はてなキーワード: どんくさいとは
あれで騒いでる人が多いんだけどさ、親ガチャって本当に愚痴なんだよ。
何の愚痴かっていうと親を選べずに生まれたっていう愚痴っていうよりも、
親のせいにすることによって自分で自分の生活をどうにもできないという無能を誤魔化すという自分自身に対しての愚痴。
生まれがどんなに貧困でも前に進んで金持ちになった人はいるし、貧乏でもYouTuberになって稼げるようになった人って居るじゃん。
そういう人生の転機を見つけられないどんくさい人間が、勝手に僻んでその結果「親のせいにすれば自分が悪いわけじゃないじゃん?!」ってなったのがあれ。
まあ社会によくありがちなんだけどさ、他人のせいにすれば自分は悪くないっていうのを親ガチャに置き換えて言ってるだけなんだよね。
変わることもしない、変わるためのきっかけさえも社会の責任という言葉で受け身にして失った結果が親ガチャに失敗したって言葉になってるってね。
多様性が求められる時代で特に旧態依然とした古い価値観の人に使われることが多いと思う。
でも価値観の古さをもって相手を糾弾するのって、旧態依然としたマウンティングと何が違うのかなとふと思った。
見た目の良し悪し、学歴の優劣、収入の上下、運動ができるできない。
自分が優位に立てるもので相手を下に置く、多様性とは反対のことを価値観でやってるだけだと思う。
自身の価値観のアップデートだって柔軟に対応できる人もいればそうじゃない人もいるし、
年齢を重ねれば重ねるほど容易には価値観を変えることができなくなるのは想像に難くない。
繰り返しになってしまうけど、そんな相手に向かって価値観が古いと糾弾するのは
いや、お前がどんくさいんやろ。
お前がどんくさいだけじゃん
殴る蹴る、物を隠す、物を壊すという行為をしていないが、イジメに加担していた。
うちのクラスに、みんなに嫌われている男子がいた。どんくさい、ブサイク、コミュ障、不潔感がある、友達がいないとか、いじめの原因はそういうものだった。
クラス全体に「あいつはキモい。あんなやつは嫌われて当然だ」という共通認識があった。
一部の者たちは、彼をわざとらしく嫌ってみせた。直接に罵声を浴びせるのではない。彼とは接近・接触したくないと、まるで汚物を避けるようなリアクションで拒絶するのだ。
私はほとんど参加しなかったが、完全に潔白とは言えない。みんなが彼を侮辱するから、私も少しはその行動に加わった。
ある日、これがエスカレートして、落書き事件が起こった。彼を中傷する内容だった。犯人は分からなかったが、先生が激怒していた。
私はヤバいと気づいて、以後はイジメになりそうな言動を慎んだ。他のクラスメイトも同じだったと思う。
こうして表向き、いじめは収まった。
例えば席替えで、彼と隣になってしまった女子は、そのことを不快だとグチった。まわりも彼女に同情していた。
もはや、本人のいる前では侮辱しない。プライベートで友達同士が集まったときに、みんなで苦手な人の悪口を言いあう。それをゆるやかに、クラス全体でやっていた。
1年後くらいに、彼は不登校になってしまった。その後にどうなったかは知らない。
願掛けや希望的妄想を述べるに留まらず、「政治」に勤しむものが目立ってきた。あれこれ「気を遣って」管理職を抱き込み、職務割当や座席配置が希望通りになるように操作している。
毎日毎度よくある小さな出来事までも、政治的駆け引きのネタと化している。誰かが誰かの隙を狙っている。
そういうことがあちこちで行われ、誰かが誰かに勝っただの負けただのを繰り返していると、どこかで歪みが生じる。
その歪みを吸収するのは、非正規だったり、正規の木っ端だったり、中堅年齢でありながら「どんくさい」人だったりするわけであり。
(かといって非正規を無視放置すると、いつの間にか非正規がその部署内での事情通かつ権力者になってしまい、誰も逆らえなくなったりすることはある)
そうはいっても、組織の勢力図が大きく書き換わることは少ない。いくら「政治」でも、中枢にいる人にまで力を及ばせるのは至難だ。
それでなんだけど、私の新年度の座席がどう考えてもおかしい。誰かが管理職へ吹き込んだのは間違いなくて、その黒幕の正体も見当はついている。
しかし、私はそんなにうまく立ち回れない。
できるならやりたいが、背が160しかないヒョロヒョロの雑魚で、彼女と腕相撲しても互角なので、ぶん殴られたら普通に大ダメージだし、怖え
田舎でも見なかったし、都会に出てきてからも見たことない 本当は近くで起きてるけど気づいてないだけなのか? でも、痴漢なんかできる人口密度の電車乗ったことない気がするんだよな いくら俺がどんくさいとはいえ、あの環境で痴漢やってる奴がいたらさすがに気付きそう
まあこれは言わないようにしようと思う
現実に周りの人が痴漢されたって話をしてくる状況なんてないし、オンライン上での痴漢の話題にいっちょかみして「嘘だ!」なんて言うモチベーションもないし、それはそうという感じ
それはそう
つか、転勤で田舎行って電車乗らなくなるから、ホントに全然関係なくなるんだよな
その割にインターネット男女バトルで話題にあがってることが多い
「男は特権を持ってるから痴漢に苦しむことがない」的な言説が怒りを込めて語られているのを見るたびに、じゃあ俺はどうしたらいいんだろうなと思う
やったことはないし、見て見ぬふりをしたこともない以上、自分に恥じるところはないんだが、「苦しんだことがなくて他人事だと思える時点で特権を享受している」と言われるとそれはそうだなと思う
都会に出かけて電車に乗って痴漢ウォッチングをして、見つけたらとっ捕まえるみたいなことをやればいいのか?
ウェブ上でなんらかのロビイングみたいなのに参加したらいい?電車に監視カメラ設置しろ運動とかあったら、普通に署名したいな
マジでどうしたらいいんだ
やれるべきことはやっているような気もするんだけど、そうでもないのかな
免許合宿を経験して、俺には絶対無理だとわかった。教習所を3日目の朝にやめた。マニュアルじゃない。オートマだ。
普段と違う環境でやったことのない機械操作を、事前練習がテキストのみでやれとか無理ゲー。
いや出来るやつがいるから無理じゃないんだろうけどなんでみんな出来るの?
しかもしくじったら人が死ぬ。あるいはケガする。乗ってるものも壊れる。交通の迷惑にもなる。キチガイ一人と遭遇するだけで学んだこと全部おじゃんになりかねない。むしろ俺がキチガイとなって他人を台無しにしかねない。あんなもんどうやって使いこなすんだ……
坂道発進もサイドブレーキ(だっけ?)を引くときに持ち手のボタンを押すのか押し込むときにボタンを押すのかまったく覚えられなかった。引くときも押すときもボタンを押せばいいと思ったが、「スイッチは引くときだけ(押すときだけ)でいいよ」と封殺され、できなくなった。
サイドブレーキに限らず、他の諸々もその場で教わった後、また別のことを聞くといつの間にか忘れてしまっていた。
一個教えられたら直前のもう一個を忘れる時点で俺は運転以前に色々なことが向いていないとわかった。
何あれ、マジで……取得資格は普通自動車免許のみ。とか底辺の人間のプロフィールでよく使われてるけどあんなもん動かせる時点で相当器用だろ。わけわかんねえ。底辺以下だよ俺。
教習中、俺は教官から怒られる内容に何も納得できなかった。ついさっき言ったんだからもう忘れるな。的なことを言われても忘れるもんは忘れる。忘れないように忘れないようにと気を配っても「忘れないようにしよう」と念じたことしか覚えていなかった。
厳しくされるのも当たり前だと思う。普通に人を殺せる乗り物を扱う資格を、二週間ちょいで取らせるのだからそりゃあ厳しくしないとダメだろう。俺が教官だとしても厳しくする。
何がダメだったんだろう。二週間という日程なのか、島根なら人いないだろうし路上教習も余裕だろうとタカをくくって関西から来たことがダメだったのか。あるいは俺の知能か、根性か、認知能力か、集中力か。
全部じゃないといいんだけど……
たぶん、あのまま通っていても一発合格は無理で……通信とか何とかいう、教習所内を通りいっぺん一人で運転する試験を二回ぐらいは落ちると思う。この時点で延泊が確定する。(というか俺は一発勝負というものが極端に苦手で、このエントリもちょいちょい書き直しているぐらいだ。)
その後、路上教習で、多分出られないだろうけど、出られたとしたらどっかしらにコスるんじゃなかろうか。修繕費取られるのかね。
その次が…高速道路教習だろうか。一発合格は無理と書いたけど、高速道路といざ自分で書いてみると改めて実感する。何発挑戦しても絶対無理だ。
高速の入り口でハンドルに突っ伏して、無理です無理ですとすすり泣きながら後ろからクラクションを鳴らされている自分の様子が想像できる。
運転中、なんだか異様に目が乾いてまばたきが増えるしあっち向けこっち向けすぐそこ見ろ遠くも見ろとかのマルチタスクをごく早いテンポで求められるのだから、そんな作業を運転中にやっていたら、俺か、他のドライバーか、あるいは両方が死ぬ。
たぶん、自動車免許を取得している人がこのエントリを目にしたら俺はとんでもないヘタレの根性なしのどんくさいアホタレに見えることだろう(ことさら、マニュアルトランスミッションだったりしたらもう、免許の代わりになんかしらの手帳を持っているように見えるんじゃなかろうか)。
先に自分を攻撃しておくが、ほぼほぼ事実であり、俺はとんでもないヘタレの根性なしのどんくさいアホタレで相違無い。
というか、そうした欠点を指摘されたところでヘタレが勇猛になったりしないし根性なしに根性が生まれたりしないしどんくさいやつが機敏にはならないしアホは賢くならない。
指摘を受けた側からしたら「そうなんですよね」に尽きる。
当然、一緒に行く友達もいなければ現地で友達もいない俺は講習外でも一人で過ごし、自習のために設けられたであろう空きコマでは迫りくる教習への恐怖でテキストはまともに頭に入らず、まともな精神状態ではなくなっていた。と思う。ホテルに帰っても風呂に入らず着替えもせず、初日の教習以降、俺は『人間』を維持できなくなっていた。なぜ出来ないのか。自分だから出来ないのか、自分なのに出来ないのか。出来ないようになってるから出来ないのか。
滞在中、夜になると親から連絡が来ていた。弱音を吐くと「そっちまで行ってやろうか?」「ホテル取って会えるようにしてやろうか?」「犬連れて行ってやろうか?」などと提案されたが、今にして思えば「そこまでしなくていい」という言葉を引き出して俺を鼓舞しようとしていたのだろうか。
だからこそ、その一環で「そんなにつらけりゃもう帰ってこい」などと言ったのだろう。
俺は真に受けた。翌朝教習所に電話をかけて退校の申し込みをした。下手にギリギリまで粘って退校を遅らせると返金額が減るので、どうせなら早いほうがいい。と自分に言い聞かせた。通った。退所した。ホテルを出た。電話を切る寸前、「手続きさえすれば他の自動車学校で続きを受けられますが、どうしますか」と尋ねられた。完全に自動車の運転を諦めた俺は「けっこうです」と、ストレスを受けているとき特有の、喉にかかる得体の知れない圧迫感をどうにかこじ開けるように、喉から声を絞り出して退校を完了させ、帰りのバスまで島根の街を徘徊して時間をつぶした。
一応挫折感や罪悪感のようなものはあった俺は引き続きグズグズになったメンタルのまま残りの時間を過ごし、カバンを置いていきそうになったり壁や柱にぶつかったり、いきなりしゃがみこんだり何もない場所に反射的に振り向いたり、何か変な動物になっていた。シャワーも着替えもしていないまま、人間もどきが松江の城下町をズルズルと這いまわるのだった。確かその頃、FGOというスマホゲーでオデュッセウスというキャラクターのピックアップガチャが開催されていたので、バス停で棒立ちしながら適当に10連ガチャを回してみた。皮肉にも最初の10連で引くことができた。
なんにも嬉しくなかった。引けなければもっと嬉しくなかっただろうし、ローリスクノーリターンのくだらないギャンブルだった。
俺はわけがわからず、つらけりゃ帰って来いと言われて、つらいから帰ったらめっちゃ怒られた。未だに理不尽だと思う。
親からは免許の取得がどれだけ一般的で誰でもできる行為かをヒステリックに説かれ、情けない。恥ずかしい。人に言えない。親戚のあの誰々さんでも取れたのに。とメタクソにキレていた。
なんでなん?と涙ながらに問い詰めてきたが、なんでか知りたいなら発達検査でも受けさせてみろ。と思う。
このエントリとは別件で、発達障害かもしれないから検査を受けたい。と相談したらお前は普通の人間だ。薬漬けにされて精神病院にうんたらかんたらと、まあそういう系の親がよくやる説諭を俺に施していた。
そうした前歴を踏まえて「なんでこんなことも出来ないんだ」と被害者ぶって聞かれても、「気になるんなら検査受けたいから幼少期の自分について、客観的に主治医に語ってくれ」と思っていた。
実際、俺が発達障害なのかはわからない。ボーダーのボーダーのボーダーなのかもしれないし、ただの甘ったれかもしれない。自分でも信じられないが、叱られている最中の俺は、気が付いたら『ノノグラム』という論理パズルのことを考えていた。ピクロスと呼べば通りがよいか。
別に脳内で特定の絵柄が出来上がる盤面を作るとか、そういう目隠し将棋みたいなカッコいいものではない。ただ単に『8と5なら14マス使うから、15マス中13マス埋まるな。』ということを、気付かないうちに脳内で考えていたのだ。それを自覚したとき、「いや、何考えてんの。お前」と脳内のパズル図式を振り切った後、「もし俺がこれで正常な発達過程を経た、ただの怠惰で親をナメているだけの健全な成人だとしたら、本当におぞましいものだな」と、心の浅いところで他人事のように嫌悪した。
ただ唯一ハッキリしているのは、俺が免許合宿をリタイアした、どうしようもない運転不適合者ということだった。
あと、ツイッターでMTとかATとかどうでもいいことで争っているのを見かけるたびに、俺より上等な人間なんだから格付けしてんなよ。と言いたい。車がどんな仕組みで走ってるかわからずに運転するなんて~とか、MTだと仕事の選択肢が~とか、やめろ。ATでもMTでもすごいから。不毛だ。俺を見て笑えばATとMTは仲良くできるだろう。
俺が教習所にほんの数日通って変われたことは、助手席に座っているときでも『あそこの角から人が飛び出して来たら?』と、運転してもいないのにビクビク脅えるようになったぐらいだ。あと、運転免許保持者を尊敬するようになった。
思ったことを乱雑に書いた、読みづらいエントリになったと思うが、そこは「こんな頭の中してるようなら運転向いてないわな」と得心していただければ……
俺は自動運転技術が一刻も早く確立することを心から祈る。それで不幸になる人間など、教習所の教官ぐらいだろう……
でも、なんやかんやで『自動運転が制御できなくなった時のためにも運転技術は必要である』みたいな理屈で教習所は生き永らえそうな気がする。
なんか、今まで乗れてたはずの自転車も乗るのが怖い気がしてきた。一生徒歩と電車で移動するしかないのかな。
【追記】創作における底辺の人間の描写のとして“資格は普通自動車免許のみ”みたいな例があるよね」と書いたのであって、決して取得資格が普通自動車免許のみの方を揶揄する意図はありません。一部で誤解を招きましたので追記しておきます。