はてなキーワード: 1952年とは
前にも観たことがあるのだけど邦キチ https://comic-ogyaaa.com/episode/2550689798664390095 を読んで黒澤明の生きるを見返してしてみた。
一面に過ぎないのだろうけど志村喬の顔の映画という面はやはり大きい。
既に観たことがあるからだろうけどバースデイソングの場面での志村喬の表情の変化で涙が出た。
邦キチでは触れられていないけど後半のお通夜のシーンも顔がメイン。
今の感覚で今のテレビで観て顔の映画と思うのだから1952年(昭和27年)で映画館で観た観客には志村喬の顔の印象は更に強かったのではないか。
以前観たときは主人公の息子より若かったけど主人公とほぼ同じ年齢の今見ると主人公以外の表情の意味もよくわかった。
単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数
経営者はみな頭を抱えることになる
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『市川房枝集』に収録されてる
1930年に書かれた『現代の婦人問題』という文章にはこうある
まったく見られないといっても差し支えはない。」
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黒澤明が戦時中に監督した国策映画『一番美しく』を見るとわかる
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そのころの大学進学率はせいぜい30%台な
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『「育児休職」協約の成立 高度成長期と家族的責任』(勁草書房)
という本によれば、1968年の専売公社職員の女性比率は43%(1万5600人)
平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造職
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東京商工会議所は女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限を撤廃
左翼フェミではなく資本の側が女性労働の制限撤廃を主張していた!!!!
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実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇にしろ運動」な
それが実現したのが1985年の男女雇用機会均等法なのだが……
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「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み
だされたものではなく、国連の婦人差別撤廃条約を批准するため政府が成
立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト
を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」
「西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本の集中豪雨的な輸出
が貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解
――雇用機会均等法の成立は左翼フェミや労働組合の要望もあったが
俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが
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という論旨なのであるが
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いまだに定期的に
論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが
悪いけど完全に的外れなんだよ
ま、絶対に信じたくないだろうけどね
老人は生産しないので、就業人口一人当たりで支える老人が増えれば増えるほど、平均的には貧しくなる。
同様に、子供は生産しないので、就業人口一人当たりで支える子供が増えれば増えるほど、平均的には貧しくなる。
……という話を聞いた。
もっともな部分もあると思ったので、過去のデータを見てみようと思い、試しに「総人口に占める生産年齢人口の割合」を時系列で計算してみた。
暦年 | 1920 | 1930 | 1940 | 1950 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2010 | 2020 |
生産年齢率 | 48.6 | 48.5 | 48.3 | 49.4 | 54.3 | 60.3 | 60.3 | 61.6 | 62.1 | 59.1 | 55.0 |
順位 | 81 | 86 | 93 | 71 | 61 | 37 | 36 | 13 | 8 | 42 | 59 |
10年おきの数値を書いたけど、おおむね単調に上がって単調に下がっているので、細かい年の数値は要らんと思う。
以下、補足。
イギリスでも学校教育でブルマーが導入される前に、女性だけの集まりでブルマーを採用している例があった。おそらくそれとパラレルなのだろう。
Women's League of Health and Beautyについてはこちら。
https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2011/jan/02/prunella-stack-obituary学校教育外の1939年のショーツ型ブルマーだ。
実際、以前書いたアメリカのブルマーやロンパースーツの記事では、女子だけの場所の服装ってのもあった。
https://thistedbilleder.dk/index.php?pr=101&n=745&img=10150&p=31
……おっと、デンマークのが混在していた!
https://digitaltmuseum.no/021015459515/barn-pa-skolen-jenter-gymnastikk
☆提灯ブルマーとショーツ型ブルマー(右から2番目の人物)の混在。年齢的に、学校教育のブルマーだと確実に言えるのはこれだろう。
男子生徒の体育が上半身裸であったケースは多々あるが、へそ出しというのは珍しい。
https://digitaltmuseum.no/021015859174/johannes-skole
https://digitaltmuseum.no/011012908903/gymnastikk-ved-lademoen-skole
https://digitaltmuseum.no/0210113541906/mensendieckgymnastikk
このサイトは、ノルウェーの各地の美術館のアーカイブを横断的に検索するものらしい。左上に表示されているのは、データのある博物館・美術館の名前だろう。
ブラトップとブルマーの組み合わせが陸上ブルマよりも前にあったのには驚いた。
なお、これは愚痴だが、言語学的な類似があるためか、ノルウェー語で調べ物をしていても、上述のようになぜかドメインdk、つまりデンマーク語のサイトばかりヒットした。
スラブ系の言葉でも似たことが起きていて、同じキリル文字を使っているせいか、バルカン半島の言葉で調べていても、なぜかロシアのサイトばかりヒットするのである。
続きはトラバに。
日本国が建国されたのはサンフランシスコ講和条約が発効された1952年やで。
絞首刑は、比較的安楽に死をもたらす死刑の執行方法であると考えられており、1952年に、東京大学名誉教授で医学博士の古畑種基は、ある事件の鑑定書において、絞首刑によって受刑者は一瞬で意識を失うと論じた。」-wikipedia『絞首刑』
絞首刑は、比較的安楽に死をもたらす死刑の執行方法であると考えられており、1952年に、東京大学名誉教授で医学博士の古畑種基は、ある事件の鑑定書において、絞首刑によって受刑者は一瞬で意識を失うと論じた。」-wikipedia『絞首刑』
1948年 41人
1949年 76人
1951年 40人
1952年 34人
1953年 26人
1955年 19人
1956年 22人
1957年 25人
1958年 21人
1959年 14人
1960年 36人
1961年 18人
1962年 14人
1963年 16人
1965年 7人
1967年 13人
1969年 13人
1971年 7人
1972年 7人
1973年 5人
1974年 2人
1975年 2人
1976年 2人
1977年 2人
1978年 4人
1979年 4人
1980年 7人
1981年 3人
1982年 1人
1983年 1人
1984年 3人
1985年 2人
1986年 0人
1987年 7人
1989年 5人
1990年 7人
1991年 4人
1992年 5人
1993年 7人
1994年 3人
1995年 3人
1996年 3人
1997年 4人
1998年 7人
1999年 4人
2000年 6人
2001年 3人
2002年 3人
2003年 2人
2004年 14人
2006年 21人
2009年 15人
2013年 8人
2014年 7人
2015年 2人
2016年 7人
2017年 2人
2018年 2人
2019年 5人
2021年 4人
2022年 0人
2024年 1人
所感
ネトウヨになるのがyoutubeを見るおっさんとか爺さんらしいじゃないか
爺さんっていうと戦前のイメージあるけど今の70歳で1953年生まれで戦争を知らない人たち
結局50~70歳っていう一番権力持ってる人たちはもう第二次世界大戦なんか知らないわけで、(プーチンも1952年生まれ)
起こしちゃいけないって言われながら育ってきてるけど、自分たちの成長と文明が一緒に発達してきた世代で実感なんかほとんどないでしょ
なんだったら戦争があったおかげで科学は進歩したって考えすら主流派でしょ
第二次世界大戦の遺産である冷戦が終わって、地球のほとんどに文明がいきわたって地球を征服しのたはいいけど、
宇宙は調べれば調べるほど果てしなくて無理ゲー感出てきて、物理的な資源をいかに減らさず生きるかだけ考えるしかなくなってる
だからこの箱とか板を頑張って発展させてるけど、世界が広がるために作ったものが内へ内へ引きこもるツールになっちゃって、
みんながみんな自分のグループが得できるように、限りある資源の権利を増やすように声高に主張するだけのディスコミュニケーションが広がってる
これは徐々にそんな傾向があったけど、コロナで一層加速してしまった
そのせいで経験を基にした現実に対する想像力が鈍くなっちゃって、一部の本当に不幸な人以外痛みも苦しみも困窮も現実のものがわからないから戦争がわからない
俺はわかってるぞと思ってるお前も、政治通かミリオタか知らんけど結局ネットか本で見たり読んだりしただけだろ
実際の経験をもとにした戦争に対する想像なんてほとんどの人ができない(それ自体は本来良いことだけど)
ウクライナの人たちだってあれだけ緊迫感が煽られてるのに本当に戦争になると思ってない人もいっぱいいた。攻撃されてる朝に普通に出勤したり犬の散歩してる姿がyoutubeで配信されてたんだぜ?
核爆弾を唯一喰らって最近原発爆発させた国の人たちも今こそ核武装すべきなんて言い出してて、意味わかってんのか?っていう
ちなみに俺もわからん
核爆弾の怖さ、クラスター爆弾と化学兵器とライフルと自爆テロの怖さの違い、実際のところまったく分からんし、自分の死が近づくっていうラベルでしか戦争の恐怖を理解できない
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼(め)
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる
お前はたった二回程夏を知っただけだった
僕はもう十八回の夏を知っている
そして今僕は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している
淀の夏
オランの夏
そして僕は考える
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと 僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと
お前は死んだ
誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持ちまでもが
今はっきりと僕の前によみがえる
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために