はてなキーワード: 冤罪とは
兵庫県警がブラクラを貼っただけの女子中学生を補導したことが話題になっている。
【悲報】兵庫県警さん、ブラクラURLをコピペしただけの女子中学生を補導してしまう
https://blogos.com/article/363067/
兵庫県警がこのようなふざけた捜査をしてしまった原因は、サイバー課にITの知識が無かったためだ。
以前から兵庫県警は専門知識の欠如による致命的な捜査ミスを繰り返している。それも現在進行形でだ。
2012年に兵庫で猫の死体が連続で見つかるという事件があった。
https://matome.naver.jp/odai/2133957959315497001
13日午前7時半ごろ、加古川市加古川町寺家町の駐車場で、猫が刃物で腹を切られて死んでいるのが見つかりました。
切り傷はおよそ3センチで、周囲に目立った血の痕は残っていないということで、警察は何者かが別の場所で殺したあと、放置した疑いが強いとみて動物愛護法違反の疑いで調べています。
加古川市と高砂市では、先月10日から27日にかけて、猫やハトが首や脚を切られるなどして死んでいるのが6件見つかっていて、いずれも半径2キロの範囲に集中しています。
一時期捜査班まで構成した本格的な捜査すら行われたこの事件だが、真相は「アライグマが猫の死体を食った跡」というもので事件性が無いものだった。
https://yo-mu-wa-inko.com/hyougokenn-nekorennzoku-hennsi-14496
これだけならただの笑い話で終わるが、実は終わっていない。兵庫県警はこの後も毎年のように同じような捜査を繰り返している。
https://www.sankei.com/west/news/150718/wst1507180070-n1.html
18日午後2時40分ごろ、神戸市西区森友の公園で、頭部と胴体が切り離されたネコの死骸を近くの男児が発見し、兵庫県警神戸西署に通報した。首をちぎられたとみられ、同署が動物愛護法違反容疑で調べている。
https://www.sankei.com/west/news/180323/wst1803230025-n1.html
22日午前7時半ごろ、兵庫県姫路市白浜町の集合住宅の駐車場で、上半身のない猫の死骸があるのを散歩中の近所の女性(55)が発見し、飾磨署に通報した。同署は何者かが切断した死骸を現場に放置した疑いもあるとみて、動物愛護法違反容疑などで調べている。
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12184-45245/
2018年12月から今年1月にかけ、兵庫県姫路市で動物の死骸が相次いで発見される事件が発生。付近住民の不安が広がるとともに、動物愛好家から怒りの声が上がっている。
もう一度2012年の事件の話に戻るが、この時犯人がアライグマだと特定したのは警察ではない。外部の専門家による鑑定で判明したのだ。
つまり、兵庫県警は検死すら行わずに人為的な虐待と断定して捜査を行っていたことになる。
なぜ兵庫県警はこのようなことを繰り返しているのか?それは兵庫県警に日本唯一の「アニマルポリス・ホットライン」があるためだと私は考えている。
ここの担当部署がアニマルポリスとしての実績欲しさに猫の死体で通報を受けるたびに捜査を行っているのだろう。
しかし、動物の知識が無いにも関わらず動物虐待の捜査を行っているため、事故や共食いで死んだりした猫の死体も虐待扱いして捜査してしまう。もちろんその捜査費用は税金で賄われている。
サイバー課も同じだ。実績が欲しいが知識が無いため本物のサイバー犯罪に手出しできず、ブラクラを貼っただけの人間のIPアドレスを開示するのが限界なのだ。
横田です。増田の意見が難解だったので、意訳しました。下記スタイルで対訳しています。
原文
訳文
運用に問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う
警察が罪であると判断したことに対して、"倫理性の面" (後述) から、罪にはならないって主張しているのがよく分からない。
ラクガキを器物損壊として万引きを窃盗いじめを暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察の対応の妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるからで元増田の論理には同じような感じを受けた
例えば、落書きなら器物損壊、万引きなら窃盗、いじめなら暴行として警察は対応するよね?
このとき、補導された子の親が「子供の将来がー」とか「ただのイタズラなのにー」って感じで "倫理性の面" から非難するのって、違和感がすごくない?
上記の行為が罪には当たらないって主張したいんなら、子供への影響を持ち出して "倫理性の面" に訴えるんじゃなくて、罪には当たらないと考えるその根拠を言ってほしいわけよ。
元増田の論理も、この親の論理と同じようにズレてる気がするんだよね。
それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機は所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力の行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味はちょっとわかんないなって思う
「ノルマのためにー」とか「上司への点数稼ぎのためにー」とかっていう動機が警察側にあったとしても、それはただの付随事項でしかないんだよ。
動機が何であれ警察が権力を行使したのは、それが罪であると定義されているから。
なので警察を批判したいんなら「ホントにそれが罪であると定義されているの? 」って部分を問うべきなんじゃない?
そこをひっくり返さずに、罪には当たらないという前提で、警察のコメントとかその影響について論じるのってちょっと分からない。
その権力の行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害でしかないってやるにはわからない
「罪にはなるだろうが、運用に問題があるだろ」っていう主張なら分かるんだけど、「罪ではないから人権侵害」って主張してるのが謎。
本来そこやるなら運用への認識の問題とその理解や意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念と警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機の適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う
「運用に問題があるだろ」ってことを主張するにしても、触れるべきポイントがちとズレてないかい?
本来なら、問題のある運用によって引き起こされた事象、同じことが起こる懸念、責任の所在、という流れで論じるべきだと思う。
それなのに、補導した動機の適当性、対象の選び方(中学生を選んだ)ってのを問題視するのはちょっと理解できない。
いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う
もしこれが殺害予告とか爆破予告のイタズラだったら補導もしゃあなしでしょ。
中学生だからとか警察側の動機がとかじゃなく、このイタズラが罪に当たるかどうかをまず考えるよね。
そこを考えずに、モラル向上の晒し者にするという理由だけで補導されたから人権侵害、っていう論理は成立しないと思う。
警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為をモラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめの晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う
と言っても警察側は、モラル向上の意図で補導したのであって、晒し者にするという理由だけで補導したのではない。
結果としてそうなったのは当人が法を犯したからである、というスタンスだし、実際に罪になるのであれば自業自得な面があると思う。
そこの運用がおかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う
この運用がおかしいと主張するのならば、どうおかしいのかの説明が必要で、それがないと万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事は変わらなくなる。
子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない
子供のイタズラなのに補導なんて、取り調べまでするの、学校でいじめられたらどうするの、受験に影響したらどうするの、って言ってるのと大差ない。
罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察の解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象
単に「罪は罪でしょ」と言いたいわけじゃない。
罪に当たるとする警察の解釈のどの部分がおかしいのかの根拠を示さずに論理を展開する感じが、バカ親と元増田って同じだよね、と言いたいのだ。
警察側の動機への批判は、警察という組織の問題点を指摘しているだけで、罪か罪じゃないかとはまた別の話だし。
その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導や家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする
警察側の動機によって罪でないものが罪にされたのだと言うのなら、どの辺りが罪でないのかの説明が、余計に必要になる気がする。
それに、補導や家宅捜査についても、警察側の言い分のどの辺りがおかしいのかの説明も必要な気がする。
だからこそ、僧衣を着たまま車を運転して交通違反を切られた坊さん達は、罪には当たらないことを示すために、僧衣が動き辛いとする定義への反証として動きまくったわけだし。
中学生を補導した警察が正しい、と言いたいわけじゃなくて、論理展開の仕方が意味分かんないというかブッ飛んでんなって思った。
勝手に意訳してゴメンね。間違って解釈してるところもあると思う。
できれば次投稿するときは、もう少しだけ、おれら側に歩み寄ってくれると嬉しいです。
(javascriptって難読化できるんだけど、増田も何か意図があってそうしたのかしら)
運用に問題がないって認識下でなされた警察のその判断とそこに基づいたあくまで罪であるとしたからこその行動を罪ではないって視点から倫理性の面で語るのってよくわからないなと思う
ラクガキを器物損壊として万引きを窃盗いじめを暴行とする時に対応する警察はそれを罪だとして行動するわけだけどその一連の流れに対して親とかがそれは罪じゃないって言い分で子供の将来性がとかただのいたずらで補導なんてって子供への倫理的な面から非難してたとして一方的に展開される罪じゃない論の上のその自論は違和感がすごくてそれは実際罪かどうかとか警察の対応の妥当性がって話じゃなくて単純に警察が法に則ったとするそこに対して罪じゃないとしながらその根拠は示さず行動の結果や動機や影響のみを持ち出して非難するその感じが何かズレてるように感じるからで元増田の論理には同じような感じを受けた
それが罪だと定義されるならそこでの警察側の動機は所詮付随事項でしかないしノルマだろうが上司への点数稼ぎだろうが罪になるんだって大義があるからこそ与えられてる権力の行使が許されるわけなんだから一番大きなそこをひっくり返してないのに罪として扱っているからこその言動自体やその影響をそうではないという前提で問う意味はちょっとわかんないなって思う
その権力の行使における妥当性への配慮ってだけならわかるんだけど罪でないのだから単なる人権侵害でしかないってやるにはわからない
本来そこやるなら運用への認識の問題とその理解や意識の低さによる結果引き起こされた影響、同じ事が起こる懸念と警鐘とその責任って流れだと思うけど問題視するのが補導した動機の適当性や対象の選び方ってのもちょっとわかんないなって思う
いたずらに対する見せしめでもこれが殺害予告とか爆破予告なら補導もしゃあなしなんだから中学生だとか警察側の動機じゃなく罪ではないんだって部分を展開しないままじゃモラル向上の晒し者にされるためだけに行われる人権侵害って論理は成立しないと思う
警察側はあくまで公僕としての責務において罪となる行為をモラル向上の意図でもってって言ってるんだからそもそも見せしめの晒し者にするためだけに補導したのではない、そうなったのは当人が法を犯した結果であるのだから当然である、というスタンスだし実際罪になるのであれば晒し者になったのも自業自得な面があるとは思う
そこの運用がおかしいとするなら説得力を持たせた客観的にどうおかしいかの話が前提として必要でそれがないと正直万引きキッズをかばうバカ親と言ってる事変わんなくなっちゃうと思う
子供なのにただのいたずらで補導なんて大の大人が狭い部屋で子供相手に酷いいじめられたらどうするの受験に影響したらって言ってるのと変わらない
罪は罪でしょって話じゃなくてなぜ罪ではないか罪とする警察の解釈のどの部分がどのようにって根拠が示されないままそれを事実として論理を展開する感じが同じ印象
そこでの警察側への動機の批判は警察組織における問題点への指摘でしかないわけで罪か罪じゃないかとはまた別の話だし
その動機によって罪でないものが罪とされたのだと言うなら余計にどの辺りが罪でないのか補導や家宅捜索について警察の言い分のどこがどうおかしいのかは前提に必要な気がする
私は銭湯が好きだ。私は今、無職で体を使うこともないので、それほど疲労がたまっているわけではないけれど、
やはり足を伸ばせるだけの湯船に浸かるのは、心の澱が排出されて気持ちが楽になる。
多少食費を削ってでも、月に3、4回は近所のスーパー銭湯に出かけるようにしていた。
スーパー銭湯には老若関わらず色々な年齢の人がいる。
そのなかでも親子連れの姿には、いつも微笑ましい感情にさせられる。
ぬれて滑る床が怖いのか、ぴったりと親にくっついて離れないこども。
我が子を抱えるようにして、楽しそうに湯船に一緒に入る親。
その親子を見かけたのは、脱衣所だった。一目して、すこしおかしいと思った。
親らしき人はかなりゆっくりと着替えているのだが、その子どもは脱衣所をすでに素っ裸になって
走り周っている。年は5歳から6歳ぐらいだろうか。
親は軽く注意をするぐらいで、着替えも終わって、子どもに声を掛けて風呂場に向かっていった。
ここまでなら、いつもいるような親子連れが多少騒いでいる程度のことだった。
私も用意を済ませて風呂に向かう。かけ湯をして、先に髪と体を洗った。
私の行っているスーパー銭湯には38度ぐらいのゆったりつかれるものがあり、
最初の20分ぐらいはそこに浸かって目を閉じ、考え事を片付けるのが好きだった。
ここにきて少し周囲の様子がおかしい、と感じ始めていた。
いつもなら、店内放送の時以外には、水の垂れる音とか小さな話し声とか、
あぁ、だとか、ふー、だとかのため息ぐらいだ。目を閉じて考えをまとめるには最適な場所のはずだった。
ペンギンが走っているような音が定期的に聞こえてくる。
目を開けるとさっき脱衣所で走りまわっていた子どもが、湯船の周りをペタペタと走っている。
一周して、どこかに消えたかと思うと、しばらくしてまた帰ってくる。
先ほど見かけた親らしき人は見当たらない。スーパー銭湯が広いとはいえ、迷子になるものだろうか?
露天風呂側はテレビがあるものの、それほどうるさいわけではない。のんびりできる場所を探そうとした矢先、
テレビのある湯船のところに走り回る子どもの親がいるのを見つけて、嫌な気持ちになった。
口を開けてテレビの方に集中しており、子どものことは気にしていないようだった。
視界のふちで走り回る子がいるのを捉える。
湯船と湯船の間の石積みが高くなった部分に座り、洗面器をもって何かをしている。
ジャグジーから見える位置だったから、気になってしまい、つい見てしまった。
その子は洗面器に組んだ湯船の水を飲んでいたのだ。そしてまずいの何か分からないが、
洗面器に吐き出し、通路に撒くというよろしくない行動をしていた。
時々、奇声を上げるので、通るひとが驚いて振り向くこともあった。
「きみ、それは飲んじゃいけないよ」と私は声を掛けるべきだったろうか?
もし声を掛けたその子が、声をあげれば、どれだけ善意に基づいた行為でも
冤罪をかぶせられるリスクがある。しかも冒頭に書いたように私は無職だ。社会的な信頼は一切ない。
いや、たとえ信頼があったとしても、このご時世で他人の子どもに注意することはリスクでしかない。
誠実に接していれば、善意が必ず伝わるということは私も十分知っている。
いつもなら2時間は入っているのに、今回は半分もいることができなかった。
自分の子どもがどういう行動を取りやすいのか、人様に迷惑を掛ける可能性が高いのか、親なら分かるはずだ。
少なくとも、不特定多数の人間に迷惑がかかる可能性のあるところに出かける以上は、
親は子どものことを知り、自分の子どもが人様に与える迷惑を最小にするよう努力して欲しいと思う。
「子どものすることだから、仕方ない」というのは、そういった努力のあとを見れば、
走り回って、気持ち悪い行動をしてしまう子どもを放ったらかしにして、人様に迷惑をかけてても知らんぷりで
テレビ見ながら風呂に浸かって、疲れとれたとかいってヘラヘラしてるのは、それは親ではない。
何か別の、ゴミに近い存在だ。それなら子どもを連れてこないでほしい。
今回は外れだったな。
やっぱり注意しとけば良かったんかな。
でも、トラブルも嫌だしなー。
そんな呟きが、帰り道に自然と口をついてでる。
定番はゾンビや巨人みたいな存在がうじゃうやいて一般人はすぐ死ぬような世界とか、北斗の拳やマッドマックスのような文明が崩壊していて弱肉強食に対応できずにすぐ死にそうな世界なんだろうが、最近やばいと思ったのが逆転裁判。
あの無能警察、検察、裁判官が跋扈する世界で序審法廷なんて制度があったら誤認逮捕、冤罪の発生率高すぎてやばいでしょ。
しかも検察のトップや警察局局長まで殺人犯で、それを隠して何十年も裁く側の地位に居るとか怖い。
弁護士がヤクザや有名検事とすり替わっても誰も違和感を感じないナチュラルに狂った世界で正気を保てる気がしない。
逆転裁判シリーズは現実世界とは異なる法制度「序審法廷(じょしんほうてい)」が敷かれているのが最大の特徴である。
それは新世紀になっても増加の一途をたどる凶悪犯罪に対処するために生まれた画期的なシステムであり、「三日以内に被告人の有罪か無罪かのみを決定する」という裁判制度である。序審法廷で有罪となったものは通常法廷に移され量刑が決定されることになるが、そこで無罪になることは決してない。
この制度のおかげで裁判のスピード化が進行したものの、結果として検事の権力が異常に増大し、冤罪の疑いがある案件も増えてしまった。
https://dic.pixiv.net/a/%E9%80%86%E8%BB%A2%E8%A3%81%E5%88%A4#h2_2
これ書いた増田です。
フェイクの有無は内緒。どう痴漢されたかも内緒。言えるのは、痴漢する人って本当に知能が足りないんですねってことくらい。
あと、「エイプリールフール!!」とか種明かしされた時、笑えるものが"いたずら"
痴漢は黙ってひっ叩かれろ。
忘れるべきだよなぁと思って過ごしていたところ、犯人の現状を知って、怒りが再び湧き上がった……という形です。
復讐という2文字が思い浮かびましたが、そもそも痴漢をする人間が倫理的にまともなわけがないことを思い出し、踏みとどまりました。
良く知られているように、性犯罪は性癖の域にあり、法の裁きの限界があるのだと思います。数も多いし、捕まえる方も処理する方も大変だよなあと思いつつ、再犯者には厳罰を、というのが本音です。