はてなキーワード: 教習所とは
コインパーキング教えといてや、といつも思う。
駐車時乗り上げる人も、出車時ぶつける人も多い
あと教習所内の各所に一定確率で飛び出す人形とか置いてほしい。
教習の間に「万に一つ」の人身を人為的に起こしてもらわないと、
「起きない」と思い込んで危険運転常習者になるアホが大勢いるから
赤坂方面行きたいのに新宿方面(明治通り)入らされちゃうんだよね……
間違った車が四六時中無理して右に出てくるから、右車線もみんな警戒してるけど。
教習所は車の運転ルールを教えるところ。なので、基本的に運転免許試験の範囲しかカバーしようとしないんだよな。習う人がその辺のニーズに応えてるかどうかで教習所を選んでたら違ったんじゃないか。
こんなに車に向いていない人が走っていると思うと恐怖だな。カーナビ地図更新の話から透けて見える自己中心的な物事の捉え方も怖い。教習所で良くない考え方として出てきた人みたい。
俺なんか向いてないと気付いたから免許はとったけど自重してずっとペーパードライバーだわ。バスと歩きと呼び出しタクシーだけで過ごしてる。
車に関して言えば、落ち度は益田だろ。ガソスタの人でなくて。そりゃ、セルフっていうのは「自分で選ぶ」のは当然だろ。教習所も、ガソスタも、責任ないでしょ。むしろ、教えてくれたオッサンに感謝しろって。ちなみに基本的に、ハイオク車にレギュラーを入れても問題ないけど、例外の車種はあるよ。レクサス LFAとか。
・立体交差
カーナビないと身動き取れない運転下手なんだけど、「この先5km以上道なりです」って言われた後に「100m先、右です」て言われた時の私の発狂振りに共感してくれる人いませんか。
立体交差って入口が交差点の300mくらい前にあるから「えっ、えっ、これなに?? この道なに??? 入っちゃったらどうなるの???」てなって入りそびれてカーナビ通りじゃなくなったりする。
立体交差の直進道に入り損ねても直進できることを知ってからは発狂度は減ったけど、運転中にパニックになるのマジ危ないので教習所の段階でもっときちんと教えて欲しい。
・ガソリン
親が車にレギュラー入れてたから自分もセルフでレギュラーで給油してたら、スタンドから爺さんがやってきて「何でこの車にレギュラー入れるんだ!!」ってすげー怒られた。
ていうかセルフでもガソリン出す出さないのボタンはそっちで制御してるんじゃなかったっけ?
満タン入れてから怒りにくるのおかしいだろ。全部捨ててハイオク入れ直せってか? お金は? 捨てられるレギュラーの分も払えって?
教習所ではガソリンスタンドで空気圧変えられるくらいのことしか習わなかった気がするんだよね。あと灯油のポリタンクにガソリン入れるの禁止くらい。そもそもセルフの給油に関しても教わらなかったから友人に聞きつつ機械の説明読みつつだったよ(親はそれを嫌って断固セルフで給油しない)。
ガソリン違ってダメならもう車の給油口にハイオクの色付けるなり「この車はハイオクです」て書くなり接合部に爪付けてちゃんとハマるノズルじゃないと給油できなくするなりしてくんねーかな。ガソリンスタンドでスタッフにどのガソリン入れるかの指定する必要もなくなって世界が平和になるんじゃない???
ところで自分は怖いからエンジン切って給油する(してもらう)けど、エンジン付けっぱなしで給油してる人いない? あれつけっぱでいいの? それも教習所で聞いた覚えないんだよね。なんで教えてくんないんだろ。
246を池尻大橋から青山一丁目方向に走ってだんだけど、渋谷駅前で4車線あって、Googleマップの「左車線で走ってください」の指示に従って左折レーンのすぐ右の直進レーンにいたんだわ。
左折レーン、直進、直進、右折の4レーンだったからそれでいいと思うよな?
そしたら左直進レーンは信号超えたら左折専用レーンだったんだよ。宮益坂に誘導されて大パニック。(まぁ標識見えてはいた)(見えた位置からして私ごときに車線変更できる状態じゃなかったけど)
つまり国道246号線とかいうデカい道路なのに進み続けられるのは右から2番目の直進レーンだけなのな! 渋谷怖い!! そうでなくとも246は路駐があって左走りたくないわ右折レーンなしの右折があって右走りたくないわ、真ん中走ってたつもりがいつの間にか左レーンなくなって右レーン増えて「???」てなるわ、意味不明なのに。
あとカーナビが地図更新されないのなんとかなりませんか。多分新東名入ってないんだよこれ。カーナビの名前でGoogle検索しても7年くらい前に地図の更新提供終了してるし。カーナビとGoogleマップのナビの併用も割とキツいんで(ルートが違うが細かく合わせられない)(カーナビはオリパラ交通規制反映されてない多分)(Googleマップは立体交差マジ分からん)、カーナビ各社または正規代理店はなんとかしてください…。
最近の流行では、お金を貯めて仕事を辞めて不動産や株などから不労所得(実際に不労といえるかは不明だけど)を得て生活するスタイルがあるらしいのですね。はっきりいってこうならざるをえない状況だと思う。なぜなら自分はこの10年で一切仕事ができないとわかったから。でもそういうことができるのは、そもそも仕事ができたり才能を持っている人に限られる。いったいどうすればいいのやら。
鬱で休職中ではありません。単純に仕事をしていても使えない人間なのです。例えば車知識の無い人がカーディーラーで営業するのとはちょっと違うのです。ポテンシャル的にはできそうなのに最終的に「あ、こいつに任せたら駄目だな」という感じになるんです。自分でもなんでなのかわかりません。車でいえば、本人も周りも運転できると思っていたらペーパーか、もっと酷いと免許もなく教習所すら通っていなかった、みたいな感じです。勘だけで運転している状態なのが自分なのです。もちろん自分は普免もっていますが、仕事においては何をしてもペーパーや無免許並のことしかできません。道交法も交通標記もよく知らずに「たぶんここはこう曲がるはず」と逆行・速度超過上等で走る暴走トラックな自分。現実にそんな車がいたら事故にあってしまうけど、仕事上だと自分がペーパーなことを全然意識してない。自信過剰というより、なんとなく出来ちゃうし出来なくても周りも自分も気づきづらいからそのままにしておく。
自分に仕事を任せても意味が無いと思ってやってます。何をしても不勉強だし簡単な予測ができない。
職場を掃除しようとしても、ちりとりやモップを用意したはいいけど他の人の備品をかたづけて貰うことを忘れていて時間になっても始められない、とこんな感じです。朝一で行われる会議の資料を出勤後に作成している。そんな風です。手取り足取り教えて貰っても必ず「なんでそんなところが」という肝心の部分ができない。
今の仕事は安定性があって他社との競合も殆どないのだけど、仕事では実直さとかが求められるのでなおさらです。人間関係もある程度濃いめですから自分の無能さは誰もが知っている。いま仕事に就いていられるのは、なんだかんだでそこそこの教育を受けられてきて履歴書に埋められる程度の学歴があるからです。でも資格は全然無い。普通免許とフォークくらい。
ここにくる前に地方都市の心療内科に通っていたことがあり、初期にIQテストのような長ったらしい試験をした結果、他の人よりバラツキがあるという判定を受けたと思います。投薬や自立支援プログラムも受けました。しかしそうしたものが成果に繋がったとは思えません。転職を機にそこに通うこともできなくなりましたし、紹介されたところも青い薬だけくれるだけで全然いいとは思わずいつのまにか通わなくなりました。遠かったのと実家の理解が得られなかったのも要因です。ようは何も変られなかったのです。
自分の生い立ちを振り返れば極めて目立った奇行を繰り返していたのは確かです。それをわかって解釈してくれる第三者としてはやはり心療内科くらいしかないのかもしれない。
頭痛とか不眠症とかはないのですが、自分の状態を正しく理解したい。自分がなぜこんなにもおかしな言動を繰り返すのか本当にわからないから。どうしたらいいのかわからない。
最初は誰からも「ちょっと変わってるかも」としか思われていないため、とりかえしが付かなくなってようやく自分の存在がやばいと知られてくると転職、という感じを繰り返してきました。
いまは実家とも離れており、やはり転職先で苦しい思いをしています。だからこそなんとかしないとなーと思ってます。もう転職しようにも後がないので。
最初に心療内科に行ったときはハードルが低かった。なぜなら自分の状態を相談できる人が外部にいたし、忙しかった割に個人の自由時間をたくさんとれたから。地方都市とは言えそこそこ活気があってクリニックに通いやすかった。それに自分のことを知りたいという気持ちが大きかったんですよ。
いまはやや田舎で車がないと大きな所にはいけないし、心理的・物理的なハードルが多い。やろうと思えばできるけれど、知りたいという欲求より同じような無意味な診療にならないかという不安の方が強い。やりたい気持ちを抱えたままズルズル引きずって先延ばししている。
教習所でシュミレータ講習を受けた。バイクを走らせ、合図があったらブレーキで止まるという講習だ。
エンジンスイッチを回し、スタータスイッチを押す。エンジンの音がしない。ギアの問題か?何度かガチャガチャ踏む。スタータスイッチを押す。反応しない。
あ、忘れてた。握る。エンジンの音が聞こえた。ゆっくり進む。ギアチェンジをしたような気がするけど今何速なのかもう分からない。
合図があるからそれまで直進だ。さっき前の人がやってた通りに、前輪ブレーキを多めにかけること。・・・合図がない。いつまで直進すればいいのか?
「線超えたらブレーキですよ」
「あ、え、はい」
線を越えたらブレーキで止まる。そんな簡単な指示さえ理解できていなかった。自分はなんて馬鹿なんだろう。私は思い込みで、合図があると思っていたのだ。
でもちょっと待ってくれ。私は自分の順番が来る前に前の人のシュミレータを見ていたが、その人の画面には線を通過すると人が旗を振って「STOP」と表示されていたのだ。
インストラクターの人も「線を越えると旗振って合図があるから・・・」と説明していた場面を私は覚えている。
「合図があると思っていたので・・・」
「合図がないのもあるので。」
そうなのか。私はすっかり合図が重要事項だからそこに注意していたのだが、インストラクターとしては重要なのはそこではなかったらしい。
朝と夕のシフトで出て欲しいって言われていいですよって言ったらシフトが全部朝と夕になった
ふざけんなって思ったけどなんだかんだで慣れた
夕→朝って連続した勤務になるので、仕事まで後10時間か・・・って考えることが割とあった
あと当たり前だけど家に帰ってきたら早めに寝ないと次の朝がしんどいので、あんまり趣味の時間が取れない。中抜け中に勉強とかやってると特にそうなる
年間休日88日ってことだから、基本は週休2日で、残り8日は繁忙期に出勤みたいな感じになるんだろうから、多分しんどい
でもその分給料が良いみたいだから、まあトントンって感じ。ただ旅館ってサービス業だから、転職したくなった時は同じ業界以外だと難しいかもね
あと管理職とはいえ雇われだから昇進とかはないだろうね。旅館っていうぐらいだから、でかいホテル並みの従業員が居るわけじゃないんだろうし
正しい以外の何者でもない指摘だが。実際警察は重大な事件ほどやりたがらない。下手すれば自分の出世に響くから。
これはそうだな。
「免許を取って1年以内は二人乗りできないことは知っていた。しかし重要な決まりとは思わなかった」
思わんな。田舎っていうのは基本的に免許取りにゆくために無免で車運転して教習所の駐車場に停める、みたいなやつがゴロゴロいる。悪く言えば半不良的で、よく言えば牧歌的だ。この牧歌的田舎の価値観をそのまま作品化してるだけで、注釈があればよいだけの話だ(ないのかもしれんが)。当然これを都会でやっちゃまずい。田舎だから許容されてるところがある。
この辺の文化的な特性を作品として表現しただけで、そこに咎を求めるのは見当違いだと思うが。なぜそんなに文化を窮屈にしたいのか理解できない。
なぜ教習所の教官はあんなにイライラしているのか、甚だ不思議でしょうがなかった。
昨日自動車のハンドルを握ったばかりの頃に、「基本的なことが出来てないんだよ!」と怒鳴られたことがあり、「あたりめえだろ」と、率直な感想を抱いた。
その日の夜、
で検索したところ、非常にストレスが溜まりやすい仕事だとの口コミがまとめサイトで拾えた。
なんでも、「交通マナーや運転方法などの、自分からしたら常識のことを、毎日毎日若造相手に同じことばかり教え続ける。病んで当然」みたいな理由らしい。
素人の危なっかしい運転に同情させられてハラハラするとか、高速教習で寿命が縮まる思いをするとかなら納得できる。なにせ命の危機だ。気が立つのもさもありなん。
だが、『自分からしたら常識なことを教える』のも、『それを何度も何度も教え続ける』のも、それらは何がどうなってストレッサーとしてはたらくのか、まったく理解できない。
相手は知らないから教えを乞うために教習所に来ているのだし、同時に教えられる人数に限界がある以上は同じことを話すハメになるのもしょうがないだろう。
いや、『しょうがない』という表現もふさわしくない。妥協の意味合いなど介在し得ない。そもそもストレスに感じることがおかしいのだから。
同一人物に対して、同一内容の教導を複数回行わなければならないにしても、その怒りは不当なものである。
何せ相手からすればその指導内容は「知らない」のだ。初見だろうが再度だろうが、知らないものを実践しようがない。無知と忘却になんの違いがあろうか。
「あれこれそうしてって何回も言ってるでしょ!?」とヒステリーを起こしていたので、(祖母が何を忘れて、どういういきさつで怒っていたのか詳しくは覚えていないが)
「忘れたこと責めたら聞きづらくなるんだから、そんなにがなり立てたらだめだよ」と諭したところ、
「だって同じこと何回も何回も聞いてくるんだよ!?おばあちゃん、もうボケてるわ!」と憤慨していた。
よしんばボケていたとして、ボケている相手に「ボケている人間の症状を出すな!」と責めてどうなるのか。理解しかねる。
「別に同じこと聞かれてもいいじゃん」と言うと、「あんたは気が長いねえ……」とため息交じりに返された。
それなら車社会に生きてるお前は交通事故で人が死ぬことを容認してる人殺しになるし煙草の根絶運動に参加しないお前は煙草の害で人が死ぬことを容認する人殺しになるじゃねーか。
良心的兵役拒否について書いた元増田。うんそうだね、そういう意味では、全ての人間は他人を殺める可能性があるから人殺しだと俺は思ってるよ。
車だって、教習所や更新の際に散々、事故起こした時は人殺しになるよというビデオ教材見せられて、それでも自分の意志で「事故が起きたら他人を殺すかもしれないけど、生活のために車を運転したいです」って許してもらって、「免許」をもらってるんだよね?
でもって、万一事故起こしたときの自賠責や任意の保険料も自分の意志で払ってるんだよね?車がなければ交通事故は起きないかもしれないけど、みんなが便利になるために、多少の犠牲は目をつぶりましょうって、人が死ぬのをわかっていながら、金で解決してるんだよ。そんなのみんな分かっていることだからあえて言わないだけ。
タバコなんてもっとひどい。生活のために必要がなくて、副流煙で他人に有害とわかっていながら、自分が気持ちよくなるために吸ってるんだよね?副流煙で死ぬ人が多少出るかもしれないけど、その分は、タバコ税払ってくれたら許しましょうって国が特別に許してくれてて、それに乗っかってるわけ。
車もタバコも、他人を殺める危険性があるものは、危険性があるのを承知の上で、税金払って許してもらってんだよ。
なんで池江選手だけ、車やタバコより遥かに他人を殺めることがわかっているものを、「頑張ってるから許して!」で金も何もコスト払わずに利得もらえるわけ?社会は持ちつ持たれつでやってるのに。盗人猛々しい、抜け駆け許すなよ。行列に割り込むよりずっと酷いズルされてんだぞ、わかってんのか?