「果物ナイフ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 果物ナイフとは

2018-06-28

うちには刃物が3本ある

万能包丁パン切りナイフ果物ナイフ

一人暮らしからこれで十分

カッターやハサミを含めたらもう少しある

そんだけ

特に結論はない

2018-05-19

どこいけば安全に過ごせるのか

人の多い場所だとイチャモンつけられ果物ナイフで刺されて死ぬ

農村に済むと近所トラブルから包丁で刺されて死ぬ

 

一体どこに住めば安全に過ごせるのか

2017-10-29

ルールから守れ」

車にマイナスドライバー果物ナイフも載せっぱなしだし、技適のない機器も持ってるし、トランポにするために車の座席を降ろしたこともある。

当然全部違法だし、ネット議論でもだいたいは「ルールは守れ」みたいな意見が優勢になる。

なのに、だよ。「いくら校則だろうと、茶髪を黒染めさせるのはけしからん」という批判の大合唱

なんなんだよこいつらは。不当なルールは守る必要ないって言えよ!結局自分に興味のない、関心のない価値観上ぇ物言ってるだけじゃねーか。みんながおとなしく従うから、それが前例となり続けるんじゃないか

2017-09-21

anond:20170921162350

男「殺すつもりでした」

弁護士「そうそう。『殺すつもりでした』と言えば、騒ぎが大きくなって同情されると思ったんだよね」

男「え・・・。あの。。。はい。そうです。」

弁護士「だいたい、本気で殺すつもりなら果物ナイフよりも出刃包丁でしょ。

発煙筒なんか焚いたら、殺す前に避難されちゃうよね。

から、この事件狂言なの。」

男「・・・そうっす。」

2016-04-27

剥離と乖離

表現で剥離と使うと乖離と言い間違えたと指摘され誤用と扱われる。

しか乖離という表現一般的だと知った後でも、どうも剥離の方がしっくりくる時がある。

乖離淡々距離が離れていったイメージ

剥離は無惨にベリベリ剥がれ堕ちていったイメージで、そんなイメージから剥離を選びたいような気がしてきたりする。


(追記)

上記の文章を書く前に調べたら知恵袋で似たようなことを質問してる人がいてそこでも大体一般常識から~という論調ボコボコにされていた。

トラバ概念物理的かの違いは分かりやすく納得がいったが、ブコメは大体一般的から~とかい物言いばかりで、そういう話をしているのではないのになと思った。

選手の延々と永遠も、自分はやっぱり延々派だけど所詮ツイッターだし本当に「永遠」と言いたかった可能性もあるなと思うし、それが悪かというと悪ではないよなと思う。

彼の場合普段から色々と突っ込まれやす発言が多かったから強く言われてしまうんだろうなと思う。


常識とか一般的という考え方も危ういものだ。

そもそも言葉というものは元来変化していく前提の下にあるものだ。歴史がそれを証明してもいる。

文化言葉はいつでも発展途上にあるもので、だからといって古いものが悪いわけでもないが新しいものが悪いわけでもない。

古いものもかつては新しかったものだし、似ている意味の諺や慣用句がいくつがあるものもあったりする。

延々と永遠みたいなのも意味は容易に想像がつくし結果大半がほぼ同じ意味だととることができるだろうから片方が100点でもう片方を0点とするまでの差はないだろと思う。

正式で厳格な論文とかならともかく呟きや日記程度で堅苦しい言葉の使い方や使い分けを強要するのはつまらないなと思う。

(そもそも論文とかの方が一般的に分かりにくい表現文章になっていたりもするが)

果物普通包丁で切っている人に対して果物を切るとき果物ナイフしか使っちゃダメだというようなものだ。

文章を書いた者があえてその言葉表現を選んだ意図意味想像するのも一つの価値となるはずだ。


知り合いの英語教師から聞いた話だが、正しい日本語言葉の使い方だなんだとうるさく文科省指定したりするのは日本くらいで、

海外では野放しなので、日本が教える外国語と実際現地で一般的に使われる外国語に大きな差が生まれしまっているとか。

そんな中でも漢字語句の読み方というのは語句表現比喩用法よりも明確に正しいか間違ってるかが分かりやすく決めやすものだと思う。

しか現実には明らかな読み間違いですら常識化されて、それが一般的になってしまった例がいくつもある。

それに比べると表現語句用法というのは厳格でなくてもよく、個々の好みや裁量が広めに許されるべきだろうと思うが…。

ブコメでも文学的表現であればしっくりくる方を使えばいいというコメントがあったが、表現の話なんだからそういうことを言いたかった。


あとキャラクターシナリオの剥離の記事は書いてないし読んでもいないが、その場合にも意図によっては剥離使うのもありかと思う。

剥離はくっついてたものが離れるという意味というコメントもあったが、だからこそそっちが合うように思える時があるって話をしていた。

まあトラバ概念物理の話が本当なら乖離が正しいと思うが、既に結構よくある誤用例らしいし後に使用許可される範囲が広がっていくのかもしれない。

自分の言いたかった内容と大半のブコメ民の理解乖離していたので長々と追記を加えることになってしまった。

2016-01-15

押し込んでいたものが出てきた

忘れたと思っていたのに。

駅に迎えにきてくれた男の姿と、次の日に産婦人科エコー検査を受けた事。とっても小さなおなかのなかの子供のエコー。ちいさいねという言葉に、まだとっても小さいからこれで全身を撫でた事になるかな、と言いながらおなかに触れた男の手。沢山食べても収まらない私の空腹に薄切りの羊羹を持ってきて、ピタッとそれが収まった時に「僕の子だね。羊羹で納得したらしいや。」、と笑った男の声。

その後に、果物ナイフ脅迫と、めちゃくちゃに荒らされた部屋と、自分が殺される出来事が待っていたのだから、みじめな話だな。


殺される前。ほんの2日の間の話。今の私が持っているただ一つの幸せ時間。封じ込めていた恐怖の底に、目を背けつづけた恐怖の底に、まだ残っていたのだね。

ごめんね。お母さん弱くて。あなたを産んであげられなくて。ごめんね。

2016-01-14

医学生

この自殺殺人は、目の前で果物ナイフを振り回され、脅された私がショック状態で真夜中に病院に連れて行かれたところから始まっている。そこで診察を受けてレントゲンをとって急性の出血などが無い事が確かめられた後に、私はまたその女が脅すために戻ってくると危ないという事で、車の中で明るくなるまで過ごす事になった。

そして部屋に戻るとそこはすさまじい状態に荒らされていて、私は更にショックを受け、男はその凄まじい状態に荒らされた部屋に立ちつくし、私を殺して自殺するという行動に出ることになった。その時の男は、警察を呼んでという私の言葉に一切耳を貸す事はなく、どれだけ警察を呼んでと叫んでも黙々と進めていたのは死ぬための準備だけだった。私は絶望から、考える事を止めた。


激怒によって男の身勝手理由による自殺、私を道連れにした死を逃れても、次にそこに現れたのはもっと惨たらしい状態だった。荒らされた部屋には次々と医学生達がやってきたのだ。女が住む事が出来ないほどに荒らしたその部屋は、その医学生達の破壊の結果だった。何人も何人も「知らなかったんだ。知っていたらそんな事に加担しなかった。」という事を言いに、医学生達が飛んできた。

ぼろぼろの状態になっている私を見せない為に外で話をしている男と彼らの話し声が聞こえていた。


彼らはみな「自分がしたのは部屋の破壊への加担」つまり恐喝への加担である事を自覚していた。それが警察によって犯罪として調べられるものだという事も。その男が置かれていた状況を知らなかったという事でそれを逃れる事は不可能だという事も。保身。医学生として自分が居続ける為の。確かに彼らが「巻き込まれた」のは事実だったのだけれど。

そして彼らの言葉とその凄まじい部屋の荒らし方は、彼らが自分が正しい事をしていると考えていた事を私に教えた。つまりは私が大切だと思っていた男は、なんとか恐喝されている状況から助け出したいと願った男は、周りから親子ほど年齢が離れている女と夫婦気取りで長年暮らしている男として見られていたのだと、私ははっきりその時に理解した。


男は、私が刃物を突きつけられて脅された事も、その後に自分引き起こした惨たらしい自殺未遂殺人未遂の状況も、その医学生達が女に加担させられた犯罪行為を表に出さない為に、みな隠蔽してしまった。そこにいた医学生達が学校から処分を受ける事を避ける為に。そう医学生はとても大切。踏みつけて構わないのは力のない側。

本当に文字通り飛んできた医学生達を、私はみな覚えている。彼らが凄まじい状態荒らした部屋によって、私は男に連れまわされ実際に「死ぬ」状況を何度も体験させられたのだからガラス戸ごしに見た必死に話している彼らの顔と名前を、今でも覚えている。


もちろん、自分達の犯罪行為によって目の前の男が自殺殺人を決行していた事を、神様が見ていてくださった事で私がそれを生き延びる事が出来た事を、彼らは知らなかっただろう。


私は今、そこで起きた事をこうして書くことにする。あなたのした事が、私を殺す為の行動を男にとらせたのですよ、と。



相談電話警察官の様に、「あなたは生きているのだから、殺されてはいない」とは言わないでください。近しい人間に、好き勝手理屈で突然殺されてしま状態に置かれた私は、その後生きる事が出来なかったから。自分達がした事が何だったのか、私はそこにいた医学生、今は医者として働いているだろう男達にはっきり見てほしいと思っています。私が殺されるきっかけになった事件引き起こし人間として。もちろん私にはそんな力はないので、機会が得られる事は無いでしょうが

2016-01-13

果物ナイフ

つきつけられたナイフの光る刃。脅迫と、怒鳴り声。振り回されるナイフ警察を呼んでと叫んでいる自分の声。それは私が殺される前の日のことだった。

刺されていればよかった。死んでいればよかった。そのまま女は刑務所の中。私はその後の更に酷い多くのものを見ないですんだ。死んでいればよかった。

ひどい腹痛。病院の診察室。知り合いらしい医師と話していた男の声。診察してくれた医師が飲んでいたお酒のにおい。真夜中の病院

切れ切れに浮かんでくる沢山の恐怖の中で、刺してやろうかと脅す女の声がまだ聞こえる。

私は自分に起きた事を拒否した。自分存在している事を拒否した。記憶ほとんどない。

2014-11-07

自分人生で多分一番最悪だった日とその周辺のことを書いてみる。

とある人に見せるためと、自分のために書いたものだけれど、ここだと改行もできるので全体公開でいいかなと思った。

変な文体だし、省略した部分もあるし、誤解が入っている部分もあるかもしれない。

三回ぐらい最悪だった日のことを文章漫画にしようとして書いたりしていたのだけれど、どれもうまくかけないので、上手くかくことを諦めてみた。書くことでひとくぎり付けれたらいいなと思う。

私は他の人よりも変な考え方をしている面があるのかもしれないので、あらかじめ断わっておく。

ちなみに文中の今日11/06のことを指している。

―――

包丁を変えようと思う。

気が付いたら11月だったし。11月は嫌なことがあった月だったように記憶している。

一人暮らしなので自主休講しようと親にバレない私だが、最近どうも大学に行けていなかったのだが、11月だったからかなと今日思った。

包丁自分一人暮らしを始める際に母が兄から買い上げて、そのまま私に与えたものだった。

兄の元で新品状態だったので、母が見かねて兄が購入した代金をそのまま与えて、今包丁は私の手元にあるのである

しか5000円?オールステンレスっぽい。

ちょっといいお値段で、スルスル切れる。

見た目もかっこいい。

でも包丁に関する思い出が纏わりついていて、私はこれを捨てたらちょっと落ち着く気がするので、新しい包丁を買おうと思う。

兄が一人で包丁を買ってきた理由が「護身用」だったのだ。筆箱にカッターナイフを入れておかないと不安だと言っていたことの延長のようだった。

あのころの兄は特別ちょっと頭がおかしかった。

攻撃的なことをブツブツと言っていた。いじめられた経験や肉体的に辛い病(痒みなど)に精神がやられていたのかもしれない。精神病院に入りたいとさえ言っていたが、普段から愚痴っぽかったりしたので、他の問題もあって家族放置していた。

兄は持病こそもっているものの、ストレスを多大に受ける学校職場に居たわけでもなかったし、精神病院は金がかかるというのが理由だった。

それで、確か11月にちょっと事件があった。弟が兄に突っかかって、気がたっていた兄は繊細な面もある弟を何時間か罵った。

私は最初晩御飯を食べていたように思う。食べ終わったら移動した気がする。私が移動してから、終盤には母が泣きながら泣いている弟を庇っていたが、私が庇おうとするとどうせこじれるだけだろうと思っていたのか、放っておいたように思う。母親子供の一人と対話するときに他の子どもがまぜっかえしたりするのが嫌いだったからとか、弟が頭のおかしい状態の兄につっかかるのがアホだと思っていたかもしれない。

ここらへんはいまいち覚えていない。そういや父親はなんでこんなことをするのかと兄に聞いていたように思う。

母の静止も聞かず、弟は家を飛びだした。両親は探しに行った。私は家に居た。

弟は警察に泣きながら駆け込んでいたらしい。警察救急車が来た。

弟は自分が母を切りつけたと嘘の通報したわけだけど、家に居た私は初めて警察に応対した。警察って怖かった。違う人が同じこと何回も聞いて来た。そして警察は不躾なことをいうものだなと思った。

近所のヤンキーがにやにやしながら写真撮っていたので今でもあいつは死ねばいいのにと思う。殺意が湧いていた。にやにや笑うやじうまにみんながならないことを願う。警察は止めなかった。

近所のおばちゃんが、誰も怪我してないのね、よかったと私を抱きしめてくれたので、近所のおばちゃんは神だと思った。

警察は結局家には入らなかったけど(両親も来て無事に警察救急車は帰っていった)、警察が家の前に来る前に自分居間包丁果物ナイフ?を持って座って一人でブツクサ言っている兄を確認して「わお」って思ってた。

兄を見て、思春期になると包丁を持ち出しながら殺してやるって言って家の中をうろうろしつつ何もしないのが全国スタンダートかと勘違いしていたこともあった私だったが、さすがに異常事態というのは現実との仕切りも境も無いものなんだなと思った。

ひとまず兄の精神は見るからにやばかったし、(ほっといたら首つって自殺してるかもと冷静に思った)警察が帰った後、弟は兄と同じ屋根の下にはいられないと近所(徒歩10分程度)の祖母宅に避難したが、近所の祖母もまたことあるごとに「信仰心が足りなかったから」などと口にして人を追い詰めるタイプだったため、クッション役なのか、母親も弟につきそった。父は基本的に穏やかな性格ではあるが家族間の調整役として役に立たず、逆に兄を刺激するかもしれないとして、同じく祖母宅に泊まることになった。

自分は当時、自分なりに家族を調整しようと頑張っていたようだった。

「私は家に残ってた方がいいよね?」みたいなことを母に電話したように思う。

自分から言ったのか、母から提案されたのか覚えていない。

それで、精神おかしいと認定された人間の隣の部屋で私は寝ようとして、熱が出た。人生の中で今のところ最悪な夜は明確にそれだった。

…今考えたら兄を警察に引き渡していたら私は安全100%だったことに気付いたが、家族前科者ってのも嫌なのでまぁ結果的によかったのかもしれない。

私は布団の中で涙が出て来るし、携帯友達メールしてた。ポカリとかあると良いよ、大変だったね、近くに住んでたら行けたんだけどって話を聞いて、私はとても心強かった。友達のおかげで私はあの時期を生きていたように思う。

○○ちゃんのこと、もっと家族は顧みるべきだよという旨の言葉を言って貰えて嬉しかった。当時私は高校三年生だった。なのに年内に引っ越したいと言う話を聞いて私はぶち切れたりもしていた。

兄がいじめられた記憶のあるこの土地に居たくないからだとか言ったためであるように思うが、兄はヒキニートみたいな状況だったか勝手にどこにでも行けと思っていたし、受験生もっと支援されたり特別がられたり、お夜食差し出されるものかと思っていた。高3になったら家族の中でちやほやされるかなと思っていたけれど、運が悪かったのか、それとも他のことで頭いっぱいになれてよかったのか、高3の時の家が一番大変だった。

結論を言えば、最悪な夜はそれでおわりである文章にすると、大したことがなかったことのように思える。私は憎しみが基本的に持続しない性質だったし。それから何日かはやはり兄はやばかったがそれからマシになっていったし(いまだに早く死にたいとか言っているが)弟は高校に入ったら割かしのびやかな性格になり、友達もできたようだった。引っ越しの話も立ち消えになった。

母親も相当なトラウマになっていただろうなと思うが、私はちみちみとその夜の事を一人で掘り返しては悔しいなと思う。

私は殺されるかなぁと思いながら眠ったあの夜の何かが悔しい。

私はあの時の中家族の中で一番だいじょうぶだったか放置されたんだろうなと思うが、そのことに対してみかえりがないというか、褒められなかったというか、私の気持ちが踏み倒されたみたいで悔しいのだ。

母親から後でありがとうとは言われたが、死ぬかと思いつつも兄が自殺しないかな、包丁はもう持っていないかなと気にしつつ確認して寝たことに対して礼が足りないと思っているのかもしれない。

損をしたと思う。なげうったつもりだったのに、認めてもらえなかった。

もっと言えばその夜に家じゅうの武器になりそうなものバットドライバーはさみペンチなど)を自分の寝室の鍵がかかるところにしまっておいたのだが、後日父親が自分ドライバーを使うときに無いと言ったので自分の寝室から持っていてやったら、多分事情を知らなかったであろう父親が、不満げに私に接したことを根に持っているのかもしれない。

余談と言うか、他の日のことも書いておく。

11月の事件よりちょっと前だろうか、何日も物騒なことを言ったり、町の人間を殺してやりたいと言っていた口だけの兄に私は乱暴に罵った。数日前から殺すなら殺してみろという心持ちで、そういう切っ掛けを求めていたので「殴るぞ」と言われて「殺せるものなら殺してみろ」と言った。家族の前で殴られた後首を絞められた記憶はあるけれど、慌てて家族に制止されたにしても、平均体重の私よりも軽い体重で病の兄は力が弱く、到底私は入院と言うことにはならなかった。痕も残らなかった。

それと関係しているのか、時々私を殺せと思うことがある。ただのそういうフェチである可能性も否めないが、なぜあの時死にぞこなったんだろうなと思う。死ぬならあの時だったと思う。

私はずっと認められたかったのだ。この年にもなって恥ずかしい人間なのかもしれないけれど、大学生になって成績表が出ても誰にも褒められないのに虚無を感じるとか、劣等感がなぜか付きまとうので大学を辞めたいと思ったりしている。(こればかりは別の理由の可能性が高いかもしれないけれど)

小学生のころ兄が入院して母親が付き添って寝るので「留守番お願いしていい?」と言われた時に、うんと答えると子供だったけれど、兄に家族を取られたように思っていたのもしれない。兄弟がいなくて一人っ子だったらよかったのに、もしくは別の夫婦一人っ子だったらなとしばしば思った。優秀で自分に甘いお兄ちゃんが欲しいなぁ、あぁでもそうじゃなかったら要らないと、私の事情を知らずに言った友達に対して殺意が湧いたことがある。

兄も病で辛いのだろうとか、本心は優しい人間だとは知っているけれど、好きだけれど、何年もニート享受していて憎い。私もその立場にたったら周りは甘やかしてくれるだろうか?病人から。うらやましい。私は頑張ったのに、その分認めて貰えただろうか?

親は私に夜中に外出してはいけないなどとは言うけれど、死なれたり傷つけられたら困る程度の認識なのだろうなと思ったりもする。多分きっと愛されているのだろうけれど、兄弟の通院時間に彼らは母親ふたりっきりだったのだと思うと羨ましい。

大丈夫な私は別に構われなかった。

私も病気入院をしたりして構われたいと思う。それなりに中学校に行って高校に行って大学に行ったけれど、構われなかった。私も包丁を振り回したりしたらいいのかと思っていた時期もあるし、メンヘラになりたいけど医療費が怖いなと思ったりする。病人から見れば死ねと思われるかもしれないが、私だって行きたくない所は行きたくないし、ずっとクソニートしてる兄が妬ましいし、許容されることがうらやましい。もっと言えば、将来どうなるのだろう。兄を扶養する構図になる前に家を出ろとアドバイスされたこともあるが、私に母親や父親を捨てろと言うのだろうか。ていうかむしろ連れ去ってくれそうな人が居ないとひとりぼっちになってしまう。

11月のあの夜の後日談としては、叔父母親の兄)が、無事大学に入学できた私を一対一で回転寿司に連れて行ってくれたのだが、叔父中途半端に母から聞き出したのだろう、母を切りつけたと警察に駆け込んで証言したお前の弟は頭がおかしい、今は大丈夫だろうがだんだん精神病院に入れなくてはいけなくなるだろう、覚悟をしておきなさいということをおじさんの運転する帰りの車で言われた。

本当に頭がおかしかったのは兄だと言おうかと思ったけど、黙っておいたので話がまた広がることは無かった。けれど悔しくてメソメソした。その日の話は家族にはしてないけれど、後日叔父の娘(私にとってのいとこ)から「あのハゲじじいが変なこと言ったんじゃない!?ごめんね!!!わたしもあいつ嫌い!」ってメールが来たので救われた。弟はいまのところずいぶん元気であるし、精神病院の御世話にはならないだろうなと思う。兄の葬式をやることになるだろうかと風呂場で思うことはあるけれど、そうでないといいなと思う。

まぁ最近は、兄はそこまでは精神がひどくない。デトロイト・メタル・シティみたいなことは言わないし、嫌いな人間の体内に入って相手が一番困るときに穴という穴から出たいとか前は言ってたけど、今は言ってないだろう。死にたいとかオレは醜いとか言ってたセリフは、私の前では言わないけど時々まだ言ってるだろうなって思う。

私は死にたいとか自分死ぬべきだとか自分は醜いって思ってた時期もあるし今も時々そう思うけど、(家族にそう思ってるって伝えるぐらいで、友達にはそう思っていることを99%言わないけれど)ひょっとしたらこれはあのころのことを癒すために思っているのかもしれないと、ちょっと考えた。

あと関係ないけど、ジュースとかがこぼれてもびっくりするぐらい驚かずに「ああこぼれたな」って思って黙って拭くのはあの日あたりが起源かなぁと思っている。それだけ。

包丁の話に戻ろう。オチとしてあらかじめ作っていたんだけれど、中間がのびのびになってしまった。

私が別にこんなに切れ味の良い包丁を持っておいてやる義理も、時々それに関する思い出を思い出してやる義理も無いんだと思ったのだった。

メンヘラごっこじゃないけど、二の腕包丁を押し当てて、切れはしなかったけど赤い痕が残って、ふとそう思った。この二日間大学を休んで、アホみたいに寝たので頭がすっきりしてたのもあるかもしれない。

包丁事情を知ってる他人に渡すのも(そんなの数人だが)事情を知らない他人に渡すのも申し訳ないので、捨てたいのはあるんだけど貧乏性だし、燃えないゴミの日まではとりあえず新聞紙にくるんで仕舞っておこう。

なんで自分がこんなものを何年も使ってやっていたんだろう。

母親は家に来るたびに「やっぱりこれ切れ味いいわね」って言ってた。

実家からこの切れ味の良い包丁が無くなったのは、兄がキレた時に攻撃力の低いアイテムしか持っていて欲しくなかったかである

今日母親にむかついたので包丁変えますメールした。

「ごめんなさい。配慮が足りなくてごめんなさい」との旨のメールが来た。

罪悪感のようなものを抱く。別に親にはにこにこして、私を褒めてほしいと思うだけである

謝ってほしかった訳じゃないんだけど、少し区切りはつけられたかな。

2014-09-21

身内に刺された。

退院手続き終わってタクシー乗ったところ。

色々ぼかして書くが、刺したのは妹(学生一人暮らし中)。ちなみに俺は実家住まい

妹のアパート実家からまり離れていないので月に一、二度帰ってくる。

休日の昼頃、俺が即席ラーメンを作っている最中に妹が帰宅

そして出来上がったラーメンを食ってる最中に後ろから果物ナイフで肩を刺された、というべきか、振り下ろされた、というべきか。

傷は肩胛骨に到達するかしないかというレベルだったらしい。後遺症とかは一切なし。

真後ろから動かない妹の気配が気になって振り向いた瞬間に刺されてるので、おそらく頭を狙ったのが偶然狙いが外れたんじゃないかと思う(この事はまだ両親には言ってない)。

俺もその時相当なパニックになっていたようでよく思い出せないが、俺はナイフが刺さった状態で妹に救急車を呼ぶよう頼み、何故かパニックに陥った妹は買い物中だったお袋を携帯で呼び、飛んで帰ってきたお袋が肩のナイフを抜いて傷口にタオルを押し当てた状態でタクシー病院に行き、そのまま入院

動機は不明。今妹はお袋と一緒にアパートに居る。お袋とは何度か電話で話したが、とりあえず今は落ち着いてはいものの、この件について問いただすと動揺して泣き出し会話にならないらしい。

俺にも思い当たる節が全く無い。毎月帰省してくるとはいえ、生活時間が全くかみ合ってないので、ここ数ヶ月妹とは会話らしい会話をしていない。

あと、警察沙汰にはしていない。ただし、両親が信頼できるコネを駆使して心療内科方面を探し回ってる。

勤め先には、両親が俺が自宅で転倒して怪我をしたと伝えてあるらしい。

ちなみに、妹が実家に戻る日は大概休日の昼前で、俺はそういう日はだいたい昼過ぎまで寝てるのだが、偶然にもその日は何故か午前中に目が覚めていた。

もし当日もいつもの様に自室で寝ていたら、果たしてナイフはどこに突き刺さっていたのか。

まあとにかく、判断材料が全く無いので感情の沸きようが無いな。

お袋はしばらく妹のアパートに泊まり込み(とりあえず刃物の類は厳重に管理しておくよう言っておいた)。

親父もしばらくは勤め先から帰宅する前に妹のアパートに寄るようにするそうな。

2013-07-24

夏の豆腐

傾いて色の濃くなった日差しと、意外なほどに涼しい風が入る部屋で、スーパーレジから豆腐を取り出す。

昔の豆腐はパックの中でもっと水に浮いているような感じだった気がするが、そうでもなかったかも知れない。パックされた豆腐がどうなってるかなんて考えてこともなかった。そもそも昔っていつだろう。小さな頃は豆腐なんて母親が買ってきてぼくが目にするのはもう調理済みの豆腐だけだったんじゃないのか。それにしても最近豆腐納豆豆乳だと大豆製品ばかり摂っているな。

豆腐パックのラップはどの製品も揃って剥がしにくいので果物ナイフを立てて差し込み周囲を切り取る、一部が内側に飛び出たように曲がってしまったがいつものことだ。取り出すとき豆腐が引っかかり少し崩れてしまうことが少しだけ悲しい。

豆腐を深めの皿に乗せ水を切る。何か重石になる物を乗せなければならないが水を入れたボールでは後で傾いた時に水がこぼれて危ない。いつものように何枚か皿を重ねた物を乗せようか。水が切れるまでしばらく待つのは面倒だな。

ふと、豆腐に向けて手を伸ばす。手のひらを豆腐に乗せてゆっくりと力をかけていく。少し、水がにじみ出た。しばらくそのまま慎重に手を乗せておく。しかし水はもう出ない。もう少し押し込むとほんのちょっと水が出た。さらにゆっくりと力を強めていくがなかなか水は出てこない。不意に豆腐の各所に亀裂が走る。慌てて手を上げると白く四角く美しかった豆腐は片方の肩を下げたようにゆがみ、傷だらけになっていた。

思えば昔からぼくはこんな失敗ばかりしていたような気がする。豆腐の水を切るのには適切な荷重必要で、ゆっくりと水が出てくるのを待たなければならない。急いて結果だけを求めてもむしろ望んだ物は得られずにお互いを損なっていくだけだった。

明かりを点けずにいるにはやや薄暗くなった部屋でぼくは豆腐の皿に溜まった水を捨てる。

もう一度豆腐の上に手をかざし、手を閉じる。豆腐は大きく引き裂かれたけれど、思っていたよりは元の形を保っていて、いらついたわけではないけれど少し乱暴に追加で何度か握りつぶした。

崩れきった豆腐を乗せた皿を電子レンジに放り込み、タイマー3分間にセットする。

最初からこうすればよかったんだと自分に言い聞かせる。もう揚げ出し豆腐は作れない。

2009-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20090906221541

4.畳部屋

隣と階下の人に迷惑をかけないように.

カーペット引けばフローリングとそんなに変わらない上に騒音対策にもなる

やめなよ・・・

畳にカーペットは最悪だよ

ダニが一番わきやすい環境

掃除もめんどくさいし

フローリング掃除億劫な人でも簡単なのだからおすすめ

畳部屋だと家賃安くなるけどね

まな板が置けないって、調理スペースがないってこと?

それはあった方がいいけど、ミニまな板ならちょっとのスペースでも置ける

料理するならガス二口コンロが置けるスペースと調理スペースは必須だけど

梨くらいなら下に新聞紙なりチラシなり置いて果物ナイフで切れる 

泣かなくてもよろしい

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