はてなキーワード: 音感とは
http://anond.hatelabo.jp/20080927204050
大学院でやることって、特殊なんだよ。
それまでの勉強と研究は違うって教授たちは言うけど、それは本当で、勉強は誰にでもできるけど研究は特殊技能なんだよ。
大学院に関する議論を見ていると、なんだか音楽学校を連想するんだよね。
ギターを弾いてる人はたくさんいるけど、ミュージシャンとしてなんとか体裁が整う人ってほとんどいないでしょ。なんでかっていうと、ほとんどの人には音感がないから。
音感がまるでない人は音痴っていわれるけど、音痴はどれほど努力しても音痴なんだよね。それと同じで、大学院に馴染めない人っていうのは、どれほど本人が努力してもどれほど先生が教育に長けていても、やっぱり大学院には馴染めない。そして、そういう人はたくさんいる。
不幸なのは、自分が音痴だと気づけない学生と、学生が音痴だと見抜けない先生。
いや、先生には本当は学生が音痴だって見抜けているんだけど、それを告げることはできない仕組みになっているんだよね。だって、本当は音痴な人には修士を卒業させてはいけないから。
だから、先生も必死になってなんとか体裁の整った歌を歌わせようとするんだけど、どうしても無理が出てくる。潰されてしまう学生もいる。
できることなら、大学院に必要な特殊な才能がないと分かった時点で退学するのが一番いいんだよ。音痴だとしてもその後の人生にはほとんど関係ないのと一緒で、論文が書けなくても人生にも仕事にも関係ない。
なぜか大学院を退学すると就職活動でなんやかんや言われるんだけど、大学退学と大学院退学はまるで違う。大学は特殊技能は必要ないけど、大学院は特殊技能の有無でほとんどが決まってしまうんだから。
自分の彼女が元増田や自分と逆のパターンで、言葉を借りると創る事のできるタイプです。
何かを模写することは好きなんだけど、さっとイラスト書いたりはできないから、こんなん簡単だよ的な感じでさらさらっと書けるのが謎。
楽器も一緒。作曲とか無理。○○の歌みたいなのを簡単に作って笑いをとるのとかどうなってんだって感じです。
自分は音感もないので、いちいち楽譜見ないと分からないのもコンプレックス。
その代わり手本がある場合には、最終的には自分のほうが上手にできるということが救い…なのかな。
後料理も冷蔵庫の残った食材から適当に一品とかかなり苦手分野。
みじん切りやフライパン返しは自分のほうが上手ですが、そんなの見せ掛けだよね。
努力してもそう簡単に創る側に回れそうにないような気がしますが
これが才能ってやつなんでしょうか。
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/streaming/1199631641/418
417 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/01/07(月) 10:53:14 ID:SUlsOLOj0
FortuneDiver、整理タグが多すぎで遊べる余地が少なそうだ
どちらでもミクが聞き分けられるのは、ダメ絶対音感に入りますか?w
418 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/01/07(月) 10:56:14 ID:dlS9vQFs0
>>417
絶対初音感
初音ミクの技術は確かに革新的なものだ、OSで表現するならWin3.1からWin95になったようなものだ。
誰にでも簡単にネットに繋げるようになり、ソフトの互換性が拡大したように
初音ミクは(比較的)簡単に歌わせる事が出来るようになった。
ニコニコ動画で、声優涙目??とか最高!とか書き込んでる者が居るけれど…
そ れ は 本 気 で 言 っ て る の か ?
とちょっと心配になる、耳腐ってんのか?それとも音楽をミクでしか知らないのか?
分かって言ってるだと思うんだけれど…やっぱりPC合成音の域を越えては居ない。
演技は上手いのだけど、「魂が篭ってない!!」と言う感じで炎先生に一括される役所。
カラオケで100点を取るようなものである。
100点を取るのに必須なのは音感とリズム感、決まった音程でリズム通り歌えれば理論上比較的簡単。
ただ、所詮は机上の計算でそれで人の心を動かせるかというと違う
ライブでの生の演奏と歌唱はスピーカー越しでは絶対に感じられない
音を耳で受け取るのではなく、身体で受け取ると言う体験は音楽好きなら一度は体験するべきだ。
例えミクが進化し続け違和感無く歌えるようになっても、その点に関しては絶対に生身には勝てない
音楽を好きな者としてこれだけは断言できる。
初音ミクはWinなんだと思う、だから進化して使い易く高クオリティのモノが出来たとしても
嫌いな人は居るだろうし、否定する人も居ると思う
現代のアーティスト達も音楽技術の粋を集めて修正されCD化している。
リップノイズを消すのは当り前、切ったり貼ったり、音程修正したり、当然にやっている
それは「理想道りに完成された作品」を作る為の肯定であり否定はしない
そして、そういったものを提供できるのはやっぱり人間の歌い手だけだ
ミクの進化が声の変化程度に落ち着き、技術的に進化しなければ本当の意味で「歌手」にはなれない
ミクの流行は一時的なモノから当然なモノになるだろう
だけれど、ミクが生身の歌い手に取って代わる事は絶対に無いと言い切れる
ミクの音楽を愛で、ミクのCDが売買され、ミクのCDが売れていても
そういう人間は歌手のCDを積極的に買う人間では無い、ミーハーなのだろう
流行モノを買って流行モノを聞く人間、制作側的にはそういった購買層も必要だろうが
オチがオチらしく付かなくて困った(汗
ミクは凄いけど、大局的に見ればたいした物では無いよ とただ言いたい
最近、自分が「末端的な人間」であるということを、ときどき感じることがあります。上から教えられることは瞬時に吸収できるのに、下にそれを上手に伝えることができない。
今楽器を教えている後輩は全く音感がないから、まずそれを直さなくちゃいけないのだけれど、自分は入部してすぐ絶対音感がついたから、音感がない、という状態がどういう状態なのか理解できない。それでも、自分が吹いた音を再現できないのを見てると、「どうしてそんなことすらできないの?」という気持ちになることが、最初の頃はたびたびあった。
でも、後輩から見ればそんなことはとんでもないことだから、同じ目線に立って、正確な指導をしなくちゃならない。口で言うのは簡単だけど、これって実際はすごく難しいんですよね。
自分がやってきたメソッドが自分にしか適用できないことだから、後輩に合ったメソッドを考えなくちゃならない。これってつまり、後輩の体で練習をしていくことと等価なわけで。
ところが、逆にあまり楽器が上手じゃなくても、指導がとても上手い人もいる。本人の話だと、自分がやってきたことを後輩に教えているだけ、というけれど、私は同じことをやっても上手くいかない。
結局、「得る」才能と「与える」才能は全く別物なのだな、ということを、じわりじわりと感じる毎日です。
他人なら気にしないんだけど、自分が責任のある人だから余計に辛いわー。
そして人よりどれだけ優れてるかは往々にして隠す必要がある。
このアビリティは隠せないので幼少時や思春期において悲劇やトラウマを負うことも多い。
また、このアビリティと特殊技能を併用すると芸能タレントなどにクラスチェンジが可能。
戦略的にこのアビリティを使えば逆玉や玉の輿にクラスアップできる。
次世代継承がある程度可能なアビリティでもある。
このアビリティを活用することにより様々な拡張アビリティの獲得が可能。
他の能力を獲得するために必要条件になることも多く、家庭の裕福さとして初期値として与えられることが多い。
主に継承によってのみ獲得できる。家庭の裕福さ同様先天的なアビリティである。
人脈や権力などを引き継げる場合が多く、また親族関係にあるものからなどの恩恵を預かることができる。
成功までの閾値を下げる効果がある。
玉の輿など例外的に獲得できるケースもあるが後天的に獲得するのが最も困難なアビリティでもある。
地頭の良さとも評され、主に他のアビリティの習熟速度に影響する。
唯一平等な時間というリソースを節約するためのアビリティである。
自分にあった環境をみつけるための時間や費用などを節約することができる。
このアビリティが極端に低いと他のアビリティの発動を阻害するどころか、健康や富、家柄、地位といったステータスを奪う可能性がある。
このステータスが十分でないと他のアビリティを十分に活用することができない。
また、このステータスは喪失することも多く、喪失後は再獲得が困難である。
人により活動可能な年数は異なり主に健康などから影響を受ける。
時間を消費することにより拡張アビリティの獲得をおこなえる。
継承、分散が可能。
視認しにくいステータスを視認させやすくするためのステータスである。
そして最も偽装しやすいステータスでもある。
他人のアビリティを外部利用することができるアビリティである。
獲得までに時間を必要とするが家柄のよさや、交友関係、所属などのアビリティと並行利用することにより獲得までの時間を短くすることができる。
交友関係を構築の初期障害を取り除くための補助アビリティである。
信頼や地位、稼ぎに影響を与えるアビリティである。
抹消や改竄は困難であるが、一時的な偽装は比較的容易である。
また、蓄積が可能なアビリティのひとつで、家柄のよさへ発展させ次世代への継承が可能なステータスでもある。
トータルアビリティを視認化し外部から公証したものである。
偽装が困難である一方、消失、剥奪されることがあり、一度失うと再獲得が困難となる。
時間を消費することにより変換可能。但しアビリティの活用度合いにより変換効率が異なる。
継承が可能なアビリティであると同時に蓄積が可能なアビリティである。
継承時にクラスチェンジをすることにより家庭の裕福さへ変換可能である。
もっとも外部から視認させにくいアビリティである。
主に訓練によって習得される。そして訓練やトレーニングを怠ることにより劣化するアビリティでもある。
頭のよさ、音感、美的感覚、身体能力など、原始的なアビリティがこのアビリティの習熟度に影響することも多い。
他のアビリティと併用をすることにより効果を発する。
隠蔽可能なアビリティでもあるので外部からの利用をコントロールすることができる。
敵を知り己を知れば百戦危うからず!
これなんて俺?
自慢だけどペーパーのテストだとクラス最高得点取ったりした事あった。
けど、実技みたいなリコーダーをみんなの前で吹いたり、歌のテストは死ぬほど嫌いだった
壮絶なほど音痴だった気がする。
音感もリズム感っていう概念が理解出来ないかった。つか上手く表現出来ない
再現するのに俺の身体が付いていってなかった感さえあると思う。
よく覚えてるのは音楽の授業で4~5人のグループで発表ってのがあって
内容はなんか手拍子とかでそれぞれがリズムを叩くみたいな
もう内容は覚えていないんだけど
あまりにも俺がリズム感無さ過ぎて一人で変なタイミングで叩くものだから
「リズム上手く取れない人の事も視野に入れてリズム取るのも大事だからね」って言ってたのが印象的だった
同じグループに俺がとっても好きな子が居て醜態晒してる自分が情けなくて死にたかった
あぁーあ、あの娘色白で可愛かったな
勉強は得意だったし、好きだった。英語は嫌いでたまらなかったけれど、数学や化学や物理や国語や歴史は大好きだった。運動は得意だし、好きだった。持久力は致命的なまでになかったけれど、それでも総合的には上位5%に入るくらいには出来た。たまにもっと運動部で何かに打ち込んでみればよかったとは思う。絵を描くことも、工作することも、大好きだった。
だけど、音楽が本当に本当に大嫌いだった。
そもそも父と母は私にそれなりの頭とそれなりの運動神経を与えはしてくれたけれど、音楽の才能は全く何一つ与えてくれなかった。
エレクトーンは一年弱で、音符の長さというものが理解できなくて終わった。順番にキーを押す、ということは理解できても、私には規定の長さでキーを押す、ということは出来なかった。手拍子だって、周りを見て、真剣に合わせないとずれる。集中せずに一定のリズムで手を叩くなんて、私にはできない。
歌を歌えば音程がずれる。「そこ高いよ」なんていわれても、どこが高いの低いのか、どうやったら下がるのかがさっぱり分らない。ちゃんと歌っているつもりでもずれる。だから人前で歌を歌うことが苦痛で仕方がない。誰かと一緒に歌うと、自分の声が聞こえなくなって、混乱して、歌えなくなる。でも一人で歌うと、伴奏とどこまでもずれていく。音程も狂っていく。
音楽の時間、歌のテストの時。音程がずれていることを薄々感じながらも必死で歌い終わって、でも何故か伴奏はまだ続いている。その五秒か十秒の空白の時間。私はただ死んでしまいたい、ということだけを考えている。苦痛で溜まらず、涙すら出そうになる。
音楽教師は、私のような人間がいることを理解できない。私が、運動が致命的に出来ない子を見て真面目にしなよ、と憤るように、彼女たちは私を見て、真面目にしなさい、と怒る。真面目にしている。真面目にしているけれど出来ないのだ。歌を歌うことが苦痛で仕方がないのだ。そして彼らは私を笑う。音痴だと。冗談交じりに言われても、私には嘲りにしか思えない。
自信を失えば失うほど、声は小さくなり、伴奏とはずれ、音程は狂っていく。誰が好きでこんな醜態を晒すだろうか。
私が必死で個室でテストを受けたいと申し出ても、彼らはそれを容易く退ける。一曲くらい大したことないでしょ。すぐ終わるんだから歌いなさい。一曲。一分か二分か。それが私には十分にも二十分にも感じられる。
歌のテストをクラス全員の前でさせる教師を、私は心の底から憎む。彼女たちは生徒を晒しものにして楽しいのだろうか。音楽以外に、試験の内容も結果もを衆目に晒す教科が存在するだろうか。
人前で歌を歌うと考えただけで、脂汗が出る。足が震える。息が苦しくなって、逃げ出すことばかり考える。今、熱が出たらいいのに。怪我をしてしまいたい。お腹が痛い。
音楽なんていう教科は全ての教育課程から消えてしまえばいい。音楽教師なんて全員死んでしまえばいい。音楽なんてこの世から消えてしまえばいい。そう、願って止まない。
頭の中で計算ができるかどうかっていうのは、音感とか絵心みたいな物じゃないだろうか。
僕は小さいころに間違ったトレーニングを受けたせいで計算問題ができない。ただ、数学も算数も好きで、できないのは”算術”あるいは、昔で言う”算盤”。だから、臆せずに電卓を使うようにこころがけている。いまこうしてパソコンの前にいるときでも、手の届くところに電卓が1個ある。脳がそうなっちゃっているから、暗算とかできないんだ。これは明らかに人生で損だが、損を損と言って嘆いても始まらないから、できるだけ埋めるべく、別の方法で努力している。
最近だと誰もが電卓を持ち歩いているじゃないか。そう、携帯電話。だから、その女の子には、何かあったら計算してみるくせをつけるといい、とアドバイスしてみてはどうだろう。その女の子もきっと「暗算しろ」といわれても頭の中にそういうチャネルがないタイプじゃないかな。
もちろんだが、君が彼女の計算機となってもいいと思う。