はてなキーワード: 渡来とは
>地球に財産があるとしたら、私は生物と資源と発明品と文明だと思う。
生物はともかく、他は有り得ない。
宇宙人が地球にやってくるには時間と空間を操作できる技術が不可欠。
それだけの技術力があれば近くの木星に似た惑星からいくらでも資源が取れるだろうし、
この広い宇宙でピンポイントで地球を見つけてやってこれる観測技術があるなら
時間移動してある時空までいって取ってきてもいい。
惑星に寿命がきたら火星に移り住もうとしている人間みたいに住めるところ増やせばいい。
ブラックホールからエネルギーを取り出すことだって可能と考える方が自然。
資源も発明品も文明も渡来してきた宇宙人からしたらチンカスレベル。
もし宇宙人が地球人を滅ぼすつもりなら正面対決なんてせんだろ。
裏で人類が滅亡するように気候操作したりウィルスばらまいたり人間同士の戦争を劇化すればいいだけ。
もしそれで環境が破壊されても人類のいなくなった生態系が回復するまで時間移動すればいいだけ。
人間の科学レベルでしか発想しないとそういう考えに至りがちだけど
https://anond.hatelabo.jp/20180105123031
への補足
科目の目標
国語を適切に表現し的確に理解する能力を育成し,伝え合う力を高めるとともに,思考力や
想像力を伸ばし,心情を豊かにし,言語感覚を磨き,言語文化に対する関心を深め,国語を尊
重してその向上を図る態度を育てる。
(1) 事項
(1) 「A話すこと・聞くこと」,「B書くこと」及び「C読むこと」の指導を通して,次の事項
について指導する。
(ア) 伝統的な言語文化への興味・関心を広げることについての事項
(ア) 言語文化の特質や我が国の文化と外国の文化との関係について気付き,伝統的な言語文化
への興味・関心を広げること。
「言語文化の特質」とは,我が国の言語文化の独自の性格やその価値のことであり,微視的には,
作品一つ一つに表れた個性と価値,巨視的には作品を集合的にとらえた時代全体の特質,さらに現
代につながる我が国の文化全体の独自性のことである。ここでは主に古典を教材とした指導を通し
て,生徒がそれに気付くことを求めている。
「我が国の文化と外国の文化との関係」を取り上げているのは,我が国の文化を理解するに当た
って,中国など外国の文化との関係が重要となるからである。我が国は中国の文化の受容とその変
容とを繰り返しつつ独自の文化を築き上げてきた。その経緯を踏まえ,古文と漢文の両方を学ぶこ
とを通して,両文化の関係に気付くことが大切である。古来,我が国は,文字,書物を媒介にして,
多くのものを中国から学んだ。その結果,漢語や漢文訓読の文体が,現代においても国語による文
章表現の骨格の一つとなっている。漢文を古典として学ぶことの理由はこの点にもある。
ここで,
「外国の文化」としているのは,高等学校では,近代以降の言語文化も視野に入れて幅
広く伝統的な言語文化について扱うこと,また,我が国の文化は,近世以前においても,南蛮渡来
といわれたヨーロッパの文化の影響もあることなどを踏まえたものである。
「伝統的な言語文化への興味・関心を広げる」ためには,古文と漢文だけでなく,古典に関連す
る近代以降の文章や,伝統芸能,年中行事など,多様な方面からアプローチすることが大切である。
現在,我が国は一層の国際化に向かい進んでいるが,その中にあって我が国の伝統的な言語文化の
独自性と価値を知り,それを尊重する態度の育成は,これまで以上に重要になっていることを認識
する必要がある。
(内容の取扱いの(5))
イ (1)のアの(イ)については,読むことの指導に即して行うこと。
生徒は,古典を読むのに必要な言葉のきまりの基礎的な事項について,中学校で学習している。
「文語のきまり」には,文語文法のほか歴史的仮名遣いなども含まれる。特に現代語と異なる古
文特有のきまりに重点を置いて,仮名遣いや活用の違い,主な助詞・助動詞などの意味・用法,係
り結び,敬語の用法の大体などについて指導し,古文を読むことの学習に役立つようにする。
「訓読」とは,元来中国の文語文である漢文を,国語の文章として読むことである。
「訓読のきまり」とは,訓読に必要な返り点,送り仮名,句読点などに関するきまりをいう。これらのきまり
についての指導は,教材の訓読に必要な範囲内で適切に行う必要がある。なお,訓読は,おおむね
文語文法に沿った読み方をするが,普通の文語文法では扱われない訓読特有の伝統的な読み方もあ
ることに注意する必要がある。
なお,内容の取扱いの(5)のイに示しているように,文語のきまり,訓読のきまりについては,
詳細なことにまで及ぶことなく,読むことの指導に即して扱うとする考え方は従前と同様である。
(2:52 解説より追記)
古典を読み味わうためには,古典を理解するための基礎的・基本的な知識及び技能を身に付けて
いなければならないことは言うまでもない。しかし,従来その指導を重視し過ぎるあまり,多くの
古典嫌いを生んできたことも否めない。そこで,指導においては,古典の原文のみを取り上げるの
ではなく教材にも工夫を凝らしながら,古人のものの見方,感じ方,考え方に触れ,それを広げた
り深めたりする授業を実践し,まず,古典を学ぶ意義を認識させ,古典に対する興味・関心を広げ,
(ク) 我が国の伝統と文化に対する関心や理解を深め,それらを尊重する態度を育てるのに役
立つこと。
(ケ) 広い視野から国際理解を深め,日本人としての自覚をもち,国際協調の精神を高めるの
に役立つこと。
(ク)及び(ケ)は,国際化への対応を考慮した観点を示している。我が国の伝統と文化に対する関心
や理解を深め,それらを尊重することは,我が国と郷土を愛する態度を育成することになる。また,
それは異文化理解の基礎を培うことにもなる。日本人としての自覚をもちながら世界の中の日本の
立場や役割を考え,国際理解を深め国際協調の精神を養うことは,世界的視野に立って国際社会に
貢献しようとする態度の育成につながる。
昭和の集合住宅に住んでいて平成不況と人口流出で空室が多いんだが、火災報知器が昨日誤作動して消防出動の事態になったからか、工事をしていてうるさい。うるさくてつらいので、ヘッドフォンで昔に買った音楽を聴いている。それでふと思い起こしてこの人のブログを見たんだが、いまも死んだペットのことに執着しているらしい http://ameblo.jp/mariko-kouda/entry-12243053638.html
さて、私は仏教徒だから遺骨には執着しない。遺骨に後生大事に執着するのは儒教徒だ。ちなみに中国で仏教と儒教が習合してしまって渡来したから日本では混同されている。
私は数年前にもペットが死んだけど、遺骨は残さずにパアッと処分してしまった。私は、片親殺されているが、親の遺骨を相続したくないし、親の遺産も相続したくない。
遺骨が残るのは、超高温でもなければ燃え残るからだ。火葬にするのは、インドではおそらく、遺体が腐ってむごくなるのを避けたかったから火葬にしたわけで、そうやって火葬された人の霊魂は報われていいとこに生まれかわると信じられていた。だから、偉い人、偲ばれている人は、火葬にされる。火葬にもされなかった人はいいとこに生まれかわれないと思われていた。
遺骨は残さない方が本当はよい。遺骨に執着するのは凶相だ。ちなみに世の中には「お焚きあげ」というのがあるが、捨てるに捨てられないものを焼却処分してもらう、ごみ処理である。以前流行った(流行らせた)ことばでいえば「断捨離」である。例えば写真にしても、焚きあげて処分してもらう。それを、いまでも世の中にはなんでもかんでも写真に撮りたがる人々がいるが、画像データが大変だ。そして、見て記憶に残すことを忘れて、カメラで撮るのに必死になっている。
「千の風になって」ではないが、遺骨はナノ単位にでも砕いて風葬にでもした方がよい。それとも、処分に困ったら一心寺にでも持っていけばいい。遺骨を墓碑か寺院にでも納める人は多いと思う、遺骨を手元に置いて仏壇にでも納めていると大変だ。ましてや、遺骨や位牌に執着して逃げ遅れて死ぬ人がいるが、正直に言って客観的にみて、滑稽だ。
遺骨は生きていないし、生前のものでもない。古代エジプト人ではないから、ミイラにしたらいつか復活するとも思っていないし。
生きているというのは状態であって、実体ではない。生きものというのは状態である。
死んでもうこの世にない生きもののことは、記憶には残る。忘れられない。しかしその記憶も所詮は細胞の状態でしかない。記憶している人もそのうち死ぬ。残された記録もデータであって、実体ではない。
日記であろうが、枕草子であろうが徒然草であろうが愚管抄であろうが、経典であろうが、データである。日本では驚異的なまでに昔の経巻が保存されているそうだが、それも経巻の内容より経巻そのものに執着し信仰してきたかららしく、「御真影」ではないが火事になっても必死に経巻を運び出したからだそうだ。しかし経巻を後生大事にとっておいてもしかたがない。それなら中村元の岩波文庫のやつでも読んだほうがよい。
そうならないのは、貴重な経巻が残っているということが寺院の資産であり「箔」が付くからでもあり、それで檀信徒から財施(供養)をもらっている。法要にでもなれば、漢訳経典を暗誦するんだが、聞いている方は意味不明だ。我々は漢文のネイティブではないし、そもそもその漢文はいま「生きている」言語ではなく中国に行っても話さないだろう、ラテン語みたいに学術上のものでしかない。それでもその檀信徒が財施をするのも、彼らがモノに執着しているからであり、だから古い仏像とか経巻とか建物とかをみて大したもんだといい、布施をするのである。そして、経典の中味ではなく、経典を読むこと自体が目的化している。
あの人も、遺骨もアロマドームも生きていないしうまくすれば朽ちないだろうから、後生大事に持っていれば何十年後かわからないが自分が死ぬ方が先だろう。
忘れられないのはわかるし、忘れてはいけないのかもしれない。死なないと消えない記憶というのは、ときには快いかもしれないし、ときには残念かもしれないが、ある。空襲だか「鉄の暴風」だかに遭ったり、ベトナム戦争だかイラク戦争だかに行ったりした人は、忘れられないトラウマが残ってつらいものである。ヘタすれば人は80年とか100年とか生きられてしまうから大変である。しかしその記憶もデータであって、細胞の状態である。
本当に火事になったら私は死ぬかもしれないし、そうでなくとも私もいつか死ぬ。いま聴いている音楽も、データでしかなく、ディスクがクラッシュでもしたら消える。人類が滅亡したらヒトの遺伝子も失われる、それがいつのことかは、ちょっと、わからないけど。
それにしても、あの人もそのうち50である。どうなんだろう。たしか40を「不惑」とかいったと思うが。当人も、未だに残っているファンも、互いに執着して、共依存して、期待される姿を互いに演じて定着してしまっているということもあるかもしれない。しかしそうした姿は、私の望んでいることではなかった。
【石川県】・・・『石川県の"モーゼの墓"は税金で管理されている』
【広島県庁】・・・『広島県庁社団法人広島県観光連盟は葦嶽山を"世界最古のピラミッド"と発表している』
【青森県新郷村】・・・『新郷村役場は"キリストの墓""キリストの遺書"の存在を公式に認めている』
【出口王仁三郎】・・・『日本人シュメール起源説』 『世界最古の文明を作ったのは日本人』
【日本画家鳥谷幡山】・・・『ピラミッド日本起源説』 『日本ピラミッドを発見』
【牧師勲五等酒井勝軍】・・・『日本ユダヤ共同起源説』『ピラミッド日本起源説』 『日本ピラミッドを発見』『古代イスラエルのオニックスを日本で発見』
【アイヌ研究家小谷部全一郎】・・・『源義経=ジンギスカン説』 『日本ユダヤ共同起源説』
【皇祖皇太神宮神主竹内巨麿】・・・『竹内文書』 『神代文字』 『日本は人類発祥の地』 『モーセ、キリスト、ムハンマド、釈迦は来日し天皇に仕えた』 『青森で"釈迦とキリストの墓"を発見』
【政治家考古学・地質学者山根キク】・・・『キリスト日本渡来説』『青森でキリストの子孫を発見』
【日本探検協会事務局長幸沙代子】・・・『漢字を発明したのは日本人』
【東大経済学部卒探検協会会長高橋良典】・・・『太古、日本の王は全世界を治めた』
【帝大(東大)卒歴史学者木村鷹太郎】・・・『世界文明の起源は日本だとする"新史学"を提唱』 『世界中の古代遺跡は日本人によるもの』 『邪馬台国は古代エジプトにあった』
『ホメロスの「オデュッセイア」は「平家物語」や「太平記」を元に書かれた』『ムハンマドは日本神話の本牟知別命であり桃太郎。この伝説が英国に伝わり「ハムレット」になった』
『ソクラテスは日蓮、プラトンは日昭』 『西郷隆盛は自刃せずベトナムへ脱出した。"サイゴン"は"西郷"の名からつけられた』 『イタリアのシシリアンは江戸の町奴だった』
いやそれもちょっと違う。
アーサー王はローマがブリテン島から撤退した後の混迷の時代の概念。
純粋なケルトでなく、先住ブリトン人(厳密に言えばブリトン人すら先住でなく先住者と外来者の融合だが)と征服者ローマの持ち込んだものが融合した、ローマン・ブリトンの文化の守護者的位置。
年代順に大雑把に書くと
年代 | 来た民族 | 系統 |
新石器時代 | 先住民(ストーンヘンジ作った) | 民族系統不詳 |
青銅器時代 | ビーカー人の渡来 | 多分ケルト |
鉄器時代 | ベルガエ族等の渡来 | 大陸ケルト |
紀元43年 | ローマによる征服 | ラテン |
紀元407年 | (ローマ撤退) | -- |
暗黒時代 | アーサー王の設定年代 | 「ブリテン」 |
中世初期 | アングロサクソンジュートの侵攻 | ゲルマン |
10世紀末 | デーン人の侵攻 | ゲルマン |
1066年 | ノルマン・コンクエスト | ゲルマン |
それぞれの時代でやってきた民族は先住民と混ざり合って混合した文化が生まれる、の繰り返し。
以上4者が混ざった存在。
ついでに、ローマ時代に一度、ブリテン島にキリスト教が入ってきてるのも話をややこしくする。
これをブリテンと呼ばずにケルトと呼ぶのは割と無理があるよ、流石に。
まあ第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも目覚めなかったねぼすけに期待する方がもっと無理だけどな!
(お前それ書きたかっただけだろ)