はてなキーワード: 小屋とは
貧乏者の子沢山というが、五反百姓に十八人も子供がいるような日本。
天然資源的に見れば取り代えるオシメにも事欠く程度の素寒貧だし、
持てる五反の畑も人里はなれて山のテッペンに近いような、
もしくは湖水の中の小島のような不便なところに孤立して細々と貧乏ぐらしを立てている。
気のきいた泥棒も、気のきかない泥棒も、そんなところへ物を盗みに行くはずがないじゃないか。
しかるにそこの貧乏オヤジは泥棒きたるべしとダンビラを買いこみ朝な夕なネタバをあわせ、
そのために十八人の子供のオマンマは益々半減し、豊富なのは天井のクモの巣だけ、
そのクモの巣をすかして屋根の諸方の孔から東西南北の空が見えるという小屋の中でダンビラだけ光ってやがる。
ここのウチへ間抜け泥棒が忍びこむよりも、このオヤジが殺人強盗に転ずる率が多いのは分りきった話じゃないか。
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親子丼、竜田揚げにサラダや豆腐、みそ汁がついていてバランスがいい。
四季のメニューがあり、夏は汁なし担々麺、冬には麻婆豆腐が出る。→麻婆豆腐は去年のみ。
このご時世で1000円以下はすごい。定食が気分じゃないときはパスタとカレーもある。
ここも1000円。おいしいが、生で食べて大丈夫なのかなという気持ちはぬぐえない。
それ以外の肉料理を今度頼んでみよう。サラダとスープとデザートもついてたし。
他の寿司屋もおいしいのだが、ついついここに足を向けてしまう。
1300円。おいしくて雰囲気が良くて、コーヒーがおかわりできる。でもちょっと高い。
太い麺と濃いめんつゆが特徴。相変わらずちくわ天ぷらそばを頼んでいる。
値上げの影響で、トッピングに大根おろしと卵を乗せただけで1000円を超えてしまうが、これもご時世。
おいしいんだけども、そばと丼のセットは炭水化物ばかりで辛い。
なんだかんだで1年以上行っていない。
全然行ってない。最近ラーメンという気分じゃなくなりつつある。
同僚から「醤油じゃなくて塩がおいしい」と言われ、試したが確かにそうだった。
おいしいのに1年以上行っていない。
おいしい。定食が日替わりなので足を運ばないと何があるかわからないのが難点か。焼きそばとかもおいしいし、つゆそばもおいしい。ひょっとしたら中華料理屋のラーメンに好みが変わってきているのかも。
汁なし麺がおいしい。ただしキクラゲサラダとトウモロコシ入りのデザートはそこまで好きではない。トムヤムクンスープがおいしいが、エプロンがないので服を汚しやすい。
おばちゃんの愛想がいい。米がちょっと多すぎ、デザートが甘すぎるのがご愛敬。
ここの米麵もおいしいく、ラーメン屋さんから足が遠ざかっているのもこれが理由か。
残念なだが好物のマッサマンカレーがランチメニューからなくなっている。
臨時休業。残念無念。
牛肉のフォーがおいしいし、生春巻きもおいしい。ただしちょっとしょっぱい。
田舎蕎麦屋さんの隣でバインミーもおいしい。おかずを乗せる皿が小さいので味がちょっと混ざる。
おじさんが少しシャイ。少し遠い。
ここも1000円に抑えられている。
郷土料理のセット(ダルバート)が食べられるのはポイントが高い。ラムカレーもヤギカレーもおいしい。
セットだと豆のスープお替り自由。数少ない欠点が祝日休みだが(自分は土日休みだが祝日は休みではない)、そういう店は結構多い。
リニューアルした。
ランチから中東の揚げ餃子やシシカバブがなくなってしまっている。
古き良き欧風ビーフカレーがおいしい。だがいつも並んでいるので1年近く行っていない。
カレーの周囲にいつも南アジア風の漬物がついているので味に変化があって飽きさせない。
日替わりカレーがあるのも嬉しいが、なんだかんだで定番のラムカレーか魚の出汁のチキンカレーばかり頼む。
ここもおいしい。ただし上の店より数百円高い。
アーユルヴェーダか何かに従ってぬるめで出してくれるのだが、結構おいしい。
おいしい。ビビンバやスンドゥブにヤムニョムチキンやサラダをつける贅沢なランチができる。店の中ではずっとKポップが流れていてちょっとうるさいが、活気があるとも言える。韓国は音楽よりも小説に興味がある。
焼肉が食べたいときはここ。もう片方の店はつぶれたし、立ち食い焼肉もランチ営業を取りやめた。
おいしいが混んでいるので1年くらい行っていない。
おいしい。サラダのドレッシングが好きなのと、食後の紅茶・コーヒーがつくのが高評価。同じメニューでも時間差で出してくれると昼からコース料理を食べている贅沢な気分になって幸せ。ただし結構混んでいるので入れるかどうかは運しだいである。
図書館の下に監修している別の店があるが、そこまで行くのはちょっと遠い。
野菜たっぷりのサンドイッチが食べられるが、タンパク質が不足しがちなので牛乳も頼む。
長居できるが最近は学生が戻ってきて並んでいるだけで20分くらい平気で経過する。
高級でおいしいんだが、飲み物なしで1000円を超えてしまうのはつらい。
パン屋さんと近くのサラダ屋さんでお惣菜セットにすることもあるが、短い昼休みに二か所の店をめぐるのは面倒くさい。
どうしても食べたいときに。
トンカツのほうがおいしいし、高い。2年近く行っていない。
量が足りない。
パエリアはおいしいが量が少ないのと、妹が作っているやつのほうがおいしい。
父方の実家が嫌いだ。
最近ようやくその縁が切れる目処が立ってきたのだが、いざというとき決心が鈍らないようにどんなに嫌いか書き起こしておくことにした。
緩やかな坂の上に建つ家は大きく、貧乏だった祖父が会社を興し一代で築いた。隣の家に行くのに坂を下り道路を渡っていかなければいけない。
いずれは父の家庭(つまり私たち)を呼び寄せ二世帯で暮らすことも考えていた、と後から聞いた。
その割には電気関係があまりに貧弱で頻繁にブレーカーが落ちていたので、どのみち無理だったと思う。
家の前は杉林でそのまま山へと続く。夏はアブが、冬はカメムシが大量発生する。
敷地は広く、車が三台収まるコンクリート造りの車庫に加えて大型の農機具が複数収まる小屋や鶏小屋、2つのビニールハウスを備えてなお広がる畑もある。
畑の先にはそれなりの大きさの池があり、祖父がそこに鯉を放し飼いにしており夕方には餌をやりに行っていた。
その池を回ろうと祖父が小型の舟を買ったことがあったが私は一度も乗った記憶はなく、舟は池の側で逆さで放置されていた。
祖父は昔からそうだ。思いつきで使いもしないものを大金はたいて買い、あとはゴミになる。成金そのものだ。
正月や盆にはその親族が大勢この家に集まって、仕出し料理なんかをとって宴会をする。映画のサマーウォーズのような風景だ(なお、このために私は本作が嫌いである)
私は普段はそこから車で一時間弱の県庁所在地に暮らしているが、長期休みや時には土日ともなればすぐさま連れて行かれ父の実家に預けられて過ごした。(これは祖父母の意向であり、母は嫌々だったと聞いている)
家の周りは田んぼと山で、歩いていける範囲にあるのは駄菓子屋のみ。
その頃にはすでに人口の過疎化が進んでおり同年代の子供は一人しかいなかったし、あまり気も合わなかったのでその子とはあまり遊ばなかった。
長期休みの始めから終わりまでを、家から持ち込んだ自由帳に絵を描いたり、擦り切れるほどに読んだ漫画をまた読み返したり、近所の家のお兄さんのお下がりのファミコンソフト数本でしのぐのだ。いつも学校で一緒の友達はみんな64で遊んでいる時代にも関わらず。
家業は建築業であったが農業も営んでおり、物心ついた頃から田植えや稲刈りに連れて行かれるのが普通だった。
当然ヒマだったし、それなりに成長してからは仕事が振られるがそれも嫌だった。
小学生の頃は春に運動会、秋に学芸会があったがちょうど田植えや稲刈りの時期と重なっており、父や父方の祖父母がそれを観に来た覚えはない。母と母方の祖母がいつも来ていた。
仲の良かった子たちの親はみんな会社勤めや公務員だったりして、行事のときには父母揃っている姿をよく見た。
羨ましいと思った記憶はないが、うちは何か違うんだなぁということは感じた。
一番嫌だったのは、運動会の後にはそのまま車で父実家に連行されて田植えに駆り出されることだった。最初から体操着を着ているので都合がよかったのだ。
運動会頑張ったから今日はレストランに晩ごはん食べに行こう、と話すどこかの家族がドラマの世界のようだった。
田舎の自然環境や農業中心の暮らしよりも嫌だったのは、親戚付き合いや近所付き合いだった。
道を歩いているだけでどこの家の人間かわかってしまう。他に子供がいる家がないからだ。
そして田舎特有の距離感で、なまりの強い言葉でやたらと話しかけてくる。こっちはお前が誰だかも知らないのに。
私は三姉妹の真ん中だが、みんなだいたい私を姉と思って話しかけてきた。
姉とはけっこう歳が離れているので普通なら間違わない。実際、地元の知り合いに私と姉を間違う人はいなかった。
しかし田舎の人たちは子供を見慣れていないので子供の年齢からくる体格の違いなんてわからないのだ。子供は子供、と一括りにされている。
そもそも私たちがいくつになるかなんて知らないし興味もなかっただろう。なら放っておけばいいのに何故か近寄ってくる。
妹とは歳が近かったし見た目も似ていたので当然間違えられた。最初から最後まで間違えたまま帰る人もいた。
中間子は影が薄いなんて言われることもあるが、姉と妹の名前は覚えているのに私の名前だけ出てこないなんてこともザラにあった。
母(というか女性)は親戚集まりの際には台所であれやこれやと仕事をしていなければならなく、それは子供である私達も同じだった。
ただ飲んで騒ぐだけの男たちにやれ酒を持ってこいだのあれが足りないだのと次から次に言い付けられても愛想のいい姉はちゃんと対応していたし、妹は人見知りがひどかったので常に台所で母にくっついて手伝いをしていた。
私も妹と同じく人見知りだったが母は妹に取られている、かといってよく知りもしない親戚連中のおばさんたちに指示を仰ぐこともできない。
人見知りなのだから愛想がいいわけもなく、私が「もっともだめなやつ」になるのは当然だった。
そのうち人前に出ることも手伝いをすることも拒否するようになって、親戚集まりの際には空き部屋に引きこもるようになるとますます評価は下がった。
「姉も妹もよく働くのに、どうしてあなたは」とわざわざ嫌味を言いに来るおばさん(祖父の妹の一人)もいたが無視していた。
上記のおばさんには奇しくも私と生年月日を同じくする孫(私からすると再従兄弟になる)がおり、彼はいわゆる優等生だった。勉強ができ、親の言うことをよく聞く子だった。(数年後に爆発して親と険悪、音信不通になったが)
更に私は高校受験に失敗するし入った学校は結局辞めるし定時制高校に入り直すもバイトに明け暮れて学業を疎かにして卒業が危うくなるしで株を落とし続けた。
親戚中からの「あいつはどうしようもないやつだな」みたいな空気は幼い頃から親戚集まりがあるたびに感じていたのに、後半はもう完全に腫れ物でいないものかのような扱いだった。その頃にはもうその方が居心地がよいほどに親戚が嫌いだったが。
高校に入ってすぐに父母が離婚して、当然私は母方の籍に入った。というか三人全員そうした。
父方の親戚たちは離婚時にまで首を突っ込んできた。(中でも嫌味おばさんはすごかった)
なんで夫婦の問題に祖父母どころか親戚が絡んでくるのか謎だったし、そういうのが当たり前な気質が気持ち悪かった。
元々苦手だった祖父母のことも、このときに嫌いだとハッキリ自覚したと思う。
それまでは幼い頃にそれなりに一緒に過ごした情があったというか「家族(親戚は別)を嫌うのは悪いこと」という固定観念があったので「自分は祖父母が嫌い」ということから目をそらしていたのだと思う。
幼い頃から父とあまり関わってこなかったせいか特に離婚そのものにダメージはなかったし、なんなら父とはその後不仲になる一方だった。
離婚後に実家に戻ったことで、父に元々あった、私の嫌いな「〇〇家(父実家)の人間っぽいところ」が顕著になったために父に対する嫌悪感が強くなってしまったのだと思う。
(親権は母が持ったが、みんなそれなりの年齢だったので私たちが父や父実家に関わるかは本人に任せるスタンスだった。そのため離婚後もときどき父実家に行ったりなどがあった)
離婚から十年近く経ってから、父が亡くなった。持病を持っていたし年々痩せていたので長生きはしないと思っていたがまだ五十代で予想よりもずっと早かった。
父とは、死の半年前に病院から退院する父を迎えに行ったときが最後だった。
私よりも父と過ごした時間が長かった姉や就職と同時に県外に出ていた妹は訃報を聞いて泣いていたが、私は一度も泣かなかった。飼っていたペットが死んだときの方がずっと悲しかったし泣いた。
その頃には父のことが嫌いとまではいかなかったが決して好きとは言えない、という程度で、なんなら二人が行くなら私は葬式に行かなくてもいいか?と姉妹に聞くくらいだった。葬式の日に舞台のチケットを取っていたのだ。私にとっては本当にそのくらいの関係性になっていた。
誰が喪主をやるかで揉めて、しまいにはすでに嫁に出て別姓を名乗っている姉に押し付けようとするために姉が泣く始末になった。
私は当然怒って姉を庇ったが普段ロクに喋らないので、おそらく親戚たちが聞いた最初で最後の私の怒声だっただろう。
嫌味おばさんが人生終了レベルのトラブルに見舞われたり(自業自得)親戚の中でも故人が増えたりしながら数年経った。
父の死後は、介護とまではいかないが姉に協力するという形で祖父母の様子を見に行ったり通院の付き添いをするようになっていた。
姉は祖父母を見捨てきれなかったが姉一人であの家に関わったら姉が潰れてしまうと思ったので協力することにしたのだ。
数年間そんな生活をしていたが、少し前に祖父が持ち前のクズを発揮して優しい姉に絶縁宣言をされた末に施設へ入った。
姉が縁を切るなら私ももう関わる義理はないので、自分が請け負っていた祖母の病院関係を整理したりして縁切りの準備をしている。
最低限の下準備はしてあげているので今後は自力でなんとかするだろう。というかするしかないけど。
姉と妹は結婚しているが子供はおらず、私に至っては結婚願望どころか恋愛願望すらない。
自分にもあの一族の血が混ざっていることが嫌だし、自分もああなってしまう可能性があるかと思うとボケたときなんかが恐ろしくてたまらない。
別に葬式もいらないし、火葬だけは法的にしないといけないので最低限のお金を遺して身元保証会社とかにお願いしておくから適当に無縁仏とかに放り込んでおいてほしい。
最近はそういうことを考える。
俺は24歳関東の私大卒で某メーカーに働く都内だけど年収350万のしがないサラリーマンだ。今まで親が何やってるかとか実家にどのぐらい資産があるかとか全然興味なかったんだけど、一軒家の実家を引き払ってに職場近くのタワマンに引っ越すとかで兄弟全員集合させられたんだよ。んで実家を引き払う相談の最中になんか親の経歴とか現状みたいなはなしになって、その事実を知ってちょっと目玉が飛び出たので聞いてほしい。確かになんか大企業で二人とも働いててそこそこ稼いではいそうだったけど、そうはいっても今まで普通のリーマンで家も普通の家、ぐらいに思っていたからマジでびっくりした。ちなみにこんな感じ。
実家1億5000万って言っても結構古くてリビング除くと4部屋しかない家なので別に金持ちとか全然思ってなかった。高校の時の小遣いだって月1万だったし、大学では自分でバイトで稼いでた。ちなみに俺たちのいないところでは二人で5万円のディナーとかよく食ってたらしい。俺たちはスシローしか連れてってもらったことないが?wwww
一方俺は偏差値50の三流私大で初任給23万の普通のJTCで残業はまあ10時間ぐらいしかないいわゆるまったり系人生。兄と妹がいるが二人は実は親は高給取りであることはうすうす気づいていたらしい。二人とも俺よりはいいところ行ったけどそれでも東大なんて夢のまた夢のレベルだ。兄は普通に会社員だし、妹も多分似たような感じだと思う。なんだろう、なんだろうこれ。別に遺産とは全く期待してないんだが、ちょっとびっくりしたので勢いで書いてしまった。
まあでもよく考えたらスシローで黒い皿頼みまくっても別に何とも言わなかったし、お金で苦労した記憶もないので生活レベルを上げてなかったんだろうな。おかげで俺も都内1kのうさぎ小屋でも特に不自由なく生活できてるわ。
いい加減重い腰を上げたいと思ってゼルダをやってクリアしなくちゃ行けない山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃうんだけど
私あれどこで止まってるんだっけ?
四神獣見つけるってところまで進んでてまだ全然そこまで行き着けてないところなの。
確かそうだったと思うわ。
つーかさ、
捕まえた馬に乗って行くにも、
途中これは崖登らなくては行けない場所で馬その場に置いていけない可哀想じゃない。
1日1時間でもゼルダ進めなくちゃいけない私の課せられた課題だわ。
いっそのことそれらを追体験できる映画化がやってくれたら私は観に行っちゃうんだけどね。
もう中断して久しいんだけど
多分私のハートはまだ4つぐらいに満たない感じなのと
がんばりゲージは1周と4分の1ぐらいしかない感じ。
何も目的もなくフィールドを彷徨っているのもいいかもしれないけど、
四神獣にはどうやって行くの?って
遠くに見える海の沖合にある祠目指してパラセールで行ってみたものの
途中で力尽きて死んじゃったかと思ったらハート1個減るので済むんかーい!みたいな途方もなさよ。
いっそのこと1回一番最初のゼルダのスイッチで遊べる私は知らないハードウェアのディスクシステムで
やればやるほどゼルダの伝説ってわけで、
そこ1回一番最初のゼルダをクリアしたら全部OKってことにはならないわよね?
あれもあれで途方もなさが見通しが立たないけれど、
いつもゲームニュースを何かしら賑わしているゼルダの伝説のスイッチ版2作は私は絶対にクリアしたい
いやクリアしてみたいと思っている気持ちは私のスイッチの機械の中に入ってるゲームの中で一番強いんだけど、
いったいどこに行ったらいいのか、
いや分かっているんだけど
つーか、
ちゃんと真面目に各地探索してみなくちゃ?って事だと思うわ。
でもあれさ、
敵を倒しても特にご褒美があるわけでもなく経験値が上がるのはコントローラーの操作方法がなれるだけで
武器も消耗させたら貴重だしなかなか勇ましく戦いに挑むってことにもことさらいかないのよね。
でさー
散策していたら
巨大な敵岩の敵みたいなのが出現してきて
いやここでハートが少ないって言うのは
私の度胸がないって言う意味で言っているんじゃなくって
リンク自体のゲーム中の体力のハートが4つしかないって言う意味で、
多分その巨大な岩みたいな敵の一撃を食らったものなら一発で死んじゃいそうなそんな何も言えない世の中なんてポイズンよ!
毎日さー
何かしらのニュースで世間を毎日賑わしているニュースのゼルダってやっぱりクリアしたいなって欲が
うわ、
私忘れていたわS+の腕前になることも!
しかもまたシーズン変わっちゃうと腕前リセットがされちゃうので、
もうちょっとでS+の昇格戦挑戦!って
昇格出来なかったら何故角を取らない!
赤の方アタックチャンス!って言われかねないぐらい
丁寧にやっぱり角から塗っていかないことには0.1パーセントの差で勝った日には
端っこちゃんと綺麗に塗っておいて良かった!って
酷くない?
塗りにくいっつーの!
そのぐらい躍起になって腕前アップを望んでいると同時に
F-ZERO99はグランプリ出場に必要なチケットがカンストしてしまった99枚持ちすぎているので
もはやログインボーナスすらもう必要としないただただみんな大好きミュートシティーを走り続けているのよ。
もうさ、
私ミュートシティーIIIの地雷が無数に設置されている箇所は怖くないわ!
そのぐらい走り込んだみんな大好きミュートシティーなので
でもさ
ため息が出ちゃうのよ。
一番クリアしたい欲はあるのにね。
あれは何度も言ってるけど
激ムズなのよね。
でも一番の次に二番なので
あともうちょっとのところなのよ。
それもそれで大変なのよね。
とにかく忙しいわ。
うふふ。
温めて食べたホットドッグよ。
ちゃんと袋の端っこを少し開けておかないと破裂しちゃうことを昨日学習したので
美味しさは至って変わらないけれど。
でもさー
これホットドッグ2種類あって
初見では回避不可で思わずカレーをチョイスしちゃいそうなほど唸るわ!
あちゃー間違ったって。
でも美味しいことに変わりはないので至って美味しいわ。
最近お水が美味しいのでさすがにこれはデトックスウォーラーとは言えない蛇口ダイレクトはさすがにないわー
って言いたいほど、
蛇口ダイレクトをさすがにデトックスウォーターと言うのは出来ないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
増田の出身小学校にはいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった
裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林、飼育小屋、ちょっとした池、テニスコート1面があった
田んぼ…6年生が先生の監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事でおにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる
畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいもを栽培して、秋になったら1年生の子とグループを作って雑木林の落ち葉で焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たちは微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生がスイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童と先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生は学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)
ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者の敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任の先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生に許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる
飼育小屋…うさぎとニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田がニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田のきょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった
ちょっとした池…でかめの金魚と鯉がいた。たまに野生か野良の動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた
テニスコート…テニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間の鬼ごっこ会場か教頭先生がスイカを振る舞う会場にしか使われてなかった
小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった
時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる
元というなら
Gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā
"bodhi svāhā"(菩提・僧莎訶)は、菩提が叡智・悟り、僧莎訶が成就を願う感嘆で、お釈迦様の名前ではないのでは?
菩薩(bodhisattva)のことである菩提薩埵(ぼだいさった)と混同されているかも?
(参考)般若心経について: 極東ブログ
(参考)『般若心経』をサンスクリット原典で読む! - 甚之助の小屋 ※音読例がいくつか動画で載ってるし、語釈も詳しい
(参考)サンスクリット語、中国語、韓国語の「般若心経」: エムズの片割れ ※これも各国の音読例が載ってる
※中村元氏の『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫)が著名と思うけど、良さそうな解説ないしは随想のページが見つからなかった
故ジャニー喜多川は「哀しきモンスター」…55歳のゲイライターが考える高齢同性愛者の性欲と特殊性
https://mag.minkabu.jp/mag-sogo/21102/
こちらの考察が旧ジャニオタの私、特に、「哀しきモンスター」と言うキーワードがとても刺さってしまった。
読んで思うことがあったので、増田に流す。
ちなみに昭和のことはよくわからないので、基本平成ベースで、さまざまな事例を織り交ぜているので、悪しからず。
例えば舞台や映画化もされている、ジャニー喜多川プロデュースの「少年たち」。
ストーリーは割愛させていただくが、彼のやりたいことがこれでもかと詰まった、いわばトンチキ物語。
2018年に公開された映画版「少年たち」のエンディングは、少年たちが踊り歌う舞台小屋が映し出されます。
まさしく、ジャニー喜多川の夢が具現化された場面です。自分の好みの少年たちが歌い踊り続ける永遠に終わらない舞台小屋。
読んで字の如く、一生子どもでいてよ……
といった嘆きだと推察できる。
彼は気に入った子、オタクの間ではスペオキ(スペシャルオキニ)と呼ばれているが、
スペオキが見つかると、何歳だろうが、入所して半年だろうがなりふり構わずデビュー。
スペオキを輝かせるためのメンバー編成、デビュー曲、演技経験ゼロの中のドラマの主演、
そして紅白の舞台も用意し、謎にマジックさせたり、少年たちに合唱歌わせたりとやりたい放題にスペオキを輝かせる。
売れてないのに、紅白でトップバッターで歌わせるから、視聴者の紅白離れの一旦はジャニーのせいだと思っている。
好きすぎて、12歳の男の子がいるのに、性器と言う名前のグループ名をつけるほど。
しかし、当のアイドルも最初は超特急の列車に乗せられて、行き先が分からないまま進み続けるのだけど、
変なグループ編成、突然の解体、トンチキソングなど、さまざまな与えられた試練に疑問を抱く。
ふと休憩で止まった電車を降りると、外
反抗し始めると、今度は少年たちの成長が始まる。
背が伸びる、男性的な顔になる、体躯が変わる、変声期が始まる……
その頃、怒涛のジャニープロデュース時期が終わっていくのだ。まるであの狂乱がなかったかのように。
そして成長し、逞しくなった元スペオキに久しぶりに会ったジャニーがこう言うのだ
「YOU誰?」
つまり、ジャニー喜多川は、一生涯まともな恋愛をしたことがなかったのではないだろうか。愛し愛されて、という経験が一度もなかったのではないだろうか。
これはきっとそうだと思う。
というか、生涯何度か恋に落ちている。そして献身的に尽くし、愛し、金も労力もかける。
ジャニー喜多川はおそらく誰かの影を追い続けてたら、思いがけずに事務所が大きくなり、権力を持つようになり、そして、たくさんの少年たちが集まるようになったのではないだろうか。そんな環境が哀しきモンスターを生み出してしまったのではないだろうか。
旧ジャニオタとして、この問題を知っていて声を上げられなかったのは悔やんでいる。
しかしサムソンさんの言うように、時代が変わったのは肌で感じている。
セクハラ問題が女性だけのものでなくなってきた、男性特有の生き辛さにもフォーカスが当たるようになり、
少しずつジャニーに対する疑問や疑惑に対して声を上げられるようになってきた。
しかし、彼はその前に死んだ。
夢を持つ未成年が同じような事例に2度と合わないようにしないといけない。
YouTubeには日本人から外国人まで無数の小屋自作動画がアップされている
小屋暮らしに憧れる俺はそんな無数の小屋動画を目につく限り再生して楽しんでいるのだが
きちんとした部屋の形ではないものの屋外ドラム缶風呂とか、雨水シャワーなんて形で最低限の身だしなみが整えられる作りになっている小屋が多い
一方で外国人だが連中はマジで風呂のことなんて何も考えていない
小屋暮らしに憧れる身としては、動画を見ながらこの小屋は住めるなとかこの小屋のここが住むとしたら気に入らないとか
外国人の小屋動画を見るといつもいつも風呂がないことが気になって気になって仕方がない
見た目やロケーション自体は日本よりも素敵なものも多いのに、風呂がないという一点だけで外国人が作った小屋には一切住めそうにないので憧れられない
やはりこれは文化の違いなんだろうな
アルプスの少女ハイジと言えばハイジのことだけど、
ミュートシティーの野生の山羊もといガチョウのユキちゃんと言えば私のことよ!
と言っても
欧風なのにグラデーションもなくいきなり和名なユキちゃんって振り切ってるわよね!
だけど海外文学のアルプスの少女ハイジの訳版のヤギの名前はゆきぴょんってなってるからもっと振り切ってるわよね!
私もそんなミュートシティーのワイルドなヤギもといガチョウとしてアクセル全開なんだけど
日を追うごとにみんなの腕前がめっきめきと上がってきていているから笑うわ。
そんでさー
なかなか真っ直ぐ上手に走れないのよ。
そもそもとして
ワイルドグースがタフなだけで
ゲットワイルドエンドタフ!って
アスファルトタイヤはないけれど切り付けている場合じゃないわ!って思ったのよ。
車種で特性が違うって私知らなかったけど。
慣れるにはまた256時間ぐらいは走り込まないと!って感じよ。
もうさ
1日に3つもゲームをやり渡るのは時間にも制限と際限が無く困ってしまうわ。
そんでさ、
ログインボーナスもらえるスプラトゥーン3とF-ZERO99は
とりあえずスプラトゥーン3は1勝をキメて、
F-ZERO99はログインチケットもらいーの今日初完走ポイントもゲットワイルドエンドタフ!って感じでいいんだけど、
問題はファイアーエムブレムエンゲージね。
戦った後の支援会話を発生すべく、
プールで泳いでもらったり
動物を飼っている小屋に入って動物の世話をやってもらったりして
支援会話を発生させて
みんなのそれぞれのショートコントを観ているのが夜の楽しみでもあるし、
もうファイアーエムブレムエンゲージの旅の拠点の街のソラネルが癒やしで
どうぶつの森は遊んだことないのはここで256回ほど言っているけど
たぶん、
そんでさー
クランとユナカの絡みって!?どうなる?って思ったらそもそもとして会話自体が発生しないみたい。
そっかー
そりゃー脚本書く人も大変わよね!って思うのよ。
壮絶な生い立ちのユナカはそのパッと見の容姿と明るさとかけ離れていて壮絶に重たいストーリーの内容の寸劇を繰り広げられるので、
ちょっとこっちまで
ええいあ君からもらい泣きみたいな一青窈さんのあの歌の題名忘れちゃったけど
急に最後は甘いのはタレです!って料理の話になる歌詞がとっても好きだわ。
でもなんかそのぐらい壮絶な生い立ちのユナカは本当に良い人かも?って
そういった一面を垣間見まくりまくりまくりすてぃーだとなんか面喰らっちゃうわね。
壮絶だわー。
なので
そう言う会話フラグを立てるために
1回は戦いにワールドマップに行かねばならないので
結局これもログインボーナスの一環としてもいいかもしれないわ。
深まる秋ならではね!
でもさー
秋の夜長とは言うけど
まだ暑いので夜長とは言い難く
もうちょっと涼しくなったぐらいが夜長感が出ると思うわ。
だから
今夜もゲットワイルドエンドタフね!
あとハウス食品のホワイトシチューのシーエムをテレビで見始めたら
秋本格!って感じもするから
うふふ。
鮭おにぎり!
シャケー!ってぐらいハマっているこの鮭おにぎりは
ちなみに
2位は梅おにぎりに3位は1度も買ったことないので何の具か忘れちゃったけど
鮭と梅との一騎打ちって感じかしら!
冷たいお水を注いでレモン果汁を追って入れる
最近耳を澄ましてよく味わおうと思うんだけど
ただたんに私が遭遇していないだけかも知れないわ。
そういうのを思い出すわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
オカルト話が大好きで、幽霊は見てみたいし宇宙人も会ってみたい。
周囲にオカルト好きなんてものがいないので(正確には同族探しをする時点でヤバい人認定されそうでその手の話を自分からしない)、不思議な存在がいたら……なんて語ることはないのだが、もしもここ最近の動向を語る機会があれば「けどなんもなかったよ」と言うしかない。
これまで行ったメジャーどころだと、
富士の樹海、コンパスが狂うこともGPSがおかしくなることもなかった。そもそも見たいのは幽霊であって死体ではないのだが。
九州の犬鳴峠、まあ普通のハイキングコースだった。特筆するようなことは脱走したのであろう首輪付きの犬を見かけたぐらい。
マイナーどころだと
福島県の根元に大量の人骨が埋まってるらしい大木。単なる遺跡巡りだった。けど、過去一番怖かった。町中なのにやばいほど夜が暗い。そういう怖さ求めてないから。
宮城県の八木山橋。行きのタクシーの運転手さんが「地形がメガホンの役割を果たして、飛び降り自殺者が出ると川下にすごい音が響く」と話してくれてだいぶ怖かったけど、心霊的なものはなく。多分、俺みたいなやつがよく来るんだろうな、話がこなれてた。
近所の廃病院(東北)。ガラスが取れた窓からめっちゃくちゃ怖いポスターが見える。打ち捨てられて退色とかしてこうなったんだろうなガクブルってしたけど、後で調べたら元々怖いポスターだったらしい。そんな製薬会社の広告担当が一番怖いから。つーか取り壊せ!
近所の十数年以上建ってるボロ小屋。いきなり入るわけにいかないので聞き込みから始めたら普通に人家だった。リアル「おまえんちお化け屋敷」かよ。
行ってないところでは、
常紋トンネル。かなり怖そうだが、一般人はまず入れないらしく残念だ。もし無理に入ったら別の意味で大変危険だろう。