はてなキーワード: 募金とは
整氷車というものに乗って氷を削りお湯を撒くだけ
整氷車は現在、オリンピアとザンボニーという種類がある 一般的にはザンボニーが主流だ(スヌーピーが乗っているのはザンボニー)
整氷車には日本刀と同じくらい切れるブレードが付いており、それで氷を削る
その後、特殊なお湯を撒く
スケートの刃を錆びにくくする為と、強い氷を作るために弱アルカリ性にしてあるらしい
整氷車の周り方は各施設によって違う
この整氷作業で一番やってはいけないのが、【取り残し】といわれるミス
カーブの時にハンドル操作を間違え1ミリでもズレると、白く残る部分がある
これが取り残しといわれる部分で、削れてもいなければ、お湯も乗っていない
カーブの時にハンドルを切りすぎると、クッキリとスパイクの跡がのこる
という名目だが、実際はテレビを見たりギターを弾いたり、PSを持ち込んで幻想水滸伝1&2をやっていたりする
忙しい時はとことん忙しいが、暇な時はとことん暇なのがこの仕事(これを書いているのも整氷の空き時間)
その分給料は安い 本当に安い おっぱい募金とか行ってる場合じゃないくらい安い
リンクが綺麗ならそれでOKという
そんな整氷業務ですが、現在人が足りません
誰か一緒に整氷しませんか?
あと一緒に幻想水滸伝もやりませんか?
駅前でやる気のなさそうな大学生風の若者数人が募金を求めていた。
人の良さそうなおばさんがお金をいれてあげていたが、募金箱を持った女は、ありがとうも言わず隣の男とイチャイチャしている。
どうせ、就職活動で「ボランティア活動してました」なんて言いたいがためにやっているんだろう。
そこにいつもその駅で寝泊まりしていると思われるホームレスが、「まずは目の前で困ってる人助けるのが先じゃないんか?」って詰め寄ってた。
近くで見ていた人たちも、その通りだと一斉に拍手した。
こうですか。
「宣伝が下手なのが悪い」
とか言い出す奴らがいてもおかしくないじゃん。
寄付や税金を話題性によって集めるってのはどうかと思うんだよな。
アイスバケツチャレンジみたいなのが流行ったら募金の集まらない団体に関して
「宣伝が下手なのが悪い」
とか言い出す奴らがいてもおかしくないじゃん。
このままだと募金を取り合うためにステマっぽいことをカネ使ってやるやつがますますはびこるし、
その果てにあるのはアコギな奴らが他人の善意を上手に毟り取る手段を競争する世界だ。
いよいよそれが来る所まで来て全ての募金がアコギな連中の手に集まって
今は売りがある所がちょっと頑張って税金誘致してもらってるだけだけど、
そのうち競争がどんどん加速して最後には売りのないような県が無理してまでカネを集めようとするようになる。
そうなったらふるさと納税なのに産地偽装とかが起こるようになるよ。
そしたら一つの地方自治体がやった不祥事のせいで国中の税金への不信感はいよいよ爆発する。
年金が使い込まれて、箱物行政が失敗して、消費税増税のタイミングや調整を完璧にしくじって、
パンパンになった堪忍袋がいよいよ弾け飛ぶ、その最後の一撃になりうるよ。
ふるさと納税なんて今すぐやめさせた方がいい。
こんな「生き残るべき自治体を決めるためのラットレース」みたいな事を続けてたら何かがきっと崩壊する。
世の中は錆びついてるから一度崩れてしまった方がいいという気持ちは自分にもあるが、
そういった気持ちはある種の病理だ。
巨大なスパゲッティコードを一から全部やり直して結果的にプラスになる確率がどれぐらい低いかを俺たちは知ってる。
答えが見つかり、変革のチャンスが訪れるまでは、無理に崩さないで崩れないようにした方がいいんだ。
アイスバケツチャレンジやふるさと納税みたいなのは結局のところ
こんな事をやってたら世の中自体が宣伝がうまい奴らや嘘が上手につける奴らの食い扶持になっちまう。
いい加減やめるべきだ。
この記事を読んで。
http://topisyu.hatenablog.com/entry/icebucketchallenge
自分はアイス・バケツ・チャレンジには賛成の立場。
このページを見るとこう書いてある。
http://kenpou-jp.norio-de.com/koukyou-fukusi-1/
”人が二人以上いれば人権は必ずぶつかる”
今回の議論はチャレンジする自由と、そのチャレンジが不快だから抑止するべきという自由のぶつかり合いだ。
※公共の福祉ってのは基本的に自由権と自由権のぶつかり合いがほとんど。
ぶつかり合った時、一番建設的な方法はお互いが主張し、理解をし、歩み寄ることだ。
ただ、ブコメにはあまりにもバカが多すぎて、なんというか勝手に一人で萎えた。
もしリアルで議論できる場があっても絶対参加したくないと思わせてくれた。
そこでせっかくの機会なので、時間の浪費ではあるけどバカとの議論がいかに大変か記す。
びびるほどの上から目線で。
バカにこちらの主張を正しく理解してもらうためには当然必要なスキル。
ただし、十分にでかいホワイトボードを持ち運ぶ力をほとんどの人は持っていない。
思っていることと180度違う事を言ってしまったり、
文脈が迷路になってしまうため、類まれなヒアリングスキルが必要だ。
まれに360度違う事を言ってしまう事があるが、この時心の中で「ありがとう」を十回唱える事を忘れてはならない。
なぜならそれほどの懐の深さがないと議論は続けらないからである。
ポジティブなワードでポジティブになれるという原理をうまく使う効果もある。
圧倒的シリーズ
粘り強く議論をする必要はあるが、長期戦になるとバカは自分の頭の中を整理できなくなる。
これは恐ろしい事実でもある。
相手側にバカが一人でもいた場合、こちらは天才を用意しなければならないのだから。
※こちらにバカがいた時も、同様にして相手に天才を用意しなければならない
そういう人は会話のキャッチボールがうまくできないからどんどん社会性が乏しくなっていく。
地頭はそこまで悪くないと思われる人もいるけど、余計に惜しいと思う。
そうでないとおかしくなるケースが多い。
そしておかしくなっている事にはなかな気づけない。
おかしくなってしまっている人におかしくなっている事を気づいてほしいと思ったから。
これはまずいな、と思ったから。
※念のため言うけど、「反対 = おかしい」ではない。
”効果があるなら何をやってもいいという考え方は基本的にテロリストと同じです。”
⇒「効果があるなら何をやってもいいという考え方」ってのは元記事からは全く読み取れない。
⇒むしろ、元記事書いた人は少しスッキリしたと言ってるくらいだからね。。。
”チェーンメールっぽいって批判には応えてないような。指名された人に対して、氷水か募金か冷血漢のレッテルという3択を突き付けるのは、慈善活動という目的によって正当化されるのだろうか?”
⇒各批判に応えるための記事じゃないってのは一目瞭然。少しスッキリしただけの人になぜそこまで求めてしまうのか。。。
”文句を言う奴はこれより高尚なやり方でこれ以上か同等の金を集めてみろ、というお話。”
⇒どこをどう読めばそうなる。
”「やらないよりやるほうがまし」ってんなら理解するしそうだろうと思うけど「こんだけ金集まってるんだから黙っとけ」っていうのが一番モヤモヤするわw寄付活動はその成果で是非が決まっちゃうなんてヤな世界だわ”
⇒いい加減俺も気づいたけど、みんなあえて元記事とは違う話してるんだよな
”結果じゃなくて手段がイヤなんだから、「いやでも成功したし!」みたいな反論は意味ない。成果があったことぐらい分かってるんだよ。これで本当にスッキリ出来ると思ってるのなら相当おめでたいね。”
⇒これさ、価値観を思いっきり否定しようってスタイルだけど、こういうのって議論の余地がないんだよな。
⇒20歳以上でこういう発言をしてしまう人は社会性が乏しいと思った方がいい。
まあ、たまっていた不満がこの記事がトリガーなって溢れたんなら、文脈もくそもないのかもしれん。
でも、だとしても文脈関係なくぶちまけてやろうってのはやはりどこかおかしくなってる。
おかしくなっている人はそれに気づいてほしいし、周りにそうなっている人がいたら救ってほしい。
AIDSチャリティーのおっぱい募金とかも当然眉をひそめてたんだよね?
難病のチャリティーなのにチャラチャラしおってとか、心がこもってないとかうんぬん
もしおっぱい募金はOKで氷バケツがなんか嫌だなという人がいたとすれば
やっぱり輪に入れないからなんだろうなと思うよ
氷バケツは有名人たちの社交界での流行で、有名人がいかにリアジューなのかを見せつけられる形式だ
有名人は有名人と友人であり、友人や家族がたくさんいて、おしゃれな家具があって、広い庭があって……
2013年の暮れ頃から?アメリカで始まった「ALSアイスバケツチャレンジ」がついに日本にまで押し寄せて、ご覧の通り大流行になっている。
Ice Bucket Challenge - The ALS Association http://www.alsa.org/fight-als/ice-bucket-challenge.html
アイス・バケツ・チャレンジ http://ja.wikipedia.org/wiki/アイス・バケツ・チャレンジ
マー君も氷水かぶるチャリティー参加 次に「ももクロ全員」ら指名 http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/21/kiji/K20140821008788720.html
「氷水チャレンジ」大流行に冷ややかな声 「意味がわからん」「強制性が嫌な感じ」… http://www.j-cast.com/2014/08/21213686.html
氷水をかぶるALS支援運動にモヤモヤしている人が少しスッキリするための図 http://topisyu.hatenablog.com/entry/icebucketchallenge
ネットの記事を見ていると、有名企業家やスポーツ選手、タレントなんかが次々と参加して大盛り上がりな一方で、批判的な意見も結構目立っている。「売名だ」「氷水をかぶる意味が分からない」「強制的にやらせるのがおかしい」「悪ふざけしているだけでALSの理解は深まらない」というのが主なものだろうか。「飽きちゃった」というのもある。それに対しては、↑の4つ目のブログでも書かれているようにかなりの額の寄付金が集まったようで、「どんな形でも寄付金が集まったのはいいことだ」という反論がなされている。
ひとまず、仕掛けたALS Associationとしては大成功ということになるだろう。ALS、日本語で筋萎縮性側索硬化症のことを単に「体が動かなくなる病気」くらいにしか思っていない人も多いかもしれないが、少なくとも今回のキャンペーンで知名度が上がったことは確かだろう。
有名人の患者では↑のブログに挙げられたホーキング博士、日本人では徳州会病院の理事長の徳田虎雄氏が有名だろうか。簡単に説明すると、ALSは神経領域の疾患で、有病率は10人弱/10万人。患者の約90%は孤発性で残りは常染色体優性遺伝が指摘されている。症状は、まず指先を使う作業がしにくくなり、躓いたり物の重さを感じることが多くなってきて、発症から1〜2年で筋肉も落ちて腕や脚も使いづらくなり、さらに2年程度で嚥下障害、構音障害(うまく離せない)が出てくる。発症から3〜5年で呼吸筋も動かなくなり、人工呼吸器なしで生きられなくなる。根治療法は今のところ存在せず、進行を遅らせる薬物がある程度で他はリハビリくらいしか手立てがない。人工呼吸器を付けずに死を選ぶ患者さんも多い。先に述べた徳田虎雄氏は、眼の筋肉を使ってだろうか、文字盤を使ってコミュニケーションをとりながら業務を遂行しているという。(Wikipedia「徳田虎雄」)
このような難病はもちろん研究に金がかかるわけで、ALS Association も日本ALS協会も寄付金集めに必死になっている。そこで今回の「アイス・バケツ・チャレンジ」を仕掛けて今のところ大成功を収めつつあるわけだが、ネットで言われているような批判もあるし、どうも周りを見てもすっきりしていない人が多いようだ。もやもやと思ったこと、この運動の問題点を挙げてみたいと思う。
まず断っておきたい。この記事は「アイス・バケツ・チャレンジ」に参加して氷水をかぶったり、少なくない額を寄付に回したりした個々人の善意を非難する意図は全くない。その寄付金は、ALS Association に寄付されようと日本ALS協会に寄付されようと、ALSの患者やALS研究に携わる医療者に役立てられるはずである。その勇気ある善意と善行に感謝の意を示しておきたい。ありがとうございます。
それを差し置いても、今回のキャンペーンにはシステムの上でも、関わった人の心情面でも、そして今後の募金活動に関わる点でも、問題があるように思えてならない。それを述べてみたい。
・チェーンメール性を帯びていること
インターネット上からこの運動を眺める人の持つ最大の違和感はこれではないだろうか? チェーンメールが(特にインターネット利用者の間で)忌み嫌われてきた歴史を考えると、「指名されたら氷水をかぶって3人を指名」という増殖のさせ方が、ネット民に歓迎されることは考えづらい。寄付や氷水といった内容に関係なく、このチェーンメール性だけで違和感を持つ人も少なくないのではないか。
「頭から氷水」は「飽きちゃったので」 「100ドル寄附」を選んだサイバーエージェント藤田社長 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1408/20/news117.html
サイバーエージェントの社長は上記のように「指名」をせずに寄附を選んでいるが、インターネットに関わる人間としてチェーンメールのようなものに荷担するのに抵抗があったのではないか、と個人的に感じている。
もとから募金活動や寄付活動に積極的に関わってきた人からすれば、この点は面白くないのではないか。指名された瞬間、その人は「寄附する」か「氷水をかぶった動画を公開する」ことを求められる。いくら強制的でないとはいえ、前の人に動画で指名された以上、何もアクションを起こさなければ「寄附をしない冷酷な人間」か「ギャグに乗れないツマラナイ人」というレッテルが貼られるかもしれない。そうした不安を感じない人はいないだろう。つまるところどちらかの選択肢に決めるしかないのだが、そこに「善意からの寄附」という自由意志ではないものが紛れ込んでしまうことは確かである。
また寄附というのは、特に日本では、パブリックに行うものではないという風潮があった。赤い羽根共同募金をはじめとした募金活動に、こっそりとお金を投じた経験を持つ人も少なくないだろうし、Wikipediaのジミー・ウェールズの熱意に押されて無名で1000円を払った人もいるだろう。これもあくまで心理的な問題だが、「寄附をして善行を積んでいます/運動の手助けとして氷水をかぶります」ということを自分から公開することに、そしてそういった人に抵抗を感じているのではないか。
最も大きな問題として考えられているのは、この「公開善行」キャンペーンは、関係者の善意を枯渇させるのではないか、ということである。氷水動画を公開して、少なくない金額を寄附に回せば「善行を積んだ」という気持ちは満たされるし、「善行を積んだ人間」という表示をすることができる。今回の運動で、世界中に「氷水をかぶって多額の寄附をした善人」が大量発生した。それはいいのだが、そう言う人は、そして「少しばかり強制性を感じながらも運動に乗って寄附をした」人は、次に善意からの寄附を求められた時、同じように寄附をするだろうか?私は、個人的には、しないのではないかと思う。「この前寄附したから」でもいいし、「強制的にやらされて不愉快だったから」でもいい、理由はどうあれ、今回の「公開寄附」に参加した人は、これまでのような匿名の募金には参加する見込みが下がるのではないか、と思うのである。↑のブログ記事で赤い羽根共同募金の募金額について触れられているが、今年度、これ以降の他の募金活動がどのような実績を出すか、かなり気になっている。もし今回の運動の結果、日本全体でのその他の活動も合わせた寄付金の額が変わらなかったら、そしてもしくは下がりでもしたら、今回の運動は成功だったと言えるだろうか。少なくともALS Association 関係者にとってはそうだろう。しかし、もし「善意の総量はかわらず、使いすぎれば枯渇する」のが正しいとすれば、今回の運動は限りあるパイの配分を変えただけで、無意味である。
http://steel1986.blog.fc2.com/blog-entry-1017.html
感想は「何様だこいつ?」
勘違いな盛り上がり方がどうであれ、
発起人や本当に支援したくて参加している人たちに対して失礼じゃね?
「自分はこんなに大変なのに楽しみやがってムカつく」
確かにコイツの置かれている状況はかわいそうだと思うが、
そこまで考えているかは知らんけど。