はてなキーワード: 語源とは
そして結局の所は、俺自身この件について心根ではどうでもいいと思っていたりする。
どうせ、このやり取りも今日だけで終わるんだ。
などと内心クダラナイことを考えていたが、実際この時の雰囲気を形容するなら大体そんな感じだったんだ。
しかし俺が迂闊だったのは、この日で終わるはずだった四方山の話を自宅でしていたことだった。
文化やマナーの話を持ち出したことも、箸の持ち方について言及したことも安易ではあったが、この点には勝らない。
なぜなら、自宅であるということは“弟が近くで聞き耳を立てている可能性”について見積もる必要があったからだ。
己の油断を嘆くべきなのか、弟の口の滑らかさに怒るべきか。
思春期だというのに、兄弟部屋を分けてくれない両親の教育方針を恨むべきなのか。
“後の祭り”の語源は、最も盛り上がる時間である“前の祭り”との対比からきているらしい。
そう考えると、ここからの展開はあながち慣用句ではないかもしれない。
「……なーんてことを兄貴たちが話してたんだ」
当然、弟のフィルターを通して語られているから話に繊細さなんてものはない。
「正直、俺はどうでもいいと思うが、ちゃんと箸を持てるに越したことはないよな」
「私、ちゃんと持ててないけど、うるさく言われたくはないわ」
「タオナケの言い分も分かるよ。でも、それを気にする人がいるってのも分かるだろ」
「私もそれは分かるけど、“気にする気にしない”と“善い悪い”は別でしょ。ちょっと箸の持ち方に癖があったとして、それでアンタに迷惑かかるわけ?」
「ちゃんと持ててないのに開き直って、気にする側を心の狭い人みたいに言うのは違うんじゃないか?」
「“みたい”じゃなくて、実際その通りでしょ。別に悪いことじゃないんだったら、それは気にする側の問題よ」
「おいおい、さすがにその言い草はないよタオナケ。ちゃんと箸を持てていない立場で、気にする方が問題とまで言ったら傲慢だよ」
「傲慢ですって!? 箸をちゃんと持てるのが、そんなに偉いの!?」
「そうだ! オレこそが最強の“ゴーマン”だ!」
「シロクロ、お前は傲慢の意味を誤解しているし、その持ち方はクセがどうとかいう次元を超えてる」
モメるのは決まっていた。
しかも、俺たちより年下で知識も語彙も少なく、コミニケーションの妙も理解できない同士だ。
そのグダグダっぷりは俺たちの時の比じゃない。
日本語でも、医者・医師という、建築士・建築家といい、者・士・家の区別はいいかげんです。それと同じように、英語の -er、-ist、-an の区別もそれほど厳密な区別があるわけではありません。
妹の子供の「何で勉強が必要なの?学校の勉強なんか大人になって役に立つの?」という問いに
夫婦で「いい大学に行って、いい会社に行くため」と答える以外に、まともに答えられず納得させられなかったらしくSOSを受け取った。
俺の両親は、高卒。妹も高卒。妹の旦那は地方の私大卒なので、勉強する意味を聞く相手として、一応は東大を出た俺にお鉢が回ってきたと。
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勉強する意味が分からん、社会に出て役に立つとは思えない、と言って勉強を嫌がって、お母さんを困らせてるらしいなw
でも、偉いぞ。そう感じること、答えを知りたがるのは大事だ、勉強する意味はそこにある。
お前の疑問に対するおじさんの答えは、学校の勉強は意味はあるし大人になって役にも立つということだ。
じゃあなぜ?と、お前は聞く訳だが、まだ大学にも行ってない今のお前に、数学や物理を大学で勉強したことが、俺の仕事でどんなふうに役に立っているか?を具体的に説明するのは難しい。
幾つでも例は出せるんだけど、今のお前にはピンとはこないだろうし。
だから、もっと簡単で身近な例え話で説明する。なんとなくごまかされた気がするかもしれんが、とりあえず聞け。
そもそも勉強ってのは大人になっても出来るし、おじさんも今も勉強はしてる。
だけれど、子供の時ほど勉強する時間は、もう持つ事が出来てないし、知識が増えすぎてお前が持ってる様な純粋さは失ってる。
だが、子供の時に多くの時間をかけて勉強したことは、おじさんにとっては大事な財産だし、お前にも同じ財産を作ってほしいと思う。
それはどういうものか?
何でだろうってのを自分に問うということだな。
仕事を始めると、おじさんのお客さんなんかに「こういうことで困ってるんです。お金を出すので解決してください」と頼まれる様になる。
多くの場合、そういう問題は大人になってから勉強した事も解決の為の道具になる。だから、単純に解決するだけならば、テクニックは大人になってからでも間に合うよ。
だけど、その裏には何故そうなるのか?という本質的な問いが沢山含まれている訳だな。
何か仕事をするときに、どうしてそうなるのか?それは何なのか?をかつて疑問に思って調べた事があって、その知識を持って説明するのと、そうでないのとでは
説得力にも大きな違いが生まれるし、仕事をする上でも結果に大きな差が生まれる事になる。
もっと身近な話をしよう。例えばだ。
インフルエンザになったとしても、病院へ行って薬を飲んで寝てれば治るという対処方法を知ってれば、治るし、生活する分には困らない。
だけど、インフルエンザってのは、どんなウイルスが起こす病気なんだ?って疑問に思って、何故感染してしまうのか、どうすれば防げるのかを調べていれば、アルコール消毒するとか、マスクするとか対処方法をさらに工夫できる。
インフルエンザがどういうものか?を勉強した後に、ノロウイルスとのウイルスとしての構造の違いをしっていれば、ノロウイルスはアルコール消毒ではダメで、次亜水という別の薬品が必要だって事も分かる。
コロナウイルスのワクチンが、どんなふうに作られているかを知っていれば、HIV陽性判定が出たからと言っても恐れる必要もなくなる。
何故?という問いを持って答えを勉強したかどうかで、小さなことでも変わってしまうわけだな。
今、お前が勉強していることは、人間の何万年って歴史の中で、昔の人たちが「何でだろう?」って疑問に思って、答えを見つけて来た事の集大成なんだよ。
昔の人が、インフルエンザなんて治ればいいんだって思ってる人ばかりじゃなくて、インフルエンザとはそもそも何だ?と疑問を持って勉強した人が
インフルエンザの予防接種を作ってくれて、今生きている俺らはインフルエンザを予防する事も出来ている。多くの病気は、そうやって治療方法を発見されてきた訳だ。
教科書に書いてあるのは、昔の人が持った疑問の答えなんだが、勉強すると言う事は、その答えに至るまでの本質的な疑問を1つでも2つでも、昔の人と共有するという事なんだ。
お医者さんが学生の間に多くの事を学ぶのは、患者を診た時に症状から病気を診断して治すためだけど、試験に受かる為に教科書を覚えてるだけでは典型的で簡単な例しか治せない。
何故だ?何が違う?と色々考えている学生は、医者になった時に難しい症状でも対処出来て多くの人を救えるかもしれない。
でも、不思議に思って、考えて、間違えて、また考えてって繰り返すのは、とても時間がかかる。だから、生徒でいられる間に勉強するべきなんだよ。
英語が話したいだけなら、大人になって海外にでも引っ越せばすぐに話せるようになる。
だけど、言葉がしゃべれるだけよりも、外国人の名前の由来とか語源とか、なんで?と思ったことをたくさん知ってる方がいい。
アメリカ人やイギリス人は生きてるだけで自然に子供の間に身に付く文化や教養だけど、俺たちは意図しなければ英語が話せるだけの無教養な外国人のままだ。
だけど、こんなとりとめのない疑問は、それこそ仕事に追われてる大人には追いかける余裕もない。だから、生徒でいられる間に勉強するべきなんだよ。
今、お前が学んでいることはとても簡単なことだ。だけど、いきなり難しい事は分からないし、それに考える事も難しい。
難しいことを考える為には、簡単なことから考えている必要があるのは分かるな。
一番最初に小学校で教わる1+1=2 ってのいうのだって、当たり前ではない。
本当に、そうなるのかな?という事を、誰かが疑問に思って、そうなるよって答えを探してきたから、1+1=2ですと教わるんだ。
1+1=2になるのは何故かって?それは大学に行く年にならんと流石に難しいな(笑
だが、後で噛み砕いて教えてやるよ。でも、いいぞ。エジソンだって、そうやって疑問に思ったんだ。
答えだけを聞いて納得してはいけない。放射線が怖いものだって事しか知らない大人が
10年前に大地震があった後に、とんでもない嘘をバラまいてた。あんな風に、恥ずかしい大人になってはいけない。
不思議に思ったら、疑問に思ったら、それを捨てないで考えて、それでも分からなければ先生とか、大人に聞けばいい。
でさ、なぜ学校の教師の事を、先生と呼ぶか不思議に思ったことはないか?
昔の中国では老師とも言うんだが、昔の中国人が「先に生きて学んだ人を師としたい」という文章を残していて、先に生きたという言葉から、教えを授かる師を先生と呼ぶ
という言葉が生まれたと言われていると、何かの本で呼んだ。つまり、先生というからには、お前の持つ疑問も先に持ってきたはずだよな。
という知識も、俺も何で先生なんて呼ぶの?と、子供の時に思ったから知ってる。
勉強したくない、何で勉強するのか分からない、それはもっともなことだ。意味わからんことはしたくないよな。
疑問を持って自分で解決するってことを繰り返せば、自然に学ぶことが楽しくなる。
いい大人が、勉強しとけば良かったとか、今になって勉強が楽しいと言うのは、自分の疑問を自分で解決する喜びを改めて見つけたからだ。
お前は、今からそれを実感するといい。それがお前の一生の財産になる。
仕事をするようになった時に、勉強してきたことが自分を支えてくれてる事を実感するか、勉強しとけば良かったと思うか、それで人生は変わるよ。
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なんとなく分かった様な顔でふむふむと頷いてる甥っ子の横で話を聞いていた妹夫婦の方が感動していたという。
まぁ妹が理解したなら、後は何とかなるだろう。
元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも読んで確認してもらえると幸いです。自分が「やる」と書いた以上やりますが、小分けしてやります。全部で何回になるかは現時点では未定です。
出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)です。
同書の本文中では、それぞれ町山智浩が「ウェイン」、柳下毅一郎が「ガース」とそれぞれ表記されていますが、ここで引用するに当たり、閲覧する皆様が発言者を把握し易いように「町山」及び「柳下」として表記します。
以下では、
[ページ数]
なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言もピックアップします。
〈警告!〉今回以降の投稿には「同性愛者に対する差別発言」などの引用が多数含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。心身の状態がすぐれない場合は、読まないで下さい。
【まえがき】
[p004]
町山:残念ながらファビュラス・バーカー・ボーイズは双子でもホモでもありません。
【本編】
[p026]
柳下:そうそう、ヴェルサーチ殺したクナナンもカリフォルニアからフロリダまで大陸横断の旅したんですよね。行く先々でホモの相手探して泊めてもらっては、相手を殺して町を去るというパターンで。
【※】エド・ゲインの墓参りに行って墓地の土を採取する予定と言う柳下毅一郎と、彼に「ゲインの墓をあばいて骨を盗め」と冗談でけしかける町山智浩。「ホモ」と云う表現を使う時には「(笑)」を伴う印象。明らかに差別意識が見てとれる。
[p051]
町山:あの人(※注)、ほとんど虚言症でさ、書いてること嘘ばっかなんだけど、自分でもその嘘を信じてんだよ。
[同上]
【※】景山民夫の『虎口からの脱出』は山田正紀の『崑崙遊撃隊』の盗作であると述べた際の発言。ここで町山智浩の言う「神罰」とは、景山民夫が火災で死亡したことを指す。
[p074]
【※】『トゥルーマン・ショー』に対する批評家の評判が高いことを受けて。しかし、町山自身はどうなのか?
[p082]
【※】注:米国内に暮らすキリスト教の一派「アーミッシュ」の人々を指す。
町山:決まってるじゃん。セックスだよ!だってそれしかないじゃん。奴らはセックスだけを楽しみに生きてるんだよ!
柳下:そう言うと、なんかスゴイ変態みたいだなあ(笑)。ホントはいちばん厳格で敬虔な人たちなのに(笑)。
町山:あいつら、そんなにいい人間じゃないよ。だって、他の人間が自動車乗ったり化粧したりするのを見ながら「お前らはそうやって今は贅沢してるけど、最後の審判で地獄行きだぞ、イッヒッヒ」ってほくそえんでるんだもん。
柳下:そんなに言って怒られない?
【※】異文化に対する偏見と嘲笑。「相手から反撃を受けないことが分かっていると強気に振る舞う」と云うお決まりのパターン。
[p084]
町山:どいつもこいつもレッドネック。
【※】『アルマゲドン』に触れた際の発言。念の為に記すと「米国内の、非・都市部に居住する非・富裕層で、高等教育を受けていない者に該当する白人層」を指して使う表現。語源は、野外での肉体労働に従事する白人労働者が、首周りに赤い日焼けをすることと言われる。侮蔑的なニュアンスがある表現。
【感想】渡米した町山智浩は「差別する側の人間」になれて、嬉しくて浮かれていたようにも見えますね。
今回はここまでにします。
「ロリ」って単語やロリ呼ばわりをネットから消し去りたい、って話を聞いた。
ロリータが語源だから幼女への性的眼差しを内包した単語だってのは正しいだろうけどさ、でも邪悪な単語「ロリ」を消したところで眼差す側の人間、ロリコンは消えないと思う。
ホモセクシャルの存在を否定しようと排斥しようと、彼らが決して消えることはないのと同じに、
ロリコンを迫害したところでロリコンを消滅させることはできないはずだ。
コンビニからエロ雑誌が消えた理由は、女性を威嚇するのをやめて欲しかったから。
ロリって単語を目にした幼女がたくさんいて彼女らが傷ついているなら、ワードの締め出しも意義がある。
でも——俺には少女時代がなかったから解らないが、そんな女の子いるか?
単語の意味がわかる頃には対象の範囲から外れて安心になっているのでは?
感覚のアップデートって世代交代だ。こんにちわロリコンです。新世代の叩いていい属性です。同期のインセルさん、九州男児さん、おっさん、よろしくです。