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異次元フェス アイドルマスター(ハート)ラブライブ!歌合戦DAY1を見た!!!!11111
推しのVtuberが公式アンバサダー勤め、ごく最近ラブライブ!サンシャイン!!を視聴する切っ掛けになった津島 善子(ヨハネ!)が宣伝隊長を務めてることになったので、物凄く興味はあったが物凄く稼ぎが少ないためにチケットを買うのを昨日まで躊躇していた。
それでもフェス開催記念番組見たら脳が異次元に飛ばされた。推しの曲を別のキャラがカバーしたり(うぉおおって汚い声出た)フェスのテーマを歌ったりして、気分が盛り上がって勢いで配信チケット二日分購入、もう躊躇は無い。
配信を再生して東京ドームのデカい舞台とデカいスクリーンが映し出される。設営撤去の光景が頭をよぎる。
歌合戦は本当に良かった。
ラブライブ!サンシャイン!!のAqoursしか知らないから初めて聞く曲ばかりで、アニメキャラの名前しか覚えてないからキャストの名前が表示されても誰だか分らなかった。
名前と顔を知ってる方は顔出しでテレビ番組をやっていた上坂すみれさん、邪神ちゃんの鈴木愛奈さん、隔週でヘブバン情報局に出演している前川涼子さん、トウカイテイオーのMachicoさんだけ。
そんな”にわか”状態でもアイドルたちのパフォーマンが心を殴る、何が起きてるのかわからないのに、すげぇアイドルすげえぇぇぇ!!!!!それしか言えねぇ!!
途中ソロ曲があって驚いたし!俺も会場のファンたちと一緒に声を上げて光る棒を振り上げたかった!!実家だから無理だけどな!!!
アンバサダーの二人にも役目があった(二人とも頭から角がはえてるw)。東京ドームのスクリーンに推しが映って不思議な気持ちに。よかったね、ラプ様。今年は本当に大活躍、大躍進で嬉しいいいです!!
大興奮で視聴を進めてあっという間に最後の挨拶に。たくさんのアイドルから3人が選ばれて、その最後がラブライブ!サンシャイン!!のその人だった。一番大きな声を張り上げて観客に呼びかける、その瞬間頭がスパークしてバラバラだった記憶が一つに繋がった。
あれ?俺この人知ってる??ラブライブ!サンシャイン!!を見始める前に声を聴いたことがある気がするぞ!?????
今でもプレイしているゲーム、ヘブンバーンズレッドのあの人だ!Anniversaryの朗読で姿を見ているのに、関西弁で声の出し方も髪型も違うから全然今まで気が付かなかったよ、伊波杏樹さんだったんだね!!!!おれおぼえた!!!
脳が焼けて呆然自失のまま、ライブは全体曲に突入。全体曲って集大成みたいな感じでいいよね。曲を聴きながら自然に涙が出た。泣きながら今日までの事を思い返した
今まで意識的にアイドルコンテンツは避けてきた。体を壊すまで10年ぐらい続けたライブ会場の設営撤去バイトを思い出すから。キツくて何度も倒れた。それでも就ける仕事がないからやめられない。
アイドルマスターの会場もラブライブの会場も作ったことがある。
他にもたくさんの会場を作って興味よりも恨みのような感情を持つようになった。長時間の肉体労働で「バイト」呼ばわりされて名前を呼ばれることもないし、やりがいもなくただ毎日辛いだけ。人間扱いはされない、作った舞台の上に立つ人たちも自分たちような有象無象の事なんて気に留めて無いだろうなと。
今思えばただの逆恨みだし自分の境遇とアイドルは何の関係もなかったのに。
https://dime.jp/genre/1370121/
意識が変わった切っ掛けは上の記事紹介されているVTuber、彼女はアイドルオタクを自称しテンション高くアイドルについて語るアイドルだった。今年に入って何度もステージに立つ彼女を見続けてアイドルが好きになり、推しの概念を知る
全体曲が終わり、ステージから誰もいなくなった。もっと異次元に居たかったなぁ
手を振りながらやり切った表情で去ってくアイドルたちを見て自分のして来た事に意義があった確信した。淀んだ心が少しだけ心輝いた気がする。
チケット買って本当に良かった。
あっ、DAY2が
俺は氏んだ
謝ったとは言うが、あんな紙っぺら1枚で謝罪になるかといいたくなる
自分たちが何をやったのか、どういうつもりだったのかを詳らかにして、謝罪と合わせてもっともっと人目につくとこに掲示し続けろ
代表者、賛同者、燃やした奴らの顔を晒して、土下座してる姿と一緒に掲示し続けろ
それくらいの恥をかけ
大恥をかけ
いつまでそれをやればいいかといえば、それはこっちの溜飲が下がるまでだ
詳しくいうとするならば、お前たちに怒りを感じていた者たちから「もういいよ許すよ」と言う声が上がるまで
「いいやまだ許すな」という声に対して「いやいや流石に許してやるべきだ。それくらいの制裁はうけた」という庇う意見が主流になるまで
そこまでやれ
音楽の良さを判定する個人的な基準のひとつは、その音楽が過去のどこに繋がっているかだ。
現代の音楽に全く新しいものは無い。完全なオリジナルというのは存在し得ず、過去の何かに影響を受けたり、参照をし、混ぜ合わせることで、自分たちが描き出したい何かに近付ける。
その時に意図的・偶発的に繋がった過去の音楽、その音楽が作られた歴史、奏でられた地域、生み出した人間との間接的な交信が、現在の音楽を通じて行われる。
さあな。
スティーブ・ジョブズが子供たちを騙して児童労働させて何十億ドルも稼いだことを知っていたのに、スティーブ・ジョブズを偉大な人物だと考えてしまったことかもしれない。
あるいは、ヒーローとされる人物はすべて虚飾のフェイクだと感じていることかもしれない。
洞察の仮面をかぶったデタラメなコメントでお互いにスパムを送り合うバカども。
こんなもののために政治家に投票をしたのか?不正選挙ではなく、自分たちの意志で?
俺は何も新しいことを言っているのではない。
俺たちは皆、なぜこんなくだらないことをするのか知っている。
ハンガーゲームの本は幸せにするわけではない。俺達は殺し合いを見て鎮静剤がほしいのである。
社会なんてクソ。
私は彼氏を選ぶ自由があったけど、選択できたから選択しなかった後悔があるし、あのとき乗り換えてればって思い悩む夜がある。
恋愛する自由があるといえば聞こえがいいけど、裏を返せば自分たちの未来への責任をその都度持たされてる。
伊藤みどりの自伝によると、地元のスケートリンクで練習していた頃
伊藤はこのことを
「先生は後輩たちに
『みどりさんがあれだれ怒られているのだから自分たちも頑張らなきゃ』
と思わせようとしてあえて厳しくしていたそうです」
と書いている。
「娘を弟の前で厳しく叱り、最後にお尻を叩いたりしている。
それを見て弟がピリッとする効果もあると思う」
というのを最近見た。
立場が上の人が叱られているのを見て、下の者が気を引き締める効果はあるだろうか?
私に限って言えば無い。むしろ
「あの人があんなに怒られてるんだから、私なんて大したことない。
私より恥をかいている人がいてよかった」
と安心する。
これは私がクズだからで、他の人は気を引き締めるのかもしれないか。
どちらにしろ、最近は「人前で叱って恥をかかせるのはむしろ逆効果」という考えが
少しずつ広まりつつあるので良い事だと思う。
ここ数年で一番きつい死で、今も茫然としている。
自死ではなく病死ではあるけれど、それだけ一番身近に感じる分、一番きついのかもしれない。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT世代だったから。
何も考えずに大学を出てフリーターになった氷河期世代だったから。
何かになれるのかと思っていた。バブルがはじけてどうしようもなくなってた日本の中でまだ夢を見てた。
チバユウスケの声は何かになれそうな夢を見させてくれた。マッチ売りの少女みたいに。
長生きなんてしたくなかったってわかる。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを守るために解散したぐらいなのだから。
好きなことをして、好きなものを愛して、そのために生きる。
それを全うしただけなのだ。
最後の瞬間までどうしようもなくかっこよくて、だからもうそれが失われたことが悲しくて仕方ない。
タバコも酒もやめて健康に気遣って、長生きするなんて考えもしなかっただろう。
少し年下だった自分たちの世代もいろいろガタがくる時期にいて。
でもあんたみたいにはなれない。
君の名は。以前の新海誠は殆ど見てきてるし、小説にしたら短編にしかならないような内容を美しい映像で引き延ばす作品に好かんという気持ちを抱きながらも「それが新海誠という表現者」となんだかんだで心のうちに留めていたが。
君の名は。を見てから、こんなたくさんの大人が関わったら「こんないい感じの商業アニメできました!」という作りにショックを受け。その後の作品を観ることはなかった。
311をテーマに扱うにはまだ早過ぎるし、この映画は直接的過ぎる。アニメである利点は非有表現が得意なところだと思うので、誰にでもわかるレベルで描く必要は無かったと思う。
こんなに直接的な表現をした割に、「みんな当事者意識もとうね〜、トラウマ克服しようね!」みたいな浅いメッセージ性にもドン引きを通り越して、人の死や絶望を馬鹿にした悪趣味作品にしか見えなかった。
常世は常に綺麗な場所であって欲しい。人の思いが風化させないことが大事と言いながら、常世をあんな禍々しい描き方をするのは如何なものか。
すずめのトラウマ克服ストーリーだから、あれはすずめのトラウマの具現化であり。死者を禍々しく捉えてるのはすずめ本人であり。卑下することもなく受け入れることで、常世に静寂が戻るみたいな解釈もあるだろうし。色んな解釈をしてきた。
良いように捉え方を変えても、やはり直接的な表現は必要無かったと思う。着想を得たくらいに留めて、物語上でそれを表現するのはやめておけばよかったのではないか。
新海誠の作品はどれも綺麗事、他人事で絶望を味わったことがない人なんだろうなとしか思えない。だったら一層のこと、「当事者意識なんて持てるわけないよね?自分たちは平和に暮らしてるんだから。」という新海誠自身の心情を表現した方が価値ある作品になると思う。
ポスト宮崎駿として相応しい作品を作りたいのか。何か本当は表現したいという気持ちはあるんだろうが、表現者としては心の鬱屈が足りないんだと思う。
描写や細かい点の指摘は散々されているので細かく言わないが。お気持ち表明だけの便所の落書きでした。私が理解不足な点もあるでしょう。不愉快に思われる方いたら申し訳ないが、現状自分はこのように捉えている。
だって向こうの感覚からすると、自国言語でない映画をわざわざ観るなんて、けっこうハードル高いでしょう。下手したら字幕のある映画みるのもあんまり無いんじゃない?自分たちが映画文化の中心だからね、周辺に手を伸ばさなくても自給できるし
男って愛する人に怖がられるのが嬉しいの?
「私の同性愛は思春期の気の迷いだった。荒れた生活を続けた末に自分はノンケだったと正気を取り戻した。若い頃にゲイコミュニティに入り浸って同性とセックスしたことを後悔している」
という「脱同性愛」のケースばかり集めた本が出版されたら、同性愛者は自分たちのアイデンティティを否定する攻撃だと感じるだろうし、その本が同性愛に否定的な親や教師の偏見を強化して同性愛指向を抑圧される子供が増えると危機感を覚えるのではないかな?
でも人と比べる本能のせいで不幸になって不幸率が男性の方が高いぞ!って。
他愛なくない?
ペニスのサイズを揶揄するのが侮辱になる、って考え方が分からん。
友だちの胸のサイズが大きかったくらいで、別に腹が立ったり凹んだりはしない。
嫉妬したりは無い。
小さいチンチンがあり、大きいチンチンがあり。
みんな違って、みんな個性。それでいいじゃない。
どうしてコンプレックスにするんだろう。
男の人って巨乳だの貧乳だの、女性のセクシャルパーツの比較には寛容なのに。
自分たちの大きさを比べられると激昂するんだよね。
歳の離れた兄は、よく「小さくて辛い」と言ってた。
小さいと何が困るのかは不明。でも家族だけの時にも呟いてたから気に病んでるのは本気なんだと思う。
修学旅行の思い出話で兄が暗くなったので、一度だけ、男同士で比べるから逆に神経質になってるんじゃない?…って言及したことがある。
そしたら。
兄「うーん」
兄「でも俺のは小さすぎる」
兄「辛い」