたいなことをするお小遣いが手元に無かったのだ。

スーパーにしたって、中学生以降は親と行動するのが恥ずかしくなるわけで、ろくに立ち入ることが無かった。

まあ、そもそも田舎に住んでいたので、自宅から歩く距離にはコンビニスーパーも無かったわけだが。

話が横道に逸れたが、とにかく、金を出せば年賀状稚拙イラストを載せなくてもよいと知ったわけだ。

そして、もう一つ気づいたことは、そもそも論になるが、担任への年賀状意味はあるのかということだ。

それは大学生になって、担任というシステムから解放されたのが大きい。

(いや正確には、学年全体での担当教授は居た気がする。しかし、有名無実というか空気みたいな存在だった。)

大学では、自分知識は多くの教員バラバラと与えてくるものであり、担任という唯一の存在依存する必要が無い。

(まあ、ここについても、研究室に配属されるようになると、考えはまた変わってくるわけだが。)

そう考えると、それまでの「担任」という人々に、こんな10年も経ってまで感謝を示し続ける必要があるのか疑問になってきたのだ。

そういうわけで結局、大学一年生のとき年賀状は完全に取り止めた。

ちなみに、当時は実家暮らしだったため、自分年賀状を出していないというのは、親にも当然バレるはずだった。

正月以降に、毎年来るはずの担任先生たちから年賀状が全く来ない、という形でバレるはずであり、戦々恐々としながら新しい年を迎えた。

しかし、親には怒られなかった。

今考えれば、親に怒られるなんて全て私の妄想だったので、当然の結果だったわけだが、当時は心の底からホッとした。

まあ、そこからようやく「親への恐怖」が自分妄想であることに気づくようになり、

前述のとおり、これまで稚拙年賀状を出してきたことをトラウマに感じるようになってしまうわけだが。

というわけで、担任だった先生への年賀状の話でした。

結局、自分妄想他人を振り回してしまったわけで、その点は今でも申し訳なく思っている。

そして何より、自分自身稚拙イラストを書いたり本当に苦痛だった。

そんなお互いに苦痛な習慣を、自身勘違いで長年続けてしまったのは本当に黒歴史だ。

リアル相手にはとても言えないけど、黒歴史な思い出は文章にしてちゃん客観視しないと、

いつまでも「思い出しアー」になって苦しむことになる(実際、毎年年末に思い出して苦しんでいる)ので、一通り書き出した。

あとはこうして、匿名掲示板に記して供養としたい。

ちなみに、年賀状トラウマになったので、大学生以来誰にも出していません…

となれば、お話し的にはキレイな展開なんだと思うが、高校ときの友人との年賀状は、数枚ながらもまだ続いている。

大学生の頃は、年賀状なんか一生出すもんか!とも思っていたのだが、卒業すると就職で散り散りとなり、お互いの近況を知りたくなった。

現在であれば、それはLINEか何かで実現できるのだろうが、15年以上前の話なので、そこはやはり年賀状でのやり取りとなった。

携帯メールはあったんだけど、何かこう、正月だとかのきっかけがないと、お互いやりとりしないよね。

って、やっぱり私も古い人間なのかも。

まあとにかく、子供の頃は色々やってしまったけれど、年賀状を誰かに出す習慣はまだ潰えていない。

今はさすがに年賀状コンビニで買ってきたものを使っているけれど、その印刷された文面の端っこに、

ペン書きながらも簡単イラストを書いてしまうのは、そういう過去があったからなんです。

最後まで読んでくれて、ありがとう!)

2022-03-04

IAEA禁止されている核兵器使うよりも、核施設爆破する方が批判少ないとプーチンは踏んだのか

爆風で舞い上がった核物質の風下にはアジア諸国が広がっている。憂鬱ニュース

2022-03-02

仕事ってきっとこんな感じに、つまんなくて面白くなくてそんでもってうまくいかなくてしんどくてそしてつまんないんだろうな

来年が今から憂鬱だな

鬱らずにつまんない仕事をきちんとできる秘訣はあるんだろうか。

2022-03-01

ああ楽しく仕事がしたい

契約の終わりが見えると憂鬱な気分

また一からあれこれ構築かと思うと

なんだろうなあ

sier下請けとか何も積み上がらないな

憂鬱だな・・・規則規則ウルサイくせに、自分適当言い訳して違反だらけの嘘つき野郎

筆先イッチョウで違反をセッセと隠そうとする

法曹の奴に特に腹が立つのは、「公明正大な」とメディアが持ち上げるからだろう

あの保険屋の血を顕微鏡で見てみたいわ

2022-02-27

気分が憂鬱ときどうするべきか

多少気が乗らなくても趣味とか運動とかなんか活動した方がいいのか?休みの日に動くのがだるすぎてずっと家に篭っていてもどんどん憂鬱になるだけで夕方になると消えたくなる だったら思い切ってとりあえずなんかしたほうが気が紛れるのかもしれない

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