はてなキーワード: おはようとは
1. 帰り道同じだとアウト
12月7日午後10時頃、小倉北区赤坂3丁目付近で、帰宅中の女子学生の後ろを男が同じ方向に歩いていたという事案が発生しました。男は年齢60歳位、身長170センチ位、中肉、白髪で黒色のロングコートを着用していました。
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2. 追い越したらアウト
10月16日15時30分頃、大阪市淀川区木川西4丁目2番付近で、小学校低学年の男子児童が歩いていた時、見知らぬ男が後方から無言で早足で歩いてきたという事案が発生しました。
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3. 青い服着てバイク乗ったらアウト
9月12日(水)午後3時ころ、伊丹市鈴原2丁目付近の路上で、不審者が目撃されました。
不審者はバイクに乗って、女子児童に手を振り、立ち去ったものです。
不審者は、中年、青色ジャンバー、青色ズボン、白色ヘルメット着用、バイクに乗った男です。
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4. 笑ったらアウト
12月09日08時15分頃、高槻市南平台3丁目15番付近路上で、登校途中の女子児童が、見知らぬ男とすれ違う際に「ニヤッ」と微笑まれるという事案がありました。
年齢30歳位、黒色フリース様の上衣、灰色ズボン、白紐のスニーカー、黒っぽい手袋着装の男
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画像:redditpics.com
5. ハゲたらアウト
11月28日(水)午後3時10分ごろ、たつの市新宮町栗町付近の路上で、声かけ事案が発生しました。
徒歩で下校中の児童たちに対して、車で近づき、「君らあんまり勉強したらあかんで」と声をかけ、帽子を取り、はげ頭を見せた後、そのまま車で走り去りました。
声をかけたのは、年齢40歳から50歳くらい、青色キャップ型帽子着用、黒色普通乗用車使用の男1名です。
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6. 注意はアウト
12月02日16時30分頃、大阪市淀川区新北野1丁目2番付近で、小学生児童7人が遊んでいたところ、徒歩で近づいて来た男が、「こんな所で遊んでいたらあかん」と声をかけたもの
参照
7. 挨拶したらアウト
11月11日(火)午後4時か午後4時30分ころ、下野市石橋地内の路上において、歩きの男が女子小学生に対し「おはよう」等と声をかける事案が発生。男は、
30〜40歳、身長170センチ位、やせ型、髪短め、黒色タートルネック、灰色ベスト、クリーム色ズボン、黒色手提げバッグ所持。〔ワンポイントアドバイス〕知らない
人に声をかけられても相手にせず逃げる、防犯ブザーを鳴らす、すぐに警察に通報する等、ご家庭でもお子さんにご指導願います。
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8. 児童でもアウト
07月18日10時00分頃、茨木市天王2丁目5番付近で、児童がピアノ教室に行く途中に自転車に乗った男性に声をかける事案が発生しました
https://nejiko.hatenadiary.com/entry/2014/02/22/234204
この記事を読んで、あぁ分かるぅとなったので自分の不合理さ&可愛さも記録しておきたい。
うちは2歳1ヶ月と7ヶ月の息子ーずと自宅保育している。春から保育園入園予定。
不合理なのは2歳1ヶ月のほう。7ヶ月の子は基本パヤパヤしている。
7:00
長男に「おーきーてぇー」と言って起こされる。
目を開けて「起きたよ、おはよう」と言うと、体まで起き上がらないとダメらしく何度も「おーきーてぇー」と言われる
あまりにも私が寝てると次男と「いらっしゃいませ〜、えーっと、たこ焼きぃー!」などと適当な言葉を話してキャッキャっ笑っている
7:30
8:00
ヨーグルトをパンの上にかけ、「ケーキ」と言ったり牛乳の中にバナナを沈殿させて遊んだ後、最終的に食べない
最近あまりにも朝食を延々と食べてるのでタイマーを導入したら少し改善された
8:30
朝ごはんを食べ終えた息子はプラレールが入った箱を床にぶちまけて遊ぶ
その他にもブロックやおままごと遊びもやらないのにとりあえずぶちまける
9:30
お出かけの準備
いくら早く支度をしたくても不合理すぎて時間がどんどん溶けていく
パジャマから服へ着替えさせるが、「違ったー!」といって脱ぎ捨て、靴下を履かせると「逆だったー!」と泣き喚く(決して逆などではない)
逆だったー論争が本当に大変でお出かけできなくなるレベルに泣くので、最近は玄関で靴下を履かせその後すぐ靴を履かせている
全ての用意が整ったと思ったら極めつけに💩
💩も中々変えさせてくれないのでしばらく放置
いざ外へ出ると電動自転車の鍵を自分が指したいと言い、やらせる
10:30
スーパーに到着
私がコントロールするとぶちぎれるので、放っておくと人にぶつかったりしててほんと迷惑
アンパンマンお菓子コーナーがあり、自らそこへ赴き永遠に流れてるアンパンマンお菓子紹介動画を見ている
早く帰りたいので、お菓子を一つ入れてアンパンマンへバイバイを告げさせるも何回か失敗する
アンパンマンのぬいぐるみを持って「ナスを買いに行こう」と言うと喜んでその場を離れてくれる
11:30
息子に手洗いうがいをお願いすると必ず服をビシャビシャにするので服交換
うがいをしている間に、自転車をしまいに一旦外へ出ると「うがい、飲んじゃった」と家の中から何度も報告してくる声が聞こえる
12:00
お昼ごはん
朝ごはん同様ダラダラ食べる
ダラダラ食べてもういらんのかな?と思ったら、ソーセージ!バナナ!などとデザート要望
13:00
あと片付け
息子は延々とプラレール
13:30
次男と寝たふりをしていると、眠くなった息子が突然やってきて布団にダイブ。即昼寝
2時間ほど束の間の休息が訪れる
15:30
昼寝から起きる
一番に私のところへ駆け寄ってきて抱っこする
おやつなどを食べるなどして過ごす
この時間はYouTubeを見せてるのだがとんだクレーマーで3分おきにYouTubeの内容を「ちがったー!」と言ってくる。
アンパンマン→新幹線こまち→新幹線はやぶさ→新幹線かがやき→アンパンマン
17:30
お風呂
最近は冷蔵庫の前でチューペット(めちゃ小さい)をわたし、その場で全裸にさせお風呂場まで突撃シャワーをかけるということをしている
浴槽は好きらしく長時間滞在してしまうので、10.9と数字を数えて上がろうとするが、0のタイミングで違ったー!と言うので何回か10.9に付き合わされている
最後は違ったーと言われても無理やり連れ出して体をふく
インナーがアンパンマンじゃないと服を着ないのでアンパンマンのインナーを着させる
19:30
(明日続きを書く)
自他共に認めるブサイク(ドッスン、金剛力士、閻魔様に似ているらしい)で身長も164cmの30代後半男。
高校では席が隣になった子と毎日「おはよう」「バイバイ」のやり取りをするようになって会話するようになって遊びに行ったのがきっかけで付き合った。5、6ヶ月で「やっぱりなんか彼氏ではない」って振られた苦い思い出。
大学生の時は家が遠いサークルの女の子と仲良くなって泊めるようになって付き合い始めた(セックスは付き合ってからした)。初体験の相手で社会人一年目まで付き合ったが向こうが配属で遠距離になって別れた。
配偶者は会社の同期の中で一番可愛くて、イケメンな先輩とかもガンガンアタックしてたからそもそも付き合えないと思ってたけど、気が合ったので一緒に帰ったり、飲み会一次で抜けてバー行ったりしてた。同期達との日帰り旅行で帰りの送りをしてたら人気のないサービスエリアで告白されてそのままカーセックスして付き合い始めた。
Homme mort ne fait guerre.
ある日からぬいぐるみを飼い始めた。クマのぬいぐるみで名前を「サモエド」にして、なんだか見た目がさびしいので右腕にピンクのリボンを付けた
朝には「おはよう」
夜には「おやすみ」
夕飯の時はテーブルに置いてなるべく残さず食べて「おいしいね」って言ったり
そんな生活をしていた
だが、それからしばらく経ったある夜、僕は仕事で怒られすぎて歯磨きもせずにサモエドを抱きしめたままいつの間にか寝てしまった。
気づけば、朝の9時である
公園はもう陽の居場所となっており、申し訳なさそうにベンチに座ってサモエドと食べた。
サモエドにとって初めての外の光り、眩しい光
「昨日の夜はありがとう」
そう言って私はそっとサモエドの頭を撫でた
鹿児島県に住んでんだけど、やっぱけっこう方言がハバをきかせているわけです
俺は一応鹿児島生まれ鹿児島育ちなんだけど、地元ではない部分の鹿児島に住んでいるということもあり、時々「何言ってんだ?コイツ……」となることがある
そういう、初見でわかんなかったフレーズのひとつに「だれんごとな」というのがあって、シチュエーションとしては、俺がバリバリ残業しているところに上司がやってきて、そう言って帰っていった
だれんごとな?誰ん事な?誰のことってこと?何が?
いや違う、「だれん」は「疲れる」の意味の「だれる」の否定系で、「ごとな」はわりとそのまま「ことだ」みたいな意味だ
つまり、「疲れないことだ・疲れないように」というような感じに訳される
頑張りすぎんなよ、倒れんなよ、体を労われよ、とそういう感じのニュアンスなんだろう、サンキュー上司!
と思うころにはもう上司は後ろ姿になっていた
で、俺はこの「だれんごとな」をひとつのイディオムだと思ってたんですよ おはようとかさようならみたいな、語の意味がどうこうじゃない、あいさつのようなものなのだと
しかしこの前みたんだ 激務部署の人に「疲れないでね〜」と声をかけているのを
だれんごとな、じゃん
つまり、疲れないでね、という意味で言ってんだよ「だれんごとな」はさ
よく考えると、ほかの上司もときどき「あまり疲れないようにしてください」的なことを言っていることが思い出されてくる
この「疲れないでね」という言い回しは、ヨソではしないと思うんですよね
「根つめすぎないようにね」「頑張りすぎんなよ」「体に気をつけて」 この辺の表現はするけど、「疲れないようにね」とは言わない
俺の地元でも言わなかった
これは鹿児島の、さらにいえば今俺が住んでるあたりの、特有の表現なんじゃないか?と思うわけですよ
意味はわかるけど、その言い方はしねえなあ、と思うような言い回しが、ナチュラルに周りでなされている
これは興奮するよなあ
しかも、単語レベルじゃなくて、考え方っつうかさ、言葉の使い方みたいなところなわけですよ
大変よろしいと思います
毒親を持っている人のブログを読んだり話を聞いたりすると思うことがある。
毒親持ちの人の体験談は、それはそれは凄惨で、進学させてもらえないとか仕事もせず家に居座る親が暴力を毎日振るってくるとか殺されかけたとか……。親元を離れて立ち直った人もいれば、今なお親の影に苦しんでいる人もいるだろう。そんな彼等を見て自分はこう思うのだ。
「この人に比べれば自分はマシな親を持っているのだろう」
そしてこうも思う。
「だから決して、自分の親が毒親持ちと思って甘えてはいけない」
けれど、ずっとそうして生きてきたのだけれど、最近親と共に過ごすことが辛くなってきた。「おはよう」と話しかけられるだけで動機がして、頭痛がする。眠れない夜が増えた。これは家族間の関係として健全なことなのだろうか。今一度自分の親が毒親ではないのか客観的に整理したくて、文章に起こすことにする。
彼は毎日仕事に行き、給料もきちんと家庭に還元しているし、私の進学を阻むようなこともなかった。大学まで出してくれて、一戸建てを持っており、ギャンブルや浮気の経験もない。
もうこれだけで私が数々見てきた毒親像とはかけ離れている。だから私は父に感謝をしなければならないし、軽い気持ちで毒親などと言ってはいけないとずっと思っていたのだ。
ではなぜこの男に声を掛けられる度に不愉快な気持ちになるのか。それは父の性格に起因している。
単刀直入に言って、父の性格は自己中心的で周り、特に家族のことを常に見下している。
例えば「明日出掛ける」と言うと「何時に?」と聞かれる。ここで少しでも返答が遅れると「なんでそんなことも分からないんだ」
例えば私が昼ご飯を食べようとすると「昼ご飯を食べようだなんて悪い奴だな」
私は何か悪いことをしただろうか。毎日のようにこういう無意味な罵倒をされ、どんどん神経がすり減っていく。もっと酷い人格否定をされたこともある。「子供は親の奴隷なんだから黙って言うことを聞け」と言われたこともある。けれどそれを本人にやめて欲しいと言っても「俺はそんなことは言っていない」「これもコミュニケーション」「冗談もわからないなんて心の狭い奴だ」。話にならない。
ではもし反撃してこちらが「馬鹿親父」などと言ったらどうだろうか。まるでやくざのような気迫で威圧し、怒声を浴びせ激高し、床を踏み鳴らし机を拳で殴る。それでも収まらないときは手近なものを破壊し、最終的には暴力に発展する。さすがに暴力に発展することは稀(というかそうなる前に謝ったり宥めたりしているの)だが、家でも外でもお構いなしに蹴られたり殴られたことがあるし、母に至っては数回骨折沙汰になったことがある。
力ではどうしても勝つことが出来ない。だから何を言われても、私は黙って受け流すしかないのだ。
もうひとつ私を苦しめていることがある。それは父の奇声だ。上記はまだ共感できる人も多いだろうが、これに関しては珍しい上に恥ずかしい話過ぎて誰かに相談することもできず、ずっと悩んでいる。
父は昔から声が大きい。最近耳が悪くなってきて殊更声が大きくなってきた。それは加齢によるものなのである程度は仕方ないのだが、問題は奇声を発することだ。
奇声といっても金切り声でなく、例えばYouTubeの動画でユーチューバーやゲーム実況者が驚いたり興奮した時にスマホが音割れを起こすほどの大声を出して、慌てて音量を下げた経験はないだろうか。あれを、何かの撮影でもなく家の中でやる。還暦をすぎた男が。
誇張なく、いきなりリビングで「うおおおおお!」とか「うぎゃあああああ!」とかいうのだ。病気だとしか思えない。しかも時間は問わない。父が叫びたくなった時に叫ぶ。毎日、毎日、何度も何度も。
だから朝、目覚まし時計より早く父の絶叫で目を覚ますことはざらにあるし、そういう時は心臓が縮み上がる程驚く。
一度気になってデシベル測定をしたことがあるのだが、結果は80~90デシベルだった。これは地下鉄の車内や布団たたき、ブルドーザーの音に匹敵するらしい。
もちろんやめて欲しいと何度もお願いしたし、精神の病院は勧めた。当たり前だが病院を受診するはずもなく、しつこく言ったところ「頭がおかしいのはお前だ」の言葉からはじまりあとは前述した通りである。
他にもおかしいところをあげればきりがないのだが、最後に一つ父の一番理解できない話をしたい。
私は生まれつき肺に病気を患っている。これに関して両親を恨むつもりはないし、長く生きられないと言われていたところを手術を受けさせてくれて、他の人と同じ日常生活を送ることができるようにしてくれたことに感謝をしている。
だが100%なにもかもが健康体になったわけではないし、今でも肺には他人よりもハンデを抱えている。だから掛かりつけのお医者さんには肺や心臓を大切にしてねとさんざん言われているのだ。
その子供を持ちながら、父は平気な顔で紙煙草を吸う。別に隠れて吸うのなら構わないのだが、私が幼いころ(手術前)からキッチンで、リビングで、果ては外食した時に私が食事中でも対面に座ってぷかぷかと吹かす。その量は1日に1箱近い量だ。父が家にいると一日中家が煙草臭くなる。
あまりにも臭いのでベランダで吸うようお願いしたら、窓を開け放したまま足だけベランダに出して吸っている。当然窓から副流煙がリビングに逆流してくる。だったらせめてと空気清浄機を近くに置いたら「音がうるさい」「俺に対する嫌がらせなのか」と不機嫌な顔をしながら空気清浄機を止める。
キッチンで皿洗いしていると後からやってきた父が「煙草を吸うから退け」と言う。せめて洗い物がキリのいいところまで待ってとお願いしても「待てない」と吸い始めるか、真横でものすごく不機嫌なオーラを出しながら急かしてくる。たった1分ですら待つことが出来ない。
このようなことは言いたくないのだが、私が煙草を吸わないで欲しいとお願いするのは、あなたの遺伝子を引き継いで作られた身体に欠陥があったからなのだが、父には何一つ思う所はないようだ。どうも母に聞いたところ、妊娠中も平気で母の前で煙草を吸っていたらしい(母は避けようと頑張っていたようだが、当時狭いアパート暮らしで限度があったようだ)
こんな父だが、ことあるごとに口先だけではこう言うのだ。
「俺はどんな時もお前の味方だからな」
ふざけるのも大概にしろ。人の人格を毎日否定して、やめて欲しいとお願いしたことを喜々として余計にやって、泣いて「もうやめてくれ」と言ったことには「人が泣いてるのをみると殴りたくなる」と言い放って、人が買って来たものを許可も取らずに盗んで食べたり使用したりして、電車で数駅のところに遊びに行っただけで土産をせびり、感謝を強要し、都合が悪くなると「冗談」「コミュニケーション」と逃げるか激高して無理矢理黙らせるかして、大声で絶叫して、持病もちの前で煙草をやめない。
父の言動を聞いていると、本気で自分は「娘を愛する良い父親」だと思っているようだ。仕事に行って金さえ払えば良い父親なのだろうか。自身の子供が眠れない日が続いて、悔しくて苦しくて涙が零れて、頭痛がやまなくなっても、父にはその姿は見えていない。
この父を毒親と言っていいのかずっと悩んでいる。この程度で毒親と言ってしまうと、「この程度で毒親持ちの被害者面するな」と言われてしまうのではないかと思ってしまう。
けれどこの男を父として認め普通の親として扱うには、もう精神の限界が出てきているようにも感じている。
自分はストレスに強い人間だと思っていたし、実際いわゆる「鬱」に当てはまるような症状や過呼吸や胃潰瘍もでていない。だからこの悲しさも辛さも大したことはなくて甘えなのだろうかと思う。身体に大きな不調が出れば、父はなにか変わるだろうか。いや、変わらないだろう。しかし、大手を振って家を出ていくチャンスになることは間違いないだろう。けれどそれもないのなら、もう少し耐えるべきなのだろうか。
家を出ていけばいい。それは間違いなくそうなのだが、父と二人きりにしたらいつか母が殺されてしまうのではないかという恐怖もある。両親から「お前は独り暮らしができない」と何度も言い聞かせられて、まるで呪いのように縛り付けられている感覚もある。一人暮らしをしたいと切り出したあとに、激高され毎日不機嫌なオーラを出される中過ごさなければならないのが怖い。踏ん切りがつかない。これは甘えなのだろう。
そういう中途半端な親元に生まれた私は結局今日も、本当の毒親よりはマシと言い聞かせながら父の顔色を窺う、情けない生き方しかできないのだろう。