「音感」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 音感とは

2016-05-01

すごい、すご~い!絶対音感あるよ!

anond:20160428121056

音感があって、それがもの凄く精密で認識速度が速くて、複数の音を同時に処理できて、長いフレーズ記憶できて、ものすごく難しいフレーズ演奏できる技能があって、そういうのを「絶対音感」って言ってるんだろうな。

音感がある。

絶対音感は、平均律 A=440Hz 固定ド に特化し、長期記憶に格納されてる。

相対音感は、音の高低を感じている。固定ドだけでなく、移動ドにも対応できる。基準音は可変で、絶対的基準は長期記憶はできていない。

絶対音感 って Perfect pitch っておかしくね? Absolute pitch じゃないと Relative pitch とは対にならんと思う。

固定基準音感・可変基準音感の方がいいのではないか。

2016-04-28

anond:20160428212454

「相対尺度のどれかひとつを固定」というのが、音感場合幼児期でないとできないとされている。

分かるのは「音階」じゃないぞ。

anond:20160428121056

音感ってのは「音階」がわかるんじゃなくて、「音高・音名」がわかる。

世間一般で考えられている「秘技!絶対音感!」は中二病の症状だがな。

音階」というのが、なんのことを指しているのか……謎だ。

anond:20160428210506

絶対音感幼児期しか習得できないが、相対音感は「それなり」に習得できる。

絶対音感っても、相対音感で補完されるものだし。絶対音感価値って音叉1本分1000円くらいだよね。

追記 匿名だし、別人だし^^;

我が輩には絶対音感絶対に無い。楽器確認せずに採譜すると……調を間違えるんだから絶対音感は無い。

間違って覚えると修整が大変なのだ

絶対音感ってなんなんだよ。

anond:20160428173952

絶対に誤解してるよな。

音の高さを、基準比較して、判断できるのが相対音感

音の高さを、基準比較することなしに判断できるのが絶対音感

A=440Hzとかの基準音を暗記してるってことなのに。

なぜか、曲を聴くだけで「すべてがわかる」も~の~~~~~すご~~~~い特殊能力だと誤解されてる。

そういうのは、絶対音感じゃなくて、天才というのだ。モーツアルトとかの逸話にあるやつ。

音感の処理能力が高いのと、もの凄く記憶力がよいんだよな。

perfect pitch って大げさ

anond:20160428121056

日本語だと、「絶対音感」 英語だと「perfect pitch」完璧な音高だ。

相対 relativeと対になるのは Absolute なのにな。

他に比較することなしになのに、絶対の持つ別の意味が強調されすぎwww

音の高さが分かって、ドレミで言えるとか、楽器で弾けるとか、相対音感でもできるわけだが。

「すごい!絶対音感があるよ」が、「すごい絶対音感があるよ」になって一人歩き。

絶対音感」って本があって、これ絶対世間一般に誤解を広めたな。

絶対音感神話」とか「あなた音感は何型か? -絶対音感の誤解- Kindle版」とか

こういうのを読まないとな。

http://anond.hatelabo.jp/20160428113146

たぶん増田と同じ程度に絶対音感を持ってるけど、

カラオケでどれだけキー変えても迷わず歌えるし、増田提示するような場面で困った事はないかな。

(頭の中の鍵盤で最初の音を数えれば、それを基準にその後も問題なく歌える)


世間では絶対音感がもてはやされてるけど、自分感覚としては

絶対音感自分の中の基準をもとに、一つの音の絶対的な音の高さを測る能力)と

相対音感(二つの音間の具体的な幅を測る能力)は別の能力だと思うし、

訓練次第でどうにでもなると思う。

絶対音感保持のメリット

自分は一応絶対音感がある(但し机を叩く音が音階に聴こえない程度のもの)。

世の中的には絶対音感があると有利と言われているけれど、最近そうでもないんじゃないかと思い始めた。

絶対音感保持最大のデメリットとしては、転調が苦手になること。

結構これ致命的なんじゃないかと思う。

絶対音感がなければ、キーボードではトランスポーズ機能を駆使すればて12キーで弾ける必要はなくなるし。

バンドVo.にキー変えてって言われても動じずに済む。

絶対音感があることのメリットってなんだろうね。

ジャズの難しいテンションの音なんかも判別やすくなるというけれど、ややこしい音は自分もよくわからないw

それに鋭い相対音感があれば、そんな音も度数でわかってしまうのではないだろうか。

増田にいる絶対音感保持者にその辺聞いてみたいです。

2015-10-25

人と話していると

何を言っているか理解できないときが増えてきた。

聴力が衰えてきたわけでなく、相手がきちんとした日本語

話している内容が聞き取れないことが多い。

からって英語や他の言語がはなせるわけでもない。

そして話している相手の口元や表情をみて言葉理解するしかないが、

しばしば相手に「じっとみすぎで不快だ」という

ニュアンスのことをいわれることがある。ごめんなさい。

相手の表情が見えない電話やましてや複数人で話している

ラジオなんて本当に理解ができていない。

そういえば昔から音痴だったし音感が悪かったな。

どうすればいいものか。

2015-08-05

まれた時から不公平じゃない人間なんて、この世にいません

http://anond.hatelabo.jp/20150805150144

 

容姿、知力、体力、免疫力精神力人格創作力、生活環境、全てにおいて究極の人間はいません。

今まで地上に産まれ人間すべてに望むものがあったのに手に入らなったものがあります

どれだけ容姿がよくても音感がない人や頭がよくても色盲な人など、

結局当事者にとって欲しいもの現実が一致しないなんてことは当たり前のことです。

 

というか、自分にないから欲しがるんです。

逆に元々持って生まれてきたら欲しいなんて思いません。

あなた指が10本あるのに指が10本欲しいなんて思いますか?

無いから集めようとする手に入れようとするんです。

それが人間原動力です。

まり不公平なことを受け入れることから始めないと、何もしようとしない人間になります

現実アニメ漫画じゃないんです。

欲しいもの努力しないと手に入らないし、絶対に手に入るとも限らないんです。

不公平なこの世界もっと受け入れてください。認めてあげてください。

 

その中でできることは、努力しかないんです。

2015-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20150627005351

 もう見ていないかもしれないけれども、何十年も前に大学合唱をやっていたおっさんとして書いておこうかと思う。

 ぼくは元増田よりも遥かに音楽に疎いのに合唱を始めてしまった。高校での選択は美術だったし、合唱団に入った時点では音符の読み方すら怪しかった。

 それでも4年間続けたのは、合唱団技術志向が弱かったことに加えて、大学での人間関係の中心が合唱団になってしまたからだ。さすがに音符は読めるようにはなったものの、音感リズム感が悪いままでも引退まで居座ってしまった。

 とはいえ、さすがに居心地が悪くなった時期はあった。技術的にはお話にならないレベルなので、運営のほうに回ろうとしたのだが、人間関係をこじらせてしまい、結局は平団員として4年間を過ごした。技術もない、人間関係も良くないということになれば、さすがにこのまま合唱団に居続けてよいものか悩むことになる。後輩からすれば、存在価値のない先輩という位置づけになっていたかもしれない。

 なので、元増田

辞めたらサークル人達には何と思われるのだろう。あいつらは口では「いなくなってさびしい」などと言うのだろうが、本心ではきっと「お前みたいなやる気のない奴はさっさと辞めてくれ」と思うに違いない。少なくとも俺の本心を知られたらそうなることには間違いない。友達を失うのは怖い。なんで上手くなる義務があるんだ。俺は歌うのが好きなだけなのに。

 という心情はわからないでもない。ぼくも「自分なんてサークルからいなくなったほうが、みんなが喜ぶに違いない」「自分合唱団にとっての癌だ」とかよく思っていた。

 けれども、おっさんになって思うことは、それはそれで自意識過剰だったということだ。周囲の人は元増田がいようが、いなくなろうがたいして気にしない(と思う)。企業のような営利組織であれば話は別だが、大学サークルで「いなくなってほしい」と思われるためには憎悪対象にまで上り詰めなくてはならない。そこまで至っていないのなら「いても、いなくても構わない」だろうし、ステージチケット負担などを考えれば「いてくれたほうが助かる」というのが本音に近いところだろう。

 あと一つ言えば、元増田合唱団をやめる必要はないが、どこか別のところに居場所をつくったほうがいい。合唱団しか場所がないから、なんとかしてそれにすがりつこうとする。だが、その必死さがかえって合唱団に居続けることを難しくしてしまう。ぼくの場合には大学ゼミだった。ゼミでも大して馴染めていたわけではないが、ゼミが駄目ならサークルが、サークルが駄目ならゼミがあると思えるだけで、ずいぶんと心理的に楽になる。そうなれば、合唱団の友人たちとも余裕をもって付き合えるようになるのではないかと思う。

 もちろん、元増田の状況はぼくの状況とは違うかもしれないが、もうちょっと気楽に考えて良いと思う。良くも悪くも、周囲の人間元増田のことをそこまで気にかけて生きているわけではない。

2015-06-26

φ(..)メモメモ

http://raykawamoto.hatenablog.com/entry/2015/06/24/192658

なかなか進まんけど、kindle本にはここまでの記事は全部網羅されてたかな?

コメントする方法が見つけられない。

絶対音感は相対音感で補完しないと「88鍵を満遍なく記憶させるような訓練」が必要になるのではないでしょうか?

2014-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20140709060515

絶対音感と言っても実はいろんなレベルがあって、生活音も全てピッチがわかる・オケチューニングセント単位でわかる、とかいレベルからピアノの音を当てるのは得意だけど他の音になるとよくわからない、といったものであるんだけど、元増田はかなり精密にわかるようだね。

日本では「絶対音感神話」みたいなのがあって熱心な親が多いのだけれど、中途半端絶対音感 (というのも妙な言葉だが、上記のように耳に馴染んだ楽器の音ならわかる、あたりのレベル)だと逆に相対音感を身につける邪魔になることもあるそうだ。例えば次の調査:

http://www.human.niigata-u.ac.jp/~psy/miyazaki/Papers/Report1999/Report1999.html

元増田吹奏楽をやってたそうだけど、移調楽器は得意? 階名(移動ド)で歌える? 自分ピアノの鍵盤・譜面の音高・固定ドのラベルの3者ががっちりくっついちゃってるので、移調して弾くのがすげー苦手 (頭の中で演算しないと弾けない)。移調が楽にできるようになる練習って何かある?

2012-06-29

大阪文楽問題をめぐる公開メールを一読して

大阪文楽問題に関して公開されたメールを一読した。

http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html

かいことは直に読んでもらえばいいので特に言わないが、少し書いておきたい。

最初に、市長とその周辺の人たちが何を考えているのか、手短にまとめておきたいと思う。

まず、大阪府市の負担軽減を視野に入れた、文楽に対する姿勢の見直し。たとえば橋爪紳也顧問が、

文化施策ではなく観光施策の枠で、「文楽再興」の議論を起こしたい。

と書き、あるいは池末浩規参与も、

大阪市としては「文化財保護」に与する必要はなく、市が出金するとすれば、それは市民や来街者、観光客から見て魅力になっているような文楽に、必要かつ可能な範囲で援助をするというものになるはずです。

と書いているように、大阪府市としては文化保護名目での補助はしない、ということだ。(ただし、国が負担を認めるまで育成費用の補助4000万程度は出すそうだ)

そして、

再び市民に受け入れられる芸能となるべく積極的に活動する

参与も書いているが、観客動員一定目標をおき、その達成のためより効果的なプロデュースマネジメント必要であるからそのために改革をしようとなる。

この点については実は私も同感で、文楽を全体として統括的にマネジメントプロデュースすることができてないのではないかという不満は以前から感じていた。それに、どうしてもお役所仕事なのでスマートとは言い難く、大阪弁で言えば「もっちゃり」した感じにならざるを得ない。

さらに技芸員の意識改革を促している。旧来の殻に閉じこもっていてはダメではないかというわけだ。「意識改革」の具体的な中身としては、ミニ公演などのプロモーションはタダでやるべきなんじゃないのかとか、もっと観客の声を聞くべきだなどなど。

あるいはメールで技芸員の公務員化について触れられているのももっともなところで、たぶんこの辺りの感覚は長年のファンをやっている年寄りなら分かると思うし、東京歌舞伎座近くの某所で同様の会話をして嘆きあったりもした経験が私にはある。

まり、全ては、

今回橋下市長のリーダーシップのもと、文楽は「無形文化財として淡々と維持する」(旧来の考え方)ものから、「再び市民に受け入れられる芸能となるべく積極的に活動する」(新たな考え方)というものシフトしようとしているところです。

という参与意図に集約されるのであって、これは賛否様々な意見があるところではないか

私は、過去文楽劇場に足しげく通い、図書閲覧室へもよくお邪魔をして勉強させてもらい、職員の方々にも大変にお世話になった経験を持っているけれども、文楽に関しては非常に悲観的な立場をとっている。

文楽はもうすぐ死に絶える。事実文楽協会ができたころ、「文楽という芸は苔むした立派な梅の古木のようなものであって、じきに枯れる運命だが、無様な姿で枯らしてしまうのは忍びない。だから、せめて姿かたちはそのままに美しいまま死んでもらおう」という発想が背景にあったように記憶している。

文楽というのは本当に維持が難しい事業で、語り一つとっても、過去現在でこれだけ音楽環境が変わってしまうと、語りを成立させる音感がまるっきり違ってしまう。成長してから訓練でどうにかなるレベルの問題では、おそらくないはずだ。もちろん、浄瑠璃を理解するための前提知識なども違う。

から、近い将来、死亡宣告を言い渡す時期がくるし、税金を投入するならなおさら、本物・本格の保存が不可能になったときに、とっとと文楽の維持なんぞやめるべきであり、それこそがこの偉大な芸の先人たちを辱めない、唯一の道だと、私は思う。

その意味で、安易に文化を守れ伝統を守れと言ってみたり、反橋下の立場からついでに文楽を守れと言ったりする人たちとは、私は全く異なる。税金を投入する以上、真に偉大な芸としての文楽の古格が維持されなければならないし、それが無理なら文化だろうが伝統だろうが、潔く捨ててよい。今に生きない伝統など意味はない。本当に感動的な人形浄瑠璃は、過去の記録映画となって保存されている。無意味に惜しむ必要必然性も、どこにもない。

逆に言えば、まだ今の年寄りの技芸員が生きている間、なんとか細々とでも古格が出来ているならば保存するべきであって、それは与えられたミッションが達成されているとして認めればいいんだろうと思う。

観客が入るか入らないかは、この際どうでもよい。文楽は昔から客の入らない芸で、貧乏話極貧赤貧エピソードに事欠かない。問題は本格ができるかどうかだ。それに尽きる。

そこで、大阪市プロジェクトに話を戻すと、これをそのままやると、もちろんマネジメント改善など賛成できる部分もあるのだけれども、人形浄瑠璃の中身そのものに大きな影響を与えると思う。

下市長が面白い例を出している。

ある大物タレントさんが、これまた大物歌舞伎役者歌舞伎に誘われて歌舞伎を観に行きましたが、つまらない、分からんと言ってすぐに帰ったそうです。その歌舞伎役者さんは、この大物タレントさんにどこがつまらないのか、どこがダメなのか必死になって聞き出し、これまで自分では気付かなかった新たな視点での指摘事項を改善しつつ、歌舞伎面白さを説き続け、誘い続けたそうです。この大物歌舞伎役者さんは、観客からの厳しい指摘が公演を面白くする一番のカギと言われています

くその通りで、歌舞伎ならこれでいい。だから歌舞伎はどんどん変質していった(いっている)し、古格を守ることはそもそもできず、またそれで構わない芸能だという一面がある。

文楽だって客の意見には常に真摯だったのだ。

わざわざ語り手である太夫と三味線弾きの前に毎日座る客というのが大昔はいた。誰が出てきてもとりあえず批評批判する怖い客として知られ、しかし語り手も三味線もこういうお客を大事にしたらしい。

今でもこの種の客気質は、こと大阪年寄りに関する限り健在で、今の源太夫が綱太夫のころ、あるお爺さんが私に、

「織太夫でまだ若かったころは将来どんなもんになるかと思てたけど、綱太夫はホンマあかん。感動がないわ」

と言い、また、文楽人間国宝としてたびたび言及される住太夫についても、

「もう限界やっちゅうのは本人がよう分かってるやろ、あの年やし」

と言いきっていたものだ。あるいは別のお婆さんは、

「綱太夫の発声は変や。高音に行くと喉がつまってくる。あんな語り方はあらへんよ」

とばっさり批評したものだった。ちなみに、この綱太夫はその後人間国宝になってしまうわけだが。

そういう厳しいことをいう熱心なファンがいたからこそ、この芸に携わる人たちは鍛えられていったわけだ。

しかし、そういう耳も目も肥えた客の厳しい意見と、観客動員を増やすための批判は異なる。観客動員を増やそうとすると、中身が変質して古格が維持できなくなるのは、火を見るより明らかだ。そこで上演されるものは、300年続いてきた人形浄瑠璃ではない、何か別のモノだろう。

実際のところ、今でも中身は変質している。例えば、もっと重要な場面を語る「切場語り」を今やっている人たちのあと、一体だれが後を継げるのだろうか。おそらく、有資格者は誰もいない。

あるいは、今は文楽を「見に行く」というが、そもそもは「聴きに行く」ものであった。人形浄瑠璃と単なる人形劇は違うが、視覚の刺激に慣れた現代の観客にとって「見る」を重んじた方がはるかに分かりよくなっている。

その他、細かい部分で古格と言えるものが本当に継承できるのか、できていたのかどうか、はなはだ疑問だ。

はいえ、それでも歌舞伎とは比べ物にならない程度に本格の古格を守って来たのが文楽であって、それはかつてある歌舞伎ファンが文楽を見て「古いのが残っていていいなぁ」と言ったように、もう比較にならないと思う。

そこに、この大阪市プロジェクトとなると、人形浄瑠璃は完全に変質してしまう。本当に守るべき古格は、もうどうでもよくなってしまうだろうし、決定的に死んでしまうだろう。

と書くと、やや刺激的かもしれないが、なんのことはない、文楽の死なぞ最初から知れたことであり、それがちょっとばかり早くなるに過ぎない。「苔むした立派な梅の古木」がもう枯れると、知れ切っていたことなのだ

このプロジェクトを書いた池末参与善意に違いないし、文楽の再興が魅力ある観光都市としての大阪にとり大きな資源だと考えているはずだ。また、文楽に携わる人たちも、継承にはチャレンジや変化が必要だとする人たちも少なくないだろう(私は、文楽がいろいろなチャレンジや、同時代に観客に受け入れられる努力もされてきたこともまた知っている)。

よく分かる。

しかし、私はそこで一つだけ希望を言いたい。

もしこのプロジェクトをそのまま実行するならば、人形浄瑠璃文楽という看板は取り下げてもらいたい。

300年続いた本当に偉大な、世界のどこにも負けない本物の芸は死に、何か別の人形劇、「文楽のようなもの」が続いていくことになるだろう。そこで「人形浄瑠璃文楽」の看板を掲げることは、ウソだし、なによりも文字通り命を削ってこの芸に打ちこんできた偉大な先人たち、まさに大阪の先人たちに対する侮辱に他ならない。

この人形劇観光資源としてどう活用したって構わない。だけど、文楽はもう死んだことを認めてほしい。いや、認めるべきだ。そうして、過去のものとなった文楽の真の偉大さだけは、せめて守ってほしい。それだけが、せめてもの私の小さな希望だ。

(追記)

以下は私のTwitterアカウントなので、もしご意見などがあれば、ぜひ遠慮なく私に書いていただきたいと思う。文楽は私にとってただ好きというだけでなく、重いものでもあるから

https://twitter.com/#!/SignorTaki

2012-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20120409151128

そういうのを絶対音感って言うんだってさ。とっくに知ってるのかもしれないけど。

マージンを持ってない音感

調律師にはもってこいだな。あと、音を聞き分けるアナログ電気技術者か。

音感絶望的までに無い

ある音が鳴る。

ピアノでそれを鳴らしてみる。

違う。


別の音が鳴る。

またピアノで鳴らしてみる。

違う。

これの繰り返し。

2011-11-06

オペラ座の怪人』25周年記念公演の上映は、音がズレているらしい

劇場で上映されている、『オペラ座の怪人』25周年記念公演 in ロンドンは音がずれています

これから見に行こうと考えている方(特に絶対音感のある方)は、ご注意ください。

私は、途中で気持ち悪くなり、退場いたしました。

なぜ音がズレているのか問い合わせメールを出したところ、

東宝東和株式会社様より、回答をいただきました。

以下、共有のため転載いたします。

---------------------------------------------------------

本日映画オペラ座の怪人25周年記念公演」の上映を

観させていただきました。

音が半音下がっている箇所がありました。

私は絶対音感があるので、音のゆらぎが気持ち悪くなり

中退場致しました。

ソフト化の際には、修正されますか?

ご回答のほどよろしくお願い致します。

---------------------------------------------------------

ご指摘の件、ロンドンUniversal Pictures International(UPI)に

問い合わせたところ、以下のことが判明いたしました。

この公演の撮影は、フレームレイトが25フレームの規格の機材で行われました。

この規格では1秒間に25コマの映像が収録されます

収録された映像劇場デジタル上映をするためには、

DCP(Digital Cinema Package)という世界規格に変換する必要がありました。

この規格のフレームレイト24フレーム、すなわち1秒間に24コマの映像が収録

されます

音程の差は、この変換によって生じたものと考えられます

収録音声を早回しにすると音が高くなり、

遅回しにすると音が低くなる現象は、容易に想像できるかと思います

今回は、1秒間25コマの速度で収録された音声を

1秒間24コマのスピード再生することとなり、25分の1秒分遅回しにすることに

よって、

その分、音程が低くなったというのが、理論上考えられることです

非常に微少なスピードであるので、これによって半音以上の音程差が生じると

は考えにくく、

絶対的に音感の鋭敏な方には判る可能性がある一方、

ほとんどの方が聴感していないのが実情です

UPIでは、DCP上映にあたり同様の指摘を受けたのは、今回が初めてという説明です

更に日本国内のスタジオに取材してみたところ、楽器や声の音質や、旋律、音の

高低により、

特に差が目立って聴こえる箇所があるのかも知れない、ということです

音程の問題を解消する手段としては、音声のスピードを変えずに再生するため、

映像を毎秒1コマずつ間引いて24フレームに合わせる方法がありますが、

これを用いると、今度は映像の方に飛んでいるような現象が生じる可能性があり、

理想的な手段とはいえません。

DCPが世界規格であるのなら、

なぜフレームレイトの違う機材で撮影を行ったのか、という疑問が生まれますが、

これはアナログ時代から世界各地で異なるビデオ信号採用されていた歴史があり、

それに伴い英国では25フレームというフレームレイトが一般的で、

機材もその規格のものが多いのが実情のようです

UPIとしては、日本での上映を心待ちにされているお客様のために最速の実現を

目指した結果、

限られた時間環境の中で出来うる限り最良の映像と音声を送ったつもりだった

ということです

お叱りを受けながら不謹慎なことを申し上げるようですが、

これまでの説明で我々の理解するかぎり、ご指摘くださったお客様は、

ごく少数の並ならぬ鋭敏な音感の持ち主でいらっしゃるということが言えそうです

ただ、劇場上映にあたっては、乗り越えがたい事情により、

我慢を強いることとなりましたことをお詫び申し上げるとともに、ご理解を賜れ

ればと存じます

今回のご指摘を真摯に受け止め、今後の課題とさせていただきます

なお、DVDおよびブルーレイにつきましては、音程の問題を修正し、

Really Useful Group(RUG)の監修と承認を受けたものを発売する旨、UPIの確

認を取りました。

日本で発売されるDVDおよびブルーレイは、UPIの制作するマスターに基づくもの

です

東宝東和株式会社

2010-09-01

ブックマークが欲しいなら

自分性的コンプレックスを絡めた話で400超ホッテントリをいくつも取ってるよ

実話だったり作り話だったり


というかジャンルは実話でも作り話でもはてな内輪いじりでも、

そのつもりで書けば100ブクマオーバーぐらいはいつでも取れる

狙って文章書いてブクマ得られない人は文才とか分析力がないと思う

はてなーは本をよく読んでる人は多いんだけど自分意識が向きすぎで

どういう話し方すると相手もリアクション取り易くなるのか

みたいな視野を欠いてる人が多い

読む時の音感的なテンポに配慮してない人もいる

例えば匿名掲示板荒らしでもやればわかってくるんだけどねそういうの

http://anond.hatelabo.jp/20100901094233

2010-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20100409094228

自分は評価に値しないと思ったものが、多くの他者にとって評価されるものだったという作品に対してと、

他者が共有できる何かを自分が持っていない疎外感に対する嫉妬や苛つきだろうが、

語りえないものって、ただの妄想だろ?

それが全て。

他のツリーで色々並べてるのもいるが、音楽絵画文学といった「感性」から出力されるものは、

それを受け取る側次第のものだと認識していればいい。

共感だとか連想だとか、それによって反応させられた個々人の中のものが重要なのであって、

発信する側の「発信するもの」はただのきっかけでしかない。

言ってみれば彼らのそれは、人に何かを想起させるだけの要素を込める技術みたいなもの。

当然ながら、そのための基礎技術は必要。

音感リズム感、色彩感、デッサン力、語彙力、構成力、

どういう手段をもって表そうとしているかによって必要なものは違う。

純粋技術面での評価がされる部分と合わせ、そういうものとは別に評価されるのが、

それが多くの人にとって何かを想起させるスイッチたりえたかという部分。

ただ単にストレートキーワードを発すればいいというものでもない。

特定の方向性を持って想像できる余地がある、誘導されるというのが重要だから。

曖昧抽象的、婉曲的に表現される部分こそ、一番のポイントと言っていい。

勿論反応しない人だっている。

その人のスイッチたりえなかったというだけ。

趣味、嗜好、思想、理念感性経験、反応しない理由もまた人次第。

何も感じなかったものだったからといって、

その作品に落ち度はないし、その人にも落ち度はないのだから、噛み付くことはない。

2010-02-06

http://anond.hatelabo.jp/20100206212527

鍛えれば相対音感はつくし、ある程度の絶対音感もつくと思う。

俺小1から音楽始めたけど、中学部活に入って毎日練習しだしてから相対音感が身についたし

絶対音感もその後についたと思う。

ただ俺の絶対音感は不完全で、聞きなれている楽器・高さの音じゃないとわからなくなるんだけどね。

2009-07-06

だけどもな、幕僚長

http://anond.hatelabo.jp/20090706025508

ユーザーが金落とすにはなんといってもまずはユニークユーザー数の獲得だよな。

それってSNSもそうだしポータルサイトもそうだし、結局はウェブマーケティングの基本だしmixiなんてある意味MMOに近いもんだわさ。mixi層に合わせたニュース出してるもんな。あ、アメーバニュースもか。

まあそれはいいとして、長時間遊ばせる=鍵という構造自体を取っ払おうって事なのね。

俺からすればこの暇人を最強とする仕組みはとーっても開発者の怠慢に思えちゃいます。

現実起きてる問題は、5000時間使ったプレーヤーと2時間遊んだプレーヤーとでは、例え2時間が頭の回転速かろうが操作系が得意だろうが、5000時間クリック1つには全く歯が立たない。でもあんまりにも「時間をかけました的要素」を省いてしまうと、もうRPGじゃなくなってしまう。

やったらやっただけ恩恵がありつつも、センスによっちレベル低くても強くなれるというこのバランス重要なのだと思うのよ。

例えばーマウスクリック魔法が出ちゃう戦闘シーンを工夫してシューティングゲームさながらの銃系武器だったり、タイピングスキルがないと呪文が唱えられない魔法使いだったり、音感リズム感が無いと敵を倒せない詩人だったり、

プレイ時間による優位性:プレーヤーの知力・技術力を問うもの

が3:7くらいなのが望ましい。

そうすればギルドマスターさん達は何かしら実世界でもスキルをもってるギルドマスターさんなわけで、暇人マスターなんて思われずに誇っていいでしょう。どうよこれ。

2009-06-29

習い事中毒な私

子供時代はともかく社会人になってから加速していってる様子で、「何とかセーブしなきゃ金も体力も精神力も危ないぞ」、と思ってはいるのだが、酒やタバコのような中毒性があるのか、なかなか抜け出せないので困っている。ちなみに自分は酒もタバコも嗜まないのでわからないが、禁酒禁煙したいけどできない人というのはこういう気持ちなのかもしれない。

目的は、1モノ作りへの興味、2青春時代に一つの事(部活)しかしていなかったことの後悔、3友達作りってところ。

1はまあ、小さい頃から好きだった延長。ただし出来上がった作品(笑)を整理コレクション展示できるスペースはないから自重しなければ。

2の「部活しか〜」は、それはそれでいろいろな体験ができて意義あるものだとは思っているのだけれど、青春時代にできなかったことを焦って取り戻そうとしているような気がする。

特に大学時代にはサークル(とバイト)漬けで、勉学も励まず旅行もせず、さらに最後の3、4年生では就職活動が人並み以上に長くかかった(氷河期プラスα。自業自得だろうが、内定とるのに4年生の12月までかかった・・・卒論提出2週間前)ために、「単位もとれていちばん動きやすかった4年生の時に何もできなかった」という後悔の思いが強いのだと思う。もちろん学業卒論に対する後悔も多少あるが、さすがにそこまで取り戻す精神力財力(再入学とか大学院云々)はないのを良い事に、潔くあきらめている。

3・・・これが意外と難しいことを実感している。自分性格のせいもあるだろうが、以後、友達作りを習い事開始の口実にすることはできないなと思った。

以下にこれまでの遍歴を述べることとする。

<序章>

習字

期間:小学校1年〜高校2年(週1回)

動機:父親そっくりの汚い字を見たせいなのかはわからないが、母の勧めで始める。たいしてやる気もなかったが特にさぼったりもせず。

結果:だいぶ上達した。学校展覧会では良い賞をもらってさらに上の代表のようなものになったり。習字は辞めても字は毎日書くから、これが一番役立っている。行書はもうほぼ忘れてしまっている気がする。変体仮名とかは読み書きともに忘却の彼方に。

受験を機に辞めたが、せっかくなので師範の資格取れるまでやっても(再開しても)よかったのではないかと時々思うこともある。通っていた教室が遠いので(実家近く)、もう習うつもりはない。

エレクトーン

期間:小学校4年〜6年(週1回)

動機:近所の人から中古で譲ってもらった+友達のお母さんがピアノ教室をやっている関係で始める。

結果:ピアノの人に比べ、基礎練習をほとんどやっていないせいか、今では全く引けない(ピアノだとバイエルとかいうのをやるんでしょ?エレクトーンの人はなぜかそういう基礎をやらない教室だった)。ただし、他の人と比べて結構音感があることは子供心ながら判明した(それが絶対音感かは知らんが、聴音を間違えたことがない)

中学大学時代までずっと部活楽器をやっていたので、全くの無駄ではないかな・・・とは思う。いや思いたいだけか。

<第1章>

陶芸(月2回、3カ月コース)

期間:大学4年の1月〜社会人1年目の4月

動機:前から興味があったが、サークルバイトに明け暮れ習う余裕がなかった。卒業直前、大学バイト先の近くに教室があることが判明したため3カ月お試しコースに申し込んだ。

結果:ひととおり皿とか小鉢とか作った。社会人になってすぐ一人暮らしだったので、自分で作った食器類は今でもだいぶ重宝している。

先生や教室の雰囲気も楽しく、月1回からのコースもあり価格良心的なので今でもやってみたいなとは思っているが、現在の自宅からも職場からも離れた立地と、一人暮らし用の食器類は十分あるので作っても活用できないかな、と思い継続は断念。

●絵画教室

期間;大学4年の3月〜社会人1年目の5月頃(週1回)

・○ット○ッパー見て入会。教室の雰囲気にうっかり惹かれてしまった。

結果:講師引っ越しを機に自然消滅

・絵を描くのは好きだがうまくなったかは不明。楽しかったけどもういいや。

篆刻カルチャースクール

期間:大学4年の3月いっぱい(週1回、全4回の講座)

動機:高校書道時間篆刻をやって楽しかったのだが、満足いくものを作れなかったのを思い出して入会。駅前のカルチャースクール

結果:4個ほど作成。しかし、おす機会、ないんだよね・・・。

・いろいろ作れたし、腱鞘炎気味なのでもういいや。

自動車免許教習所

期間:大学4年の3月〜社会人1年目の夏

動機:本来は大学在学中にとるべき(?)はずだったが機会を逃していたため、卒業間際に慌てて通い始める。「マニュアルにあらずんば免許にあらず」という親の考え+MTATの違いすらわからなかった自分=運転下手なくせにMTコースを選択。

結果:どうにかMT取得。しかしペーパードライバー免許証使う機会は身分証明目的のみ。

・込み合う時期でなかなか予約がとれないうちに社会人になり、土日だけしか通えなかったためえらい時間がかかった。だがこれがきっかけで、「人は、土日だけでもコツコツ積み重ねれば結果が出せるんだ〜」と夢見る始まりになってしまったような。

<第2章>

大学通信教育課程(学芸員

期間:社会人2年目〜現在

動機:その気になれば大学時代に取れた資格なのだが、無知なため「学芸員」という存在すら知らず卒業間際に知ったが後の祭り。通信課程でもとれるらしいということを知り入学。

結果:自分は昔っから通信教育、自宅(自主)学習というものが全くできないタチだというのを忘れてた。自主学習テキストレポート類には全く手をつけていない。当然、資格は取れるわけがないまま学籍を更新し続けている。

・正直、資格をとったところで本気で目指しているわけで、そんな人に学芸員就職口はまずあり得ないのだけれど。スクーリングだけは真面目に行くためスクーリング科目だけは優秀な成績で単位取得だが・・・。

英会話

期間:社会人3年目7月〜今月上旬(始めは週2回、やがて週1回日曜午前に)

動機:一度は習ってみたかった。海外旅行のためと、ライブで好きなアーティストと話したいため。あと数年に1回海外出張当番があるため。

結果:資金不足と休息のため、更新の時期を機に、休止中。貯金ができたらまた行きたいと思っている。関係あるかわからんが、TOEICスコアが100上がった。

・土日は無駄ゴロゴロしがちな自分にとって、日曜午前にしっかり起きる習慣にはなった。気分転換頭の体操(ずいぶん高額な気分転換だなあオイ)。

フィットネス

期間:昨年4月〜現在(週1〜2回)

動機:仕事ストレスからお菓子を食べまくって太り始めた。同時期、上司や取引先の人が立て続けに健康を害して入院といったことが相次ぎ、「自分もこのままでは将来危ない」という思いから入会。

結果:過食が続いたためいったん太ってしまったのだが、危機感を覚えて最近は熱心に動くようになり、体重は戻りつつある。

・実はスポーツは苦手だったのだが、身体を動かしているときは仕事の事を考えないので気分がスッキリして良い。目標体重になったら辞めるつもりなのだが、そこまではなかなかたどりつけない。

料理

期間:昨年10月現在(月1回)

動機:一人暮らしのくせに料理が苦手で、新しく友達作りもできるかな、と思い立って入ってみた。

結果:レパートリーは多少増えて知り合いはできたが友達は・・・。

・こういうのってみんな(最初から)友達同士で入るんだね・・・。

華道

期間:1時間(体験レッスン)

動機:高校大学時代の友人達華道部に入っていたので興味があった。会社近くに教室があるのを知って体験に申し込む。

結果:楽しかった〜。写真撮った後は、お花を持ち帰らせてもらった。

・始めたいけれど、たとえ月1回でもこれ以上増やすのは無謀だと思い、踏みとどまった。

ドイツ語

期間:これから(入門編3カ月のみ)

ドイツ一人旅を機に習ってみたくなり、たまたま近所に格安の教室があるのを知って入会してしまった・・・。さあどうしよう。

2009-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20090323004725

元記事増田です.はてブコメント読ませてもらって書いてみる.

歌を歌えるようになろうとは思っていないけれど興味津々.

「すごい」とか「素晴らしい」というのはどういうことだろう?

普通に歌える人の音に対する感覚が分からないから,どうすごいのかが

正直言ってよく分からない.「これはひどい」って意味なら納得できるけど…

子供の頃のことをもう少し書いてみると,こんな私だけれど

幼稚園から小学 3年ぐらいまでエレクトーンを習っていた.

楽器が弾けるから音痴だけれど音感がない訳ではないのかな.

音楽の授業で楽器は割とできる方だった.それで成績付いていたようなもの.

でも,よく考えてみると楽器を弾くのは譜面に沿って

出す音とタイミングと長さが分かっていれば出来てしまう.

自分の声でその音程の音を出せなくても楽器はその音を出してくれる.

だからそれは音感があるのとは別のことかもしれない.

手で絵がかけなくても PC 使えば絵が書けるという人がいるなら

それと同じ感じかな.歌と絵には何か違いがあるような気もする.

ちなみに http://anond.hatelabo.jp/20090225022536 も私.

(どう信じてもらえばいいのか分からない)芸術には縁がなさ過ぎる.

上の日記読んで思い出したのは,中学の時に音楽(たしかクラシック)聴いて

感想や何を表現しているか述べよという授業があったが,これが全く分からない.

模範解答を聞いてもその楽章(?)がどうしてそれを表現しているのか分からない.

それでも今はクラシックを聞くのは好きで,好きな曲やこの作曲家はいる.

ガブリエル・フォーレお気に入りラジオクラシック番組教授の解説は

相変わらず全く分からない.聴き心地が良いかどうかだけが唯一の基準.

言葉アクセントをどう認識しているのかというコメントに対して.

自分が話す場合,疑問系で語尾を上げる時に相手にうまく伝わらないことがある.

アクセントじゃないかもしれないけれど「○○ですか?」の意味

「○○です↑」と語尾を上げて言ったつもりでも間を置いて

「今,自分に聞いたの?」って聞き返されたことは何度かある.

単語のアクセントは話の流れで分かってくれるみたいだから,

私は知らないだけで伝わっていないことは実際にはもっと多いかもしれない.

他人が話す場合,聞き取る方には問題がないようで相手が意図したように受け取れる.

あくまで,自分が出したいように音を出せないのが問題だと分かってきた.

また子どもの頃の話に戻って,聞き取る方は問題がないと思うから

合唱の時は自分の声が他の人と比べると外れていることは分かる.

でも独りで歌う場合,比較対称がいないから自分の音が外れているのか分からない.

相対音感の人が独りで歌う時,最初の音を基準にどれだけ高い低いで判断しているなら

最初の音が楽譜通りのその高さかどうかをどう判断しているんだろう?

と考えると普通の人も少なからず絶対音感の欠片でも持っていないと無理ではない?

取り止めがなくなってきたから,これで最後.

元記事に「楽譜の歌詞は平仮名で書いてあるから無意味な文字の羅列だと思っていた」と書いた.

絶対音感ではないけれど街中(特に店内)で他人の声を聞いていても同じような感覚に陥る.

何か声(というか音というか)が聞こえるけれど,明瞭ではないと言葉として捉えられない.

そういう状況を自分の中で騒々しいと位置づけているのかもしれないと,今書いていて思った.

だから邦楽でも歌詞を見ないと何を言っているのか分からない曲は聞いていられない.

だから昔から流行の曲には疎い.J-POP も全然良さが分からない.雑音以外の何物でもなかった.

その点,クラシックはそれがないから聞いていられる.以後,音楽にうんちくは要らない事にした.

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん