この記事を読んで。
http://topisyu.hatenablog.com/entry/icebucketchallenge
自分はアイス・バケツ・チャレンジには賛成の立場。
このページを見るとこう書いてある。
http://kenpou-jp.norio-de.com/koukyou-fukusi-1/
”人が二人以上いれば人権は必ずぶつかる”
今回の議論はチャレンジする自由と、そのチャレンジが不快だから抑止するべきという自由のぶつかり合いだ。
※公共の福祉ってのは基本的に自由権と自由権のぶつかり合いがほとんど。
ぶつかり合った時、一番建設的な方法はお互いが主張し、理解をし、歩み寄ることだ。
ただ、ブコメにはあまりにもバカが多すぎて、なんというか勝手に一人で萎えた。
もしリアルで議論できる場があっても絶対参加したくないと思わせてくれた。
そこでせっかくの機会なので、時間の浪費ではあるけどバカとの議論がいかに大変か記す。
びびるほどの上から目線で。
バカにこちらの主張を正しく理解してもらうためには当然必要なスキル。
ただし、十分にでかいホワイトボードを持ち運ぶ力をほとんどの人は持っていない。
思っていることと180度違う事を言ってしまったり、
文脈が迷路になってしまうため、類まれなヒアリングスキルが必要だ。
まれに360度違う事を言ってしまう事があるが、この時心の中で「ありがとう」を十回唱える事を忘れてはならない。
なぜならそれほどの懐の深さがないと議論は続けらないからである。
ポジティブなワードでポジティブになれるという原理をうまく使う効果もある。
圧倒的シリーズ
粘り強く議論をする必要はあるが、長期戦になるとバカは自分の頭の中を整理できなくなる。
これは恐ろしい事実でもある。
相手側にバカが一人でもいた場合、こちらは天才を用意しなければならないのだから。
※こちらにバカがいた時も、同様にして相手に天才を用意しなければならない
そういう人は会話のキャッチボールがうまくできないからどんどん社会性が乏しくなっていく。
地頭はそこまで悪くないと思われる人もいるけど、余計に惜しいと思う。
そうでないとおかしくなるケースが多い。
そしておかしくなっている事にはなかな気づけない。
おかしくなってしまっている人におかしくなっている事を気づいてほしいと思ったから。
これはまずいな、と思ったから。
※念のため言うけど、「反対 = おかしい」ではない。
”効果があるなら何をやってもいいという考え方は基本的にテロリストと同じです。”
⇒「効果があるなら何をやってもいいという考え方」ってのは元記事からは全く読み取れない。
⇒むしろ、元記事書いた人は少しスッキリしたと言ってるくらいだからね。。。
”チェーンメールっぽいって批判には応えてないような。指名された人に対して、氷水か募金か冷血漢のレッテルという3択を突き付けるのは、慈善活動という目的によって正当化されるのだろうか?”
⇒各批判に応えるための記事じゃないってのは一目瞭然。少しスッキリしただけの人になぜそこまで求めてしまうのか。。。
”文句を言う奴はこれより高尚なやり方でこれ以上か同等の金を集めてみろ、というお話。”
⇒どこをどう読めばそうなる。
”「やらないよりやるほうがまし」ってんなら理解するしそうだろうと思うけど「こんだけ金集まってるんだから黙っとけ」っていうのが一番モヤモヤするわw寄付活動はその成果で是非が決まっちゃうなんてヤな世界だわ”
⇒いい加減俺も気づいたけど、みんなあえて元記事とは違う話してるんだよな
”結果じゃなくて手段がイヤなんだから、「いやでも成功したし!」みたいな反論は意味ない。成果があったことぐらい分かってるんだよ。これで本当にスッキリ出来ると思ってるのなら相当おめでたいね。”
⇒これさ、価値観を思いっきり否定しようってスタイルだけど、こういうのって議論の余地がないんだよな。
⇒20歳以上でこういう発言をしてしまう人は社会性が乏しいと思った方がいい。
まあ、たまっていた不満がこの記事がトリガーなって溢れたんなら、文脈もくそもないのかもしれん。
でも、だとしても文脈関係なくぶちまけてやろうってのはやはりどこかおかしくなってる。
おかしくなっている人はそれに気づいてほしいし、周りにそうなっている人がいたら救ってほしい。