はてなキーワード: ずんとは
と言っても、複雑な家庭環境の話ではなく、単に仕事で不在がちな父親に代わって近居していたじいちゃんが父親のような役割もしてくれたという話。
特に内容は無いけど、昨日の夜、なんとなく昔のことを思い出したのでダラダラと書いてみる。特に面白いオチはない。
俺の家は両親が共働きしてる地方公務員で、二人とも結構忙しかったから小学校から帰ると自宅のすぐ近くにある母方のじいちゃん家で晩御飯~お風呂までお世話になってた。自宅には夜寝るときと朝学校に行くまでいる感じで、俺にとってはじいちゃん家の方がよっぽど自宅という感覚だった。
じいちゃんは市役所勤務を定年まで勤めあげ、当時は完全に隠居状態であり、ばあちゃんと一緒に趣味の畑仕事をしながら、俺の面倒を見てくれていた。
じいちゃんは孫の俺に甘々で、色白の俺に対して、もっと外で遊んで日焼けしろと言いながらも「色白は七難隠すといって」可愛がってくれた(この諺は女子に向かって使うものだと思うけど)。俺がピザポテト好きだと言えば毎日おやつにピザポテトを用意してくれたり、晩御飯にモスバーガー食べたいと言ったら軽トラ飛ばして買いに行ってくれたり、デパートに行ったら必ずおもちゃやデパ地下の高いジェラートを買ってくれたりした。
俺もじいちゃんによく懐いていたし、じいちゃんはいつも近所の人に自慢してた。小学校の参観日に両親が仕事で来れなかったときはじいちゃんが来てくれた。
その時の授業は保護者の似顔絵を書くというもので、なぜか俺はじいちゃんの来ていたジャンパーのファスナーを一生懸命書いたらそれが評価されて市の表彰を受けた(大した賞ではなかったけど)。じいちゃんはその話を近所の人によくしてたし、その時の似顔絵はリビングのテレビの真上に飾ってたので、いつも気恥ずかしかった思い出がある。
あと、じいちゃんは達筆で習字を教えてくれた。習字の練習中は普段と違ってすごく厳しかった。でも、一生懸命教えてくれたおかげで身に付いた字の綺麗さは今でも人に褒められることがあるし、当時は習字の表彰をたくさんもらっていた。
そんなじいちゃんだけど、俺が小学校高学年になったあたりから体調を崩すことが増え、人工透析にも通い始めるようになった。同時にばあちゃんの認知症が発覚し、母さんが仕事をセーブし始めて家のことを結構やるようになった記憶がある。中学生になってからは部活で帰りが遅くなり、じいちゃん・ばあちゃんの夕食はデイサービスの弁当配達(体調に配慮した低塩味付けのやつ)、俺は母さんや父さんが作った夕食を自分の家で食べることが多くなった。
俺が高校生になると、じいちゃんは家よりも病院に入院している時間の方が長くなり、ばあちゃんは認知症ケアの老人ホームに入居した。
じいちゃんのお見舞いやばあちゃんの老人ホーム訪問は月に2~3回は母さんと一緒に行っていた記憶がある。
最後にじいちゃんとあったのは高2の12月、部活帰りに母親と一緒に入院しているじいちゃんのお見舞いに行ったとき。
その時、じいちゃんは俺の手を取って「相変わらず色白で女の子みたいな手だな」と言って笑ってた。だけど俺からすると、大きいと思ってたじいちゃんの手はいつの間にかしわくちゃで変に黒ずんでいて冷たくて、昔のように無骨だけど大きくて温かい手じゃなくなっているのを見て、急に泣きそうになった。だけど、高校生にもなって急に泣き出すのは恥ずかしいと思い、必死で涙をこらえながら「そんなことないでしょ。部活で豆だらけだし、俺の手だって大きくなったんだぜ」と言い返すので精一杯だった。じいちゃんは笑ってた。
次の日の深夜、病院からじいちゃんが急死したと電話があった。なんとなくそんな予感はしていた。
でも、葬式では周りがビックリするぐらい泣いてしまった。今もこの日記を書きながら涙が止まらない。
今でも何か文字を書くときはじいちゃんとの習字の練習を思い出す。
俺も息子ができたが、もう少し大きくなったら習字を教えてあげようと思ってる。
自分は地方の出身(岐阜)で、地元を離れて30年弱で、親も私が育った家を引き払って別のところに住んでいるので、もう20年ぐらい帰っていない。
ふと思い立って、自分が生まれ育った町をストリートビューで見てみた。私の育った家は他人のものになっているが、建て替えてはいないようだった。外壁に汚れが目立っているが、私の家そのものだった。私が小学校の時にリフォームして増築した離れの部分もそのままだった。家からバス停まで向かう道は、昔は両側まで藪が迫った湿った路地だったが、所々住宅が新たに建てられていて、少し見通しが良くなったようだった。バス停は昔のままだった。バス停の近くにある、母の友人の家もそのままだったが、外壁にかなり傷みがあり、おしゃれな外車に乗っていたのが、小型の国産車に代わっていたのが少し残念だった。バス停の先にある私の通った幼稚園は、閉園したようで、建物はそのままで園庭が駐車場で貸し出されているようだった。小学校から高校まで8年間通った学習塾はそのままだった。何もかもそのままで、少しずつ黒ずんでくたびれたような感じになっていた。
私は大のアイドル好きで(どのタイプのアイドルかは伏せておきます)ファンになってからというもの地元に来てくれたイベントには必ず行っていたし、遠征も何度もしたしかなり全通とは行かないものの結構全通に近い感じでアイドルの現場に行っていた。
今回、私の大好きなアイドルが初めて単独でコンサートをするという……そのコンサートに行けなかった。
初めてな分、メンバーたちの気合いも入っていたのが事前のSNS更新から伝わってきていたし、私の推しも本当にワクワクしてたのが伝わってきた。
どうして行けなかったかというと、どうしても休みが取れなかった。何をどうしても取れなかった。(細かく言うと身バレするので伏せておく)お金はあった。モチベーションは最大限にあった。なのに行けなかった。本当に辛い。
辛すぎて、毎日泣いたし鬱である。コンサートの様子はTwitterを通してレポが毎日のように上がっているが辛すぎて最近はTwitterも開いていない。
ここまではいい。行けない現場はそりゃ辛い。ここまではいいのである。
私の知り合いたちがみんな行ってたのである。これが本当に辛い。羨ましくて仕方ない。嫉妬すらする。仲のいい知り合いが幸せそうなのを見て、ああ本当にいいなでとまっていれば良いのだけど、それで収まらず酷い感情すら浮かぶ。私の悪い癖で、羨ましい人を見た時にその人に素直に感心するのではなく下に見る癖がある。どうせ次は行けないんだ、私の方がトータルでは現場に行ってるじゃないか、など見下している自分がいる。自分最近、休みが取れないところからもわかるように忙しいので余裕がないのもある。常に何かに追われていて、仕事もうまくできている自信がない。コンサートに行けないくせに仕事もうまくできていない。どちらもうまくいっていない自分に腹が立つし、幸せそうな人たちのツイートや投稿を見ると心がずんと重くなる。そしてその人たちを遠ざけようとする。こんな自分が非常に嫌なのである。
わかっている。一回ぐらいどうしても行けない現場なんてあるし、別に行かなかったからオタク失格とかそういうことでもないし、行ったからえらいとかそういうことでもない。分かっているのだけど、行けなくて本当に辛くて毎日落ち込んでいる。推しが歌って踊ってるところを直接見れなかったことが本当に悲しい。見たかった。本当に見たかった。現場に行きたかった。楽しくて幸せな思い出を作りたかった。推しが楽しみにしていたように、推しにとってコンサートが幸せな思い出になったように、私もそのコンサートを幸せな思い出にしたかった。
こんな精神状態だから殴り書きでまとまりもない文章で申し訳ない。誰か私を救ってください。
※書いてて思ったんですけど、現場行った後、私もツイートとかするタイプで、その時に現場行ったよー!幸せー!っていう単純な気持ちだけじゃなくて私すごいでしょみたいな気持ちあったよな〜って。すごいオタク(?)として認められたいみたいな気持ちってあるよねって。承認欲求のために推しの現場使ってたんか……とちょっと落ち込みました。自分がどの現場にも行くオタクであって、他のオタクよりも優位に立ってたかった気持ちはあるんですよね正直。別に現場に行く=えらいではないんですよ。それを頭では理解してるんですけど本気で納得はしてないことに気づきました。他人と比べる癖とか強い承認欲求、劣等感から解放されたいですね。あとシンプルに行けなかった現場ほどよく見えるというか、ほんとにその日世界で一番カッコよく輝いてた推しを見れなかったのほんとに……推しに人生振り回されすぎですよね…とか思いつつ。次の機会があるまで耐えるしかないのは分かってはいます。分かっては。
あれよあれよと給料が増えて気がついたら年収が旦那の倍近くになってしまった
良い方じゃないかと言われるかもしれないが私の家事負担は旦那の1.5倍であり
どちらもフルタイムではたらいているので少し疲れている
子供のステージ変化に伴うあれやこれやだとか、新しいことをやるのはいつも自分だ
ルータの設定も電球変えるのも全然得意じゃないし好きじゃないけどやらなきゃ暮らせないからやってる
家に人を入れるのを嫌うので家事外注もしづらい(宅食や食洗機ドラム式ロボット掃除機はフル活用している)
家人は時々酒を飲んで怒鳴り暴れる
殴られることはないが、物がなくなったり罵声を浴びることはある
夜は部屋にこもってゲームをしてしまうから会話をすることはない
ボイチャをしている声が寝室の壁越しに聞こえる
給料が増えた理由は宝くじみたいなものだと思っているので、いつまた給料が下がるかはわからないから使うこともできずに投資信託にぶっこんでる
恵まれているし運が良いのは知っている
誰かベッドのシーツ取り替えてほしい
あとWi-Fi直しておいて
自分と親父の二人で住んでて、タオルとか全部一緒に洗濯してるんだけど親父のタオルだけ黒ずみ?カビ?がヤバい
KEYUCAとかの普通のやつ使ってて、新調するタイミングも使う頻度も同じぐらいなのに親父のタオルだけ爆速で黒ずむ
2週間ぐらい使ってたらもう黒ずんでる
なんでかは分からない
親父は普通に毎日風呂入ってるし、60代のおっさんにしては清潔にしてる方だと思う
自分のタオルは特に臭くないしカビもつかないから本当に分からない
親父になんでやろ?って聞いたら「毎日顔にメンソレータムの軟膏塗ってるからその油で黒ずむねん」って言ってた そんなわけなくない?自分も乳液とかの油っぽいやつ使ってるんだけど…
○労働組合
一昔前は悪名高き労働組合だが、大量離脱があり、いまはほぼ半壊状態となっている。
ニコニコ動画などにもアップロードされていたが、東日本旅客鉄道労働組合(東労組)にあらずんば人にあらずという状態であったが、
いまは大半は非組合員となっている。
大宮支社、八王子支社、千葉支社あたりはまだ組合が比較的強いようだ。
国鉄労働組合(国労)のおじいちゃん方とは特に意識することなく仕事もできている。
そんなに額が変わることもないのだが、会社側は日頃の貢献を鑑みて0.1ヶ月の加算などしみったれた金額にも関わらず、仰々しく話をするし、
労働組合は2.5ヶ月を死守したなど減っているにもかかわらず、謎の成果をアピールしてる。
また、会社は公表してないが、過去のボーナス額が何ヶ月分であったかは労働組合のホームページで筒抜けとなっている。
社長、部長、支社長などの社内の偉い人のお話を聞くこと。特講とも言われる。
講義と言いつつ研修や社員教育のテーマに沿って話すというよりは精神論が多い。
配属された直後だったり、社長の現場視察のタイミングで行われたりする。
もちろんありがたいお話を聞いた後は作文の提出がついてくる。
なにか話を聞くたびに感動し、思いを改め、新たな気づきを得ることにも疲れてくる。
普通に全体ミーティングなのだが、端々に社内の権威付が行われている。
(つづく)
「出る杭はSNSに打たれる」間違いなくて草
生日
独身男
まあまだ孫いないしな
でも俺も相手どころじゃねんだよな
しごとやめて節制しながら10年無職することを誕生日に考えてんだよな
まだ実際にはやめてないけどもう心身が限界
とある事情で貯金が1回全部なくなっちゃってゼロからはじめてまだ数年
定収入とはいえ低収入で全然貯金たまってないからfireとかはできないけど
ブラックではないとはいえ向いてない仕事を長時間やるのは本当にしんどい
まあ一番カネかかってるの食費だし節制すればダイエットにもなるしいいだろう
一時期鬱で休んでてまともに食ってなかったときは50kg切ってたし
親糖尿と高脂血症ってのもあるし現時点でもここ7,8年は炭水化物取りすぎでコレステロール高いし
こないだ常用してた帽子を落としたっぽいし
よくかってた冷凍食品も値上げで買えなくなったし
プライベートブランドの袋ラーメンも値上げで買えなくなったし
靴擦れになったし
コバエが沸く季節になったし
常用してた服にケダマが出始めたし
シャワーは週一だし
もう結局鬱になった時点で終わってたんだよな俺は
しんだほうがいい
でもざんねんまだしぬつもりはない
カネをくいつぶすまでは生きる
先日、ワイが電車に乗ってた時の話。
前に立ってたずんぐりむっくりしたおっさんのスマホが目に入ったんや。何やら増田に書き込んでるみたいやったから、フェミ叩きでもしてんのかって思ってた見てたやで。
ほんならその時、車両の反対側でドサッと音がして「なんやろ?」って思ってたら、女性が倒れてて、車内がザワザワしはじめたんやで。みんなオロオロしてる中、あのおっさんがさっと電車の非常通報ボタンのところに駆け寄って、ボタンを押したんやで。
ワイはおっさんの行動力にビックリしたやで。その後、次の駅で緊急停車して女性は駅員さんに運ばれていったんやで。ワイはおっさんのことを、ただのフェミ叩きしてるKKOやと思ってたけど、実際の増田はすごくかっこよかったやで。