「ストーリーテリング」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ストーリーテリングとは

2022-10-16

追記MAPPAチェンソーマンの1話のセリフ修正してくれ

アニメチェンソーマン』第1話において、作者の意図とは異なる形で台詞の一部変更がありました。

今後の物語の展開を考慮協議を重ねた結果、当該の台詞原作に沿った形で再収録します」という旨を発表してほしい。

デジタルなんだから修正できるでしょ。

 

 

「『俺たちの』邪魔すんなら死ね」 の『俺たち』の削除が話題になった。

原作未読者は「気にならない」と言っているが、「最終決戦前に、ラスボスが全く同じ台詞主人公に言い放つ」と聞けば、「じゃあその台詞も変更になるの?まずくない?」と思うでしょ。

映画オマージュでキャッキャしてるが、作品内容には全く関係ないしチェンソーマンファン映画ファンというわけではない。

まずは作品内のセルフオマージュに目を向けてくれよ。同じ構図・台詞が何か所も使われているんだから

 

 

CGとか戦闘シーンのぎこちなさは、ハッキリ言ってどうでもいい。

ストーリーテリング人物描写のほうが重要

 

 

表現規制はしてないんだからターゲット層は年齢高め。

誤解のないように~、とかはおかしい。

現代文の授業でさ、「縦線Aはどの内容を指しているか?」とか「この時の人物の心情を述べよ」みたいな訓練やってきたよね?

『俺たちの』は、「デンジの夢=ポチタの夢 つまり『俺たちの夢』」を指しているか複数形になった。それは直前の会話から読み取れるはず。

 

 

この台詞デンジの今後の行動原理作品象徴するものあり、メディア(情報誌とか)でキャラ紹介の際にも引用された例がある。

アニメが人気出て、声優バラエティ番組に呼ばれたとする。

「じゃあデンジの『あのセリフ』お願いします!」ってMCに振られたら、十中八九は「俺たちの邪魔すんなら…死ね!」になるだろ。

「じゃあ夢バトルしようぜ!夢バトル!」になるか?「デビルハンターとして雇われたからにはよぉ~」になるか?

田中真弓バラエティ番組に出たら「海賊王に、俺はなる!」「俺は、海賊王になる男だ!」って言うだろ。

「俺は海賊王になる!」とは言わないだろ。

梶裕貴なら「駆逐してやる…この世から巨人を…一匹残らず!」って言うだろ。

「この世から巨人を、一匹残らず駆逐してやる!」とはならないだろうが。

このエレン台詞原作2話(プロローグ)で描かれているが、終盤地ならしで大陸上陸する際には

駆逐してやる…この世から…一匹残らず!」と繰り返している。

繰り返すことで特別台詞にしていく演出は、岡田斗司夫ハンターハンター解説で紹介している。

『彼は 最高の ハンターだ』

から、わかりやすいように変更したんじゃない?っていうのは通じない。

 

 

バカに合わせるなよ。

年齢層は下げても知能は下げるな。

 

  

そもそも連載第一話なんて死ぬほど打合せして推敲しまくったに決まってるだろ。

その台詞を削除する必要はあったのか。

その意図理由を知りたい。

 

 

なにより悲しいのは、英語字幕では

If you get in our way? と、しっかり our/俺たち が使われてるんだよ。

YOUTUBEのリアクション動画で、海外原作ファンが「あのシーン来るぞ、、、キタァァーー!!」って喜んでるけど、来てないんだなこれが。

 

 

話は逸れるが、放送中のジョジョ第6部ストーンオーシャンでは、作品ファンファイルーズあい共演者キャラの心情を解説したり、監督/音響監督にも意見を求められる というのをインタビュー記事で読んだことがある。ウルトラジャンプだったか

それくらい熱烈な原作ファンがいて、原作尊重する現場から、改変/補完シーンでも違和感ない台詞になるんだろう。

 

 

事前特番演者が「好きなシーンは?」と聞かれて、「変身前のデンジセリフがいいんすよー」とか言ってたけどさ、変更されてるじゃん。

 

 

あとゴミ箱から復活するシーンもさ、終盤にセルフオマージュがあるわけ。なんで別アングルからの引き絵に変更するんだよ。

原作の決めゴマ/決めシーンを引き絵にして台無しにするのがMAPPA」ってのがお決まりになりつつある。

呪術廻戦・宿難の領域展開とかさ。

一枚絵を下からスライドとかでよかったんじゃないの?

 

 

ついでだから言うと、デンジが絶命するシーンで一定叫び続けてるのおかしくない?ぐわーっ、ぐわーっ ってさ。

刺されるたびにうめき声上げるとか血吐いて声が掠れるのがさ、『リアルな演技』なんじゃないの?

映画っぽくリアルに寄せましたって、本当に?

養成所でそういう演技指導されるんじゃないの?

どういう状況でどんな体勢で喋ってるかを考えてさ。

事務所所属するのすら一握りって聞くよ。

そんな方たちからオーディションで選ばれた精鋭なんでしょ?

素人が疑問/違和感を覚える時点で変じゃない?

新人みたいだし、正直会話部分は拙くてもいいよ。

でもそういう動作表現とかはさ、養成所で訓練するんだろうし、嘘っぽいと気になる。

下手でもいいけど嘘っぽいのはやめてくれ。 

 

 

自然な会話」と「アニメっぽい台詞」って合わないの?。

アニメなんだから決め台詞アニメっぽくていいじゃん。

そんなにも映画は崇高なんですかね。

タツ作品は元々映画意識した漫画なんだからアニメ映画に寄せすぎる必要はないよ。

古来より日本演劇歌舞伎文化だったんだし、「決め台詞」っていうは正にアニメ的でしょ。

ワンピースとかジョジョとか、日本っぽいアニメっぽい台詞海外に受けてるんでしょ。

融合すればいいじゃん。

片方に寄るなよ。

 

 

マキマは、デンジが「マキマさん可愛い」って言ってるんだから20代前半くらいの可愛い声なんだろう。

「人だ」の一言でマキマの人物像がわかる楠ともりの演技はすごかったです。

 

 

 

追記

 

そんな台詞あったっけ?忘れた

「あのセリフ」なんて言うほどメジャーセリフじゃなくね?

俺も夢バトルなら覚えてるけど「邪魔すんなら死ね」の前に「俺たちの」がついてたかどうかなんて覚えてない

あなた記憶力が悪いのとアニメ台詞削除はなにか関係あるの?

繰り返されるセリフメジャーじゃない?じゃあなんで炎上したんだよ。

「その日人類は~」はナレーションアルミン(井上麻里奈)だうが。

実際バラエティー番組に梶が出てくるときは何回かこのセリフ言ってる。

大体チェンソー自体バラエティなんかでわざわざ持ち上げられるほど一般向けに大ヒットするとは思えんしな

あれあくまサブカル気取り層向けでしょ

他局でも使いやすいように一社提供にしてるんだろ。

わざわざイケメン起用してさ。

サブカル層向けだとセリフ削除は容認されるの?

 

 

2話がよかっただけに、1話の残念さがならない。

2022-09-19

リコリス・リコイルストーリーテリング頭一つ抜けてる」おじさん

何が違うんだろうな。

面白さに好みや運で片付けられない確かな方程式みたいのがある。

どうやったら良いのが出来るのか理解した上でやってないと出ないような打率というか。

バッターボールを打つ時にヤマカンで次の球種を当ててるんじゃなくてシッカリ目で把握してからバットを当てていくような確実さ。

深夜アニメが何をやれば客に望んだもの提供することになるのか理解した上で、客が「サラダ食いたい」と言うのは無視してビッグマック提供するような安定感。

つまんない表現になるが「化け物じみてる」とでも言うんかね。

出力が終わったものを見てる分には勝ちの法則をただなぞってるのが分析できるので逆に誰でもできそうに見えるタイプ怪物

こういうのが出てくるから日本アニメ面白いね。

対して日本ドラマはこういのが全然でなくなって退屈だよ。

邦画海外で賞取ったの順番に見てくと結構良いのある

anond.hatelabo.jp/20220804205748

 

増田君!匿名でよかったね!大恥かくところだったね!

2022-08-15

anond:20220815153020

ストーリーテリング世界観がしっかりしてるっていうのはアニメとして出来がいいという評価ベースになると思うので、やっぱり進撃はアニメとして出来がいいと思うんですよね。

anond:20220815143824

技術じゃなくて、世界観とかストーリーテリングはすごいと思うな。売上512億円とかすごくないですか?

https://en.wikipedia.org/wiki/Attack_on_Titan

2022-08-13

anond:20220813101441

それは映画を軽く見過ぎているかな。たとえばプロの若手漫画家編集者に、とにかく映画を見ろと言われるのはなぜか。演劇音楽にはない、映像表現としてのストーリーテリング表現技法がそこにあるからだろう。

ドラマアニメにもあるだろう、ということならそうだろう、となるけど、やっぱり質の高い映像表現を探すなら映画の方が手っ取り早い。歴史的な蓄積で、量も種類も豊富だしね。

2022-08-07

anond:20220804205748

リコリスストーリーテリングwwwwいやいや

ありがちな設定・脚本だし単に情報小出しにしてるだけでしょ

あの作品がすごいのはアクション殺陣カット割り・原画動画中割りであってこの部分は本当によく作られている

異世界おじさんは会話劇も素晴らしいけどそもそもアイデアの時点で勝利している

金太郎飴異世界物を一捻り二捻りして裏をかいてきた

2022-08-04

リコリス・リコイルストーリーテリング 異世界おじさんの会話劇 この2つだけ頭一つ抜けてるな

圧倒的って感じがする。

何が違うんだろうな。

面白さに好みや運で片付けられない確かな方程式みたいのがある。

どうやったら良いのが出来るのか理解した上でやってないと出ないような打率というか。

バッターボールを打つ時にヤマカンで次の球種を当ててるんじゃなくてシッカリ目で把握してからバットを当てていくような確実さ。

深夜アニメが何をやれば客に望んだもの提供することになるのか理解した上で、客が「サラダ食いたい」と言うのは無視してビッグマック提供するような安定感。

つまんない表現になるが「化け物じみてる」とでも言うんかね。

出力が終わったものを見てる分には勝ちの法則をただなぞってるのが分析できるので逆に誰でもできそうに見えるタイプ怪物

こういうのが出てくるから日本アニメ面白いね。

対して日本ドラマはこういのが全然でなくなって退屈だよ。

邦画海外で賞取ったの順番に見てくと結構良いのある

2022-06-07

anond:20220606161919

三体は、大雑把に〈80年代宇宙SF〉とくくれる世界設定/テイスト物語を、めちゃくちゃ巧みなストーリーテリングで仕上げた作品と言えるからな。

どれくらい巧みかというと、非SF者にも理解できるくらい巧みってな。

で、その80年代宇宙SFってのは、作家名で言うと、

グレゴリイ・ベンフォードグレッグ・ベアフレデリックポールスティーヴン・バクスターあたりの作品なんだけど、

ほとんどアクセス困難という地獄

2022-04-26

オッドタクシー映画を観に行ったらカルチャーショックを受けた

オッドタクシー映画を観に行ったらカルチャーショックを受けた。

おそらくネットの評判から察している人も多いと思うが、本作はかわいらしい擬人化された動物キャラの絵柄とは裏腹にそこそこダウナー作品なところが魅力だ。

そんな作品の総集編+αの劇場版は、シリーズを見て「良かった」と思ったので観に行ったわけだ。

感想としては概ね予想通りだったし、シリーズと同じく少しダウナー気持ちとなり、上映が終わり、劇場に明かりが点いたところで自分の予想だにしなかったことが起きた。

それは、劇場にいる人間過半数が喋り出したのだ。

まったく予想してなかった事態に面食らってしまったのだが、どうやらみんながみんな口々に本作についての「考察」や「推し」についてを結構テンションで喋っている様子だった。

本作はたしかストーリーテリングが強い作品ではあると思っていたが、考察余地があるとは思っていなかったため心底戸惑ってしまった。

そして皆が皆だれか連れ合いがいて、自分のこのダウナー気持ちを共有できる人間世界のどこにもいない事実に耐えられない居心地の悪さを感じ、自分は足早に劇場から逃げ出した。

あんな怖い思いをするとは思っていなかった。

2022-04-12

anond:20220412161716

藤本タツキは明らかにセンス技術評価されてる漫画家であって「ネームバリューだけで評価されてる」という言葉からは最も遠い存在やろ。

まだ「技術で誤魔化してるだけでストーリーテリングが下手」みたいな批判のほうがクリティカルやと思うわ。

そもそもジャンプなんて「ネームバリューだけでは評価されない舞台」の最右翼やん。

ネームバリューなんて言い出すのはサムライ8が売れてからにしてくれよ。

2022-03-15

anond:20220315170015

言ってしまえばRDR2は、一本道のメインシナリオがあって、それとは別にミニゲームが大量に詰まってるだけなんだよ。

「いつでも脇道に逸れて狩りとか強盗とかできますよ」っていうのは自由度じゃない。

真に自由度が高いなら、あのギャングを抜けて探偵社にでも就職したいと俺は思ったけどね。

もちろんそんなことは出来ないし、じゃあ主人公は何がしたいのか、ってのもよく分からない。

序盤なんか「街へ行って小遣い稼ぎしろ」みたいな話しかされないよね。

時間プレイしても主人公人間性はさっぱり感じられないけど、

主人公プレイヤー自身なので自由に行動を選択してね!」っていうタイプゲームでもない。

まりストーリーテリングに失敗してる。

RDR2は自由度が低い、ロールプレイができない、ってのはそういうことだよ。

2022-02-09

レッド・デッド・リデンプション2はなぜクソゲーだったのか

レッド・デッド・リデンプション2(以下RDR2)をいまさらプレイしたので感想を述べる。プレイした機種はPS5である

最初に断っておくと、私がプレイしたのは本当に序盤までだ。雪山を降りてキャンプを設営し、最初の町であるヴァレンタインに行って、あとはその周囲を探索してみた、という程度。そこでもうどうにもやる気がなくなってしまってゲームアンインストールしてしまった。この記事を書いているのは、もちろんただの愚痴という面もあるが、RDR2のファンの皆さんにゲームを再開するよう説得してもらいたいからでもある。私としても、こんな序盤で脱落したくはなかった。ぜひとも私の考え違いを指摘してもらいたい。

まずプロローグである雪山の章を終えて私が思ったのは「こんな強盗団なんかさっさと抜けたい」ということだった。こちらは主人公がこの強盗団のなかでどう育ってきたのか知らないし、強盗団の親玉過去にどんなカリスマを発揮してきたのか知らないし、それがなぜ雪山に追い込まれたのかも知らないし、他のメンバーたちの人間性も知らないのでまったく愛着を持てない。どうも主人公は冷静沈着で頼りがいのあるナイスガイのようだが、それがなぜあん陰湿犯罪者集団所属しているのかわからなかった。まったく彼には相応しい場所でないような気がした。しかし、この壮大な西部劇シミュレーターにおいて、強盗団を自由に抜けることはもちろんできないのだ。

ロールプレイングゲームには二種類あると思う。「自由キャラクター作成した上でそれを演じる」タイプと、「既に作成されたキャラクター押し付けられて演じる」タイプだ。RDR2は強烈にキャラクター押し付けてくる。いやキャラクターだけじゃない。プレイヤーには「主人公にどういう人生を送らせるか」という選択肢が与えられない。製作者が用意したストーリーをなぞらされるだけだ。これは「ロールプレイング」ですらない。

同じ感覚を『ウィッチャー3』にも覚えたことがある。あのゲームが言う「自由度」とは、製作者が用意した2つか3つほどのレールのうち、どれを走るかを選ばされるというだけのものだ。いちどクエストに入ってしまえば、どこをどう移動して何を調べるかまですべて決まっている。プレイヤーはそれをなぞるだけだ。「ああ、これはロールプレイングゲームではなくアドベンチャーゲームなんだな」と感じたものだ。

話をRDR2に戻すと、進行の不親切さにもうんざりした。ストーリー押し付けてくるのにもかかわらず、プロローグを終えても、主人公やその周囲の人間がこれまでどういう人生を送ってきて、いまどういう状況に置かれており、これから何を目指していくのかよくわからない。それはつまりストーリーテリングに失敗しているということだ。よくわからないままイベントが起きてよくわからないままイベントが終わる。強盗団にいたか分からん仲間に言われて、なぜ起きたかさえ知らない喧嘩をして、いろいろ終わったらなぜか指名手配されている。「思うままに探索する」というより「わけがからないまま彷徨っている」というほうが近い。

RDR2を絶賛する感想を見てみると、「操作は不便だがそれがリアルなんだ」というようなことがよく書かれている。しかし私はRDR2をリアルだとは感じない。なぜなら現実人間アイテムの前で「これを拾うのってどのボタンを押せばいいんだっけ?」などとは悩まないかである。狩った鹿の肉をどうすればいいかからなくてキャンプをウロウロしたりしないかである。RDR2の操作の複雑さ不便さを「リアル」だと言うのは、ただ重苦しく残酷なだけのストーリーを「リアル」だと評するようなものだ。『Hand Simulator』というゲームでは、手の動きを細かく操作できるようになっているが、本物の手のようにはまったく動かせない。RDR2の「リアル」はそれと同じである

結局のところ、RDR2がつまらないのはその「不自由さ」にあるのだ。ストーリーの面でも、操作の面でも、プレイヤーがしたいようにさせてくれない。あるいは「プレイヤーがしたいこと」を「製作者がさせたいこと」と一致するように誘導するのが下手くそだと言ったほうがいいかもしれない。その不自由さを我慢しながら何十時間プレイし続ければ、そのうち慣れてきて「プレイヤーがしたいこと」と「製作者がさせたいこと」が一致するようになり、そうなって初めてこのゲームの真の面白さを味わえるのかもしれない。私はそこまで我慢できなかったのだが。

2022-01-16

ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じた


──「富野由悠季世界」展を拝見して、富野由悠季監督キャリアあらためて振り返っていただくと、ご自身でも言及されているように『機動戦士Vガンダム』以降のお仕事フェーズが変わったのではないかと感じられます。それまでほぼ毎年のようにオリジナルアニメの新作を手掛けていた富野監督が、新作から数年遠ざかり、久々に発表された作品が『ブレンパワード』でした。ガンダムシリーズから新たな路線に踏み出したのは、何がきっかけだったのでしょうか。

富野:『ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じました。行き詰まりを感じた一番の理由が「ニュータイプ論みたいなものを立ち上げておきながら、それをハウツーとして示すことができなかったこと」です。『ガンダム』をやっているうちに冷戦は終わったのだけれども、じゃあ冷戦が終わったからと言って世界中がまとまっていくかというと、まとまってはいかなかった。具体的に言うと、それぞれ主要国家トップにいる人物たちが、必ずしもニュータイプ志向を持ってる人ではなかったという現実を突き付けられたからです。それで挫折するしかなかったということです。

 だからもう『ガンダム』をやっていられないと思った。あと、『ガンダム』は構造だけで見ると、旧来の戦記物に則っているわけだから戦記物ができる人や好きな人に任せれば良いと思いました。20年くらいやってきて、戦記物はやっぱり体力的に若くなければできないということもあって、年を取ってから戦記物フォローしていくには、古代史を扱うような歴史的な学識を持つ必要があるということが分かってきた。そこでどうしようかなと考えたときに『ブレンパワード』に行きついたということがあります

――今、富野監督は「ニュータイプ論のハウツー確立しなかった」ことに挫折を感じたとおっしゃいました。富野監督は人々の多くをニュータイプにしたかったということなのでしょうか。

富野:いや、多くの人だけではありません。人類のものニュータイプにならないと、これ以後一万年という単位人類は存続しない、人類を存続させるためには人の革新……というよりも、社会革新をしなければならないんだと考えています。ですから総体ニュータイプにならなければいけないということです。

――富野監督ガンダムシリーズニュータイプを新しい感覚を持つ人類として描いています。劇中では、ときには距離時間を超えてさまざまなことを感知したり、意思疎通をしたりする。具体的にはどんな人間の到来を期待していたのでしょうか。

富野:それについては、実はこの数年で具体的にニュータイプが現われたということが分かりました。

――なんと…! それはどんな人なのでしょうか。

富野将棋藤井聡太竜王とか大谷翔平選手です。将棋野球世界勝負事です。何億通りの手がある中で、藤井竜王は勝つ手を選ぶことができる。僕は将棋のことがまったくわからないけれど、「この人がニュータイプなんだ」ということがわかった。それに気づかせてくれたのは先代の竜王であり、永世七冠である羽生善治さんの言葉です。羽生さんは、藤井竜王のことを「自分があまりたことのない局面でも対応力というか、適応力みたいなものが高い」と評していまする。天才が、新たに現われた天才のことを評価しているんですよ。

 大谷選手大手術を受けた後でも基本的身体ケアをつづけ、社会人としての基本としての勉強をつづけていますしかも壁を相手に投球練習毎日つづけている!! 彼のスポーツマンとしての基礎の積み上げこそニュータイプ的と言えます時代の移り変わりとともに、レベルの違う才能と人物が出てくるんだと感じられる好例です。ほかにも、工学の部分でも蒙が啓かれるような事例を承知しています。それは電動航空機の開発です。まだ決して大型機ではないのだけれど、それがすでに開発されているということは、僕のような世代にとってはもう腰が抜けるような事例でした(2018年7月JAXA、航空系企業、電機系企業経産省航空機電動化コンソーシアムを設立)。工学電気関係では、そういうことが起きている。そういう開発者たちは30代や40代だろうと思うけれど、彼らのような人たちに続く若い世代は、さらに違うものを作ってくれるでしょう。

――新しい想像力を持った人たちが、新しい時代を切り開く。富野監督が待ち望んでいたのはそういう方々だったんですね。

富野藤井聡太竜王大谷選手を見ていると、ギトギトしていないでしょう(笑)。ギトギトした人間が何億人もいたら、地球が潰れていくんです。ニュータイプにならなければ、地球保全できないという考え方は、つまりそういうことです。おそらく、あらゆるジャンルの新進、若手の世代はこういう人たちがいるだろうと思います。僕がとくに想定しているのは現代コロナ禍を経た、現在5歳や6歳の子どもたちです。免疫学的にも、彼らの中からニュータイプが出てくるのではないか。そういうふうに期待をしています

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード』 ©サンライズ

ブレンパワード』以降は、「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなった

――『ブレンパワード』についてもう少しお聞かせください。『ブレンパワード』の制作前は、ニュータイプにたどり着けなかった挫折感があったということですが、その中で富野監督が『ブレンパワード』にたどり着いたのは、どんなことがきっかけになったのでしょうか。

富野挫折から、僕は鬱病を患ってしまって、一年近くほとんど外に出られなかったんです。そこからリハビリをしていく中で、何を考えるかというと「なんで人間は鬱になるのか」ということでした。そこでたどり着いた答えは、健全、つまり普通生活をしないと鬱になってしまうんだということです。それだけのことだと思ったんです。この健全とは何かというと、自分ひとりだけの問題じゃなくて、親子関係子どもから両親がどう見えているか、周囲の人間関係も含めてのことです。普通であるということ。そういう当たり前の環境を維持するということ、それが人の暮らしにとって一番大事なんだということがわかった。

 そのとき企画していた作品タイトルが『ブレンパワード』だった。ブレーンという言葉を使うことで、知的な方向に行こうと思っていたんだけど、「いや、そうじゃないんだ」と。知的な回路を形成するためには、当たり前の健全生活をしていないとやっていけないんだとわかった。じゃあ、その最もシンプルな話、つまり親子の関係を正面切ってやってやる、と思ったわけです。それで主人公たちの家庭環境主人公の伊佐未勇とクインシィ・イッサーの姉弟は、研究者である父母から顧みられなかった)やジョナサン(・グレーン)みたいなキャラクター(優のライバルジョナサンは母のアノーアに屈折した愛情を抱いている)ができあがったんです。だから東京水浸しになっている、みたいな話がやりたかったというわけではないんです。

――地球の各地が自然災害で荒廃しているという『ブレンパワード』の世界観は、当時としてもインパクトがあったと思います

富野:なんでああいう設定がいるのかというと、要は「アニメとしてのだまし絵」なんですよね。その設定があったほうが、アニメっぽく見えるからあくま技法論にすぎなくて、別に水浸しになった事件を描くわけではない。そうではなくて、ものすごく簡単に言っちゃうと「ママは僕のことを優しく育ててはくれなかった」という親子関係のことをドンとやっちゃうことが、一番良いことなんですよ。そういうものアニメとして描く中で、もう少しだけ、リアルもの接触できる作品を作れないかと思っていたんです。

――人間関係の中でも一番シンプルな「親子関係」に焦点を当てることで、普通のこと・健全もの模索しようとしていたんですね。

富野:先ほどの質問に基づいて言うと、『ガンダム』は旧来のメカもの戦記物体裁に則っている部分があるんだけど、『ブレンパワード』以降は基本、心の問題……つまり「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなっています。僕が「『ガンダム』の富野」だったことで、ずっとそれができなかった。『ガンダム』の後期では自分プロダクションを立ち上げて、新たな作品出資しようと考えたこともあったけれど、僕にはそれをするだけの能力がなかった。実務者になれなかったという自分能力論もあったうえで、スポンサー理解してもらえるように、永野護くん(メインデザイン)に手伝ってもらったりして、なんとか『ブレンパワード』をかたちにした、ということです。だから中途半端なところはあると思いつつ、とにかく『ガンダムから脱出するための作品でもあったとは言えます

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード

ブレンパワード』 ©サンライズ

思想理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だからアニメのことだけを考えていたらダメなんです

――『ブレンパワード』ではメインデザインいのまたむつみさん、永野護さん、音楽菅野よう子さんといったベテランだけでなく、脚本浅川美也さん、カナン・ギモス役の朴璐美さん、のちの『∀ガンダム』ではデザイナーとしてゲーム業界から安田朗さんといった才能を、アニメ作品に起用しています。その背景には、富野監督にとってはどんな思いがあったのでしょうか。

富野:これは『ガンダムから教えられたことです。僕がやったことではなくて、当時の録音監督松浦典良)の采配で古谷徹さん(アムロ・レイ役)と池田秀一さん(シャア・アズナブル役)を呼んでくれた。他の声優さんも、声優専門ではない方が多かったんです。そういう人選を見せられていましたから、それこそ20年30年経てば今度は僕がやらなければいけないことだろうと、当たり前のように思えたわけです。それでやってみたというだけのことです。むしろ思ったよりも、それが成功していないという意味では、本当に人を見る目がない、育てる力がないという自覚をしています

――富野監督作品参加以後も、みなさん大きな活躍をされています

富野:結局、上手く行っている人たちっていうのは、もともとそういう才能を持っていたんですよ。全部、彼ら彼女たちの力なんです。僕が彼らに刺激を与えたとか、インプットしたという記憶あんまりありませんね。人を育てるということは、本当に難しいことです。これはわからないんですが、おそらく触っちゃいけないんです。触らないで、出会ったとき関係で、その人の持っているものを見つけだす。それ以上のことをしては絶対にいけないんです。これは実をいうと、愛の問題もつながってくるんです。

――愛ですか!!

富野:愛し合っちゃうと、一点しか見えなくなるんです。正しく接することができなくなる。その瞬間にとらわれてしまって、相手が今後どうなっていくのかを考えられなくなる。正しい距離感で、この先を考えて相手と正しく接していくものでしょう。ちゃんと愛を育むことが大事なんです。

――そういった愛のお話教育論にもつながりそうですが、そういった考えは、富野監督アニメ制作の中でお気づきになり、考えを深めていかれたのでしょうか。

富野:もちろんです。僕は基本的に絵を描けないし、原画動画を今もチェックしているのですが、腹が立ちますもん。「なんでアニメーターは画が上手なんだろう」「なんで線が綺麗に描けるんだろう」って。しかも、彼らは平気で何十枚も描いてくるんですよ。

――ははは。

富野:でも、そういう優れた技術を持っている人たちがいるから、僕は作品を発表できるのであって、技術を持っている人たちの総代に立つには、技術論ではなくて、理念を持たなければいけないわけです。そういう思想があったから、ここまでやって来られたんでしょう。

――思想があるから、約50年にわたるキャリア監督として活躍してこられたとおっしゃるわけですね。

富野思想理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だからアニメのことだけを考えていたらダメなんですよ。「マンガ絵が好きだからって、マンガが描けると思うな」という考えにもつながります。この話って、何にでも通用するでしょ? 僕が文化功労者のお礼のコメントの中に「アニメストーリーテリングは万能である」と書いたけれど、そういうことなんです。あれは良い文章になったなと思っています。僕がアニメ制作を通じて描いてきた思想は、どんなものにも通じる。それがあるから作品公共的な意味が出るんだと思っています

第3回へ続く(第3回は、1月22日配信予定です)

2021-12-22

ぞわぞわする

web漫画についてるブコメ

ラーメン評論家のイキリレビューにも似た感じの

共感性羞恥というか痛々しさというか。

辛口な俺。先読みできる俺。ストーリーテリング演出一家言ある俺。

そういうのがちょくちょく散見される。

少なくとも金払ってる分、ラーメン評論家の方がマシだな。

2021-10-17

anond:20211016035215

その感想がどういう内容の作品に対してなのかがわからないが、先の指摘で鳥肌ヤバい上位互換という点はその通り

さらに、シリアスな展開などが辛くて読めない(勿論誇張表現)という言葉は、「自分がそれだけ没入できるストーリーテリングだった」という意味合いや、「リアリティがある(=自己投影できる)」という意味合いでの褒め言葉として使われているように思う。

2021-10-07

ファシスト

近年においてはアニメ視聴者が増えて、一部ではアニメ大衆に受け止められたと考えている人間もいるようだが、それは即ちアニメ表現大衆が受け入れることにはならないことに注意すべきだ。

アニメが受け入れられたのはあくまでそのストーリーテリングの優秀さや、ドラマなどでは味わえない非日常感が理由である

つまるところ、アニメによく登場する性的表現キャラクターが受け入れられたことなどない。性的搾取という言葉定義曖昧であることは否定しないが、

巨乳ミニスカートキャラクターが男オタク性的欲求を満足させるために存在するのは自明であるし、それを公の場にすることは当然TPOに反することだ。

制服風の衣装アイドル、たとえばAKB乃木坂が『男オタク性的欲求を満足させるために存在する』のも確かだが(それとは別に女性ファンがいることも事実)、それを公の場でポスターに利用するのはTPOに反することであるか?

このような経緯を踏まえて、フェミニストがこうしたアニメ表現広告動画批判するのは当たり前ではないだろうか。男オタクのために作られた性的表現子供が見て、女性身体というもの勘違いしたり、或いはセクハラなどに対する精神ハードルを下げることになるというのは個人的に納得できる理路だ。(もしそうした影響がないと主張するのであれば、根拠アンチフェミ側が示すべきである。)

論外。『個人的に納得できる理路』ではなく、『実際にそれが起きていること』をフェミニスト側が証明するべき。無いことを証明せよというのは言うまでもなく悪魔の証明

それを、アンチフェミが応戦する形で炎上させ、議論を大きくしていくと、当然この問題を知らない人間までが性的表現を目にすることになるし、その結果、アニメはやはり「気持ち悪い」ものとして、宮崎勤宅間守時代に戻りかねない。

宮崎勤は(実際にそうだったかはともかく)『そういうもの』として認知されているが、宅間守ってオタクコンテンツが生み出した犯罪者扱いされているか

アンチフェミ活動は、アニメを守るどころか、アニメの持つ負の面を公開し、拡散し、再び暗黒の時代を呼び寄せようとしているに過ぎない。

このことを言うと、いわゆるゾーニングが加速し、アニメ社会の影に隠されて、差別され続けるという妄想を言う者がいるが、この主張は間違いである。

昔より、公の場から隠されゾーニングされてきたアダルトビデオは、なくなるどころかその市場規模を拡大させ続けている。表現には適切な場があり、そのテリトリー内で楽しむ以上は、差別批判もされないというのは歴史証明してきた事実である

北原みのり「タイトルだけで泣いた」代表されるように、差別批判もされないというのは全くの虚偽。『マンガアニメのいわゆる二次元キャラ欲情する』ことに比べて『実写の人物欲情する』は一般的からマジョリティ男性に支持されてきて弾圧されていないだけ。

そして何より、最初に戻るが

近年においてはアニメ視聴者が増えて、一部ではアニメ大衆に受け止められたと考えている人間もいるようだが、それは即ちアニメ表現大衆が受け入れることにはならないことに注意すべきだ。

大衆が受け入れないというだけの表現公共の場所にある』ことが受け入れられないということそのものファシストの主張だ。

それを言うならば、1930年ドイツにおけるユダヤ人が写ったポスターや、1950年ミシシッピ州黒人が写ったポスターTPOに反するのか? そうではないだろう。

公共の場所』は誰かの部屋ではない。オタクのものでも、フェミニストのものでも、ネオナチのものでも、KKKのものでもない。あるいはそれら全ての人のためにある。

から我々表現の自由戦士は「公共の場所のポスターを止めさせたいのであれば、それによって害されている権利利益を主張するべきだ。そうでない限り、他者危害でないポスター排除されるべきではない」と主張している。

anond:20211006105620

2021-09-29

最近ホンマよくワイのADに出て来るフランス料理人マンガ買って見たけど、ミスリードっちゅうか曲解させといて鮮やかに明かしてみせるってなストーリーテリング風味が強すぎてなぁ、主人公がどんなヤツなんかわかりにくかったやでショウガナイニカンモカウカ…

2021-09-23

anond:20210923220711

いやいや、逆で、キャラソシャゲギャルゲ的によく考えられているんだけどストーリーと、基本設定がしんどかった。

結局おっぱいひざまくらでよしよしされながれおれってまあまあいけてるぜ、っていうオジサン向けJK風俗みたいな話なら

それにもっと振り切ればよかったのにと思う。ストーリーテリングが壊滅的にだめだ。

2021-09-03

anond:20210903194349

内容がバズるかどうか:マーケティング。どういう事柄記事ニーズがあるか調べ、ニーズ合致するコンテンツ案を大まかに考え、その案をタイトルから文末まで読み手が次々に読み進めたくなるような文章構成に落とし込むこと。

文章ケチが付くか:論理倫理への配慮が要る。論理への配慮とは、演繹帰納と適切な根拠をもって自分の主張を支えること。倫理への配慮とは社会通念や法律に則した内容であるかチェックすること。

さっき、"「文章力」や「本当に欲しいもの」の定義は、自分が読んだり書いたりする中でしか磨かれないだろう。"と書いたが、これは事実の片面だけを切り取ったもの自転車に乗れるようになるためには、自転車に乗っている人を参考にして、自分も実際に自転車に乗ってみるしかない。文章を書くことも同じなのでそう書いた。

ただし、見よう見まねで練習する以外のもう片面として、先人が蓄積している上手に自転車を乗りこなすための知恵を活用するという方法があるのも事実だ。文章を書くことについても、マーケティングセールスライティング(コピーライティング)、ストーリーテリングパラグラフライティングなど各論参考書は色々ある。それらを読めば特に文章力」の定義に関しては理解が進む。

しか文章力の定義を磨いたところで、結局のところ、実例をたくさん読み、また、自分でもたくさん書く経験を積まなければ文章は上達しない(これを書いている自分文章力を思うと恥ずかしい限りだが、それはさておき)。

とりわけ、自分が「本当に欲しいもの」に関しては、読んで書いての経験の積み重ね無しには磨けない。鯛を食ったことのない人間に鯛の味は分からない。世界を旅したことのない人間世界旅行醍醐味など分からない。味わってみて、やってみて初めて、「あれが良かった、これは良くなかった、今度はこうしようか」という感覚が掴めてくる。それなしに「本当に欲しいもの」の定義などしても空々しいだけだ。

2021-06-22

閃光のハサウェイの「童貞感想

これ https://akiba-souken.com/article/51350/

とか

これ https://pencroft.hatenablog.com/entry/2021/06/22/203412

とか。

こういうオーダーが出ているのかもしれないし、原作の残り部分でもギギとやらなかったのかよ?みたいにほかのマフティーメンバーに言われてるみたいなシーンとかあるし、ケリアやエメラルダから寄せられる好意露骨に鬱陶しがっているとかこういうテキストを書きやすい内容にはなっているとはおもうのだけどさ。

映画自体はそういうのじゃなくて、初代ガンダムでいうとハサウェイはアムロシャアじゃなくて、ケネスやギギの中心にいるララァ役割人間でなんつうかそういう童貞がどうのみたいな感じのストーリーテリングはされてないと言うのは見てる人はわかるわけじゃん。実際この感想書いてる人間でほんとうに原作読んでないやつってどのくらいいるのさっていう。だったらなんでこんなやっすい感想書くのさと思ってしまう。

たぶん半年とか一年後には続編がでて、ハサウェイの苦悩とかが描写されるわけだけど、そのときにもこんな童貞がどうのとか書くつもりなの?違うよね?ならなんで今こんなの書くのさ。ほんとね、もっといろいろと真面目にやろうよ。

2021-06-21

anond:20210620233839

今敏内田けんじ はわいもすこ。コメディだと思ってるのあげてく

 

アキ・カウリスマキ

 L ル・アーヴルの靴みがき Le Havre(2011年

 L 希望のかなた Toivon tuolla puolen(2017年

 L 浮き雲 Kauas pilvet karkaavat(1996年

 L 街のあかり Laitakaupungin valot(2006年)

 

ウディ・アレン

 L 地球は女で回ってる Deconstructing Harry(1997年)

 L 恋のロンドン狂騒曲 You Will Meet a Tall Dark Stranger (2010年)

 

 

ギミック系は、メメントとかシックスセンスとかミストとか他にも有名どころは語り尽くされてるので

誰も触れて無い系だと、デビッド・フィンチャー監督マイケル・ダグラス主演の『ゲーム』がすこ。小説版も好き

 

ポリコレ的に怒られたヤツ、テッドウッディ・アレン以上に好みが分かれるヤツ、駄作といってる声が多い系だと、

2021-06-03

anond:20210603231547

犯人動機必要なように、魔王を倒せる力を持つ英雄にもそれだけの力を持っている理由必要

それを経験によらないものに求めた結果血統になるってだけではないか

なぜ経験によらないものになるかというとプレイヤー主人公からプレイヤーの知らない経験根拠に求めることができないか

たまたま強くなる資質があっただけ、では物語必然性が薄いと考える生真面目なストーリーテリングの結果

血統主義になってしまうというのはジャンプ漫画とかも一緒だと思う

2021-04-27

anond:20210427011647

サムライフラメンコテーマはね、愛なんだ

登場人物がみんなそれぞれ歪んだ愛を抱えて、自分の中の愛と社会が衝突していく。それぞれが愛を抱えていくことが出来なくなって挫折していく中、ただ一人主人公だけは自分の愛を貫いて、そして最終話サムライフラメンコネイキッド黒幕相棒後藤に対して全裸での説得、プロポーズ

私はクライマックスの流れ大好きなんだけど最後の思い出のメールを消されて逆上している後藤に対して全裸でのプロポーズというのはストーリーテリングとして本当によく出来ていて人の感情の動きとしてあり得る、説得力があると思うのよ。

完全に聞く耳持たない状態で本当の親友が素っ裸になって不器用に愛をぶつけてられ、逆上が収まっていつものように「馬鹿馬鹿」と罵倒するまでのあの心の動きをよく描き切ったと思うよ。

あの心の動きを描くためにはサムライフラメンコ全裸にならなきゃいけなかったし、全裸プロポーズする必要があった。

この全裸プロポーズ唐突ものにしないためにも物語は心無い人が「ネタアニメ」と揶揄するほどシュールな展開を辿らざるをえなかったといえるよね。愛はたとえ歪で不器用でも真摯にぶつかれば敵も味方も世界も救う。サムライフラメンコ愛なんだ。だから僕はサムライフラメンコが大好きなんだ。良かったらうちでサムライフラメンコみようよ、カレーを食べながら。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん