2022-02-24

大人けが銃を持つ社会では子供権利は後回しになっていく

権利を守るためには抑止力必要なんだよ。

ウクライナロシアはお互いに戦車をぶつけ合っているからお互いに主張をぶつけ合えるんだ。

もしも片方だけが戦車を持っていたら交渉テーブル自体最初からまれなかっただろう。

少なくとも、交渉テーブルの上でウクライナ発言力を持つ事なんできず、朝鮮戦争のようにどこかの傀儡となるのが関の山だったはずだ。

交渉には必要不可欠なものが有る。

たった一言、心の奥底で伝家の宝刀として持ち合わせなければ何も始まらないものが有るのだ。

「俺たちの意見蔑ろにするなら、俺は最悪お前らと刺し違えるからな」

このたった一言を胸に誰もが収めていて、始めて交渉が始まるのだ。

大人けが銃を持つ社会で、子供けが銃を持つことを禁じているというのは、子供交渉権利がないということだ。

屋台の店主が釣り銭をちょろまかしてきたとき大人であれば縺れた交渉のはてに相手の五体に銃弾を撃ち込むという選択肢を胸ポケットに入れたまま交渉に挑めるだろう。

そうなればどんなに世の中を舐め腐った店主だろうと、最後には銃弾という神の目を恐れうやうやしく罪を認めるはずだ。

だが、子供にはそれがない。

それは公正や正義を司る神の庇護から外れて生きていることにほかならない。

騒ぎ立てても「子供の言っていることですから」とはぐらかされても、その舌に鉛の鉄槌を叩きつけることが出来ないのでは、そこに交渉など発生しない。

大人は誰も子供交渉なんて出来ないことを知っている。

ただ、子供という存在に対して慈悲を持って接しているだけなのだ

対等に扱おうなんて気持ちはどこにもない。

そんな社会でいいのか?

子供が銃を持つことに対する是非についての議論は、ある特定人間交渉テーブルにつかせる事を許可しない社会容認するのかということだぞ。

まあ俺はそれでもいいと思うけどね。

ボケた老人から運転免許証を取り上げるべきだし、免許さえ取り上げられた機能障害ポンコツに対しては慈悲を持って接してやるべきだ。

だが、そういった他人を見下し権利制限することに端を発する社会おかしいと日頃声を上げておきながら、いざ子供が銃を持とうとすれば規制すべきだというのは自己矛盾が過ぎやしないかね?

そのことを考えろと言っているのだよ。

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