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JR日記増田は2021年4月のJRの車椅子乗車拒否事件をきっかけにJRを非難する日記を始めており、今年に入ってから「もうすぐ1年たつ」などと1周年を機になんらかの意見表明することを匂わせていたけれども、何も発表しないことにいささか残念だった
執念深く毎日更新してるやべー奴かと思いきや、1年もたたずに音を上げるとは軟弱な奴だった
それに比べると何年も活動を続けているゲーム日記増田やデトックス増田(回文増田、すいすいすいようび)の異常さが際立つように思われる
2022年3月場所での番付表では、活動期間が軽視されているように感じる
例えば、年単位で継続しているゲーム日記増田は前頭、デトックス増田は幕下以下であり、活動期間や認知度の割には低い地位にとどまっている
毎日更新を現在も継続している増田朝礼(現在309日目)は十両
毎日更新タイプではないが、チョコエッグ増田はさらに活動歴が浅い(2021年10月開始)にもかかわらず関脇だ
横綱のやべー奴らは年単位で活動しており、やばさの度合いから横綱であることにも納得できるが、それ以下の階級では上述の通り審査の甘さを感じる
経団連タイムスの「日本の少子化対策はなぜ失敗したのか」の記事がすごいんだが…
「若者の賃金が増えないから結婚できない」という現実に、「賃金を増やす」じゃなく「不安定な身分の男性と結婚してもいいと思う女性を増やす」ことで解決させるという…地獄すぎる、っていうツイートを読んで。
地獄だなあ。
まず結婚だけなら低賃金でも出来るよね。低賃金かつ共働きの状態で子供は育てられないし金銭的に余裕もないってことで。金なくても結婚する人はするし子供作っちゃう。実際に知り合いで当時バイトにも関わらずデキ婚→就職していまは大家族で幸せです、っていう人居たし。学生時代の同級生はFacebookを見たり人に聞いた限りではわりと結婚してるし子供もいる、彼らがどれだけ稼いでるのか知らんけど。
あと賃金、男女差が埋まらないらしいけど男女が同じになって500万・500万とかになれば良いのか?結局子供育てる間は休職、育休になるので家庭全体の収入は減るわけで。逆に男700万・女300万とかになれば昔ながらの男は仕事、女は家庭になって丸く収まる気がするけどダメなんだろうね。
Twitterでさ「一人の方が楽」「彼氏・彼女要らない」「結婚する気ない」「一人が長すぎて同棲とか無理」って書いてるフォロワーがちらほら居るんだけど大体アラサー、金銭的にも余裕が出てきて多少贅沢も出来るようになってくると同性同士でキャッキャしてる方が楽しいよね。まあ中には育った家庭環境が悪くて良いイメージがない、だとかそういうものあるだろうけど。
俺は14年くらいTwitter村に住んでるけど、ごくごく普通の昔ながらの家庭だったので結婚したいし子供も欲しい、まあ予定はないが。
経験を積んだがしかし今ひとつ陽の目を見ることのなかった仙人たちが世の中のさまざまなトピックに対して含蓄のある言葉を置いていく、そんなサービスを期待していたが、期待はずれもいいところだった。
実際は、実社会で居場所のない中途半端な無能がやり場のないコンプレックスをぶつけているだけ。
友達が少なく、所属する集団では好かれていない(ただし本人は"割り切っている"と自己洗脳で逃げ道を用意している)。運動も趣味も大した結果が残せず、集団での意図せぬ自分の立ち位置のトラウマから、常に多数派を敵視している。じゃあそれなら知性や高潔さこそ我が武器だ、といわんばかりだが、大した知識もなく独善的なので基本的には少し知っている人が見たら薄寒くなるような知ったかぶり上から目線ブコメで、たびたび増田で捲られている。大喜利なんて特に身の毛がよだつほど面白くない。身分が明かされる場所で言ったら周囲を悪い意味で黙らせる力となるだろう。まず結論ありきなので是々非々とは最も遠いところにいる奴が多い。だから税金の使い道を投資に例えた政治家を叩いていく。普通に投資じゃないか?使い道が気に食わなければ選挙で判断する権利を持つのが有権者だろうに。
【戦国こぼれ話】惨殺された兄弟姉妹。なぜ豊臣秀吉は厳しい処罰を下したのか?
豊臣秀吉像。時代劇では明るくひょうきんな秀吉だが、実は残酷な男だった。(写真:アフロ)
現在でも隠し子なるものが存在する。隠し子がいた場合、亡くなった親の遺産をめぐって争うことは決して珍しいことではない。非常に厄介な問題である。
豊臣秀吉といえば、弟の秀長などが有名であるが、知られざる兄弟姉妹が突然姿をあらわしたことがある。秀吉はどのように対処したのだろうか。
秀吉の兄弟姉妹については、以下に示す興味深い史料がある(フロイス『日本史』第12章より)。
1人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった2、30人の身分の高い武士を従えて、大坂の政庁(大坂城)に現れるという出来事があった。この若者は伊勢の国から来たのであり、関白(秀吉)の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた。
時期は、秀吉が関白に就任した翌々年の天正15年(1587)のことだ(秀吉は51歳)。この若者に関しては他に史料がないものの、秀吉と兄弟であることを周囲の人々が確信していたとの記述は、興味深い。
秀吉は実の兄弟と称する若者に対して、いかなる対応をしたのだろうか。
関白(秀吉)は、傲慢、尊大、否それ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母(大政所)に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認めるかどうかと問い質した。彼女(大政所)はその男を息子として認知することを恥じたので、デウスに対する恐れも抱かず、正義のなんたるやも知らぬ身とて、苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した。
若者が秀吉と面会した際に、何らかの身分的な保証を求めた可能性がある。秀吉があえて母・大政所に若者のことを問うたのは、当然「知らない」と言わせるためだったに違いない。
大政所も秀吉との暗黙の了解のうちに、「若者のことを知らない」と答えた。大政所も後ろめたいところがあり、何かと不都合なことがあったのであろう。
■残酷な結末
母・大政所が知らないとなれば、若者は権力者・秀吉に嘘をついたので、苛酷な運命が待ち受けていた。続けて、同史料を引用しよう。
その言葉(大政所が知らないと言ったこと)を言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白(秀吉)の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。このように関白(秀吉)は己の肉親者や血族の者すら(己に不都合とあれば)許しはしなかったのである。
母の大政所には、3回以上の結婚歴があったといわれている。貧しい大政所が生活を維持するためには、仕方がなかったのだろう。大政所は不特定な男性と関係を持ったのは確実で、当時としては珍しいことでなかったのかもしれない。
■姿をあらわした姉妹
無残な最期を遂げたのは、この若者だけではなかった。次に、史料を挙げておこう(フロイス『日本史』第12章より)。
その(若者が殺されてから)後3、4ヵ月を経、関白(秀吉)は、尾張の国に他に(自分の)姉妹がいて、貧しい農民であるらしいことを耳にした。そこで彼は己の血統が賤しいことを打ち消そうとし、姉妹として認め(それ相応の)待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた。
「己の血統が賤しいことを打ち消そう」としたとあるのは、血のつながりのない兄弟姉妹を根絶やしにすることを意味する。秀吉は自分の知らないところで、血縁者を名乗る人物を消したかったのだ。
■惨殺された姉妹
さらに話は続く。
その哀れな女は、使者の悪意と欺瞞に気が付かず、天からの良運と幸福が授けられたものと思いこみ、できるだけの準備をし、幾人かの身内の婦人たちに伴われて(都に)出向いた。(しかるに)その姉妹は、入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった。
この姉妹はあまり気乗りがしなかったようであるが、最終的には使者の甘言にそそのかされたようである。秀吉に会うためにふさわしい服装を整え、来るべき輝かしい未来を信じて入洛したのであった。しかし、結果は史料にあるとおり、無残なものであった。おそらく首は晒しものにされたに違いない。
秀吉といえば、明るくひょうきんなイメージがあるが、実は大変残酷で怖い男だったようだ。https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20201110-00207204
横から失礼する。イギリスのローカルコミュニティでは財産家、旧ジェントリ、地主の影響力が今でも非常に強く彼らが地方議会や簡易裁判所判事を無償で行なっているという特殊性がある。庶民院の報酬や活動費支給を訴え、その充実を今も国民に呼びかけているのが労働党。保守党は当初議会議員に報酬を払うことを頑なに拒否していたという事情がある。フランスも第一身分、第二身分の人たちは第三身分の主張する議員歳費に頑なに反発していた。
次に北欧の地方議員がボランティアなのは北欧が日本を遥かに凌駕する究極の行政国家だからという点がある。行政国家化、ディストピア化が恐ろしい速さで進展する北欧では地方の政策はほとんど行政機関で完結するので地方議会がやることなんてほとんどない。日本ではまだ条例や予算を議員たちが可決して、それに基づいて首長が執行するという面が強い。