はてなキーワード: 80年代とは
そもそもテレビの娯楽が地上波一択の80年代から男の170cm未満は不人気。
漫画やアイドルなど若い男性向け雑誌の広告も背が伸びるのを謳った健康食品や商品やシークレットシューズがデフォ。
ベテランお見合い婆さんも「男は背が高ければなんとかなる」と公言。
明らかに平均身長170cmなかった世代の昭和15年生まれの身内の爺(身長167cm)も170cm欲しかったと何度も口にしており、高倉健など高身長俳優信者。
「ジャニが衰退して急に高身長志向になった」というのはチビの願望にすぎない。
テレビに出てるグループやタレントはメイクで仕上げてるのを画面越しに見るだけの存在なのでディズニーやサンリオと変わらない。
恋愛や婚活市場でジャニヲタ含めて女が一貫して低身長を避け続けてるのを「ジャニタレがテレビに沢山出てるからチビイケメンがモテる」と自己暗示してただけ。
性加害報道で少数のジャニヲタ以外の女はジャニーズをぶっ叩いてたし、スポンサー降板で歌番組や冠番組やCMが激減、LDHなど他事務所や韓流のグループや若手俳優に入れ替わっても誰も気にしていない。
https://pbs.twimg.com/media/GGniBctbQAAm9xR.jpg
『クッキングパパ』の舞台は福岡で、初期のパパは周囲には自分が料理してるのを隠しており、自作のお弁当も妻が作ったていにしているのだが。
「社会問題なんて一切無縁」では全くないよ。
子どもの頃は何で荒岩パパは料理上手なことを隠すのかと思ってたが、自分も父親になると理由が分かるよ。
自分も家庭では料理担当で、毎日お弁当自作してるけど、それを周囲が知ると「何で奥さんが作らないの?」的な反応がくるもん。
年配の上司からは「奥さん甘やかせ過ぎだ」とか軽く叱られたことすらあったもんな。
だから自分も料理して弁当作ってることは周囲には特に言ってない。
https://twitter.com/pen_pen2020/status/1760194123490017697
わしお@washicomp
クッキングパパは社会問題なんて無縁→「九州男子厨房に入らず」「女は家庭、男は仕事」「男は家事育児しない」を覆し、ジェンダー、ヤングケアラー、里山管理、熟年層の恋愛などさまざまな社会問題を扱ってきている
https://twitter.com/washicomp/status/1760488022762741881
@hamanaka_aki
今『クッキングパパ』と『美味しんぼ』を比べて『クッパパ』は「無難すぎる生活を書き続けてる」とするコラ画像?が流れてきたけど(不快なので引用しない)、ほんとに『クッパパ』読んでんのかよ? フォカッチャ回とか、初期夢子とか、そこかしこに福岡の狂気がにじむ件とか、無難じゃないだろ!
https://twitter.com/hamanaka_aki/status/1760243332511682957
かじめ焼き@kajime_yaki
パチンコが社会問題化したころには主人公の義父に苦言を呈させてるし。
https://twitter.com/kajime_yaki/status/1760173531076448318
ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する本」「天皇を旅する地図」ほか BOOTHはじめました@katsunomisanzai
クッキングパパは「クッキングパパ」であることそのものが社会への問いかけだったんじゃないですかとおもうけど(しかも九州男児なわけでしょ)そう思わない、疑問を感じない人が増えたのは時代の変化なのかも
あと「クッキングパパが話題を巻き起こすことない」と断言してるの、このひとにとっての「話題」ってなんなんだろう。アニメ化され実写化されたこともあってなお話題になってない扱いなのか
https://twitter.com/katsunomisanzai/status/1760229692244979911
リチウム@Lithium910322
「クッキングパパ」でもキャンプの時に学校で教わった環境破壊の話を父に話すまことの話やら、妻の実家の養豚業に継ぐ為に脱サラしたメガネさんが副業の柑橘類農業を廃業さぜるをえなくなる話やら、みゆき出産育児の時に育休の話が出てたりと、結構社会問題ネタやってますやん。
https://twitter.com/Lithium910322/status/1760173548596052319
オレンジの輸入自由化の時は、原反のためにミカンの木を伐採したさまを描き、いつか大変なことになるのでは、と批判している。
子供を授からない梅田夫妻。部下の工藤は育休を取得していたはず。
https://twitter.com/Akoma83801450/status/1760262420898140387
俺(いや誰でも良いけど)が国会図書館とか大宅壮一文庫に行って、80年代90年代の週刊誌を読む。
そこには、今では考えられないようなセクハラやパワハラまみれでそれを賛美している様などうしようもない記事がたくさんあり、しかもそれには今も活躍している芸能人も関わっている。(露骨な記事だけじゃなくて、女性を招いた対談で相手の下着の色を聞いたり、胸を本当に触ったり、性生活を無理やり聞き出したり。それがずっと続いている)
それで俺は例えば試しに文春なり週刊ポストなりサンケイなりプレイボーイなりの198X年Y月号の記事評価目録とでもいうものを作って、「何ページ 記事名 この記事では(現在も活躍する)男性芸能人Xが、女性Yに対し、これこれこういうセクハラを働いていた」とか「学生時代のいじめ加害行為を良い思い出かのように懐古していた」「レイプ・わいせつ行為を自慢気に告白していた」などとリストを作る。
そしたらお前らか誰かがそれをもとに、その芸能人に対するキャンセルを行う。被害者当人の告発の有無とかは関係ない。「いやあれはただノリでふざけて誇張して書かれてるだけで」とかも関係ない。
「社会にその様な記事が出回って問題を軽薄化させ、被害者を増やす様な風潮に加担したこと自体が罪だ。それだけでキャンセルに値する」と
もちろんこれは現時点では思考実験だけど
俺がこういうこと思いつくくらいだから、筋金入りの活動家なんかはすでに内輪で同じ事やって「爆弾」をせっせと作ってるんじゃないかと思うよ。
東京オリンピックの小山田問題とかもそういうことなんだけど(障害者&五輪に絡んでるから注目度が増しただけで、あれの相手が普通の学生or五輪に関わってなかったら騒いでなかっただろ)
じゃああの大物芸能人や大物俳優はええのか?その差はどこに?ってことでもある。
個々のケースや個人だけでなく、ブームとして大々的な掘り返しが始まった場合、直接的な加害者(まあ主に男性だろうな)だけじゃなくて、
当時はそれを受け入れていた女性にも「なんであの時ちゃんと抗議しなかったんだ!お前らが抗議しなかったせいでアップデートが遅れた!」みたいなむちゃくちゃな向きが発生しそうな気もするけどな。
巨乳ブームってオッサンワイの体感的には80年代後半から起きて2010年代くらいまで盛り上がったり盛り下がったりしつつ続いたという感じなんだけどさ。
ここ数年で割と急速に「デカいから、だから何だよ」みたいなノリが、特に若者に広まってきたような気がする。
女子向け雑誌とかでも、一時期やっぱ巨乳は良いぞ的な風潮があったような気がするが、現実に巨乳だと実生活だとむしろ不便なことが多いぞって事実が広まって、その価値が急速に下がった気がする。
今の女子向けってむしろ胸が小さく見えるブラとか流行ってるやん。その方がボディラインがスッキリしてニットとか着やすいみたいな。
女子たち本人的にそういう事情もあるんだろうし、男目線でも実際、セックスする相手が巨乳だからって別に楽しいってわけじゃないしねー。
まあそれで金を取れるレベルの美巨乳であれば良いんだろうが、そんなんつまりプロのグラドルさんやし、一般人でそんなレベルの美巨乳は過去二人しかお会いしたことがない。
なんてことを最近の定期さん(21歳大学生見た目ギャル系Dカップだが普通に性格が良く病んでもいないというパパ活女子界隈の激レア当たりキャラ)と昨日セックスしながら話していた。
もう10回くらい会ってるのでお互いのノリやセックス時の注意事項もだいたいわかっており、過去最高に楽しいセックスができ愚息も無事昇天いたしました。
相手からも「過去最高に気持ち良かった。めっちゃ声出ちゃった」との感想をいただき、これにはおじさんも思わずニッコリ。
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。