はてなキーワード: いじめられる側とは
イジメの原因なんてのは結局「なんか気に食わない」なので努力で解決できるもんではないと思ってる
まさに「なんか気に食わない」だった気がする
「2人で帰れたらたくさんお話できるのにねー」
いわゆる仲間はずれと変なあだ名をつけた
間違いなく立派なイジメだ
3人しかいない通学団中で2人で帰るため
いじめられる側になったのは早かった
一緒に帰ってた子は先生の視界がら外れると
違う通学団の子たちへ行き、違う通学団の子たちと共に自分をガン無視
彼女を仲間はずれにしてた時は見て見ぬフリして
一緒に笑ってすらいた違う通学団の子達
「遅れてやって来た正義感」かもしれないが
当時の自分にとって衝撃だった
その後、各個人で帰るようになった
たまに一緒に帰ってた子と帰ったときもあった
自分は、一緒にかえってた子に対し
怒りの感情はなかった
許されないと思っている
人間の関心の対象は、両親→家族→近隣の住人/友人へと発達過程を通して拡大していく。
ムラよりでかい規模の人間関係にまで頭が回るようになるのは高校生くらいからだろうから、小学生の間なら、ムラで育とうと都市で育とうとコミュニケーション能力を育む観点ではあまり気にしなくてよいのではないだろうか。
中学生くらいが一番えげつないいじめをすると思う。そうなってしまうのは、彼らの精神が発達途上にあって、彼らの世界観がまだ主に学級や部活といった狭いグループの中に限られているからだ。いじめる側には小さい世界の中でニワトリのつつきみたいなことをやるしか能がない。いじめられる側もその世界に上手くなじめなければ世界の終わりかのように思ってしまう。
高校生くらいになるとようやく、世界はもっと広くて、自分の属せる可能性のある選択肢として、自分の今属している小さなグループ以外の世界がいくらでもあることに気付き始める。
Wikipediaによると、DaiGoは幼少期にいじめられていたらしい。
彼はお金=社会的承認に飢えている一方で(あるいは飢えているがゆえに)、既存の倫理観に対してかなり挑戦的だ。
彼のこうした人格には、当時の経験がかなり尾を引いているのではないかな、と思っている。
いじめられるに至った経緯は不明だが、興味は無い。いじめの経緯なんていつも些細なことだし、どうでもいい。
道徳の授業で、暴力はいけない、揉めたらよく話し合おうと教えられる。相手の人格に問題があったとしても、暴言や暴力を向けていい道理は無い。いじめは許されない。法に触れていれば犯罪だ。
しかし、建前がどうあれ、学校というコミュニティにおいては往々にしていじめが発生してしまう。学校には何故か警察は介入してくれない。彼の場合、頼みの綱の先生も助けてくれなかったようだ。
社会に適応的な人間からすれば、虐められた原因を正して社会と和解すればいいだけのことかもしれない。
しかしいじめられっ子は、たまたま生贄に選ばれてしまっただけだ。仮にいじめられる側に原因があったとしても、どこを正せばよいのか伝えられないまま、突然暴力によって存在を否定される。いじめられっ子からしてみれば、理由はどうあれただ理不尽に暴力を向けられただけである。気に入らない奴に暴力を振るい、尊厳を踏み躙り、見て見ぬふりをするという社会の悪性を一身に向けられたいじめられっ子は、果たしてそんな社会の仲間でありたいと思うだろうか?
ひとたび社会の強烈な不正義に晒された人間からしてみれば、適応は不正義への降伏に過ぎない。
彼がナタを投げるという脅迫によっていじめを克服し、しかも本人がそれを成功体験としているのも悲しい話である。
周りの大人や先生が助けてくれたなら、まだ世の中捨てたもんじゃない、正義だってある、自分には味方もいると思えたのだろう。そうした経験を欠いた彼の世界には、おそらく未だに愛も正義もない。自分の行動によって世界は変えられるという本人の言は、承認は行動によって勝ち取るしかないという不安の裏返しではないだろうか。
無条件の承認も社会への帰属意識も身につけられなかった人間は、自分に居場所があることを確認するため、社会的承認をかき集め続けなければならない。
これこそ彼が、目に見える成果が出るまで時間のかかる心理学研究でなく、すぐにお金を稼いで世間に自分の非凡さを思い知らせられる、うさんくさいパフォーマーとしての生き方を選んだ理由ではないだろうか。
私は、彼の信じられないほど酷薄な発言も幼少期のいじめに由来するのではないかと考えている。
非納税者を蔑視する発言は、相手にされないことへの不安から来たスタンドプレーという一面もあるが、既存の倫理観への不信からくる本音でもあるのだろう。暴力はいけないという一般論を教育されつつ暴力を振るわれた過去故に「口でいくらヒューマニズムを謳っても、本心は違うに違いない」と思っているのではないだろうか。
別に私はDaiGoも被害者だから哀れむべきと言いたいわけではない。理由はどうあれ、非納税者への福祉に関して無理解なまま、倫理にもとる発言をしたことは批判されてしかるべきである。
しかし「悪い奴だから懲らしめてやる!」と義憤に燃えている人は、自身が正義などではなく、気に入らない人間を積極的に排除しようとする側、いじめっ子気質の人間であることを認識した方がいい。
自分の非を認めていない人間に数の暴力でサンクションを与えたところで、暴力によって従わされたという心の傷が残るだけではないだろうか。
DaiGoの件に関して言えば、浮浪者への差別発言の問題点を大して理解していなそうな人まで「レイシズム=ナチス=悪」という借り物の価値観で脊髄反射敵に叩いているのも気持ち悪かった。Twitterで支配的な反レイシズムという規範に沿わないという理由で叩くのなら、クラスの空気に沿わない人間を吊るすいじめと大して変わらない。
DaiGoのように成功者になって世間を見返すのに躍起になり、果たしてそれが上手くいったとて、こんな風に問題行動を起こしてしまう。
逆に完全にいじけて人生を放り投げれば、黒子のバスケ事件の犯人のように社会の敵になる。
これらは元いじめられっ子の中でも極端な例である。しかし私には、帰属意識の喪失や社会の正しさへの不信、自尊心の低さ、自分の影響力を確認することへの執着といった、いじめによってもたらされる人格の歪みが遠因になっていると思えてならない。
手立ては色々ある筈だ。
これまでの話は全部私の臆測であり、一から十までこじつけである。どこかに論文があるわけでもないし、私は何の専門家でもない。
しかしDaiGo本人がオリジンとして語っている以上、暴力による自力救済でいじめを克服するしかなかった経験は、彼にとって大きな意味を持っていたのだろう。
DaiGoをいじめたりそれを傍観したりしていた同級生、彼を救えなかった教師、もしかすると「やっぱアイツ変だったしな〜」などと考えていないだろうか。
お前らが歪めたんだ。
誰も言ってないは大げさだったかもね。そこは訂正してもいい。
でも話の大筋は変わらんよ。
これ完全に曲解だと思うんだけど。
「自分がいじめられる側になった時のことを考えると~~~~」は単に1つの考え方を示してるだけで
いじめ問題とかも「自分がいじめられる側になった時のことを考えると~~~~」みたいなのが多くてゾッとした。
それって自分に痛みが帰ってこいなら何でもオッケーって感じなの?
たとえば部落差別があった時代だったら「部落出身者はゴミ!」と言っても自分が部落出身でないなら絶対的な安全圏にずっと居られるわけだけど、そういったシチュエーションなら部落差別の立場を変えない感じなの?
俺は「たまたま俺は生まれた時に運がよかっただけで、もしかしたら運が悪ければこういう人生を歩んでいたかも知れない。そう思うとそうそう他人を痛めつける気になんてなれない」って感情を持つんだけど?
ちゃんと名前も付いてるし多くの人が持つ感情のひとつなんだと思ってる。
でもそれが生まれつき欠如しているとしか思えない『完全に自分の損得でしか考えられない人』ってのが結構いるっぽくて怖いなと思う。
いやまあある種の定型発達と同じで、なんだかんだこの能力を持って生まれるか自体が生まれつきの運みたいな所もあるのかなとは思うわけよ。
実際サイコパスって呼ばれるそういうのが一切ない人の存在を指す言葉だってあるわけで。
でもネット見てるとそのサイコパスとしか思えないような「俺に痛みが返ってこないならいくらでも痛めつけますけど。まあリスクがあるんで今回はやらないですが」みたいな人が多くておいおいサイコパスって実はめっちゃ沢山いるんじゃねーのかとゾッとしてる。
小山田圭吾と歳が近く、あの頃の事を思い出してみた
俺はひたすら平均的な公立校で育っていて私立の小山田圭吾の学校の雰囲気はわからない
ただ当時の中高くらいの空気を思い出すと先輩の世代には表面的に派手に目立つ不良の数が多かったのが減っていき
毎日はとても平和なはずなので突発的に酷いいじめが行われるというのが起こっていたと思う
基本的にはちょっとバカな子とか極端に運動ができないとか、変わってる子とかまずそういう子らがターゲットにされていたと思う
俺自身ナイーブな人間だったしなにかのきっかけでいじめのターゲットにされてもおかしくないような人間だった
ただスポーツができて勉強もできて女子に人気のある男子と、たまたま仲良くなれてそれでなんとなくあいつはあいつの友達だからな、みたいな
やや上位グループにいるような雰囲気を出すことに成功していただけだ
だからクラス内でいじめが発生すると内心はビクビクしながら、できるだけ平気そうな顔をして「しょうがねーなー」と笑う声が震えないようにするので精一杯だった
いじめられてる子に同情する気持ちより、自分がやられたくないという気持ちのほうがずっと大きかった
ただ自分から加担する気にもなれなかったので、あくまで一緒になっていじめるというのはせずに、かといって止めもしなかった
それにはある種の器用さ、場の空気を読む事に徹するような小ずるさが必要だけど、当時俺と同じような逃げ方をしてるやつは多かったと思う
今も似たようなもんかもしれないけど当時の学校におけるいじめの空気というのはそんな感じで
俺はいじめの現場にいた当時の小山田圭吾の気持ちはなんとなくわかる気がする
ひょっとしたら小山田圭吾自身いついじめられる側に回されてもおかしくない危うさはあったのかもしれない
だからこそ彼は過剰にいじめに加担する方に合わせてたんだなと思う
さらにそんな鎧をかぶってしまったまま大人になったのでインタビューされても虚勢を張ってしまうのかもしれない
ただね、これはあくまで小山田圭吾自身についての想像で、もちろんいじめられた方にしたらそんなのは一切関係ないわけで
後になって「実は俺だっていやだったんだよ」なんて言われたら一番きついと思うし
やはり重要なのはいじめた側の人間の話をヘラヘラした態度で(笑)とか入れて雑誌として売り物として出しちゃったことだよなと
記事の頃はいい大人になってるはずの小山田圭吾がなぜあんなにベラベラといじめを語ってるのか
これはやはり当時のサブカル界隈の空気とフリッパーズ・ギターの成功が大きく関係してるんじゃないだろうか
フリッパーズ・ギターといえばそれはもう好き放題というか
メディアに対して皮肉屋でビックマウス、それがかっこいいみたいなとこもあり
音楽面だけでなくそういった面でもカリスマっぽくみられがちだった
ちなみに俺自身は当時フリッパーズ・ギターはなにが良いかまったくわからないゴリゴリのハードロックばかり聞いてたけど
付き合ってた彼女が大ファンになってしまったので「なんかいいよね~」とか適当に話を合わすためだけに一応聞いたりしてた
とにかく好きなことバーっとやってサッと解散してしまって、オザケンと小山田圭吾はめちゃめちゃイケてるミュージシャンだったのだ
で、インタビューは1995年あたりらしいので解散後何年かしてからなんだと思うけど
QJは創刊してまだ間もない頃みたいだ
当時のQJといえばかなり攻めまくっていてなんかすごい雑誌出たなと仲間内でも時々話題になっていた
なぜか内容は思い出せないけどこんなん載せる雑誌なかなかないだろうなあと何度か思ったことがあった気がする
ただ自分の周りではこの記事が当時仲間内などで話題になったという記憶はない
オザケンも覚醒?以降はなんだか素敵な文学的おじさんになっていったけど
フリッパーズの頃はくそ生意気で多方面小バカにしたような態度(インタビューとかでね俺の好きなバンドも貶されてた)で
この二人が気に入らなかったのだけはよく覚えてる
当時ファンだった人はどんな感じでこの記事を読んでいたのかは気になるな
(ちなみにフリッパーズの大ファンだった彼女はその後熱狂的なオザケン信者になって小山田には渋い顔をするようになったので多分読んでないし別れた)
だらだらと書いたものの別にこれといって言いたいテーマがあるわけではなく
時代的に近いとこで生きてきた人間として思い出せることだけでも書いてみようかなと思ったまでなんで大したオチもなく申し訳ない
当時はまさか小山田圭吾がオリンピックの音楽を手掛けるなんてことも想像できなかったし
最近でもサンレコでたまにサラウンドの可能性について話すだけの人になってたと思ってたので
オリンピックのエンタメに関する人選が、外すべきだった人が外れてなくて、外すべきではなかった人が外されちゃったんだなって思って残念
いじめる奴は親もおかしい、は言い切っちゃダメなんだろうけど体感としては同意しちゃうな……
おかしいとまではいかなくても、態度には出さずとも「うちの子に限って」と本気で思ってたり、親もいじめ加害者メンタルで「いじめられる側にも問題が〜」等の加害者理論持ち出してきたり、それこそ小山田問題と同じで「うちの子がこうやって寄ってたかって責められてるのもいじめと同じじゃないんですか!」とか言い出したりな
タイトル通り
小山田圭吾のニュースで勝手に被害者の気持ちになってコメントするなってコト
そして批判するなら被害者の気持ちを代弁せずに加害者を批判しろってコト
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お前に被害者の何が分かるっていうんだ
批判するならコメントは「悪質」「オリンピックのルールに反してる」「品性下劣」でいいじゃねえか
おまえに被害者の何が分かるんだ
なんだよ結局お前らサル山の頂上決戦したいだけじゃねーか
もちろんそれで救われた例も過去にはあるだろう
それでも被害の当事者不在の議論であり批判ということを忘れないで欲しい
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ta-nishi.hatenablog.com/entry/2021/07/17/112215
ustam 東浩紀を始めとして、「またネット民の悪ノリ」みたいに考えてる人が多いみたいなんだけど、この件に関してはいじめ被害者たちの怨嗟を感じるんだよね。いじめで人生狂わされた人たちは、絶対に許さんでしょ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bdad0722f74a1a6b59c9462816565e642571267
「しかし、『いじめ』の被害者は、悔しさ、怒り、情けなさ、惨めさをいつまでも心に留めています」と、いじめられる側の心中をおもんばかった。
例えばこんなんだよ
怨嗟ってなんだよ。絶対に許さんって決めつけるなよ。勝手にいじめ被害者を一括にするな。
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ChieOsanai 2021/07/18 そうなんだ。じゃあ私被害者の気持ちを代弁するね。
お前そういうとこだぞ。
独りよがりになるな。被害者の気持ちを代弁せず加害者を批判しろ。
被害者の気持ちを代弁するなら被害者に会うか、コメントを貰うか、家族か周りに会うぐらいしてこい
ko2inte8cu そうだ!勝手に被害者の口に大便するな!
お前そういうとこだぞ
人間愚かだな
叩けばいいと分かれば叩くのに遠慮なくなる
獣だよおめえは
人じゃなくて獣
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https://anond.hatelabo.jp/20210718051310
https://anond.hatelabo.jp/20210718052610
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私は障害者であり、それなりに差別されてきたし、それなりに虐められもしてきたけれども、見知らぬ誰かが「私があなたを虐めた誰かを裁いてあげよう。君を救ってあげよう」と言ったとして、ふざけるな、お前なんかに救ってもらいたいと誰が言ったんだ、舐めるのも大概にしろ、と激怒するだろうと思う。
私はその、誰かをあまりにも簡単に救ったり裁いたりできると思いこんでいる誰かの傲慢がどうしようもなく気に入らないし、お前らなんかに救われたくない、自分の魂は自分で救う、と思えてならない。政治や愛してもいない他人なんかに救われるくらいなら、はじめから魂なんか要らなかったんじゃないか。と思う
感情がついてこなくても、更生した人を受け入れる努力をしていけば良いだけの話だ。
人には好き嫌いがあるし、それは仕方のないことだから、イマイチ好きになれない存在として認めていけば良いんだよ。
俺も小中とすさまじいいじめに会い、不登校になったりと色々あった。
それでも母は私にこう言った。
『いじめが様ってから将来、いじめてきた子は必ずその報いを受ける時が来る、その時仕返しができると思うかも知れないが、
絶対に仕返しをしちゃダメだよ。 仕返しをした段階でお前もいじめっ子と同じになっちゃうからね。
もしいじめっ子がいじめられ始めたら、それを間に入って止められるようになりなさい。』
だから、いじめていた奴がいじめられる側に変わってしまったとき、少なくとも自分はいじめる側に回りたくないし
できるならそれを止めてあげられる存在になりたいって思ってる。