はてなキーワード: 憂鬱とは
月々4,000円。
自分にとって結構な金額で、正直何度もやめようかと思っている。
それでもやめないでいるのは、会社の新聞を読んでない群があまりにも何も知らないから。
コロナの感染者数なんて当然知らないし、「今また増えてきてるよね」とか言うと「えっ、コロナまだ流行ってるの?(目を丸くする)」的なリアクションが返ってくる。
そういう姿を見るたびに、ああ、やっぱりYahooニュースとかLINEニュースだけじゃダメなんだと思う。
テレビのニュースもあるけどニュースのためだけにテレビなんて見ないし、コメンテーターの話が偏ってるんじゃないかとか思えるのも新聞があるから。
新聞取らなくなったら自分もあの中の仲間入りだと思うと憂鬱だ。
渾身のルポに心動かされる時もある。
やっぱりもう少し続けてみようかな。
朝刊だけ2000円とか有ればいいのに。
リボ払い30万
分割払い70万
休んでいる場合ではないのに働くのが大嫌いで衝動的に休みたくなるし仕事の前だけ限定的に不眠気味になる
行ってしまえば憂鬱ではあるものの行く前ほどのよくわからない絶望、不安感は薄れるのに毎回逃げ出したくなる
がんばろうとして何度も衝動的にサボってしまったことが過去にある
人と話したくないしあまりにも働きたくないものだから無職期間中に働くのを先延ばしにするため借金でごまかしたりしてしまったことさえある
いっそのこと精神科に行きたいが国保を滞納してるので病院にも行けない
毎月数万の返済に追われているのでちょっとした出費なんかもいちいち分割払いにしてしまう
無駄遣いしてる場合じゃないのにほしいけど我慢すればすむいらないグッズを買ってしまったりソシャゲに課金したり外食にお金を使ってしまう
今の仕事を辞めずに今くらいのシフトで続けられていれば年内に自転車操業状態は脱せてかなり借金は減る計算だけどどうなるかわからない
人からは怠けてるとしか思われないような水準でしか動けてないのに異常にしんどい
毎日が辛い
要約
小説を読むのは好きだ。私は小説を読む時、主人公に感情移入して読んでいる。そして、本を読み終わった後も本の中の主人公の思考から抜け出せない。そのため読了後、本の中の憧れの世界と、自分のどうしようもない生活との落差に驚かされて憂鬱になってしまう。皆さんはこの落差と、思うようにならないことも多い現実に、どう向き合っているのだろう?
要約終わり
小説を読むのが、苦手というか、嫌いになった。
小学生の頃は、学校図書館にある本とか地域の図書館の本をかなり読んだ。
中学生の頃は、学校図書館の本だけでは飽き足らず、友達からラノベを中心に本を借りて読んだ。
高校の頃は、「国語の勉強」と言い訳して読書と受験勉強を1対1ぐらいでしていた。
登場人物の気持ちに思いっきり感情移入して話を読み進めるのにはワクワクする。
とっても綺麗な情景描写を見つけたときは、まるで自分が本当に綺麗な景色を見てるみたいでとっても感動する。
悲しい話だったら心が締め付けられるし、いい話だったら心がぽかぽかする。
ハッピーエンドで本が終わった時には、感動して涙が出そうになる。
でも、小説を読み終わった後が嫌いだ。
頭の中は小説の世界でいっぱいで、私は主人公になったみたいに心が揺れ動いている。
でも現実はそうじゃない。
友達と遊ぼうにも、あまりにも突然すぎて誰も乗ってくれないと思う。
頭がぐらぐらする。
本の中と現実が違いすぎて、その落差に頭がついていけない。
本の中では、楽しいことと、辛いことがバランスよく混ぜ合わされて出てくる。
主人公の行動が、周りに影響を及ぼしている。
高校生が主人公の小説なら、雨の日の通学が面倒な様子とか、あんまり書かれていない。
友達と何を話していいか分からずに悶々とする様子とか、あんまり書かれていない。
自分のいないところで友達が楽しそうに遊んでる様子とか、あんまり書かれていない。
現実はそうじゃない。
楽しいことも辛いこともある。
でもそれと同じぐらい、面倒なこともあるし、どうしようもないこともある。
本と違って現実は決して都合のいいところで終わらない。
いつまでも終わりが見えない道が続いてく。
本を読み終えると、まず現実との以外に驚く。
そして、もっとこうしていたらと自分の今までの生活を責めてしまう。
後悔というよりは、諦めだ。
どうしようもない。分かってる。
でも現実は本の中と違って退屈だし、私は本の中の主人公と違い、空虚な人間だ。
小学生の男女の幼馴染が、お互いの家庭環境の悩みを共有しつつ成長していく話だ。
男の子は近所に引っ越してきたみなしごとの関わり方に悩み、女の子はお母さんの再婚相手とそのことどう関わっていけばよいか悩んでいる。
物語が進むにつれだんだんとお互いに秘密を共有しだし、仲が深まってきた中で、突然に女の子の引っ越しが決まり、卒業式を迎える。
「きれいな景色を見ていると、いろんなこと、もう、どうでも良くなっちゃうね。」
本当にそうだと思う。きれいな景色を見たり、きれいな本を読んでいると、いろんなことがどうでも良くなってしまう。
「そうだといい。でも、きっとそうではない。どうにもならないことって、ある。けっこうたくさんある。」
この本を読みながら、私は小学校の頃を思い出した。
でも、私は幼馴染になるほど人と関わる努力をしていなかった。
本の中と違って、現実はどうにもならない。
どう受け入れていけばいいのだろう。どう向き合っていけばいいのだろう。
私は本の中から、その答えを読み取れなかった。
今は個人情報の問題があって難しいと思うが、私が子供の頃は、担任の先生から必ず年賀状が来ていた。
よく考えたら、年賀状代はおそらく私費なんだろうし、40人分近く印刷するのだって、それなりに手間がかかる。
そんなふうに、プライベートな費用と手間まで費して、教員というのは本当に大変な職業だと思う。
その点ではむしろ、教員が生徒に向けて年賀状を出す習慣というのは、無くなった方が平和なのかもしれない。
さて、年賀状は来たら基本的に返信するものである。私も担任の先生に返信していた。
そして、担任から外れた次の年からは、感謝なのか慣習からなのか、年賀状は自分から出すようになった。
すると、いつ辞めるかが問題になる。私の場合は大学生になってようやく辞めた。
逆に言うと、大学生になるまで、担任だった先生への年賀状を延々と出し続けていたのだ。
初めてもらった年賀状は幼稚園の先生からだった。なので、一番長い先生だと10年以上やりとりを続けていたことになる。
そんなに長くやりとりが続いて、微笑ましいことだって?
なぜなら、担任の先生が年賀状を送るのは、おそらく「学級通信」の延長みたいなもので、
担任としてのコミュニケーションを円滑にするためであろう。そうであるならば、担任と生徒の関係が終わったあとは、
こんなに長く年賀状をやりとりするなんて望んでいなかったんじゃないかと思うのだ。
年賀状でしか接点の無い単なる一生徒から、10年以上も年賀状を送り続けられて、果たして嬉しかったのだろうか。
「○○高校に行きました」と報告されても、多数居る教え子の一例でしかないのだ。
そんな多数の中の一情報に「嬉しい」と感じられるものなんだろうか。私が教員なら無理だと思う。
それに、この件で何が一番たちが悪いかというと、私自身の対応の仕方だ。
大学生になるまで担任だった人に年賀状を出し続けるというのは、そもそも私の本意ではなかったのだ。
他人と年賀状をやり取りできる嬉しさで、10年以上も会っていない人に年賀状を出し続けたわけではなかった。
具体的には、「担任だった先生に年賀状を出さないなんて礼儀を失している」と親に怒られるんじゃないかと思っていた。
担任の先生を想ってではなく、親に怒られるのが怖いという一心で、出したくもない年賀状を出していたのだ。
先生も年賀状を作るのは手間だったろうが、当時子供だった私には、年賀状作りなんて冬休みが憂鬱になるほど面倒な作業だった。
30代を終えようとしている私が子供の頃は、PCなんて普及していなかった。
そのため、自分で干支のイラストをクーピーで書き、「高校では○○部に入り、云々」みたいな近況を知らせる文面を考え、
ペン書きなので、書き損じにならないよう(つまり、無駄になったと親に怒られないよう)、必死に気を使って書き付ける。
そんな、夏休みの工作みたいなことを大学生になるまで毎年繰り返していた。
高校3年生の受験シーズンでも、受験時のナーバスな時期だからこそ、親に怒られるなんて絶対に嫌だと思って、
干支の絵をお絵描きしていた。そしてそれを、例えば幼稚園のときの先生に送っていたのだ。
こうして、改めて今になってよく考えると、本当に頭のおかしいことをしてたんじゃないかと思う。
高校生になっただろう相手(男性)が、小学生みたいな干支のイラストで毎年年賀状を送りつけてくる。
きっと、なんでこんな稚拙な絵を延々と送り続けてくるのか、新年早々の疑問になっていただろう。
などと客観的に考え出すと、我ながら恥ずかしいことをしてきたと、枕に顔を押し付けて叫びたくなるほど後悔する。
受験勉強をセーブしてまで、やりたくも無いお絵描きを10枚近く、きっと存在しなかった親の怒りを恐怖するために書き続けていた。
そう、この恥ずかしい行動の原動力は「親への恐怖」だったのだ。ここがいまだに、自分のことながら意味がわからない。
どうして、そこまで親に恐怖していたのだろう。別にそこまで仲が悪いわけでも無かったのに。
12月になると、特に希望もしていないのに、親から毎年無地の年賀状を10枚渡されて、
それを無駄にすると怒られると思ったから?それにしたって、「もう高校生だから」と断ればよかったのだ。
本当に、私は頭のおかしなことをしてたと思う。「親への恐怖」という妄想で、かつて担任だった人々に迷惑をかけた。
まあそれでも、大学生のときには、担任だった先生への年賀状を辞めることができた。
大学生になったので、塾のバイトを始めて給料が手に入り、年賀状くらい自分で買えるようになる。
当然、親から年賀状をもらう必要も無い。「年賀状は自分で買うから」と、ようやく断ることができたのだ。
そして、自費で年賀状を買う段になって気づいた。気づいたことは2つある。
まずは、それなりの額を出せば、イラストが付いた年賀状が買えるのだということだ。
それまで、イラストと挨拶が書かれた年賀状は、大人が業者に頼んで大量注文しないと手に入らないものだと思っていた。
それが、大学生協に並んでいたのだ。これは、本当に救われた!という気分になった。
そんなの、コンビニやスーパーにも並んでるから大学生にならなくとも気づくだろ、と思われるかもしれない。
しかし、私は大学生になるまで、ろくにコンビニに入ったことが無かったのだ。
その理由は、私の家ではお小遣い制度が無かった(金銭は必要なときに必要なだけもらえる)というのが大きい。
学級帰りにコンビニに立ち寄ってパンでも買って帰ってくる、みたいなことをするお小遣いが手元に無かったのだ。
スーパーにしたって、中学生以降は親と行動するのが恥ずかしくなるわけで、ろくに立ち入ることが無かった。
まあ、そもそも田舎に住んでいたので、自宅から歩く距離にはコンビニもスーパーも無かったわけだが。
話が横道に逸れたが、とにかく、金を出せば年賀状に稚拙なイラストを載せなくてもよいと知ったわけだ。
そして、もう一つ気づいたことは、そもそも論になるが、担任への年賀状に意味はあるのかということだ。
それは大学生になって、担任というシステムから解放されたのが大きい。
(いや正確には、学年全体での担当教授は居た気がする。しかし、有名無実というか空気みたいな存在だった。)
大学では、自分の知識は多くの教員がバラバラと与えてくるものであり、担任という唯一の存在に依存する必要が無い。
(まあ、ここについても、研究室に配属されるようになると、考えはまた変わってくるわけだが。)
そう考えると、それまでの「担任」という人々に、こんな10年も経ってまで感謝を示し続ける必要があるのか疑問になってきたのだ。
そういうわけで結局、大学一年生のときに年賀状は完全に取り止めた。
ちなみに、当時は実家暮らしだったため、自分が年賀状を出していないというのは、親にも当然バレるはずだった。
正月以降に、毎年来るはずの担任の先生たちから年賀状が全く来ない、という形でバレるはずであり、戦々恐々としながら新しい年を迎えた。
しかし、親には怒られなかった。
今考えれば、親に怒られるなんて全て私の妄想だったので、当然の結果だったわけだが、当時は心の底からホッとした。
まあ、そこからようやく「親への恐怖」が自分の妄想であることに気づくようになり、
前述のとおり、これまで稚拙な年賀状を出してきたことをトラウマに感じるようになってしまうわけだが。
結局、自分の妄想で他人を振り回してしまったわけで、その点は今でも申し訳なく思っている。
そして何より、自分自身も稚拙なイラストを書いたり本当に苦痛だった。
そんなお互いに苦痛な習慣を、自身の勘違いで長年続けてしまったのは本当に黒歴史だ。
リアルな相手にはとても言えないけど、黒歴史な思い出は文章にしてちゃんと客観視しないと、
いつまでも「思い出しアー」になって苦しむことになる(実際、毎年年末に思い出して苦しんでいる)ので、一通り書き出した。
あとはこうして、匿名掲示板に記して供養としたい。
ちなみに、年賀状はトラウマになったので、大学生以来誰にも出していません…
となれば、お話し的にはキレイな展開なんだと思うが、高校のときの友人との年賀状は、数枚ながらもまだ続いている。
大学生の頃は、年賀状なんか一生出すもんか!とも思っていたのだが、卒業すると就職で散り散りとなり、お互いの近況を知りたくなった。
現在であれば、それはLINEか何かで実現できるのだろうが、15年以上前の話なので、そこはやはり年賀状でのやり取りとなった。
携帯メールはあったんだけど、何かこう、正月だとかのきっかけがないと、お互いやりとりしないよね。
って、やっぱり私も古い人間なのかも。
まあとにかく、子供の頃は色々やってしまったけれど、年賀状を誰かに出す習慣はまだ潰えていない。
今はさすがに年賀状はコンビニで買ってきたものを使っているけれど、その印刷された文面の端っこに、