2011年08月20日の日記

2011-08-20

http://anond.hatelabo.jp/20110818225658

ごめん、ただの自意識過剰な女にしか思えんわ

こういう女のためにも女性専用車両を増やすべきだし、女は女性専用車両に乗るようにしたほうがいいと思う

【追記】「人生を楽に生きる8つの方法」は半分ウソだと思う。

人生を楽に生きる8つの方法

http://chaos2ch.com/archives/2982681.html

これを読んでいたらもやもやしてきたので書く。



4つだけは本当だということじゃない。

8つすべては「真実」に近いと思う。

実践できれば楽に生きれると思う。

それがいいとか悪いとかいう問題じゃない。

ただ、この理論だけでは結果的に不十分だとおもう。



いったいなにを欺いているのか?

この方法には2つのウソが隠されていると思う。

リンク先で語られている内容よりも

語られなかった内容に注意してほしい。




上のリンククリックした人は、それだけでかなり頭がいい。

つの方法を抜き出してみよう。


1、今に生きる

過去を悔やんでたらればを繰り返したり、起きてないことをあれこれ憂いたりするのは時間と労力の無駄遣いで非生産的

今の自分の状況や気持ちに行動原理をおく。


2、人や社会に期待をしない

求めたり「こうあるべき」とイメージを持ったりすれば、現実との差異にがっかりすることになる

基本は人生自己責任


3、他人は自己投影

自分が見ている他人は、他人という物質に反射して映った自分だと考える。

それが心地よくないものなら自分が変われば良い話


4、事象を引き寄せている(選んでいる)のは自分

その出来事を通して味わいたい思いや学びたいことがあるからそれを引き付ける。

災難ととるのではなく自分の選んだものと思って構える


5、自分がいなくても世界は回る

自分が思うより他人や社会自分を見ていない。

こうしなきゃ、こうでなきゃ、というのは自己満足であって、大抵の場合は不必要


6、ワクワクするものごとを選ぶ

自分の選択で他人が困っても、それは他人が対処すべき問題。

選択の連続人生で、自分の心がワクワクする方を正直に選ぶのが一番スムーズ。これができないと葛藤ジレンマに苦しむ


7、自分の行いは必ず帰ってくる

自分の行動は、空へ向けてボールを投げるのと同じ。

きちんと受け止めないでぶつかった時に、痛いと言って責任転嫁しようとしても事は進まない。

自分が受けたい言動をとればそのまま返ってくる。


8、物事は全て中立

「悪い出来事」「縁起の良い場所」なんてのは本当はなくて、全て中立な物事に自分意味付けをしてるだけ。

たとえば同じ場に居合わせ災害にあったとしても、ある人はたまたま見舞われたと感じるし、ある人は自分宗教の教えを遵守しなかったからと捉えるかもしれない。

自分の見方で世界が変わる。





方法自体はほとんど正しいとおもう。

ぐうの音もでない。

いろんな本を読んだり、テレビを見たり、人と話したりすれば

わりと納得できる考え方だなーと。

(というかこれがわからないとしんどい)




しかし、正しいということとそれが妥当であるということはまた別の問題だと思う。




でも、とりあえず

この方法実践することで人生が楽になる

ということはほぼ間違いないと思う。


世界じゅうの人がみんな

この方法を身につければ

きっと生きやすい世界が目の前に広がると思う。






ちょっと想像してみよう。



  • 過去のことは水に流してくれるし未来絶望しなくてもいいし(今に生きるから
  • あーしろこーしろとうるさく言われないし(人や社会に期待をしないから)
  • 相手を責める前に、まず自分の非を疑うようになるし(他人は自己投影から 以下略
  • 現状を肯定できるようになるし
  • 構ってもらえなくても大丈夫だと思えるし
  • 楽しいことを選ぶことを肯定できるし(仕事は厳しくあるべきなんてことも言わない)
  • 相手のことを慮ることが、自分をいたわることだと気付けるし
  • いいとか悪いとかい価値観に縛られなくなるし





現在あなた人生をおびやかす何者か

(親、兄弟、親戚、同級生、上司、同僚、社会のしくみ、政府日本テロリスト、なんでも)が

もし、これらの特性を身につけたならと考えてみよう。

こりゃパラダイスだ!

ぼくたちはお互いがお互いを認められるような

真に寛容な社会を実現できる!

誰と遊んでいようが楽しい

よーし!あの丘の上まで競争だ!




少なくとも2011年の今現在

これらの方法に従うことで楽に生きられると思う。





でもそれは「従うことができれば」の話。





つの方法としてまとめられた人生訓は

実際、どこの場でも目にする。

人生論」でも、「大往生」でも、「論語」でも、「エセー」でも、「徒然草」でもなんでもいい

長く広く読まれている「人生の教え」的な本を読んでると

最後にはだいたい前の8つくらいに収まる

(代わりにどっかの社長の話を聞いてもいいし、テレビ美輪明宏さんの話を聞いてもいい)。

昔の人は偉いなあと思う。




そういう感じの本はいろいろ読んだ気がする。

もちろん、まだまだ読み足りない。

なにせぼくはまだ今年から活字に触れはじめたばっかりだ。

きっと死ぬまで読んでも読み足りないのだけど

個人的には、ぼくの考えを

そういう本が「間違っている」と指摘してくれることを期待して

かばうんざりしながらもそういう本を読んでいた。




今のところ、ぼくの考えを「否定してくれる」本は見つからない。

いや、正確に言うと、否定してくれはするけども

それが納得できないのだ。

ぼくの読解能力がないだけならそれでいいんだけど

もしヒマならちょっとぼくの考えを聞いてほしい。






まず1つめのウソ

ぼくが言いたいのは

すべての人間がこれらの方法を実行するのは不可能だということだ。






古今東西のえらい人がみんな同じ結論にたどりつくなら

さっさとそれを実行すればいいのに

なんで同じ内容の本ばっかり書かれていくんだろう。

なんで大昔の本が現在ぼくらの胸に響くのかと聞かれたら

それが人間全体に広くみられる普遍的な問題だからじゃないかなあと思うけど

じゃあ、なんでその普遍的な問題が

大昔から今まで解決されないままなんだろう。




般若心経の新訳を読んだ。

あれもやっぱり8つの方法の言い換えみたいなもんだ。

聖書だってそんなに変わらないかもしれない。

ぼくらはなんで2000年も前の真理がいまだに実行できないの?






そりゃあれじゃないの?

本などの論理的なものほとんど触れないような

感覚で生きている人がすごく多いからじゃないの?






父ちゃんは「男はつらいよシリーズ」が好きで

こないだシリーズDVDツタヤで片っ端から借りてきて

大笑いしながら観ていた。



その中の一作で寅さんの「おいちゃん」が

実は若い頃は文学をやりたいと思っていたと話すシーンがある。



おいちゃんは父親にこう言われたらしい。





「団子屋に文学なんか必要ない」





男はつらいよシリーズフィクションだけれど、

しかに団子屋に文学はべつに必須ではないとおもう。

団子屋は文字より数字数字より団子が読めればいい。

団子屋が文字を読む必要がないなら、

本なんてまったく読まない人がいてもおかしくないんじゃないだろうか。





これは団子屋だけの問題か?





勉強するくらいなら技術を磨けと教えられた人は

かなり多く存在してるんじゃないのか?

それでなんの不自由もなく生きていけたなら

感覚だけで生きていくことを恥じることもない。

それどころか、論理的なことをバカにさえするかもしれない。




ぼくのお父ちゃん電気会社に勤めている。

難しいことはわからない。

バック・トゥ・ザ・フューチャーを何十回も観てるのに

なにがどうなっているのかいまだに理解できてない。

過去に戻ったり未来に行ったりすると

物語の内容がつかめなくなる。



でもそれがどうした?

父ちゃん電気会社に勤めている。

たんまり儲けている。家族を養っている。

バック・トゥ・ザ・フューチャー理屈がわからなくてもなんの不自由もない。




熱心な仏教徒

敬虔キリスト教徒のうちで

その「教え」に追随する人はいったい何人いるの?



わかりにくいな…。

例えば新興宗教信仰者なんかだと

ただ一つの「救われた経験」を足がかりにして

熱心に信仰する場合があるみたいだけど

その最初の救いを信じていたら

つのまにか犯罪者の仲間入りをしていたことだってあるみたいだ

オウム真理教の元信者のそういうエピソードを読んだことがある)。




大昔の日本の百姓のいったいどれだけが

仏教意図を理解していたんだろう。

念仏を唱えれば救われる」って

そそのかされただけじゃないのか?




文学がわからない団子屋。

バック・トゥ・ザ・フューチャーがわからないお父ちゃん

教えがわからない「熱心な」信仰者。

念仏を唱えるだけの百姓。

そういう人たちがいるかもしれないと思ったことは?




まり、ぼくが言いたいのは

人生を楽に生きる(たった)8つの方法でさえ

読めない人がいるかもしれないということだ。

読んだ人に待ち受けているのは

やるかやらないかの差でしかない。

でも、読んでない人はどうすりゃいい?

つの方法論理的にほとんど正しい気がする。

で、その論理を理解できなかったら?ほったらかし?



ぼくは8つの方法を否定したいわけじゃない。

くり返し言うけど、これらを全ての人間が理解して実践できたら

そりゃあもう素晴らしいことになるとおもう。



でも、現実はそうじゃない。

つの方法をはじめとする人生訓が何を語っているか、よりも

何を語っていないかをもっとよく考えたほうがいい。

この人生訓がなぜいいのかということを

絶望的なまでに理解できない人がいる。

そういう人たちは人生訓が提示されるたびに足場が少なくなっていく。

要するに勉強ができない、感覚で生きている人たちをないがしろにしているのだ。

このたぐいの人生訓すべてが。

掛け算までしかからない子どもに、方程式の素晴らしさを説いているようなもんだ。

上から目線で「こうしたらいいのに」と言ってしまってることになる。

いつまでも掛け算のところでつまづいて

文句ばっかり言ってる子どもはほったらかして先に授業を進めるべきなの?

掛け算のところに戻って教えなおしたほうがいいんじゃないの?




やっと言いたいことの一つが終わった。

冗長になりそうだけど

もうひとつ言いたいことがある。

更に絶望的な想定だ。






理論としては正しいのに極少数の勝ち組しかトクにならない?







さて、こんな文句をどこかで見たことがあるだろうか。

  • 時間は戻ってこない。目の前のことに集中しよう。(今に生きる 以下ry
  • 現実は甘くない。
  • 人のせいにしない。自分の態度を改めよう。
  • 自分ごまかさない。自分うそをつかない。
  • あなたがいなくても代わりはいます
  • 他人の選択で自分が困っても泣かない。
  • 責任を取りなさい。
  • 運、不運のせいにしない。





つの方法をもうちょい過激に言い換えてみた

(まちがってたら言ってください)。

なんかさぁ…

内容自体はそんなに変わらないのに

急にうっとうしくなった気がしない?



どこかで見たことあるなあ…

これどこで見たんやろう…

ああ、そうか






就活の時の企業パンフレットに載ってたわ。





「これ、うちの経営理念やわ」っていう人いる?

こういうことを上司先生や親に言われて

「だから頑張れ」で締めくくられて説教されたことある

その時どんな気分がした?

殺したくなった?

泣きたくなった?



人生を楽に生きる8つの方法

その2つめのウソにして、絶望的な想定はこれである

正義づらした誰かに強制されるのだ。

それが「楽に生きる」とは真逆の事態を連れてくる。

底辺を鼓舞搾取)するための大義名分になってしまう。

ぼくみたいなゴミクズ人間はそのことがよくわかる

(このたぐいの説教は何回も何回も聞かされているから)。

から近づきたくないのだ、こういう人生訓には。

うんざりするのだ。自己嫌悪するのだ。



この想定のたちの悪いところは

その大義名分が「間違ってない」というところだ。

誤解なら間違ってると指摘することはできるけど

これは単に曲解しかない。

各々の解釈の違いでしかない。



冒頭に述べたとおり、8つの方法

ほぼ正しいと思う。楽に生きるためならね。

え?

間違ってないなら実行できない人が無能怠惰なんだから仕方ないって?



wikipediaによると2009年の時点で日本ニート総数63万人

しかだんだん増えている。

彼らがみんな死んでしまえばいいと思うの?

賢くて強い人だけ生き残ればいいと思ってるの?

ニートだけじゃない。実際働いている人でも

これらの大義名分に苦しめられている人はいると思う

(実際これだけの説教レパートリーがあれば人格破壊するには充分すぎるとおもう)。


1つめのウソで挙げた、感覚で生きている人を合わせると

この方法に従えない人はかなり多いんじゃないかと思う

統計を出すつもりはないけど)。




1つめのウソで言及しているような

感覚で生きていて、なおかつこういう人生訓に苦しめられている代表選手

DQNとか低学歴低賃金職人とか派遣社員とかだ。


2つめのウソで言及しているような

搾取され支配され無能呼ばわりされている代表選手

ニートとかひきこもりとか普通会社員とかだ。



こういう人たちはまとめて死ぬべきなのか?

損する人のほうが多くないか



そう考えたら、「人生を楽に生きる8つの方法」が最後の答えだと思えない。

この考え方を否定してもらいたくてそういう本を読んでいた。

でも納得できない。

これでは救いにならない。

でもいつまでも状況に進展がない。

だれか否定してくれよ。

「おまえ間違ってるよ!」って。




1つめのウソについては別の解決策が見当たらないし探そうともしてないけど

(ぼくは感覚で生きる人間ではないからあまり真剣になれない)

2つめのウソはぼくにとっては生死に関わるまさに死活問題だ。

そして、その解決策をこの場で披露することを許していただきたい。




働きたくない働きたくない働きたくない

枠組みを作ろうと思う。

ぼくみたいなクズ人間ものほほんと生きていける枠組みだ。

ほとんど働かなくてもいいような枠組み。

楽観的な言い方をすると、これは収益を生み出せるかもしれない。

そうして、口やかましい人たちを黙らせる

(ぼくはこれが実現できないとリアルに死ぬしかなくなる)。

http://auauai.tumblr.com/post/9080858048

幸せものさしの種類がもっとあってもいいと言うのなら

生き方の種類だってもっとたくさんあってもいいはずだ。




これはブログでも書いてるけど

やりたいことはphaさんのギークハウス構想に似てると思う。



クズ人間を数人集めて家を借りよう。

クズ人間がお互いのクズ性を認めあう場所だ。

クズであることを糾弾されないリアル空間だ。

リア充は入っちゃいけない。怖いから。

ネットのような優しい空間であることを目指す。

優しくて閉鎖的な空間だ。

個人的にはなるべく一人でいたいんだけどそのためのコストが高い。

でも家の外にはクズ人間の敵がわんさかいる。

そういう人と連帯を組むことはしたくない。

じゃあ、ぼくが怖がらずに近づけるのは

同じ穴のムジナであるしかいない。

落伍者うつ病患者社会不適合者、怠け者…

そういう人たちととりあえずお互いを認め合う。

自信を少しずつ取り戻す。

まずはそこからだ。

だって生きていていいんだという相互理解をつくることだ。




心底、世の中に絶望していた。

人生訓の本にはそうあるべき人の生き方が載ってたけど

どれも納得できなかった。





太宰治とかの救われない小説

共感をもたらしてはくれたけど

やっぱり現実はしんどいままだった。





鴨長明吉田兼好良寛みたいに

山の中に草庵でも建てて住もうと本気で思っていた

(いまでもその選択肢を考えてる)。





いくら本を読んでも

現在の恐怖と、わずか数年後の不安を解決してくれるものすらなかった。






でも最近考え方が変わった。

それもやはり本を読んで変わった

(次に挙げるだめ連の本とはまた違う本だ)。






だめ連の本によると

一人の時に負うコストリスク労働量も精神的負荷も、

連帯すると分散される(当たり前か)。

家賃10万円の家を10人で借りたら一人1万円だ。そういうことだ。

だめ連はけっこうハチャメチャなことをやってたみたいだし

近隣の人の援助もあったらしい。

それはちょっとできるかどうかわからない。

でもぼくらにはインターネットというツールがある。

それもだめ連の時よりも更に強力に整備、普及されたものだ。



ニコニコ動画の「歌ってみた」からプロデビューする人がいたり

レゴ作って2chスレ立てるだけでプロビルダーになる人がいたり

自分の顔を毎日撮って繋げただけの動画Youtubeで何万再生もされたり

「ありがとごじゃいます」って歌って動画として公開するだけでテレビに出演できたり



要するに「好き」とか「やってみた」とかの

草の根レベルのちょっとしたアイディアを発表するだけで

負け犬から注目される人になる可能性がぐんと高くなっている。

ということは

そういうしょーもないアイディア収益化する可能性があるのだ。



リスクコストのかからなくて

ちょっとでもおもしろそうなことはなんでもやってみりゃいいのだ。

社会不適合者が集まっているということだけでもちょっとおもしろいかもしれない。



誰が許さなくても本当は関係ないんだよね。

自分が感じる心苦しさより欲求が勝てば、そっちの選択のほうがワクワクするものなはず



冒頭のまとめスレにはこんなレスもある。

心苦しさを飛び越えるほどの、欲求があればぼくらは動ける。

外にある楽しいことに手を出すのは怖いしめんどくさいけど

ネトゲくらいならちょっとやってみようかなーなんて思える。



とりあえずヒマならその家に集まってみて

生きるのに向いてない人がリラックスできる場をつくる。

なんかちょっとやる気出たり、アイディアわいてきたら

そういう人たちの「好き」とか「アイディア」を片手間でネットに発信してみる

(ぼくもいくつかアイディアがある)






奇しくもこの考え方は

人生を楽に生きる8つの方法の6つめに従ったやり方だ。

楽しいことだけを追い求めて生きていくことが可能かどうか確かめたいのだ。



収益化ができてしまえばあとはどうとでもなる。

しかし、生きるのに向いてない人がラクになれる場所

SNSでの付き合いで世界のツラさを「ごまかす」だけじゃない場所だ)

これができるだけでも意味はあると思う。



もうだから早く家借りよう。

とりあえず、ツイッターmixiメールかなんでもいいから連絡をください。

http://twitter.com/yukkun1986/

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=25533767&from=navi

breed0902@gmail.com

ぼくは幸運なことに個人情報晒すことはあまり怖くない

(悪いことをまったくやってないってことじゃないけど)。

これが実現できないと絶望するしかない。

ぼくにとっては個人情報なんか出し惜しみしてる場合じゃない。



ぼくらクズ人間同士でつながろう。

もうイヤやねん。働きたくないねん。怖すぎるねんこの世界

たすけてくれよ。「私も怖かった」って言ってくれよ。

怖いよねー(*´・ω・`)(´・ω・`*)ネーって慰め合おうよ。

別に住まんでもいいのよ家には

慰めとか遊びとかアイディアの拠点にするねん。

もう疲れた。

もう待てない。

もう泣きたくない。

誰かが泣くのも見たくない。

ぼくが許せないのは自分と誰かが死ぬことそれだけだ。

きみは死ぬな。

どんなに腐ったような人間でもかまわんから生きてよ。

ぼくだって生きててもなんの価値もない。

それでも生きれるようにしたいのよ。

ぼくもきみも。

これがぼくらの「楽に生きるための一つの方法」じゃないかと思うんだ。




追記

コメントに返事を書く!


なげーよ。

ごめんなさい。短くしようともしてませんでした。

短く的確に書ければいいなと思います

書いていくだけでその練習になればいいななどと虫のいいことを思ってます


誰も強制してないし、できない奴を馬鹿にしてもいない。自意識過剰自分以下を眺めて満足したいだけでは?/「5. 自分がいなくても世界は回る」の「自分」は語り手を選ばないからこそ「楽」につながる

途中で途切れてしまうのでトラックバックとして書きます

http://anond.hatelabo.jp/20110820110731

単純な疑問。

アマゾンのレビューってそんなに影響力あるんだろうか。

「こんなこと考えてる人もいるのね」ぐらいじゃないの。

http://anond.hatelabo.jp/20110820024108

頑張れ

どうせその女は「親友が忘れられないの」とか「親友を捨ててあなたと付き合うのは苦しい」とかいってお前を捨てるから

そうなると恋愛も友情も失うハメになるから頑張れ

となりの部落

自分の中で、今まで書いて整理できなかったものとして、「部落」というものがある。

部落っていうと関西イメージが強くて、有力者なんかだと食肉業界成功したりしている、みたいな感じなんだけど、それとうちの近所の部落との整合が取れないなあ、と。多分東北とかまで行くとあまり部落ってイメージもなくなっていて、松本大臣VS地元メディア、みたいなこともあったのかなあ、と思う。

ところで中部地方なんですけどね。関西とは少し雰囲気が違う。

あと、田舎。割と構成員が変わらないってのがあった。そのへんが世間一般の感じてるもの自分の感じてるものが違うなあって思った。

自分地区の隣の地区が、行政的にそういう位置付けのところである、ってのを、まあ成人するかしないかぐらいのところで知るわけです行政的に、っていうのは隣保館とかがあったり、区画整理がされてこのへんじゃ珍しい2車線道路が走ってたり、地区に入るところに信号横断歩道がついていたり、市営住宅がたくさんあったりするってことなんですけどね。

自分ちのそばに解同の事務所なんかがあることなんか知らずに育つわけですよね。

でも、その地区が特殊な地区であることは知っている。うちの隣のその地区は食肉とか皮革とかではあんまりなかったみたい。あとでちょっと調べたけど、民間陰陽師とかそういうこともあったらしい。まあどういう区別なのかよくわかんないけど。

で、部落歴史としては、全国的なことなのか、農地を持っていなかったり小作していなかったりする人たちなので、戦後困窮したらしい(民間陰陽師も禁止されたとか)。卵が先か鶏が先か、って話だけど、その地区生活レベルが周囲より下がってしまった。そういう歴史はもちろん僕らは知らなかったが、その地区の子たちの学校での勉強が芳しくなかったのは体感している。(ちなみにその地区土建と自営が多く、他の地区農家と勤め人が多かった印象)

これもあとから知った話で、というか母が小学校教諭として自分の通っている学校に勤めていたことがあったのだが、ここに赴任する前にそういうレクチャーを受けるらしい。そして全校100~200人程度の過疎の小学校なのだが、質の高い教師が選ばれていたらしい。そんな恩恵を知らずに受けていたのだが。そういうわけで、僕も利権中の人と言える面はある。

そういうわけで、母曰く、僕らはかなり大きく同和(人権?)教育を受けていたらしいのだが、子ども心に全然覚えがないんだな。部落という地区があっても、そんな地区がどこにあるのか知らないのだもの(隣にあったのに)。「出自によって差別するのはよくないね」「はーい」なんて言ってたのかどうか、今考えると靴の上から足の裏を掻くようなもんで、具体的にその地区のことを説明せずに、よくそういう教育ができたもんだ、と思うが、その地区の人もその地区じゃない人も同じようにその教育を受けていたようだ。

で、そういう部落とは知らないその地区に対して、かなり年配の大人(祖父母など)は「そこへ行ってはいかん」「その地区の人と遊ぶな」という教育をしてきましたね。で、噂としては「狂犬病の犬が放し飼いにしてある」「おかしな人が追いかけてくる」などの噂があって、怖がりな僕はほとんどその地区に入っていません。いわゆる級友、クラスメートとしては全く違いはないので、その地区にも友達はいて、何かしらの努力をしてその地区に立ち入ったことはあります友達関係としては至って普通でした。

その地区学校の成績としては低かった体感があり、その地区の中でつるんでいるグループがあって、ちょっと荒い印象はありました。

いまさら親と同和について話を聞いたりするようになったんですが、難しい話ですよね。その地区土木工事的にはお金がつぎ込まれて、ハコモノもできて、小学校には優秀な教師が送られていたはずが、昭和末期から平成にかけても、教育水準体感に差があった。学校にいる子どもたちは、同和や部落のことは何も知らないし、知ることがいいこととは思わないが、もしそこに格差があっても、打てる手は少ない。

絶望格差

http://anond.hatelabo.jp/touch/20110816220206

というエントリを読んで感じたんですが、もともと地域の水準って、モザイク状なんですよね。うちのあたりは全体的に遅れた地域ではあったんですが、やっぱりその地区と他の地区では成績の体感に差があった。これってどこにでもある話だけど、どこにでもはない話とも言えると思う。

ついでながらの無駄話をしておくと、今でも市単位で、人権講演なんかがあったりして、同和行政は終わってても、どこかでそういう予算がついているみたい。で、関西四国あたりの人に喋ってもらってるらしいんだけど、何か違うと思うんだよな。

動物視の視線とそこからの回復について重要なヒントをメモ

http://anond.hatelabo.jp/20110816094649

http://togetter.com/li/172491

個人的に「視る側」として、そこからの回復が必要。

人間動物を分けるもの

Truly extraordinary speech by fearless woman in face of #Hackney (with Subtitles)

http://www.youtube.com/watch?v=llhVrB5Ejmk

ステキな訳を見つけたんでこれも↓

http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/archives/51801224.html

ブロークンブリテン

http://loveandhatelondon.blog102.fc2.com/blog-entry-1084.html

ネタだろ? と言いたいところだがネタであるという証拠の探し方がわからない。宿題

「あー、女の子パンツになりてぇ」と言ったら、妹が家出した。

今は女子寮にいる。良いじゃないか。クンカクンカしたいんだから

あー、でもパンツになったら直にか…ちょっと刺激が強すぎるかも。

ならスカートかな。パンツ越しにスーハーできる。

イスも良いな。柔らかいお尻に座られたい。

何でオレ人間なの?モノになれたら女の子にイタズラし放題なのに!

そんな願望を持つ健全なオレは、 学園から帰る道すがら、しゃべるネコのような生きモノが見つけてしまった。

彼女(?)を介抱すると、助けてもらったお礼にある能力を授かるが、

それは…なんとどんなモノにもなれる『変身能力』だったのだ!!

夢にまで見た能力を手に入れたオレは、女の子にイタズラし放題!

一方、ななこには別の目的があるようで…?

とどまることを知らない主人公の変身H無双が今、始まる!!

http://anond.hatelabo.jp/20110820022106

「いい男」は「いい人かつ男性」って意味ではないよ

旧帝大リア充でチーム一丸となって優勝経験があるとか

最強スペックですね^^

http://anond.hatelabo.jp/20110820035547

コメントありがとう!やっぱり何もしないのが一番よねー。

んで親友彼女と付き合えるパターンって、けっこう少ないと思う。女性はもっと先を考えてる。

そうっすなー。だめだねぇ男は全く先が見えてなくて、目の前のことばっかりで。(いや、自分だけかこんなのw)

俺だったら「最近彼氏と仲が悪い」って仲のよい女性が言うもんなら

「じゃー俺と結婚しろ(付き合え)!」って冗談ぽく言うようにしてる。

一緒に酒飲んだら確かに言ってしまいそうだなぁwwwwww

言っちゃうような状況にならないように努力しようと思う。本当にありがとうwww

http://anond.hatelabo.jp/20110820034053

コメントありがとう。よくわからない方向からGSGS何かが刺さってくるコメントありがとうwwwwww

本当に親友を思うなら、親友彼女に必要以上に接近するようなことはしない。

仮に親友彼女自分に接近してくることがあれば距離を置く。

また、もしも相談を受けるにせよ、二人の仲を取り持つようにすべきで、

ましてや、彼女の肩を持って親友をけなすような真似は論外だ。

自分がちゃんとできなかったのはこれなんだなぁってすごく思った。

親友に甘えて一緒に遊びすぎて、距離が近くになりすぎたんだなって思う。今後こういうことがないように本当に気をつけたい。

どうもありがとう

http://anond.hatelabo.jp/20110820030919

コメントありがとう

そりゃぶちこわすよなぁ…正直ぶちこわしてしまうのは勿体ないと思うんだよね。

君の文から親友や信頼を捨てる覚悟や器量が伺えない。

まさに、おっしゃるとおりだと思う。まるで覚悟もない.。ましてや同じコミュニティーでこの問題を抱えつつ彼女と付き合っていく器量なんて全くないだろう。

ただ、気持ちに整理がつかなくて、夜に一人で考えちゃったからここに書かせてもらったんだ。(まさか友達に聞けないし。)

期待通り、意見がもらえてよかった。本当にありがとう

アマゾンさんと佐川さん

荷物の動きのお話

火曜日 アマゾンさん、出荷しました!

    佐川さんの追跡で千葉市センター引き受け

水曜日 最寄の佐川センターで配達中となる

    不在票すらもってこない。荷物がセンターで寝ているみたい。

木曜日 不在票が入る

    18:00までに佐川電話しないと当日の配達が無理なので、受け取れず

金曜日 18-21指定で受け取りなんだけど、18:00までに帰宅とか難しいけど、佐川さんが空気を読んで20時過ぎにきてくれた

不可解なので、ちょっと先回りしてみた。

火曜日 アマゾンさん、出荷しました!

    佐川さんの追跡で千葉市センター引き受け

水曜日 最寄の佐川センターで配達中となる

    不在票がないけど、前回の配達のときの不在票をたよりに自動応答に電話アマゾンさんのサイトに書かれている伝票番号で18-21指定で再配達依頼。なぜか依頼できた。

    20時過ぎに受け取れた!

サブ・カルチャーが力(power)をもつこと、教養のはなし

浅田彰Wikipediaページを読んでいた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0

長いけど引用

人文知の現在については、『表象』no.01(2007)における松浦寿輝との対談において、「プラグマティック工学知とそれによる利潤追求がすべてだ」(テクノキャピタリズム)という発想の全面化により、「人文知の成立する余地が失われた」。「いまや国家もハイ・カルチャーに興味をなくしつつあるし、オタクあがりのIT成金もハイ・カルチャーに興味をもっていない」。残っているのは、「日本における動物スノッブあるいはスノビッシュな動物としてのオタク、その幼児的倒錯」しかないように見え、実際、「幼児的退行を売り物にするカルチャーが、日本的なオタクの特殊な表現であるということで、世界的に売れてしま」う。「2000年前後に、ドラスティックな変化があった。それまでは近代文学というものが辛うじて生きていた。しかしいまやそういう意味での文学とは違うところ、いわゆるライトノベルケータイ小説アニメゲームのほうが、主流になってしまった。文学もそういうふきさらしの荒野に出てしまったと言う感じははっきりする」

しかし「素直に言って、僕はそういうものは最悪だ」と思うし、「市場論理がすべてだとは絶対に思わない」。とはいえ、それらへの「反動として、ヨーロッパ的(あるいは東洋的)な古きよき教養に戻るというのも望ましくもなければ可能でもない。亡命知識人の体現するヨーロッパアメリカ臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつモチーフになる」と述べている。

この鋭さはやはりすごい。

これについこの前の内田樹の話がかぶってくる。

http://blog.tatsuru.com/2011/08/01_1108.php

こちらは引用しないけど、ネット上の言論が暴力的になってきているという彼の印象と、それについての言説。

で、

サブ・カルチャー社会において力を持つということは社会教養レヴェルが(全体的に)落ちたということではないのか?

教養の不足、というのは、他者との距離感を錯誤する。わたし、と、あなた、の違いが曖昧しか感じられなくなってくる。

総理大臣に『バカッ!』ということが、冗談でなくて本気で彼に伝わる、そんな感覚さえもつようになるのでは?

そして政治家もまたひとしく教養を欠き、彼らの十八番であった言葉遊びができなくなって、記者会見で泣き出す?

政治家でない私が政治家と違うのは、互いの囲まれた環境(circumstance)が違うのだから当然で、彼の言葉を理解できないから『理解しようとする』。

今そういうことを皆できなくなってきてるのではないか

『おマエ氏ね』と書き込むひとは、案外以前より一層、本気で書くようになってきたのではないか

二人のコトを読んでそんなことをぐるぐる、もやもや、考えた。

なにか問題をおこした時、外に対しては「以後気をつけますですませても、中では必ず再発防止策が実施されている。

たとえば、ウェブサイトで使うべきでない言葉を使って批判を浴びたら、その言葉を使ったらアラームが出るようにしておく。

システム自動的にチェックする場合もあるが、多くの場合はアップ前のチェックリストに入れるだけだろう。

チェックリストというものは意外に有効で、これでまず、再発はほとんど防ぐことができる。

から、3回以上同じ間違いを繰り返すような企業は、よほど無能社員が揃っているか、悪いことをしたと全く思っていないか、いずれかであると考えられる。

http://anond.hatelabo.jp/20110819171051

そうだねぇ。プロ定義を「その仕事で金を稼いで食っていける」だと考えると

野球将棋に比べてプログラマに必要な才能のハードルは遥かに低いなあ。

http://anond.hatelabo.jp/20110819082540

いやあ、君の何の根拠もない決めつけ、インネンづけがいちゃもんつけの典型例じゃないかと。

http://anond.hatelabo.jp/20110820024108

ぶち壊すに決まってるだろ。

君の文から親友や信頼を捨てる覚悟や器量が伺えない。

悪いことは言わないからやめとけや。

二人が完全に切れているのを数年見届けた上でその親友の応援がもらえたら、

親友とは疎遠になるつもりで改めて悩め。

友情と恋愛

友情と恋愛と、どっちを取るかって人類最大の命題だよね。

まさか自分がこの命題に該当する日が来ると思わなかった。


一番の親友彼女と別れそうだ。

問題は自分彼女を好きになってしまったって事だ。

親友は同じ学校の同じゼミメンバー

本当にいい奴で、よく一緒に酒も飲むし、研究学業切磋琢磨できるすごい大事親友だ。

親友は僕と遊ぶ時、よく彼女を連れてきていた。だから彼女と僕はお互いどういう人かはよく知っている。

親友彼女を僕と遊ぶ時に連れてきていたのは、僕が彼女に対して無害であるということと、一番中のいい友達を知って欲しいという気持ちからみたいだった。

ところが、しばらくして、小さな喧嘩をしているのを見るようになったので、たまに仲裁に入ったりしていた。

それは、親友から相談されてそう言う立場になったのだが、、、、、

ある時、親友からだけでなく、彼女の方から相談されるようになってきた。

話を聞いてると、健気で何となく共感してしまう事が多くなり、親友に対して、彼女から聞いた話の方を持つ意見を多くするようになってしまった。

この時、既に彼女を好きになりかけていたのかもしれない。

当時はそんなつもりはなく、話を聞いた上で自分で判断していたと思うんだけど。

で、最近本当に別れるみたいな話が出てきた。

彼女は今回も僕に相談してきて、その決心がついたと言ってきた。で、難しい時には力を貸して欲しいって。

自分はそれを承諾してしまった。

電話彼女に、次に好きになるなら増田さんみたいな人がいい。って言ってくれて、正直嬉しかった。

付き合いたいし、告白したいって思うんだけど、これって親友との友情ぶち壊すんじゃないかってすごく怖い。

親友とは本当にいい関係なんだけど、ここしばらく、あまり一緒に酒も飲まないし、遊んだりもしてない。

おそらくこの彼女が僕に相談しているのを知っていて、僕が彼女の方を持つの何となくわかっているからだろうと思う。

で、そんな状況で、僕が彼女告白したら、親友とのつながりがぶっつぶれちゃうんじゃないかってすっごく怖い。

(そもそも彼女が僕の告白を了承して食える保証もないんだけど、、、)

親友とはこれからもいい関係でいたい。彼女には気持ちを伝えたい。

どうすりゃいいかなぁ。僕には何をどうすればいいのかさっぱりわからないよ。

兄弟がいうように、何かを得るためにはその対価を払わないといけなくて、何か犠牲にしなきゃいけないんだろうか。

(払っても等価交換されない可能性があるけどね。)

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