はてなキーワード: 背伸びとは
男の子大好き。
30年あまり生きているので、勿論嫌な事をされたりつらい思いをしたこともあるけど、そうじゃない男の子は基本的に好き。
年上も年下も大好き。
27くらいまでは断然年上が好きだったけど、今は年下も大好き。
年を取ったらきっと好きになってもらえなくなっちゃうんだろうなって思ってたけど、逆に範囲が広がった。
年上からも相変わらず好かれるし、年下には昔より好かれるようになった。
みんなありがとう大好き。
お金と心の余裕ゆえにスマートで優しく、何も頑張らないでお父さんみたいに全力で甘えられる、知識量・人生経験豊富で話が面白いおじさん。
親友みたいなノリで何でも話せて、小さい時にはやってたものが同じだからいつの時代の話をしても楽しくて、甘えたり甘えられたりいい意味で支えあえる同年代。
頑張って背伸びしてデートしてくれて、少し空回りして恥ずかしがって、一生懸命男らしさを見せようとしてくれて、全てがかわいくて時々びっくりするほどかっこいい年下。
男の子みんな大好き。
私はかわいくて明るくてよく笑うから、私のことを好きになってくれる男の子は多い。
みんな一緒にいると楽しいって言ってくれる。
みんな好きになってくれてありがとう。
私も大好き。
男の子はほんとに素敵だよ。
硝子みたいに大切に扱ってくれてありがとう。
興味ないのに私の好きなもの覚えててくれてLINEでお知らせ教えてくれるね。
メガネをコンタクトにかえたり髪切ったりどんどんかっこよくなってくれてありがとう。
仲良くなると弱音を吐いてくれるよね。
信じてくれてありがとう。
みんなずっと一緒にいてね。
ネットで言論的な事、ソーシャルメディアでの短文コメントなどでTV局、アパレル、マーケティング、広告、電通などに関する議題で変なマウントじみた上から目線を感じることがないだろうか?例えば広告出稿の実務や電通の業務範囲などの解説に「電通を判ってない」と漠然としたコメントが付いたりする事だ。
亦は例えば脚本家と原作者のトラブルに端を発した自殺に関して「己の近いところに着弾」などと書いて自殺クリエータのナイーブを嗤うような文章だ。
実はこれらには「ギョーカイ」という30年前の知的スノビズムが関係しており、現在のその全ての発言者はただのワナビーだ。故に無視するか嘲笑するのがいい。
だがギョーカイがどういうのか判らない人には判別が出来ないであろうから、ギョーカイに就いてざっと解説したい。
1980年代の大学生というのはまるで勉強しなかった。これは60年代に反権威主義の全共闘世代が大学の知の権威を攻撃して教授や講義の尊敬を解体してしまった事に由来する。その後反体制という態度も流行らなくなり、更には嘲笑、嫌悪さえされるようになっていった。
だが大学の権威は復活しなかった。この為に80年代になると大学はレジャーランドとなり、特に文系学生は教科書さえ買っていないという風になっていた。
更にここにプラザ合意という政治状況が追い打ちをかける。日本は復興を遂げて70年代には経済規模が異常なほど膨れ上がっていた。アメリカがベトナム戦争で、欧州の旧連合国諸国が植民地独立による経済構造変化で苦しんでいた(除西独)のと対照的だ。
だが国民の生活は然程裕福にはなっていなかった。また戦後の窮乏状態から贅沢を忌避する経済道徳があった。
プラザ合意でこれが一変する。これは円高を誘導し日本の対米貿易黒字を削減する政策なので経済構造がそれまでの輸出産業優先のままだと立ち行かなくなってしまう。
そこでそれまで禁止されていた贅沢がお上のお墨付きで推奨されるようになったのだ。国民の経済道徳なんて政策で左右されるのである。文化は決定因子ではない。
また円高によってそれまで贅沢品だった輸入品の価格が下がる。当然購買意欲は刺激される。
この浮ついた好景気が加熱してストックバブルとなり、やがて弾けて失われた30年になったのは皆の知る通り。
この景気加熱はレジャーランド化していた大学生にも影響を与えた。それまで国内アパレルメーカーが若者向けブランドを展開してそれらが人気を博していたが、海外ブランド志向が進み、遊びの高級化が進んだのだ。有名なのがディスコのマハラジャやジュリアナ東京であろう。マハラジャの運営会社はそれまで「並」のディスコを経営していたが、マハラジャで極端な高級志向とドレスコードチェック(アメカジとかは入場禁止で上から下までブランド服必須)にしたところ大盛況となった。
だが大学生が高級志向になったのは自然な出来事ではなく、当時のファッションカルチャー誌が誘導したのであった。
こういう大学生に影響の大きかった雑誌にマガジンハウス社のPOPEYE(以下ポパイ)と講談社のホットドックプレスが挙げられるが、この二つは性格が違った。ポパイが先行、ホットドックプレスが追走、イノベーター理論で言えばポパイがアーリーアダプター志向、ホットドックプレスがマジョリティ志向という感じだ。
マガジンハウスはファッションカルチャー専業だけあってイノベーター人脈があるから未来への提案という形で誌面が作れる。
一方、ホットドックプレスは大出版社なのでもっと安牌志向だ。あまり冒険すると滑る危険がある。
そして流行に於いてマジョリティを相手にするという事は、アーリーマジョリティになれとけしかける事であり、故に強迫観念的になるのである。大学デビューした若者にファッションや遊びを勉強しろと迫る性格を帯びる。
山田五郎氏はyoutubeの「オトナの教養講座」を運営して大変引き出しが多くて教養がある人物だ。同氏は同誌の80年代の編集長であった。
教養人だが編集長時代はマガジンハウスの後追いで背伸びしたい若者に楽しいライフスタイルの提供というよりも「これぐらいマスターしないとモテないぞ」とオブセッションを刺激して走らせる誌面を作っていた訳で、正直そこについては評価できない。
これはホットドックプレスが悪いというのではなくて、トレンドの後追いする方は強迫観念に訴えるようになるという例だ。
そんな雑誌群でやたらと持ち上げられていたのがTV局、アパレル業、広告代理店という業種だ。
ホイチョイプロはこれらのブームが起きる前から広告代理店漫画を書いていたが、このブームに乗って多角展開するに至った。広告業の業務中で電通だけが特別視されたり、変なマウント取る奴が現れたりするのはこのホイチョイプロの影響である。
またとんねるずはパワハラ芸とTV局の内輪ネタで若者の歓心を得て売れるようになった。
特に初期のパワハラ芸が有名だがこのパワハラは芸人同士のそれではなくてTV局での上下関係に限られるのがポイントだ。TV局内とスポンサーなどの上下関係はギョーカイなので売り物になったのである。
故にギョーカイというのは単にがTV局、アパレル業、広告代理店という業種を指すのではなくて、当時の風俗上の序列に裏打ちされたそれら業界という事が出来る。広告代理店業務を特別視してマウントするという態度の背景には、輸入ブランド志向、高級ディスコ、VIPルーム、見せる為の彼/彼女、ポストモダン思想という今では時代遅れの事物の文脈がある。
一方、家庭を築いて建売とかと言った一般的な価値観は外部化されていて入っていない。
先に述べたように流行の浸透期には強迫観念に訴える形の言説が商売になる。面白いものがあるよ、じゃなくて時代に遅れるな、だ。
これらはもう時代遅れだが、この強迫観念に訴える扇動の効果は残っていて、広告やTV局に関する事が話題になると、今でも「電通の本質は違う」などという謎マウントが湧き出すという原因になっている。
特に地方在住者に顕著だ。広告への関係の仕方は様々あり、出稿する立場、印刷を受注する立場、看板屋など様々な立場の人間がネットに書き込む。また電通の業務のうち広告ではない部門、人材派遣やイベントプランニングなどに関する議題で書き込む人も居る。
それらに対して謎マウンティングしでいないではいられない人が現れるというのもネットの常だ。
これらの人は自分が参画しえない場所の話だったホイチョイプロなどのギョーカイ話を実業務での経験(他者の含む)で上書き具体化するのに失敗し続け、レイトマジョリティ転落の強迫観念で駆動され続けているのである。
彼等の言い方は、「電通とは」など目前の具体的解説よりなどまるでその評価軸が高級だったり知的であるかのようで、事情を知らない人は騙されてしまうが、その実は時代遅れの流行追っかけの知ったかぶりでしかないので、騙されないようにして貰いたい。
「インターネット下さい」やソーカルにコテンパンにされたポストモダンの亜種である。
この辺の事情を知っていれば、「己の近い場所に着弾」とか原作者の自殺をそのナイーブさ故と揶揄するAI画像を投稿してTV局の事情通風を吹かす者が現れたとしても、その破廉恥さに憤るよりも前に、その者がオピニオンバラエティに数回出ただけでドラマには関係してない事、職域が権利者との折衝と重ならないであろう事、出演回数的に業界風吹かしたい欲が最大化される地点である事、年齢的にギョーカイ特別視のレイトアダプター層である事、とんねるず世代などに着目し、地方のバーで「業界出身の人」ってこういう感じだよなぁなど感慨に耽り、祇園精舎の鐘の音が胸中に去来するはずである。
またマナの力に長ける者であれば、AIに向かって「政権のブレーンとして官邸に出入していた事がある事は履歴的に自慢したくなりますよね?という建前を押し出した笑顔の発言者の前で、現在相手にしている読者層がその政権へのドグマ的批判を共有するので炎上と評価低下を恐れて答えに窮し発言者が善意の天然なのか悪意があるのかはかり兼ねて引きつった笑いを浮かべる男性」という詠唱により画像を得る事が出来る筈である。
「TVに出るようになった切っ掛けってそのブレーン抜擢ですよね」と発言を重ね掛けする画像でもう一枚行けそうである。
いずれにしてもTVや広告業などの話で具体性も無いのにウエメセマウンティングが発生したら、その実は以上のような事情で背伸びしたい「追いかける人」であるので、良く知らんけど高級な知識っぽさに騙されないようにして欲しいものである。
最近、背伸びなダンスフロア(シングルMy little lady収録、アーティスト ricono)という歌を購入し聴いている。
可愛いしラップ部分もあり気に入っている、というよりラップ部分が特に気に入っている。あと「うー」のところも良い。
意図的な作詞なのかもしれないがなんというかフィクション的というかステレオタイプに寄っているような印象も受ける。
私は子持ちではないのでこの年代の子がどんな感じなのかは分からないので想像するしかないし断言はできないのだが。
お子様だと思って甘く見ちゃだめだよ、ウサちゃんと一緒にスポットライトを浴びたら飛び切り・・(?)・・で飛び跳ねるよ、ビターはノーお砂糖イエス、沢山ケーキが食べたいです、ダイエットなんて気にしない、写真漏れてるかだけは気にしたい。
ダイエットなんて気にしないという部分は「気にしたほうがいいという考えもある」というような含みもあるようにも感じる。
本来、都内で場所を選んで高めの価格帯の店に行けば「料理がおいしくサービスの質も安定していて客層もそこそこ、かつムードもある」という状況が期待できる
このため、あまり背伸び感は出したくないが大事に扱いたい相手と行きたい店を選ぶときも、価格帯と場所さえ間違わなければそんなに大失敗はしなかった
しかし、最近はこの選び方だと店内が遊び慣れた風の中年男性と明らかなパパ活女子の組み合わせだらけになっていることがある
端的に言えば客質が低下しているのである
「味とサービスとムードがいいんだから他の客なんかどうでもいいだろ」と思われる向きもあるかもしれないが、よく考えてみてほしい
知らんぷりするまでならまだいい、まともな育ちをしていないパパ活女子はこちらを睨んでくる等するため、雰囲気が台無しになる
他にも料理をマズそうに食べてみたり、他の客が支払いのときに店に渡したカードをじろじろ見たり、しつけがなってないとしか言いようがない振る舞いをする
一定以上レベルの店では客も店の雰囲気を構成する一部になるという、当たり前の認識が共有されていないので、無理もない
男に金を出してもらうために飲み食いしているだけの田舎女に飲食店でのマナーを期待する方が間違いなので、これはアテンドする側に問われるマナーである
男側が店に対する敬意をそもそも継承しておらず、ただの舞台装置程度にしか捉えていないため、
若さしか取り柄がない下品な田舎女をそれなりの店に何も教えず連れてきてしまうようになったというのが問題の本質だと思っている
すでに店選びに慣れている、あるいはすでに行きつけの店がある向きも、この問題に対して他人事ではいられないのではないか
失礼なくゲストをアテンドする難易度はかなり上がっていると思う
一部男性って、女性への対応を女体対応と人間対応に器用に切り替えているよね。
人間対応する時は、仲間として大切に扱うけど、女体対応した女性は人間扱いされないよね。
昨今の某お笑い芸人を取り巻く性加害疑惑報道を見てふと思った。
以下、なぜそう思ったのか自分語りする。
15年近く前の話だが。
私には3つ上の兄がいて、その兄が高校から大学にかけてバンドをしていた。兄は単なる音楽オタクだったのだが、周りの友人は少しヤンチャな人が多かった。兄に懐いていたのと、少し背伸びしたかったのもあってよく兄のバンド練習やライブについていったりしてた。みんな優しくてお兄ちゃんみたいだった。時折、酷い女遊びの事とかを話していたが私には、関係ない事だと思ってた。
私が女友達をライブとかに連れて行く時もあったりした。背伸びしたい中高生女子にバンドマンは当時人気だったのでライブチケットの代行販売とかもしてたっけ。
とても仲のいい友達の時は、増田の妹の親友ってことで、みんな私への態度と変わらない対応だったけれど、あまり仲良くない子がついてきた時は後日色々と遊んでたらしい。知らない間に私は彼らへの女の子提供係になってたようだ。兄がいない所で、彼らから私が紹介した女の子への仕打ちを教えてもらってゲラゲラ笑ってたけど、今思うと酷いよね。
当時はなんとも思っていなかったけれど、今の価値観に、当てはめて考えると反省することが沢山。女体扱いされた当人達がどう思ってるか知らないけど、性加害だし、当時の私の振る舞いは名誉男性そのものだ。
時代のせいにすればいいのか、悔いたらいいのか解らないのでここに書いてみた。
子供欲しいが最優先なら今すぐやろなぁ あとでもっとかわいい35歳と結婚できてもそろそろ子供作ろうかとなったら40、そこから子供は生まれないとおもうぞ
いまに不満がないのなら子供を受け入れる余裕があるってことだろ
いっぱいいっぱい背伸びしてたら子供うまれて産院で母になって再会するすっぴんしみだらけ眉ボサ女に幻滅するだけ
子育てっていうのはあらゆる部分に不満だらけの生き物が家庭に割り込んでくるという意味だ
https://anond.hatelabo.jp/20240110155226についたブクマへコメント
カクテルの名前が分からなくても「柑橘系が好き」「ゆっくり飲みたい」「炭酸苦手」「お酒は強くない」など条件を指定することでバーテンダーは色々と工夫してくれます。勿体ぶらず格好つけず、素直に話すのが1番。
本当にこれが一番。オーセンティックバーの醍醐味はバーカウンターにあると書いた理由のひとつがこれ。でもこれを難しいと思う人を想定してオーダーの例を書いた。
人によって違うと思うけど増田はバーの雰囲気が好きなのが一番の理由でバーに行ってる。
増田(昭和世代)が子供の頃にいだいていた大人のイメージのひとつがバーであこがれていたので酒を飲むようになって背伸びしてバーに行ってみたら自分が大人になった気がして嬉しかったし居心地も良かった。それが今につづいているけど確かに人によるので無理して行くものでもないと思う。
増田もバーにあこがれた理由のひとつが村上春樹の小説だったかもしれない。村上春樹は小説家になる前にジャズ喫茶兼ジャズバーを経営していたからかバーのシーンが多い。
自分でも確信を持てないけどそのアドバイス欲を満たすのが目的なんだろう。ただ増田に書くのはマズローで言えば承認欲求によるものだと思う。100ブクマ超えて嬉しい。
何を頼むかより、飲みながらどう過ごすのかがよくわからん。
バーテンダーと喋ってる人が多いかな。複数の客がいても会話をさばくバーテンダーが多いと思う。あまりバーテンダーの話題に乗らなければバーテンダーも会話が苦手な人か会話を望まない人として扱うのでぼーっとしていたりスマホを見ていることもできる。
増田はバーテンダーと喋るのもぼーっとバックバーを見ているのも好きだ。あとウイスキーを飲んでいるときはそのボトルのことをスマホで調べたりもする。
増田もそう思う。同じ酒をストレートで飲んでも家で飲むよりバーで飲む方が美味く感じるくらい。
行きたくなったけど、マスターと話するのを楽しむのか、酒をしっぽりと味わってのむのかどっちだろう…。普通に挙げられたお酒は飲んでみたい
増田は基本的にバーで酒を飲むこと自体が好きなので注文さえとってくれればバーテンダーに放っておかれても気にならないけど話をすることを目的に来ていると思われる人もいるから人それぞれ。
増田は1人で2、3杯でバーに1〜2時間もいるのか。大人だな。店によっては間が持たないんだよなー。酒を味わってるとすぐ無くなっちゃうし。別にバーテンと長話をしたいわけでもないし。ずっとスマホ見てるのもなー。
増田は3杯相当で1時間半強ということが多く周りの客と比べても特に遅いこともないと思うけどもっとペースが速い人もよくいるので、さっと飲んでさっと帰ればいいんじゃないかな。店にとっても良い客だろうし。
いいHow To…若い頃に背伸びしていくのがいいよね、正直に慣れてないですって言えば、バーテンさんも優しく教えてくれる。年取るとそういう態度取り難いみたいで、時々知ったかしてる年配のお客さんいて見てられない
知ったかしている年配の客にもある程度知識があって知ったかしている人と知識がないので逆に知ったかする人の2種類あるように思ってる。知識がないので逆に知ったかする様な人はバーテンダーに「慣れていない」と言うことができない人だと思うのだけどそういうタイプの人もバーに行きやすいようにというのもオーダーの例を挙げた理由のひとつ。
"バーでは店に入っても勝手に座ってはいけない"→ここでもう「うわめんどくせえ!」ってなった。逆に言えば、この敷居の高さで客筋を保ってるとも言えるんだろうけど
バーは狭いことが多いから実際には勝手に座る前に声かけられるのがほとんどだけどね。
行きたいなー。カクテルが上手で生フルーツの飲み物があってリクエストにこいつ女だしって先入観入れてこない店ないかな…昔これは通いたいと思った店、新幹線で四時間なんだよ無理すぎる
増田が行くバーはそんな店ばかりなのでいくつか試せば近場で見つけられるんじゃないかな。
バーテンという言葉がフーテンという言葉から作られた蔑称というのは多分誤り(実際にはフーテンという言葉が一般に使われるようになる前から略語としてバーテンという言葉が使われていた)だろうけど、漫画「バーテンダー」シリーズの影響でそう思っているバーテンダーもいると思うから使わない方が無難だと思う。
いや、ロングドリンク30分程度+ショートドリンク20分程度+αで1時間以内という意味で使った。
酒はもう絶対に飲まないんだけど、飲みに行くのは好きなので友人の店以外で行ける店を探したい。オーセンティックバーが理想なんだけど、行っていいのかまじで悩む。金は私が飲めない以上に払う。
行ってみたいけど「カネがない」「人見知り」「酒弱い」の3点セット揃っちゃってるからなぁ。安くて入りやすいノンアル専門バーでもあれば通いつめるのに。
最近はノンアルコールカクテルをメニューに掲げているバーも多くなっているから探せば近くにあるかもしれない。そういうバーはノンアルコールカクテルをモクテルと呼んでいることも多いので検索の時の参考に。ただ(増田はモクテル飲まないので間違ってるかもしれないけど)女性向きという感じで作っているような気はするので男性はやっぱり厳しいのかもしれない。
ずっと在宅で外食しなくなったからたまに飲みに行きたくなるよね。 カクテルは飲まないので良いウイスキーを良いグラスで出してくれるバーの探し方をお願いします。あとはシガーバーで葉巻お試ししてみたい。
単純に「駅名 バー ウイスキー」で検索すればいいんじゃないかな。さらに見つけた店の名前を加えて「駅名 バー ウイスキー 店名」で検索して画像を見ればだいたいストレートのときのグラスがわかる(ウイスキーが充実しているバーならテイスティンググラスなどの飲み口が狭くなったグラスだろう)。ロックやハイボールのときの画像が見つかることもある。
この記事に書かれてるお酒のアルコール度数ってどうなの。スクリュードライバーって、バーに全然行かない私でも知ってる、アルコール度数高くて酔い易いカクテル(男から勧められたら飲んじゃダメなやつ)だけど。
カクテルは作る人によって度数が変わるから一概に言えないけど一般的と思えるスクリュードライバーのレシピ( https://www.asahibeer.co.jp/cocktailguide/recipe/index.psp.html?ID=1010400412 )だと12%、純アルコール量が14.4gで、度数5%のビール350mlの純アルコール量とほぼ同等(350ml×5%×比重0.8=14g)。缶ビール1本と同じ時間をかけて飲めば問題ない。仮に同席者とバーテンダーが結託してアルコール量を増やした場合はさすがにきつくて飲みにくいので早く飲めないと思う。
1人だと間が持たないとか緊張するって人は素直に人誘って行くといいよ。酒だけじゃなく雰囲気だって売りなんだから。今は行く機会がないけどデート終わりとかにしっぽり飲んで語らうにはとても良かったな。
確かにその通り。自分が大丈夫だからかハードル上げた書き方になってしまっているかもしれない。行きたいという気持ちがあるけど1人だと行きにくい人は人を誘ってとにかく行ってみるのがいいね。
デートにももちろんいいんだけど書きたいことが増えすぎそうなので省略した。
個人的には初めて行くバーの一杯目はモスコミュール。モスコミュールの良し悪しがそのバーの良し悪しだって誰か言ってたような言ってないような…
モスコミュールは店によってはかなり辛口のジンジャーエールを使うことがあってその場合飲みやすいとはいえず初心者向きではないと思って今回の1杯目の候補から外した。またオーセンティックバーではモスコミュールは銅製のマグカップで出てくることも多くそれにもバー初心者は面食らってしまうと思うし。
“ロングドリンクは氷とともに長めのグラスに入っていることが多く比較的長い時間で飲むのに適していると言われる。”ロングドリンクを一杯目のビールが如くゴクゴク飲みほす私には向いていない。
冷たいカクテルは冷たいうちに飲んだ方が美味いので強い人ならそれでももちろん良いと思う。ただ度数はビールより高いことがほとんどだから気をつけて。
この記事はいい。だがオーセンティックに行く前にhubに行く事をオススメしたい。で好みの酒がわかってからにした方がいい。人によるがウィスキーいきなり頼んでまずそうな顔をしてしまう状況は誰しもが避けたい。
ひとまず一通りの蒸留酒を家で嗜んでおき、バーに行くのが良い気がする。ジン、ウォッカ、モルト、バーボン、ラムなど。好きなのがあればそれをベースに。ちなおすすめはドライマティーニをクラッシュアイスで。
それが出来てやりたい人はやれば良いのだけどバーに行くハードルが上がりすぎと思うので出来ればジンだけでも試しておくと良いのではないかと書いた。
バーに行く服がない
そのバーのある繁華街で違和感ないという程度で大丈夫だと思う。
あと増田での反応への反応 anond:20240113104919
父親と仲が良いっていうけど、増田はめちゃくちゃ気を遣ってるよな
ほいっぷる受け取った時点で本音を言えず「ありがとう」なんて言わせる、娘に気を遣わせる関係だからでは?と思ってしまった
うちも父子家庭で、父親が小学生みたいな奇抜な服を推してくるくだり、めっちゃよく分かるけど
自分は父親のこと嫌いだった(母の他界の原因がこいつ)から、そういうガキくさい服を薦めてきた時点(当時中学生)で
「なにこれ?こんな幼稚なのこの歳で着られるわけないじゃん最悪」って全力で貶したし
中高生が背伸びして持つアイコン化したハイブランドのアイテムを一方的に買ってこられた時(当時大学生)も
「は?いくつだと思ってんの?いらん、誰かにあげれば?」って即突っ返した
その他も何かにつけて全力で本心からガキ臭いいらないと貶しまくった結果、買ってくるものは美味しい消えものばかりになって平和
水星の魔女の小林寛監督のインタビューを読んだんだけど、小林監督は就職氷河期末期の世代だそうで、
コロナ禍における「ブーマーリムーバー」のムーブメントを見ながら、年配世代の存在を呪いとみなして排除しようとする論調に思うところがあったらしいんだよね。
就職氷河期世代って、団塊世代やバブル世代ばかりが良い思いをして、自分たちは負債ばかり背負わされて…という話をよくする。
ゼロ年代インターネット文化ってずっとそんな感じじゃなかった?氷河期世代が大学生だった頃かな。
でも20年経っているし、もう就職氷河期って15歳の子供がいる親になっている世代なんだよね。
水星の魔女に限らずアナザーガンダムは、背伸びをしたいティーンに向けて物語を作るんだとプロデューサーのインタビューにあった。
でも監督のインタビューが、監督は就職氷河期末期…ってことは1980年生まれくらい?なのかもしれないけど、
負債をもたらした団塊世代の尻拭いを自分たち若者世代が…的な目線がどうしても感じられて、
その考え方を表現する役割をシャディクが担当しているっぽいんだよね。
就活やブラック労働に苦しんで、団塊などの親世代を恨み、20年経ったことで「恨んでも仕方ない」「出来ることをやっていくしかない」と、
ようやく受容・解呪されていった40代50代氷河期世代の感覚を、スレッタたちと同じ年齢の今の世代に向けて出すのって完全にズレてるんじゃないかな。
氷河期世代が味わった挫折感は、親世代は金を持っているけど自分は就職がうまくいかず、
親に否定され苦しめられ挫折感を味わいながらも、経済的には親に依存せざるを得ない状況での自意識的葛藤のようだけど、
今のティーンは親世代が氷河期で金がなく、自意識がなんとかではないリアルな困窮に直面している子が増えている。
つまり葛藤の種類が、物質的には富裕ななかで親に認めてもらえず苦しむミオリネやグエルとは違い、生活に困っているソフィとノレアに近い状況の子たちがいるということ。
放送中も、ソフィノレがトー横キッズっぽいとか言われてたけど。
でもソフィとノレアに救済があったか。贖罪の機会すら与えられずにシャディクに使い捨てられて戦死してしまった。
なのにデリングとサリウスに贖罪の機会が与えられ、何よりプロスペラやペイル社CEOは贖罪すらしていないというのは歪んでるよ。
ティーンを対象にして作るんだったら、ティーンにとって就職氷河期世代が親世代であることは自覚しないと駄目なんじゃないのって思った。
ティーンにとって団塊は、年代が遠すぎて知らない。祖父母とそんなに情緒的な交流をしないでしょ。
バブル世代の文化もダサかったのが、遠すぎて「一周」したことによって逆に目新しくなって、リバイバル的な流行をした。それくらい遠い。
そういう世代感覚が欠如していて、「自分たち若者は」の感覚が40代になっても抜けていない。そういう風に感じました。
追記:
非常に氷河期的なナラティブを、氷河期よりも30歳年下で全く別の体験をしてきた今のティーンに寄り添うつもりで押し付けながら、
今のティーン向けに生きづらさや克服や救済を描いたつもりでいるのがおかしいって言ってるんです。
モバイルSuicaやモバイルPASMOをiPhoneで使う人が増えてきているんですが、一定数現金でチャージしている人がいます。
改札横にわざわざ専用のチャージ機まで設置しているのに、使い方がわからないのか知りませんけど窓口に来て「チャージしてください」と言って数百円をチャージする。
現金で乗り降りするなら、カードタイプで良くない?おしゃれのためにモバイルで使っているのだろうけど、駅員から見たらそれ本当にダサいです。
現金チャージをする人ほどモバイルSuicaやPASMOの使い方をわかってない人が多いです。
Face IDや指紋認証が求められているのがわからずに、「壊れたんですけど」と言ってくる人もいます。
なんかそういう人が増えてきているんですよね。
10年前の今頃、BWでポケモンにハマった私は、ちょうど先月発売されたポケモンXYに熱中していたと思う。
大人になるのは怖かった。小4、10歳という小さな節目で、私は少し大人ぶりたかったんだと思う。「大人と子供の狭間」そんな気分でいた。実際は10歳なんてまだまだ子供だった。そんな事に気づくこともなく少し背伸びした私は、筆箱をペンケースに変えてみたり、友達と交換日記をしたり、好きな人とゲームをしたり、いつか訪れる生理に思いを馳せてた。
それでも大人になるのは怖かった。大人って、ゲームもせず退屈そうに毎日生きてるじゃん。つまらなさそうで、楽しくなさそう。伴う責任に追われて、自分の好きな事できないじゃん。「10年後の私」は、大学生で必死に勉強してるか、必死に働いて、ゲームなんかしてないんだろうなって思ってた。
そんな事を考えてた10歳の私は、学校に帰ると3DSを開いて毎日どうぶつの森とポケモンを遊ぶ生活だった。
それまでドット絵だったポケモンが立体になって、ポケパルレで大好きなポケモンと触れ合えるようになった。新しく追加されたフェアリータイプはすんごく可愛くて、ニンフィアを常に旅パーティに入れてた。メガシンカしたサーナイトは綺麗で、何もかもが新鮮で、楽しかった。可愛いと好きで固めたパーティ。友達に弱いと言われても、それでもよかった。可愛いから。
相棒のフォッコがマフォクシーに進化して、友達のケロマツはゲッコウガになった。初めて友達とインターネット通信で遊んだ。また別の日には、みんなで3DSを持ち寄って何度も笑った。何度も、何度も笑った。
10年経った。
こんな大人になりたくなかった、なんて思っては大泣きする日々を過ごしている。
途中で止まっていたところから再開して、ストーリーで大泣きし、友達と写真を撮り、ガチグマを出しては「でっか!?」、ウパーを出して「ちっさ!?」なんて大笑いしていた。
笑いながらみんなでレイドバトルして、写真撮って、可愛いポケモンを愛でて、ストーリーで号泣して、キャラを好きになって…………。
気がついたら、全力で楽しんでた。余裕で楽しかった。手持ちにフォッコもニンフィアもサーナイトもいない。あの頃とは全然違うけれど、一目惚れしたミニーブやデカヌチャンが私の今の相棒。
もう草むらからポケモンが飛び出してくることはなくなったし、料理次第で割と簡単に色違いが手に入るようになった。オープンワールドで自由になった世界では、かいりきもいあいぎりも重宝しなくなった。ストーリーは3つあるし、DLCで新たな場所にもいける。あの頃のポケモンとは全然違う。けれども、楽しさは何も変わらない。
10歳の私へ
10年経っても私はポケモンを全力で楽しんでるよ。楽しみのない大人じゃなかった。大人になればストーリーに感情移入したり、楽しみが増えるんだよ。大人になるのを恐れないでいてほしい。
吊り革は届かない。背伸びすれば指の第1関節で引っ掛けるくらいはできる。
(だからといってチビに吊り革を合わせるわけにもいかないのは分かる)
世間じゃ蛇蝎のごとく嫌われる狛犬ポジが取れればマシ。嫌がられるのは知ってるけどここにいる時が一番楽。まあここにいられることは滅多にないけど。
シートの端についてるポール的なやつに掴めるのも楽。
ギリギリな状態で吊り革に指を引っ掛けてるときにリュック背負ったままのサラリーマンや男子学生が前方にくると息がし辛い。
というかそもそも混んでると他人の身体が顔の周辺を囲むのでそりゃ息苦しいよね。
子供の頃は「なんか知らんけど乗ると気持ち悪くなる」のが理由で電車嫌いだった。
今も嫌いだけど車移動もできるので余程必要な時以外は避けられるだけマシ。
でもたまに乗るとやっぱ満員電車ってクソだなって思う。