はてなキーワード: 関の山とは
ウクライナとロシアはお互いに戦車をぶつけ合っているからお互いに主張をぶつけ合えるんだ。
もしも片方だけが戦車を持っていたら交渉のテーブル自体が最初から生まれなかっただろう。
少なくとも、交渉のテーブルの上でウクライナが発言力を持つ事なんできず、朝鮮戦争のようにどこかの傀儡となるのが関の山だったはずだ。
たった一言、心の奥底で伝家の宝刀として持ち合わせなければ何も始まらないものが有るのだ。
「俺たちの意見を蔑ろにするなら、俺は最悪お前らと刺し違えるからな」
このたった一言を胸に誰もが収めていて、始めて交渉が始まるのだ。
大人だけが銃を持つ社会で、子供だけが銃を持つことを禁じているというのは、子供に交渉の権利がないということだ。
屋台の店主が釣り銭をちょろまかしてきたとき、大人であれば縺れた交渉のはてに相手の五体に銃弾を撃ち込むという選択肢を胸ポケットに入れたまま交渉に挑めるだろう。
そうなればどんなに世の中を舐め腐った店主だろうと、最後には銃弾という神の目を恐れうやうやしく罪を認めるはずだ。
だが、子供にはそれがない。
それは公正や正義を司る神の庇護から外れて生きていることにほかならない。
騒ぎ立てても「子供の言っていることですから」とはぐらかされても、その舌に鉛の鉄槌を叩きつけることが出来ないのでは、そこに交渉など発生しない。
ただ、子供という存在に対して慈悲を持って接しているだけなのだ。
対等に扱おうなんて気持ちはどこにもない。
そんな社会でいいのか?
子供が銃を持つことに対する是非についての議論は、ある特定の人間を交渉のテーブルにつかせる事を許可しない社会を容認するのかということだぞ。
まあ俺はそれでもいいと思うけどね。
ボケた老人からは運転免許証を取り上げるべきだし、免許さえ取り上げられた機能障害のポンコツに対しては慈悲を持って接してやるべきだ。
だが、そういった他人を見下し権利を制限することに端を発する社会をおかしいと日頃声を上げておきながら、いざ子供が銃を持とうとすれば規制すべきだというのは自己矛盾が過ぎやしないかね?
そのことを考えろと言っているのだよ。
Vtuberってブームになってもう4年くらいになると思うけど
ちょい役とか本人役とかで数本出たことあります~程度がせいぜい?
なんなら声優よりも主題歌とかで歌手として起用されるケースの方が多い印象
前世が俳協に所属してるような本職でV活動に本腰入れてます~ってのすらいなくない?
企画でちょっとやってみました程度なら見かけるけど本職Vみたいな毎日更新には遠く及ばないレベル
声優としては無名でほぼ前途が暗闇だった人のリサイクル的な形での本職V化であれば、始祖のキズナアイもある意味そうだし最近ニュースになってたゆめもその類だと思う
美しょゲ声優からV本職並の活動レベルに到達してる人はたみーとかいるけどそのへんのしがらみのなさそうな所からしか出てこないのかな
「賃貸派!?ええ家住んでこその人生やろ!コスパのパの部分はお金勘定だけとちゃうで!」
これは高1のころに半沢直樹1st.シーズンの大和田常務の自宅に突撃する話を見た後の俺の感想である。
ただデカい家じゃない。自分が美しいと思える価値観が反映された、カッコよくて美しい家だ。
(※別に大和田常務の家そのものを模倣したいと思ったわけではない)
元々建築を見るのが好きだった中学時代。親父が外構関係の職人だったということも拍車をかけ、もともとお家には興味があったのだが、
その興味を具体的な夢にしてくれたのは、他でもない大和田常務だった。
「本気で作ったる!絶対に唸るほどの金を稼いで自分が住みたい家を妥協せずに建てて、そこで暮らしたる!」
嘘じゃない。俺はその夢を叶えるためにマジで頑張った。一生に一度の買い物。絶対に叶えたかったからだ。
実家が金持ちでもないというか貧乏な俺。特別なクリエイティブの才能もない俺。
その俺が夢を叶えるには、めちゃくちゃに稼いでいるサラリーマンになるしかなかった。
それはもう、めちゃくちゃだ。大和田常務は特殊例であって、その辺の銀行に行っても役員にはなれない可能性は高いだろう。
その時になって役員コースから外れればもちろん家は買えず、目も当てられない。中古の建売3,500万円を購入するのが関の山となる。
だから、俺はスタートからマックスでめちゃくちゃに稼げる会社に照準を定めてリストアップした。
そのためにめちゃくちゃにいい大学に行く必要があるということも分かったので、これまためちゃくちゃに勉強した。
キツかったけれど、志望大学の過去問が解けるようになるたびに、自分の理想のお家を建てる夢に一歩ずつ近づいていることが分かったから、実は楽しく頑張れた。
そうして、途中で離婚、過労でぶっ倒れる、再婚、とかいろいろとあったけど、果たして、めちゃくちゃに給料をくれる会社に勤めて目標分のお金を貯めた。
幸い?コロナで完全に仕事がリモート化され、かつ今後もほぼその状態が続くだろうということになったので、土地は都内から離れられたので結果的に広く取れた。ラッキー。
ずっと調べていた、いいなと思っていた設計事務所に、高1から描いていた理想の住まいのスクラップブックとスケッチを持ち込んだ際のことはよく覚えている。
設計士の先生とお話ししながら、抽象系だった自分の高1からの夢が、間取りとして世界にに具体化されていくのだ。これを幸せといわずに何というのか。最高の時間だった。
で、かかった金額が手数料とか全部入れて1.13億円。うん、冷静にみて高いよね。
正直引いたけど、大和田常務のお家を建てようと頑張ってきたその辺の普通の高校生のたどり着いた夢の終着点としては妥当な金額だとも思う。
大和田常務のお家と比べればもちろん小さいけれど、大和田常務のお家よりも俺にとって素敵なお家が建てられたと思う。
ツッコミどころ多すぎてたぶん釣りなんだと思うけど、一応マジレスしてみる。
・70万円? 700円じゃなくて??? いまどき掲示板なんて無料のスクリプトがいくらでも転がってる。自力で無料で作れる。もしチンプンカンプンでその設置をプロに頼むにしてもクラウドソーシングで数千円でやってくれる人はゴロゴロいる。仮に完全オリジナル仕様でフルオーダーするにしても、やはりクラウドソーシングで探せば数万円で作ってくれる人が見つかるだろう。
・「10年~20年かけて費用回収できたら御の字くらいの感覚」と言っているが、感覚が狂っていると言う他ない。雑多な掲示板に広告を貼って仮にそこそこアクセスがあっても、月に数十円~数百円が関の山だろう。ましてや現状では全然アクセスがないようだから、10年どころか1000年経っても回収不能。
・そもそも明らかに需要がなさそうな掲示板である。既存の有名掲示板(5chなど)とどういう差別化が出来ているのか? わざわざその独自掲示板を利用するメリットあるのか?
食事の大半は夫が作り、夕飯の残りを翌日の弁当にするのが定番のスタイル。ただし残り物なので暖かさはなく、昨日と同じ物を食べているから新鮮味もない。
しかも弁当を前提に作るから、うどん・パスタのような麺類は夕食にあがってこないし、似たようなおかずになりやすい。もちろんスープジャーを使えば鍋やスープも入れられるけど、例えばラーメンとかは基本作らない。
もちろん弁当用に別に作れば良いのだけど、そこまでの手間をかける理由がない。時間と労力とお金がかかる。どこかで買うのはもったいない。少しでもと抵抗して冷食の小さなおかずを添えるのが関の山。
どうやれば美味しい弁当になるんだろう。
来年4月から改正民法が施行され、法的には18歳から成人となる(厳密には成年という)。
この法改正によって何が起きると予想されるのか、少し書いてみたい。
まず、この法改正はあまり周知されていない。当事者の高校生、大学生でも知っているのは半数程度。保護者世代も同じくらいだろう。
なぜか。それは、成人式は20歳、(今の若者にこれが好きという人はあまりいないが)お酒やたばこも20歳からということに変化はないからだ。
「みんなやってる節目の式典が大好き」な大半な日本人は相変わらず20歳から大人になると思い続けるだろう。
そんな連中に民法では18歳から大人と指摘しても無視されるか適当にあしらわれるだけだ。
しかし事実として民法の改正により4月から18歳で大人となることで、あくどい商売をやっている連中は必ず18~19歳の若者を騙すだろう。
若者を中心とした消費者被害が問題となり、そこで初めて「なんで18歳で大人扱いするんだ!何も聞いてない!」という世論が形成されることになるが時すでに遅し。
民法の改正は実は2018年に成立していたので、問題を解決する方法はいくらでもあった。
例えば、成人式を2022年からは18歳にすれば、式典が大好きな大半の日本人は18歳を節目として大人になったと自覚するだろう。
この場合、大変気の毒ではあるが、2022年に19歳、20歳になる人は切り捨てざるを得ない。生まれた年が悪かったと思ってもらうしかない。
こんな冷たい対応でなくても、18歳の人の成人式、19歳の人の成人式、20歳の成人式を1年だけやると周知していればよかったのだが、前例大好きな役所にはこれは無理だろう。
また、18歳はもう大人なんだから役所は場所を貸すだけで、あとは各年齢で自主的に成人式を企画して開催すればいいじゃないかとも考えられる。
もっとも、日本では若者が自主的に活動をすることをとても嫌ううえに、空気を読むことが生きることだと考えている今の若者にはそれはできないだろう。
結局、成人式が20歳のまま続けられることで、改正民法の施行は空振りに終わり、消費者被害だけが残る結果になるだろう。
ここで世論は20歳成人に戻せという意見に固まっていくだろうが、国際情勢を考えるとこれは無理で、また、あれほど無能な政府では「18歳に消費者教育を義務付ける」とか斜め下の対応(というかパフォーマンス)が関の山ではないか。
転ぶと三年だけしか生きられない峠があって、そこで転んでしまった男女が何度も転び直すことで長生きするってお話だったと思う。
少し調べてみたけど、なんと韓国で生まれたむかしばなしだった。知らなかった。びっくり。
さておき。
たとえばもし、現代のどこかに三年峠が実在したらどうなるのだろう。
滅多に人が寄りつかないオカルトスポットになるのか。はたまた、色々な理由でもって人が集まる人気スポットになるのか。
噂話だけが広まった、ひなびた峠道になるのが関の山かもしれない。
でも、そこにはいくらか転びに来る人がいるはずだと思う。必ず。絶対に。
なにせ長生きしたい人にとっても、長生きしたくない人にとっても魅力的な呪いがかけられているのだから。三年きりしか生きられないのだから。
昨今話題の無敵の人々について。死刑になりたいからとかいう理由で他者を傷つけてしまう人々は、転びに来るだろうかと考える。
何となくだけど、彼らはあまり転びに来ないような気がする。対照的に、安楽死を希望する人々とっては救いとなるのかもしれないけど。
ただ、三年峠の呪いが『転んでからきっかり三年後に死なせる』ものだった場合、死に場所によっては他者を害する可能性もなくはない。
とすると、社会を憎んでいるであろう無敵の人々にとっては魅力的な呪いになるのではないか。少なくない人々が転ぶようになるのではないだろうか。
そんなこんなで不慮の事故や不審死が相次ぐようになった世界。社会不安の原因となる三年峠は、遅かれ早かれSCPみたいな団体に管理されることになるのかもしれない。