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はてなキーワード: 経済活動とは

2014-03-01

ビットコインバブル見るとチューリップバブルすらまともな経済活動に見える

従来のバブルならいくら乱高下しようが売買対象は家や土地チューリップという実態があるだけまだまとも

ただのビット配列大金つぎ込むとか愚の骨頂

それで取引所が倒産して被害者ぶるとかコンブガチャ大金つぎ込む奴と変わらんな

2014-02-22

なぜ行動履歴の収集が気持ち悪いかそろそろひとこと言っておくか

Suicaの事例NC特集 - 「Suica履歴販売」は何を誤ったのか:ITproJRの顔識別実験顔認識を使って人物を追跡する実験、大阪駅の駅ビルで4月よりスタート | スラッシュドット・ジャパン YROへの反応からも分かるように近年行動履歴界隈が大変騒がしくまた盛況な様子です。

そして出てきた Yahoo! 別所氏の発言がなかなかかぐわしい香りを放っており各所から鬨の声が上がっております。(やまもといちろうのマネ)

http://www.huffingtonpost.jp/2014/01/21/bigdata-yahoo_n_4635623.html

http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2014_0219.html

企業利用者のことを、いちばん真剣に考えている主体です。』

に至ってはナニ寝言抜かしてんねん意外に言うことはないわけですが。

『「気持ち悪い」という利用者感情的な問題だ。』

プライバシーフリーク

という発言から分かる通り、利活用を求める人々はデータ収集に反対する人々の『気持ち悪い』という感情をあたかも身勝手で不当なものであるかのようにとらえているようです。

んで学部レベルの半可通な状態だけれども、誰も言わないからこの辺に書いておく

なぜ”気持ち悪い”か

率直に言えば、他人に自分情報を与えることは、ほとんどの場合不利益しかならないから

まず個人対個人の場合

PASMOデータを用いて社員ストーカー行為を働いていた例がある

http://matome.naver.jp/odai/2133463494276014401

法律職務規定でくぎを刺しておくべきものなのだが、データを渡さなければ職務規定が本当に機能しているかどうかを気にする必要もないわけで、データを渡すことは”見込みの不利益”を増大させることでしかない。

次は巨大な企業が一個人のデータを利用するケースについて

ここからはもう想像するしかないのだけれども(企業情報出すの嫌いだよね)、Amazon在庫数や閲覧数でもって値段を調節していると言われている。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20130307/1047958/

ここで”Web 閲覧履歴、購買履歴、アクセス履歴から、ある人がある商品をとても欲しがっていることを判定し、その人がアクセスした場合、100円高く値段を表示する”ことは可能か不可能か。

ポイントカード情報を用いて、この地域では雨の日に XX を買う人は少々高くても XX を購入する。雨が降ったら XX の価格を上げよう。という戦略は可能か。

ビッグデータ未来を感じている人ほど可能と考えるはずだし、実際可能な筈で既にやられているかもしれない。


そして今、通常価格より高く商品を買った人がいたとして、このシステム利益だろうか不利益だろうか。

(こういうことを言うと必ず「自分が100円多く払うことでお気に入り通販サイトや店が維持できるのだから利益になると思います^^」と言う天邪鬼がいるけれども言ってて空しくなんないのか。そんなに利他的聖人様は稼いだ金は生活必要な分だけ残して全部 Wikipedia かどっか好きなところに寄付したらいいと思うよ。)


以上のように自分情報を与えることは本人にとって不利益しかならない。

これは人間人間となる以前からの真理であったので(体調が悪いという時にその情報を隠さなサルボスと隠すサルボス、どっちが地位を追われやすいか、と考えたら自明だよね)、遺伝子レベルで刷り込まれてしまっている。

例えるならば、腐ったもの自分にとって不利益となるもの)の臭い不快に感じるのと同じことであり

情報をとられて「気持ち悪い」なんて感情的な問題で嫌がるな”という主張は”ウンコを鼻先に突き付けられて「クサい」と言うな”という主張と同質なわけだ。

こう書くと理不尽キチガイかどちらだね。


ところで法的には”理不尽であったとしても認められるべきこと”がある。

それは理不尽によって侵されるものより優先される権利

例えば生活保護。ここで侵されるのは社会全体のリソースで、対するのは生活保護受給者の生存権になる。生存権日本国でも最も重要権利の一つとされており、守ることが人類国家全体の利益になると考えられている。だから生活保護は維持される。

さて”企業が個人の行動履歴をとり利用すること”が侵すものは何だろうか。

平穏生活する権利、通信の自由、移動の自由といったところだろうか。

対するのは企業の”経済活動の自由”。近代国家では前者の方がおそらく優先されされるだろう。

よって理不尽であっても認められる例外とはされないと考える。

言いたいことは以上なんだけども、履歴利活用推進派の人たちには”当然に気持ち悪い”、という認識でいろいろ語っていただけたらいいなと思う。

2014-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20140131194225

無理やり1個にしぼって議論しているところが日本経済限界

全く分からん

どこの誰が一個に絞って議論してるってこと?会社単位政府の話?それとも増田の話?

で、一方、その辺、一個に絞らないで議論して上手くいってる経済活動してる国って例えばどこ?

2014-01-24

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20140123/p1

acutehappp ブログ

今のブログAdSense炎上商法とか「商人欲求」が強い人が増えてきたね 2014/01/23

個人的な観測では、20年ほど前だったか、やたら学生時代草加信者の友人等が承認経済活動イコールで結びつけたがってたように見えた。

当時複数の集会に引っ張り込まれ、そういう話を必ずしていた。その時は福祉に関した政治活動に関わっていることを匂わせていて、

タダで福祉をやってはいけないという話で、ボランティア活動について批判をしていた。

しかしその後創価学会阪神大震災などでボランティアを動員してしまったので、あの論調はその後どうなったんだろう。

2014-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20140118045628


本当に買う気あんの?

どんな情報商品でもそうだけどさ、買う気があるんならたぶん売ると思うよ。

本当に買う気あんの?

売り出されたら誰か買って再利用やすい形になっていれば、駅のゴミ箱から雑誌拾うのと同じでしょって気持ちでいるんじゃないの?

売り場を増やすってことは、駅売店が増えるようなものと同じだけど、同じだけゴミ箱も増えるんだよ。拾うの目的転売目的のチャンスも増える、管理範囲が増えるんだよ。

市場の大きさが倍になることで、大きさが倍になると、容積が倍になると表面積が何倍にもなるのと同じように、経費が乗算で増えていくんだよ。


本当に需要があってさ、買う気があるなら、そのプラン銀行に持ち込んだら銀行お金か、出版社作家に問いかけてみたら出資とか企画とか出してくれるよ。

そこで市場見込みと自分の読みたいタダ雑誌拾いを一緒にしたら、「今現在出版会社規模で利益増大よりも損失が見過ごせない大きさになる」とかになったら、ふつう会社は手を引くでしょ。

今の商売と同じ儲けを、さらに倍の規模で得るとかなったら、今の商売の規模だけでいいでしょ。広げる意味ないでしょ。商売って啓蒙活動とか福祉活動じゃないんだよ。経済活動なんだよ。

しろ市場を広げて人手が足りなくなって、経費がかさんで利益が縮小するとかになったら、何目的でやってるのか意味なくない?

福祉とか啓蒙とか、その元になってる経済活動利益から必要損失分として捻出された予算運営されているわけで、啓蒙活動や福祉活動本体自体経済活動できるわけじゃないんだよ。


そこでさ、さらに「損をしてでも情報商品)を伝える必要がある」とか言い出すなら、その損失を、出版社仕事生活している人に押し付けるのって無茶すぎでしょ。



出版社の人たちは(ある意味ボランティア情報を伝達してくれているので、保障助成必要、っていうなら、まだわからないでもない。

逆説的に言えば、生活保護雑誌を買うのも、アリだろうとは思うよ。


売りのチャンスだって言うなら、どうやったら出版社が倍の規模で倍以上の収益が上がるのかってモデル提示すべきでしょ。

売れないから、売ってないだけだよ。

日本CM外国でみたって何の意味もないでしょ。スポンサーになんて説明して資金調達するの。

ネットで売るとか、販売機会による市場調節を無視して、さらに各国の著作権法律情勢にあわせた配信を管理するのとか無茶でしょ。

コンテンツロンダリングみたいなことになるでしょ。外国サーバーならモザイク不要みたいな。



日本キャラクターを冠した商品外国で売れるなら、まず外国企業を出して窓口を準備してから市場確保にキャラクターを使って切り込む。

その対象に成人女性ならドラマスポンサーに、子供向けならアニメに、男性むけならバラエティに、とかどれだけの企画とキャンペーン必要なの。

それを全部回収できるの?電子書籍って。納税先の違う商品を持ってくることに国がすんなりハイって言うわけ?


自分が買うって規模と、出版に係る人間生活すべての資金とを比べたら、どう考えてもつりあわないでしょ。

出版に係る人間全員の生活資金総数より消費者数が何倍も大きくないとそんな企画動かせないんだよ。






出版社人間生活の一部を削ることで、それに割り当てる事ができるはずだ」と、商品価値無視するなら

外国にいってる間、日本の文化には触れることが出来ない」ってほうがまだマトモだと思うんだけど。


はっきりいってさ、情報商品にしてるのってさ、報道側が「自分達は報道義務がある」とかい美辞麗句にのっけて商品価値を高めてるけど

ぶっちゃけ「金くれたら見せてあげるけど、俺情報もってるけど。金はらう?」って商売だよ。

知る権利、とかい言葉があるけど、そんなの権利でもなんでもないよ。語呂がいいだけの単語だよ。

無料情報流してくれてるのって、SNSブームとかに駆られて脳が煮えてる意識たかい人だけだよ。





というかさ、今まずどれだけの費用をその商品購入にいまあててるわけ?年に数百万も使っていてつらいから、とかいう話をまず書いていこうよ?

2013-12-28

http://blog.knak.jp/2013/12/post-1345.html

http://blog.knak.jp/2013/12/post-1345.html

まず、根本的に勘違いしているのが、金融政策で増やすのは「流通するお金は89兆円」ではないと言うこと。これは日々の現金決済に使われる日銀券そのもので、景気が良くなっても急に増えるわけではない。企業同士のやりとりが全て現金決済だなんてあり得ないでしょう?お金の量としては日銀券のような実物貨幣だけでなく、銀行預金のような信用貨幣も合わせて考えなければならないし、金融政策で増やそうとするのはこちら。なお、銀行預金日銀当座預金も含むがそれだけではない。そして、市中で動くお金の量を表したのがマネーストックで、マネタリーベースではなくこちらを見なければならない。そしてマネーストックM3統計開始以来最大の伸びをするようになっている。これは経済活動が活発化され銀行融資が増えているため。もう少しちゃんと勉強してから発言して下さい。

次に、輸出の数量もそれなりに伸びています日銀が公表している実質輸出が月次でデータが取れる、品質変化も考慮したもっとも信頼できる輸出数量の統計ですが、昨年11月に93.1だったのが、今年の11月には98.2まで伸びています。実質輸出の伸びとしては高い方です。これでも7月以降に円安が一旦止まり一時円高化していた影響を含んでおり、円安が続いていた時の影響がピークであった6月には既に99.0をつけるなど輸出数量は今年前半に急伸していたのです。輸出数量は伸びていない、なんていうのは真っ赤な嘘です。

http://www.stat-search.boj.or.jp/ssi/mtshtml/m.html

物価についても、日銀目標はコアであってコアコアは参考系列。また、98.0が2%伸びても99.96であり、98.8まで来たということは既に道4割は進んでいるということです。ほとんど変わっていないなどと評価するべきものではありません。

2013-09-23

なぜフランス革命は分かりにくいのか

フランス革命は、平民(第三身分)が旧体制を打破した革命である

のように説明されることがあります。この説明は間違っているわけではありませんが、「平民」という均質な集団一丸となって何かをしたかのような誤解を与える点で、フランス革命の内容を分かりにくくもしています

平民(第三身分)は、農民都市の下層住民を総称した民衆と、民衆よりも裕福な中間層であるブルジョワからなります(職人を雇わず家族だけで仕事をしている親方や店主ぐらいが下層のブルジョワ民衆との境界層です)。しかブルジョワ民衆意識の上でも利害的にもあまり仲がよくありません。

ブルジョワ民衆は協力関係にあるよりもむしろ敵対しており、それぞれ自律的に行動していたととらえる方が、フランス革命の動向が分かりやすくなります

実際にフランス革命の流れを追ってみます

革命が始まるまで

普通フランス革命の期間は、バスティーユが襲撃される1789年7月からロベスピエールが処刑され恐怖政治が終わる1794年7月までの5年間、またはナポレオン総裁政府軍事クーデターで倒す1799年11月までの10年間とされます

しかしその当時フランス社会構造がどのようなものフランス革命が始まるまでどのような進展があったを知っていた方が、フランス革命の推移もわかりやすくなります

わかりやすくなるのですが、ここではバッサリはぶきますブルジョワ民衆がそれぞれ自律的な勢力であるという複合革命論の考え方を前提にして書かれた

などを読んでみてください。

またもっと伝統的な、革命の精神を称揚するタイプの解説として

があります。こちらのタイプの説明の方が分かりやすいという人もいるでしょう。

革命の始まり(1789年 5月~10月)

(ヴェルサイユで開かれた全国三部会は、第三身分強硬姿勢により憲法制定の議会に変身し、バスティーユ襲撃後の国内混乱を利用し封建的特権の廃止に至ります)

1789年5月5日ヴェルサイユ(パリから約25キロ)で始まった全国三部会は、採決形式でもめ審議に入らないまま紛糾します。第三身分強硬姿勢を崩さず、特権身分の中にも第三身分への同調者が出たこともあり、7月9日に憲法制定国民会議として再出発します。

しか7月11日に第三身分に融和的な財務長官ネッケルが罷免され、これがパリが伝わるとパリ市民は王の軍事行動が近いと恐れ、自衛のための食料調達武器調達に動き、焼き討ちや略奪が発生します。富裕市民政府軍隊への対抗と秩序維持のため常設委員会を設置し民兵組織します。

7月14日にはバスティーユの要塞に武器の引き渡しを求めて民衆殺到し、バスティーユ内で交渉が続くさなか襲撃が始まりバスティーユは陥落します。市庁舎まで連行された司令官ドローネーは群集に引き込まれて殺され、市長フレッセルも射殺されます

新たに組織されたパリ市当局ブルジョワ民兵(国民衛兵)を国王政府は追認せざるをえず、他のほとんどの都市でもブルジョワが市政の実権を握ることになります

一方バスティーユ占拠の報を受けた農村では、貴族が浮浪者を雇って報復をおこなうという噂が広がり、その恐怖から各地で領主の館の襲撃が行われ、「大恐怖」と呼ばれるパニック状態になります

自由主義貴族だけでなくブルジョワ議員の多くも地主であるため民衆の騒乱は早急に鎮める必要がありますが、正規の軍隊に頼ることは王や保守貴族の立場を強めることになるのでできません。そうしたなか8月4日の決議が行われます

8月4日閉会後の夜に抜き打ち的に再開された議会で、自由派貴族によって領主特権の廃止が提案され、熱狂的興奮のなか課税特権の廃止など諸特権の廃止が次々と宣言されます。大恐怖の圧力を利用して封建的特権の廃止に成功し、農民の騒乱も沈静化していきます

これで憲法の議論が進むようになり、8月26日には人権宣言が採択されます

しかし王は特権廃止の法令人権宣言批准せず、9月末には治安維持名目ヴェルサイユ軍隊を集結させます

10月5日食糧危機を訴えるパリ民衆ヴェルサイユに行進し国民衛兵がそれに続き、民衆は窮状を訴え国民衛兵は王に圧力を加えます。王は法令人権宣言批准、翌日には王一家はパリのテュイルリ宮に移されます。続いて議会パリに移り、ここから憲法と法令の議論が本格化していきます。一方で亡命する貴族が増えていき、国内政治分裂も本格化していきます

91年憲法の制定まで(89年末~91年9月) (革命勃発後1年目、2年目)

(91年半ばまではフランス革命期としては平穏な時期ですが、この時期に国内の対立が進んでいきます。また国王の逃亡未遂が発覚するヴァレンヌ逃亡事件(91年6月)によって王の威信が失墜し戦争を望む声が高まります)

議会パリに移り、諸特権廃止の内容や具体的な法律が決められていきます。ヴァレンヌ事件が起こるまで比較平穏とされる時期ですが、国内にさまざまな対立が生じていきます

1789年後半から91年にかけて、議会外に政治組織が形成されていき対立の構図ができていきます

また各地で反領主騒乱が発生していますが、そうした騒乱は徐々に革命反革命かという政治的な枠組みで解釈されていくようになります

さらに聖職者民事基本法をめぐって宣誓拒否問題が起こりますカトリック聖職者の多くは革命には好意的でしたが、叙任式における宣誓義務に対して大多数が拒否をします。議会からの警告が出されますが、地方によって大きくバラツキがあるものフランス全体で約半数の司祭が拒否します。教皇ピウス6世が民事基本法を否認したこともあってカトリックは内部分裂する事態になります。宣誓拒否司祭とそのもとにあるカトリック民衆は「反革命」に押しやられ、のちのヴァンデの反乱(ヴァンデ戦争 1793年3月~)の原因の一つになります

91年6月に国王一家がパリから逃亡し途中で発見されるというヴァレンヌ逃亡事件が起こります

これを受けて、外国支援された亡命貴族が攻めてくる、外国侵略が始まるという考えが広がり、国王救出を目的とした外国人が侵入してくるという予想から国民衛兵による警戒体制しかます

7月には主要な政治組織であるジャコバンクラブが、王の廃位共和制要求する請願書をめぐって分裂し、多数派の穏健グループはフイヤン・クラブとして分離します。

8月にオーストリアプロイセンが、フランス国王のために武力介入もありえるとするピルニッツ宣言を出したため、亡命貴族陰謀説にさらに拍車がかかり、外国との戦争を望む声が高まっていきます

そうしたなか9月3日立憲君主制にもとづく1791年憲法が制定され、9月30日に憲法制定国民議会は解散します。

開戦、王権停止(1791年10月~1792年8月) (革命勃発後3年目)

(インフレ物価上昇により食料問題が悪化し民衆の不満は増大していきます国内の多数が開戦を支持するなかオーストリア宣戦布告し(92年4月)、続いてプロイセンとも戦争状態になりますが、フランス軍の劣勢となります軍事的危機と国王への不満が積み重なり、パリに集結していた連盟兵やパリ民衆恐慌的な敵意が王に向けられ、王の廃位要求され、8月10日テュイルリ宮が武力制圧されます(8月10日事件)。これを受けて議会王権の停止を宣言し、新たな憲法制定のための国民公会召集を決議します)

憲法制定議会が解散した翌日91年10月1日に、9月までの選挙で選ばれた議員達による立法議会が開会します。再選が禁止されたため全て新人議員で、貴族がほとんど選挙に立たなかったため議員ほとんどは裕福なブルジョワです。立憲君主制を守りたい穏健派フイヤン派議会の最大勢力、共和制を主張するジロンド派(ジャコバンクラブのこの頃の多数派)がそれに続きます

なお同業組合や団結を禁止したル・シャプリエ法(91年6月)に抵触する恐れがあるため、政党存在しません。そのため、どの派でもない、審議内容ごとに立場を変える中間派(平原派)が、この時期に限らず常に議員の多数を占めます。そのため派閥議員数だけでなく、中間派の動向(またその動きに影響を与える議会外の動向)が重要になります

また議会内の各派の勢力数自体も確定したものではなく常に流動的で、各勢力をどう呼ぶかにかんしても文章によって違うことがあります

議会の中心的課題は、周辺諸国からの脅威にどう対処するかです。(それと穀物価格の上昇に対する価格統制の要求に対して、革命後の基本原則である自由主義あくまで守るのか、民衆要求を受け入れるのかも問題になっていきます)

これに対してジロンド派は、国内の不満をそらして(インフレにより物価が上昇し各地で食料暴動が発生していた)政治イニシアティブを獲得するために「自由の十字軍」などの言葉対外戦争あおります民衆の多くも「外国と共謀する亡命貴族」への脅威と愛国感情の高揚から戦争を望んでいました。

92年3月、フイヤン派大臣が王によって解任されジロンド派内閣が成立し、4月にオーストリア宣戦布告、数週間後にはプロイセンとも戦争に入ります(戦争ナポレオンが二度目の失脚をする1815年まで中断もありつつ続くことになります)。

しかし緒戦から敗戦が続き、「反革命」者へのより強力な措置を求める声や宮廷への不信から共和制を求める声が高まっていきます。またセクション(区)の政治活動を通じて民衆政治的組織化されていきます

そうした流れが最終的に民衆と連盟兵による8月10日のテュイルリ宮の襲撃に行き着くのですが、この事件偶発的に起こったバスティーユ襲撃とは異なり王の廃位を求めての組織された行動だったにもかかわらず、そこに至る決定的な原因があるわけではないので要約しづらく、フランス革命の大きな転換点の一つのわりに説明しにくい事件です。

ここでは事件の結果だけ述べると、立法議会は蜂起側の勝利がはっきりした後、王権の停止を宣言し、新たな憲法を制定するための国民公会召集を決議します。これでフランス共和制に向かうことが確定します。また国王一家はタンプル塔に幽閉されることになります

王の処刑、戦争の拡大、ジロンド派の没落(1792年8月~1793年6月) (革命勃発後4年目)

(戦争フランス軍の劣勢から優勢に変わり周辺領土占領します。93年1月には国民公会裁判結果により国王が処刑されます。周辺領土占領国王の処刑を原因として周辺諸国の多くと戦争突入し、さらに国内ではヴァンデ地方を中心に大規模な反乱が起こります議会ではジロンド派山岳派の対立が深まっていき、国内外の諸問題への対応のまずさからジロンド派民衆の支持を失い、93年6月ジロンド派逮捕議会から追放されます)

8月10日王権が停止しますがフランス軍が劣勢の状況にあることは変わりません。義勇兵がつどわれ前線への準備がなされる一方、反革命裏切り者排除する空気が広がり、家宅捜索がなされ多くの反革命容疑者逮捕されます。さらにパリへの侵攻の脅威が高まり義勇兵が出発したあと反革命者がパリ住民を虐殺するという噂も流れ出します。

そうした不穏な情勢のなかヴェルダン要塞陥落のニュースパリに届きます。これをきっかけとして、囚人の多くが殺されるいわゆる九月虐殺が発生します。

この事件の結果、内の脅威が消えたと民衆が大挙して義勇兵に参加し兵数万を増やすことになります

一方、この事件国外からの印象を非常に悪いものします。宥和政策を取っていた隣国スペイン首相宥和政策撤回せざるをえなくなり、またフランス革命開始時には革命好意的だった知識人たちも国王一家の幽閉と九月虐殺で決定的に革命嫌悪に転じます

戦況にも変化が生じますフランス軍はヴァルミーの戦いで勝利し、戦況が優勢に転じていきます。なお多くの本でこの勝利はフランス兵の志気の高さによるものと説明されていますが、志気が影響するような戦いではなく兵と砲台の数の差によるものといった指摘もあります(たとえば『近代ヨーロッパ情熱と苦悩』)。

そのヴァルミーの戦いと同日、国民公会が開会します。

普通選挙でしたが投票率は悪く、ほぼブルジョワ議員で占められていますフイヤン派出馬していないので議会におらず、共和制穏健派ジロンド派共和制急進派の山岳派、それに中間派という構図です。(ジロンド派ジャコバンクラブを脱退していくので、山岳派=ジャコバン派とも呼ばれます)

ジロンド派経済的政治的自由主義を維持し議会主導で政治をおこなうという近代的な原則あくまで重視し、山岳派革命の推進と防衛のためには民衆要求も受け入れ民衆運動の利用もありと考える現実路線です。

……とまだまだフランス革命の時期は続いていくわけですが、予想外に長くなったので中途はんぱなところですがここまでとします。

93年1月に国王が処刑され、6月ジロンド派の追放で山岳派一党独裁(ただし基盤の脆弱独裁)になり、恐怖政治の時代が翌94年7月まで続き、ここで一区切りとなります

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