はてなキーワード: 盲目とは
タイトル通り。
「○○を知らない奴はにわか」
「友達の自称ボカロ厨が○○?知らないとか言ってて(^ω^💢)」
新参「ねえボカロ曲何が好き?私ボカロ厨だからなんでもわかるよ!フフン」
古参「うーん、○○かな」
古参「」
みたいな自称古参・ボカロ廃による発言がかれこれ十年以上も繰り返されてる。
これいつまでやるんだ。そしてその自称ボカロ厨の友達は実在するのか。
カ○プロ、脳○炸○ガール、その他新しい"爆発的な流行り"が出てくると必ず湧いてくる。
実際にどのジャンルにも、知ったかぶって人を不快にさせる新参がいるのは紛れもない事実だと思う。
また同様に、そういった"仮想敵"を作って排除しようとする古参もボカロ厨に限った話ではなく、どこにでもいる。
なので主語を大きくしすぎるのはよくない、よくないが。
それにしてもボカロ厨は酷すぎると思う。
ずっと何年も何年も繰り返してる。流石に異常だ。
声高に主張する人、自ら発信はしないが静かにその意見に乗っかる人。そういった数があまりに多すぎる。
この十年で全く同じ人物だけが残っているのかと思うほどに、驚くほど同じことを繰り返しているのだ。
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そもそも、乱暴な言い方にはなるがボーカロイドは音声合成ソフト。いわば楽器なのだ。
勿論私は初音ミクをはじめとしたボーカロイド達もキャラクターとして大好きだ。
でも、彼女らが歌う曲は何百何千といった"ボカロP"と呼ばれるクリエイター達が作っている。
同じ「ボカロの曲が好き」でも、ロック系が好きな人と落ち着いた曲が好きな人では当然聴きたいと感じる曲が変わってくるわけで。
何が窓口であってもいい、偏っていてもいい。その選択肢の多さも魅力のひとつではないんだろうか。
何故「○○を聴いていない奴はにわか」だと断言してしまうのだろうか。
確かに昔から存在するボーカロイド達を「プロセカの」と言われるのは不快だろう。ただ、プロセカで各セカイ毎に味付けされたバーチャルシンガーが好きな人もいて当然なのではないだろうか。(例えば私はニゴミクやダショルカが好きだ)
もう少し大人になったらどうだろうか。
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あとこれはボカロ厨に限った話では無いが、「○○は××の曲!」みたいなそういう目立つお馬鹿さんは果たしてほんとに盲目新参オタクなんだろうか?
「あなたのせいでAちゃんやBくんが配信を始められないから早く終わってくれないか?」といったコメントをする者がいた。
が、蓋を開けてみればそれは別事務所のVTuberの視聴者だったということが過去のコメント履歴等から判明した。
こんな風に、ネットでは簡単に誰かを装って、別の誰かを貶めることが出来てしまうのだ。
少しはその頭で考えてみてほしい。
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ここまで読んで、「じゃあお前が非難していた"ボカロ厨"はどうなんだ」となるかもしれないが、確かにそれも言えるかもしれない。
が、そうだとするにはあまりにも数が多すぎる故に、例えばTwitterに絞ったとして、その発言をする者、またそれに賛同する者、それらの該当アカウントの日頃の発言を見ても120%しっかりボカロ厨なパターンが多すぎるのだ。
なんだったら「○○はプロセカの曲!」みたいな発言をしているアカウントの方が正体不明の新規垢だったりしてしまうのだ。なぜそんなアカウントを本物の害悪だと信じてしまうんだ。
何年もの間ボカロ厨に擬態しているアンチが何百人もいるとかならわからないが、果たしてそれは現実的だろうか。
一度、「そんなことない!」と思考停止せずに考えてみてほしい。
それでもう少しマシな世界になってほしい。
内容というか構造をそもそも理解してないし、ある設定に対して突っ込んでいたけどそこの部分は映画内でしっかりフォローもされていた。
そんな映画レビューのサイトでもPVはだいぶあるみたいだし、パンフレットに寄稿した経験を自慢していた。
もちろん、すべての映画批評のサイトがこうじゃないことも理解してるし、結局は書いているのが素人だってことも理解してる。
それでも、だ。「映画を年に○○本観ています!」と喧伝されると盲目的に内容を信じてしまうものなんだろうか?
たとえば野球の解説を、全く野球の経験がなく、ただ「毎年100試合以上観ています!」という人物が行ったとして、言っていることに説得力を感じるだろうか。
文章においても本来、同様のことを考えるべきである。しかし誰しもが文章を書くことが出来、情報を発信できるような状態になるとついそれを忘れてしまう。
考えなしに観ると違和感を覚える描写でも、構造を意識して観ると納得する描写は数多くある。
テロ扱いしたら「テロリストには屈するべきではない」→「だから山上の思い通りに動くべきではない」→「つまり統一教会(と自民党との関係)を追求するべきではない」となりそうだし
「テロには屈しないという表明のための国葬をしなければならない」ともなりそうなので
テロかどうかというくだらない定義の議論でいつまでもうにゃうにゃやっといてもらってほしいんだよね
正直山上の行為がテロかどうかはどうでもよくて、テロリスト(笑)が「正しかった場合」どう社会は受け止めるべきかという部分を考えないといけないんだと思うよ…正しかったというのは語弊があるがあえてそう書いたが、テロには屈しないという原則を盲目的に信じるべきではないのではないかというね
山上の「テロ(笑)」がなかったら統一教会と自民の関係が社会的に明らかにならなかったし、追及されもしなかっただろう…別に自民の議員たちも隠れてやってたわけじゃないのにね
個人的に暴力は反対と言っておくが、結局ここまで社会を動かしたのは暴力なんだよね
言論でやれという言葉は一見正当に思えるが、そもそも議論するつもりがない相手に言論なんて無意味なんだよね
野党のいう事は聞かない発言、虚偽答弁百回以上、記者の質問シカト、公文書改ざん統計偽造、ごはん論法、臨時国会も開かない…言論を軽んじてきたジャップランドだからこそ暴力に訴えるしかなかったという構造を無視するべきではないよね?
すでに表に出ていたはずの統一教会と自民党との関係をマスコミがこれまで報道してこなかったのは官邸からの圧力やら忖度やらがあったんだとしたら完全に安倍は自業自得なんだよねwこれもまた言論を軽んじた結果なんだよね
というわけで言論を軽んじているような国でテロリストの主張が正しかった場合社会はどう受け止めるべきかってのを考えた方がいいんじゃないですかね
私は当映画を見ていないし、その周りもあまり知らないから、どうこう言える立場じゃないだろうけど、藤島じゅんさんの場合は、映画そのものではなく、よかったと思える人(と言うか自分とは違う感想を持っている人)をバカにしたのもあるから、言われたんじゃないかなと思う。
逆に映画そのものの批判だけや、人が絡んでも「周りは絶賛しているけど、私にとってはおもしろいとは思えなかった。」など言い方が違えば変わっていたかと。
あと「シン・ゴジラ」の件以外でも、この人は個人誌である「今日のふじしま」(ブログの日常4コマをまとめたもの)の巻末コメントで、自身の商業誌の某ネットショップレビューに対して、ボロクソに書いていたことがあるからね。
しかもどこの誰のことなのかわかる内容だし、レビュー側も決して誹謗中傷ではなく、その商業誌の題材の界隈に詳しい人からのしっかり読んだ上の書き込み(ダメ出しだけではなく改善点も書かれた、建設的な意見)だったんだよね。
その個人誌の件は「シン・ゴジラ」の前の話だから、そう言うのがつい出してしまう人なんかなと思う。
そりゃあ建設的な意見でも不快に思う気持ちはわからなくはないけど、せめて読者などの外部の目にも触れるところではなく、身内や漫画家仲間内で愚痴るなりで留めて置いて欲しかった。
プログラマが語ってこれ?
マジで?
それこそ機械学習して、パラメータとデータの紐づけを行い、繰り返すことで精度を上げていく
生まれつき盲目の人は死ぬまで青が分からない(視神経に直接データを流す技術が生まれれば別だが)
どんなに説明しても無理だろう
酸っぱいってどういう事?
辛いってどういう事?
痛いって何だろう?
丸いとは?
柔らかいって何?
およそ人間の脳がやってると思われることを、機械にやらせてるわけだ
それでも、人間の脳には遠く及ばない
でも「空」という単語を「無数の空が描かれた絵」に何度も何度も紐づけていくことで(実際には違うがあえてこう書く)
「手塚治虫風」みたいな絵も、人間の脳と似たようなプロセスで、膨大なデータから、取捨選択されるようになる
そして、人間との違いは、彼らは忘れない
死んで失われることもない
Svelte開発者のRich Harrisクン。どうしようもないポリコレクソ野郎です。
TIL Prettier is considering making tabs the default in 3.0. This is huge — it would make an entire set of programming languages more accessible (if you're somehow still pro-spaces, read this comment to instantly convert), and, more importantly, vindicate my personal preferences
https://twitter.com/Rich_Harris/status/1541761871585464323
i feel bad for the models who innocently signed up for this photoshoot and now look like they're enthusiastic supporters of some incel weirdo's cry for help
サマソニでホルモンとキングヌーが差別的なMCをしたとかで叩かれてるようだ
俺はこいつらのファンじゃないから彼らがどうなろうと関心はないのだが
この話に乗じてロックは、音楽文化は自由で多様性を認めてないといけないだろ!と怒ってる頭の悪い連中がいるらしい
これまたいつもの思考停止ポリコレ信者連中であるが、ちゃんと音楽文化を勉強すれば反差別思想を学びとるはずだ!とか言ってる奴もいるらしい
頭が悪すぎてクラクラする
歴史的にみれば、文化芸術の類には我が国、我が民族は他の劣等民族に比べてどれだけ優れているかを誇示するような作品も多く
むしろ文化発展度合いを見せつけて他国や他民族を威圧するために作られていた
文化共生、みんな平等なんて価値観は20世紀に入ってからポリコレになっただけだ
なんでそんなものを盲信して俺は正しく音楽文化を理解しているぞとイキっているのか
こういう奴らって時代時代の流行を盲目的に信じ込んでるだけだから、第二次世界大戦以前に生まれていたらバリバリの差別主義者だったんだろうな
昔、一級建築士の人と一緒に家を売る系のサービスを立ち上げようとしてポシャったんだけど
あのとき「人はどうやって家なんていう高額なものを買おうと決断するのか?」っていう意思決定の部分が結局わからなかったんだよね
車を買うとか、大学に入学するとか、そういうのも大きな決断だけど
人生に1回か2回くらいの大きなイベント起こす時ってどういう心境なんだろうと疑問に思う
家を買うのもそうだし、子供を作るのもそう、何なら結婚もそうなんだろうけどそこは「愛」だけでも乗り切れる気がする
家とか子供ってメリットもあるけどデメリットも見えちゃうんだよね
そういうときに敢えてそこに踏み出す動機の部分、その複雑な意思決定を分析しないでいいんだろうか?
俺は別にいいんだけど、というか皆も究極どうでもいいと思ってそう
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