2023-09-05

父ちゃんが二人いた話

と言っても、複雑な家庭環境の話ではなく、単に仕事で不在がちな父親に代わって近居していたじいちゃん父親のような役割もしてくれたという話。

特に内容は無いけど、昨日の夜、なんとなく昔のことを思い出したのでダラダラと書いてみる。特に面白いオチはない。

 

俺の家は両親が共働きしてる地方公務員で、二人とも結構しかたか小学校から帰ると自宅のすぐ近くにある母方のじいちゃん家で晩御飯~お風呂までお世話になってた。自宅には夜寝るときと朝学校に行くまでいる感じで、俺にとってはじいちゃん家の方がよっぽど自宅という感覚だった。

じいちゃん市役所勤務を定年まで勤めあげ、当時は完全に隠居状態であり、ばあちゃんと一緒に趣味の畑仕事をしながら、俺の面倒を見てくれていた。

じいちゃんは孫の俺に甘々で、色白の俺に対して、もっと外で遊んで日焼けしろと言いながらも「色白は七難隠すといって」可愛がってくれた(この諺は女子に向かって使うものだと思うけど)。俺がピザポテト好きだと言えば毎日おやつピザポテトを用意してくれたり、晩御飯モスバーガー食べたいと言ったら軽トラ飛ばして買いに行ってくれたり、デパートに行ったら必ずおもちゃデパ地下の高いジェラートを買ってくれたりした。

 

俺もじいちゃんによく懐いていたし、じいちゃんはいつも近所の人に自慢してた。小学校の参観日に両親が仕事で来れなかったときはじいちゃんが来てくれた。

その時の授業は保護者似顔絵を書くというもので、なぜか俺はじいちゃんの来ていたジャンパーのファスナーを一生懸命書いたらそれが評価されて市の表彰を受けた(大した賞ではなかったけど)。じいちゃんはその話を近所の人によくしてたし、その時の似顔絵リビングテレビの真上に飾ってたので、いつも気恥ずかしかった思い出がある。

あと、じいちゃんは達筆で習字を教えてくれた。習字練習中は普段と違ってすごく厳しかった。でも、一生懸命教えてくれたおかげで身に付いた字の綺麗さは今でも人に褒められることがあるし、当時は習字表彰をたくさんもらっていた。

 

そんなじいちゃんだけど、俺が小学校高学年になったあたりから体調を崩すことが増え、人工透析にも通い始めるようになった。同時にばあちゃん認知症が発覚し、母さんが仕事セーブし始めて家のことを結構やるようになった記憶がある。中学生になってから部活で帰りが遅くなり、じいちゃん・ばあちゃんの夕食はデイサービス弁当配達(体調に配慮した低塩味付けのやつ)、俺は母さんや父さんが作った夕食を自分の家で食べることが多くなった。

俺が高校生になると、じいちゃんは家よりも病院入院している時間の方が長くなり、ばあちゃん認知症ケア老人ホームに入居した。

じいちゃんのお見舞いやばあちゃん老人ホーム訪問は月に2~3回は母さんと一緒に行っていた記憶がある。

 

最後にじいちゃんとあったのは高2の12月部活帰りに母親と一緒に入院しているじいちゃんのお見舞いに行ったとき

その時、じいちゃんは俺の手を取って「相変わらず色白で女の子みたいな手だな」と言って笑ってた。だけど俺からすると、大きいと思ってたじいちゃんの手はいつの間にかしわくちゃで変に黒ずんでいて冷たくて、昔のように無骨だけど大きくて温かい手じゃなくなっているのを見て、急に泣きそうになった。だけど、高校生にもなって急に泣き出すのは恥ずかしいと思い、必死で涙をこらえながら「そんなことないでしょ。部活で豆だらけだし、俺の手だって大きくなったんだぜ」と言い返すので精一杯だった。じいちゃんは笑ってた。

 

次の日の深夜、病院からじいちゃんが急死したと電話があった。なんとなくそんな予感はしていた。

でも、葬式では周りがビックリするぐらい泣いてしまった。今もこの日記を書きながら涙が止まらない。

きっと、じいちゃん父ちゃんだったんだと思う。

 

今でも何か文字を書くときはじいちゃんとの習字練習を思い出す。

俺も息子ができたが、もう少し大きくなったら習字を教えてあげようと思ってる。

文字の綺麗さとそれにまつわる思い出はいつでも思い出せるから、きっと大事財産になると思う。

  • 日替わり定食みたいに忘れた頃に昔の出してくるんじゃねーぞ😡

    • これは単に俺の思い出話であって、誰かの思い出のコピペではないのだが。。。 なんでそんなに怒ってるの?

      • PMSだけど😡

        • あなたが本当にPMSなのかどうかは確認しようがありませんが、仮にあなたがPMSだったとしても、PMSの症状として精神面の不安定化はあるものの、誰かに対して敵意をむき出しにしていい...

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