はてなキーワード: 欲しがりません勝つまではとは
このようなスタンスを取ると最近の決まった反応は「ネトウヨがまた何か言ってるよ」だ。
ボクは自身をネトウヨだとは思っていないけれど、もしかしたらある種のネトウヨの定義の範疇に居るのかも知れないとはたまに思う。
前提としてボクは海技士免状を取得している。つまりは船乗りなのだ。
この時点で戦争を繰り返さないためにはと先の世界大戦を少しでも調べたことがある方々ならば察しているだろうけれど、調べたことがない方々のために説明しなければならないだろう。それがこの話を始めた者の責任のはずだ。
そう、なぜ船乗りは戦争に反対しながら軍備の増強を望むか?の背景を説明しなければならない。
まず日本国という存在は島国という形態をしている。これはおそらくは日本の立地条件を知る99.99%の人が共通認識として持って頂けてると思う。これを否定されるとボクは何も言えない。
島国である日本はどうしても何か日本の外で行おうとするとき必ず外へ出る技術を持つ者の助けが必要だ。
それは古来から船乗りであり、現代では航空機のパイロットも含まれる。
先の世界大戦でも重要視されたのが船乗りだった。それどころか幕末〜明治維新の時点で船乗りをもっと育てるべきではないか?という主張が強くあった。
日本の世界貿易を活性化させるためにも、そして(防衛であれ侵略であれ)戦争するのにも船乗りは必要だと考えられたためだ。
外へ出る能力と、それらによって支えられる貿易は日本の急所なんだ。繰り返すが、これは幕末〜明治維新の時点で内側から指摘されていたことだ。
そのため第二次世界大戦では米国を中心として、日本の急所を突くためにいわゆるABCD包囲網を形成され日本は一気にモノ不足へ陥ることとなった。
モノ不足へ陥った日本はそれを解消すべく動かざる得なくなった。そうつまり真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争の勃発だ。
モノ不足で戦争に至ることは日本の歴史上そう珍しいことではない。例えば戦国時代の興りは飢饉によるモノ不足によって豊かな土壌の奪い合いを始めたことが切っ掛けとされ、徳川幕府が安定したのは恒常的な飢饉が解消されたためという学説がある(突発的に起こる飢饉は別)。
このような考えは別に日本だけのものではない。ロシアの南下政策も考えてみれば豊かな土壌と貿易のための不凍港を得るためのものだ。だからこそ当時の日本はロシアに警戒感を強く寄せたのだろう。既に経験しているのだから。
先の世界大戦で日本は誤った判断を下してしまった。急所である本土補給線の軽視をしてしまったからだ。護衛も付けずに輸送船を運航したり精神論で補給が無くとも戦えると言ったのだ。それが「欲しがりません勝つまでは」の状況を生むにも関わらず。
そして数多くの艦船と共に多数の船乗りが海へ沈み敗戦を喫した。
それどころか政府は徴用した民間商船企業の賠償へ対して税率100%を掛けるという血も涙もない行いをする。
この記述で理解しない方々も言うだろうからわかりやすく言えば、日本政府から賠償された全額を税として納めよということだ。つまり最終的に民間商船企業へ残るお金はゼロである。
徴用した船舶と共に誤った判断によって補給線を崩壊させたにも関わらず、賠償金は最終的にゼロ。民間商船企業と船乗りが戦争を嫌うには十分な理由になるはずだ。こんなこと繰り返してはならない。
再三言うが、日本はモノ不足によって戦争をする。日本は島国なのでほぼ間違いがない。歴史がそれを証明している。
だからこそ船乗りや民間商船企業は日本が戦争を起こさないために国際貿易航路=補給線を最重要視せよと訴える。
そして外国がもし何らかの理由によって日本へ戦争を仕掛けなければならないとなった際に、急所である補給線を狙うのは明白なので、日本の補給線を狙うのは割に合わないと絶対的に判断して貰えるだけの圧倒的な防衛戦力が日本の補給線には必要なんだ。
もしこの軍備の増強に対して異を唱える方々が居るのであればボクは更に続けてこう主張する。
「あなた達がボクの乗る船を守ってくれるのか」
もしかしたら強固な非暴力主義者の方々が「暴力はいけないので侵略されたら降伏したら良い」と言うかも知れない。これは非常に素晴らしい人道的な考え方だとボクも思う。
だかしかし「侵略される際、一番最初に標的となるのは補給線上に居るボクが乗る船だ。安全な本土でボクの乗る船が沈む姿を見てから降伏するのか?」とボクは言いたい。
このような形でボクが死ねばボクは平和の英雄として名前が碑に刻まれ永代語り継がれるだろうが、それは間違いなく神風特別攻撃隊が生まれた思想とまったく同じだ。
ボクはこのような美しい平和思想のための英雄にはなりたくはない。誰かの平和のために死にたくはない。あなたの平和思想実現のために死にたくはないのだ。
ボクは自身を守り、そして日本をモノ不足へ陥ることを防ぎ、日本を戦争の道へ進まざる得ないという結果へ至らせない軍備の増強を望む。
ちなみに船乗りの労働組合である全日本海員組合は憲法の改悪へ対して反対している程度には反戦主義だ。憲法改正ではなく改悪に対して反対しているということをよく考えていただければ幸いだ。
https://www.tbsradio.jp/394270
聴いてて引っ掛かりがあったのが2点。「拳銃」と「帆高自身は何も犠牲にしていない」という指摘だ。
拳銃:
評の中では拳銃によってピントがずれてしまったと語られている。
ここに関しては異論はない。
ただ、拳銃がリビドーの象徴という解釈に対しては、別の解釈をしてみたい。
共産党本部のある代々木で、拳銃を2度捨てているということに意味が込められていたのではないか。
そして、武力革命の代替としてストライキを提起しているのではないか。
終盤ヒロインは、使命を放棄して生き残ることを選択しているわけだ。
いろんな業をヒロインだけが負わされて、帆高は何も犠牲にしていないという指摘だ。
のだが、ふと思ったのが「何かを犠牲にしないと何かを手に入れてはいけないんだっけ」ということだ。
いわゆる「欲しがりません勝つまでは」的な精神性が日本を停滞させている面があるのではないか。
今欲しいものを今欲しいと、もっと主張していってもよいのではないか。
そういったメッセージが込められていたのではないだろうか。
欲しがりません勝つまでは とか、国民を奴隷にするための教育のたまものです
「性的消費」は大学の先生も使ってたかと記憶してるけど、社会科学用語として広まった訳じゃないかもね
「欲しがりません勝つまでは」「八紘一宇」「鬼畜米英」は、当時の人の精神世界、時代精神を知る上での歴史用語の一種
そういう事実が論理的にあるということではなく、当時の人の言葉として史料のように扱われている用語のようなものだ
カッコくくりなのもそのニュアンスが込められてるんだと思う
「性的消費」もそれと同じで、当事者や活動家達の豊かな精神世界を端的に示すキーワードと解釈すれば分かりやすい
「ハクナマタータ」「MOTTAINAI」「なんくるないさー」「じぇじぇじぇ」「性的消費」「だっちゅ~の」「日本死ね」みたいな感じだ
で、これに反発する奴らがいの一番に考えてそうなのは、「それはない。戦争は怖い」とかだと思うんだよね。
結局感情だけで生きてる奴らだから、「戦争」って言葉のどぎつさに対する拒否反応を自分の倫理観かなんかと勘違いして、
こういう奴らは簡単に乗せられる。
自衛隊がアメリカにくっ付いて海外でドンパチやるくらいなら、こいつらは「怖いなあ日本に飛び火しないと良いなあ」くらいしか考えない。
その状態が常態化すると、「今日は◯◯を陥落しました」なんてニュースでちょっと誇らしげにすら感じるようになってくる。
ここまで来ると「我が軍は近日中に××への大攻勢をかける作戦を実行します」なんて報道で熱狂するようになるまでもうすぐだ。
「怖い戦争」が「勝利の熱狂」にすり替われば、あとはなし崩しに戦争万歳、欲しがりません勝つまではの献身から逃れられない空気になる。
戦後日本の経済を牽引したのは「とにかく奴隷を低賃金で雇って、物を作りまくって売れば勝てる」というスキームだった。これは「とにかくガムシャラに働く」という昭和の価値観そのもので、何しろ頭脳労働でなく、体を動かせばいいだけだった労働者たちはとにかく働いた。昭和の労働者たちは、家族のために、未来のために、バカ丸出しの精神論を振りかざしてガムシャラに働いたんだ。しかしそれはうまくいった。考えてこのやり方を選んだのか、それともただ“今まで通り”やっていただけなのか。このやり方というのは「欲しがりません勝つまでは」という戦時体制をそっくりそのまま引き継いだだけだった。しかし偶然にしろ何にしろ、これがその時代の勝ちパターンだったので、うまくいったんだ。日本は高度経済成長を迎えた。そしてこの黄金の勝ちパターンに乗っかって世界を席巻した最も代表的な企業といえばTOYOTAだろう。自動車産業はずっと日本の花形だった。今までは。
今、2017年になってまで、ほとんど同じやり方しかできない日本に本当にヤバさを感じる。製造業からサービス業に至るまで、戦時体制をそのまま引き継いだかのような奴隷労働の名残りが未だに色濃く残っている。いわゆるブラック企業だ。“それしか知らない”んだ。日本人はそれしかできない。
もはや物を作って売れば良い時代は終わった。より品質の良い“物”を、より安い値段で大量に売ればよかった時代は、終わった。ではこれから先「価値」となるものとは一体何だろうか。
一つ例を挙げよう。今、googleなど世界有数の企業が自動運転カーの開発をしている。自動で動く車は世界を変えるだろう。都市計画を丸ごとひっくり返し、遊びから仕事まで個々人の生活スタイルに重大な変革をもたらす。電話の登場のように、ラジオの登場のように、スマートフォンの登場のように。自動運転カーは世界を変えるだろう。
これから先、人類の間で求められる「価値」とはこのようなものだ。物を情報化できれば、今まで以上に圧倒的な活用ができる。ここにはまだまだ開拓の余地がある。ほとんど全てのものはインターネットに接続させることができる(が、まだされていない)。ここに伸びしろがある。付加価値を与える余地がある。機械学習が有効な分野であれば、それによって大変な革新が得られるかも知れない。ただ物を作って売れば良い時代は終わった。しかしただネットに繋げば良いというわけでもない。物を“どのように”情報化できるか、だ。或いは有形物でなくとも、コミュニケーションや、異性との出会いや、他人からの承認など、元々無形物であるものを、どのように高度に情報化し活用できるか、だと思う。これから先、求められる価値とはこのようなものだ。
TOYOTAは車を作れる。しかしその車に(これからの時代それが当然になるであろう“自動運転”という)付加価値を加えることは、できない。これが先進国であった日本の象徴的かつ決定的な終わりとなるだろう。
ブラック企業の組織構造・組織体質は「ただ物を作れば良かった時代」には最適なものだった。憎まれようが嫌われようが、昭和の時代にはあれが最適解だった、という事実は認めなければならない。しかしこれからの時代はそうではない、ということだ。俺は日本人をとりわけ優秀だとも無能だとも思わない。問題は組織の体質、社会の構造にある。これを変えるのにあと何十年かかるだろうか。それまでに一体、どれほど落ちぶれるだろうか。
いないなら育成すればいい
それが出来ないならそれまでの企業だったというだけの話
よく言われることかもしれないけどさ、
そこで、就活生が特技は寝ないことです!とか得意気に言ってて、女性社員がそれ大事!とか言ってたんだよね。
それ聞いた時点でこいつらダメだと思った。
スキルや成果を評価するなら分かるけどさ、ただ体に苦痛を与えること自体に何の価値があるの?
それ大事!とか褒めてた社員、もし妊娠・出産や育児でこれまで通り働けなくなった時、はじき出されるのはお前なんだぜ?
朝30分前には出社すべきとか言ってるそこのお前、精神論は分かるけどさ、お前がそう言うことでお前自身も朝早くから眠い目をこすって出社しなきゃいけなくなるんだぜ。
みんなでそういう空気を作ってる。馬鹿らしいと思わないのかな。
でさ、苦行積んでさ、金貰えるならまだ分かるぜ。例えば外資系投資銀行とか激務だけど給料は異次元レベルだしさ。
けど日本企業なんて出世競争激しいし、給料だってクッソ安いじゃんww そんなとこのために忠誠誓って苦行積むのwww うっはwwww
それで誰が得をするか。上の経営層だよ。電通のニュースを見てても分かるけど、残業代出ないのに匍匐前進でゲート潜ったり、せっかく22時消灯まで漕ぎ着けたのに仕事が回らないーとか嘆く社員がいる中、経営層は人件費を不当にカットしてますます富んでゆく。なぜ上にはヘコヘコして、本来なら団結して戦うべき仲間に向かって根性論を押し付けようとするのか。電通の痛ましい過労死も、そうして起こってしまった。
老害ガー、バブル世代ガーとか言うけど、若い世代にも責任あるよ。
実際それ大事!とか朝30分前には出社すべき、とか言ってた社員、若手だぞ。
一人一人が今すぐそういう思考を止める、根性論を他人に押し付けない。そういう心構え一つ変えるだけで、みんなが気持ちよく働ける世の中になるのにな。
大体学校教育も悪いわ。(特定避けるため大学名は言わないけど)俺東大・京大レベル卒なんだけどさ。大学受験の時とかみんな必死になって長時間机に向かってるの。
よく1日◯時間は机に向かおう、みたいなこと先生に言われたりするよね。
その時点でダメなんだよ。まず目標があって、それを達成するために今日勉強すべきことを決めて、やるべきことが終わるかどうかが評価されるべきなんだよ。
ちゃんと終わるなら10分の勉強でもいいし、終わらなきゃ10時間勉強してでも終わらせる。それが正しい姿なはず。
けど特に受験の時なんか、みんないかに長時間机に向かったかが目標になっててさ。俺は適度に遊んでて、夏休み家族旅行もしたけど、周りによくそんな余裕があるねと言われたわ。けど現に俺受かったし、俺よりはるかに長時間勉強しても落ちるやつもいた。
けど結局得をするのは、長時間勉強したそいつより受かった俺の方なんだよ。
今となっては結果よりも勉強した時間、いかに苦行を積んだかが評価される学校教育が社畜思考に繋がってるんだなと実感する。
まあ背景はどうあれ、その手の精神論が何の個人的幸福にも繋がらないことは歴史が証明している。戦前の軍国主義、「欲しがりません勝つまでは」の言葉に象徴されるような根性論、そして今の社畜精神。今も昔も、そう言った精神論、根性論、苦行主義によって何か良いことがあっただろうか。
国賊ってすげえな。結局個々の国民レベルでは近代化なんて全くしてなかったってことなんだろうな。
欲しがりません勝つまでは、の世界までもうすぐだな。