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はてなキーワード: 有意味とは

2024-03-01

数学必然性は実は人間言語分析能力によるものなので、言語能力が異なる宇宙人とは、数学的語彙が共有できない可能性があるんですよね~


なぜ数学言語能力関係するんだ?と思う人は、以下のノーム・チョムスキーの有名な、無意味な二種の文を見ればわかってもらえるかもしれませんね~

・“Colorless green ideas sleep furiously.”(「無色の緑の考えが猛烈に眠る。」)

・“Furiously sleep ideas green colorless”(「猛烈に」「眠る」「アイデア」「緑色」「無色」)

前者は文法的には正しいが意味が無い文で、後者文法的に正しくないか意味がない文、ということはわかっていただけるかと思います

しかし、上記二種の文は、両方とも経験的には何も想起させないがゆえに、経験的には同様に意味の無い文です。

ということは、経験こそが認識の基礎、基底である考える人にとっては、二種の文の違いを説明することができないのですよね~。

なぜならそのどちらも経験することができず、経験による理解が基底であると主張するのだから経験的基底において違いのない(意味のなさ、指示対象存在しないという点において同質という意味)上記二種の文の本質的差異(基底的差異)を指摘することができないのですね~


現代言語哲学、そして現代論理学の基礎を作ってきた哲学者たちは、数学必然性がどこから来るのかという問題について、

文の経験理解よりもに、文の文法的分析が先に行われる(そして数学必然性は、文法分析に基づく理解のものから正当化可能である)ことを示すことによって、

経験的(アプリオリ)論理数学必然性正当化可能であることを証明してきたんですね~

例えば上記二種の前者の文でいえば、経験できないにもかかわらず文法的に正しいことが理解できるのは、まず文法分析が先に行われ、その後意味解釈に失敗するから無意味なのであって、その逆ではないのですね~

そして数学で扱われる文、例えば2+2=4は、なんらかの経験を前提せずとも、形式的理解(つまり文法的理解)から正当化可能であるがゆえに必然的(=非偶然的、または前経験的)なのですね~

そして例えば上記二種の文とは別の有意味である文「無職緑色ジャージを着た男性が猛烈に眠る」であったとしても、まず文法的理解が先に行われたあと、その意味解釈を行うことができるがゆえに有意味なのですね~

プログラミング言語だって、まずどれが変数で、その変数に何が割り当てられているかといったセマンティクスよりも先に、シンタックス分析が行われますよね~


から数学必然性は実は人間の前経験的な言語分析能力によるものなので、言語能力が異なる地球外生命体と遭遇した時、数学的語彙が共有できない可能ももしかしたらあるのかもしれませんね~

なぜなら我々の理解する必然性とは、我々の言語分析能力に基づくものであって、よそから来た宇宙人にそれが期待される理由がないからですね~

2022-07-22

努力特異点

 努力を質や成果に転換することは非常に重要で、それが無い努力には基本的には意味がない。

 それは厳然とした絶対事実であって、我々はその事実を厳粛に受け止めなければならない。質に転換することのない無為努力に対して、我々は常に自戒しなければならない。

 しかし具体的にどうすれば努力が質なり成果なりに転換するのかと言うと難しい。努力の転換、あるいは変換、その神秘さえ分かれば我々は今いる場所よりもずっと遠くに行けることに間違いはないのだけれど。


 技術的特異点という言葉SFの筋書にのみ使われるのではなく、現代において現実味を帯びて語られている言葉でもある。AI自分よりも優れたAIを無際限に産出し続ける状態へと移行すること、これが技術的特異点である。これが実現すると、AIは無際限に進歩を遂げることとなり、その高度さは到底人間の及ぶところではなくなる。

 努力特異点というものがあるとすれば、恐らくそれは、努力努力の質に対して向けられ、無際限に努力の質が進歩していくあるポイントのことを指すのだろう。努力を続けることによって、努力の質自体をより良質なものへと転換していくことのできる努力。そんなものがあると良いのだけれど。そんなものが本当に存在するのだろうか。

 逆に考えてみよう。短期的に効果はあるかもしれないが、やればやるほど努力の質を下げていくタイプ努力。そういうマイナス努力というものは実際に存在する。例えば、過度にカフェインを飲んで集中力を高めた状態で何らかの目的に取り組むこと。時にこういう努力短期的な成果に繋がるけれど、一方でカフェインによって酷使された肝臓やら副腎やらは徐々に彼の努力の足かせとなっていく。つまり、これは努力の質を下げるタイプ努力であると言えよう。このような努力によっては、努力特異点に到達することは夢のまた夢である

 逆に、努力の質を上昇させる努力というもの存在しているとすれば、それはどんなものであろうか。そして実際に存在し得るのであろうか。

 結論から言えば、そのような努力は恐らくは存在している。つまり、先程の努力の逆を考えてみれば良い。体の状態悪化させる一種の薬剤やサプリメントとは逆に、身体状態を良くする栄養価の高い食事や深い睡眠、好ましい人間との有意味な会話、適度な運動、適度なストレス、そういったもの人間努力の質を高めることには論を待たない。こういう努力は、努力の質を漸進させる努力、人を努力特異点へと誘なっていく努力であると言って相違ないだろう。

 とは言え、そのような努力あくまで補助的であり、また、そのような努力によって漸進される努力の質にも限界はある。そういう意味で、もっと質の高い、努力の質を高めるための努力必要になっている。


 最近分かってきたのだけど、この「努力の質を高める努力」に有力なのは、「脳のモードを切り替えること」だと気付いた(気がする)。


 脳のモードを切り替えるというのはどういうことかと言うと、例えば、ある時に文章を書いている。文章に集中することによって、その文章を書いている人間脳味噌文章モードへとシフトしている。そのようなモードは、きっと人間料理モードに入っている時とは異なっているはずだ。

 このように、とある事柄に対して集中し、ある種の「モード」へと入り、然る後に、例えば絵を描くことな将棋の棋書を読むことなりといった別の「モード」へと、脳を切り替えること。

 こういう努力の仕方が、恐らくは努力の質を大きく高めることへと繋がっていくのである。と最近になって感じた次第である


 ちょっと話は変わるが、漫画おおきく振りかぶって』にて、野球選手故障について語られるシーンがある。野球選手故障は何故起きるのか、また、どのようにして防ぐことができるのか、という重要質問に対して、作中で以下のように語られている。

 つまり野球選手は左右の筋肉バランスが崩れがちであることが、故障の原因なのではなかろうか、と作中では結論されていたのである

 例えば、右投げのピッチャーは当然右腕を酷使する。その結果、左右の筋肉の配置のバランス、あるいは骨格の配置のバランスが、非対称になる。筋肉や骨格のバランスが崩れる。

 本作によれば、このバランスが崩れた状態こそが、選手故障を招きやす状態であり、少なから故障の原因となりうる状態なのである

 そのため、右投げの選手は左右の腕に同様のトレーニングを、左右対称的に施すことによって、筋肉対称性バランスを保ち、故障を予防することができるのではないか、と作中では仮説が述べられていた。

 例えば、テニス選手野球選手同様に手足を酷使するが、バックハンドとフォアハンド双方の筋肉を鍛えるため、バランス良く筋肉が育ち、故障しにくい対称的な骨格と筋肉を手に入れることができるのである――とも作中では述べられていた。


 当然ながら、あくまでこの「左右のバランスを保つことによって故障回避できる」という説は仮説に過ぎず、検証必要な仮説であり、すぐに信用することはできない。

 とは言えこの仮説においてポイントとなるのは、ある行為をする際に、直接的に使う筋肉以外の筋肉を育てておくことが、時に重要になるのではないか、という主張である。右投げの投手が主に使う筋肉以外の筋肉、例えば左腕の筋肉が、右投げの選手身体運動において補助的な効果を発揮するのではないか――それも、好意的効果を発揮するのではないか――という主張。大元の仮説の当否には怪しいものがあったとしても、このような主張は興味深く、特筆に値するポイントであるように思われる。

 それを踏まえた上で、話を元へと戻す。


 つまり、脳のモードを切り替えて、様々な脳のモードを鍛えることによって、ある物事に集中する際に際立って用いられる脳の部分『以外の』部分も鍛えられ、そのような努力によって、例えば文章を書く際に際立って活性化される脳の部分『以外』の部分についても鍛えることができ、そのような一見直接的に関係なく連関の無い脳の鍛え方が、却って補助的に、ある分野の知的活動寄与するのではないかということなである。つまり文章を上達させたいのであれば、愚直に文章だけを書き続けるのではなく、様々な別分野の努力をすることで、様々な脳のモードを鍛え上げ、文章を書く際の補助的な効果を促進していくことが重要なのではないか、ということなである

 かつて俗説で、人間は生涯において脳の三割程度の能力しか用いていない、というものがあった。このような俗説は現在否定されているが、翻って、脳はどんな行動をするにせよ『全体的に』用いられるものなのだ、という主張を導くことができるだろう。つまり文章を書く際に活性化する脳の部位以外の部分も、文章を書く際にはある程度使用されている。となれば、このような部分について鍛えるために、例えば文章を書く以外の努力をすることが有力なのではないか、ということを私は言いたいのである

 絵を描く時には、恐らく脳の中には際立って活性化する部位があり、あるいは将棋チェスを指す際にも、恐らく絵を描くために活性化する部位とはまた異なって活性化する部位が存在することになるだろう。そうだとすれば、様々な努力モード体験することは、脳の様々な部位を活性化させることに繋がる。したがって(あるいは翻って)、そのような様々な部位を活性化させる努力は、絵を描くことでもなく、将棋チェスを指すことでもない別の行為をする際に、補助的な役割を果たすのではないか、ということなである


 色々なことに集中して、モードを切り替える努力が、脳の成長には欠かせないのではあるまいか。それらの努力こそが、我らが努力特異点寄与する努力ということになるのではあるまいか

2022-05-27

anond:20220527202153

realiste0好き。

何言ってるか分からんときも多いけど、意外に有意味な返事くれる。

2021-07-17

私が歴史小説を好んで読むのは「神の視点」を持つことができるから

登場人物翻弄されるその出来事の結末を、彼らにとって未来である私はすべて知っている。

から、彼らが知能と技術を尽くしたその行動の正否を、単なる一個人しかない私が、100%正しく評価できる。

この感覚がたまらなく快い。

社会的有意義価値を持たない自分が、歴史的有名人の行動を逐一評価できるという感覚

から、私は小説の中でも歴史小説ばかりを好き好んで読み続けてしまうのだ。

また、近現代小説ともなると、現在では当たり前に使われる科学技術(例えば、「えてきてる」だとか)に、登場人物が強い驚きを示すシーンも快い。

その人間を強く興奮させる驚きを、自分は既にいつとも知らず超越できているという感覚

またそれは、自分子育てを行っていた昔の、子供テレビやら自転車やら色々なものに興味を示していた様子を想起させる。

でも、歴史というもの自体は大嫌いだ。

歴史は、学問履歴と違って、論理的に発展したわけでもないし、それが人間にとって最良に発展したわけでもない。

それなのに、「賢者歴史に学ぶ」とか称して、歴史自分辞典かなんかのような学ぶべき規範だと勘違いしている。

歴史なんて、アドホックパターンの羅列でしかないだろう。

歴史=暗記科目と思われているのも、ひとつひとつイベントアドホックで、共通項が見いだせない作りになっているからだ。

から歴史が多くの「賢者」に学ばれるためには、もっと一般化した形で表現されるべきだと思う。

まり歴史は暗記すべき物事に溢れた情報形態であることを止め、理想的には数学公式のように、色々な時代フィットできる教訓のような形を取るべきだと思う。

そういう一般化も目指さないで、「賢者歴史に学ぶ」なんて述べる人間は「想定外」という言葉をどう思っているのか。

そりゃ、歴史的情報は暗記に閉口するほど豊富なので、どこかが現代事物が似ていて、教訓が拾えたりすることもあるだろう。

しかし、何か悪い事項が発生したあとで、この教訓はこの歴史的事物からも読みとれる、だなんて言っても仕方がない。意味がない。

から歴史家には、未来に発生する事項に先行して、歴史的事物一般化した教訓にまとめる努力必要なのではないだろうか。

歴史家は、歴史における未知の事項を明らかにすることにだけ力を入れているように思うが、

個人的には、そういうのいいから、早く「まとめ」のフェーズに入って教訓化しろよ、早く教訓として歴史的情報圧縮しろよと思う。

まり歴史はあらゆる情報網羅する情報可能体であろうとする努力を辞め、その一部分でも「まとめ」として有意味な教訓を抽出してほしいと思うわけです。

いや、「まとめ」の部分は歴史以外の学問がやるべきってことなのか?

もしそうであったとしても、「賢者」が学ぶべきなのは、そっちの学問だよな。

現代に生きる我らが得るべきなのは歴史的素材に関する知識じゃなく、現代に使える教訓なのだから

というわけで、歴史学問総体として嫌いだが、部分的イベントとしては快いと思うわけです。

そして、その「まとめ」の一形態歴史小説だと思うので、そういう意味でも、歴史小説を好んで読み続けるのです。

2021-03-14

circulate daemons

<間違っている>

ただ単に、「間違っている。」というのは、無意味

何らかのルール上において、そのルールに反しているという場合においてのみ、有意味

2020-06-09

あらゆる内心の自由は無い

anond:20200609071250 はそのように書くべきだ。

何故なら、彼が(彼女が?)「子供性的にみる内心の自由はない」と主張するための根拠として示される以下の事柄は、「子供性的にみる」かどうかに拘わらず、すべての内心の自由に該当する事柄からだ。

憲法19条保障されている内心の自由は、国家が内心に干渉することを禁じる規定で、私人間では適用されない(三菱樹脂事件最高裁判決

従って、「内心の自由私人間では適用されない」事が或る内心の自由子供性的にみる内心の自由)が無い事の根拠になるならば、

内心の自由私人間では適用されない」事はこの世のありとあらゆる内心の自由が無い事の根拠にならなければならない。

これがいくら可笑しな主張に見えても、論理的に考えればそうなる。

では何故そうなるのか?選択肢は2つ。「直観と反していても「あらゆる内心の自由は無い」は真である」か、「前提が偽である背理法)」か、どちらかだ。

 

その後の文は数値は出るものの結局は抽象論に終始していて余り意味が無い(ついでに言えば、増田に付いたブコメも同様)、そもそもあなた達は、具体的にどうしたいのだろうか?

児童性愛であることが判明した人物直ちに強制的な”治療”と”隔離”を受ける社会へと現在社会を変えたいのか(「子供性的にみる内心の自由はない」という強い表現有意味である為には、その位しなければ成り立たない=そこまでしないなら「子供性的にみる内心の自由はない」を成立させられない、と思うのだが)

あるいは児童型のラブドール製造規制したいのか、それとも児童性愛者に罵声を浴びせても正義である社会にしたいのか、イラスト虚構も含めて児童の性を思わせる表現(直接的でない場合も含めて)を規制したいのだろうか?

なんというか、具体的に何をやるのかを伏せて、「子供性的にみる内心の自由はない」などと曖昧な事を主張して印象を上へ下へ動かしてみたところで、実際的には何も言っている事には成らないのではないかと思うのだが、どうなのだろう?

2018-07-04

anond:20180704163405

村民100人の村でも投票結果は99人の他人によって決まるので投票無意味」と考えた100番目の男は、投票放棄すると言った。

投票者99人の村でも投票結果は98人の他人によって決まるので投票無意味」と考えた99番目の男は、投票放棄すると言った。

投票者98人の村でも投票結果は97人の他人によって決まるので投票無意味」と考えた98番目の男は、投票放棄すると言った。

・・・

投票10人の村でも投票結果は9人の他人によって決まるので投票無意味」と考えた10番目の男は、投票放棄すると言った。

投票者 9人の村でも投票結果は8人の他人によって決まるので投票無意味」と考えた 9番目の男は、投票放棄すると言った。

・・・

投票者 3人の村でも投票結果は2人の他人によって決まるので投票無意味」と考えた 3番目の男は、投票放棄すると言った。

投票者 2人の村でも投票結果は1人の他人によって決まるので投票無意味」と考えた 2番目の男は、投票放棄すると言った。

投票者 1人の村なら投票結果は俺1人によって決まるので投票有意味」 と考えた 1番目の男は、独裁者となった。

2017-12-17

anond:20171216191812

人生意味は個々人が自分で決めるものなので、「我々は」などと一般化しないでほしい。

ちなみに、もし有意味人生を歩みたいと考えているなら、メッツという哲学者がこんなことを言っているので参考にしてみてほしい。


意味」の基本的意味として次の3つに集約される。

  • なんらかの価値ある目的を達成するために行動すること
  • なんらかの価値ある仕方で自分を超えること
  • 自信や尊敬に値すること

あなたの挙げた2つはこれの2,3番目にあてはまると思う。まぁ、いろいろな考え方があるってことで。

2016-04-23

はてな国8箇条の憲法にあてはまるブロガーブクマカはアカウント消せよ

書き込みの際の基準な。

これにあてはまったら即死刑、はてなの決まりだ。

国の知性を維持するのは国の義務だ。

1,具体的な内容がない

互助会ブロガー仕事をするのは馬鹿らしいと思いました♡」

なんでそう思ったか、どういう事件バックボーンにあるのか、しなかったときリスクはなにか、馬鹿らしくない仕事はないのか、などなど深堀してからしゃべれ。

ブクマカ「わかってない」「ちゃんと読めてない」

典型的な思わせぶりっこ文。主張と根拠はワンセット、抽象度が高い文は内容ゼロレッテル貼り

2,ゴミみたいな内心の忖度

互助会ブロガー「目立つ人たちへの嫉妬でしょ?」

説明するまでもない、論外だから死ね

ブクマカ「叩いてるのは文才があって嫉妬してるからだろ?」

説明するまでもない、論外だから死ね

3,脊髄反射おじさん状態

仕事するのはバカバカしいよね~」「バカバカしいだと!舐めてんのか!?そんなんで生きていけると思ってんのか!?

具体化がヘタなバカ娘を即叩きに走る無能

なんでそう思うの?と問うてからしろよいくつだよおまえ

4,文脈確認せずに叩き

「日曜診療7000円ってたけぇなぁ」「アメリカ比較してみろ!そしたら安いってわかるぞ!」

表現との兼ね合いもあるが、文脈がなにか、メタメッセ-ジがなにか理解する努力ができない読み手は論外。

5,都合のいい解釈

4と反するようだが、好印象持ってる人の発言勝手に良く受けとるパターン

死ぬなら黙って死ねよ。自殺エンタメ化するな」「死ねとか煽るなよ」

「この人は煽ってない!!この人の本心エンタメ化されて悲しんでるだけ!!」

おれはこう解釈したがほんとうに正しいのだろうか?と自問自答してから書こう。

6,読み手から第三者から客観的に読めると思っている

第三者の冷静な意見としてちゃんと俺の考えも聞けよ」「ブクマカはレフェリー

第三者から冷静に読めていると考える読み手ほどタチが悪いものはない。

バイアス防衛機制第三者の読みにしろ自己投影にすぎない場合が多い。

自分の考えを精査する前に発言する読み手書き手とおなじく無責任

これをしないほとんどのブクマカは自分の思い通りにしてやろうと脊髄反射で口を開いているだけ。

7,自分がそのメッセージを発信する動機自覚的でない

「気に入らないから叩きたい」「正しい俺様理想通りに変えたい」「自分知的に見せたい」「アフィで稼ぎたい」「みんなからチヤホヤされたい」など自覚的であるべき。

もちろん他人にこれを言うのは2に当てはまる。

他人に言う前にまず自分のことを考えろ。

きちんとした動機なら表現にも気を遣うようになるし、議論のゴールをはっきりさせられる。

8,議論有意味正当性を探せる

そこそこ言語化ができる人間なら、いくらでも適当理屈をつけられる。

ただの知的ゲームにすぎない。それっぽいことを言い合ってるだけ。


発言する前に自分思考正当性を疑う

発言する際は自分発言する動機メタメッセージを明確にし、読み手の際は相手メタメッセージ文脈を探す

相手発言イラッとしたら自分偏見がないか確認する、イラッとした理由言語化する

相手発言イラッとしたら共有できる目標を探し、それを議論のゴールとする

相手発言イラッとしたら相手発言の「なぜ」「文脈は」を問う

このレベルができないバカフィードバックを受け入れろとか言われても、バカは死んどけとしか思えないのでよろしく

2015-08-20

M1

D進するつもりで進学してきたけど諦める.

僕は,自分自信の学問の興味を,「人生賭ける」もの昇華できなかった.


それどころか,今まで勉強してきたつもりだったけど,僕の勉強はただ正解を頭にねじ込んでいただけだった.

専門やってきたつもりだけど,色んな分野からただつまみ食いしていただけだった.

僕はコミュニケーション能力というやつを,20代前半も1/4が終わるまで,全く磨いてこなかった.

おまけに,自分自信で考える力も,同じくらい長い間磨いてこなかった.

正直に言って,D進どころか,就職できるかどうかも怪しい.でもやるしかない.


ずっと昔,僕は勉強に走った.

小中といじめられ続けた.高校は,極力深い人付き合いを避けて,何とか乗り切った.

これじゃダメだと思って,大学ではバイトやらサークルやら試してみたけど,結局全部ダメだった.

少しでも,せめて勉強だけでもと思って,無謀なカリキュラムを組んでみたけど,

結局,それなりに見かけは良さそうな成績表以外,何も身に付かなかった.

からなんでも片っ端に頭をねじ込む勉強法じゃ,時間全然足りなかった.


ずっと思ってたよ.「何でこんな目に」って.

勉強に走っても,良い点を取っても,褒められたことなんて一度もない.悪い点とって,一週間毎日夜遅くまで叱られたことはあったっけ.

中高のときに,プログラミング電子工作をやってみたこともあったけど,

「金になるものを作れ,金にならないものなんか作ってるんじゃねぇ」って言われ続けて,辞めてしまったんだっけ.

いつからか,良い成績が出るたびにほっとするようになったよ.「これで当面は何も言われない」って.

ネット世界じゃ,「ゆとり」とか「精神が未熟」とか「こいつらが日本を滅ぼす」とか言われ続けたし,

大学入ったあたりからは「優秀な留学生に比べて日本人は」とか「日本人はもう役に立たない」が加わったかな.

実際,過去問過去レポートも共有して,単位だけとる学生がたくさん居てね.

「こんなことをしたらいけない」って思って,「少しでも優秀にならなきゃいけない」って,自力で挑戦してみたよ.

あのとき,身の丈にあった挑戦してれば,今こんなことになっていなかったんだろうか.


テキパキ仕事するには,有意味感が必要なんだっけ?

もう,「惨めに死にたくない」以外,何にも望みなんてない.

それしかないから,「惨めに死なずにすむこと」に,有意味感を見出すしかない.

いつになったら「死にたくない」って考えなくて済むようになるのか分からないけど,

やるしかない.


発声練習の人のブログは,厳しいことも書いてあるけど,参考になることがたくさん書いてあって,とってもありがたい.

何より,僕が20と数年悩み続けた能力は,訓練すれば多少改善することを,はっきり示してくれた人を始めて見た.

今まで,てっきり天性の素質で,もう変えられない物なのかと思ってたよ.


これから何とか,足りないスキルを少しでも身に付けるしかない.

もう「学部4年ならこれぐらいやらなければ」とか「修士1年ならこれぐらいやらなければ」とか,

「今の専門を徹底的に研究することに,人生を賭ける」だなんて,「将来ウルト○マンになる!」みたいな絵空事,言ってる場合じゃない.

一方で,「この歳で面倒かけてるなら,もう一生このままだし諦めて死んだ方がいい」なんて考えてるのもダメなんだ.

今,僕ができる最善の手を打つしかない.


精神安定と,考えてることを言語化するために書いてみたけど,

匿名だと分かってても,怖くて仕方ない.

ここや2chみたいに,匿名であっても,何か文章を書き込める人は凄いんだな.

2015-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20150627125159

合理性」という概念について誤解してるらしきブコメがいくつかあるので追記。

合理性は個人の感情や欲求と相反するものではなく、むしろそれを前提にしている。「なぜそうするのか、そうあるべきなのか」という問いに対して、最終的に「自分感情目的しかじかだから」と答えることはまったく合理的だ。合理性にもとづけば、前提(欲求)がちがえばちがう帰結(どうあるべきか)が出てくるのは当然である。だからこそ、お互い求めるものがちがいますね、じゃあどうしましょうねという話ができる。

たとえば、伝統大事にしたい人が「伝統に即さなものを見ると自分感情を害されるから伝統大事にすべきだ」と主張するのはまったく合理的だし正当なものでもある。リベラル立場からすれば、それを認めたうえで、その個人的な欲求が、ほかの人の欲求と照らし合わせたときに押し通すことができるものなのかどうかという話になる。

しかし、保守的思考をする人は、そういうしかたで自分の主張の理由づけをしない。端的に「これが現状だから」「過去こうだったから」という説明しかしない。それではリベラルは納得しないが、保守はむしろそれで納得するのだろうという話。

あとついでにいうと、現代日本(のネット)において「保守リベラル」「右翼左翼」とラベリングされているものには関心がない。もっと根本的なレベルでの考えかたのちがいの話をしている。そして、そのちがいは、従来「保守」と「リベラル」と呼ばれてきた政治的対立根底にあるものだろうと。

保守リベラル」というラベルは、たとえば幕末期の「尊王/佐幕」とか「攘夷開国」と同じように、多様な対立軸をごっちゃにしたかたちでつかわれていて、もはや有意味な内容をもっていないかもしれない。その意味で、このラベルを持ち出したのは失敗だったかもしれない。たぶんノーランチャートのような2軸4象限あるタイプスペクトラムを持ち出したほうがよかった。

2014-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20141019150555

"無意味な瞬間が他の有意味時間無効にするというのならそもそもこの世界意味存在しないよw「意味が無い」という考えすら存在しなくなるわ"

コミュ障って言われてそう

「(ズレてる意見に対して)コミュ障

「知らないんだな!」

なんだこの人

ズレてると理解してるからの指摘なんだけどやっぱコミュ傷だなぁ

http://anond.hatelabo.jp/20141019124534

未来の時点で無意味だけど現在では有意味と言えるのは死が確定してない人だけだよ

2014-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20140720121912

いや、お前が主張している事なんだからお前がソース出せよ。

こっちはそこまでする義理ないわ。

単なる現時点での男女の能力差を計る、雇用の指標にするって意味では

十分有意味だよね。

センター試験の成績で仕事能力差が測れるわけじゃないんだが……働いた事無いんだろうなあ

センター試験高得点取る仕事なら能力差測れるかもしれないけど

http://anond.hatelabo.jp/20140720121739

俺がソース出しても「偏ってる」ってディスられそうだから

自分で探してみ。即効出るから。サイニー見れるんならそれもオススメ

どーしても見つからなかったらまた呼んで

「おまえグーグルも使えないレベルバカか」って言ってあげるから

ちなみに、「男女の本質的能力差を計る」って上で確かにセンター統計は無価値だけど

単なる現時点での男女の能力差を計る、雇用の指標にするって意味では

十分有意味だよね。「男はこれだけのセンター得点者を輩出し、女はこれだけ輩出してる」

って値だからね。雇用判断はそっちでやればそれで十分。

「ただしいとうけい」はすみっこの方でシコシコやってればいいよ。

2011-09-04

きれいはきたない、きたないはきれい

どういう事だろうか

私にとっては自殺が一番近い題材なので、そこから考えてみよう

自殺は、きたなさに耐えられない結果なんじゃないかなと感じてる

自分の汚さ、他人の汚さ、未来現実、関係、人間自体

逃げられなくて、思考停止もできなくて、見ない振りもできなくて

そんな何かに耐えられなくて

自分を消してしまおう、と

その事で、自分に付いた汚さを意味のないものとしようとする

「死んでしまえば」に続く言葉は、その人が何から逃げたいのかが表現される

その何かにおいては、ある意味では潔癖なのだ

ただ、その綺麗を維持するために、他の部分を犠牲にする必要が生じてくる

疎かになった部分を、上手く機能しなくなった部分を汚いとするなら

きれいはきたない、なのだ

逆に、全体を維持するために一部分を疎かにするのであれば

きたないはきれい、なのだ

けど、不自然ではないんだ

ぎこちなくて、上手く機能してないのかも知れない

けど決して、不自然じゃない

人間のなす事なのだから、全て因果関係がある

そうせざるを得ない理由があるなら、不自然じゃないんだ

問題も、必要なことも何もない

「あるがまま、好きなようにすれば良い」なんて事を言う必要もない

既に、好きなようにしている

死にたいと思うのも、死ねないと思うのも、死んでしまったのも、それらを誰かに告げるのも

あるがままでいれないと思うのも、あるがままでいたいと思うのも、それで悩むのも苦しむのも

自然じゃないから、きっとどうにもできない

それがどの様に変化していくかについて、何か努力して効果はある

上手く言えないけど

それも含めて、なるようにしかならない

から、何百回も死にたいエントリを書くのも、その道程なんだろう

無意味でも有意味でもなく

消したい、それだけ

 
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