はてなキーワード: ストラテラとは
そうなったのも最初のうちだけで、徐々に増薬している期間は「これほんとに効果出ています?」ってなる感じだったぞ〜。
はじめて飲む薬で一発目何も無い、ってことの方がないと思うけど、実際そう感じたので書いたまでですね
ただ語弊を産むのは確かなので、ストラテラを飲んでもガンガン薬聞いてガンギマリってわけではないし、むしろ副作用でゲロゲロ、ってパターンの方が多いのでご注意ください
引きこもりニート歴が半年を超え、いよいよ貯金も底を尽きそうだし、ヲタ活にも支障が出てきているし、いい加減働いて金を得なければ、とは思う。
思うんだけど、働きたくねえんだよな〜。
以前から自分の経歴はゴミのようだと思っていて、ゴミのようって言うかむしろゴミそのものなんだけど、その残念な経歴にニート歴も加わって、輪をかけてゴミ化しているなぁと。身バレしたくないのでゴミ以下の経歴の詳細は伏せるけど、私の履歴書には大学中退とかアルバイトとかそういう記載があり、資格欄は驚きの白さを誇る。
しかも発達障害者である。今日も財布を持たずに買い物へ行ってしまった。このやらかし何回目?せめてレジへ行く前に気付いて?
自分で自分に引くくらい不注意で忘れっぽくて、対策の一環としてストラテラを服用してはいるが、本当に効いているのか疑わしいレベルで何かしらやらかすことが多すぎる。
ちなみに薬の飲み忘れはほぼない。飲むべき時間になると、スマホに"薬を飲め"って通知が来るようにしてるからな!飲んだらチェックを入れるので、そこは抜かりない。
日常生活は抜かりだらけだけど。
話が逸れた。
とにかく、学歴も職歴もぐちゃぐちゃで、頭も欠陥品で、性格もこの通りな私は、自分に自信が持てないまま、やってみたい仕事もいまいち決まらないまま、ふんわりぼんやりとした感じでハロワへ通い就活をしている。
なるべく苦しまないよう働きたいので、企業には私が発達障害者であることを伝えた上で応募していいかを尋ねてもらい、オーケーが出たら書類選考へ進める。もしくは履歴書持参で面接。
電話でお伺いを立てた時点で断られると、応募すらさせてもらえないことに腹が立つものの、こんなクソゴミの履歴書なんて見るだけ時間の無駄だよなぁ、とも思う。
逆にハナから駄目だろうと踏んでいた求人で応募して良いよと言われると、なんで?!こんなゴミ以下でも一応目を通すかってなるくらい人手が足りてないんですか?!と疑問が湧く。
そう、めんどくさいんだ。私がめんどくさいやつなんだ。
結局のところ、私なんぞに目をかける企業って…と思ってしまうのが良くない。それが働きたくなさに繋がっている。
自分に何か価値をと思ってニート中に資格を取ろうとしたけど、すぐ飽きて続かなかった。
はあ、これからどうやって生きていこう…どこに折り合いをつければ働けるかな…働きたくねー…………
小中学校はずっといじめられてた。みんなが当たり前にできることができなくて、どうして自分にできないのか理解もできなくてパニックになってよく泣いていた。勉強はできなくもないけれど得意な訳でもない。板書が極端に遅くて、授業後はいつも黒板消し係の人に急かされていた。運動は目も当てられないくらいできなくて、友達も少ないから体育の授業の「二人組をつくって〜」で余るのが常だった。中学くらいになるとそういう時に相手を探す行為自体が無意味だと悟ったのでただ時間が過ぎるのを待っていた。そして先生と組む。
学校生活がうまくいかなくても頭がバカなので不登校という発想がそもそもなく、あと学校に行かないと親にクソほどキレられるので学校がある日は半泣きになりながらも登校していた。学校が嫌いだったから勉強も好きになれず、でも勉強しないと親に怒鳴られるので勉強は大嫌いになった。
勉強はしたくなかったから高校は普通科ではない少し特殊な学科を選んで入学した。これがたまたま合っていたのか、成績はクラスでも上位に入るようになった。授業は楽しいしクラスメイトも優しくて、初めて学校でいじめられなかった。高校を卒業したら同じジャンルの専門学校にでも行こうと思っていた。が、ある時担任にこの成績なら大学も視野に入ると言われ、それを親に話したところいつのまにか第一志望が大学になっていた。高三の頃には中学のいじめのフラッシュバックでメンタルが限界を迎え、卒業式も保健室で迎えた。遅刻も多かったけれど成績は維持できていたので、地元のそこそこ良い大学へ指定校推薦で進学した。
大学生活は大変だったけれど今までで一番楽しかったかもしれない。
勉強の習慣がなかったから毎日の予習復習ができるようになるまで二年かかった。基礎もできていないから授業にもついていけない。それでも、今まで学んだことのなかった社会学、心理学、哲学、法律、外国の文化、歴史、英語以外の外国語… 高校でやった普通科目がかなり少なかったのもあるのか、俺は義務教育でやったような国語算数理科社会みたいなやつだけが学問だと思っていたからとにかく衝撃で、全てが新鮮だった。
人間関係は相変わらずカスだったが、何とかグループに入れてもらってその人たちと一緒にいくつか講義を受けたりした。大学は一人でも勉強できる環境はあるけれど、「あの先生の講義は楽」
だの「この授業が面白かった」「課題の提出期限が変わる」「今度こういうイベントがあるらしい」とかの情報があると段違いで勉強しやすくなるから友人はいた方がいい。
大学三年のある日、そのグループの人たちに合わせて一緒に取っていた言語学関係の講義で発達障害の存在を知った。
俺のことかと思った。
俺が発達障害?
気になるとそのことしか考えられない。
数日後には県内の発達障害を扱うメンタルクリニックを予約していた。初診は1ヶ月後しか受け付けていないと言われたがメンクリでは珍しいことではないらしい。素直に1ヶ月待つ。
「恐らく、自閉症スペクトラムと呼ばれる発達障害の可能性があります」
絶望した。
自分が障害者なのかあんなに知りたかったのに、いざ面と向かって発達障害だと言われるとそこには絶望しかなかった。
俺は「あなたは発達障害ではありません」と言われたかったのかもしれない。自分は普通なのだとその証明を医者から貰いたかったらしい。そのことに、発達障害だと診断されてから気付いた。
今までできないなりに努力もしたつもりだったけれど、お前の能力では努力してもどうにもならないのだと、現実を突きつけられた気分だった。
医者に進められるがままにwaisというIQテストを受けることになった。
waisの結果は最悪だった。
総合的なIQは平均以下の90、特に低い処理速度が65、作動記憶が70。
自分のできないことが数字として可視化され、心理士に読み上げられる。情けなくて悔しくて、でも誰にもこの感情をぶつけることができなかった。
それから投薬が始まって、聞いたこともない名前の薬が沢山出された。
一番飲んでいた頃は一日で
インチュニブ2mg
コンサータ18mg
ルネスタ3mg
レンドルミン0,25mg
を飲んでいた。ストラテラのせいで異様に目が覚めるから睡眠薬で無理やり寝て、それでも3-4時間で起きてしまうから毎日睡眠不足だった。卒論がうまく書けなくてそれを主治医に言ったらこうなった。
大学卒業後、よりによってアスペに不向きな接客業に就職してしまったので結局ストラテラは減らせなかった。仕事はできない上に人間関係も上手くいかなくて、薬を減らしてもっと無能になるのが怖かった。夜は眠れない。朝が来たら仕事に行く。
その状態で一年働いて、心身共に限界がきてついにこの前仕事を辞めてきた。
ストラテラもやめた。
もう嫌なんだよね、俺が何かするたびにおかしい目で見られて、俺が喋ると会話が止まるの。仕事ができないのも悔しくて、だって俺さ、接客業やりたかったんだよ。この仕事に就きたかったんだよ。バイトで接客業やってさ、楽しいなって思って就職して、でもできなかった。やりたいことだったのに、好きだったのに、できなかった。
普通じゃないってなに?
数が多いってだけでお前らが正しいの?
指摘されたこととか、怒られたことを思い出して俺の何がダメだったのか、どうすればよかったのか考えてるんだけどさ、
もう何も考えたくない
何も考えたくないよ
貯金が尽きるまでは本を読んで、ゲームをして、アニメを見る生活を楽しもうと思う。
お医者さんいつも目を充血させていて重労働で過労気味なのがみてわかる
たぶん俺のことモンスター患者だと思ってると思う
お医者さんの質問全部YES/NOの二択の質問しかしてこなく、俺すくない脳みそで頑張って選択して答えるんだけど、本筋から離れた場所を原因ととらえているみたいなアドバイスしてくる。でも俺としてはそこ原因じゃない、その問題もう解消しつつある、という認識
お医者さん「あなたギャンブル依存症なんですよ!転院先教えてあげます!」言いだして転院先に電話してみたら「会社辞める覚悟あります?」聞かれて無理答えたら「じゃあ無理っすねwwww」言われてそこで終わってしまった。
もうどうしようもなく精神科通えないからしかたなくレキサルティとストラテラ断薬して半年経った。被害妄想が止まらなくなってお仕事全然集中できずこれやばいと感じて、でももう八方塞がりでこれどうしたらいいか分からない
本当の意味で何の自慢にもならないが、私は診断済みのADHDである。
仕事でうまくいかず自分に疑問を感じ、精神科を受けてみたところ
調べていく中で理由がわかった。
「自分のだらしなさが病気ではなく、性格とやる気が由来であることを知るのが嫌だから」という理由だそうだ。
この事実を知ったときの心にあふれた感情はおそらく怒りのようなものだったとは思う
理屈をつけようとすると彼らは自分自身の欠陥を根源を知ろうともせず直そうともせず、抗おうともせず。
ただ原因は「病気由来のものであり、私は悪くない」とのたまったのである。
しかもそういう人に限って妙に人に配慮を求める厚かましさまでもっており、
そしてあなたの症状はすぐに出さないと行けないまで追い込まれている
自覚を持とう
そして悩みのケースが大体症状由来だったのはこの症状あるあるだよ
お互い生きること頑張ろうや
元々、理由があってもなくても、すぐに落ち込んだり、何でもできると思い込んだりする性格に悩まされていた。なんでもやりたいのに、どうしても継続ができなくて、苦手となんちゃってトラウマみたいなものだけが増える人生だった。言い出しっぺの癖に手に負えなくなって迷惑を掛けるし、バイトのシフトはいつも入れすぎて生活が破綻していた。12時間寝るし、人の話もいつの間にか聞いていない。
これら全て、どうせ自分の努力不足のせい、気合が足りないんだと思っていた。情けなさで肉体が消滅するかと思った。して欲しかった。
研究がしたくて、浪人してなんとか行けた第一志望だから、凄ぇ同期達とのギャップを思い知らされつつも、開き直って駆け抜けた。前期の成績は良かった。私は生還したんだ、と思った。
やっとゼミが始まった10月。何かが狂い始めた。実技の説明がわからない。何がわからないのかもわからない。まあ次回までに整理して振り返っておくか。それがずっと続いた。
そうだ、オンライン授業だし、今のうちに合宿で普通二輪免許でも取るか、なんて、変なタイミングで予約した。月末に合宿代と学費と家賃とカードの引き落としが重なっていることに気が付いた。残高は足りなかった。分割払いが助けてくれた。結局、卒検に2回落ちて、大学の単位が危ういために一時帰宅した。
あれ?おかしいぞ? でも、考えている暇はない。秒で履歴書を書き、キャンパス近くのコンビニで週に40時間ほど働き始めた。いつ寝ればいいのかわからない。もう何もできなくなっていた。期末が近づくにつれ課題が増える。そのうち幾つか諦め、シフトを減らしても間に合わなかった。勤務中、眠気のあまり幻覚まで見た。その直後、ケアレスミスでクビを言い渡された。最後までわからないままにしていた実技の試験も、後回しにしてしまった。長期休暇中は引きこもり、知らないうちに春が来ていた。
これでは駄目だと思い、メンタルクリニックに行き、今までのことを話した。話すことメモを用意していたけど、一度も開かなかった。
担当医師から「傾向というか、そうだと思います。」と告げられ、ADHDと双極性障害の薬を処方してもらった。違ったらどう対策しようかと考えていたのに。本人の証言と簡易検査だけで診断って降りるんだ。
それでもまだ、何かのせいにして安心したいだけなんじゃないかと思い、5chで関連スレを見まくった。身に覚えのある内容の4コマに対して、「ここまでいってるとガチで病気」と書かれていた。覚悟を決めた。器用には生きられない。
思い返すと、過眠や飽き性、物忘れだけでなく、気分の浮き沈み、過食、Twitter依存、時計を見たのに時刻を見てない問題 などなど、今まで悩んでいたことすべてが、「ADHD」で説明できるような気がした。私はそんな万能な言葉を手に入れてしまった。どうやって向き合っていこうか。望んでいるのは、他人からの特別な配慮や助けではなく、自らでどうにかしていく力をつけることだ。
私が必要なのは努力だということに変わりはなかった。努力をする上で、重大なヒントとなる自身の特性を見つけたに過ぎない。
私は言い訳が好きだ。だからADHDを、目が滑っても、声が耳をすり抜けても、繰り返し食らい付くための言い訳にしようと思う。落ち込む前に一つフィルターが増えた。
ADHD疑いでストラテラを処方されて飲んでたけど全然効いた感じしなかった。
飲んでる人は効いてたりするの?
以下俺の覚えてる範囲の服用記録
・飲んだのはだいたい半年くらい
・朝飯後に飲んで1時間後に副作用が来るので午前中は仕事にならない感じ
・とはいえそんなに集中力上がったり効率が良くなった感じはしない
・次は25mgを4週間+2週間
・これもそんなに良くなった感じはしない
・副作用に性欲減退があったけど、あるかもしれないけど加齢かもしれないのでわからん
・25mgも効かなくて40mgを4週間
・一番副作用強い気がするけど慣れてくる
・これでもそんなに良くなった感じはしない
・ここで多少効果があったかもしれないけれど、副作用でふわふわしたまま仕事がおわるみたいな感じで効率は良くなってない
・どちらかというとプラシーボ効果に近い感じがする
・コンサータに切り替えられないか医者と相談したが、コンサータを処方できる権限がないので医者を変えることになるという感じで、同じ予約時間に権限ある医者はいないしどうしようもなかった
・金払ってもそんなによくないし、医者と別で受けてたカウンセリングはよかったけど担当カウンセラーが退職して交代されるタイミングで病院行くのやめた
・離脱症状はそこそこあったけど薬の副作用とそんなに変わらなかった
・数年たって今に至る
アトモキセチンとは、注意欠陥多動性障害に対して有効とされている薬品です。ストラテラ、とも言われるそうですね。
そんなアトモキセチンを衝動的に規定量の6倍飲んでしまいました。結果を以下に書き記します。
初めに断っておきますが、使用した薬は私自身に処方されたものであり、決して違法な手段で手に入れたものではありません。
また、過剰摂取を助長するような意図は決してありませんのでご了承ください。先に言いますが良いことはありませんでした。
・1つの作業に対しての集中力が極めて上がり、その事しか考えられなくなる。その結果、体感より極めて速く時間が進む。
・作業をしていない時は「無」に対しての集中力が上がるため、何も考えられなくなる。結果時間が飛ぶ。
・考えられないほどサラサラの汗(冷や汗的な)が出る。
・体臭が薬臭くなる。
・耳が極めて鋭敏になり、通常では聞こえないような音(離れた人の足音など)が聞こえるようになる。