はてなキーワード: 永野護とは
書きかけの増田なんだけれど、たぶん書き上げないだろうからそのまま投稿する
供養
------------------------------------------------------------
世界初のOVA「ダロス」をリアルタイムで見た、おじい増田だ。
その頃はまだ生きていた兄と一緒にグゴゴゴゴカガガガガ!!!すげええぞこのアニメ!!!薬莢が!!!階段を!!!川の流れのようだ!!!と感動したのを昨日のように思い出す。
そのOVA「ダロス」の基本ストーリーは、月の開拓民3世のレジスタンス達(テロリストとも言う)が地球の支配に対して反旗を翻し武装闘争を繰り広げるというものだ(初代ガンダムブームの余韻燻る時代だからこういう企画が通りやすい時代だったんですね)。
さて、ここからが本題。
このアニメの中で登場するメカのネーミングで兄と言い合いになった。
月の公安警察が使用する空を飛ぶパトカー(ブレードランナーの空飛ぶ車みたいなの)で下からフラミンゴみたいな足がニョッキリと出てきて
------------------------------------------------------------
「お互い歳をとったなあ。」
映画館にいる面々を見て、まずはそう思った。
年齢層が高いな、と思ったが
それよりも何よりも若いファン層を獲得するために様々な努力をエヴァしてきたんだろうなということをあらためて認識した。
全く成功していないのだ。
女性客も少なくはないのは
この映画は言うまでもなく
以前、マンガ夜話でも取り上げられていたが
そのこだわりがページを埋め尽くさんばかり
そういった音を実際に耳で体感できるのだ。
騎士が飛ぶように走る様子、
---------------------------------------------------------
・見てて恥ずかしくなる映画
・音を聞きに行く映画
・最後の恥ずかしい声優紹介も含めてニュータイプコミックを映像として再現するとこうなる
・最後の少し、えっ?と感じるところまで含めて
・メディア化しない理由というのを色々と理屈付けしてるがただ単にメディア化したくないからメディア化しないというのが真相だろう。
こういう作家の意図的なマイナー思考をどうやって無理くりに変化させるかがプロデューサーの仕事だとおも
---------------------------------------------------------------
分かる範囲で
エルガイムとFSSはどっち? ← 永野護がスタッフにいたエルガイムが先、そのあと独立して漫画かいたFSSがあと
鉄腕バーディーとウルトラマンはどっち? ← そりゃ初代ウルトラマンやろなぁ
ガガガのおじさんとレレレのおじさんはどっち? ←そりゃレレレのレーやろなぁ
犬とお蕎麦大好き映画監督はどっち? ←んなもん同時多発でええんちゃうしらんけど
トップとサインはVはどっち? ←エースからのサインはVからのトップやろなぁ
アムドライバーと虎徹とバーナビーのえっちなアニメはどっち? ←後半についてkwsk 一応公式のTBはまだ12周年みたいやし2004年のアムなんとかが早いみたいやね
グレンラガンとプロメアはどっち? ←グレンラガンです。スタッフと脚本と監督が商標権乗っ取られガイナから独立してトリガーつくった
ダーティペアとダーティペアのパクりみたいな当時流行ったえっちないくつものアニメはどっち? ←小説ダーティペアやね あのあと小説家さん立候補したんだっけ
彼は、電子戦隊デンジマンOPのウエスタン調や、電撃戦隊チェンジマンOPの影山ヒロノブカッコよさ、
トランスフォーマーのコンボイ司令の玄田哲章の素晴らしさや永野護メカデザインの革新性を熱く語る男だった。
自動車鈑金塗装業四男だった彼は中学卒業後農業高校へ進学し、それっきり疎遠になってしまった。
高校卒業後、東京税関職員になって麻薬犬トレーナーになったが独身で相変わらず漫画とアニメ三昧の
日々を送っていると風の噂では聞いていたが、その友人がなんと結婚して36年ぶりに地元に帰っていると知り、
久し振りに当時の友人4人で会うことになった。地元の日本酒蔵元がクラフトビール醸造を始めて、
経営多角化で始めた日本酒とクラフトビールを出すバルで会うことになった。彼は下戸ではないのだが、
あまり酒に強くなく、36年ぶりに互いの近況を語り合い、俺はしこたま酔って楽しい時間を過ごすことができた。
閉店で店を追い出された後、俺は運転代行で帰る彼の車に酔った勢いで乗り込み、彼の奥さんに会いに行った。
彼の住む家は後継者がおらず空き家になった廃屋を地方創生移住支援事業でリフォームして住んでいるそうだ。
若い奥さんと娘4人と6人で暮らしていた。彼は仕事をしておらず、奥さんが農環センターという公民館みたいな
会場で教えるヨガ教室での謝金と、家の庭で育てた野菜と湖で釣った魚を、毎月8日と18日に開かれる
街場の市で売って得た僅かな現金収入しかないそうだ。そんなんで生活していけんの?と思ったが、
隣近所全員東京からの移民でみんなで物々交換で助け合っているそうで、
よく見たら娘さんの女児服もクタクタで誰かのお古のスマイルプリキュアの変身コンパクトで遊んでいた。
何軒かの廃屋に人が住む気配を感じる山奥の見捨てられた集落を歩きながら、
擬音といえば永野護だな
──「富野由悠季の世界」展を拝見して、富野由悠季監督のキャリアをあらためて振り返っていただくと、ご自身でも言及されているように『機動戦士Vガンダム』以降のお仕事はフェーズが変わったのではないかと感じられます。それまでほぼ毎年のようにオリジナルアニメの新作を手掛けていた富野監督が、新作から数年遠ざかり、久々に発表された作品が『ブレンパワード』でした。ガンダムシリーズから新たな路線に踏み出したのは、何がきっかけだったのでしょうか。
富野:『ガンダム』を20年近くやってきて、はっきりと行き詰まりを感じました。行き詰まりを感じた一番の理由が「ニュータイプ論みたいなものを立ち上げておきながら、それをハウツーとして示すことができなかったこと」です。『ガンダム』をやっているうちに冷戦は終わったのだけれども、じゃあ冷戦が終わったからと言って世界中がまとまっていくかというと、まとまってはいかなかった。具体的に言うと、それぞれ主要国家のトップにいる人物たちが、必ずしもニュータイプ志向を持ってる人ではなかったという現実を突き付けられたからです。それで挫折するしかなかったということです。
だからもう『ガンダム』をやっていられないと思った。あと、『ガンダム』は構造だけで見ると、旧来の戦記物に則っているわけだから、戦記物ができる人や好きな人に任せれば良いと思いました。20年くらいやってきて、戦記物はやっぱり体力的に若くなければできないということもあって、年を取ってから戦記物をフォローしていくには、古代史を扱うような歴史的な学識を持つ必要があるということが分かってきた。そこでどうしようかなと考えたときに『ブレンパワード』に行きついたということがあります。
――今、富野監督は「ニュータイプ論のハウツーが確立しなかった」ことに挫折を感じたとおっしゃいました。富野監督は人々の多くをニュータイプにしたかったということなのでしょうか。
富野:いや、多くの人だけではありません。人類そのものがニュータイプにならないと、これ以後一万年という単位で人類は存続しない、人類を存続させるためには人の革新……というよりも、社会の革新をしなければならないんだと考えています。ですから、総体がニュータイプにならなければいけないということです。
――富野監督はガンダムシリーズでニュータイプを新しい感覚を持つ人類として描いています。劇中では、ときには距離や時間を超えてさまざまなことを感知したり、意思疎通をしたりする。具体的にはどんな人間の到来を期待していたのでしょうか。
富野:それについては、実はこの数年で具体的にニュータイプが現われたということが分かりました。
――なんと…! それはどんな人なのでしょうか。
富野:将棋の藤井聡太竜王とか大谷翔平選手です。将棋も野球の世界も勝負事です。何億通りの手がある中で、藤井竜王は勝つ手を選ぶことができる。僕は将棋のことがまったくわからないけれど、「この人がニュータイプなんだ」ということがわかった。それに気づかせてくれたのは先代の竜王であり、永世七冠である羽生善治さんの言葉です。羽生さんは、藤井竜王のことを「自分があまり見たことのない局面でも対応力というか、適応力みたいなものが高い」と評していまする。天才が、新たに現われた天才のことを評価しているんですよ。
大谷選手は大手術を受けた後でも基本的な身体のケアをつづけ、社会人としての基本としての勉強をつづけています。しかも壁を相手に投球練習は毎日つづけている!! 彼のスポーツマンとしての基礎の積み上げこそニュータイプ的と言えます。時代の移り変わりとともに、レベルの違う才能と人物が出てくるんだと感じられる好例です。ほかにも、工学の部分でも蒙が啓かれるような事例を承知しています。それは電動航空機の開発です。まだ決して大型機ではないのだけれど、それがすでに開発されているということは、僕のような世代にとってはもう腰が抜けるような事例でした(2018年7月、JAXA、航空系企業、電機系企業、経産省が航空機電動化コンソーシアムを設立)。工学や電気関係では、そういうことが起きている。そういう開発者たちは30代や40代だろうと思うけれど、彼らのような人たちに続く若い世代は、さらに違うものを作ってくれるでしょう。
――新しい想像力を持った人たちが、新しい時代を切り開く。富野監督が待ち望んでいたのはそういう方々だったんですね。
富野:藤井聡太竜王や大谷選手を見ていると、ギトギトしていないでしょう(笑)。ギトギトした人間が何億人もいたら、地球が潰れていくんです。ニュータイプにならなければ、地球は保全できないという考え方は、つまりそういうことです。おそらく、あらゆるジャンルの新進、若手の世代はこういう人たちがいるだろうと思います。僕がとくに想定しているのは現代のコロナ禍を経た、現在5歳や6歳の子どもたちです。免疫学的にも、彼らの中からニュータイプが出てくるのではないか。そういうふうに期待をしています。
『ブレンパワード』以降は、「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなった
――『ブレンパワード』についてもう少しお聞かせください。『ブレンパワード』の制作前は、ニュータイプにたどり着けなかった挫折感があったということですが、その中で富野監督が『ブレンパワード』にたどり着いたのは、どんなことがきっかけになったのでしょうか。
富野:挫折感から、僕は鬱病を患ってしまって、一年近くほとんど外に出られなかったんです。そこからリハビリをしていく中で、何を考えるかというと「なんで人間は鬱になるのか」ということでした。そこでたどり着いた答えは、健全、つまり普通の生活をしないと鬱になってしまうんだということです。それだけのことだと思ったんです。この健全とは何かというと、自分ひとりだけの問題じゃなくて、親子関係、子どもから両親がどう見えているか、周囲の人間関係も含めてのことです。普通であるということ。そういう当たり前の環境を維持するということ、それが人の暮らしにとって一番大事なんだということがわかった。
そのときに企画していた作品のタイトルが『ブレンパワード』だった。ブレーンという言葉を使うことで、知的な方向に行こうと思っていたんだけど、「いや、そうじゃないんだ」と。知的な回路を形成するためには、当たり前の健全な生活をしていないとやっていけないんだとわかった。じゃあ、その最もシンプルな話、つまり親子の関係を正面切ってやってやる、と思ったわけです。それで主人公たちの家庭環境(主人公の伊佐未勇とクインシィ・イッサーの姉弟は、研究者である父母から顧みられなかった)やジョナサン(・グレーン)みたいなキャラクター(優のライバル。ジョナサンは母のアノーアに屈折した愛情を抱いている)ができあがったんです。だから、東京が水浸しになっている、みたいな話がやりたかったというわけではないんです。
――地球の各地が自然災害で荒廃しているという『ブレンパワード』の世界観は、当時としてもインパクトがあったと思います。
富野:なんでああいう設定がいるのかというと、要は「アニメとしてのだまし絵」なんですよね。その設定があったほうが、アニメっぽく見えるから。あくまで技法論にすぎなくて、別に水浸しになった事件を描くわけではない。そうではなくて、ものすごく簡単に言っちゃうと「ママは僕のことを優しく育ててはくれなかった」という親子関係のことをドンとやっちゃうことが、一番良いことなんですよ。そういうものをアニメとして描く中で、もう少しだけ、リアルなものと接触できる作品を作れないかと思っていたんです。
――人間関係の中でも一番シンプルな「親子関係」に焦点を当てることで、普通のこと・健全なものを模索しようとしていたんですね。
富野:先ほどの質問に基づいて言うと、『ガンダム』は旧来のメカもの、戦記物の体裁に則っている部分があるんだけど、『ブレンパワード』以降は基本、心の問題……つまり「当たり前に暮らすということの重要性を、アニメでもやるべきなんじゃないの?」という思いが大きくなっています。僕が「『ガンダム』の富野」だったことで、ずっとそれができなかった。『ガンダム』の後期では自分でプロダクションを立ち上げて、新たな作品に出資しようと考えたこともあったけれど、僕にはそれをするだけの能力がなかった。実務者になれなかったという自分の能力論もあったうえで、スポンサーに理解してもらえるように、永野護くん(メインデザイン)に手伝ってもらったりして、なんとか『ブレンパワード』をかたちにした、ということです。だから、中途半端なところはあると思いつつ、とにかく『ガンダム』から脱出するための作品でもあったとは言えます。
思想や理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だから、アニメのことだけを考えていたらダメなんです
――『ブレンパワード』ではメインデザインのいのまたむつみさん、永野護さん、音楽の菅野よう子さんといったベテランだけでなく、脚本の浅川美也さん、カナン・ギモス役の朴璐美さん、のちの『∀ガンダム』ではデザイナーとしてゲーム業界から安田朗さんといった才能を、アニメ作品に起用しています。その背景には、富野監督にとってはどんな思いがあったのでしょうか。
富野:これは『ガンダム』から教えられたことです。僕がやったことではなくて、当時の録音監督(松浦典良)の采配で古谷徹さん(アムロ・レイ役)と池田秀一さん(シャア・アズナブル役)を呼んでくれた。他の声優さんも、声優専門ではない方が多かったんです。そういう人選を見せられていましたから、それこそ20年30年経てば今度は僕がやらなければいけないことだろうと、当たり前のように思えたわけです。それでやってみたというだけのことです。むしろ思ったよりも、それが成功していないという意味では、本当に人を見る目がない、育てる力がないという自覚をしています。
――富野監督作品参加以後も、みなさん大きな活躍をされています。
富野:結局、上手く行っている人たちっていうのは、もともとそういう才能を持っていたんですよ。全部、彼ら彼女たちの力なんです。僕が彼らに刺激を与えたとか、インプットしたという記憶はあんまりありませんね。人を育てるということは、本当に難しいことです。これはわからないんですが、おそらく触っちゃいけないんです。触らないで、出会ったときの関係で、その人の持っているものを見つけだす。それ以上のことをしては絶対にいけないんです。これは実をいうと、愛の問題にもつながってくるんです。
――愛ですか!!
富野:愛し合っちゃうと、一点しか見えなくなるんです。正しく接することができなくなる。その瞬間にとらわれてしまって、相手が今後どうなっていくのかを考えられなくなる。正しい距離感で、この先を考えて相手と正しく接していくものでしょう。ちゃんと愛を育むことが大事なんです。
――そういった愛のお話は教育論にもつながりそうですが、そういった考えは、富野監督はアニメ制作の中でお気づきになり、考えを深めていかれたのでしょうか。
富野:もちろんです。僕は基本的に絵を描けないし、原画や動画を今もチェックしているのですが、腹が立ちますもん。「なんでアニメーターは画が上手なんだろう」「なんで線が綺麗に描けるんだろう」って。しかも、彼らは平気で何十枚も描いてくるんですよ。
――ははは。
富野:でも、そういう優れた技術を持っている人たちがいるから、僕は作品を発表できるのであって、技術を持っている人たちの総代に立つには、技術論ではなくて、理念を持たなければいけないわけです。そういう思想があったから、ここまでやって来られたんでしょう。
――思想があるから、約50年にわたるキャリアで監督として活躍してこられたとおっしゃるわけですね。
富野:思想や理念があったから、技術者たちを動かすことができた。だから、アニメのことだけを考えていたらダメなんですよ。「マンガ絵が好きだからって、マンガが描けると思うな」という考えにもつながります。この話って、何にでも通用するでしょ? 僕が文化功労者のお礼のコメントの中に「アニメのストーリーテリングは万能である」と書いたけれど、そういうことなんです。あれは良い文章になったなと思っています。僕がアニメの制作を通じて描いてきた思想は、どんなものにも通じる。それがあるから作品に公共的な意味が出るんだと思っています。
SFロボットもので異星人による遺伝子改良で大型の宇宙船のようにつくりかえられた人間や、
通常の人間より遥かに優秀な人類種となったジーンメジャーが支配する世界に、
普通の人間ジーンマイナーの少年が立身を夢見て悪戦苦闘するジョブナイル小説。
2巻だけ刊行されてるんだけど、ムチャクチャいいところで終わってるんだよ。
続き読みたい。
日本ファンタジーは元祖にしてハイファンタジーではなくて、異世界ものというのが面白い。
現代日本から召喚されたものの、役に立たない勇者だと悪口を言われたりするが、
異世界の中に遺跡として残っていた科学文明の機械をあやつりだすことでリスペクトされたりする。
その小麦の絵をトレースして美術の授業の課題として提出したら、
すぐトレースとバレたが。
美醜の基準は後天的に学習し、かつ習慣的・反射的に運用するものがほとんど。
禿頭を笑う人は深い経験や思想に基いて笑ってるわけではなく、「ハゲという単語が出たら笑うもの」と繰り返し学習した成果により反応しているだけ。
私がイメージする容姿差別のほぼ解消された世界は、犬好きと猫好きが共存してるようなイメージ。
禿頭好きと2323好きが共存しているところをイメージしてもらえるだろうか。
今の、2323好きしかいない状況は例えるなら犬好きしかいない世界のようなものだ。
(※上記の例えの犬と猫は入れ換えてもよい。または巨人ファンと阪神ファン等に入れ換えてもよい)
では具体的にどうやってよりよい社会に移行するのかというと、
『ウオーターボーイズ』という映画とドラマは、それまでに存在した「男子のシンクロナイズドスイミングはみっともないもの、醜いもの」という価値観を一気に吹っ飛ばしてくれた。
あそこまでの成功は難しいだろうが、やはり禿頭の人物がかっこよく活躍し「あっ、禿頭ってかっこいいじゃん」と思わせてくれ、かつ商業的にもヒットする作品がそう遠くない未来に登場する事を私は期待している。
「ハゲがかっこいいだって?そんなのありえない」と思ったあなた。
ところで、
「禿頭がかっこいいと思う人」が増える時代になると、「禿頭を売りにしているお笑い芸人」や「鬘や育毛剤のメーカーの人」の一部が失職するのでは?
という疑問をお持ちの方もおられよう。
それぞれ、「禿頭を売りにする二枚目俳優やモデル」「より簡単に美しく禿頭になれる(禿頭を維持できる)サービス」に転職すれば良いと思われる。
今回禿頭ばかり例に挙げているが、体型に関しては、ぽっちゃり好きは勢力を伸ばしているし、永野護氏のようなガリガリフェチもいて、しっかり共存しているのは見て取れよう。
犬の王を描くにあたって、犬界では一番アニメを監督するのが上手な押井守に教えを請わないわけがない。
そんな密接な関係にある二人はもはや、月野うさぎとまもちゃんの関係といっても過言ではないに決まっている。
マーキュリーは頭がいいとなれないが、東大出身で頭がいいから絶対なれる。
以上です。
それにあなたの名前は真綾であって、しおりではないでしょ! 嘘つきなのはあなたの方じゃないか!
確かに嘘つきのキツツキもいるかもしれませんが、全てのキツツキが嘘つきのわけがありません。
そもそも、動物を動物という種でくくること自体、差別的な表現なのです。
そこで、たった一人にのみ該当する小さい主語を使った「キツツキは嘘つきだから気をつけて」に変わる新しい歌詞を考えてみました。
「庵野秀明がヤマトの模型を自身のアナルにぶち込むくだりがあった気がしたけど何度SHIROBAKOを見返してもそんなシーンはないから気をつけて」
「榎本温子がBe My Angelを歌ったのは21歳のときだから気をつけて
私、押井守ー
って
言うじゃない?
でもあんた……
アニメだけじゃなく、実写版パトレイバーも面白かったですからああああ!!!!
なあに! やっちまったな!
男は黙って!
バルキリー格好良い!
男は黙って!
デストロイドも好き!!
♡LY BLOODをサンデーで連載してからの、ゆうきまさみの完結した連載漫画を言っていきますが、
人生の節目節目で読み返しては感慨に耽るほど好きな漫画は下線で言います。
なお、合作は言いません。
♡LY BLOOD
鉄腕バーディー(旧)
究極超人あ〜る
おもろー!
ブチ穴とっても格好良い!
なんでだろー
なんでだろー
なんでだなんでだろー
永野護はロボがすげえだけじゃなく
美樹本晴彦のおお〜〜〜〜
なんだかとってもカッコ良くて素敵な気持ちになるう〜〜〜〜〜
あると思います!
(※ここ、出渕さんのアニメも褒める、永野の漫画も褒める、と本業以外のことを褒める流れなのに、美樹本さんの漫画は褒めないことで間接的にイジっているのでは? と思われる方もおられるかもしれませんが。この星にはまだイジりの文化はないため、偶然です)
ですよの最近は謝ることいっぱーい!
ですよこの前、中古で買って積んでた火浦功のたたかう天気予報を読んだんですYO!
そしたらなんと……
面白っかったんですよーーーー!
あーーーーーーい
とぅいまてーーーん
とってもとっても面白かったですー
ちくしょおおおおおおお!!!!!
今この星の上に生きる奇跡!
僕はどうも、異性愛というものが描かれたフィクションに言い表せない違和感を感じます。
そこで、その作品の登場人物の性別を反転させることで、異性愛でない描かれ方をしたら、その違和感が消えるのかを検証したいと思います。
近衛刀太くんが女性として再構築してみましょう。(もしくはメインヒロインである桜雨キリヱを男性として)
面白そう!
こうして再構築して考えてみると、僕がUQホルダーに抱える違和感が言語化できたような気がしたので、ちょっと書いてみます。
それはメインのカップリングである近衛刀太と桜雨キリヱの関係性にあったみたいです。
刀太は見た目の年齢はキリヱよりも上だが、作中のある設定により精神的には圧倒的に子供であり、性的なことにも初心であまりしらない
キリヱは刀太より見た目の年齢は下だが、大人でいろんなことにも詳しい。
この「性的なことの知識量の差」というものが、異性愛においては、互いの立場に奇妙な勾配を作っていて、モヤモヤする! ような気がする?
なので、この二人が同性になることで、ただただ知っているものと知らないものとして、すんなりと受け止められる気がしてきました!
うーん、どちらもしっくりきませんね。
これはたんに僕が「理由はあれど親しい仲の相手に暴力をふるう行為」への是非を、圧倒的に非だと捉えているからでしょうか。
どちらであっても、可奈の暴力性がむしろ強調されてしまい、この作品に関してはこのままの方がよいと思いました。
ペルソナ4は原作がゲームなので、プレイヤーによって多種多様な展開をみせるわけですが
堀江由衣が男性だとすると、確かにペルソナ4においては浪川大輔さんとのカップリングが異性愛でなくなるため、そこへの違和感は薄れるかもしれません。
ですが、ペルソナ4以外の作品はどうなるんですか!? やまとなでしこは!?
やまなこが結成されないなんて、バタフライエフェクトなんて次元ではありませんよ……?
こんなの「ネアンデルタール人を駆逐したホモ・サピエンス」という史実が「ネアンデルタール人を駆逐できなかったホモ・サピエンス」並みに変更される歴史的な重要事項なので、こんな再構築は認められません!!!!!
なにかんがえてんだ!!!!!
(伝わりにくいのでこのセンテンス補足しますが、突然虚構推理アニメ化の話題が舞い込んで来たので、無理やり宣伝をねじ込みました)
そもそも「スバースの遺伝子情報を使って生み出した人造生命体」であるファティマが女性なのに違和感がある。
それに、髪の毛も長いしあだ名が「クリス」なので、永野護も女性としてこの現代日本を再構築したいですね。
ただそうなると、永野護のふさふさ髪の毛に嫉妬してなにくそ! と頑張ってZZと逆襲のシャアの監督をしたと謂われている富野さんのモチベーションが下がってしまうかもしれませんね。
ですがまあ、Vガンを経てブレンパワードターンエーキンゲというあの流れに影響はないからいいんじゃないっすか? つじつまはあうあう!
僕は変わります。
これは差別という側面もあるかもしれません。
真に平等な人間関係においては、男性だろうと女性だろうと、態度を変えるのは、よくないようにも思えます。
例えば、男性には乱暴な言葉遣いで声をかけてもいいが、女性には丁寧に声を変える、なんていうのは男性への差別でしょう。
男性とだけ飲み会にいき、女性は飲み会に誘わないのは、女性への差別でしょう。
ただ事実として男性と女性に違いがある以上、最低限の「気遣い」は必要だと思っています。
もちろん、それが相手を不快にさせるようなものであれば改めなければいけません。
でも「愛」って究極の差別じゃないですか?
誰彼かまわずセックスするのが平等ですか? 誰であってもセックスしないのが平等ですか? 違うでしょう。
愛する人が困っているときに貸せる金額と、見ず知らずの人に貸せる金額に差異があるのは、差別かもしれないけど、それは誰もが持ちうる否定しきれない差別ではないでしょうか?
ところで、みなさんは、飼っているペットがオスかメスかで態度が変わりますか?
変わりませんよね。
そういうことです。