まず前提として、イジメた側とイジメられた側を比較するならばどう考えてもイジメてる側の方が悪い事は火を見るよりも明らかである。
したがってイジメられた側に落ち度が在るか否かの議論をするヒマがあるなら、また、イジメられた側を非難するヒマがあるのならイジメた側の落ち度を非難すべきだ。
今でこそLGBT等で人権意識が高まりつつある中、昔よりはイジメの被害者が守られる傾向にあるのかもしれない。
自分は昔の古い教育体制で育ったもんだから中学時代なんか教員にその手の発言(イジメはヤラれる側も悪いという趣旨の)をする連中はザラにいた。
でもそれを聞く度に得体の知れない違和感を子供ながらに常々感じていた。
それはイジメの加害者を見つける努力もろくにせず、見つけたとしてもそいつに対する追及もそこそこにしておいて(酷い場合など少し加害者の肩を持って理解を示し共感してやがる)、イジメられた側にも落ち度があるんだという論点のすり替えをしてるからに他ならないと漸く今になって思う。
確かにイジメられた側には周りの人間との「違い」はあるだろうな。
背が低い、太っている、毛深い、髪の毛が生まれつき茶色い、運動音痴、勉強が苦手、イジメられてる子を庇った、家が貧しい・・・。
でもそれらは他の人との「違い」であって決して「悪い」のではないのだよ。
「悪い」人間を差し置いて「違う」人間を秤に掛け非難する不条理がこの世の中にまかり通ってしまっている。
未だにイジメはイジメられる方も悪いとかいう戯れ言を抜かしてやがる連中よ。
その無い頭を振り絞ってよく考えてみな。
なんでいじめられる側の落ち度的な話になりがちかというと、いじめてる側に対してできることって特に選択肢は多く無くて いじめられてる側にはアドバイスしようがあるから、相談さ...